ナザリックへと消えた英雄のお話   作:柴田豊丸

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死闘:死に果てるまで

 人が来たのはイヨにとって待ち望んだ事態であった。救援を呼べるからだ。救援として機能し得る救援、公国最高峰のオリハルコン級冒険者チーム【スパエラ】を。

半機能不全に陥ってる【スパエラ】の分も依頼を受けている【八条重ね矢】が現在公都にいない以上、戦力として数えられるのはミスリル級チームが幾つかと【スパエラ】だけ。

 

 デスナイト相手に数で押す戦法は相性が最悪。殺された分だけアンデッド化して相手方の戦力と化してしまうからだ。一体でもスクワイア・ゾンビが生み出されれば、イヨは圧殺されるか足止めされるのかの二つに一つ。公都の破滅は確定となってしまう。

 

 ──そうはさせない。

 

 救援が来るのは何分後だろうか。デスナイトの召喚直後から、既に十分近くは戦闘を続けている様に思う。既に気付いて向かってくれている場合でも十分は掛かるだろう。背後の警備兵らが走って知らせたとして──奇跡的に都合よく事が運んでも三十分? 

 

 上等である。何分でも何十分でも死ぬまでやってやろうではないか。

 

 イヨ・シノンは今をもってしても死ぬ気は無いが、死ぬ覚悟ならある。

 

 これだけの力を何の努力も無しにゲームから引き継いでおいて、英雄だ次代のアダマンタイトだと期待と喝采を浴びておいて、その期待に応えて見せると公言しておいて、これしきの難事も切り抜けられないなど嘘である。

 

 ──此処が生命の使い所だ。

 

 アンデッドの特性──衰えず歪まず痛がらず、ただ命じられるがままに己が全力最良を発揮し続けるという性質。人間ならば筋肉が千切れ腱と骨を痛める最大出力を、数十秒しか維持できない最高の運動性能を壊れるまでだ。

 

 一秒間に十の斬撃を放つ事も、デスナイトにとってみればなんら無理ではないのだ。致死の剛剣精妙極まれり。

 

 それでいて元よりステータスに優れる異形種で更にはレベル的に圧倒的格上で、こちらには弱点を突く手段がないという状況は、ゲームだったらレベル上げして装備整えてから再挑戦一択である。

 

 その有利に任せて圧殺すべくただただ攻めてくる姿は最早雪崩か津波かといった圧迫感。振り下ろす一太刀は瀑布も切り裂き金剛石を砕き、構える大盾、身を包む鎧は城壁の如き。

 剛力剣技は一騎当千体力無限。そんなものが此度の相手だ。

 

「おお!」

 

 既に潰れた喉で声を張りあげて、抗う。抗うのみならず、攻める。

 

 斬撃は避けられる。反撃も叶う。問題は反撃に対するカウンター。此方の全力を事も無げに受け止め、息をする様に崩し、致命の一撃を返してくる。連続して到来する命の危機を綱渡りで切り抜け、また戦う。

 

 まだ戦う。

 

 命を守る為に肉も骨も切り捨てる様な戦い方でしか、命を繋げられない。既に【マッスルベアー】の効果は切れている。

 

 アンデッドは疲労無効かつ精神効果無効である。人間の様に心構えや体調での戦力上下は無いに等しい。常に最も安定して全力だ。

 

 そしてデスナイトはモンスターとしてもシンプル。特殊能力に攻撃用のモノは存在せず、つまり攻め手としては技能と膂力の限りを尽くした通常攻撃の連続である。

 

 ──よっし、慣れてきたぁ……! 

 

 イヨはデスナイトの丁度いい位置にある膝に蹴りを叩き込んだ。痛みは無くとも動きが阻害される為、全体の動きに不調和が生じる。その隙に叩き込むのは、重心を貫く中段突き──を、フェイントに【爆裂撃】付きの足の甲への踏み付けである。

 

 デスナイトはアンデッドの癖に──これはイヨの私情であるが──炎ダメージ倍加を保有していないと言う、アンデッドの風上にも置けない非常にくたばってほしい特徴があるのだが、さりとて炎に対して耐性を持っている訳でも無いので、特別有効でないだけで普通にダメージを喰らわせる事が可能である。

 

 【爆裂撃】は職業によって取得したスキルではなく、あるクエストをクリアした事で後取りしたスキルである。その理由は、単純に使い易くデメリットのほぼ無い、低レベル帯拳士御用達のスキルだと友人に勧められたからだ。

 

 例えばイヨの持つスキルの中で、【断頭斧脚】は文字通り蹴り技でしか発動させられない。【撃振破砕掌】は手形が掌を成しているか、少なくとも五指を開いている必要がある。スキルの名称から理解できる通りだ。

 

 対して【爆裂撃】はと言えば、打撃攻撃に分類されるならなんだってアリである。蹴りでも突きでも良いし、なんなら体当たりにでも、刺突かつ打撃として扱われる貫き手にだって合わせて発動できる。

 特定の動作や発声を必要とせず、再使用までの時間も極短く、使う事で隙が増えたりもしない。ただ単純に炎属性のダメージを攻撃に上乗せする、非常に優秀なスキルなのである。

 

 まあ、その上乗せされる威力がほぼ固定かつレベルや攻撃力に依存せず一定な為、レベルが上がっていくにつれて使うメリットは減り、一定レベルに達すると『普通に殴るのとほぼ変わらないから他のスキルを使った方が良い』扱いで一切出番が無くなる実質序盤専用スキルなのだが。その分序盤は神なのでプラマイゼロとする。

