ナザリックへと消えた英雄のお話   作:柴田豊丸

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本日投稿する二話の内、これが一話目です。


帝国と重爆

 周辺国家に冠たる大国、バハルス帝国における騎士の最上位、最高の武力とされる四人の騎士がいる。

 

 その名も四騎士。彼ら彼女らは、個人の武力は元よりバハルス帝国の膨大な国力からバックアップを受けている。

 

 全身を覆う武具やマジックアイテムの内鎧一つ取って見ても、地上最も高い硬度を持つ希少魔法金属アダマンタイトを用いて造られ、更に強力な魔法で魔化されている逸品だ。

 これ程の物はバハルス帝国広しと言えど数える程しか──もっと率直に言えば、四騎士と四騎士に匹敵する実力を持つとされる帝国皇帝直下白銀近衛の隊長が纏う分、片手で数えられる数しか存在しない。

 

 金貨にして何枚分の価値があるか等計る事も馬鹿らしい。鎧一つ分でも館が立つ程だろう。総合的な装備の充実度で言うなら最高位冒険者に勝るとも劣らない。

 

 強く、煌びやかで、一人の例外を除けば忠誠心に溢れるその姿。

 その四人を知らぬ騎士などいない。四人に憧れぬ騎士もいない。帝国最強戦力として国家を守護するその姿は民に安心を与える。

 

 誉れ高き四人の名は、

 最も強く忠義溢れる戦士、【雷光】バジウッド・ペシュメル。

 騎兵にして神官戦士、【激風】ニンブル・アーク・デイル・アノック。

 寡黙にして不沈たる最硬の騎士、【不動】ナザミ・エネック。

 

 そして最後の一人、バハルス帝国皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスと、すっかり顔馴染みとなった客人の警護を務めているのが──

 

「──全く。お前も大分言う様になったな。以前はもう少し配慮というものがあった様な気がするが」

「はっはっは。そうかもしれませんな、なにせ鮮血帝と呼ばれる邪知暴虐残忍非道で知られる恐るべき人物が、私という人間を見定めようと眼を光らせていたらしいですから。こう見えて臆病ですからね、命の危険があると思えば慎ましさの一つも芽生えようというもの」

「なんと! 我が友であるお前にそんな目を向ける者がこの帝国にいたとは。その邪知暴虐冷酷非道のなんたら帝とやらは寡聞にして知らないが、もし見掛けた折には私自らガツンと言っておいてやらねば」

「はっはっは! また陛下はその様な事を仰る!」

 

 最も攻撃能力に長け、最も忠誠心に欠ける呪われし女騎士──【重爆】レイナース・ロックブルズ──にこやかに談笑する皆の傍らで、傍目には真面目に、内面的にはさしたる熱も何もなく、彫像の様に立っている女性であった。

 

 

 

 

 レイナース・ロックブルズという女性にとって人生の目的は自身に降り掛かった悍ましい呪いを解く事であり、極論すればその他の全ては些事でしかないと言える。

 もし他に並び得るものがあるとすれば呪いに苛まれた自身を裏切り虐げた人々に対する復讐がそれに当たるが、最たる復讐相手──彼女の実家と元婚約者──への報復は今の主君であるジルクニフの助力もあって既に果たされている為、残っている他の連中は呪いが解けた後で良いと考えている。

 

 レイナースは帝国四騎士に名を連ねてはいるが、その実バハルス帝国にもジルクニフその人にも忠誠心はほぼ無い。全く無いではないが、そのなけなしの忠誠も、仕える事によって忌まわしき呪いの解呪が実現する可能性がある故の物だ。

 

 ただの呪われた神官戦士レイナース・ロックブルズでいるより、バハルス帝国最強戦力四騎士の一人レイナース・ロックブルズでいる方が解呪実現の可能性が高いから。

 

 故にレイナースはジルクニフを主君とし、帝国の為に刃を振るっている。逆に言うと、他の誰かが呪いを解いてくれると言うならば──口だけであるのみならず騙そうとする輩にも散々出会ってきた故、そう簡単には耳を貸さないけども──レイナースは帝国での地位を捨てる事に全く躊躇いは無い。

 

