ナザリックへと消えた英雄のお話   作:柴田豊丸

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作者の設定捏造により、原作で明言された場合よりスキルを手に入れる方法を増やしています。
・五レベル毎にスキルを取得。
・総計レベルが一定値を超える度にスキルを取得。
・前衛系もしくは後衛系の職業レベル合計が一定を超える毎に任意または自動取得。
・職業レベルや種族レベルが定められたレベルに達する度に自動取得。
・新しい職業やクラスに付く毎に対応したスキルを取得。
・クエストクリアなどの報酬で貰える巻物・魔法書やアイテムによって取得。
・イベントや儀式を熟す事によって取得。
・その他様々な場合によって取得。
 等を考えております。




チュートリアル・ゴブリンズ・アーミーとリーベ村:決戦編

 リーベ村では麦や馬鈴薯の畑作に薬草の栽培、少数ながらも牧畜で生計を立てているのだが、それらの畑や牧草地、放牧地などは村の横手から前方にかけて広がっている。故に村の後方は、ゴフ樹海まである程度の距離を取っている他は田畑も建物は無く、村人が立ち入る事は無い。

 例外は樹海に入る事も生業の一つである狩人、そして時折訪れる薬師や冒険者位である。

 

 そんな村の後方に、イヨは柵を背にして立っていた。イヨと柵の距離は十メートルほどか。柵の後ろには槍を突き出した村人たちがおり、更にその後ろに投石を担当する村人がいる。

 

 弓手の者達は物見櫓の上に陣取っている。

 

 高みの利を取り、より多くの敵を接近前に倒すのが目的だ。優先度はまず、第一に柵を破壊できるオーガ。次に指揮官級の個体、三番目に弓手などの遠距離からこちらに被害を与えてくる存在。魔法を扱う個体は目撃されていないが、もしいた場合はそれらも優先攻撃対象となる。

 

 既に予想されていた敵の侵攻時刻を過ぎている。何時敵が姿を見せてもおかしくないので、イヨも村人も緊張していた。

 

「嬢ちゃ──イヨさん! 危なくなったら下がってくれよ!」

「気持ちは嬉しいし頼りにしてるが、此処は俺たちの村だ! あんたが命を懸けてまで戦う事ぁねぇからな!」

「大丈夫でーす! 皆さんもお気をつけて、怪我の無いようにして下さいね!」

 

 後ろには振り返らずに前方を注視したまま、イヨは手を振って返す。男だと紹介してもらったのに嬢ちゃんと言い掛けたのはどういう事だと思いながら。

 

 村人たちはイヨの助太刀を大歓迎してくれたが、一人で柵の外に出てモンスターと殴り合うと聞くと一斉に引き止めた。助力は嬉しいがそこまですることは無い、死んでしまうと。特にイヨと同じくらいの子供がいるらしい中年世代の声は大きく、見ず知らずの娘を巻き添えになどできないと口々に訴えた。

 イヨが拾った小石を握りつぶして砂利にして『これくらい強いんですよー! 心配いりませんから!』とアピールする事で反対意見は一応収まったが──ゲーム内でのスペック上多分出来る筈だと思ってやってみたものの、握力で自然石を砕くなどあまりにも荒唐無稽で、自分でやってて驚いた──イヨの外見のせいか、ちょくちょくこういう声をかけてくるのだ。

 

 外見が幼くて女の子っぽいのは、やはり男にとってはマイナスだと言わざるを得ない。イヨは今更自分の容姿を卑下したりしないし、コンプレックスもあんまり無いが。

 

「毒尾の亜竜【ポイズンテール・レッサードラゴン】とか倒した事あるんだよー、今はちょっと勝ててないけど、昔は全国優勝したことだってあるんだよー……」

 

 毒尾の亜竜【ポイズンテール・レッサードラゴン】は竜よりは格の低い亜竜に属するモンスターであるが、その実力は決して舐めてかかっていいものではない。竜より知能が劣るという設定の為に魔法を使ってはこないものの、レベルにして六十八の比較的強めな存在である。ユグドラシルの大半を占めていた百レベルプレイヤーにとっては箸にも棒にも掛からぬ強さだが、イヨにとっては本当に強敵だった。

 その強敵がドロップした素材とデータクリスタルは今、イヨの防具となっている。

 

「重装化は要らないかな、ゴブリンとかオーガが相手なんだし。──しかし、敵はまだ来ないのかな」

 

 何時敵が来るやも知れないという緊迫した状況で待たされるのは、精神的にも体力的にも過酷である。心身ともに頑強で勝利に確信を持っているイヨはまだしも、村人たちはこの時間が続けば続くほど消耗が酷くなるだろう。

