「こ」
篠田伊代は常、誠心誠意真面目に真剣に殴り蹴り、殺してきた。ポイントを取り合う様に骨を折り折られ内臓を破裂させ破裂させられ、最後には勝ち名乗りを受けるように屍に目線をやっていた。
意思を定めたのが何時かと言えば、多分リードルット親子を襲うゴブリンを目にした時だ。やめろと叫んだあの瞬間無意識的に、本能が決めたのだ。そしてリーベ村を襲ったゴブリン部族を壊滅させたあの時に頭で割り切った。
本来訪れる筈のない実戦証明の時は不意に訪れ、少年は自分が戦える人間だと知った。
今この公都の裏路地での疾走は、イヨにとって初めての体験だった。死ね、死んでくれと願って祈って殺さなければと焦る様に殺しに行くのだ。
三十レベルの前衛たる彼の五体に宿った敏捷力と筋力は軽量の身体を二歩でトップスピードまで加速してくれるが、極限の集中によって成る認識速度の前ではもどかしいほど遅く感じた。
段階を飛ばし一息に最高潮の躍動を行う身体とは裏腹に、脳裏に響き渡るのは恐怖を色濃く宿した警鐘。自分がこれから数秒で成す一挙手一投足が万単位の人命を左右するという重圧。
普段戦うとき、イヨの脳内からは言語が消える。まだるっこしく遠回りな言葉も文字も消え、光の瞬きや色彩の濃淡にも似た、閃き染みた思考、感覚だけが残る。
──デスナイト。デスナイト、デスナイト! 駄目だ、それは駄目だ!
その色彩が、閃きが叫んでいた。あれは駄目だ、と。
──何人死ぬ!? 此処で止められなかったら何人──何千何万人死ぬ、死んでしまう、殺される!
三十五レベルのアンデッドモンスター、デスナイト。痛みと疲労を感じず破壊されるまで全力で動き続けることが可能な生者を憎悪する不死者。殺した者をアンデッドに変える能力を持つ、難度にして百五の化け物。
公都三十万の人口の内、圧倒的大多数は戦う力を持たない一般人。レベルにして一前後。デスナイトどころかスクワイヤ・ゾンビ【動死体の従者】やただのゾンビですら致命的脅威だ。
フード付きロングマントで全身を覆い隠した人物。イヨの狙いはそいつだった。デスナイトは攻撃を完全に引き付ける特殊能力を持つが、この狭い道の中、互いの位置関係からすればそれは不可能に近い。
ゲーム内では攻撃を完全に引き付ける特殊能力を持つが現実ではどうだか分からない。
だが、今までの自身を鑑みるに、ほぼ必ずゲームでの能力通りにブロックしてくるだろう。つまり未だ棒立ちで手を伸ばした体勢から動けていない手前の人物を殴ろうとすれば、庇うデスナイトを確実に殴れる。
万に一つの幸運が起こりデスナイトが庇えないのなら、手前の人物の眼に二本貫き手を差し込み、【爆裂撃】で内側から頭部を爆散させて即死させる。デスナイトに虐殺命令を下す様な輩は生かしておけぬ。
デスナイトだけでもイヨの勝算は低い。四十レベル相当の防御能力を三十レベルのイヨが貫くのは至難だ。だが逃げられない、逃げる訳には行かなかった。
「ろ」
イヨは二歩目を踏み締め、上段貫き手の挙動を起こす。ゲーム内では喉を切り裂こうが心臓を串刺しにしようがクリティカル扱いでダメージが大幅増加するだけだが、頭部の半分も吹き飛ばせば高等生物の殆どは即死だろう。
直立静止状態から数瞬で十メートルを駆ける脚力と普通人の限界を超えた技量の両立は、彼我の距離を一瞬で食い潰す。
「せ──ぇ!?」
咄嗟に背を反らして避けようとする人物。体捌きは素人同然だが速度そのものは恐ろしく速い。明らかに通常人類の限界を超えた動きだ。
だが当たる。身体能力の割に戦士系の心得が無いのか、荒事に慣れていないのか、その両方か。そもそもの動き出しが遅過ぎたのだ。もう間に合わん。
碌に動けていないテロリスト。両側の壁を削りながら剣を振り上げるデスナイト。其処までは良かった。──このまま一人獲れるかと思ったその刹那。