 確実な解呪と引き換えに帝国を売れ、ジルクニフに剣を向けろと言われたなら、一欠片の迷いもなくそうするだろう。

 

 最もレイナースはその旨をしっかりと宣言し、ジルクニフもそれを承知でレイナースを召し抱えているので、いざ裏切ったとしても非難される謂れは無いと彼女は考えている。

 端からレイナースは己の呪いを解く為にバハルス帝国と其処に所属することで得られる地位を利用するつもりだし、ジルクニフも万事承知の上でレイナースを使っている。手元に置き続ける為、裏切られない為程度に解呪の方法を探っているだろう。

 

 言ってしまえば四騎士の中で最も信用ならない人物がレイナースなのであるが──呪いを受けた日より金もコネも何もかも、全てを用いて探し続けている解呪の方法は未だ見つからないので、今の所帝国を離れたり裏切ったりする予定は無い。

 

 故に最上位の騎士の一人として職務を熟しつつ、呪いが解けたらやってみたい事を日記に認めたり、頭の中で解呪後の幸せな日々を空想したり、自分を虐げ騙した者共を地獄の業火に叩き落とす計画を練ったりして、彼女は日々を過ごしている。

 

 何処に出しても恥ずかしくない自慢の娘だ、愛していると笑顔を見せながら、呪われた顔を見ると悲鳴を上げ、醜聞になるとしてレイナースを追い出した両親。家ごと燃やした。

 君の全てを愛している、どんな障害も二人で乗り越えていこうと囁いた婚約者。呪いという障害を打ち明けると即座に婚約破棄の申し出が家に届いた。死という障害を与えてやった。

 絶対に治してみせると豪語した自称高徳の神官は、最後にはレイナースを魔物呼ばわりして逃げた。殺した。

 レイナースの苦境を理解し慰めるような素振りを見せつつ、裏では彼女の呪いが他人に移るものだ等と吹聴していた女がいた。殺した。

 例え呪われていようと君を愛している、共に呪いを解く術を探そうなどと嘯いた男。端から信じてなどいなかったが矢張り金目当てだった。殺した。

 散々助けてやったのに汚い物でも見る様に顔を背け、中には石を投げてきた者もいた元領民。殺してやりたかったが、数が多く大規模になるので現在保留中である。

 

 既に達成済みの復讐も多い。計画や空想の段階で留まっている復讐も。それらの数々はレイナースの顔面右半分が膿を分泌する歪んだ姿に変わってより、どれだけの心ない言葉と迫害に晒されてきたかを表している。

 

 昔のレイナースは身も心も美しい女性だった。両親を愛し、婚約者を愛し、領地と領民を愛していた。自身の手で領民を脅かすモンスターを討伐することを誇りとし、神を敬い世の中の助けとなる事を幸せとしていたのだ。

 何もかもが上手くいっていたかつての日々を思い出す。皆を愛し皆に愛された日々。充実していた過去。例え形を変えど、例え苦難に見舞われど、それらを皆と共に乗り越えてこの幸せは続くものと疑わなかったあの頃。

 

 今より遥かに弱く、しかしずっと満たされていたレイナース・ロックブルズの記憶。今は思い出すのも苦痛だ。そうして満たされ幸せだった記憶がしっかりとあるが故、その全てが自分を裏切り虐げる側に回った時が痛くて辛くてやるせなくて、何よりも憎い。

 

 呪いを受けて、レイナースは変わった。しかし、呪いを受けたから心まで醜くなったのかというとそんな事は無い。顔の半分が歪んでしまった後だって、レイナースの心は清いままだった。

 

 誰もが褒めてくれた生まれ持っての美貌を失った事。それ自体は言うまでも無くショックではあったし、自分自身の魔法は元より、懇意にしていた神殿の神殿長の魔法ですら元の姿に戻れないと知った時は確かに絶望を感じた。今まで築き上げてきたものが崩れ去る様な感覚を味わった。

 

 しかし、その時のレイナースには希望があった。愛する両親が。愛する婚約者が。愛する領民が。こんな不幸に見舞われた自分を憐れみ、我が事の様に動揺し、それでも自分を愛してくれると信じていたからだ。

 