 

「ユグドラシルだったら、アイテムで索敵とかもできたんだけどなぁ」

 

 イヨのクラスはクレリック以外、ほぼ純粋な前衛だ。気配察知と云うスキルを持ってはいるが、それは一定範囲内での隠密、隠蔽、透明化、不意打ちの察知に対するボーナスなどの効果を主とするスキル。より上位の気配看破などとは違い、遠方からの敵接近を知覚する領域にまでは至っていない。

 

「ユグドラシルだったらこう、手を中空に伸ばせば……えぇえ?」

 

 何気なく前方の宙に伸ばした手先に、何かがカツンと当たった。

 

 恐る恐る目をやると、手首から先が途切れている。水の中に手を入れたかの様に、イヨは別の空間に手を突っ込んで来た。指に触れた物の形を確かめると、それはユグドラシルで散々お世話になったポーションの瓶の形であった。

 引き戸を開ける時の様に手を横にやると、空間が開き、其処には店売りの各種下級ポーションがぎっしりと並んでいた。見慣れた、ユグドラシルにおけるイヨのアイテムボックスである。

 

「あ、あるんだ? え、これ一体どうなってるんだろう。僕自身と装備品は兎も角、この空間ってこの世界的にはどうやって成り立ってるの? ……魔法かな?」

 

 空間に出し入れ自在の収納スペースを作る技術なんて、それくらいしか思い付かない。

 

「使えると分かってたら、もっと早くリーシャさんを助けてあげられたのに……」

 

 イヨはちょっと落ち込む。しかし気付くのは遅くなってしまったが、アイテムボックスの中身が丸々全部使える状態にあるとは、素晴らしい朗報だ。

 

 イヨは例えラスボス撃破後の裏ダンジョンに潜る時でも、MP消費をケチる為に薬草を九十九個は道具袋に入れておくタイプの人間だった。ユグドラシルにおいてもそれは変わらず、各種類の一番安いポーション、その他状態異常に対応するアイテムを所持数制限の一杯まで、もしくは持っている分全部をアイテムボックスに詰め込んでいる。

 これらがあれば、怪我人が沢山出た時に、イヨの貧弱な魔力が枯渇して治療できないという事態にも対応できる。それにサブの武器や防具、装飾品、マジックアイテム。この不明な事が多い世界でこれらの物資は、イヨの可能性を最大限に拡張してくれるものだ。それに、

 

「アイテムがあるんだったら、もっと確実な方法が取れるね」

 

 そう一人ごちて、イヨは二本の短杖と金銀銅で出来た数本の鍵型アイテムを取り出す。

 

 ユグドラシルのアイテム類は多彩だ。イヨはそれほど多くの種類を所有している訳では無いが、それでも基本的なアイテムは押さえている。

 

 イヨがゴブリンに負ける事などあり得ないが、それでもたった一人に過ぎない以上、一度に相手にできる数は限られる。職業的に複数の標的に攻撃するスキルはほぼ持たないし、魔法の方も実にお粗末。フリーになっているゴブリンは村人の方に流れるか、逃げられるだろう。後顧の憂いを残す事になるし、出来れば住人たちに怪我をしてほしくは無い。

 だからこそ全力で戦って速攻で片を付けるつもりだったか、アイテムがあれば『範囲攻撃の手段が無い事』『頭数が不足している事』も覆せる。

 

 イヨは左手に持った黄色い宝石を嵌めた短杖と銅の鍵を掲げ、そして二度唱える。

 

「〈サモン・フェアリー・2nd/第二位階妖精召喚〉」

 

 イヨの両脇に優し気な輝きの光が灯る。それは段々と人型に固着し、三秒ほどの時間をかけて、暖かい光を発する妖精の姿を取った。身長が三十センチメートル程度だと云う点を除けば、外見上は白い衣を纏った長い金髪の女性である。ユグドラシルにおいて外見的に攻撃しにくい敵ランキングベストテンにランクインした光の妖精、スプライトだ。

 

「〈サモン・フェアリー・3rd/第三位階妖精召喚〉」

 

 今度は右手の赤い宝石が嵌った短杖と銀の鍵を構え、やはり二度唱える。

 瞬間、二柱の炎が吹き上がった。五秒近くも勢いよく燃え盛った炎から這い出てきたのは、全長二メートルにも達する炎で構成された大トカゲだ。火の妖精、サラマンダーである。

 

