「弁明があるなら一応聞いてあげるわ。」
高圧的な口調で雪ノ下が俺を見下ろしながら言う。
「……何もございません。」
雪ノ下の目の前で床に正座させられている俺はうなだれながら呟き、裁判長の判決を待つ。
「そう、なら良くて死刑、悪くて……。」
そこで言葉を切らないでもらえます?怖いんですけど。
というか、良くて死刑って、それより悪いのがあるのかよ。
見上げると、雪ノ下は天使のような満面の笑みを浮かべていた。
そして、立ち上がって、喜びが隠しきれない声でとんでもないことを口走る。
「一生私の奴隷ね。」
訂正。
こいつは悪魔だ。
さて、どうしてこんなことになってるかというと言うと、単純明快、俺が雪ノ下との約束を破ったからだ。
あの後、つまり保健室で由比ヶ浜と話した後、彼女が先生を呼び、俺の怪我の具合を診てもらった。
当然、それが終わる頃には最終下校時間はとっくに過ぎ、由比ヶ浜と俺が急いで部室に向かってもとっくにもぬけの殻だった。
雪ノ下に連絡をしようと思っても俺は彼女の連絡先を知らず、結局今日部室に来てから話すことにしたのだが、案の定、部室のドアを開けると案の定雪ノ下が怒りに満ちた表情で座っていたのだった。
まぁ、俺に非があるので文句を言わず罰は受けるつもりだが。
俺の人生をかけて償えと……。
「まぁ冗談はこの辺にしておきましょう。」
雪ノ下がさらりとそう言って、再び彼女の定位置の椅子に腰をかける。
嘘つけ。割と本気で怒ってただろ、お前。
「それで?結局由比ヶ浜さんとは和解できたのでしょう?」
突然雪ノ下が昨日のことを問うてくる。
そりゃ気になるのも当然なのだが。
……和解、か。
「正確に言うなら保留、だ。」
許容や肯定でも、拒絶や否定でもない。由比ヶ浜はその二者択一を行わなかった。
彼女にとっては判断材料が少なすぎたのだろう。
ただ、それを提供しなかったのは俺であり、俺が由比ヶ浜に選ばせなかった、と言った方がいいのかもしれない。
「保留、ね。
けれど、彼女は部活に来るのでしょう?」
俺の言葉を小さく呟いた後、雪ノ下が再確認とばかりに問いかけてくる。
「多分な。
少なくとも俺には行く気に見えた。」
「あなたたち同じクラスなのに、どうして一緒に来ないの?」
彼女の当然の疑問に俺は即答する。
「下手に二人きりで行動して周りに勘違いされたらどうするんだよ。」
俺の答えを聞いた雪ノ下が小さく笑って言う。
「そうね、失礼な質問だったわ。由比ヶ浜さんに。」
その言葉が失礼だ。主に俺に。
そんなどうでもいい会話をしていると、部室のドアがゆっくりと開いた。
「や、やっはろー。」
遠慮がちな声が部室に響く。
見ると、ドアの隙間からチラリと由比ヶ浜が顔を覗かせていた。
無断で部活を休み続けていたのだ。律儀な彼女なら責任を感じるのは当然のことだろう。
と、不意に俺と視線が合う。
すると、それまでの控えめな態度はどこかに消え去り、ガラッと一気にドアを開けて俺に詰め寄ってくる。
「ヒッキー!どうして先に行くし!?」
「いや、下手にふたーー「というか、なんで正座してんの?」
俺の話を聞く気はないんですね、分かります。
「昨日の件について、比企谷君に説教してたのよ。」
いつもと変わらぬ冷静な声で雪ノ下が淡々と状況を告げる。
「ゆきのん……。」
由比ヶ浜が雪ノ下の顔を見て小さく呟く。
俺のことを知った今、彼女は雪ノ下に対する態度をどうしていいのかわからないのだろう。
それに、部活の欠席についての負い目もあるはずだ。
けれど、雪ノ下はニコリと微笑んで以前と変わらない調子で言葉をかける。
「こんにちは、由比ヶ浜さん。
また会えて嬉しいわ。」
由比ヶ浜はと言うと、一瞬考える素振りを見せたかと思うと、突然俺の隣に正座した。
「……えーっと、由比ヶ浜さん?何をしているの?」
