ナザリックへと消えた英雄のお話   作:柴田豊丸

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脅威

 認識できないモノは気付きようが無い。

 

 認識できないという事は、個人の認識で形作られる主観世界の中で、それが存在しないという事だからである。

 

 無い物は無い。だから無い。

 

 社会の中でも同じ事が言える。

 

 誰も気付かず、直接的にも間接的にも発覚していない出来事は、気付かれるまでは起きていないのと同じである。

 

 物事の訪れや発生が唐突に感じられるのは、その前段階を見ていないからだ。

 荷馬車に撥ねられた時。後頭部を殴打された時。家が焼けてしまった時。

 近付いてくる車輪の音に、背後から寄ってくる前後不覚の酔漢に、朝の火の不始末に。それぞれ気付いていれば、少なくとも『何の前触れも無く何故突然こんな事に』とは思わないであろう。

 

 人が気付いていなくても、事態発生までの間には様々な出来事が起きている。

 原因があり、過程があるから実際に事が起こるのだ。何もない所から突如湧き出る事件など滅多にない。

 

 例えば、三十万人が生活する首都のど真ん中でアンデッドが発生していたとしても。それが、強大なアンデッドの存在に影響されて起きた出来事だったとしても。どんなに『普通は有り得ない事』でも、それを実現しうる過程があった場合、実現するのである。

 

 ただ、誰も気付いていない以上事前の対処も警戒も一切されず、突然突如唐突に人々に降りかかるというだけで。

 

 何よりの証拠となるスケルトンの残骸が消えていたから。そのスケルトンを討伐し、上官に事態を報告しようとしていた警備兵も『失踪』していたから。

 

 宴会の帰りに一人で家路を歩き、一人でアンデッドを討伐し、一人で報告に駆けた将来有望な若者──レアルト・ムーア。不幸な事に、彼は道半ばからは誰にも見られていなかった。

 彼が『この騒ぎに、住人は誰も出てこないのか』と疑問を覚えた建物は既に無人で、居住者は彼が訪れる以前に全員殺されていたのだ。

 

 空き家となっている家屋に住み着いていた路上生活者六人が喉を掻き切られた惨殺死体で発見された事件。

 若手の警備員一名が行方知れずとなった事件。

 

 この二つの出来事は別件として認知され、特に前者が、平和な公都に生きる民草の心胆を寒からしめていた。

 

 『惨い事をする奴もいたものだ』『早く犯人が捕まると良いわね』『子供たちを遅くまで外に出していると危ないかもな』と、ただそんな風に囁かれていた。

 

 この時点で一般の人々が想像する犯人像は『凶悪な犯罪者』『気の触れた残虐な人物』『複数人の裏社会の住人』位であった。

 

 

 

 

 話は変わるが、イヨはペットが大好きである。

 

 犬が好きである。猫も好きである。ハムスターも好きである。ネズミはちょっとばっちいイメージだ。鳥はなんだか動きが機械的な気がして距離を感じてしまう。亀やトカゲは可愛いと思えるが、魚は目と目で通じ合えない感があって苦手だ。虫はゴキブリ等のイメージが強いので、どちらかと云えば嫌いな部類である。カブトムシやクワガタムシは強くて格好が良いので好きだ。実物は見た事が無いが。

 

 小学校に入ったばかりの頃、家でクマを飼いたいと願い出て両親を困らせた事がある。その時は代わりにテディベアを買って貰い、後に弟と妹に譲るまで大事に大事にしていた。

 

 イヨは犬が大好きだが、犬はイヨの事を好きではない場合が多い。どうにも下手に出ていると思われるらしく、格下として扱われ、吠えられる。

 可愛がりたいのだが、向こうが自分を好かないので出来ない。犬はイヨにとって、遠くから距離を取って愛でる生き物であった。

 

 その点、猫はイヨの友達である。

 舐められているのか親しまれているのか、よほど人嫌いな子でない限り、雄でも雌でもすぐ仲良くなれる。一声掛ければ初対面であっても撫でるまで行ける程だ。

 

 勿論証明する術は無いし、自分自身勝手な思い込みではないかと思っているのだが──意思が通じる気がするのであった。親近感すら覚える。

 

 イヨの生まれ育った世界にあって、現実で飼うかゲーム内などの仮想空間で飼うかと幅が広がりはしたが、ペットを飼うという行為は遥か昔から引き続きメジャーであった。

 外で飼うのは事実上不可能なので、殆どは完全室内飼いである。現実で実際に飼う場合はマンションやアパート等の規則があったり、スペースや費用といったハードルもあるが、やはり世知辛い世の中で動物は人の心を癒してくれるものなのだ。

 

 現実で飼う場合小さくて掛かる費用とスペースが少なくて済む為、ハムスターなどは人気がある。そして犬猫はどの時代であっても強い。

 

 篠田家も弟妹が生まれるまでは──アレルギー反応があったのである──猫を飼っていた。母方の祖父母の家に引っ越していく飼い猫の姿を思い出すと、イヨは心がきゅぅ、と苦しくなる。

 

 まあ、その後何回も会ってはいたのだが。イヨより年長な猫だったので、イヨが中学校二年生になって直ぐの頃に死んでしまった。享年十八歳であった。

 

「猫ちゃんおいでー」

 

 そんな訳でイヨは動物の中で猫が一番好きである。故に世界の垣根を跨いでもなお、少年は猫に話しかけるのであった。

 

 冒険者組合近くにある通りで一匹の猫を発見したイヨは、即座にそう声を掛けた。猫は数瞬イヨの様子をうかがった後、ゆったりと足元まで歩み寄ってきた。

 

 和猫とは違う。厳密な種類は分からないが、全体的にスリムでしなやかなシルエットの猫がこちらの世界では主流なようだ。ただ、今イヨが声を掛けた猫は例外的に丸く、たったったと走るとお腹がたぷたぷ揺れるほどだ。

 毛の艶と身動きからしてかなり若い猫だが、勝気そうな顔をしているので、このあたりのボス猫なのかもしれない。野良っぽい割に素晴らしく美しい毛艶だ。

 

 イヨは許可を取ってから猫を胸前に抱え上げた。見た目相応に重く、体重はなんと十キログラム近くありそうである。

 

「見ない子だね、どこから来たの?」

 

 猫は無論にゃあとしか鳴けぬが、イヨはその『にゃあ』という鳴き声から、『遠くの方から来た』といった意味に近いニュアンスを感じた。

 