 

 前触れなく吹き出す爆炎は目くらましにもなる。単純に視界を遮るという意味と、攻防のやり取りにおける囮という意味でもだ。

 

 デスナイトは常に全力かつ最良で殺しに来る。最高のパフォーマンスのまま変わらない。変化しないのだ。変わるとしたら単に戦士としての新手か戦術の一環か、イヨが身体構造を破壊した事による劣化に限る。

 

イヨはデスナイトとの戦いに適応してきていた。より効率的で長持ちする殴り合いの仕方を会得しつつあった。

 

 そもそもこのデスナイトはイヨと初めて戦うが、イヨは何度かデスナイトと戦った事があるのだ。それに、相手が格上であるだけで一々負けている様な奴は日本一になどなれねぇのである。

 

 精神力が物理現象を覆す事など断じてない。もしあったとするならばそれは錯覚である。

 心で限界は超えられない。しかし、限界に臨むには心が、精神が必要なのだ。そういう意味で、イヨは根性論者であった。使えるものは全部酷使するのだ。

 

 刻一刻と近付く死、その淵にあって──イヨ・シノンという天凛の才は輝きを増そうとしていた。

 死の淵故の死にたくないという思い、その強烈無比なること。死にたくない、生き続けたい。生物としての根幹が発揮される。

 

 学習と効率化。習得と練磨。慣れ。

 

 人格的に未熟かつ幼稚ですらある少年が磨いてきたモノ。持って生まれ、育まれ、育み、成長し続けてきた戦闘に対する感性。理合。動作。技術。皮膚感覚。

 

 其処に加わったのは、ユグドラシルのキャラクターとして保有していた三十レベル相当の戦闘力。その戦闘力を実現させ得る理外の膂力と、通常人類の範疇を超えた技術力。

 

 持ち合わせていたもの、育て上げてきたもの、付け加えられたもの。その全ては転移後からの鍛錬を通じて一体化し、身体を構成する血肉と化していた。

 

 レベルアップではない。ステータスの上昇でもない。スキルの習得でもない。

 地球人類でも転移後世界の人類でも、人間なら誰もが重ねるその向上、上昇、上達を──成長という。進歩という。

 

 少年の打撃が、デスナイトの身体を有効に捉え始めた。少年の防御が、デスナイトの攻撃をより安全確実に捌き始めていた。少年の足さばきが、デスナイトの周囲をより自由に思うがままに刻み始めていた。

 

 イヨは強くなっていく。一秒一秒を重ねる毎に、一つまた一つと傷付く毎に。

 

 だからと言って相手は弱くならないし、自分は相手より遥かに弱いままだし、有限の血は流れ、体力を消耗し、身体は破壊され続けるのだが。

 

 あと少しで死ぬ事になんら違いは無いのだけれども。

 

刻一刻と殺されながら、加速度的に死にながら、徹底して自身を使い潰す方法に熟達していった。

 

 

 

 

「オオオオォォオォアアアアアー!!」

 

 何を言っているのか皆目見当もつかない。憎いとか妬ましいとか、込められた感情はそんなものだ。アンデッドにだって感情はあるのだろう。憎くて憎くて殺したのがアンデッドだからだ。

 

 どうであれ、イヨは『うるさいお前が死ね』以外の返答を持ち合わせていなかった。

 

 生者と生者の戦いならば、それは異種族間であれ同種族間であれ、生存競争なのである。悲喜こもごもあるものと思うが大きな視点で見たら当たり前でしょうがない事なのだ。生の営みなのだ。

 

 だがアンデッドは違う。死者である。何かの間違いで未だ動いているだけの死体である。終わった後でもまだ動いているだけの死体なのだ。

 

 そもそも召喚や作成によってなにも無い所から湧いて出た様な輩に生前の姿などあるのかさえ疑問だが、生きていた頃の人格や人生には敬意を払えども、百害あって一利なしを体現した様な現行の動く死体は破壊するが最善と信じる。

 

 アンデッドは動くだけの死体である。もう死んでいるから死なないだけで壊せば滅びる、つまり殺せる。全然不死じゃない。そんな迷惑千万な死者に殺されて良い生者などいないのだ。

 

 生ける者は生ける者同士の営みの中で、生きて死ぬべきなのだ。

 

 ──ああ、僕なんだか神官みたいな事を考えてるなぁ。

 

 ともすれば分裂しかける思考の一片が呆れた様に笑った。正しい意味での信心などただの一度も抱いた事の無い癖に、と。

 

 頭部を割る一撃、捌く猶予は無し。斜めに受けて滑らせよ。衝撃に揺れ崩れる脳、まだ動くなら問題無し。左足の傷を抉りにくる。大動脈は死守。拳足、粉砕骨折多数。四肢末端が肉片になっても、根元が無事なら動かせる。鎧は徐々に変形して来ているがまだ身体は支えられる、構わず叩きつけてやれ。

 足場は地面だけではない、相手の身体も振るわれる剣も十分に足場。この身体なら叶う。

 

 全身の激痛は精神を圧搾するに余りあるもの。

 だが、イヨはその痛みを歓迎する。強い痛みによって、痛みを与えてくれやがった怨敵をより強く意識出来るからだ。痛みが、身体の損傷を教えてくれるからだ。頬を叩いて眠気を飛ばす様に、痛みが意識を続けさせてくれるからだ。

 

 痛くないより痛い方が気持ち良いからだ。

 