イヨの指先が肉体を捉える事は無かった。敵が衣服ごと濃い霧と化し、避けられないままに攻撃を無効化したからだった。
渾身の攻撃を外したイヨに次の瞬間襲い掛かってくるのは──
「──ォオ!」
五体で壁を破砕しながら振り下ろされる、デスナイトの唐竹割りであった。
●
霧はまるでガス状生物の如く空気の流れを無視した動きで移動し、デスナイトを盾とする立ち位置、つまり背後で実体化。元の人型に戻った。
「──たかが人間の癖に!」
生意気にも不意打ちを、と続けるフード付きロングマントで姿を隠した不審人物──いや、もっと良い形容の仕方がある。不審人物は──テロリストはフードを下ろし面貌を晒してたのだ。
彼女は美しかった。明らかに人の領域を超えて、恐ろしいほどの魔性の美を宿して輝いていた。
宵闇よりも尚濃く暗い、全てを呑み込むかの如き漆黒の長髪。肌は色白というより蒼白で、すぐ下の血管が透けて見えそうな程に薄く肌理が細かい。男性のみならず女性すらも魅了しかねない起伏豊かな肢体は、十五歳ほどの外見年齢にも関わらず女性美の極域に届かんとしていた。
彼女に一瞬視線を投げ掛けて貰えるのなら地に這い蹲る。意外なほど低い少年的でさえあるその声音で己が名を呼んで貰えるなら親でも切り捨てる。その身体をこの腕で抱きしめる為なら命を捨てても構わない。
そういった狂気的な報身に人を誘いかねない程、彼女は女として未完成のまま完成していた。
──凶器としての用途にさえ耐えそうな長い犬歯も。血に濡れた紅玉としか表現し得ぬ紅い瞳も。彼女に魅入られた者たちには些細な、問題にすらならない単なる特徴──否、より美しさを際立たせる長所にしか映らぬのだろう。
此処まで特徴的な外見を持つ彼女の種族は明らかだった。それは、長きに渡り無数の創作物の中で描かれ続けた最も有名な怪物──
「不死不滅の血族である私に、必滅者たる人間如きが──」
──吸血鬼。ユグドラシル広く知られる化け物然とした姿でこそ無かったが、間違いなくそうだ。
不快感の滲み出る表情で抑えた怒声を漏らし、女吸血鬼はデスナイトと素手で格闘しているいけ好かない少女を睨み付けた。吸血鬼の基礎能、視線に依る魅了の力でシモベとする為だ。
「偉大なる父の子たる我が下に平伏しなさい!」
自身が絶対的上位者である事を疑わぬ、力の込められた咆哮。女吸血鬼の持つ美貌と魅了の力が合わされば、殆どの生命体は雌雄の区別なく魅了状態に陥る筈であった。しかし、
「──おお!」
白金の三つ編みをした少女は微塵にも揺るがない。激闘の最中に確りと視線を合わせたというのに、ただの一瞬も精神を揺さぶる事はできなかった。
余程強靭な精神を有しているのか、強力な精神防御系マジックアイテムを装備しているのか。恐らくその両方であろう。
「何処までも生意気な……!」
容姿と反比例した雄々しい戦振り。自身の容姿と魅了の力を物ともしない揺るぎ無き有様。澄み渡った眼が向けてくる敵対的な視線。『優しい家族に愛されて幸せに育ちました』と言わんばかりの目付き、面付き、雰囲気。全てが女吸血鬼の癇に障った。
個としても群としても弱者でしかない人間の、しかも年齢で言えば成体ですらないだろう雌餓鬼如きが自分を敵として──抗えぬ絶対者としてでは無く、ただ単なる脅威、打ち倒すべき一体のモンスターとして見ているのだ。
これが腹立たしくなくて何だと言うのか。
痛め付け、鎖で縛り、踏み付けにして、ありとあらゆる種類の苦痛と凌辱を与え──最後には吸い殺して下僕にし、飽きたら再度殺す。それ位の罰を与えなければ気が済まないほどの苛立ちが、地獄の業火の如く彼女の心の底で揺らめいていた。
──屑みたいな人間が。弱い癖に、弱い癖に、弱い癖に。強者に虐げられるしか取り柄の無い弱者の癖に!