 ──遠くから来たのか。直感に従ってそう理解する。

 

「飼い猫──じゃなさそうだね。名前は? 無いの?」

 

 猫の瞳の色が、なんとなく『無い』と言っているように思った。

 

「そっか、無いんだ──僕が名前を付けてあげてもいいかな?」

 

 猫は興味なさげであった。どっちでもいいと思っているように見える。

 イヨは耳の後ろと喉、背中を代わる代わる撫でながら考える。どんな名前にしようかな、と。

 

 時に。ネーミングセンスとは人それぞれの個性が出るものである。

 

 例えばプレイするゲームの自キャラの名前、付けられるのであれば仲間の名前、所属する集団の名前、武器や防具の名前。どの様にどんな名前を名付けるか名乗るか、当然だが人それぞれで異なる。

 ゲーム内であっても自分の分身であり自分自身だからと本名をそのまま名乗る、イヨこと篠田伊代。オンラインゲームでは兎も角、オフラインのゲームでは割と良くいるタイプである。単に考えるのも面倒だからそうしているという者もいない事は無い。

 

 自分の好きな食べ物や持ち物、動物、物事の名前を借りる者。ウケ狙いでネタを仕込む者。辞書をめくって良さげな響きの言葉を名とする者。最初から付いている名を変えずそのまま使う者。特に考えずフィーリングで適当に決める者。名前なんかどうだっていいので『ああああ』にする者。

 

 千差万別である。

 イヨは自キャラの名前は本名の伊代で固定、武器防具やアイテム類はカッコいい──と本人が思っている──英語で付ける。そんな人物であった。

 ただ、人や動物に名付ける名前に関しては、もうちょっと考えるタイプなのである。

 

 ──この子は雄みたい。顔を見れば分かる。しかも猫社会の中で上位の存在のように思える。そうなると、やはり立派で強さそうな名前が良いよね。

 

 といった具合に。

 

「よし、今日から君の名前は──」

 

 此処で思い出して頂きたいのは、イヨの育てと生みの親である両親は、自らの子供にお姫様や戦国武将の様な名前を付けようとした人物だという事である。

 

「──柳瀬爪衛門胤近君だよ。チカ君と呼んであげよう」

 

 野良猫改め柳瀬爪衛門胤近君は、意味ありげに『ぶなぁあごぉおぉうぅ……』とあんまり可愛くない声で一度だけ鳴いた。以降は全く頓着せず、喉を撫でるイヨにされるがまま、腕の中で弛緩している。

 

 この少年のネーミングセンスは控えめに言って独特であった。

『速攻で愛称を付けてそっちで呼ぶならそっちが本名で良くない?』『名前は兎も角苗字も付けるの? あと真ん中の爪衛門ってなに?』『長いし呼びにくいし読みにくいよ』等と正論を言っても無駄である。

 

 イヨは自分の考えた名前がカッコよくて強そうで立派である事を心から確信しているのだから。猫科動物の持つ鋭い爪牙から爪の一字も貰って、猫らしい名前であるとすら思っている。二文字に縮めた愛称は日常での呼びやすさを考慮しての事だろう。

 

 本人は真剣である。

 

「僕はイヨ・シノン。イヨにゃんもしくはイヨ・シニャンと呼んでくれても良いよ?」

 

 もし人語を理解できる存在が間近にいたのなら『何を言ってるんだお前』、もしくは端的に『は?』と言われただろうアレな発言であった。

 

 朗らかに笑って言うイヨだが、勿論猫は人語など喋れぬし、よって名前を呼ぶことも無い。更に、自分の名前ににゃんを付け足したからと言って猫の文化習俗に寄り添った呼び方になるかと云うと、絶対に違う。でも彼は言う。相互理解の為には双方の歩み寄りが重要だと思っているからである。

 

 チカ君は『ぼにゃ』と声を上げ、喉元を撫でていたイヨの指先に噛みついた。両前足でしっかりと固定し、ガジガジと噛んで引っ掻く。

 

 イヨはその様子に相好を崩し、一層愛おしそうに猫をあやすのであった。

 

 

 

 

「天下の往来で動物相手に何をやってんだあいつは……」

 

 一人の悪相の男が、ある光景を見てぽつりとつぶやいた。

 悪い顔であった。余人に威圧感を与える強面や人三化七の不細工と云うよりは──底意地の悪さ器の小ささを見る者に感じさせる様な、小悪党染みた面である。

 

 ただ、彼は持って生まれた顔こそ甚だしい悪人面ではあったが、性根物腰人当たりの方は良い人間である。育ちが良い訳では無いので口調こそ紳士とは言い難いものの、総体としては顔と反比例する好漢、人に好かれる男であった。

 

 彼は、姓はガントレード、名はバルドルと云った。

 

悪人面の戦士バルドル・ガントレード、褐色の巨漢拳士シバド・ブル、赤毛の野伏パン、長髪痩躯の魔力系魔法詠唱者ワンド・スクロール。この四人でなる鉄級冒険者パーティ──【ヒストリア】。

 イヨが最初に声を掛けられ、そして声に応じた者たちであった。

 

 そのリーダーであるバルドルは道端で猫に話しかけている少年を発見し、我知らず呆れた声を出した。

 

 いや本当に、何をやっているのか。

 

 世の中、幼い我が子を愛しいと思う気持ちが大であるばかりに、ついつい話しかける時口調が幼く、赤ちゃん言葉のようになってしまう親はいる。

 それとはまた別種だが、畜獣や騎獣に声を掛ける者もいる。愛着が高じて猫なで声になってしま者も。動物に話しかける事自体は、珍しくない。

 

 しかし、イヨのそれはやや毛色が違う。

 

「チカ君は遠いところから来たんだっけ。どっち? あっち? ああ、あっちの方? 僕あんまりあっちって行った事ないんだよね、色んな人からあんまり一人で歩くなって言われてて。僕、方向感覚は鋭い方なんだけどなぁ。チカ君は普段と友達と出かけたりする?」

 

 ガチで会話をしている。

 通じないと弁えて尚話しかけているのではなく、さも意思疎通が成立しているかの如く流暢に声を掛け、猫の身動きやら鳴き声やらに対して頷いたりしている。

 

