ナザリックへと消えた英雄のお話   作:柴田豊丸

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イヨと三人の騎士の戦い

「では、よろしくお願いしますね」

 

 ──実戦に近い振る舞いの下、殺す寸前まで追い詰めて欲しいのでしたよねぇ……?

 

 お辞儀の後踵を返して距離を取ろうとしたイヨ・シノンの背中に、レイナースは愛槍の穂先を真っ直ぐに突き込んだ。実戦なら開始の合図などあろう筈も無いし、背中を見せた敵を慮る事などあり得ないという計算を基に。

 

 アダマンタイトを上回る硬度を誇るという金属で作られた変形する鎧の情報は伝え聞いている。神官戦士であり、魔法による強化無しでの直接的な戦闘能力は同レベル帯の専業戦士に劣るレイナースにとって、それほどの装甲を正面から突き破る事は現実的では無かった。

 

 ならばどうするか。鎧を重装化する前に奇襲すればよい。どんな堅い装甲も身に着けていなければ無意味だ。さほど防御力が高くないと聞く衣服形態を維持している内に急所を貫く。アダマンタイト級冒険者であろうと人間である以上、生身の肉体が魔法金属並みに頑丈である事などあり得ないし、例え常人の何倍も頑丈だったところで死に至る急所を抉れば死ぬ。

 

 バジウッドと比べれば劣るだろう。アダマンタイト級と比べても遅いに違いない。しかしそれでもレイナースの槍捌きは熟練の域であり、強烈な感情で勢いを増したその速度は飛燕といって良いものだった。

 

 イヨ・シノンの背中、その中心に走る背骨の位置に、自分以外の全てを置き去りにしてレイナースは渾身の突きを見舞う──寸前で、爆裂した地面から殺到する土塊と石礫に襲われ、体勢を崩した。

 

 

 

 

 スキル【爆裂撃】の長所はどんな攻撃でも対応可能な汎用性である。なんたら脚、なんたら掌という名称を持つスキルはその名の通り蹴り技や掌打でなければ発動しないが、【爆裂撃】は蹴りだろうと突きだろうと、打撃であるならば対応して発動する。

 

 ──ならば二足による歩行を地面への蹴りと解釈して【爆裂撃】を発動する事が可能なのではないか。

 

 それは強さを模索する過程でイヨが思いついた使用法であった。実際に人間は足裏で地面に体重を掛けて身体を支え、地を蹴って進んでいるので、試した所成功したのだ。

 

 後は足裏の角度調整によって地面──砂や土、石を爆裂によって意図した方向に吹き飛ばす事が可能となった。従来の目くらましと違う所は歩く動きだけで発動可能な為準備動作が大幅に省略され、相手に察知されにくくなった点だ。より広範囲に土と石の散弾をばら撒くならこの方法が優れていたが、指向性を高め一点を狙うならば地を足で蹴った方が修正が効き、狙いやすい。

 

 イヨは【爆裂撃】の反動を膝で吸収しつつ、三人の騎士の方へと向き直っていた。

 

「──」

 

 喋る事は無い。実戦であろうと練習であろうと、試合の最中に相手と喋る事など無い。今の行為について言う事もまた、無い。イヨ自身立場が逆なら背後を襲っただろうから。強いて一つ言うなら、レイナースは一人先手を打つのではなく、他の二人と連携して確実にイヨを殺すべきだった。

 

 視界の端、リウルが音も無く離れていく。眼前、ニンブルとバジウッドの二人が問う様な視線を同僚の女性にやりつつ、位置取る──バジウッドがイヨの正面で対峙し、ニンブルと、殺意の籠った目をした土塗れのレイナースがその後ろで並ぶ。

 

 背後からの不意打ちでさえ通じなかったのなら、正面からの拙速など到底無理という判断だ。

 

 会話の為脇に抱えていたヘルムを三人がしかと被ったのを確認し、イヨは両拳を掲げ、構える──と、同時に【アーマー・オブ・ウォーモンガー】を重装化。

 

 イヨの体表面を奔走する流体金属は瞬時に増大し、極厚の装甲と化して定着。イヨの外見は鈍色の戦人形となる。ただただ厚く硬く強靭で、戦う為だけの姿だった。金属製のゴーレムにも近いその姿の中に人間が入っている証拠は、頭部装甲に存在する隙間──呼吸と視界を確保する隙間から僅かに見える朱唇と金の瞳だけだ。

 

 直剣にも似た額の双角と三つ編みを覆って作られる鋼の尾が、無骨な姿の中で獰猛に存在を主張する。

 

 つい先ほどまで、レイナースの態度に冷や汗を流しおどおどとしていた少年の姿がこれである。ほんの一瞬前まで、協力を約束したレイナースの言葉に恩義を感じ、嬉しそうに笑っていた少年の、今の姿がこれなのだ。