 自分自身でさえ醜い以外に表現が見当たらないその右半分の顔を見たら、確かに誰もが驚愕するだろう。得体のしれないものだと恐怖を感じ、一時は遠ざけたく思う事もあるかも知れない。

 

 しかし、しかしそれでも愛してくれる筈。支えてくれる筈。寄り添ってくれる筈。

 

 自分とは違い戦う力もモンスターや魔法に関する知識も無い両親は、この顔を見たら悲鳴を上げるかもしれない。原始的な恐怖と嫌悪から、その足は自分から一歩二歩と後ずさりして距離を取るかも。

 

 でもでも、それ以外の全てが愛した娘のまま変わらない事を理解して、自分に歩み寄ってくれるに違いないのだ。共に涙を流して抱擁してくれる。嗚咽を堪えながらも、呪いを解く方法を探そうと言って、自分を守ってくれるに違いない──。

 

 レイナースは今までの人生で育んできた彼我の愛情を信じていた。

 

 なのに、現実はそうならなかった。たかが顔の半分。それ以外は心も魂も何も変わっていないのに。

 まるでレイナースの全てが悍ましい魔物と化したかのように、両親はレイナースを家から追放し、婚約者は会ってもくれず、領民は悲鳴を上げた。

 

 今まで守り守られてきた拠り所から追放され、レイナースは彷徨い、彷徨う内に幾多の人々から悲鳴と罵倒と嫌悪と憎悪と不理解と──今までの人生で縁の無かった不幸と不遇を一身に受けた。

 

 たかが顔の半分である。確かに珍しいかもしれない、こんな目にあった人は他に居ないかもしれない。どんな魔法も薬も拒絶する不治の呪いなんて悍ましいかもしれない。でも他の全ては変わらないのだ。

 

 他の人間にうつる事も無ければ人格が悪に変わった訳でも無い。誰もが認めてくれた昔と顔の半分以外は何も変わらないのに。元はと言えば領民の為に身体を張ってモンスターと戦って受けた呪いだ、名誉の負傷とすら言えるモノである筈なのに。

 

 時には理解者が現れる。助けてあげると手を差し伸べる人が現れる。傷心のレイナースは彼ら彼女らの手を取って、そして騙され傷付いた。結局呪いは解けなかった。

 顔を隠して生きるレイナースと友情を交わし、この人ならばと思えた相手もいなかった訳ではない。だが結局、意を決して隠していた半面を晒すと逃げた。

 

 ひたすらに苦境を味わい、足蹴にされ、時には自己防衛の為に刃を血で濡らす。

 そんな日々を過ごす内、レイナースは変わってしまった。変わっていく自分、不幸と痛みに塗れ性格が歪んでいくのをレイナース自身感じ取っていた。

 

 それはそうだ、一体誰が汚物に塗れたどん底で聖者になれる。一体誰が、誰も助けてくれないのに人を助けようという気になれる。愛してくれないのに愛そうという気を起す。

 

 レイナースは元々持っていた優しさや慈悲、思いやりというものを徐々に擦り減らしていき──遂には幸せな他者を憎む様になった。謂れなき苦痛を味わう自分と比較して、不幸も痛みも知らず美しいままでいる他人を嫌い、妬む様になった。

 

 皮肉な事に、呪いを解こうと以前ならば有り得ない程自他を顧みない生き方をする内、レイナースは貴族令嬢だった頃よりも格段に強くなっていった。

 

 他を圧倒して強い呪われし神官戦士の噂を聞き付けたジルクニフがレイナースの前に現れる頃には、既に歪んだ人格は凝り固まって元には戻らなくなっていた──。

 

 四騎士となり、ジルクニフの庇護の下で他人から尊敬や信頼、見下しの無い同情を向けられるようになっても、今更心は回帰してくれない。呪われたままの自分をレイナース自身が認められず、許せないのだ。

 

 そうして彼女は、呪いを解く為であればなんでもする今のレイナースとなった。

 

 

 

 

「件の我が国に誕生した新しいアダマンタイト級冒険者、【スパエラ】メンバーの似顔絵です。今回陛下に託される物の現在の所有者はこの者、イヨ・シノン殿ですな。……私の娘の『お気に入り』でもあります」