 イヨはこの時、不思議な感覚を覚えた。呼び出した四体との間に、ある種の絆の様なモノをはっきりと感じたのである。この子達は僕の言うことを聞いてくれる、とイヨは確信した。

 ユグドラシルにおいて召喚したモンスターは、種別によってある程度定まった行動しかできない様になっていた。タンク型のモンスターなら召喚者の近くに立って壁に、アタッカー型のモンスターなら敵に向かって突っ込んでいき、補助・回復型のモンスターは敵に近寄らない様にしつつ召喚者の周りにいる、と云った風に。

 

 召喚のされ方も矢鱈と凝っている。この妖精たちは恐らく、ゲーム的な制限に縛られずにイヨの頼みを受け入れる事だろう。

 

「い、イヨさん!? そのモンスター? は一体……!?」

「僕の召喚した妖精でーす! 皆さんに危害を加える事はありませんので、安心して下さーい!」

 

 心配そうな声のリグナードとどよめくリーベ村住人に、イヨは手を振って返す。イヨとリーベ村住人が同じパーティと見做されれば敵対行動は起こさないだろうと予想して呼び出したが、この様子なら心配はいらないだろう。

 

 イヨは妖精たちにお願いする。

 

「スプライ子達はリーベ村の人達と一緒に居て、怪我をした人がいたら治してあげて。僕の事は心配しなくていいからね。サラマン太達は僕と一緒に、これから襲ってくる奴らをやっつけよう。まずは魔法を叩き込んでから僕が突っ込むから、あぶれた奴らがあの人たちの所まで行かない様にして、守ってあげてね」

 

 イヨの指示に、四体の妖精は頷いた。二体のスプライトは柵の後ろまで漂って行き、サラマンダー達は柵とイヨの間に陣取る。やっぱり、自我らしきものがあるらしい。

 

「あっ、サラマン太ー! 君を呼び出しておいて悪いけど、敵が装備している武器や防具は出来るだけ燃やさない様にしてね! 勿体無いから! 中身だけ攻撃してー!」

 

 TRPGにおいて、敵から剥ぎ取る素材や物資は大変重要な収入源である。この世界でも多分売ったりすればお金になるだろうし、質が悪くて使えなくても、鋳溶かして再利用できる。それらの資源はリーベ村の今後に必要だろう。

 サラマンダー達は「ええー? まあ、がんばるけどさ……」的な仕草をしつつも首肯した。

 

 スプライトは回復魔法に特化した妖精、サラマンダーは炎による攻撃に特化した妖精である。レベル的には低いと言わざるを得ないが、それでもゴブリンやオーガ相手ならば十分だ。脇を固める戦力としては上々だろう。

 

 ふと、ユグドラシルのアイテム類はもう手に入らないから節約すべきではないかと思い至るが、まあ沢山あるからいいか、とイヨはあっさり納得する。惜しんで人死にが出たら悔やんでも悔やみきれないし、『妖精神に仕える未熟な神官』のRPをする都合上、妖精召喚の魔法を込めてもらった短杖や補助のアイテムは結構持っているのだ。

 

「次は索敵、と」

 

 続いてアイテムボックスを探り、イヨは二つのマジックアイテムを取り出した。それは獣の耳を模した物体──一般に、ウサ耳バンドと呼ばれる物と大きな丸眼鏡だった。

 

「よっと」

 

 イヨは慣れた手つきでウサ耳バンドを頭に装着し、丸眼鏡をかける。ウサ耳バンドはユグドラシルにおいて兎さん魔法と云われる人気魔法の一角、〈ラピッツイヤー〉と同じ効果を持つアイテムである。アニマルシリーズと呼ばれるアイテム類の一つとして幅広い層のユーザーに大きな人気があり、所謂ガチ勢には見向きもされない程度ではあるが、実用に耐えるだけの性能も併せ持っている。

 

 丸眼鏡の名は感知の眼鏡。作成者は生産職のイヨの友人である。サイズを自動で調節してくれる機能が当たり前のマジックアイテムだが、感知の眼鏡は作成者のこだわりの為、誰がつけてもやや大きめのサイズに調整されるように出来ている。ぶかぶか萌えという奴らしい。

 

 装着したウサ耳はピクピクと動き、周囲の状況を拾う。背後の村人たちが妙にざわついていた。やはりいつ戦いになるかと思って緊張しているのだろうか、などとイヨは考える。

 

 無論、村人たちは妖精を四体も召喚した上、突如ウサ耳金髪眼鏡っ子と化したイヨを見てざわついているのだが。

 