 

 後方からニンブルが見るイヨ・シノンの瞳は相変わらず混じり気無しに輝いているが、最早其処に揺れ動く子供らしい感情は見えない。戦闘とそうでない時で、境目無しに切り替わっている。激風と呼ばれる騎士の脳裏に、人伝に聞いた主君の言葉が思い浮かぶ。

 

 ──我が国の英雄たちといい、アダマンタイト級冒険者は変わり者でなければいけない規則でもあるのか、だったか。

 

 人間の極限、揃いも揃って化け物ばかりのアダマンタイト級の中でこの少年だけが特別に只人である筈も無かったのだ。三人がかりで嬲り殺し寸前まで痛めつけて欲しい等と言いだす人間だ、外見がどうだろうと内に何を秘めているか分かったものでは無い。

 

 ともあれ、主命である。

 

 バジウッド、レイナース、ニンブルは、息を揃えて鈍色の戦人形に斬りかかった。

 

 

 

 

 バジウッドが数度イヨと剣と拳を交わし、最初に思った事は『硬い』だった。アダマンタイトより硬いとされる金属で出来た重装鎧──斬り込んだ感触は最早防具に身を包んだ人間を叩いたものではない。

 

 金属の塊か、巨大な岩に剣を叩き付けたが如き衝撃が手に返ってくる。ただの岩や鉄程度であったらバジウッドの腕ならば叩き切る事も可能なのだが、今の所イヨ・シノンの鎧は微細な傷以外損傷を負っていない。

 

 バジウッドの持つ黒剣が強力な魔化を施されたものでなかったら、今頃折れていたかもしれない。幼き日、棒きれで立木相手に繰り返した打ち込みを思い出させてくれるほどの頑丈さだった。

 

 この感触から分かるのは、相手の鎧がただ硬いだけのものでは無い事。装甲は分厚く、重量は馬鹿げて重い。物理のみならず魔法も決定打にはなっていない──単身で挑む前提だけあってマジックアイテムで耐性を高めているのだろう。

 普通の人間は身に着けても身動きすら出来ないだろう鎧、その重みを人間である事が疑わしく思えるほどの異常な膂力で駆動し、一撃一撃に乗せてくる。

 

 戦士としておよそ恵まれていないイヨ・シノンの体格も曲者だ。小さな身体は半身になって更に的を小さくし、低い位置から痛烈な打撃が突き上げてくる。真正面から受ければ重心を揺さぶられ、体幹ごと揺り動かされるような超重量の打撃は四肢先端、肘膝、頭と相手の身体の端々から縦横無尽にやってきた。

 

 小さく低い的に対する三人の攻撃も打ち下ろし気味になり、武器の重量と重力で重みを乗せやすいが、しかし敵は機敏であり、早々相手の鎧を貫通してダメージを与えられるような大振りが出来ない。

 

 戦場では中々見ないタイプの敵である。際立って小柄であるのに武器を持たず──手足に防具と一体になった腕甲と脚甲は付けているが──それでいて鎧を着込んで向かってくる敵など。

 

 色々な意味で、人間を相手にしている気がしない。五宝物に身を包んだ鬼神が如きガゼフ・ストロノーフと比べたらまだ御しやすいが──なにせあの男は疲労しない上に傷は自動で癒え続け、手に持つ剣は鎧ごと敵を切り伏せる──感覚的にはやはりゴーレムかアンデッドでも相手にしている気になる。

 

 恐らく、中身のイヨ・シノン自身も身体能力に優れた職業に就き、更に装備で力の程を高めているのだろう。どちらが厄介かと言われれば断然王国戦士長だが、恐らく身体能力に関してならばイヨ・シノンの方が上だ。恐ろしい事に、魔法による支援を受けても尚、バジウッドとイヨ・シノンの身体能力差は縮まりこそすれ、埋まってはいない。

 

 三対一であり、戦力差上、お互い一歩踏み込めずにいた。

 

 三対一であるという事は当然、イヨ・シノンは初見の三人を一度に相手取らねばならず、警戒は三等分、対処すべき攻撃の量は単純に言って三倍だ。逆に、三人の側は全てを三人で受け持ち、互いを助け合える。

 

 実戦を想定しているイヨ・シノンは情報の無い三人からの初見殺し的攻撃手段を警戒している──逆に三人は実力的には優越している個を下す方法論を探している。

 

 ──負けるとは思わないが、『三人なら勝てる』と一言で言えるほど優勢でもねぇな。

 