 今のイヨにとって、痛みは意思や技術、肉体と同じくらいに自分を支えてくれる存在だった。痛いと感じられる内はまだ生きていられる、もっと戦えると思えていた。

 

 【アーマー・オブ・ウォーモンガー】の隙間から肉片交じりの血液が漏れ、宙に赤い尾を引く。全身は満遍なく傷付いていた。前に、前に、前に。頭部装甲がデスナイトの甲冑に触れるほどの近距離で拳を振るう。

 

 蹴りは頻度を著しく減らしていた。隙が大きく、必然片足になるからだ。拳も大振りはほぼ無くなった。小さく刻む鋭い狙いの拳が絶妙に腐肉を抉り、焼く。

 

 大きな動きに耐え得る強度と運動性能を、肉体が失いつつあったのも理由の一つだ。

 

 足は巨大な盾の防御範囲をすり抜ける為に死力を尽くす。

 あるか無きかの一瞬の隙を突くべく拳が瞬く。より小さい隙と隙間を最大に貫き切り裂く為、手形は貫き手や一本拳も増えた。

 

 急所の存在しないアンデッドの身体であっても、鎧の上から殴るよりは直接殴った方がダメージは通る。太く大きい箇所より細く小さい箇所の方が壊しやすい。中心線の攻撃にそれでも拘るのは、其処が末端より重く、それだけ殴った時に相手の動きに及ぼす影響が大きいからだ。

 

 アンデッドに痛みや恐怖による錯誤はあり得ないが、判断のミスはあり得る。攻防の偏りも同じだ。それは相対のやり取りである戦闘を専門とする戦士であるからだ。

 

 イヨは跳んだ。デスナイトの身体を足場として跳んだ。デスナイト自身の膂力により身体を狙った方向に吹っ飛ばしてもらった、という表現の方がより正しかったが。

 

 戦闘開始前より物理的に軽くなった身体は小枝の様に飛び──身長差を埋め合わせ、デスナイトの腐り果てた口腔に左拳を叩き込んだ。

 

 同時に火焔が爆ぜ、爆発音は空を迸った。小石か何かの様に吹っ飛んでいくのは、デスナイトの歯だ。

 

 スキルの爆発は威力的に一定範囲内を超えないが、鎧の上からや体表で爆ぜるのと体内で爆ぜるのとでは、結果的に威力が違う。爆発力のより多くが敵に当たり、より多くを焼くためだ。

 心臓や頭蓋に穴が開くのも、指を落とされるのも同じダメージなのがアンデッド。何処でも同じならより沢山焼いた方が良いのだ。

 

 即座に胸甲に包まれた胸板に蹴りをぶち込み脱出──と同時に振り下ろされた剛剣一閃で地面をバウンド、最早耳慣れた骨の折れる音を聞きながら勢いに逆らわず制動を加えて着地。

 

 敵もやはり、感情ではなく判断として焦っているのだろう。顔を上げれば、デスナイトは背を向け走り出す姿勢となっていた。これ以上時間稼ぎをされると命令遂行が難しくなるのだ。無論逃がす訳が無い。既に何度か繰り返した遣り取りであった。

 

 デスナイトの長距離走力はイヨより勝る。一度逃げられれば追い付けない。が、軽量故の瞬発力と加速力はイヨが有利。極短距離ならば速度が乗り切る前に追い付ける。このせいでアイテムボックスから何か取り出すような隙は見せられない。

 

 肉食昆虫並みの獰猛さと無機質さでイヨは助走した。

 

「ぃ──っ──」

 

 喉も肺も顎も舌も駄目で、気合が言語にならぬ。それでも後頭部へ飛び足刀──意識喪失。激痛で即座に復帰。

 

 思考未満の本能で滅茶苦茶に暴れて逃れる。前後の状況は頭から消えていた、その事から頭部に重大な衝撃を貰った事が分かる。右の視界が無いのは目玉が潰れたからだろう。片方で済んで良かった。顎や頬の辺りは大分前に砕かれていたので、顔面の原型は既に無い。

 

 逃げる振りをして、襲ってきた所にフルスイングのカウンター。フランベルジュがバットでイヨはボール。

 

 地面に付く筈の左手が消えている。切られた、いや、装甲の継ぎ目から歯で嚙み千切られていたのだ。あの時にイヨは既に四肢損失すら直ぐには気付けない程、身体感覚が失せていた。

 

 ──追撃が無い。

 

 約三分の一秒ものんびりしていた失態に気付くと、視線の先には小さくなったデスナイトの背中。追ってくるなら戦闘、背中を襲うならまたフルスイングカウンター、死ぬなら放置。

 

 イヨにとってデスナイトは怨敵だが、デスナイトにとってイヨは小五月蠅い虫けらである。半端に強いから無視したくても出来ず、積極的に襲い掛かってくるからしょうがなく戦い、ずるずる相手をしていただけ。

 

 やっと潰えたか、という喜色さえその背中からは漂っている気がした。

 

 そのデスナイトの姿が妙にゆっくり動くので、イヨは自身が死に掛けている事を悟った。半死半生が完全死に移り行く。極限の集中状態を上回る体感時間の遅さ、死に際の時間。

 

 安静にしていても残りの寿命は三分も無いだろう。戦闘を続けるなら一分を切るのは確実。三十レベルの前衛が如何に超人然とした生命力を誇るとは言え、心が途切れれば肉体が生命を手放すまでに破壊され尽くした身体である。