 もう少し遠くの方の音を意識して拾っていると──耳が僅かな異音を感知し、同時に眼鏡のレンズの端っこに幾つもの光点が映る。大小無数の音が重なり合い、素人であるイヨには正確な数や音の正体は分からなかったが、

 

「前方より複数の足音! リグナードさん、詳細は分かりますか!?」

「──こちらでも捉えました! この歩調と歩幅は人間のものではありません、ゴブリンとオーガです!」

 

 総員が手にする武器を握り直した瞬間、それらは樹海の闇から滲み出る様に走り出た。我先にと雄叫びと共に突進してくるのは、血と肉に飢えたモンスター達だ。

 

 先頭を走っているのは事前の情報通り七体のオーガ。三メートルにも及ぼうかという体躯は筋骨が隆々としていて横にも前後にも分厚く、推定体重は半トン程だろうか。牙を剥き出した顔は醜く歪み、高々と振り上げた棍棒はそれだけで人間の大人より大きい。中でも巨大な剣を持った個体は、他のオーガより頭二つは大きい。

 

 イヨの世界にかつて生きていたらしい大型の猛獣、樋熊に匹敵する大きさである。

 

「予想より敵の数が多いぞ……!? ゴブリンだけで三、四十体以上はいやがる!」

 

 イヨの背後で村人の一人が呻く。その者の言うとおり、森から湧き出るゴブリン達はとうに二十を超えている。見逃していたか、森の中を彷徨っていた残党のゴブリンが集まったのかもかもしれない。襲った人間から奪ったのだろう武具は手入れが悪く錆びているが、それが逆に野蛮さと獣性を連想させる。腰巻だけでなく、金属製の防具を身に着けた者も多く、全体的にもイヨが倒した個体より武具が上等であった。

 

「逸るなよ、射程に入るまで絶対に射るな! 先ずはオーガを狙え! 先頭のデカブツをだ!」

 

 駆けるモンスター達との距離は瞬く間に縮む。オーガ達がやや先行し過ぎているきらいがあるが、あの巨体の突進力で被害を受けた所にゴブリン達が浸食してくれば厄介ではある。

 たった五人の弓手では矢の弾幕による面の攻撃が出来ない為、一人一人の命中率を高める必要があり、結果としてある程度の接近を許してしまう。

 

 第一射が放たれたのは、イヨから見て前方百メートル、リグナード達からは大凡百十メートルの距離にオーガが達した時だった。空気を切り裂いて巨剣のオーガに矢が飛来し、五本の内四本が命中した。だが、オーガは巨剣を掲げて頭を守り、倒れるまでには至らない。腹部や腕に当たった矢も、分厚い筋肉に阻まれて骨や内臓を傷つけるまでには達しなかった。

 

「怯むな! いくらデカくて頑丈だろうと生き物だ、傷付けば倒れる、殺せる!」

 

 次々と放たれる矢は三体のオーガを骸とせしめたが、巨剣のオーガを含めた四体はもはやイヨの眼前、距離にして十メートルに迫っていた。

 

 身長百五十センチメートルと少しでしかない細身のイヨに、巨人の如きオーガが四体も殺到する様は、イヨが鎧袖一触に跳ね飛ばされる姿を冷酷にして厳然と見る者に想像させた。

 

 

 

 

「や、やっぱり駄目だぁ、逃げてくれ! 死んじまうよ!」

 

 リーベ村住人の内、多くの者が叫んだ。彼ら彼女らの脳内において、あの小さな三つ編みの自称少年が死ぬ運命にある事は疑いなかった。

 

 各々の胸に浮かぶ思いは罪悪感であり、自責の念だ。

 

 ──いくら強いと云っても、あの小さな子供の体で何が出来るというのか。

 

 多くのマジックアイテムを身に着けているから。妖精神に仕える神官としての力を持っているから。村で最も腕の立つ狩人であるリグナードとリーシャを助けてくれたから。本人が望んだから。

 

 そんな理由を並べ立てて、自分達はイヨを信じた。信じてしまった。藁にも縋りたい状況で、降ってわいた希望に飛びついた。──その希望が果たして本当に希望と呼べるものなのか考えもせず。

 あの善良な子供に、子供だけが持ち得る純真の善意に、大の大人が雁首揃えて依存してしまった。

 

 土壇場になって、村人達はようやく考え付いた。

 

 嘘をついてでも村から逃がすべきだった。それが叶わぬなら、せめて最前線に立たせるべきでは無かった。村の子供たちを地下壕に匿った様に、あの子もまた守ってやるべきだったのだ。

 

 それが大人の、子供に対する義務という奴だ。

 