先の苛立ちを解消する為に、女吸血鬼は脳内で思い描いた『罰』を与えるべく、少女に向けて一歩踏み出した。幸いにして相手はデスナイトと同等以下程度の力量のようだ。
攻撃能力という面において、彼女はデスナイトに近い力を持つ。自分が加われば容易に倒せるだろう。陽光は女の肌を焼き、力を鈍らせているが、燃え滾る怒りの前では些細な問題だった。
二歩目を踏み出し、三歩目からは疾走となる筈だった。
女吸血鬼の歩みを止めたのは彼女自身の自制心では無く、『父』に言い付けられた言葉を思い出したからであった。
──一人の時には絶対に無茶をしてはいけない。デスナイトに命令を与えたら、君は直ぐに此処まで戻ってくるんだ。
『父』の命令には従わなければならない。しかし、眼前の少女は許し難い。少女は数瞬悩んだが、
──以前の法国の一件で学んだはずだよ。人間のような取るに足らない生き物でさえ、中には強い者もいるんだ。君や私が傷ついたのは油断と驕り故。また徒に目立つ真似は控えるべきだ。
──デスナイトはこういう仕事にはうってつけのアンデッドだから、こいつに任せればいい。我々が表に出る必要はない。傷が癒えるまでは特にね。だから、約束だよ。デスナイトを召喚し命令を与えたら、まずは戻ってくる事。警戒に値する者と遭遇した場合も同じだよ。
女吸血は歯を噛み締め苛立ちも露わな足取りで踵を返した。そして身体を端から霧に変じながら、
「デスナイト! 命令通りより多くの生きとし生けるものを殺しなさい! 死者の群れでこの都市を死の都に変えるのよ! 邪魔する者を──」
吸血鬼は憎悪を込めて、可憐な戦乙女を睨み付けた。
「──一人残さず殺しなさい!」
大声で叫んで、彼女は全身を霧と化し、宙を駆けていった。
●
霧が宙を走り去ってゆく。
それを合図に戦闘は加速した。明確に一対一、お互いに全力を傾注する状況が整ったのだ。背後の主人を庇う必要も、首謀者の不意打ちに神経を割く必要もなくなったのだ。
イヨの【アーマー・オブ・ウォーモンガー】が重装化し、全身を覆う。デスナイトの虚ろな眼窩に灯る鬼火が勢いを増す。
当然だが会話はない。片やアンデッド、片や生者。人間とモンスターよりもっとずっと会話が成立しない。極々一部の例外を除いてまともな意思疎通すら成立しない両者は、存在の根本からして対立しているのだ。
二十五レベル相当の攻撃能力を持つデスナイトの斬撃は、この世界の力量水準にあっては超一流のものに他ならない。金属鎧ごと人体を両断するのも容易い巧緻極まる剛剣だ。
攻撃を完全に捨てて防御に専念するだけでも、腕利きの白金かミスリル級。対等に戦おうと思うなら最低でもオリハルコンかアダマンタイト級相当の実力が要求されるだろう。
その事実は、この世界で生きる人類の殆どは反応すら出来ず切り殺されるしかないと云う現実を表している。公国の警備兵や王国の兵士はもとより、精強で知られる帝国騎士ですら到底歯が立たない。
デスナイトと刃を交えて生き残る事が叶うのは国家に名だたる強者たちのみだ。殺す事の出来る者となると、表の世界では五指に満たないだろう。
死の騎士は強過ぎた。特殊能力も含め、単騎で小国を滅ぼし得る戦力であるとの評価は全く大げさではない。
なればこそ。
公都の、否、公国の民は感謝すべきである。偶然に感謝するべきである。
最低でも数千数万が死に、一国の首都が不死者蔓延る死都と化す。その最初期段階に『人類の殆ど』に当て嵌まらない例外的存在が居合わせた偶然に──
「おおおぉおっ……!」
「オオォオオオー!」
場所は奥まった細い路地だ。常識外の巨体で巨大な獲物を振るうデスナイトが不利で、小柄かつ徒手空拳のイヨは有利──というのはあくまで常識の範囲のお話。
紙ぺら一枚で作られた壁は障害物足りえるだろうか。否である。
廃屋の老朽化した壁など、デスナイトやイヨにしてみれば壊そうと思えば幾らでも壊せる物でしかなく、視界視線こそ遮れども動きを制限する要素には到底ならない。
死の騎士は盾を前に押し出しつつフランベルジュを振るう。一挙手一投足毎に刀身が、盾が、五体が建造物を瓦礫に変じていく。この光景を目撃した者にデスナイトは防御に秀でたアンデッドで攻撃は得手ではないと言えば目を疑うだろう。基準が狂っているとしか思えない筈だ。
八十センチ近い身長差。無手とフランベルジュという獲物の差。それは圧倒的なリーチの差として現れる。『相手の攻撃が届かない距離からぶん殴れる』と云う戦士的に天国な状況。
死臭と共に撒き散らされる致死の剛剣、その雨嵐。常人なら既に百回は死んでいる。剣音は鳴り止まずただただ連続する──連続し、終わらないのは対象が生きているからに他ならない。
一方的な猛攻。ただ、忘れてはいけない。デスナイトの攻撃能力が二十五レベル相当ならば、イヨの回避及び防御能力は三十レベル相当である事を。
死の剣境の内に身を置き、少年は攻め込んでいた。手は届かない。しかし攻撃を捌き避け空かし、一心に前進する。普段柔らかな笑みを湛える顔貌に浮かぶは決意の色。例え死んでもこの場で殺すという決死の思い。
それはまるで、荒れ狂う濁流を切り裂いて前進する一筋の細やかな清流のよう。
間合いの内側まで分け入ってしまえば、そこから先は拳の領分。約八十センチ身長差、素手とフランベルジュというリーチの差。それは圧倒的な取り回しの差となって結実する。片手で振るう大剣が、至近距離で躍動する五体に勝る道理はない。
「──っ」
目と鼻の先。スとシの中間めいた短く鋭い呼気と共に繰り出されるのは裂帛の拳。
基本中の基本である上肢と下肢の合一からなるその威力はありとあらゆる全力を束ねたモノ。握力筋力捻転力回転力遠心力重力気力精神力体力、持ち得る総力の結集。
強風を纏って叩き込まれた拳は轟音と共にタワーシールドに止められる。無論一発では終わらない。拳を引き戻す動作と連動して連撃を放つ。一発ごとに相手を圧迫するかの如く踏み込んでいく。
当然デスナイトもただ迫られ殴られている訳ではない。盾を前面に出しつつ剣の牽制を用いて有利な間合いを得ようと距離を開けんとする。
より近い間合いで戦いたいイヨ。より遠い間合いで戦いたいデスナイト。両者の思惑は駆け引きとなって戦闘の密度を上げていく。相互の攻撃と防御だけに絞っても秒ごとに数十は交わされる濃度の高い戦闘。
イヨが攻勢でデスナイトが守勢。この戦いを見守る第三者がいたなら、より手数が多く、より多く相手を叩き前進していく少年のほうが優勢だと思ったかもしれない。しかし実情は違った。
──くそ、堅い!