 立ち上がってまた挑めば、命が尽きる前に殺されるのもまた確実。

 

 詰みだ。

 

「ぁ……ぃ……ぁあ!」

 

 ──だからって諦めていられない。

 

 イヨは【マッスルベアー】【キャッツアイ】【ガゼルフット】【ビートルスキン】【ジャイアントアーム】──己が習得する全練技を使用した。

 

 それは、貧弱な魔力の全てを消費して成せる行い。

 MP──魔力の消耗は体調万全の状態でも激しい頭痛、全身疲労及び脱力、意識の喪失もしくは混濁を伴う。練習で何度も体験したから知っている。

 心身を削りに削り今まさに死に逝かんとする肉体でのそれは、確実な手法での自殺である。

 

 だが、どうせ死ぬならイヨは戦って、一回でも多く敵を殴って、一瞬一秒でも人を守って死にたかった。

 

 

 

 

 アンデッドであるデスナイトは、五感による知覚の他にアンデッド独特の感覚、生者に対する憎悪による知覚能力を持っている。生物では理解も解明も出来ない、アンデッド独特の知覚である。

 

 なのでデスナイトは知っていた。先程まで交戦していた全身鎧姿の生者の状態を。

 生命の輝きとでも言うべきものが自分が叩き込む一斬ごとに失せていき、今まさに風前の灯火となっている事を。刻一刻と死に向かっている事を。

 

 とっくに気を失っていて当然。何故死なないのか不可思議。何度叩いても叩いても、恐れず痛がらず怯まず悲鳴も上げず、戦意が衰えない。それこそアンデッドの如く挑みかかってくる邪魔者だった。それのせいで命令遂行にどれだけ遅れが出たか分からない。

 

 元より生者に憎しみを抱くデスナイトからすれば、どれだけ甚振って苦痛と絶望を味わわせても足りない存在である。生者の無駄な抵抗、死に際の絶望や痛みにあげる絶叫などは高い知性を持つデスナイトにすれば暗い喜悦を抱くものだが、苦鳴一つ漏らさずただただ時間を無駄に使わされたのでは苛立ちしかない。

 

 背後で遂に地に膝を付いたかの者を殺したいと思う。それはアンデッドにとってあまりにも根源的な欲求だったが、召喚モンスターである彼には本能よりも欲求よりも優先すべき使命、主の命令があった。

 

 より多くを殺してこの都市を死の都に変えよ。

 

 主命を遂行せねばならない。既に時が経ち過ぎているのだ。それでも抵抗するだろう死にぞこない一人に掛けるのと同じ時間で、何十倍何百倍もの無力な生者共を殺せる。邪魔者などにこれ以上関わっている時間は無かった。

 

 今すべきは走る事。無力な生者共の気配は幾分遠ざかってはいたが、これだけの大都市に住まう住人が僅かな時間で避難を完了できる筈も無い。

 デスナイトの脚力をもってすればあっと言う間に辿り着く。背後の邪魔者と違って、剣の一振りで五人十人と殺すことの出来る者共だ。

 

 絶叫、そして迸る血飛沫。生者共の悲鳴はデスナイトに歓喜をもたらしてくれるだろう。それは存在の根本に根差す喜悦であり、同時に主命の遂行となるものだ。

 

 死者は不死者として起き上がり、また生者を殺して不死者を作る。主が望んだ死の都は直ぐ其処だった。

 

 腐り果てた醜悪な顔で、デスナイトは嗤った。殺されゆくだろう無力な生者を嘲笑うものであり、召喚者たる主の命令が現実のものとなる事に対する快哉だった。

 

 ──! 

 

 ──しかし。

 

 走り出してより十歩もせぬ内に背後の死に掛けから、尽きた筈の生命力が溢れた。

 

 人間であったら苛立つなり戸惑うなりする所である。一分持つかも怪しい惨殺死体擬きが突如息を吹き返したのだから。

 

 だが高位アンデッドの騎士たるデスナイトにその様な無駄な心の動きは無い。迫りくる背後からの強襲に対して、正確無比のカウンターを叩き込んだ。

 

 

 

 

 その斬撃は完璧な威力、タイミングをもってして最も有効な角度でイヨに叩きつけられたと言って良かった。

 

 死人擬きのはねっかえりを文字通り地に叩き伏せ、血の染みとするに相応しい威力。走り寄る影の首元、装甲の隙間から滑り込んで首を刎ねる──事無く寸前で止まる。

 

 波打つ巨剣が手掌で受け止められ握力によって固定、刃が文字通り毀れて小さな金属片となり、地面に落下していく。

 

 一度あった筋力上昇時の限界をも超えた異常な膂力。叩き付けられる刃を手掌で捉え、負傷する事無く捕獲してのける運動性能、身体の耐久力。

 

 明らかに健在時の限界を一段も二段も超えている。そして即座に叩き込まれるのは、

 

 ──一度で良いから自分の身体でやってみたかったんだ。

 

 ある意味お約束の技。無いなんて事を気にしてはいられない時専用の、技なのか破れかぶれなのか判別不能の自傷技。

 

 無い拳を用いた左腕のボディアッパー、著しい身長差故の変則の打ち貫き──

 

 デスナイトの構えた盾が凹み、巨体が宙に浮いた。

 

 

 

 

「──ァァアオ──ゥるゥウ──!」

 

 イヨ・シノンの発したそれは、最早人間の声では無かった。

 体中潰れていたり破れていたり、切れていたりもう無かったり。正常な発声などとっくに不可能。声というより音──管、空洞を空気が通って生じる異音であった 

 