 バジウッドは思う。身を包むアダマンタイト製の鎧も、完全に身を守ってくれる訳ではない──失着一つが粉砕骨折を招きかねない。一人前衛を務めるバジウッドが足が完全に止まるほどの重傷を負えば、神官二人が治癒を飛ばす──だがその一瞬の間にイヨ・シノンは二人の後衛の内どちらか一方に取り付く。

 

 そうなれば、高確率で一人落ちる。同程度の力量を有する戦士と神官戦士が戦うなら、魔法による自己強化や治癒の影響で神官戦士側には十分な勝ち目がある。だが実力差が大きい戦士と神官戦士の戦いは──魔法込みでも勝算が覚束ない。

 

 負け筋は見えた。誰か一人でも落とされれば三人の負けだ。二人ではまずイヨ・シノンを抑えきれない。特にバジウッドが落ちた場合は確実に負ける。城内の練習場という限られた空間で基礎身体能力に勝る相手に専業戦士を欠いては──魔法と剣二足の草鞋を履く利を活かしきれない。

 

「レイナース!」

 

 一声で意を察したレイナースは今までより距離を詰める──その程度には連携が取れるし、レイナースの頭も怨敵を縊り殺す為に冷めていた。

 

 イヨ・シノンにはバジウッドとレイナースで当たる。バジウッドは主攻として張り付き、レイナースは助攻として、槍と魔法の間合いを生かして立ち回る。

 

 拳足は至近距離から近距離の武器だ。額をぶつけ合う様な距離から手を伸ばせば届く距離まで。

 剣は近距離から中間距離。腕の長さに剣の長さが足される。

 槍はその外。魔法は更に外だ。実力によらず武器を持つ者が拳足で戦う者に対して持つ有利を生かす。

 

 本来騎手でもあるニンブルには一人後衛を務めてもらう──矢張り騎兵は騎獣を駆ってこそが本領であるが故。

 

 バジウッドは知っている。勝つ為に此処の能力値で相手を上回る必要など無いと。冒険者がモンスターを狩るのと同じだ──モンスター並に強い相手ならばモンスターとして戦えばよい。

 

 『負けない』を積み重ねる事が生存に繋がり、生存と戦闘の続行が単騎の相手に負傷を重ねさせていく。人数の利の最たるものは役割分担による負担軽減と足し算による手数の多さ、各々を活かし合う掛け算の連携、そして単一標的に対する総員のリソース集中、その全てだ。

 

 硬く分厚く重い鎧、それを十全に駆動し得る超人的身体能力。低く小さく速い動き、正確な狙いで叩き込まれる威力の高い硬軟自在の攻撃、しかも毒を持つ──強みはもう見た。既知の強みを恐れる必要はない──警戒すればそれで足りる。

 

 弱みも見つけはした。

 

 通常の鎧と比べて、イヨ・シノンの鎧は格闘戦を前提とした作りである為、より柔軟で多彩な動き──足を頭より高く上げたり、それこそ飛んだり跳ねたりする様な──を可能とする為に、言うならば可動部が多い。可動域の広さを確保する為により多くの装甲で覆えていない部分が存在する。

 

 硬く分厚く頑丈であり、人間が装備し得る鎧として考えられる最大に近い防御能力を備えていながら、付け込む場所そのものは普通の鎧よりむしろ多いのだ。勿論こんなものは対峙する全員が即座に気付く事。装備者であるイヨ・シノンが誰よりも知っている事。

 

 隙である筈の可動部分ですら網目の細かい鎖帷子になっていて無防備ではない。物理的装甲の頑丈さとは別に魔化の効果として鎧全体が持つ防御力が存在する。

 

 それでも他の個所と比べれば格段に攻撃を通しやすい──しかし、恐らくイヨ・シノンはそうした隙を相手の攻撃を読む手立てとすらしていて、先読みした攻撃に対して致命的な後の先を差し込みに来る事は容易に想像が付く。

 

 つくづく容易くはない相手──皇帝の騎士としてでは無く、戦士としてのバジウッドを昂らせてくれる相手だった。四騎士の立場であっても、この域の強敵と訓練を行える機会はそうない。

 

 ──陛下が王国を飲み込んだら、ストロノーフさんとは同僚だな。

 

 少なくとも彼らが主君、ジルクニフはそうしたいと思っている。あの鬼神が如き戦士が味方になるというならば何とも心強いが、外様相手に束にならねば敵わない四騎士というのも余りに恰好が付かない。

 

 ──そっちが修行ってんなら、仮想ガゼフ・ストロノーフ戦としてこっちも練習させてもらうぜ!