イヨは心中で毒づいた。デスナイトの守りは矢張り堅いのだ。その上物理的に鎧も盾も硬い。
交戦開始から数十秒の間に、もう幾度も渾身の一撃を叩きこんでいる。其の内一つとして有効打になっていない。殆どは盾で何事もなく受け止められ、僅かに体を捉えた一撃も鎧の装甲を抜けていない。
ゲーム的に言うなら、数千のHPを誇る相手に一か二程度のダメージしか与えていないだろう。不意の遭遇戦であるために【レッグ・オブ・ハードラック】と【ハンズ・オブ・ハードシップ】を装備していないのが痛過ぎる。
一旦撤退してでも装備品類を見直したい所だったが──十中八九それは駄目だ。不利を承知で積極的に攻勢を続け、敵を自分の下に押し止めなければならない、とイヨは判断していた。
四十レベル相当の防御能力──ただ硬いと言うだけではなく、純粋な防御技術の高さ、防戦の巧みさ。本能のままに襲い掛かる低位アンデッドとは一線を画する高度な戦闘技術。戦術眼。
眼窩に宿る赤光は憎悪の塊で、荒々しく殺意と暴力に塗れた太刀筋。しかし、根底には確固とした知性がある。
一方的に叩きつけられる攻撃を捌くのとは異なる相互に殴り合う戦闘。目まぐるしい相互のやり取りの中で、地力の違いが徐々に浮き彫りになっていく。
それは唐突に思えたが劇的では無く、当然の帰結が如く起こった。
イヨのその一手は、僅かに開き始めた間合いを詰める意味も含んだ後ろ回し蹴りだった。狙いは一応中段だったが、相互の体格差の為に足は高々と上がっていた。勿論油断は無かった。注意もしていた。技量気勢共に申し分無い一撃だった。
それがなんだと言わんばかりに上を行かれただけ。
デスナイトはその一撃を受け止めるのではなく、見極め、浚った。
斜めの軌道を描く足先に剣を握ったままの手を当てがい、加速させるように上方に導いたのだ。足に引っ張られたイヨの小さく軽い身体はいっそ笑えるほど宙に浮き──再び足が地に着く間までの数瞬、否応なく無防備であった。
繊細な技術。力強さ。刹那のタイミングを容易く手中に収め、有効活用するセンス。どれをとっても三十五レベルの前衛型、騎士の名を持つモンスターに相応しい腕前。
無防備の数瞬をそれほどの力量の持ち主が、生者を憎むアンデッドが、主より果たすべき主命を受けた騎士が見逃すはずは無く。
例えるならば大地が俎板、フランベルジュが包丁。イヨは粗挽き肉となるべき肉の塊であった。哀れな肉に出来た事は、急速な落下と衝突に備えて防御姿勢を取る事くらいだった。
「オオオァァァアアアアアア──!!」
聞く者の肌が粟立つ大咆哮と共に、幾度も幾度も大地が揺れ、金属音と血肉を引き潰す音が響き渡った。
●
闇を見通せぬ眼しか持たない種族では、身動きすらままならぬだろう暗黒に包まれた何処か。およそ尋常な生物の棲み処でない事は明白で、どうにも生ける者の生気や気力といった輝かしさからは遥か距離を置いた地所と思えてならない。
生き物の気配は微塵もないが、そうでない者の気配は一つだけあった。黒く硬質で粗削りな椅子にもたれる存在が一人。
呼吸音は無し。体温も無し。闇に苦慮する様子も無し。アンデッドと判断できるその何かは、青白い身体を貴族趣味的な衣服に身を包み、半ば闇と一体化しているかのように其処にあった。
後ろに撫で付けた白髪は酷薄な印象を醸し出し、高々とした鼻やこけた頬、細長く骨ばった指。全体的に痩せぎすな体格だが、身長だけは随分高い。『病弱かつ残酷な貴族の図』とでも銘打てば多くの人が成る程と頷きそうな背格好だった。
正常な時間感覚の失せるその空間でどれ程の時が経っただろうか。十分よりは長いだろうし、一日よりは短いだろう。それくらい大雑把な捉え方をしないと狂ってしまいそうなほど、行き過ぎて静謐な空間、其処にいる男だった。
「──ただいま、お父さん」
「ああ、おかえり」
なればこそ、響き渡ったその声と新たな存在の放つ気配は、冷たく空虚な宇宙に太陽が出現したかのような変革を感じさせた。
常識を超えて美しい少女は矢張りアンデッドだった。父と呼ばれた男と同じで、しかし全く違う。父なる男が百年を超える月日を歩んだ古物であるならば、この少女は成り立ての新品。だからではないだろうが、いっそ人間的なほどの感情──怒りの波濤を全身から放っていた。
アンデッドであるのに生気すら──あくまで性格的精神的な話だが──漂うほど、ある種生き生きしていると言えなくもない。
少女が闇の中に沈んでいたランタンに火をつけると──まだ人間だった頃の習慣が抜け切っていないのだ──暗黒から薄暗い位にはなった。