さすがに雪ノ下も驚いたようで目を見開きながら正座している彼女に話しかける。
「昨日のことならあたしにも責任があるもん。
だったら、あたしもヒッキーと一緒に謝らなきゃいけないでしょ?」
由比ヶ浜は雪ノ下の目を見てはっきりと宣言する。
「い、いえ、由比ヶ浜さんはいいのよ。
この男が問題だから……。」
その言い回しだと俺の存在が問題みたいな言い方じゃねぇか。
まぁ、あながち間違ってないんだが。
そして、由比ヶ浜は慌てる雪ノ下に対して真面目な声色で告げる。
「ううん、あたしにも責任はあるよ。
それにね、ずっと黙って部活休んでたんだからちゃんとゆきのんに謝らなきゃいけないもん。
だから、ごめんね。ゆきのん。」
「……ええ、分かったわ。
だから由比ヶ浜さん、立ってちょうだい。」
雪ノ下は少し考えた後、由比ヶ浜の謝罪が妥当だと判断したらしく、素直にそれを受け取った。
ちなみに俺は非難がましい目を作って雪ノ下を見ている。
彼女が俺の視線に気づくとすぐに意図を読みとったようで、小さくため息をつく。
「はぁ、あなたも立っていいわよ。」
「ん、分かった。」
遠慮なく立ち上がり、俺は自分の定位置に座る。
「あ、あたしもここに座るね。」
由比ヶ浜がしばらく使われていなかった雪ノ下と俺の間にある椅子に座る。
これで元どおり、ということなんだろう。
変わったのは由比ヶ浜と俺の関係だけだ。
雪ノ下が静かに本を開く。俺も鞄から文庫本を取り出し読み始めた。
……………あのー、由比ヶ浜?
視界の端でチョロチョロ動くのやめてくれません?
久しぶりの部活の雰囲気に慣れないのか、それとも今の俺には慣れていないからなのかは分からないが、由比ヶ浜はそわそわとして落ち着かない様子だ。
「こ、この感じ久しぶりだね。」
躊躇しながらも由比ヶ浜が話題を振る。
「そうね。
最近はずっとこの男と二人だったから気が滅入りそうだったわ。」
「そ、そうなんだ……。」
どうして会話に参加してない俺を貶すんだよ……。
後、どうして由比ヶ浜は否定してくれないんだよ。
「…………。」
「…………。」
「…………。」
そして、それ以上会話は続かず、本のページをめくる音だけが部室に響き、由比ヶ浜はいつまで経っても居心地が悪そうだ。
……普段演じている自分自身の影響かもしれないが、どうしてもこの空気の重い沈黙はムズムズしてしまう。
こんな空気になるのは大抵グループの関係性が悪化したときだからな……。
今回は例外、関係性の変化というのが正しいが。
「……気持ち悪いか?」
そんなこと考えても、口から出る言葉はそれだった。
自分で意識しない内に、由比ヶ浜に演技をしないことを気にかけているのかもしれない。
こんな対象が誰か不明瞭な質問したら、すぐに雪ノ下が嫌味を言ってくるものだが、今回ばかりは瞑目して黙ったままだ。
対して由比ヶ浜は少し間を置いてから答える。
「そうじゃないんだけど……。
まだちょっと慣れないかな。さっき教室にいた時はいつものヒッキーだったから。」
普段の比企谷八幡が偽物で、異質な比企谷八幡が偽物ではない、という変化は彼女にとって受け入れがたいものなのだろう。
「無理だったら、受け入れられなかったらいつでも俺に言え。
言い方が悪いが、いつでも俺はお前のそばを離れられる。」
「ううん!だから、そうじゃなくて……。
慣れてない、だけだから。」
彼女は両手をブンブンと振って必死に否定する。
なんだ、意外と元気そうじゃねぇか。
すると、ここまで沈黙を保っていた雪ノ下が口を開いた。
「比企谷君、由比ヶ浜さんが決めたのだからとやかく言うのは失礼よ。
元より、由比ヶ浜さん自身が選んだのでしょう?」
「まぁ、そうなんだが……。」
そう言われれば何も言い返せない。
気にしすぎ、なんだろうか。
「そうだよ!