 バルドル及び【ヒストリア】の面々は、イヨ・シノンとその後も親交があった。ほんの数時間とは言え同じパーティに所属した間柄だし、なによりイヨ当人が四人に懐いていた。先輩先輩、バルドルさんシバドさんと見かけたら向こうから走り寄ってくる位である。

 

 人間慕われると悪い気はしないし、イヨもやや物を知らない所がありながらも基本は良い奴だったので、四人は時折先輩風を吹かしつつ、対等の付き合いをしていたのである。折を見て練習に付き合って貰ったり、一緒に飯を食いに行ったりと。

 

 イヨを最初に見出したのは俺たちなんだぜ、なんて、鼻が高い思いでもあった。

 

 流石に鉄プレートのチームである【ヒストリア】とオリハルコン級チームに所属するミスリル級冒険者であるイヨでは、状況によってはそう気安く口をきけない事もあった。イヨは気にしないだろうが、周囲と誰より【ヒストリア】の面々が気にするのだ。

 

 そういう事情も当たり前にあるのだが、四人とイヨは友人付き合いであった。バルドルらは『すげぇ奴と知りあっちまったもんだ』と思ったし、『イヨは良い人たちと知り合えた』と思っていた。

 

 とはいえ、『あいつ子供と一緒になって遊んでたぞ』とか、『酒宴の席で女の格好をしていた』とかの噂を聞いても、『まあ、イヨのやる事だからなぁ』とある種親戚の子供を見る感覚に近い苦笑いを浮かべていたのだが──

 

 ──いくら何でもちょっと……。

 

「おーい、イヨ! お前、朝っぱらから何をやってんだ?」

 

 現在、早朝なのである。もう少し日が高くなれば人通りも出てくるだろう。

 

 バルドルが一声上げると、ぴんとイヨの背筋が伸びた。同時に抱えられている猫が抗議の声を上げる。

 

 振り返った少年は、声の主を見つけると顔中に喜色を宿した。猫の機嫌を損ねないように配慮しつつ、そろりそろりと歩み寄ってくる。対してバルドルは普通に歩いて距離を詰めた。

 

「おかえりなさい、お仕事から帰って来られたんですね!」

「おうただいま。ばっちり決めてきたぜ。お前の方は──えーと、猫相手に何やってたんだ?なんつうかその、お話しでもしてるみたいに見えたが」

「一緒に遊んでました。さっき知り合った、柳瀬爪衛門胤近君です。チカ君と呼んであげて下さい」

「動物が好きなのは良いけどな、あんまり表でそういう事するなよ? 周囲の人々に誤解されるかもしれないからな?」

 

 バルドル自身、ちょっと掛かる言い方になってしまったかと危惧したが、眼前の少年は全くそうは感じなかったらしく、殆ど常時浮かべている柔らかい笑顔で、屈託なく頷いた。

 

「はい、バルドルさん。いつもは気を付けてるんですよ? でもこの子があんまり可愛かったもので、つい」

「あ、ああ。それならいいんだが。で、その──すまん、名前をもう一回頼む」

「やなせ、そうえもん、たねちか君です。ニックネームはチカ君です」

「ヤナセ・ソーエモン・タネチカ? 縮めてチカ、か。なんつうか、ふとした時にお前がすげえ遠い所から来たんだって実感するよ」

 

 風変わりな名前であった。耳慣れない異国的な響きで、聞き取り辛い。というか、猫一匹に随分大仰な名を付けるものだ。三つで構成された名前であるという点では、貴族的か、もしくは洗礼名を含めた法国的な名前とも解釈できる。意味は分からないが。

 

「可愛いでしょう? 大人しくて良い子ですよ。僕と気が合うみたいです。ねー、チカ君」

 

 猫可愛がりとはこの事である。デレデレとした笑顔で抱えた猫を撫でると、少年の顔は一層多幸感で緩んだ。対して猫は微動だにせず、撫でられるがままである。

 

「思い切りお前の事をシカトしてる様に見えるが。それに、可愛い、ねぇ……」

 

 控えめに言って、可愛くない。バルドルがこの猫を褒めるなら、どっしりしているとか胆力がありそうだといった表現を選んだだろう。その位大きくてふてぶてしい。かなり肥満が進んでいるし、面構えも愛想の悪い中年男性の如しである。

 濃い茶色の毛色のせいか、綿の詰まったクッションに手足と頭をくっつけただけの様な風情さえある。随分重そうなクッションだが。

 

「猫はみんな可愛いです。身体が柔らかくて毛がふわふわで、自由で気ままです。僕はどうも犬に嫌われてしまうんですが、猫とは友達になれます」

「俺はどっちかっつうと犬の方が好きだな。忠実だし。猫はどうにも人間を眼中に入れてない感じがして好きになれん」

 

 犬は番犬や狩猟の共になるし、猫は鼠の害を減らしてくれる。男が生まれ育った農村では、猫も犬も役割を熟す事で利益を生み出してくれる生き物であり、もし飼っているとしたらその前提の上で飼っているのだ。そういう扱いの存在だ。可愛がりもするが、愛玩動物の意味合いは薄い。

 もっと言うと牛や馬などの農耕や運搬に役立つ動物、豚や鶏などの食べて美味い動物の方が好きだが、イヨが言っている好き嫌いはそういう意味では無いだろう。

 

「その捉えどころのない感じが猫の魅力なんですよ、ねーチカ君?」

「まあそうしてお前に抱かれてじっとしてる所を見ると、こいつは人懐っこい奴みたいだが──」

 

 そう言ってバルドルがチカ君に手を伸ばした瞬間である。

 彼は全身の脂肪を感じさせない機敏な動きで身を捻り、一瞬でイヨの腕の中から逃れると、お腹をたぷたぷ揺らしながら横道へと消えてしまった。

 

 バルドルは伸ばした手を所在なさげに数回開閉し、ぽつりと、

 

「人じゃなくてイヨに懐いてたって訳だな……動き自体は機敏だったが、猫のくせに体重が重すぎて足音が殺し切れてなかったぞ。デシデシデシデシって音立てて行きやがった」

「男はちょっとくらい太ってた方が貫禄があってカッコいいと思いますけど、さすがにあれは心配になってきました……今度会ったら言っておきますね」

 

 さらりとそんな台詞を言われると、バルドルも遂に力が抜けてきた。自分ならずとも脱力するだろうなと考えた。彼はしかし、次の瞬間思い付く。

 

「お前のそれって、もしかしてタレント【生まれながらの異能】なのか? 動物と意思疎通が出来るって類の?」

 