 

 これから更に大きく強くなっていくであろうバハルス帝国で、主君たるジルクニフの鋭き刃、堅き盾であり続ける為に。バジウッドは更なる強さを求めていた。

 

 言ってしまえば、バジウッドの様な路地裏生まれの由緒正しからぬド平民が国家における最高位の騎士に名を連ね、最上の御座におわす皇帝の傍に仕える事は、考えるまでも無くあり得ない事なのである。

 バジウッドはそれに格別の悦楽を覚える様な質では全く無かったが、今や彼は生来の身分で考えれば顔を見る事も出来ない様な高位の貴族たちに『我が娘を嫁にどうでしょうか』等と乞われる様な立場であった。もう既に妻と愛人が合わせて五人もいるのだが、皆娼館上がりなので、貴族連中からすれば『きちんとした身分の嫁がもう一人二人いても何の問題もない』とでも思われているのだろう。

 

 彼の主君であるジルクニフは、父祖代々の皇帝たちが卓越した指揮力と指導力を発揮して強大になっていったバハルス帝国の、その在り方を変えたのだ。二代に渡って準備されてきた改革の、表立って実行された大部分はジルクニフの手腕によるものである。

 

 その途上、数多の古き悪しきを文字通り切り捨て、鮮血帝とすら呼ばれる様になるほど。

 

 新しく、そして風通しは良く更に強大に──皇帝ジルクニフの時代が一年また一年と過ぎるに当たって、目に見える速度でバハルス帝国は『強い国』になっていったと、路地裏の育ちから騎士になったバジウッドは思う。

 

 ジルクニフ以前の時代ならばどれだけ腕っ節が立った所で平民生まれで何の後ろ盾も血統も無い男が最上位の騎士に──権限だけで言えば将軍と同格の地位を有する──なるなど絶対あり得ない。例え能力がある程度評価されようと、それより優先される上位の価値観として、門閥や家柄、血統、そして前例が結局全てを決めただろう。

 

 バジウッドだけが特別ではない。ジルクニフの治世においてバハルス帝国は正に、実力があれば認められる国となったのだ。生まれがどうであろうと『何ができるか』で見られる国に。貴族であろうと無能に地位は無く、平民の生まれであろうと能力次第で要職に就ける。

 

 改革に伴って切り捨てられる側であった者共──貴族の中でも特に家柄、過去の先祖の栄光『だけ』が取り得であった者たちなど──からすればどうだか知った事では無いが、バジウッドは今の国の有り様を、ジルクニフという主君を『良い』と思う。

 

 ならばこそ、最初は形式的に上に立っている主君でしか無かったジルクニフに対して、傍で見続けている内に真なる忠誠を向ける様になった──剣として遮る者を切り捨て、盾としてその身を守り、その王道を支えたいと力の限りを尽くす様になったのだ。

 

 故に、バハルス帝国が公国を従え、後に王国と共に合するであろう道行の中で、バジウッドは強さを欲する。

 

 ──俺が陛下に望まれてる働きはそれだからな!

 

 強さを買われて取り立てられ、信頼されているのだ。皇帝が無数に抱える剣の内、最も強いものがバジウッド・ペシュメルなのだから。

 

 オリハルコン以上アダマンタイト以下とも言い表される四騎士の強さ──バジウッドはイヨ・シノンという望みうる最高に近い糧を喰らい、更に先へと進むべく、熱中した。

 

 

 

 

 先天にして後天の戦闘特化者、本能派ファイターたるイヨは、目の前の三者を分析していた。勿論頭を使って考えているよりか遥かに心で測る方に偏っているけども、デスナイト戦で少ない脳みそを使って考えた様に、勝つ為に考えていた。

 

 ──バジウッドさんが守勢に秀でているのは正直意外だったかも。

 

 急いたら狩り落されるだけの戦力差があるからして、イヨは慎重だった。一人を落とせばイヨの勝利はぐっと近くなるが、相手がそれを分かっていない訳は無いので、拙速はこの場合万全に待ち構えた相手に勝機を与えるだけだ。

 

 無理をせねば勝てない戦力差だが、無理をするにも機を見なければただ負ける。

 

 相手は帝国四騎士、国家を代表する武力の持ち主である。武技も強力なものを使用し、個々人の力量は精強無比。纏う装備は個人や小集団で揃えられる限界を遥か超えた質の良さだ。冒険者プレートに使われる僅かな量だけですら計り知れない財産ともなる希少金属アダマンタイト製の全身鎧を始め、纏う全てが超一級品。

 

 毒などはその効果が戦闘の最中において致命となりやすいが為に真っ先に防護を固められる攻撃手段の一つだが、練達の武人であり国家の要人でもある目の前の三者は隙なく耐性を整えている。期待はしない方が良さそうであった。毒に期待して時間を掛ければ、イヨは反撃する体力すら失せるほど待たねばならない。それでは本末転倒だ。

 

 イヨは三者からの攻撃を捌き、足を使って僅かでも魔法攻撃の的を絞らせないようにしながら、僅かな事前の情報から得ていた印象と目の前の実体を擦り合わせ、攻め手を模索していく。