 

 大公も立場が立場だけに、自身が直接ジルクニフと言葉を交わすことの出来る機会は少ない。それに対し、意思統一やすり合わせをすべき話題は数多くある。【スパエラ】が求めた謁見と献上もその数多くの中の一つだ。

 既に付き合いは十年近くにもなり、互いに慣れた。国家の首脳同士の会談ではあるものの、その会話はかなり軽快で速度重視であり、両者の側近も今更その事は気にしない。

 

「──ほう! リリーの……これはこれは、目にも麗しいご令嬢だな」

 

 公女とジルクニフの結婚は内部的には確定事項である為、呼び捨てについて今更反応する者はいない。そしてこの世で三人だけが知るリリーの秘密を知る者もいない為、『お気に入り』の正しい意味を解せる者もまた、いなかった。

 

 ──チッ。

 

 大公が机上に広げてみせた似顔絵を一目見た瞬間、レイナースは心中で舌打ちした。気に障ったのだ。気に食わなかったのだ。腹が立ったのだ。死ねばいいのに、と思ったのだ。

 

 魔法で写生したと思しき簡素で写実的な四枚の似顔絵の内最後の一人──公国における新たなるアダマンタイト級チームの中核を成すとされる少女が、整った顔で幸せそうに笑っていたから。

 

 画家に描かせた場合と魔法で写生した場合。後者の場合は魔法によって実像をほぼそのまま紙に写す訳だから、どちらが本物に近いかと言えば後者であると言える。

 

 貴族などの高い地位にいる者たちが肖像画などに用いる時、この『実像そのまま』というのが一部で好かれると同時に嫌われる原因である。画家が筆で描くのと違い、魔法で写生する場合は所謂理想化や美化が不可能な為だ。

 『時間を掛けず即座に完成する点は確かに優れているが、情緒と芸術性に劣る』──自身の子の結婚相手を探す時などがより顕著だが、貴族界隈ではそう評価される事が多い。高名な画家に描かせた方が自身のコネや財力を誇示できる点も理由の一つだ。

 

 家同士の思惑で結婚相手が決まるのが貴族の常識で、顔も知らない、会った事も無い相手と添うのも珍しい話ではない。だが、どうせなら相手は美女・美男が良いと考えるのも人情だろう。所作や教養は教育で如何にかなるが、容姿は生まれ持った要素も大きい。

 そんな事情で、『顔を合わせた事も無い婚約相手の親が見せてくる肖像画が画家の描いたモノか魔法で写したモノか』というのは、貴族の青年男女の間で結婚への不安や期待を増減させる一要素となっていたりするのであった。

 

 レイナースは己が失った美しさを持つ女、つまり美人が嫌いだ。己が呪いによって奪われた幸せに浸る人間は大嫌いだ。

 魔法によって写生されている以上、間違いなく現実にその容姿である筈の少女はあどけなさに大きく偏ってはいるもののかなり整った造形──昔のレイナースよりは断じて劣るが──で、この上なく幸せそうに、自分自身になんら卑下する所の無い様子で微笑んでいる。

 ついでに付け加えるならアダマンタイト級である以上、十中八九レイナースより強いのだ。

 

 『生まれてこの方何の苦労もした事ありません』とでも言いたげな馬鹿面。『どんな辛い事でも私、負けません!』とでも言いたげなアホ面。『私の笑顔でみんなを元気にしちゃいます☆』とでも言いだしそうなムカつく面。自分で自分の事を可愛いと思っているに違いないったら違いないツラ。

 

 此処まで腹の立つガキ臭い微笑みを見たのは初めてかも知れなかった。よくよく見れば僅かな緊張感を漂わせているのも初心をアピールしているようで癪に障る。

 

 レイナースの脳内においてまだ会った事も無いイヨ・シノンという少女の評価は似顔絵の笑顔一つで地に落ち、地を穿ち、地の底に到達して更に墓穴を掘り始めた。

 

 舌打ちを心中に留められたのが奇跡と言える位に嫌いな存在だった。

 

「こちらのリウル・シノンとある者、名だけは前に聞いた事がありますが確かブラムという姓では──ああ、イヨ・シノンと同じという事は、結婚したのですか? 珍しいですね、冒険者が同じチーム内で、とは」