 自分たちが戦うのは仕方が無い。その結果死ぬのも覚悟の上だ。何故なら此処は自分たちの村で、守る者は自分達しかいないのだから。でも、あの子は違う。余所者だ。

 

 この村の為に死ぬ義務も理由も無い。

 

 村人たちの声が、想いがイヨに殺到する。イヨもそれを聞いたし、感じた。

 リーベ村の人々の視線を一身に受け、イヨは一本の新たな短杖を構えた。まるで気負いなく、何処までも自然体のままで。

 

 この後に及んでその背中が震えも揺らぎもしていない事に、リグナードとリーシャだけが気付いた。

 

 最早手の届く位置まで近づかんとするオーガ達を前に、右手に持った短杖と金の鍵を掲げる。

 

「ギィイルゥ!」

 

 巨剣のオーガがその小さな人間を踏みつぶさんと間合いに入り──

 

「〈ストライク・エア/風塊の鉄槌〉」

 

 短杖より開放されし第四位階魔法によって、三体のオーガが吹っ飛ばされた。

 

 

 

 

 骨の折れる音が、肉の潰れる音が、内臓が弾ける音が、傲然とうなりを上げる大気の叫びが──それら全てを混成した名状しがたい音が響くのを、人もモンスターも等しく聞いた。

 

 巨剣は弾き飛ばされ、三つの巨体が宙に跳ね上げられて、次の瞬間にはぐしゃりと耳を覆いたくなる音を立てて地面に落下した。さらに直進した風の塊は十数体にもなるゴブリンを巻き込み、同じく骸とせしめた。──さっきまでモンスターだった死体が次々に落下するのを、その場にいる全ての者が目撃した。

 

 人もモンスターも、その場にいる誰も彼もが動きを止めた。振り上げられた武器は振り下ろされず、番えられた矢は放たれず、侵攻の足音も無い。それは本来戦場では有り得ない筈の、無音にして無行動の完全なる静寂。

 

 数瞬か、或いはほんの数秒の静寂を打ち破ったのは、それを齎した少年であった。

 

 イヨは両の手を上段中段に構え、鋭く素早く動いた。敏捷度を向上させる指輪に腕輪、移動速度にボーナスを得る装備、足場の悪条件をある一定の程度まで無視するスキルによって後押しされたその足捌きは、既に達人の領域だ。

 

 瞬きよりも早く、やや横に位置していた為に無事だった、棍棒を振り上げた格好のまま茫然としている最後の一体のオーガに肉薄し、身長差を帳消しにする分だけ跳躍する。

 

 とあるクエストをクリアした時の報酬である秘伝の巻物によって習得したスキル、【爆裂撃】が発動した。骨格ごと相手を破砕する威力を秘めた打撃が頭部に叩き込まれると同時、耳を聾する爆音と共に炎が奔り、オーガの頭部はこの世から消失した。

 このスキルが持つ効果は爆裂の追加ダメージと炎属性の付与、更には相手に火傷のバッドステータスを付与する。レベルが上がると一定確率で部位損失の追加効果を与える事も出来るが、イヨはまだそこまで熟練していない。だがそれでも十二分に過ぎる威力である。

 

「──い」

 

 身長差百五十センチメートル、体重にして十倍近い差がある相手を、さして力を込めた風もなく葬り去る光景を前にして最も早くフリーズから立ち直る事が出来たのは、その力を多少なりとも知っていた一人の狩人だった。

 

「──今だ! 敵の足が止まっているぞ、今のうちに射るんだ! 一体でも多く削れ!」

 

 オーガに遅れていたゴブリンたちは既に射程に入っている。オーガが全滅した事で柵を壊されて村内に侵入される可能性は低くなったが、相手はそれでも三十を越えるモンスターの群れだ。依然として大きな脅威には変わりなく、唖然としている暇は本来無いのだった。

 

 射撃を皮切りに、戦闘は再開された。ゴブリン達は一心に前進してイヨに殴りかかり、その他のゴブリンが柵を取り壊そうか乗り越えようとし、槍を構えた男たちと炎で構成された大トカゲの反撃を受ける。

 弓を持ったゴブリンの矢によって数人が傷を受けたが、負傷者は即座に白い衣を纏った金髪の妖精に癒され、弓持ちのゴブリン達はリグナードらの応射に倒れる結果となった。

 

 戦闘は余りに順調に進んでいた。まるで低位のアンデッドの如く無謀な攻勢を続けるゴブリン達を、只管に村側の戦力が撃退し続けるだけだ。村人の決死の反撃と四体の妖精も無論理由の一つだが、最前線で暴風の目と化して暴れまわっているイヨの存在は、敵にとっても味方にとっても余りにも大きすぎた。