 エンハンサーなる職業は、自身の身体を強化する練技を使いこなす職業である。

 エンハンサーを極め十五レベルに至ったのち特殊な条件をクリアすれば新たな職業を得て、敵に存在を認識できなくする、竜そのものに変化する等の更なる達人技も可能とされる。

 

 この超現象を実現させる練技は、SWシリーズ及びそれらとコラボしたユグドラシルでは、呼吸によって空気中のマナ、魔力を吸い込み体内の魔力を活性化させる事で発現させているとしている。

 ゲーム内ではそういう設定であった。

 転移後世界という現実における物理現象としての解明は、一からの長い研究を必要とするだろう。

 

 イヨ・シノンはエンハンサー五レベルであるからして、其処までは出来ない。彼に出来るのは、

 

 【ビートルスキン】によって皮膚は皮膚としての機能を保ったまま、ジャイアントビートルの甲殻に匹敵する堅牢さを宿し。

【ガゼルフット】によって足は骨格腱筋肉等の構造を不変のまま、大地を駆け跳ねて地上最速の動物からさえ逃げ切る脚力に類する能力の一切を己がモノとし。

 【マッスルベアー】及び【ジャイアントアーム】によって筋肉は姿と量を変えずして羆と巨人の筋力、自分自身の出力に耐え得る強靭さを手に入れる。

 【キャッツアイ】によって眼球及び眼筋、神経と脳を変異変形させず人間の視覚能力にプラスする形で猫の時間分解能、視野の広さ、動体視力等を得る。

 

 等である。防御力、攻撃力、回避力、命中力の向上だ。これらの練技は呼吸可能な状況下であれば一瞬で発動し、鎧の上からでは外見での変化がないため、発動していない状態との見分けが付かない。つまり最高の不意打ちとなり得る。

 

 爆発的な各種身体能力の向上はすなわちステータスの上昇であり、戦闘力の劇的な増加を実現させる。

 

 デスナイトの巨体が中空にある。軽く見ても数百キログラムの重量を、防御ごと殴り抜いて足さばきの根本たる大地から引き剝がしたのだ。例え数十センチの高度であろうと、蹴りつける大地無くして移動は出来ぬ。明確な隙であった。

 

 デスナイトは慌てない。巨大なタワーシールドは既に完全な防御を成しており、一瞬の乱れは文字通り一瞬で立て直していた。そもそもが力負けしたのではなく、ただ単純に敵の筋力と攻撃の威力を見誤ったが故の失態である。

 

 これだけの威力をこの敵は発揮し得るのだと分かってしまえば、それ相応の受け方をするだけ。

 何ら敗着には到底結びつかない。

 

 ──身体が宙に浮いていなければ。

 

 疾風すら突き穿つ渾身の飛び後ろ回し蹴りがタワーシールドに突き刺さり、デスナイトは完璧な防御姿勢のまま再度飛ばされ、ボールの様に地を三度跳ねた。

 

 大地で支えられた身体を蹴り飛ばすには相手の抵抗を抜かねばならないが、宙に浮いているのは高々数百キロの重量を蹴り飛ばすだけで済む。その数百キロの身体が生み出す膂力をほとんど相手にしなくていい。

 

 超剛力を実現した今のイヨならば、その程度の重みは大して苦にならなかった。

 小さな身体は直ぐ其処まで迫った死を一時忘れ、人類の限界を超えた速度で肉薄。立ち上がり様のデスナイトの顔面に踵蹴りを叩き込み、そのまま身体中を連続で踏み付けにし続ける。

 

 一撃ごとに地面にめり込み、死の騎士の装甲が歪み、腐肉の下で骨に罅が入った。鎧に受け止められて肉体を傷付けるまでに至らなかった攻撃が、確実に死の騎士を消滅に追い込んでいく。

 少しずつ少しずつ、真綿で首を締める様に。

 

 無論デスナイトも跳ね起きようとする、防ごうとする。叩き込まれる足を掴み、そのまま振り回そうとするが──いずれも空振りに終わる。

 

 徹底した嫌がらせ、上昇した膂力にモノを言わせた蛮行そのものの攻撃。一度見せた弱みに何処までも何処までも漬け込み続け死に追いやる武道の基本にして本懐。

 

 ──やり合う気など無い、塵の様に死ね。手番は渡さない、伏して死ね。反撃の芽も許さない、実力など発揮させない、潰えるまで殺し続ける。

 

 デスナイトを敷物にして絶叫を上げながらの踏み付け攻撃は、まるで地団駄を踏んでいる様。嫌だ嫌だお前なんか嫌いだ死んでしまえという幼稚な台詞を書き足しても違和感はない。

 ただ子供の駄々と違うのは、表の世界において最高クラスの技術と身体能力、特大の殺意が込めに込められた攻撃で、威力が攻城兵器級だというという事。

 

 一撃目。地面に蜘蛛の巣上の亀裂が走り、砂塵が舞い上がった。

 

 連続一秒目。デスナイトの上半身が地に埋もれ始めた。

 

 三秒目。打撃音と金属音に破壊音が混じり始める。

 

 五秒目。デスナイトの腐れた顔面と土塊、兜の金属が入り混じって顔が顔で無くなった。

 

 七秒目。頭部半壊。胸骨及び肋骨粉砕。脊椎損傷。

 

 十秒目──

 

「ァァアォオアアアア!」

 