貧弱な炎に照らされた室内は地面に直接穴を掘った様な地下室未満の代物だった。広く乾いた空間だが、男が座る椅子以外には調度品の類も見当たらない。
男の座る椅子は光源に背を向ける様に配置され、娘は巨大な椅子の背もたれに隠れて姿の見えない父に対し畏まった。
「首尾はどうだったかね、愛しい我が娘よ」
「ごめんなさいお父さん──デスナイトの召喚自体は出来たわ。でも、それと同時に横槍が入ったの」
項垂れて報告する娘の姿に、父たる男は眉を僅かに跳ね上げて問いを投げた。
「詳しく話を」
少女は自分の体験を言葉で語った。
父から授かったアイテムを用いてデスナイトを召喚した事。現れたデスナイトに出来る限り多くの死を振りまくよう命令を与えた事。ちょうど居合わせた小娘を殺すよう命令を下そうとしたら、その前に攻撃を仕掛けられた事。魅了しようとしたが出来ず、その小娘はデスナイトと戦闘が出来る程度の戦闘力を持っていた事。
小娘の生意気な目付きが気に食わず憎くて憎くて溜まらなかったが、父の命令を忠実に守って、此処まで直ぐに戻ってきた事。
「……こんな感じ。私は何か間違った事をしたかしら、お父さん」
「……ふむ」
一言そう言ったきり、父は押し黙る。
長い沈黙では無かったが、少女は不安になった。父は怒っているのだろうか。こんな事も上手くこなせないのか、なんと間が悪いのだ要領が悪いのだと呆れているだろうか。少女は自らの身を包むロングマントをぎゅうと握り、不安に身を焦がしながら父の言葉を待った。
やがて沈黙に耐えられなくなり、少女は悔いる様に、
「……やっぱり、殺しておくべきだったかしら。あの女。デスナイトとようやく互角くらいの腕だったと思うもの、私が加勢すれば直ぐに殺せたと思う……」
他者と遭遇した場合直ぐに全てに優先して逃げ帰ってこいと命じたのは他でもない父である。少女にとって父の言葉は絶対だった。暗く沈むばかりだった人としての生から自分を救い出し、吸血鬼としての強大な力を与え、強者として弱者を支配する在り方を教えてくれた偉大な父。
父の言う事は絶対。其処に疑いは無いが、少女は父と隣り合う存在になりたいと願っていた。父の言葉をただ鵜呑みにするのではなく、状況によって一人でも適切な行動ができる様になりたかった。
ただ言うことを聞くだけなら低級のアンデッドだって出来るのだから、父の言いなりであるだけで無く、陰に日向に父を支えられる存在でありたい。
──そうあってこそ、真に父の為となれる。だって私は父の娘であるだけではなく、この人の──
「……いや、間違っていない。私の言った通りすぐに戻ってきて正解だ。良くやったね、フローラ」
いつも通りに平静な父の声。少女の病的に青白い顔が目に見えて明るくなった。だが、続く言葉でまた凍る。
今度の父の声は、娘である彼女すら消滅の恐怖を感じるほどの激情を孕んでいた。 ひぃ、と椅子に隠れた姿も見えない父の怒りに声が出そうになる。
「死の騎士と渡り合えるほどの戦士がそういる筈も、都合良く居合わせる筈も無い──法国のクソ共め、未だ付き纏うか。どう察知したか知らないが、連中の手は思ったよりも長いようだね。こんな田舎にまで手の者がいるとは」
●
人間は弱い。
種族としての肉体的な能力で大きく他種族に劣り、その割に特別成長が早い訳でも知能が高い訳でも繁殖力に優れる訳でもなく、恵みある森林や環境の厳しさ故に競争相手の少ない極地で生きて行けず、弱きが故に隠れ住む場所もない平原を棲み処とするしかなかった。
男の様な自然発生の高位アンデッド──存在の発生当初から他者と隔絶した力量を持ち、長い年月を過ごす内、学習によって更なる高みに達した者からすれば、比べ物にならない程下等な存在である。吸血による血液の摂取や眷属化以外に玩具程度の利用価値しか持たないと言ってよい。
奇跡の様な幸運の連続でたまたま絶滅していない、そんな種族。なにせ六大神が降臨したり八欲王が跳梁跋扈したりした結果生き延びたのだから、これは本当に奇跡である。
大陸中央を始めとする有力な種族の支配地域でも人間の姿は見かけるが、概ね奴隷か餌としてだ。その周辺で野生の人間と言えばごく小規模な集団を作って、大した文化文明も持てず育めず細々と生きながらえているのみである。勿論ビーストマンやトロールが狩りに捕獲にと現れれば、そんな生活も呆気なく終わりとなる。
胃袋の中にお引っ越しである。運が良ければ柵の中か、焼き印や首輪を貰って奴隷として生き延びる事ができる。