 当人が普段の振る舞いで見せる人間性故、無意識的にその可能性を除外してはいたが。

 

 ──普通に考えればタレントである可能性が高いのではないか、バルドルは思考する。

 

 タレント、生まれながらの異能と総称される固有の能力。おおよそ二百人に一人という割合で生まれ持つ為、確率で言えばタレント持ち自体はあまり希少では無い。数百人に一人か二人と考えると珍しいとも思えるが、公国全体ならば一万五千人は存在する計算になるのだ。

 

 その種類は膨大で千差万別。何の役にも立たないタレントもあれば、その者の人生を大きく変えてしまう様な強力なタレントも存在するとされる。戦闘に適したタレントを生まれ持った人物がその固有の取り柄を活かして冒険者になったりする例も多いが、選ぶ事も変える事も出来ない先天性の力である為、宝の持ち腐れで終わったりそもそも気付かなかったりする例も、また多い。

 

 公都の冒険者ではガルデンバルドとベリガミニが戦闘に適したタレントの持ち主として有名だ。当人たちが喋らない為に詳細は知られていないが、両者とも魔法に関連する強力なタレントだと噂される。

 

 バルドルの身近では同じチームのパンがタレント持ちで、暗闇を見通す暗視の異能を先天的に保有している。彼女がレンジャーとなったのも、その力を持つからこそだ。

 

「え! 僕のこれってタレントなんですか!?」

「いや、俺に聞かれても分からんが」

 

 バルドル自身はタレント持ちでは無いし、そちらの方面の専門知識を有している訳でも無し。実際異能を持って生まれた者がどのようにそれを自覚するのかは知らない。しかし、タレントの中には他人から指摘されても直ぐには分からないような微妙な物もあると聞く。

 

 ましてや本人にとっては生まれ持った力なのだから、案外他のみんなもそうなのだと思い込んで生きている者も多いのではないかと思った。

 あと、これは決して口には出さないけれども、イヨが猫と喋っていても本人の性格ゆえの行いと解釈する者が多数で、誰も今まで指摘してこなかったから自覚が無いのだと推理したのだ。

 

「動物全般となのか猫だけなのか知らないが、普通は意思疎通なんか成立しないし……まあ普通出来ない事が出来るってのはタレントの可能性十分だとは思うがな、外からズバリ判別する方法なんて……なんかそういう魔法があるって話を小耳に挟んだ事がある、そんな気がするって位だな」

 

 俺は学がねぇからなぁ、とバルドルは内心で頭を掻いた。農家の四男として生まれ仕事を求めて大都市へ、そこから立身出世を夢見て冒険者へ、という自分のありがちな経歴に僅かな思いを馳せる。

 農民や冒険者としての知識は多少あるが、その範囲を超えると途端に無学が顔を出す。

 知識の量も力の一つとして、脇も固めていかねばならないな、と思考を結ぶ。

 

 身近のタレント持ちであるパンは幼い頃に自然と分かったそうである。なにせ周りが見えない中で、自分だけが夜に明かりを必要としなかったのだから当然だ。家族も直ぐに察したらしかった。

 

 バルドルが小耳に挟んだ、タレントを保有しているか否かを判定する魔法はしっかりと存在する。だがそれは精神系の第三位階──非才の身では生涯到達し得ない高位魔法である。しかも、更なる詳細な情報を得るにはより高位の魔法か、そうでなければ別の手段が必要となる。

 

 それ自体があまり広くは知られていない事である。特別知ろうとしない限り普通知らない、と言えるほど知名度は低い。

 精神系第三位階と云う高位魔法を用いてやっと有る無しが分かるだけ、其処からどんな力なのか調べ、やっと見つけても役に立たないものの方が多いとされる為、効率が悪い事も理由の一つだ。

 

 むしろ、滝に打たれたり瞑想をしたり薬物でトランス状態になったり、様々な方法で試してみる方が良いとまでいう者もいる。何かが組み合った感じがして突然自分のタレントが分かる様になる、との見解もある位である。

 

「猫とお話しできるタレント、ですかぁ……!」

 

 因みにイヨはタレントを元の世界で言う超能力みたいなものだと認識しており、『この世界では超能力も実在してるんだなぁ』と思っている。同時に『もしかしたら元の世界でマジシャンだと思っていた人たちの中にも、本物の超能力者がいたりして!』と想像を膨らませていた。

 

 自分がそのタレント持ち──イヨの理解で言う超能力者──ではないかと問われ、彼は興奮した。なんと夢のある話だろうか、もしかしたらそうなのかも、とその気になった。

 

「ベリガミニさんだったらその辺詳しそうだし、実際にそういう魔法があるなら、その使い手と伝手があってもおかしくないと思うぜ。なんだったら今度聞いてみたらどうだ?」

「うーん……いや、良いです!」

「え、良いのか?」

 

 夢を壊したくないので、とイヨは続けた。眼をきらきらと輝かせて両の拳をぐぅっと握り、

 

「実感とか自覚はさして無いんですが、そういう力が自分にあるかもってだけで満足なので! 逆に、これで判定して無いと決まってしまったらショックですから、あると信じて生きていきます」

「そうか? まあ、お前自身の事だし、俺からどうこう言う事じゃないが」 

 

 本人がそう言うなら、バルドルとしても特に言う事は無かった。

 これでなにか利益になる使い道があったり戦闘に利するタレントの可能性があるなら、冒険者の性として有無をきっちり判定してもらうべきだと意見を述べたかもしれないが。

実用性や戦闘への応用性などを考えると無力に近いタレントだし──タレントだとしての話だが──確かにまあ、真偽を明らかにしなくても、本人がそう信じる方が幸せだと思うなら、それで良いのかもしれない。

 

 正直な話、これからイヨがより頭角を現して有名になっていくだろう将来において、

 

『あのー……今朝アダマンタイト級のシノンさんを見かけたんですが、なんだか獣とお喋りしてて……あれは何なんですかね?』

 

 という事態があった時、

 

『ああ……あれは、うん、まあ……本人の趣味なんだよ、放っておいてやれ』というのと『ああ、あの人は猫と意思疎通が出来るタレント持ちなんだ。珍しいだろう?』というのとでは外聞の面においてあまりに違うので、評判としてもそっちの方が良いだろう、という打算、心配もあった。

 