 死の騎士が逃れる。地を掻き毟って無理矢理に這い出てくる姿は正にアンデッドである。彼に痛覚があったなら吹き付ける雨粒の頻度と破城槌の威力をもって叩き込まれる攻撃のせいで、動く事も出来なかったであろう。

 

 その姿はこれ以上無いほどに死者であった。無残な死体が歪んだ防具を纏った姿。この姿を初見した者がいたならば、散々に馬に踏みつけられて轢死した戦士のアンデッドだと思ったはずだ。

 

 より新鮮な傷と血だという点を除けば、【アーマー・オブ・ウォーモンガー】を剥いだイヨ・シノンも似たような姿である。

 

 事此処に至って、戦闘は大きな死体と小さな死体の戦いに、外見上は見えた。

 

 無理攻めは此処が限界。値千金の時は去った。──イヨは一歩分の距離を取ってデスナイトと相対する。

 

 作った隙に付け込んで反撃を封じ、傷め付けられるだけ傷め付ける夢の時間はもう終わり。立ち上がる事を許してしまったのだから。此処からまた始まるのだ、さっきまでの様な殺し合いが。

 

 ただ違うのは、実力差が一時的に縮まっているという事。双方損害を考慮している時間も余裕も無い事。イヨは命の残量が、デスナイトは時間がない。

 

 イヨの気力は萎えない。身体の爆発的な賦活が精神を支えていた。自意識は失血により曖昧だが、揺るがぬ想いがある。自分が戦って、守るのだと。

 

 デスナイトは揺るがない。汚れて壊れて漸く一戦を交える最中に相応しい姿となったが、この程度の損壊はアンデッドにとって大した意味は無い。消滅しない限り怨嗟も忠義も消えない、彼は不死者の騎士たる存在なのだ。

 

 対峙と静止は一瞬も無かった。全ては流れの中の出来事だったからだ。双方が地を割って踏み込み、拳と刃を交わした。

 

 共に直撃。次の攻撃が直撃。次の次の攻撃が直撃。次の次の次が直撃、次の次の次の次の──無数に続く──。

 

 

 お互いが巻き起こす破壊の嵐の中で、負の生命と正の生命が共に消し飛んでゆく。

 

 

 イヨは千切られ潰され無くなっていく身体を目の端ですら捉えない。そんなものを見ている余裕は無かった。短期的に機能を維持できるならばどれだけ傷付いてもいい、どうせあと少しで練技が切れる。そうすれば即座に死亡するのだから、死ぬ身体を守るより一撃でも多く叩き、僅かでも多くダメージを刻む方が良い。だから良い。

 

 割り切りが極まると狂気になる事の好例だった。

 

 デスナイトは勝利を確信していたし、種族的にそもそも感情豊かとはほど遠いし、召喚モンスターだ。だからこの期に及んでも無駄な情緒は無い。損壊していく身体にも執着は無い。機械にも似た冷徹さと、憎悪と忠義がフランベルジュを振るい、タワーシールドを構えていた。

 

 イヨは何故最期の最期まで何故練技を出し惜しんだのか。それには魔力の全消費によるデメリット以外にも理由があった。その理由は──練技分のステータスアップを考慮しても、デスナイトの方が強いからだ。

 

 だから最後の手段。全快の状態で使っても勝てず、その後倒れるか倒れる寸前まで体調が悪化する。だから死に際の身体を保持する為に、僅かでも長く時間を稼ぐ為に使った。不意打ちした。

 

 みんな大事なのだ。リウルやガルデンバルドやベリガミニや友達は元より、冒険者組合の受付であるパールスに宿屋の店主、屋台の親父さん、二三度話しただけの同期の冒険者、教会の子供たちに至るまで。

 良い人で優しい人たちなのだ。誰一人死んでほしくないのだ。三十万人の一人ひとりに生活と家族が在る筈だ。イヨにだってあったし大事だったのだ、人は皆自分の家族が、親友が、恋人が大事な筈だ。

 

 守れるものなら全部守りたいのだ。イヨは自分が辛かったからその辛さを他人に味わってほしくないし、支えてくれた人、良くしてくれた人に恩を返したいのだ。

 

 そして負けたくない。死んでも負けたくない。死んだとしても負けたと認めない。死が確定しても死ぬまで戦う。

 

 デスナイトを弱らせれば後続が倒しやすくなる。イヨが死んだとしても、その装備と身体を損耗させておけば、スクワイア・ゾンビとなったイヨの戦闘力は落ちる。だから死ぬまで戦って時間を稼ぐ。

 

 イヨの身体から痛みが身体から失せていく。限界が近い。

 

 イヨ・シノンは今をもってしても死にたくない。生きていたい。だが死ぬ覚悟ならある。

 

 ──切り札は最後にとっておくものだ。

 

 少年の動きが変わった。

 両腕は連撃の動きをやめ、脚は前方に溶け落ちるが如く間合いを詰める。

 

 それは打撃格闘技の、立ち技の動きではない。

 デスナイトの対応が瞬時遅れる。例えアンデッドに心理的なフェイントや痛みによる錯誤はあり得ずとも、判断のミスはあり得る。攻防の偏りも同じだ。それは相対のやり取りである戦闘を専門とする戦士であるからだ。

 

 デスナイトは高度の知能故に学習し、対応していた。その学習と対応を逆手にとって、最大の攻撃を決める。

 

 イヨが空手を基礎とした技術で戦うのはそれが最も心技体と魂に刻み込まれた、高度かつ安定した『自身』の戦い方だと判断、信頼していたからだ。それしか出来ぬからではない。