人間が有力な他種族と同等程度の規模の群れを保持して独自の文明を築けているのは、広い大陸の中でごく一部分に過ぎない。少なくとも男が知る限り、人間が此処まで大規模な集団、国家を成している地域は他にない。
『餌に過ぎない人間風情がどんな国を作り、どんな風に暮らしているのか見てみようではないか』
百年の長きに渡り大陸中央を遊び歩いていた高位吸血鬼の、それは思い付きのお遊びだった。
『生育する環境が違えば悲鳴の声音や血の味も違うだろう』──それを楽しもう。それ位の考え。
旅行に出たようなモノである。男は随分と諸国を遊び歩き、沢山の生ある者を殺し、血を啜った。その途中、フローラという得難き同族も得た。これぞ奇跡、これこそ運命と、男はそれ以来この愛すべき同族を連れ歩き、高貴なる吸血鬼としての在り方を教えてきた。
醜い凡百の同族下位種などとは一線を画す、強く美しく誇りある在り方だ。
人生の──フローラは兎も角男は存在の当初からアンデッドだが──の絶頂期と言えた。
──人間に追い立てられる未来など想像もしていなかった。
人間は弱い。慢心でも油断でもなく、男にとって当然の事実として弱かったのだ。腕の一振りで数人纏めて殺せてしまう生き物などそれ以外に表現できないだろう。
兵士や騎士、冒険者と呼ばれる比較的強い者たちにしてもそれは同様で、やはり腕の一振りで数人纏めて殺せてしまう程度でしかない。オリハルコン級冒険者とやらと遊んだ時にほんの僅かな傷を負った位だ。最終的な感想としては幾分しぶとかったので長く遊べて楽しかったと言った所か。
そんな時に、連中は現れた。
『其処までだ、吸血鬼よ』
『あんたら、ちょっと調子に乗りすぎちゃったねー』
『ほうほう、これはこれは。驚いたな、人間風情がこれ程の高みに達しえるのか……いや、素晴らしい。君たちは賞賛に値するよ』
屈強という言葉を体現したような筋骨隆々の男、信念と自負を秘めて立ち塞がる。
何処か享楽と狂気を漂わせた美しい金髪の女、見下しの念も露わに嗤っていた。
漆黒聖典なる者共が最初に目の前に現れた時、男はむしろ喜んだ。漲る威風に強力かつ風変わりな装備、一目でそうと分かる──自分には及ばないものの、近い実力を持った人間。人の世で英雄と呼ばれる力量の持ち主。恐らく人類史を通しても稀有な最高戦力だろう。
虫けらを踏み躙るのにも飽いてきた処に、まともな戦いの出来そうな相手。強者を更なる暴力で捻じ伏せ地に這い蹲らせるのは、弱者を蹂躙するのとはまた違った喜びがあるというもの。自分の強大さを目に見える形でフローラに示すのに丁度良かった。
フローラを後ろに下げて二対一の戦闘。終始男が優勢で進んだ。地力で勝っている上、更に種族差が響く。
いくら強かろうと人間は所詮生き物である。戦闘が長引けば疲労は溜まり、呼吸は乱れやがて活力が底を付く。対するアンデッドは破壊されぬ限り全力全開で無限永久に動き続けることが出来、男は吸血鬼の特殊能力として高速治癒と生命力吸収を保有している。
男女二人の英雄も弱点である神聖属性や炎属性の武器を用い、負の属性に耐性を持った防具を纏うなど工夫をしてはいたが、短期決戦を逃し、実力差故に削り殺す事も出来なかった時点で趨勢は決まっていた。
『もう一度言おう。君たちは賞賛に値する。一つの種族の頂点に立つだろう者たちと比較しても、その力は決して劣るものではない。故に呪いたまえよ、それすら上回る我が力を!』
唯一フローラさえ敵の手に掛からぬよう気を配っていれば負けようもない。それ程に優位が固まったが為の勝利宣言。
勝負の時間は終わり、ただ愉しむ為の拷問が始まる。せめてもの手向けとして最後には眷属化させて手元に置いてやろう──そんな時に異常は起こった。
援軍が現れたのだ、二人と同等の実力を持つであろう者たちが複数人。
おかしいだろう、と思ったのを覚えている。
男が掛けた言葉は決して嘘や誇張ではない。自分自身には劣るものの、男女二人は一つの種族の頂点として君臨していてもおかしくない程の実力の持ち主。人間共が用いる難度という尺度で表すなら個々人が確実に百を超えている。
種族として人間より優れている亜人種の中でもこれ程の力量を誇る個体はそういない。何度も言う通り、王として種族を率いるか、揺るぎ無き強者としてかなり上の立場を得ているだろう。
種族的に劣る人間の基準で言えば無双という他無い者共の筈。人間でありながら人間を超えた存在。事実男が見てきた人間共の誰よりも強かった。成る程、英雄と呼ばれるのも頷ける。そう思わせるだけのものがあった。