それにあたしはみんなが知らないヒッキーを知れてちょっと嬉しいんだよ?」
由比ヶ浜が付け加える。
俺は観念して小さくため息をついた。
「はぁ、なら俺はもう何も言わない。」
「うん、それが一番だよ。」
まぁ、一番気にしていた由比ヶ浜がこう言ってるんだからこれ以上突っ込むのも野暮ってものか。
「それで、話変わるんだがこの前結構いい店を見つけたんだよ。
よかったら今度葉山達も誘って行ってみないか?」
少し強引な話題転換をする。
これ以上さっきの話をしても得られるものはないからな。
そして、由比ヶ浜も俺の意図を知ってか知らずかその話題に乗っかってくる。
「マジで!?行こ行こ!」
「なら次の休日にでもみんな誘うか。」
すると、由比ヶ浜は少し考えてから胸の前で手を合わせて笑顔で言う。
「そうだ!
今度あたし達でそこに行こうよ!」
「遠慮させてもらうわ。」
「右に同じく。」
「即答で却下された!?」
由比ヶ浜は彼女らしく表情をコロコロと変える。
「どうして休みの日にお前らのポイントを稼がなきゃいけねぇんだよ。」
つい、いつも雪ノ下に話すときのような感覚で言葉が出てしまう。
その言葉を聞いた由比ヶ浜は力なく笑う。
「あはは、そっか……。そう、だよね。」
そんな顔されたら罪悪感が湧くじゃねぇか……。
こういうのを素でできるから由比ヶ浜は怖い。
「……まぁ、なんだ、雪ノ下が行くって言うなら俺も吝かじゃないが。」
しかし、結局することは秘技・雪ノ下に丸投げである。
ちなみに使用は二回目。
そして雪ノ下を見ると答えないばかりか、なぜか少し笑っている。
「ふふふ、何も変わっていないじゃない、あなたたち。」
「それは……。」
そう言われて俺は口ごもる。由比ヶ浜は何も言わない。
ただ、雪ノ下は返事を求めていないのかそのまま続ける。
けれどその声は普段の凛としたそれではなく、どこか憂いを帯びた声色だった。
「そもそもあなたたちが出会った原因から考えたら、二人とも等しく被害者だわ。
全ての原因は加害者に集められるべきよ。
多少曲がりくねった道だったかもしれないけど、始まりが同じならあなたたちはこれからもやっていけるわ。」
その時の雪ノ下の表情は夕焼けの影となり、よく見えなかった。
かろうじて微笑んでいるのが分かるくらいだ。
けれど、なぜか俺の頭の中にその表情が克明に思い描けた。
記憶の中のあいつの表情と重なった、穏やかで寂しげな微笑を。
「ゆきのん……。」
由比ヶ浜が小さく呟く。俺は黙ったままだ。
「さて、そろそろ時間ね。
私は平塚先生に部員補充完了の旨を伝えてくるわ。
鍵をかけるから部屋から出てちょうだい。」
雪ノ下が突然立ち上がってそう言った。
「あ、うん。」
「了解。」
由比ヶ浜と俺はその指示に従い、先に部室を出る。
腕時計を見ると普段部活が終わる時間よりもずっと早い。
「由比ヶ浜。」
「どうしたの?」
「先、帰っといてくれ。
ちょっと用事ができた。」
「オッケー、分かった。
ならまた明日、ヒッキー。」
明らかに不審な理由だが、由比ヶ浜も何か感じるところがあったのか素直に聞き入れ、胸の前で小さく手を振る。
「おう、またな。」
そして俺は彼女とは逆の方向に歩き出す。
あ、こっちからだと職員室には遠回りになるな……。
****
「失礼しました。」
雪ノ下の声が廊下に響く。
俺はドアの横の柱にもたれていたので、ちょうど出てきた彼女とすれ違う形になる。
「比企谷君……。」
さすがに彼女も俺に気づき、少し驚いた表情で俺を見る。