 

「あイつだ! あノちびさえころセば──がっ!?」

 

 その拳は流麗にして苛烈であり、ゴブリン程度のモンスターには捉えられない。この場にいる者の中で、まるで一人だけ違う時間の流れの下に生きているかのようだ。

 

 少年はそれほど速く、また力強い。

 

 突き込まれる拳は防具の上からでも一撃で骨を砕き、肉を潰す。蹴りは肉体どころか武具に使われる鋼をも両断した。およそ肉体的に屈強とは思えない矮躯と線の細さだが、巨体を誇るオーガを一撃で殴り殺して見せたその力は本物である。

 

 一撃ごとに一体また一体と、一挙手一投足がゴブリン達を確実に殺めている。四方から振われる武器は掠りもしない。

 足さばきや立ち位置の調整によって避けるまでも無く当たらないか、僅かな身のこなしで空を切るか、その手先で受け、流され、捌かれるだけである。

 

 そこにあるのは一つの到達点だった。一身の隅々にまで行き渡る理、何万何十万という反復の末に体に刻み込まれた技術の集大成である。手先足先は速過ぎて霞んで見えるが、それを振っている大本である体幹、重心、軸足は僅かにも乱れない。まるで模範演舞の様に整った、整い過ぎていて戦闘中の動作とは思えない様な技の数々。

 

 繰り出される技は、全てが基本のもの。正拳、平拳、裏拳、鉄槌、掌底、貫手、鶴頭。前蹴り、回し蹴り、足尖蹴り、蹴上げ、蹴込みなどだ。ただその速度と力強さだけが、余りにも円熟している。

 

「すっげえ……」

 

 投石班のとある村人が零した言葉こそが、その場にいる全ての人間の代弁でもあった。頭部でぴこぴこ揺れているウサ耳や丸眼鏡が微妙な塩梅を醸し出してはいるが、あの幼い自称少年は、一体どれほどの鍛錬の末にあの力を身に着けたのだろうか。

 

 リーベ村では防衛の為、成人に達した人間は男女問わず戦闘の訓練を受ける。軍人や冒険者などの本職の人間と比べれば手慰み程度の時間と内容ではあるが、その訓練の成果によって、この緊急時であっても多くの人間がパニックにならず戦力としての役目を果たしていられる訳である。

 

「あんな強い人間は滅多に……ミスリル? オリハルコン? いや、まさかアダマンタイト級か?」

「アダマンタイト級……人類の切り札、最上位冒険者の強さに匹敵するってのか」

「あんな、まだ成人にも満たないだろう子供が……?」

 

 茫然とした声を漏らしたのは、普段の訓練では教官役を務める年かさの男達だ。年老いて引退した元専業兵士であり、徹底した集団での戦闘を心掛けているが為に前にこそ出ていないが、武器を持てばゴブリンの一体くらいには勝利を得られる実力の持ち主である。

 

 戦場で幾度となく命のやり取りを交わし、また敵味方ともに何人もの強者を目撃した者たちの言葉は重みがある。

 

 アダマンタイト級冒険者。それは人類種において最強の者たち。人間よりも遥かに強大なモンスターを葬り去る人類の切り札である。人の身としては極限の強さを持った存在、数多の武勲を謳われる武芸者。それに、彼らから見れば幼いイヨは匹敵するのだ。

 

「本人の言葉を鵜呑みにするとしても十六……外見は十三から十四くらいか? あの幼さで……」

 

 村人たちが相手をしているゴブリンの数は、あっという間に両手の指で足りる位の数になっていた。柵を乗り越えるか破壊しようとしていたゴブリン達は槍で突かれ、石を落とされ弓で射られ炎で焼かれ、そして何よりイヨに蹴散らされている。

 そう遠からず戦闘は終わるだろう。会敵から時間にして十分も掛かっていない、規模を考えても驚異的な速さと言えた。

 

 

 

 

 イヨは、自身の動きから徐々に遊びを薄れさせていった。ある程度崩していた姿勢や構えを整え、指先一本に到るまで神経を張り巡らせた動きとする。

 

 空手道の型の動きだ。イヨが日本一に輝いたのは組手の方であり、型競技においてはさほど目立った成績を残していない。だが、道場の方針で一定以上の練習量は熟している。

 

 腰を落とし、膝をしっかりと曲げ、背筋を伸ばし、足を張り、溜めと極めを意識する。

 