「小さい頃は家で猫を飼ってたんですよー。もしかしたらそういう環境が、僕のタレントを育んでくれたのかもしれません」

 

 有識者がここにいたら『いやタレントってそう云うものではないよ』と優しく、しかし断固として訂正しただろう。【生まれながらの異能】は文字通り生まれながらの、先天性のものである。後天的にタレントを獲得した例は現在一例も確認されていない。

 

 イヨ本人はもう見るからにうきうきとして、嬉しそうな様子である。

 実際、少年は脳内で『ソードワールドのやり方で【猫と喋れる】や【猫の友】って称号は名誉点幾らで取れたっけかなぁ』等と考えていた。もしルールブックが手元にあったら個人称号のページを捲ろうとしていただろう。

 

 二人はその後もなんやかんやと取り止めのない立ち話に興じた。年が近いだけあって──バルドルもついこの間まで十代だったのである──話題は多い。美味い露店の話、安い酒場の話、気になる異性の話、色々である。

 しかし二人とも冒険者であるからして、特に意識せずとも話題は徐々に仕事の話へと向かっていった。

 

 【ヒストリア】はイヨの特例試験から数週間経った今日この日まで、何度も依頼を熟すために公都からの出立と帰還を繰り返していた。

 

「ハンツさんはどうでした? 正式に加入して頂けそうでしたか?」

「それが、俺たちとしちゃあそうして欲しかったんだけどな……本人がやっぱり自分には向いてないって言ってよ。プレートを返上して、神殿に戻るそうだ。残念だが、やりたくないって言ってる奴に無理強いは出来ないからな。良い腕してたんだがな……」

 

 一回ごとの報酬額が多くそして依頼そのものがあまり頻繁にないミスリル、オリハルコン級冒険者と比べ、銅~銀級の冒険者は多忙である。今の公国では特にそうだ。引く手数多である。

 

 まだまだ駆け出しと言っていい──銀級は駆け出しと一端の中間と位置付けられる事も多いが──立場であり、直近の生活資金、将来的な武装の強化や更新の為の費用貯蓄を考えれば、自転車操業にも近いペースで依頼を熟さねばならない事が多いからだ。

 

 冒険者となって直ぐの銅級が受けられる様な簡単な依頼の報酬は安く、純粋に懐に入るのは一人頭銅貨数枚等という事もある。その程度の金銭は、安宿でその日の寝床と食事を取ればほとんど消えてしまうのだ。

 勿論手こずって負傷をしたりすると、手負いで敵と戦えば死ぬ可能性が高い為、ポーションの購入や治癒魔法行使の代金の工面が必要となる。もしくは自然治癒で治るまで療養期間を取らねばならなくなる。そうするとその期間は仕事が出来ないのだから、収入はゼロとなってしまう。

 

 ただ考えなしに我武者羅にやっていると、多くの場合死ぬ。かといって慎重に傾き過ぎると上に行くまで時間が掛かるし、生活も苦しくなる。自分と仲間の体調や能力を見極め、安全マージンを取りつつ、するべき時はある程度の無理もする、そんな身の振り方が求められるのだ。

 

 こういった環境も、冒険者としてやっていけるかのふるいの一つだ。死んだ者は当然脱落だが、死なずともこうした駆け出しの辛い時期に挫折してしまう者は多い。

 

 血走った眼で睨み付け、粗暴な喚き声を上げながら殺意を撒き散らすゴブリンやオーガとの死闘。日々の鍛錬の辛さ。競争の激しさ。苦労の末に得られる数枚の銅貨、銀貨。

『英雄譚や自由な生き方に憧れて、冒険者になってはみたものの……』と云う奴だ。形は違えど、どの業種にもある事である。

 

 流石に一定以上の数依頼を熟して実績を作り、冒険者組合から昇格試験を受ける許可を得、そして突破した鉄、銀級ともなれば少しずつ事情は変わってくる。が、まだまだ裕福という言葉とは程遠い生活が続く。

 

 良い食事、良い寝床、良い生活。良い武具、良い道具。それらは英気を養い、戦闘時における生存性を高めてくれる。しかし上を求めれば切りが無く、分不相応に背伸びをすればそのしわ寄せが他に来る。

 

 バルドルとて防御力の高い全身鎧や、切れ味の良い名工の剣、効果の高いマジックアイテムは欲しい。他の仲間もそれぞれより良い自分の武装を欲しているだろう。だが現実の金銭的事情を考えれば、今現在の武装が精一杯で最善なのだ。

 

 そして武装と同じか、より重視すべき事柄にチームとしてのバランス、適切な構成と役割分担や連携が出来ているかというものがある。

 

 【ヒストリア】の構成は戦士、拳士、野伏、魔力系魔法詠唱者だ。癒し手が不在という一見にして明らかで分かり易く、致命的とも言える隙があった。勿論その隙を無くそうと、森司祭や神官などの治癒魔法の使い手を募集している。イヨに声を掛けた理由の一つでもある位だ。

 

「冒険者に限らず、今の公国だと何処でも引く手数多だからな。治癒魔法の使い手は。組合にも口利きを頼んでるんだが、中々」

「僕たちもそうなんですよ、神官の方を募集してるんです。僕の治癒魔法だと使い勝手が悪い上に回復量が不足も不足で」

「公国屈指の前衛であるお前が回復に回らざるをえなくなるような展開自体が、状況としては最悪の部類だからな。そんな風になったらヤバいってのは俺でも分かるさ。……鉄級の俺たちは兎も角、オリハルコン級の実力を持つ神官はそう簡単には見つからないだろうし」

 

 【スパエラ】も【ヒストリア】も、今はポーション初めとしたアイテム類の所持数を増やす、受ける依頼の難度を下げる、他のパーティと合同で組む、戦術を制限する等の工夫で、どうにかやっている状況である。

 

「俺たち、昇格試験はもう受けられる状態なんだ。銀級でやっていけるって自信もある。ただ、どうせなら万全な状態で上がりたいからな。今のところは癒し手の確保を優先する方針でな。最近帝国や王国から活動の拠点を移してくる奴も多いらしいから、その辺りを当たってみようかと思ってる」

 

 政情不安に陥りつつある王国と、銀級冒険者に匹敵する専業兵士、騎士が国内の治安維持を行う帝国。この二か国から公国へとやってくる冒険者は近年増加傾向にあった。

 この二者はどちらかと云うと、帝国から移ってくる者の方が多い。王国の方はきな臭い世情を避けんとする者がいる一方、騒ぎが起きそうだからこそ一旗揚げる好機と捉える者、国の事情は冒険者には関係が無いと割り切る者もいた為、そこまで大きな動きにはなっていなかった。