 

 顔立ちや身目振る舞いに引きずられた感は否めないが、イヨはバジウッドをもっと攻勢に重きを置いたタイプの戦士だと思っていた。もしそうであれば互いに激しく攻め立て合う最中に痛打を加える事も出来たかもしれないが、手堅く着実にイヨを磨り潰しにかかってきていて、中々隙は無い。

 

 レイナースは全身から噴き出す様な鬼気が強烈で目に見えない存在感が非常に大きく、位置取りは助攻的であるが、突き出す穂先は過剰に塗布したかのような殺気で滑り煌いている様にさえ思えた。一瞬でも隙を晒せば急所を抉り立ててきそうで全く警戒を緩められない。一番隙の見せられない相手だ。

 

 ニンブルは位置取りが非常にいやらしく、まさに全体の要たる後衛を託するに値する武人だ。振る舞いは回復役めいているが、バジウッドとレイナースを相手にしているイヨの死角に常に身を置き、心理面での圧迫は最も強い。常に頭を押さえつけられている様な気持ちにさせられる。この男が畳み掛けるべき機を見逃す事は無いだろう。

 

 ああ、やっぱり練習はいいな、とイヨは本能の思考で思う。

 

 ここ最近旅路という事もあって中々纏まった練習時間が持てなかった。身に切傷一つが刻まれ、魔法が叩き込まれる度、錆が落ちていくような感覚があった。依頼中の戦闘やデスナイト戦では決して浮かぶ事の無かった感情──喜楽を感じる。

 

 重装形態の【アーマー・オブ・ウォーモンガー】の下で、イヨの口元にはガド・スタックシオンと戦う時以来の深い笑みが浮かんでいた。

 

 練習は良い。実戦も良い。実戦・死地でしか得られないものがある。練習・安地でしか得られないものがある。

 

 死を回避し、相手に死を押し付ける為に最善手を模索し続ける実戦の中では切り捨てられる新たな発想を、手段を、限りなく実戦に近くしかし命が比較的安全保障された状態で実践する事が出来るのだ。

 

 バジウッド・ペシュメルの【雷光】は、レイナース・ロックブルズの【重爆】は、ニンブル・アーク・デイル・アノックの【激風】は、未だその姿を明らかにしていない。イヨも未だ練技を使用してはいない。

 

 それらは状況を一変させ得る手札であり、そして何度も使えるものではないからだ。ここぞという時にこそ切るべき札。そして本日の練習はこれ一回ではない。ならばまず初回は情報収集と実地試験に終始して敵の骨身が知れた二回目以降でこそ切り札を有力に使える──などという考え方、イヨはしない。

 

 ──どんな敵とだって最初は初見。

 

 そう、それは前回何の力も見せず逃れた吸血鬼も、そしてその後ろにいると思われる更なる古き吸血鬼も同じ事。

 

 何度だって戦えるから、何度も戦うから一回目は手を抜こう力を抜こう等と言うやり方は目的に沿わない。

 

 イヨは万に一つを捥ぎ取る勝負勘を得たいのだ。負けて当然の戦いで勝ちを掴み取る為の練習なのだ。

 

 むしろ初見でこそ挑むべき。一度一度を全力で、常に勝ちを狙っていくべきだ。例え二度目三度目の戦いで消耗に喘ごうとも、その時はその時の状況で勝ちを取りに行くべきなのだ。

 

 練習とは実戦を想定して行うものなのだから。

 

 イヨは笑みを掻き消し、眼前のバジウッド・ペシュメルと組み合いに行った。

 

 

 

 

 ──組み技だと?

 

 勿論格闘戦の得手と戦う以上、警戒していなかった訳ではない。しかし、実際にそういった展開になる事は無いだろうと考えていた為、バジウッドにしてみれば意外であった。

 

 何故なら一対一の戦いでは無いのだ、これは一対三の戦いなのだ。突きや蹴りと違って、組み投げる技はどうしても攻撃の完了までに時間が掛かる。動作も大きい。抗われればそのまま足が止まる。

 

 その間、残りの二人が思い切った攻勢に回る事が出来てしまう──それが分からないイヨ・シノンではなかろうに。

 

 確かに身体能力、個々の力量ではイヨ・シノンが優越する。賭けに出たとして、成算も無い訳でも無いだろう。しかし、バジウッドとて不意を突かれたからといって狼狽え、身体が動かなくなってしまう様な新兵では無いのだ。

 

 真っ直ぐに突っ込み、腰と腕を取りに来るイヨにバジウッドは剣の切っ先を向ける──が、イヨは重装甲を頼りに力尽くで抜け、バジウッドは両の手首を捉えられた。剣は取り落としはしないが、行動は著しく制限される。なによりこの超接近状態では体術に通じたイヨ・シノンが圧倒的に有利──だが。

 

 ──そっちだって即座に投げは打てねえ!