 

 ジルクニフに仕える秘書の一人がそう口を挟んだのを切っ掛けに、レイナース・ロックブルズの苛立ちと憤りは頂点に達した。

 

 黒髪黒目の珍しい容姿でそれなりに精悍な──やや女性的でもあるけども──人物が写された似顔絵を睨み付けると、そこには確かにリウル・シノンの文字。

 

 言うまでも無いがレイナースは呪いに苛まれさえしなければ、相思相愛だった婚約者と一緒になり、貴族的には十二分に幸せな結婚生活を送る筈だったのだ。呪われし騎士等と言う不名誉な綽名を付けられ、今ほどの苦難に塗れる筈は無かったのだ。

 

 自ら血祭りに上げた元婚約者に今更一片の心残りも愛情も無いが、自身が逃した幸せをより年少な少女が手にしていると思うと負の感情が止まらない。

 

 レイナースを取り巻く外側の世界では、救国のアダマンタイト級冒険者という注目度の高い人物に関する世間話兼情報交換として、滅多クソに腹の立つ会話が繰り広げられていた。

 

 出会って数か月のスピード結婚。イヨ・シノンの側がリウル・ブラムに一目惚れして口説き落とす。夫婦仲は極めて良好らしく、危機的な大事件の直後に起きた戦功者同士の慶事として城下でも大きな話題──等々。

 

 レイナースの前歴を思えば避けてほしい話題ばかりだが、『とてつもなく希少な物品を捧げに来る人物の重要な情報』とあって、手短かつ端的に大公は話しているらしい。皇帝と大公の周りを取り巻く部下たちも、気遣わし気な様子を見せるのは逆に侮辱的であるとの判断故か、この会話の発端となった秘書を含め、事務的な会話に終始している。

 

 フールーダは殆ど興味が無さそうだったが。彼からすれば、アダマンタイト級冒険者が自分を頼る程の物品についての興味の方が億兆倍は大きいのだろう。

 

 もう我慢が出来なかった。

 

 レイナースは舌を打ちかける。場が場だから礼儀の上で言えば問題だろうが、もう知った事か。

 

 ──どうしてこうなってしまったんだろう。

 

 呪いを受けており幾千回も繰り返した問いが、心の奥底で残響する。辛くて無為で、いつしか考える事もしなくなった問いが。

 

 本当は分かっている。胸の中で渦巻くこのあらゆる悪感情の根本は無力感であり、失った幸せの喪失感であり、呪いという不運に対する怒りで、呪いによって降り掛かってきた苦境に対する苦痛で──誰かの顔がどうとか幸せそうだとか、自信に溢れた様子がどうとか、そんなものは八つ当たりだという事くらい。

 

 例えるなら、抗えない何かによって嫌な気分にさせられたから、壁や柱を蹴飛ばして鬱憤を晴らす様な。抗えない何か──レイナースの場合は呪いだが、それがどうにもできないから他の者や物に当たるのだ。

 

 でもしょうがないでは無いか。嫌なのだ、辛いのだ、他人の美しさや幸せというものがもう、今のレイナースにとっては堪らなく。呪いを受けてよりかつて満たしてくれた愛や信頼は全て裏返り、嫌な事辛い事ばかり沢山で──そういう風になってしまったのだ。

 

 こんなにも不幸で辛いのだから、何を害する訳でも無くただ恨む位は、八つ当たり位は許されてもいい筈だ──。

 

 自他への入り混じった万感の嫌悪を込めてレイナースの舌先が遂に──

 

「しかし、私の記憶違いでなければリウル・ブラム──失礼、今はシノン殿でしたね。この人物は確か女性では? 同性婚とは珍しいですね」

「はっはっは。ヴァミリネン殿の記憶は正しいものだ。だが、同性婚というのは違う。陛下、面白いので黙っていましたが、イヨ・シノン殿は男性ですよ」

「──ッ!?」

 

 部屋中を驚愕が満たすと同時、レイナースは人知れず舌を噛んだ。

 

 

 

 