 

 帝国の冒険者は前述の騎士の働きにより、特に低位冒険者の仕事が無くなってきている。故に景気の良い公国に移ってくる者が多いのだ。

 中位や高位の冒険者はそこまで逼迫していないからか、目立った流入の動きは見えていない。個々の実力が銀級相当である騎士では対処困難な高難度のモンスター相手は、やはり彼らの仕事であった。金と時間が掛かった存在である騎士を損耗するよりは、金を出して冒険者に依頼した方が総合でプラスである案件も多いからだ。

 

 とは言え順風満帆とまでは行かないらしく、やはり全般的には帝国冒険者界隈は斜陽の様相を呈してきているそうである。ほぼ無関係と言えるのはオリハルコン級とアダマンタイト級と云った最高位格くらいだろう。

 

「神官と言えば、お前は大丈夫なのか? 神殿関係とか」

 

 イヨが異教の神官である事は周知の事実である。こちらでメジャーな四大神教──もしくは法国の六大神教──とは異なる神を奉っている。妖精神アステリアと云う名の神をだ。

 

 妖精神アステリアにはエルフと親しく感情豊かで自然を愛する等の様々な設定が存在するのだが、仲間たちからのアドバイスにもあってイヨはそれを詳しく語ってはいない。ソードワールドではという前置きが付くが、この世界では異種族扱いのエルフが多く信仰する古代神とされるアステリアの存在は、既存の宗教界との軋轢を招きかねないからだ。

 

「あ、大丈夫ですよ。皆さんのご助力もあって良くして頂いてます。実は今日もランニングがてらお参りに行くところだったのです」

「ああ、そうなのか! 宗教界も海千山千と聞くから心配してたんだが、それなら良かった」

 

 悪人面をお人好しな風に弛緩させ、バルドルはほっと一息付いた。

 

 なにせイヨはTRPGプレイヤーでロールプレイヤーだが、現実に妖精神アステリアに対し真摯な信仰の念を抱いているかと云うと、それは明確に否なのである。

 彼にとってアステリア神はフィクションの中で登場する創作神であり、たまたま選んだ神様であった。信仰系魔法が使えるから祈りはするが、根っこの所の、本来の意味で言う信仰心は皆無同然である。

 

 公都の宗教勢力との関係は概ね良好であった。

 各神殿側からの『強要する権利が無い事は百も承知だが、お互いの為にこれこれこういう形で我々に配慮してほしい、ある程度弁えてほしい』という要求は、イヨが殆ど丸呑みする形で交渉が成された。

 

 四大神もしくは六大神とアステリア神の上下を初めとする関係は『触れず語らず』、お互いに『敬意をもって配慮』する事が決定している。『無関係なりに、友好的に何事も無く共存していきましょう』と。

 

 治癒魔法の行使代金等の事柄も大筋では決まっている様である。

 

 所属チームである【スパエラ】のこれまでの活躍と交渉が大であるが、かつて実在し実際に人を助けた本物の神様である四大神に対しイヨが敬意と尊敬を覚え、自発的に神殿に参るようになったのも良好な関係に一役買っていた。

 イヨは異教の神々に敬意を払い、四大神神殿側は神々に捧げられた異教の神官の敬意を受け入れる。先に挙げた話し合いで成立した約束事の中の、『友好的』と『敬意を持って配慮』に当たる部分と解釈されている。

 

 特に水の神の神殿は【戦狼の群れ】に所属するイバルリィ・ナーティッサが経営助力を行っている孤児院も併設されている為、知己が多く付き合いもより親密である。憶測で痛くも無い腹を探られると双方に面倒が起きるので、あまり水神の神殿ばかりに遊びにも行けないのだが。

 

「他のみんなもその辺気にしてたんだぜ。この前なんかその事で──」

 

 バルドルは此処で僅かに、勿体ぶるかの様に言葉を溜めた。

 

「副組合長に声を掛けられてよ、俺如きの名前を覚えて頂けてた、あまつさえ声を掛けて下さったって俺ぁ舞い上がっちまってもう──」

「ガトさんとお会いできたんですか! いいなぁ。僕、中々会えないし、お話しできないんですよ」

「まーそりゃあ、あの人は冒険者組合の副会長だぜ? しかも誰もが知る英雄だ。多忙も多忙の身だし、仕方ねぇよ。──……俺は会えたし言葉も交わしたがな! お前の話題でだけど!」

 

 嬉しくて仕方が無いといった顔でバルドルは大いに自慢した。実際、彼の様な鉄級冒険者にとっては滅多にない幸運であった。姿を見る事だけならなんら珍しくないのだが。

 

 バルドルが何百人と束になっても歯が立たないだろう幾多の逸話を残した往年の大英雄と、その他大勢の中の一人としてではなく、一個人として相対して会話したのである。

 

 しかも、向こうから歩み寄って声を掛けてくれたのである。公国冒険者の多くと同じく老英雄に憧れと敬意を抱くバルドルからすれば、これはもう本当に嬉しい事であった。

 しかもしかも、相手からすれば何気ない一言であっただろうが『最近頑張ってるじゃねぇか、期待してるぜ。これからも精進しな』と去り際に激励まで頂いたのである。

 

 バルドルは嬉しくて自慢したくて堪らなかったのだが、誰彼構わず吹聴しすぎると思い出が軽くなってしまう様な気もして、話したいけど話せなかったのである。故に、その会話の話題でもあったイヨにここぞとばかりに喋っているのだった。

 

「良いなぁー! 羨ましいです! 前回の試合の事とか、僕もお話ししたい事はたくさんあるのに!」

 

 イヨは本気で羨ましかった。試合内容の事や武道の技術に関する話など、交わしたい言葉は幾らでもあるのである。稽古をつけて頂きたいとも思っていたし、可能ならば何度でも戦いたかったのだ。

 見掛ける機会には何度も恵まれたし、ガドの方もイヨと話をしたそうに見えたのだが、毎度多忙──実際多忙なのだが──を理由に、お付きの職員に引き離されていた。

 

 冒険者組合側の『また殺し合いなんぞされては堪らん』との思惑もあったのだろう。冒険者組合側としては、折角現れた次代の英雄と過去の大英雄のどちらかを私闘で失うなど真っ平なのだ。