こんなに数がいる筈が無いのだ。仮にいたとしても偶然都合よく一堂に集ったりするものか。
脆弱極まりない人間として生まれながらこれ程の高みに上り得るのは、普通に考えれば数百万か数千万に二、三人いれば上出来の筈。それはつまり、常識で考えれば一国に一人か二人程度という少なさだ。
それが当時、男の目の前に五人も集まった。英雄だけを集めた集団だとでも言うのか。
男は、負ける、勝てないという現実に直面したのは初めてだった。
一人一人と一対一ならば勝てると断言できる。二人でも気を付けてさえいればまず負けない。三人でも相性と状況次第で勝ち目はある。しかし、しかし五人もいては、守るべき者を抱えていては。奥の手を用いてすら──。
『足止めご苦労、先陣よ』
『自らを強者と驕る愚かなモンスターが……その傲慢がお前を殺すのだ』
駆け付けた援軍の内二名がそう言っていた。残りのもう一人は強力な治癒魔法で男女を癒していた。男はそれを見ているしか無かった、突っ込めば殺される。自分か背後のフローラか──高確率で両方がだ。
『さんっざん偉そうな口聞いてくれたじゃんー? ……舐めやがって。端から削る様に嬲り殺してやるよ』
傷の全てを癒された金髪の女が肉食獣の笑みに狂気を滲ませて言った。
男は歯噛みした。人間風情に追い込まれている自分自身に。
男は自分が圧倒的強者であると自負していたのだ。強力な種族が成す一国丸ごとを敵に回すか、竜王でも相手にしない限り敗北など在り得ないと思っていた。他者を蹂躙してきた百年の時間が、その認識を正しいものだと肯定していたのだ。
人間諸国を渡り歩くうち、英雄のみが集う部隊の存在など聞いた事は無かった。間違いなく人類最強の一団だろうに誰にも知られていないのは、秘されているからだろう。
何故人間等という弱者が未だ絶滅していないのか。六大神が去り八欲王が消えて数百年、未だ生き延びている理由──男は否応なく理解した。
目の前にある在り得ない筈の現実と、知識で知る史実。其処から推測される事実。これ程の者たちが複数人、この場にいる者で全員とすら思えない。不規則に遊び歩いていた自分たちを捕捉した手腕といい──背後には目の前にあるモノ以上に巨大で強大な組織がある。
表ならず歴史の裏に潜む強者の集団、それを束ねる者たち──人類の守護者たち。
──神々の時代以降、こいつらがありとあらゆる脅威から人を守ってきたのだ、と。
六色聖典が一つ漆黒聖典──後に知った彼らの名であった。
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「──……くっ」
身に刻まれた敗北と屈辱を記憶で想起し、現在の男は身を震わせた。
「お、お父さん……」
「……大丈夫だよフローラ。君が私の言いつけを忠実に守ってくれたお陰で、時間はまだある筈だ。ともあれそう余裕は無いだろう。一刻も早く此処を引き払おう。それと、一人で出歩くのはやはり駄目だ。今後はお互い単独行動をしないものとしようか」
たった一人しか敵が現れない処を鑑みるに、敵はおおまかな動向までしか掴めていないと男は見た。デスナイトが暴れてくれれば其方にも人員を割かねばならないので、逃げる事は出来るだろう。
男は敗戦以来、油断というモノを努めて排除した行動を心掛ける様になったのだ。
あの時逃げる為に使ったのもデスナイトだった。防御に優れ敵を引き付け、一撃では絶対に死なない。殿を任せるには最適のアンデッド。それを用いてさえ死に物狂いの逃避行だった。
男が数十年を費やして辿り着いた死霊系魔法の極みだ。本来の男の実力で作成・召喚できる位階を遥か超えた高みにあり、大量に集めた負のエネルギーを用いる技術によってようやく実用できる。が、あれ以来幾度か受けた追撃で長年溜め込んだ負のエネルギーも底を付きかけている。
人間の領域の中でも辺境と言って良いほどの田舎で強者が少ないとされる公国に来たのは身を隠す為と、大量の死をばら撒く事によって負のエネルギーを補充する為だった。万単位の生ある者を殺せば、当面不自由しないだけのエネルギーを確保できる筈だったのだが。
「この傷も癒せて尚余るだけのエネルギー……惜しいが、既に頓挫したに等しい計画に固執するのは愚かか」
椅子から立ち上がった男のシルエットは歪んでいた。力無く垂れる右袖は、男の右腕が欠損している事を表している。それだけではなく、右の肩や胸近くまでも無いようだった。
男の体を削ったのは何度目かの追撃に参加していた漆黒聖典の誰かだ。恐らくは聖戦士の職業に就く者。