けれど、そんなことは御構い無しに俺は話し始める。
「由比ヶ浜と俺の問題の責任は全部俺にある。」
「……っ!」
「何が始まりが一緒だ。関係ねぇよそんなもん。
多少曲がりくねった道?多少なりどころか180度反転した道だったわ。
お前があの車に乗ってたかどうかなんて知らない。
でもな雪ノ下、お前に一切の責任はない。そんなことで俺や由比ヶ浜に気を使うな。」
言いたいことを一気に口にする。
最後に『以上!』とでも付け加えたいくらいだ。
そんなどうでもいいことを考えている俺とは対照的に、雪ノ下は強張った表情のままだ。
「あなた、知っていたの?」
「雪ノ下の家の車に轢かれたことは知っていた。
いや、思い出したと言ったほうがいいな。
お前が乗ってるかどうかは当然だが知らなかった。」
だけどな、一呼吸置いてから続ける。
「震えた声、妙に区切りのつけた話し方。
気づかないと思ったか?」
場数が違う。といえば聞こえはいいが、実際雪ノ下と俺では隠し事の個数も、嘘をついた回数も比べ物にならないだろう。
そんな雪ノ下が俺に隠し事、いや言葉の裏を読み取らせないことなんてできるわけがない。
「なら……せめて謝らせてくれないかしら。」
「却下だ。」
即答する。
「お前は何もしてない。俺に罪の意識を感じる理由さえない。
そもそも、あんな事故があろうとなかろうと、俺はきっと由比ヶ浜に目をつけて絡みに行ったに違いない。
まぁ、ここまで言ってもお前のことだから聞かないんだろうな。」
雪ノ下はしっかりと俺の目を見据えて答える。
「ええ。いくら屁理屈をごねたとしても、私があの車に乗っていた事実は変わらないわ。」
頑なな彼女の物言いにおもわず少し笑いが漏れてしまう。
「何かおかしかったかしら?」
それが気に入らなかったようで、雪ノ下が問い詰めてくる。
「悪い。お互い頑固だな、と思ってな。
さて、どうしてもお前が譲らないんだったら一つだけしてほしいことがある。
それでチャラだ。」
「……分かったわ。私にできることなら何でも。」
数瞬考えた後、雪ノ下は了承する。
本当に負けず嫌いな性格だ。
俺はニヤリと口の端を歪める。
「なら、由比ヶ浜にこのことを話せ。
それだけだ。」
次は雪ノ下が笑う番だった。
苦笑とも何とも取れない笑いをした後、彼女は言う。
「ふふ、あなたも大概ね、比企谷君。
分かったわ。明日きちんと彼女にも話すわ。」
「それならいい。
じゃあな。」
別にこれ以上話すことはない。
愛する小町が待っている家に帰るだけーーーのはずなんだが、雪ノ下に背を向けて歩き出そうとするとすぐに制服の裾を掴まれる。
「……なんだ?」
振り向くと雪ノ下は自分の胸元をきゅっと握っていた。
そして、少し赤らめた頬を隠すように、潤んだ瞳で上目遣いに俺を見た。
そして、絞り出すように彼女は途切れ途切れの言葉を紡ぐ。
「その、……メール、アドレス、交換しましょう。
また、昨日みたいなことが、あったときに……困るでしょう?」
何だ、そんなことか。
俺は制服のポケットから携帯を取り出すと雪ノ下に向かって手を伸ばす。
「携帯貸せ。打ってやるよ。」
『琴浦さん』というアニメを見ました。
2013年のアニメなんですが、私の中では最近見た中でトップクラスに面白かったです。
よかったらご覧になってみてください。
さて、布教を終えたところで、次回から夏休みつまり合宿と夏祭りです。
そして、一応注意事項を。次回から本格的に設定を少しいじります、ご了承ください。
それではここまで読んでいただきありがとうございました。