 

 抵抗に成功し、この僅かな膠着を作り出した時点でバジウッドは仕事を果たしている。バジウッドが必死に抵抗する内、イヨ・シノンの足は止まるのだ。

 

 一秒止めれば、その間にレイナースとニンブルが剣と槍を目の前の冒険者に突き刺す──と彼が思考したその刹那。バジウッドを戦士の直感ともいうべき根拠なく、しかし確信を伴った危機感が襲い、肌が粟立つ。

 

 同時、バジウッドは『真後ろ』から後頭部を強打された。

 

 

 ●

 

 

 身の捻りによって相手の後背に投げ出した蹴り足を振り上げ、反らせ、相手の後頭部を足裏で蹴るこの技は、イヨの道場では変則裏回し蹴りと呼ばれていた。

 

 互いに組み合うまでの近距離からイヨの柔軟かつ俊敏な五体を駆使して瞬時に繰り出されるこの蹴り技は、ヘルムを装備しているが故の視界の狭さも相まって、相手の真背面から迫りくる慮外の一撃となり得る。

 

 『真正面にいる敵に真後ろを蹴り飛ばされる』という状態は、技の威力以上に完全な不意打ちである点などから、頭部打突による昏倒を容易に引き起こす。例え察知し防御しようとしても、練技を使用して筋力と命中力を増したイヨの腕を振り払う術は無く、両腕を通して身体を縛められている状態での防御では、避ける事も防ぐ事も叶わない。

 

 エンハンサーたるイヨの自己強化技たる練技は、呼吸可能な条件下において無音無動作で、常の呼吸に紛れて瞬時にその効果を発揮する。外見でも動作でも音声でもその前兆は読み取れない──人間は常に呼吸をしているし、その上全身鎧で生身を隠してしまうからだ。

 

 つい先ほどまで堅調に推移していた戦況は一気に加速し、此処からの互いの動作は瞬時の判断の下連続した。

 

 騙し討ちにてバジウッドを沈めたイヨ・シノンはその身を蹴り転がし、既に此方に攻撃を加えるべく突き掛かってきた槍の穂先を視認する──傍から見ていたニンブルとレイナースにすれば、イヨの奇手による一連の動きとその顛末は自明であろう。

 

 自明であるならば、最大の攻撃を確実に当てる瞬間を逃すことも無い。

 

 レイナース・ロックブルズの槍先に凝縮する莫大な力の波動を感知した瞬間、イヨは更に防御力を向上させる【ビートルスキン】を追加発動。鎧の下で、イヨの柔肌がジャイアントビートルの外骨格に匹敵する堅牢さを体現する。

 

 イヨは負傷を恐れない。命ある限り喰らいつく。少年は僅かな間に、手足を吹き飛ばされない様に四肢を縮め、同時に胴体と頭部を庇った。

 

 同時、レイナース・ロックブルズの【重爆】──闇そのものと言える黒色の波動が炸裂し、少年を飲み込んだ。

 

 

 

 

 イヨはおろかレイナース当人ですらあずかり知らぬ事であるが、本来彼女の職業であるカースドナイトはユグドラシル上において、最低でも六十レベル以上の職業クラスを積み重ねる必要がある。

 

 レイナースはその点においては、カースドナイトになれる筈も無いのである。しかし、呪いによって汚れた神官戦士という設定はこの上なく彼女の今の境遇に近く、この世界における固有かつ独自ルートとして──彼女自身はそんなものまるで嬉しくないだろうが──カースドナイトというユグドラシル全職の中でも強い部類の職業に至っている。

 

 呪われし神官戦士カースドナイトは強い部類ではあるが、同時にペナルティも強力であり人気で言えば無かった部類の職業だ。そんな職業で会得できる特殊技術は即死の呪いや呪いの傷を与えるもの──そして、闇の波動を放つ力。

 

 総計レベルの問題からユグドラシルでカースドナイトに至った場合ほどの威力は出ていないものの、本来ならば前提条件クリアの為に六十レベル、そして特殊技術を得るまでの分で七十レベルを必要とする筈の攻撃である。

 

 四騎士最大の攻撃能力、【重爆】の名の由来──その威力が低かろう筈も無く。

 

 槍先から放たれた黒、闇の具現たる波動はイヨを丸呑みにし、次いで爆ぜた。

 

 騎士たちの教練に用いられる広々とした練習場を狭しと爆風が駆け巡り、堅く締め固められた筈の地は抉れ、引き裂かれた大気は悲鳴を上げる。その瞬間確かに──僅かながら、城が震えた。

 