「この顔でか!? 成人だろう!? 爺──フールーダが魔法で延命している様に、何らかの魔法的手段で少女そのものの外見を作り上げているという事か?」

「ほう」

 

 魔法という言葉に反応してフールーダが興味を惹かれた風に身を乗り出して似顔絵を覗き込むが、続く大公の言葉で再び興味を失った。

 

「いえ、自前の様ですね。生まれながらにこういった容姿なのだとか。──本人から聞いた話なのですが、彼の国には女装して酒宴に紛れ込み、敵を討ち果たした英雄の逸話があるとかで。シノン殿も女装を得意としていると聞きます」

 

 ジルクニフは帝国の頂点に立つ者、これ以上無い英才教育を受け能力を開花させた者として、様々な意味で人を見る目には自信があったつもりだが、絵一枚からでは全く本来の性別を見破る事は出来なかった。

 

「この似顔絵作成に協力してもらった時は、特に化粧などしていませんでしたが」

「…………男だと言われれば男のような気もする、か? いや、しないな。身体の成長が止まっているんじゃないのか」

 

 ジルクニフもまあ、能力と同じく容姿も相当に優れているので、年齢が十に至る以前の子供の頃はある程度中性的と言うか、その外見に少女的な要素を含んでいた時期があったとも言える。

 ただそれは言うまでも無く男女の性別的特徴が発達する前の未分化な時期だからで、既に成人である筈のイヨ・シノンのそれとは全く異なる訳だが。

 

「我が娘曰く、実物を前にして腰回りの骨格などを特に注視し、所作に注意を払えば本来の性別を看破する事も人によっては可能との事。女装した状態では不可能だそうです。マジックアイテムを駆使して顔立ちは元より目の色や髪の色、声色を可変させ、身長や体型もある程度変えるそうですから」

 

 それだけの変装──女装を可能としながら、とんでもない金額になるであろう多量のマジックアイテムを有しながら、密偵としての技術が皆無である為潜入捜査など向いていないという。

 つまり完全に趣味に特化した女装なのだ。精々酒宴の席で盛り上げ係をするくらいのただ単なる芸、特技なのだとか。

 

「……我が国の英雄たちといい、アダマンタイト級冒険者は変わり者でなければいけない規則でもあるのか?」

 

 誰もが知る風変わりな英雄の姿──袈裟を着込んだ禿頭の僧侶や裸の上半身にボディペイントを施した若いシャーマン、真っ赤な毛並みの猿猴という亜人種の戦士など──を想起し、最上位者の冗談に、一名を除いた皆がひとしきり笑った。

 

「しかし、人材というのはいる所にはいるものだな。つい半年ほど前に別の大陸から来たというこの者は例外としても、まさか既に半死人に等しい王国から、局地的とはいえあれほどの反撃を受けるとは」

 

 緩んだ雰囲気が今一度引き締まる。そして動かずにいたレイナースを始めとする警護の騎士たちも僅かな身動きと共に関心を寄せた。

 話題と雰囲気の変わりようにも関わらず、大公は即座の反応を示す。

 

「──名前自体は有名な男です。ただ御前試合にてガゼフ・ストロノーフと互角の勝負をして以降、足取りは不透明で露出がほぼありませんでした。かなり高位の貴族も含めた数多の誘いを断ってまで在野にあり続けた男──今更仕官するなど、正直予想外ではありましたな」

 

 これは裏付けのある情報では無く私の憶測になりますが、恐らくガゼフ・ストロノーフとの個人的な縁が要因でしょう、大公はそう結ぶ。

 

 ──ブレイン・アングラウス。

 周辺国に歴史的大勝として認知されている此度の王国との戦争において、帝国に局地的劣勢を強いた男の名だ。

 

 直接ぶつかれば四騎士をも下すだけの実力を有する者──そして新たに王国副戦士長の役職に就いた希代の戦士。

 

「当然ですが足掻きますな、王国は。今更勝敗が覆る事はあり得ませんが。例えガゼフ・ストロノーフが二人になった所で、五宝物が十宝物になる訳も無いのですし」

 

 ブレイン・アングラウスの表舞台への登壇は、大公の言う通り周辺国家最強の戦士ガゼフ・ストロノーフが二人に増えたのにも近い変化だったが、時が過ぎている。此度の戦では不意を突かれたがそれでも将軍や四騎士は一人として討ち取られる事無く、大勝は大勝だった。