 イヨはマスター・オブ・マーシャルアーツ。素手の武術であるならば文字通りマスターしている。ユグドラシルというゲームがイヨ・シノンに授けてくれた戦う力。

 

 三十レベルで新たに習得した一日の使用回数に制限がある大ダメージ技──その投げ技を確実に決める為に、戦闘開始から今に至るまで投げ技を一切使わなかったのだ。

 

 釣り手である左手は、破壊され露出したデスナイトの骨盤に纏わりつかせて引っ掛ける。前回の四肢切断時とは違い、肘から先が二十センチほど残っているのだ。だからこう言う風に使える。引き手でタワーシールドを持った左腕、その手首を取る、取った。

 

 このスキルは基本威力が高いうえ、相手が巨大であるほど、重いほど成功率が低くなり反面最終的に与えるダメージが増す。デスナイトはバランスのとれた丁度いいサイズであった。

 

 低い身長と、小さな体に纏った超重量の防具。低い重心と低い体勢は、より投げ技を凌ぎ難くする。身長二メートル三十センチのデスナイトがイヨより重心を低くすることは至難。

 

 策は、努力は、献身は、覚悟は実を結んだ。

 

「ぅ──るぁあ──!」

 

 投げ技は安全に配慮した場所で安全に怪我無く試合をするルールが定められ、双方がそれを守る事で無傷が一応保証される。が、害する気しかない、安全など一毛たりとも配慮しない殺し技としての投げはほぼ必殺である。

 

 使うのは握力筋力捻転力回転力遠心力重力気力精神力体力。此処までは打撃技や関節技と同じ──投げ技には更に、相手の力と体重が威力に加わる。

 

 フェイントによって相手の動作を誘導し、抗おうとする力をそっくり頂いて利用。相手の頭頂から地面までという長大な距離を用いて加速し、地上最大最重量武器である地面に叩き付ける。それが投げ技だ。

 

 デスナイトはこの時、一瞬警戒したのだ。イヨが起こした一瞬の押しの挙動に。そして、先の踏み付けられた状況の再現に。後方の地面に押し倒されまいと言う警戒は、押す相手の力に抗う前方への力として成され──利用される。

 

 もう止まらない。そしてマスター・オブ・マーシャルアーツ四レベルで取得する大ダメージ技が完成する──刹那。

 

 フランベルジュの切っ先がイヨの腹部を貫通した。

 

 

 

 

 ──知ってたよ。

 

 貫通したフランベルジュの波打つ刃は損壊した【アーマー・オブ・ウォーモンガー】の隙間から侵入し、腹筋と臓物を千切り裂いて先端が僅かに背中側に抜け出ていた。

 

 元よりフランベルジュの刃は相手の傷口を広げる為に波打たせている。自身の失敗を悟ったデスナイトは咄嗟に抵抗を放棄し、むしろ相手の投げの動作に乗るが如く前方に身を乗り出し、刹那の隙を突いてイヨの腹部側から背中に抜ける刺突を成功させていた。

 

 まさに一瞬の神業。死中に活を見出す武人の冴えと言えた。

 

 ──お前だったら、この世界において天下無双の強さを誇る三十五レベルのモンスターだったら、それが出来るって事は知ってたよ。

 

 何も失敗は無かった。デスナイトは出来る事を完全に成した。何も見誤っていなかった。

 ただ──デスナイトがそれを成し遂げるであろう事をイヨは予想していた。

 

 【アーマー・オブ・ウォーモンガー】の重装鎧形態はデスナイトの剛剣をもってしても一撃では壊せない。何発何十発──何百発もの度重なる攻撃によって漸く装甲を破壊することが出来る。

 

 その破壊された装甲の隙間を狙われるだなんて当たり前の事、イヨは当然分かっていた。だから覚悟済みのその瞬間に、一瞬、ほんの少し身を捻ったのだ。

 

 露出した腹部に剣を突きさすなら、絶対に狙いはあそこだ。其処だけ外せれば、大丈夫だと。

 

 ──脊椎は守った。まだ繋がっている。

 

 脊髄を切り離される事による神経伝達機能の完全途絶。イヨが人間である以上、これをやられると練技もクソも無く動けなくなる。

 内臓と筋肉を犠牲に、損傷部位以下の全機能の喪失は回避した。

 

 ──ならば動く。どれだけ重傷だろうと動いて見せる。

 

 役目を終えた【アーマー・オブ・ウォーモンガー】が変形する──防御特化の重装鎧形態から、攻撃特化の軽装鎧形態へと。

 

 その外見はただひたすらに無骨だった重装鎧形態とは違い、如何にも漫画的でゲーム的で煌びやかでカッコよくて尖がったものだった。アニメキャラクターが身に着けていそうな、実用性に疑問符しか付かないお洒落鎧だ。

 

 この形態は攻撃力が上昇するが、デメリットとして防御力が著しく下がる。だから普段使わない。三段変形する鎧というアイデアに魅せられて作り始めたはいいが、重装形態を実現するためのレア金属とレアクリスタルの厳選が終了した時点で心が折れ、残りの二形態を余ったクリスタルの流用で作ったからである。

 

 エンジョイ勢だったイヨとその仲間たちは果てしなく続く厳選作業に飽きてそれで満足した。その結果、お洒落着こと軽装鎧形態と平凡そのものの衣服形態、ガチ性能の重装鎧形態の三段変形鎧、【アーマー・オブ・ウォーモンガー】が完成した。

