ナザリックへと消えた英雄のお話   作:柴田豊丸

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フールーダ・パラダイン

 バハルス帝国に住まう者で、フールーダ・パラダインの名を知らぬ者はいないに違いない。また、彼に尊敬の念を抱かぬ者もいないか、いるにしろ極々少数である事は間違いないだろう。

 

 なぜ彼はそれ程までに高名なのか。それを説明するには、まず魔法の事を説明せねばなるまい。

 

 魔法という技能は、天性の才覚が無ければ使う事も出来ないと一般には思われている。実際、魔法詠唱者たちはその様に言う事が多い。確かに世界との接続と称される行為が出来ねば魔法は使えないが、実の所、費用対効果を完全に無視してひたすらに練習を続ければ、誰でも何時かは魔法が使える様になれる。他の才能を伸ばす時間を潰してしまうので、圧倒的大多数の人間は掛かった時間に見合う利益が得られず損をする位に時間が掛かってしまうが。

 

 魔法には位階と呼ばれる段階、位の分け方があり、基本的には数字が増すほど高位にして高級で強力な魔法が揃っている。勿論、そうした『凄い魔法』ほど習得の難易度は高い。

 

 一番下にあるのが、第0位階魔法である。指先に小さな火を灯す事の出来る魔法等があり、最も低位だけあって習得も──より上の位階の魔法と比べれば、の話ではあるが──容易である。しかしこの位階は奇術や手品と同一視される為、0位階魔法しか使えぬ者は魔法詠唱者とは普通呼ばれない。

 

 次に第一位階魔法。この位階が使える様になって初めて魔法詠唱者を名乗れる領域である。普通の才能を持ち、普通の努力しかしてこなかった者は生涯をこの位階で終わると言われる。信仰系魔法詠唱者ならば〈キュア・ウーンズ/軽傷治癒〉がこの位階で、他には〈フローティングボード/浮遊板〉や香辛料を創造する魔法がある。

 

 その上に第二位階魔法があり、五千人から一万人に一人の才能を持つ者がこの位階に到達できる。一般の人間が努力で到達できる極みとも言われ、到達できない者の方が多数派である。第一位階魔法詠唱者が世間と密な所で雇われるのに対し、この位階に到達した者は貴族や国家に雇われる事も多い。信仰系魔法詠唱者ならば中傷治癒、病気治癒、毒治癒が可能となる。

 

 そして、第三位階魔法。名高き〈ファイヤーボール/火球〉、〈ライトニング/電撃〉、〈フライ/飛行〉がこの位階である。この領域に至れば魔法詠唱者として大成したと見做され、多くの人間から尊敬を受ける立場となれるであろう。数十万人規模の都市ならば複数人いてもおかしくは無く、高位の冒険者などにもそれなりの数がいる。

 

 更に上に第四位階。天凛の才覚を生まれ持った者が極限の努力によってようやく到達し得る領域であり、オリハルコン級やアダマンタイト級の冒険者、若しくは大神殿の長等が行使を可能とする。国単位でもトップクラスであり、一つの国の第四位階魔法詠唱者の数を数えるのには片手で足りる。冒険者ならば冒険者界隈で、宗教者ならば宗教界で殆どの者がその者の名を知る。

 

 第五位階魔法。人間でありながら人間という生物種の壁を超えた領域に立つ者達のみが操る高位魔法。最早天才等と云う言葉では収まらず、英雄の領域として語られる。その者の成した偉業が英雄譚として吟遊詩人に語られても不思議では無く、小国ではこの位階の魔法を行使出来る者が一人もいない、といった事態も珍しくない。この領域に到達した信仰系魔法詠唱者は死した者を復活させる事すら可能とする。同じ業界で名前を知らぬ者は一人としておらず、複数国家間に渡る名声を得ているだろう。

 

 無数の凡人と数多の天才が人生を投げ打って魔道の探求に身を焦がしているというのに、かの深淵は未だ底を見せない。果ての無い暗黒の荒野を苦悩にのたうちながら歩み続け、そして第三位階にすら手を掛けられずにこの世を去る者のなんと多き事か。

 

 魔法とはかくも貴重で希少、苦難で至難なものなのだ。

 

 ──そしてフールーダ・パラダインとは、その果てない荒野の遥か先で誰よりも長く単独行を続ける英傑である。

 その齢は数世紀を数える。独自に開発した儀式魔法にて寿命を延ばし、人間の限界を超えて尚生き続ける。

 操る魔法、その位階は第六位階。表の世界でその魔法を行使した、行使できると公に知られているのは、お伽噺の英雄たちを除けば彼のみである。

 人類の壁を超えた者を英雄と呼び、英雄の域すら超越した彼を、人は尊崇に近い敬意を込めて逸脱者と呼ぶ。魔力系、信仰系、精神系、加護系、その他系の五系統の内三系統に精通するその叡智を讃え、三重魔法詠唱者、大魔法詠唱者とも呼ばれる。