 

 戦争開始に至るまでも相当にごたごたとしていた王国側は順当に負け順当に力を落とし、当たり前の様に滅亡の道をまた一歩進んだ。

 王派閥の力はやや増したという報告が密偵や内通者から来てはいるが、それはより大きな被害を受けた貴族派閥との相対した上での話であって、絶対的に言えば矢張り国力は落ちたし統率も更に乱れている。

 

 予想外はあったが、それでも許容範囲の予想外だ。計画の道筋から外れる程の障害ではない。今更戦場の英雄が一人増えた所で、国力の差は覆らず崩れていく政治は止められないのだから。

 

 帝国と公国は勝利し、王国は負ける。全ては順調だ。順調すぎるほどに。

 

「……どうも舗装された道を歩いている様な気分だな。何事も無さ過ぎるし、何事かあったとしても最小限に留まり、著しくは予想外だったはずの何事かが結果的には利益にさえなる場合が多すぎる」

 

 ジルクニフが言外に匂わせる事柄が、大公には容易に想像が付いた。

 

 あの気持ちの悪い女。今は以前よりもずっと影響力を発揮し、かつてないほど発言力を増した筈なのに、表向きには精々『主要人物』に出世した程度の存在感しか発しない黄金の姿が見え隠れする。

 

 ジルクニフは以前よりラナーが嫌いだった。ラナーの行動を見ていると失敗したくて失敗している様な違和感を覚えたものだ。その思考を考察し理解しようとすると、まるで蜘蛛の巣に囚われるかの様な嫌な気分があった。

 大公も同じだ。自らの娘と友誼を交わす黄金の少女を実際に見た時と、その話を見聞きする時。彼の心中は妙なざわめきで満たされる。今まで裏切った事のない裏付け無き警戒心──嫌な予感が胸を満たす。

 

 今のラナーはもっと露骨だ。やっている事は何処までも王国の為──なのに完全に王国を見限っていて、自身を無言でこちらに売込んでいる気がする。『生かして活かした方が得ですよ』と。

 ますます不気味で気持ち悪い。ジルクニフの個人的な感情で言えば死んでくれた方がよっぽどすっきりするし、本人に戦闘能力は皆無であろうからそれは十分可能だ。しかし、利用価値を思えばあり得ない選択肢である。

 

「頭では分かっていても心底嫌だな。政治的な意味以外無いとはいえ、あの女と婚姻か」

 

 ラナーはジルクニフの脳内嫌いな女ランキングでここ数年単独トップを爆走中である。

 

「心中お察しします」

「あれと比べればリリーは遥かに可愛げがある」

「これはまた陛下らしからぬお言葉を……恐れ入ります。我が娘も喜ぶでしょう」

 

 顔も美しいに越した事は無く、抜けた所はあるにしても頭脳自体は悪くはない。そして白銀の彼女は黄金の化け物よりずっと人間的で、なによりタレントの価値が計り知れぬ。

 

 この戦争は、ジルクニフが運悪く落雷にでも当たって即死でもしない限り完勝以外は無いに等しい。故に、彼らが見ているのはその先だ。

 

「……重要度としては先日の法国との会談の方がずっと上でしょう。陛下、此方で検討と裏合わせを致しましたので、ご報告を」

「……うむ。聞こうか。やれやれ、忙しくて嫌になるな。早く歴代皇帝の様な、大雑把に命令するだけの立場に戻りたいものだ」

 

 空気の切り替えと同時に、一名以外全員が笑った。王国を取り込み、公国を統合し吸収するという大きな仕事が残っている以上、ジルクニフがそうした立場になるのはずっと先、それこそ頭髪が心許なくなる様な未来の話だろう。

 

 【スパエラ】が帝国を訪れる前の、ある日の帝都アーウィンタールの一日である。

 




最近ちょっと一話が長くなり過ぎているかと思い、切りの良い所で分けました。
こちらでは【スパエラ】登場せず、よって原作キャラとオリキャラの交流も起こらず……。
本日二話目もすぐ投稿します。

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