 冒険者組合は、止められなかったらどちらかが死んでいただろうあの戦いが再現されるのを大いに危惧している。前科がある分だけ、締め付けがきついのである。

 

「正直、あの面接で現役時代の武装をした副組合長を目の当たりにした時は、もう圧倒されちまってな。強者のオーラって奴をヒシヒシと感じて石像みたいに固まっちまったが……日常で会話してみると全然そんな感じがしないんだ、お前の事だって自分の孫みたいに気に掛けてたんだぜ。流石英雄、出来たお方だよホント」

 

 バルドルは改めてガド・スタックシオンへの尊敬を深めた様だが、イヨとしてはもう其処まで言われると効果覿面だ。なんとしても直接会ってお礼をして、指南指導をして頂きたくなってきた。

 

「うーん……あらかじめ受付でアポを取っていたら大丈夫、なのかなぁ」

 

 忙しいならあらかじめ会う約束を取り付けておく。それはとても真っ当で常識的で、故に絶対確実の手段であるように思えた。

 そう、冷静に考えたら、大きな組織の副長に何となく顔を合わせた折に時間を取ってもらおうというのが非常識であったかもしれない。出会いが出会いだったので何処か親しみと共感を抱いていたが、本来とても偉い人なのである。

 

 こちらの方から段取りを経てちゃんとお会いしよう、イヨの心がそう固まった瞬間である。

 

「その方法なら多分時間取ってもらえるとは思うが、副組合長は今公都にいねぇぞ」

「え、ガドさんいらっしゃらないんですか!?」

 

寝耳に水であった。驚くイヨに対し、バルドルは記憶を思い出そうと視線を斜め上にやり、

 

「昨日出立した筈だな。あれだよ、幾つか都市を回って講習会だか講演会だか……ま、とにかく話とかすんだよ確か。助言やら教導やらな」

「き、昨日……えっと、何時頃帰って来られるんでしょうか?」

 

 バルドルは視線をそのままに、眉を歪めた。

 

「そんなには掛からない筈だな。公都を長く開けるのも不都合があるだろうし……一月前後ってとこじゃないか? 覚えてる限りだと毎回そんな所だったと思うぞ。一回で全都市回る訳じゃないんだし」

 

 要するに、公国冒険者組合による冒険者支援策の一環なのである。新たな冒険者に訓練と教育を施すのと同じだ。

 名高き英雄たちの唯一の生き残り、冒険者として未だトップクラスの知名度と名声を誇る大人物が姿を見せ言葉を投げかけ、これから冒険者になろうという者、冒険者として生きていく者に発破をかけるのだ。高みを垣間見せ、助言をするのだ。

 

 ガド本人に言わせると『人材を集め、発奮させる為の広告塔』らしいが。まあ少々掛かる言い方になってしまうけども、その通りとも言える。

 

 イヨが現れたとは言え、公国の上位冒険者層は未だ厚いとは言えないのであるからして。

 

「お仕事ですか。ううん、手紙を出したら届きますかね? ……何方に頼めばいいんでしょう?」

「いやそれより、約束を取り付けたいんだったら組合に申し出れば良いんじゃないか? 帰ってきたら会えるように」

「成程……受付の方に申し出れば良いんでしょうか」

「ああ、大体それで大丈夫だろう。それでもし──と」

 

 バルドルとイヨは何やら大荷物を抱えた道行く人から身をかわした。いつの間にか進路を妨害する形で立っていた様である。大通りと比べれば狭い道は、徐々に人通りが出始めてきていた。

 

 見れば太陽も高く昇っている。早朝と表現されるべき時間も、終わりが近づいてきていたのだ。

 

「随分長く話し込んでたみたいだな」

「そうみたいですね」

 

 イヨもバルドルも時計は持っていなかったが、体感時間で言うと一時間近く話をしていた様な気がした。道端の立ち話としては長い部類だろう。

 

 すっかり頭から飛んでいたが、バルドルはチームの皆と冒険者組合で待ち合わせをしていたことを思い出した。元からかなり早めに出てきていたので遅れてはいない筈だが、流石にこれ以上お喋りはしてはいられないだろう。

 

「悪い、俺そろそろ行くわ。長く捕まえちまって悪かったな」

「いえ、僕もまだ時間には余裕がありますから。皆さんによろしくお伝えください」

 

 今度稽古付けてくれよ、その時はまた一緒にご飯食べましょうね、とお互いに言い合って、二人は別々の方向に小走りで向かっていった。

 

 

 

 

 イヨは細い細い裏道を小走りで進んで行く。滅多に人が通らないだけあって整備などされていない、ゴミやら凸凹が沢山ある歩きにくい道だ。狭いのと相まって、道と云うよりは建物と建物の隙間とでも表現した方が的確な位である。

 

 それでもイヨがこの道を選んだのは近道だからだ。表の大通りを行くよりもショートカットになっていて、短い時間で目的地まで行けるのだ。まあ、イヨが持つ高い身体能力と方向感覚、そして狭い道も相対的に広くなる小さな身体あってこそだが。

 

「──こっちかな」

 

 イヨはひょいと角を曲がる。始めて通る道だが、感覚で位置が分かる。多分あっちが目的地だ、といった具合に。

 

 今日のイヨの用事は、朝のランニングがてらのお参りと、以前お世話になった商人であるベーブ・ルートゥを訪ねる事である。

 あれ以降ちょくちょく使いの人が訪ねてきていたり──昇格おめでとうございます的な文言だったり何かありましたら是非当商会にご用命ご相談下さいだったりだ──したのだが、今回初めて自分から訪ねる。

 

 頼み事があるのである。リーベ村への届け物、という頼み事が。ベーブの商会は、売り買いの為に年に数回あの村を訪れるので、その際に一緒に届けてほしい物があるのだ。

 

 届けてほしい物、それはイヨが書いた手紙である。

 イヨは最近、公国の文字を一通り覚えた。と言っても、英語で言うAからZまでのアルファベットを書いて読める様になり、単語を数十個覚え、拙く短い文がどうにか書ける様になったただけだが。

 

 正直、まだマトモな文章が書けるレベルでは無い。書けず読めない単語熟語も山の如しであるし、文法もまだまだだ。故に、手紙も酷い出来だ。色んな人に教えられながら書いたから、文意が読めない程ではないけれど。

 