 彼女が呪いに身を汚されてより得たこの忌まわしき力は、凡百のモンスターならば一度に十二十と消し飛ばして余りある威力である──が、相手は超アダマンタイト級の装甲、そして外骨格化した皮膚という生体装甲を併せ持つ最上位冒険者。

 

 ぬぅ、と。濛々と煙る土煙の中から滑る様に進み出てきたのは、赤く染まった鈍色の戦人形。精々軽傷しか追っていなかった身体は、四肢に一つの欠損も無い代わりに全身を等しく暴威に嬲られ、一気に半死半生まで歩を進めていた。

 

 つまり、肉体的にも精神的にもベストコンディションである。

 

 皮膚が裂け、肉は千切れ、骨は軋み罅割れる。一部の粘膜は焼け爛れた。だが意識は健在であり、全身の状態を承知して尚戦闘続行の心構えである。

 

 元より、この一撃は『受けて耐える』前提で突っ込んだのだ。

 

 大技を放った直後のレイナース・ロックブルズを、視界の利かぬ土煙から走り出て即座に叩き伏せる──筈のイヨ・シノンであったが、其処であり得ぬものを目にする。

 

 割れた様な笑みをヘルムから覗かせるレイナースと──その傍らで雷光纏いし黒剣を振り上げている偉丈夫、バジウッド・ペシュメルの姿である。

 

 こと戦場においてイヨは驚愕に足を止めるとか、理解の出来ない現実に思考が停止するという事は無かった。だが、それ故に自身の状態を即座に察した──避けられない、と。

 

 確かにイヨは殺さぬ様に蹴った。しかし、相手は他ならぬ帝国武力の象徴、四騎士である。手加減した等と上からモノを言える相手では端から無いのだ。殺す気で蹴ってこそいないが本気で蹴り飛ばした。それこそ一般兵なら兜ごと頭部を砕かれ四散するほどに。

 

 もしイヨが人並みに思い悩む性質であったらならば、こう疑問しただろう──何故動ける、何故立ち上がっている、と。

 

 バジウッドが地面に倒れ伏してからイヨがレイナースに向き直り、突進し重爆を浴びるまでは一瞬である。眼前の状態を鑑みるに、バジウッドは倒れるや否や直ぐ起き上がり、状況を把握して剣を振り上げた事になる。

 

 男は未だ足が震え、目は微妙に焦点が合わぬようだった。ダメージは確実に刻まれている。だがそれでも力強く剣を振り上げ、今まさに振り下ろさんとしていた。

 

 イヨのそれとはまた違った種類の意志力の強さ故のその耐久、その頑強さ、その不屈を──あるいは人は忠義故のものと表現するかもしれない。

 

 黒剣に纏わりついたその紫電は、明らかに直線貫通の〈ライトニング/雷撃〉ではない。勿論その上位である〈ドラゴン・ライトニング/龍雷〉や〈チェイン・ドラゴン・ライトニング/連鎖する龍雷〉でも無かった。

 

 ユグドラシルでイヨが見知った如何なる魔法とも違うその雷光は、武器に宿ったこの世界固有のもの。

 

 【重爆】レイナース・ロックブルズが四騎士最大の攻撃能力の持ち主とされる以上、威力においては劣るのだろう。しかしその雷は文字通り雷速である。回避の余地がないという点では【重爆】をも上回る──。

 

 第二撃、雷の奔流がイヨに襲い掛かった。

 

 

 

 

 既に傷付き、防御力が大きく落ちた状態で受ける【雷光】の一振りは、魂までも揺さぶられるほどの痛撃であった。

 

 視界は白く染め上げられ、全身を熱が蹂躙し、精神が歪みかける。目玉の片方が白濁して視界を無くし、臓器は傷付き口内に沸騰した様な熱い血が溢れた。

 

 それでもなお、動きに精彩を無くしながらも前進しようとするのは、生来の負けず嫌い、際立った勝利欲──少年の不屈故である。

 

 相手とて無傷では無いのだ。二人は最大の攻撃手段を使った後、その内一人は立っているのも難しい深手で、もう一人は──もう一人は?