 

 もう後は無いのだから攻撃に耐える必要も無い。今はほんの僅かでも攻撃力が欲しい。

 

 全身に力を籠め、腹筋を固める。今度こそ完成したのは前代未聞の技──両腕と腹に刺さった剣の三点投げ。頭から大地に突き落とす殺人技。

 

 その名も──【傾天・荒落とし】。

 

 公都北東の元スラムにて、局所的な地震が観測された。

 

 

 

 土煙の中。

 技を終えたイヨ・シノンは地に両膝を付き、項垂れていた。腹に刺さったフランベルジュは投げられたデスナイトが手放さなかった為、引き抜かれている。

 既に痛みは無い。感覚もほとんど無い。

 

 練技の効果がまだ続いているお陰で生きてはいるが──ついに命が尽きるのだ。後十秒足らずで練技の効果時間が終わる。

 

 ──HP……三割強……いや、四割弱は削ったかな。

 

 眼前で、抉れた地面に頭から突き刺さったデスナイトは、体勢を回復しつつある。目の前で敵が動いていると言うのに、指一本動かす事が出来ない。

 

 むしろ良く此処まで持ったと思う。出来る事は全てやった。やり切った。最後まで奮戦した。最期まで戦えなかった事は心残りだが。

 

 イヨ・シノンは全身を破壊しつくされていた。常識で考えて、死んでいないのが不自然とすら思える程。防具も大概ボロボロだ。スクワイア・ゾンビになっても戦闘力は低くなるだろう。

 

 願わくば誰かを殺す前に討ち取られたい。イヨはそう思った。

 

 眼前に巨大な影が立ちはだかりつつある。デスナイトだ。イヨには最早姿を捉えることが出来ず、光の明暗によってシルエットが認識できる程度である。

 

 その動きは妙に歪で、鈍い。首や背骨といったフレームに重大な損壊を受けたため、全体の動きが不和を得ているのだろう。それでも動けるのだからアンデッドは反則だ。

 デスナイトの戦力も相応に下がっている。武装もある程度損耗した。仲間たちならば倒せる筈。倒せるとイヨは信じている。

 

 イヨは既に何も感じない。五感もほぼ失せた。振動も空気の流れも分からない。ただ、ついにフランベルジュを振り上げたデスナイトの姿を、像を結んでいない目で睨め付けていた。

 

 

 だから背後に迫ったその姿を。デスナイトはイヨに対して剣を構えた訳ではない事を、少年は分からなかったのである。

 

 

「おおおおぉぉおぁ!」

「オァアアアアアァアァァアア!」

 

 走り寄った巨体の生者の剛打を、巨体の不死者が盾で受け止めた。

 

 その力は、その巨体は両者拮抗している。

 

 その人物は装備も背格好もデスナイトと似通っていた。全身甲冑でタワーシールドを持ち、身長は二メートルを遥かに超え、身体は異常に分厚い。武器だけが刀剣ではなく打撃武器であり、文字通りオーガ並みの筋力が無ければ持ち上げる事も出来ないと言われる巨大なメイス、オーガモールを持っている。

 

 そんな人物は公都広しといえどただ一人しかいない。

 

 かつて『彼が最初から冒険者の道を選んでさえいたら、公国のアダマンタイト不在の歴史はもう終わっていただろう』と語られた人物。曰く、中年の星。曰く、一人城壁。曰く、鉄人。

 

 公国最大最硬の冒険者の名を欲しいままにする男。身長二メートル二十六センチ体重二百六キログラム、ガルデンバルド・デイル・リブドラッド──。

 

「──っ、速く、イヨを癒せ! 死ぬぞ!」

 

 死人の様に動かないイヨを抱えて下がるのは、漆黒の斥候リウル・ブラム。そして彼女が向かった位置には、水神の聖印が刻み込まれた輝く盾を構えた女性──【戦狼の群れ】に所属する女神官、イバルリィ・ナーティッサの姿があった。

 

 そして、空を舞う禿頭の魔法詠唱者も。

 

「〈バインド・オペレーション〉! ──クソ、化け物め! 指輪の助力を得た儂の魔法に抵抗しおった! リウル、イバルリィ! 効果は十秒も持たんぞ、急げ!」

 

 今一度、激しい戦闘音が響き始めた。

 

「イヨ、聞こえるか!? 良く持たせた、良く戦った! お前を絶対死なせはしねぇぞ!」

 

 距離を取ったリウルはイヨにありったけのポーションをぶちまけ始める。液体はすぐさま吸収され回復効果を発揮するが、全身に刻まれたダメージが深すぎて、多少回復してもすぐさま状態が悪化してしまう。

 

 腹に空いた穴、失った腕、折れた骨──特に大きい傷だけ見てもポーションが複数本必要な大怪我なのに、それらが全身に幾重にも重なっているのだ。少し治癒して血の気が戻ると、残った傷口から戻った血が流れ出てしまう。

 

 それでもリウルはイヨにポーションを次々掛ける。焼け石に水であっても、イバルリィが詠唱する治癒魔法が完成するまで時間を稼ぐために。

 

 少年の奮戦は実った。仲間たちは間に合い──そしてこれから、公都史上最大の戦いは終幕に向かい、加速する。

 




エンハンサー周りの細かい描写も微妙に捏造だらけだったりするんです。外見がどの程度変化するかどうかとか、はっきり分からなかったので。

デスナイトさんは強い。三十五レベルで防御は四十レベル相当。強いのです。

次回、決着。

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