 日本語で表すなら『みなさん、おげんき、ですか。ぼくはすごく、げんきです』に近いレベルの文章がブツ切りで並んでいる手紙である。村長、リグナード、リーシャを初めに特にお世話になった人、仲良くなれた人にそれぞれ宛てた手紙が十数枚。後は申し訳ないが、村の人たち全員に宛てた手紙が一枚だ。

 

 流石に全員分を書くのは何時まで掛かってしまうか分からないので、今回はそれだけである。

 

 少年の心は弾んでいた。足もそれに応じて軽やかに動く。不法投棄のゴミや未整備の悪い道、狭さなど大した問題にはならなかった。

 

 手紙には色んな事を書いた。旅の途中で見た景色、大過なく公都に着けた事、公都の素晴らしい情景。ベーブの助けもあって問題なく冒険者になれた事。沢山の良い人たちと出会えて、友人も一杯出来た事。副組合長との戦い、初めて依頼を受け、成し遂げた事。近況はどうかと尋ね、なにかあったら頼りにしてほしいとも。

 

 ──そして、とても素敵な人に出会って恋をした事。これは流石に恥ずかしかったので、ほんの数人に向けた手紙にだけ書いた。

 

 すべての手紙は、『こうとから、ぼくは、みんなのしあわせを、ねがっています』で締められている。『よろしければ、おへんじをください』とも書いた。

 

 

 数か月後にリーベ村から届くだろう返事が、イヨは今から楽しみであった。

 

 ローステンさんのお子さんは無事生まれただろうか。兄と喧嘩してしまったヒース君はちゃんと仲直りが出来たのか。腰を痛めていたマルお婆ちゃんは良くなっただろうか。リーシャに四度目の告白をして速攻で断られてしまったピピン、イヨを含めた村の若い男は皆彼を勇気ある者として一目置いていた。そんなピピンに淡い恋心を抱いていたクレリア。その一途な想いを応援していたので、進展はあったか大いに気になる。

 

 一週間にも満たない時間に、少年はあの村の人々からあまりにも多くの優しさと愛情をもらっていた。公都の人々も好きだが、イヨはリーベ村が大好きであった。というかこの少年は世の中の人は大体好きなのだが。例外は悪人である。

 

 少年は今日、朝から楽しく前向きな気持ちであった。

 日々の暮らしでは悲しい事も辛い事もあるにはあったが、少年は意識的無意識的に、それらをより直近卑近かつ自身の努力によって解決できる問題にすり替えて捉えていた。あくまでも前向きに、ただ前向きに。

 

 天に任せるしかない事象を。もう起きた現実である不幸を。これからほとんど確実にそうあり続けるだろう不幸を。

 それらは要するに、家族友人元いた世界に関連する物事だ。

 イヨの強さはそれらを心の奥底で受け入れかけていたが、完全に割り切ってしまうには年単位の時間が必要だっただろう。

 

 通常ならば。

 

「──生ある者を片端から殺して回りなさい」

 

 ──は?

 

 楽しい気持ち、嬉しい思い出。それらによって踊っていた心と体が、身を引き裂くような強烈な悪寒によって一瞬で凍結した。

 

 耳に入ってきた言葉を理解するより本能が身体を動かし、走行を急停止。イヨは通り過ぎようとしていた横道に向き直り──それらを見た。

 

 フード付きロングマントで身を覆った人影。背丈はイヨより僅かに大きいほどの、先ほどの声の主と思われる者。布から出た片手には、萎びた黒い心臓の様なモノを捧げ持っている。

 

 しかしイヨの視線はその人物より更に奥──黒い靄から今まさにその身を確定させ、実体を帯びつつある化け物に釘づけにされていた。

 

 狭い路地の中で視界が狭まり、極度の集中状態に入ったイヨが滲ませた思考は──『ふざけるなよ』という憤りと怒り。──『お前みたいなアンデッドがこんな所に存在して良い訳が無いだろう』という無言の絶叫。

 

 それは戦いに臨むべく形作られた死の姿。

 

 二メートルを三十センチ近く超える背丈は、通常人類とは比較にならぬ厚みを備え。その身を包み漆黒の全身鎧は脈動する血管の如き真紅が表面を這っていた。体の大きさに見合った武装は暴力そのもの、巨大なタワーシールドと波打つフランベルジュ。双眸に満ちる仄暗い赤光は生者に対する憎悪の現れ。

 

 ──モンスターレベル三十五を誇るアンデッド、デスナイトの威容──

 

 イヨの意識と無意識が凄まじい音量の警鐘を鳴らした。──駄目だ、と。

 まだ近いレベル帯の他のモンスター、アンデッドならまだましだった。

 しかし、絶対に──デスナイトは駄目だ。駄目なのだ。あれの持つ能力は、この現実世界にあって最悪の部類だ。

 

 一瞬で実体を確定したデスナイトの身体が狭い路地に収まりきらず、左右の建物の壁を削り壊す。それと同時に、イヨの全身の体毛が一斉に逆立った。長い髪までもが俄かに角度を上げ、風も無いのに騒めく。

 

 その現象は怒りや戦意によるものではなく。弱い小動物が捕食者を前にして、少しでも僅かでも体を大きく見せようと必死になっているかの如くであった。

 

「あ」

 

 手前にいた人物が声を発して振り向く。片手に捧げ持っていた黒い心臓が、液状の闇と化して宙に溶け消えた。

 

フードによって見えぬ筈のその人物の表情から、イヨは確かに感じた。『丁度良いトコに一匹いるし、手始めにコイツからやっちゃおっか』とでも言い出しそうな気軽さを。

 

 マントの合わせ目からすらりと伸びた繊手の、異常に青白い指先がイヨを指し──

 

「こ」

 

 殺せ──と発声され終わる前に、イヨは全身を躍動させて敵を殺しに掛かった。

 




ようやく原作における大人気キャラであるデスナイトさんを書くことが出来ました。
デスナイトさんって本当にやばいですよね、実在の脅威として考えた場合悪夢みたいなアンデッドです。敵の攻撃を完全に引き付け、一撃では絶対に死なず、殺した相手をアンデッドにする35レベルモンスター。こんなの街中に呼び出されたら国が滅びそうです。

活動報告の方に【スパエラ】の三人、リウル、ガルデンバルド、ベリガミニの大雑把な職業構成その他を書きましたので、興味のある方はご覧下さいませ。

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