 

 生命力の低下が視界を狭め、思考をも低調化させたものか、イヨは今やっと、ニンブル・アーク・デイル・アノックの姿が見えぬ事に気付いた。これは不覚という他無いだろう──例え見えていたとしても、防げたかどうかは別の話だが。

 

 頭上にて、鳥獣の雄叫びが高らかに響き渡った。

 

 天を振り仰ぎ、その姿を認めた時、イヨは自らの不明を恥じる。自明の理すら考え付かなんだ己を大いに恥じ、そして納得した。

 

 ──これを待っていたから、ニンブルさんが後衛だったんだ。

 

 ──騎兵の実力に騎獣が含まれるのは至極当然の事では無いか。

 

 急降下にて騎兵最大最強の攻撃、突撃を見舞ってくるその巨影は──剣を構え片手で手綱を操るニンブルと、その愛騎たる鷲馬、ヒポグリフであった。

 

 

 

 

「……っ──ァ──ぃ」

 

 これぞ【激風】と言える勢いの突進によって地面に押し倒され、喉元に長剣を突き付けられたイヨは『完敗いたしました』と言ったつもりだったが、言葉にはならなかった。身体がボロボロだからだ。息つく間も無い三連撃によって見事討ち取られてしまった。

 

 【アーマー・オブ・ウォーモンガー】の方には血みどろであること以外重大な損害は無いように見える為、一瞬分からないが、イヨは放っておいたらその内死ぬくらいには重傷だった。

 

 勝負ありと見てニンブルが引き、リウルが駆け寄り、少年の身体にバシャバシャと景気よく治癒のポーションを掛けると、やっと人心地つく。

 

「はぁー……」

 

 思わず、イヨは深々と溜息を吐く。十回戦えば十回負ける戦力差があるという事前の想定通りに負けてしまった。

 

 地面に手を突いて立ち上がり、同じくポーションで傷を癒した三者に向き直る。

 

「完敗いたしました」

 

 会釈をすると、最後の止めとなったニンブルがいえいえと手を振った。

 

「正直に言うと、初戦から切り札全てを晒す羽目になるとは考えても居ませんでした」

 

 もっと言うとレイナースとバジウッドの最大攻撃を直撃させ、まさかまだ動くとも思っていなかった。

 

 なるほど、アダマンタイト級冒険者は人間の極限とは言い得て妙である。敵味方を通じ、人間非人間問わず幾多の強者を見た四騎士をして、イヨ・シノンは『人間とはこれほど肉体的精神的に頑丈になれるのか』と思ってしまう程タフだった。

 

「勝ちたかったです……」

「我々も、そう易々と負けてはいられません故……大分、手古摺らされましたが」

 

 流石にあり得ないだろうが、心臓を刺し貫いても最後の拍動の分だけ動き続け、自分を殺した者の首を折ってから息絶えそうな程にイヨ・シノンは闘争心と不屈の塊である。

 

 戦力差で言えば、四騎士の側は勝って当たり前だったし、イヨは負けて当たり前だった。その点においては実に順当な結果と言えるが、心情の面ではそうもいかない。

 

 イヨは負けて当たり前を切り抜ける力を養いにきたのだし、四騎士の方も危うく一人が落ちかけ、二つ名の由来ともなった【雷光】【重爆】【激風】を全て叩き込んでの勝利である。

 

 負けて当たり前とは言えイヨにとって敗北は受け入れがたかったし、勝って当たり前の立場たる四騎士の側にとっても全力投入による余裕のない勝利は誇り難かった。

 

 『実戦同様殺す気で痛めつけて欲しい』とは確かに言われたが、まさか此処まで徹底的に痛めつけねばそもそも止まりもしないというのは四騎士の予想を超えていたのだ。

 

「次こそ、勝ちます」

「此方も、次も勝たせていただきますとも」

 

 互いに言い合うと、四人は皆笑みを浮かべた──レイナースの笑みは少し種類が違ったが──リウルは無事に済んだ事に安堵の息を漏らした。

 

「それであのう、お三方のご都合もあると思いますが、今日はあと何回位お相手頂けますでしょうか。私の方は今日一日でも大丈夫なのですが──」

「……魔力と職務の都合上……あと一度か二度ほど、でしょうか」

「了解いたしました! それではもう少し、よろしくお願いいたします!」

 

 幾ら傷は治ったとはいえまだやるのか、と何となく『中々の激戦だったし今日はこれまでだろう』という雰囲気を感じていたニンブルは面食らった。

 

 本日三戦の内、ついぞイヨの勝利は無かったという──だが、試合内容は徐々に良きものとなっていき、事後の反省会が終わった後、後日の機会の再戦を約束した。互いに得る物の多い一日の練習であった。イヨにしてみれば壁は高いほど乗り越え甲斐があり、競い合う好敵手は強いほど心が沸き立つのである。競い合う好敵手であって、討伐すべき敵ではないという点が重要だ。

 




登場人物が多い分長くなってしまいました。

レイナースさんの闇の波動は書籍二巻のカースドナイトの能力から、バジウッドさんの雷撃はWEB版オーバーロード:前編の設定から、ニンブルさんは空を飛ぶ騎獣を駆るライダーである事からです。

オリキャラで楽をしていた分原作キャラを読み解いた上で捏造を加える作業はちょっと大変でした。これからも頑張ります。

最新刊楽しみですね!

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