タレントか、魔法か、スキルか、武技か、武器の効果か──あるいは複数の組み合わせか。既に死したるが故に不死の身であるアンデッド、その身体を支える負の生命力の上限そのものを削り取る一撃を身に受けた。
アンデッドは負のエネルギーによる攻撃を受ける事によって傷を癒せるが、この傷は癒せなかった。負の生命力の上限が削られているので、男の身体は現状、これで完治している状態なのだ。治すためには解呪に相当する未知の手段か力技──膨大で過大な負のエネルギーを注ぎ込む事で無理矢理に治すしかなかった。男は後者を選んだが、その道は断たれてしまった。
この身体では戦闘になった時フローラを庇えない。未だ男と比べて未熟な娘は、漆黒聖典の隊員一人とすら戦えないだろう。
大陸中央部に逃げない理由も同じだった。アンデッドは人間だけで無く生ある者全ての敵対者だ。あそこには男の百年分の悪行、遊び殺した歴史がある。万全な身なら兎も角、弱った状態で戻った事が知れたら悪縁のある者たちから討伐隊を差し向けられかねない。
男は、フローラを失う訳には行かないのだ。
「お父さん、準備が出来たわ」
「──ああ、すまない。手伝うつもりだったのだが、結局全てやらせてしまったね」
「ううん、気にしないで」
生体活動を行わず、飲食不要のアンデッドである。必要な物があったら全てその場で奪ってきたし、魔法詠唱者としての研究成果はすべて男の頭の中だ。研究に必要な道具等も多くは逃げる途中で散逸したのもあって、嗜好品として愛飲する葡萄酒以外に大した荷物もない。
椅子を除いた全ての荷物は、五体満足のフローラが抱えるトランク一つに収まった。マジックアイテムを始めとする装備品の類は常に身に着けているので、その上に陽光から身を守る為のフード付きロングマントを纏えば、一応昼間でも出歩ける恰好だ。街道を歩く様な優雅な姿とはほど遠い逃避になるだろうが。
「……お父さん、次は何処に行くの?」
「ふむ。取り合えずは一所に留まることなく、コツコツ地道に、少しずつ殺して負のエネルギーを集めようと思っている」
この男の言うコツコツや少しずつとは、数人から十数人単位の殺害を指す。男は残っている左腕で、後ろに撫で付けた白髪を整えた。
「アンデッドの秘密結社があると云う話も聞くし、話さえ付けば其処に身を寄せるのも悪くないかもしれないな。もしかしたらかの国堕とし殿の情報を知っているやもしれないしね」
国堕とし。一夜で一国を滅ぼしたとされる存在。伝説として語られる情報が真実ならば、男より強力な吸血鬼である可能性が高い。十三英雄なる者共に滅ぼされたとする伝承もあったが、男は未だ世に潜んでいる可能性も高いと個人的に思っていた。
人類の守り手に追われている自分たちがこうして長らえているのだから、国堕としとてそうだったのではないかと思うのだ。
例え一時苦境に晒されようと、強く貴き吸血鬼がそう簡単に終わってしまう筈が無い。男はそう信じていた。
「彼は──もしかしたら彼女かもしれないが──私より古く強力な吸血鬼であろうからね。是非とも語り合ってみたいものだ」
「……国堕とし様は、女の人なの?」
フローラの声音が僅かにトーンを下げた。男は少女の心情を敏感に察知し、優しく手を握る事で答える。
「かもしれない、と言うだけの話だよ、フローラ。我が愛しき同胞よ。心配せずとも、君に勝る女性など何処にもいないさ。私の心は君のものだ」
「……うん。そして、私の心はお父さんのもの。──あなたは私に全てをくれたもの」
緩く手を握り返す感覚に男は笑みを浮かべる。フードに隠れて見えない彼女の顔は、間違いなく笑顔だろうと確信が持てた。
「さあ行こう。我が娘にして我が花嫁、私をも超える貴く尊い吸血鬼の姫君──恐らく世界で唯一のヴァンパイア・プリンセスよ」
男にとって少女は奇跡の様な授かりもの。庇護すべき愛しい者。今はまだ外見相応に未熟で幼いが、永き研鑽の果てに自分を超えるだろうと確信していた。
遅れてしまい申し訳ありませんでした。デスナイトさんとイヨの死闘、開幕です。
原作で描写されてない場所ってどうしても気になるんです。竜王国とか聖王国とか法国とか自由都市同盟とか大陸中央を始めとする人間の支配域でない地域とか。
六色聖典さんや法国の上層部の方々は描写されていない所で日々こういう脅威を排除して人類を守っているんだろうなぁと思ってこの話を考えました。
吸血鬼の男とフローラは現地の存在としてはかなり強い設定です。あの広い世界の中にこういう存在もいるんじゃないかなと妄想してます。大陸のほかの地域がやっぱり気になります。