 自分の身体や動作と向き合い、自己把握をするのに型は役立つが故の行いだ。

 怪我をする人が少なくて済むように事を最速で終わらせつつ、新たな自分の身体を知る為に。

 身体の調子はすこぶる良く、まるで違和感が無い。石を握りつぶしたり、一時間にも渡って森の中を走って殆ど疲れなかったりと、明らかに身体能力が向上しているのに、だ。

 

 急激に上がった身体能力。なのに、全く違和感が無く、まるで生まれた時から慣れ親しんだものであるかのようだ。

 

 如何にユグドラシルで使い慣れた体とはいえ、ゲームの中と今では五感を中心に、様々なものが異なる。それらの機微は全力の運動中に浮き彫りになる筈だと思い、この機会に修正しておこうと思ったのだが。

 

「ふっ」

 

 上段上げ受けで振り下ろされる長剣を受け、正拳逆突きでゴブリンを地に沈める。続いて右の一体に蹴込みを入れ、斜め後方から突き込まれる槍を体捌きで避ける。手応えからして二体のゴブリンは即死しただろう。仲間がまた一体、戦闘開始から数えて三十体近くもイヨに倒されているというのに、ゴブリン達は無謀な戦いを止めようとはしない。

 

 ゴブリン達の顔に浮かぶの表情は最初から決死と不退転の決意だ。

 イヨはその理由を知っている。

 

「死にたくない、生きていたい。……ただそれだけなんだね」

 

 彼らにはもはや、生きていく力が無い。それは個々の個体としてでは無く集団として、部族としての意味で、だ。

 

 彼らは樹海の中での生存競争で敗れた部族の残党なのだ。指揮官に値する個体──ホブゴブリンや魔法詠唱者、族長など──がいないのは、既に以前の戦いの中で命を落とした後だからだ。

 

 一般の兵士に相当する個体しかいないのも、襲撃を予期して備えていたこちらにただただ突進してきたのも、頭部として機能するべき者達の不在が原因なのだろう。

 この戦い以前より彼らは敗者であり、その戦力は元から考えれば大幅に減耗している。

 

「樹海の中で集団を維持していくことが出来ない……だからこうして、人里を襲うんだね」

 

 ゴブリンは弱い種族だ。単純な身体能力で云えば人間よりも。そんな彼らが森の中で生きていくには、知恵や武に長けた個体を頭として集団を作り、相互に助け合わねばならなかったのだろう。

 

「く、くらエぇ!」

 

 内受けで弾き、即座に正拳順突きで返す。歩を進め、並び立つゴブリン達の群れを鎧袖一触に突破する。その際試験的に斧を腹で受けるが、ほんの僅かに痛痒が走る位で、痛手にはなり得なかった。イヨの防具はレベルの割にかなり上等なものだが、この衣服形態では同レベル帯のタンク職が身に着ける重装甲鎧などと比べて、防御力が相当に大きく劣る。それでもほぼ無傷だ。

 

 無理も無い。彼我には十倍近いレベルの差があるのだから。

 

 圧倒的な駆動速度の違いが、彼らに逃亡を許さない。彼らもその事を理解している。一体や二体が背を向けたところでイヨはそいつらを逃がさないし、全員が逃亡しても、二体の炎の大トカゲに焼き殺されるだけだと理解しているのだ。

 

 知恵と武の持ち主を失って烏合の衆となった時点で、生き残ったゴブリンは樹海の中で生存していけるだけの力を喪失している。後は他の強大な生き物に喰われるだけだろう。それを本能的に分かっているから、ゴブリン達は人間の村を襲うのだ。

 

 樹海の外は人の領域であり、其処に行けば争いになる。だけども、森の中では生きていけないから。樹海の中に籠ってただ少しずつ喰われていくよりは可能性があると思ったのだろう。

 

 身を隠す場所も無く実りも少ない平地は彼らにとっては生きにくい地だが、それでも賭けたのだ。事実彼らはイヨというイレギュラーな存在さえいなければ、リーベ村住民の大部分を殺戮し、大量の肉と新たな住居を手に入れただろう。いずれは事が露見し、領主から派遣される討伐隊との戦闘になったろうが。

 

「君たちは悪くないよ」

 

 人の価値観も常識も法律も、所詮は人だけのものである。他種族が共有する道理は無い。同じ様に、他種族の価値観や常識も法律も、人間を縛る事は出来ない。

 正当性が有ろうと無かろうと、殺されれば死ぬのだ。殺せば相手は物を言えぬのだ。

 

「でも、僕たちも悪くないんだ」

 

 生きたいだけ。生きていたいだけ。今までと同じように、これからも。

 

 そこに善悪など関係ない。お互いがお互いの在り方に従っているだけなのだから。異なる善と悪を比べて、どちらが正しいとか間違っているなどと云う事は言えない。

 

 相手の基準に立っていえばどちらも間違っているし、自分の基準に立っていえば正しいのだ。

 

 生きる為に殺す事は善でも悪でも無い。善悪自体が知的生命体の主観的な開発物であり、生きていくうちに後付けされる曖昧模糊とした価値観に過ぎないのだから。

 

 食べなければ生きていけない、競争を勝ち抜かなければならないといった天地自然の理は、それらとは本来関わりの無いものだ。

 

「僕は君たちを殺すよ。死にたくないし、殺されたくないから。同族の味方に立って、君たちを殺す」

 

 イヨは何故リーベ村を守りゴブリンを殺すのか。それはイヨが人間だからだ。イヨが人間を愛し、同族との交わりの中に幸福と悲しみを抱く、ごく普通の人間だからだ。

 

 イヨは生き物を殺した事が無い。その手で直接、という意味においては。ただ、両親と祖父母の努力で扶養してもらっている自分に何ができるだろう、まさかこれ以上親に無理を強いる権利など自分にはあるまいと思って、遠からず屍を晒す事になるだろうストリートチルドレンを見捨てた事は無数にある。

 

 今まで生きてきた年月のうちに食べてきた肉や野菜は──完全な人工物で出来た品は除くとして──無論元は生きている動植物だった。直接では無いと云うだけで、イヨの足元には無数の屍が積み上がっている。歩いていて知らない内に踏み殺した生き物だっているだろう。

 今まで数えられないほどの生き物を殺してきたのに、自分の手で自覚的に殺す時だけに罪悪感や忌避感を抱き、それを悪いことであると考える自分は善良だと思える感性を、イヨは歪んで感じた。

 

 善悪とは人工物。そう認識した上で、偽善の様に感じるのだ。

 

 だからイヨは割り切った。そういうものなのだと納得した。

 

 納得した上で、一人の人間として考えた上で、リーベ村の為に敵を殺すと決めた。

 客観的に言って、これは良くも悪くもない事だ。

 主観的に言えば、人の命を救ったのだから、これは良い行いだ。

 ゴブリンの立場で言えば、なけなしの足掻きと希望を打ち砕く殺戮者である。

 これらは矛盾しない。異なる立場の異なる見解というだけである。

 

 ──それら全てを噛み締めながら。

 

 目の前のゴブリンは他のゴブリンと比べてやや体格が大きく、表情にも理性が、細かな感情が浮かんでいる様に見えた。残存の部族を纏め、リーベ村への侵攻を指揮した個体なのだろう。

 

「くそが……くそがぁ!」

「さようなら」

 

 ──イヨは最後のゴブリンの頭を打ち砕いた。

 

 辺りを見れば、そこら中に死体が転がっている。幾つかは焼け爛れた死体もあるが、殆どはイヨが殺したものだ。この手で、この足で、撲殺したものだ。

 

 背後の村人たちからぽつぽつと声があがり、やがて大きなうねりとなって周囲を覆う。自分の声が聞こえないほどの大きな歓声の中で、イヨは顔を伏せ、ぽつりと呟いた。

 

「戦いって、やっぱり楽しいね? 君たちはそうでもなかっただろうけど。実力の拮抗した勝負だったら、もっと楽しかったろうにね」

 

 平等には二種類ある。絶対的平等と相対的平等だ。

 お互いに納得した上での戦いでは断じて無かったが、対等な立場で殺し合ったのだ。ただ実力差があっただけ。ただそれだけである。

 

 ゴブリン達の方が強ければ、彼らの足元に自分たちの死体が転がっていただろう。

 

「終わった事に拘泥するより、僕にはやらなくちゃいけない事もあるしね」

 

 顔を上げ、リーベ村の方に振り向いて叫ぶ。

 

「怪我をしている人はいませんかー!? 僕も治療をしますので、申し出て下さーい!」

 

 

 




イヨの持ち物の中で名前が英語になってる奴はイヨが自分で名付けたモノです。
イヨは「取りあえず英語で名付けておけばかっこよく聞こえる」と思っているので。

今回出てきた感知の眼鏡などは作った人物が名付けたか、手に入れた時からその名前がついていたものですね。

サラマンダーって妖精か? って思った方がいらっしゃるかもしれませんが、SW2.0では妖精カテゴリなので妖精にしました。


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