 

 そんな人物であるからして、その気は無くとも語れば語る程賛辞が尽きぬ。

 

 彼が魔法史に刻み込んだ足跡は数十等と云う些末な数では収まらない。発見し、研磨し、伝承し、解明し、新たな魔法を発明し、魔力運用の効率化を推し進め、より高次の術式を編み出す。

 彼が存在するが故、帝国は他国の謀略から無縁だと囁かれる。そして、その噂は的を射ている。フールーダ・パラダインの名を出せば、それだけで周辺国家に対する牽制となり得るのだ。

 

 帝国の歴史を紐解けば、国家の危機を単身で打ち破った事も複数ある掛け値無しの大英雄。歴史に名を刻んだ生きた偉人。戦い方と条件次第で帝国全軍にも勝利し得るとの説もある、比喩表現抜きで万夫不当の超人である。

 

 魔法詠唱者を兵科として軍に組み込むまでの魔法大国でもある帝国の隆盛は、彼の力による部分も大きい。歴代皇帝の教育係でもあり、魔法省の総責任者でもあり、長き年月の間に総計数百人の高弟──第三位階、第四位階を使いこなす──を育てた教育者でもあるのだから。

 

 彼の偉人振りは良く分かって貰えたものと思う。

 一般人が彼に抱くイメージは正に賢者そのものだ。その身に纏ったローブも、白髪の長髪も長い髭も、肌に刻まれた皺の一本とて叡智の現れだと信じて疑わないだろう。落ち着きがあり、思慮深き人格者。老練にして老獪な知識人。多分国民のほぼ全員がそう思っている。

 

 ──そんな彼は今現在、己が城とも表現できる帝国魔法省の深部で──

 

「はっ、はっ、はっ──」

 

 顔を赤くして激しく息を切らし、豪快なストライド走法で廊下を全力疾走していた。

 

 フールーダ・パラダインはしつこい程語った通り魔法詠唱者であるのだが、何十度もの進化──プレイヤー目線で言うレベルアップ──の恩恵で身体能力も向上しており、老化による衰退を考慮しても王国の兵士なら数人纏めてぶん殴って倒せるレベルの筋力を保持している。

 

 その筋力によって成立する速度は中々のものだ。だが一体、歴史に名を刻んだ偉人である彼が何故息を切らせて走るのか。余人がみたらもしや国家崩壊の危機に奔走しているのかと顔を青くしそうな事態である。

 

「〈フライ/飛行〉!」

 

 短く唱えると、彼は広い廊下の宙に舞って増速した。走るより飛んだ方が速いと、冷静さを欠いていた頭で思い出したらしい。仮にも国家の重要省庁の室内で空飛んで移動しようって時点で普通ではないのだが、今の彼には常識や規律などどうでも良いのだった。

 

 鳥にも勝る速度で廊下を飛び続け、目当ての扉の前まで辿り着いた。理性そのものは残っていたらしく、航空突貫で扉を突き破る寸前で急ブレーキをかけ、一分一秒の時間経過も耐えられぬとばかりに急いで入室し、

 

「届いたか!」

「はい、師よ。使者の方よりしかと受け取りました」

「師の仰った通りの物で間違いございません」

 

 部屋の中は狭かった。いや、実は広いのだ。広いのだが、余りにも多くの物があるので一見すると狭苦しく感じられる、と言った方が正確であろうか。

 

 散らかってはいない。むしろ良く整理整頓され、片付いている。しかし、大きなくくりでも書物、武具、巻物、短杖、装身具、鉱石、金属、モンスターの素材──分類も数も多すぎた。それらに共通するのは魔法に関連がある品だという事。一見フールーダ・パラダインとは縁遠そうな巨大な剣や金属鎧にしても、彼の探求の糧、もしくは結果として此処にあった。

 

 製作年代は現代より数百年を遡る古物、つい近日に冒険者から買い取ったとあるモンスターの角。一読しただけでは単なる絵本だが、相応の知識ある者が読み解けばさる系統の魔法知識について詳述されていると分かる書物。国単位でも貴重なマジックアイテム。そういった、市井の魔法詠唱者が見れば腰を抜かすほどの価値を有する物品たちが整然と陳列されていた。

 

 帝国魔法省でも深部に位置するこの部屋こそは、かの大魔法詠唱者の探求の場である。より深き深淵に踏み込む為の努力が日々行われている、皇帝の臣下として公的な職務をこなす時間を除いた、個人的な探求の拠点だ。

 

 フールーダの眼前、二人の高弟の間には小さな台。そしてその上に乗っているのは、奇妙な本だった。

 

 フールーダは普段公式な場での振る舞いとはかけ離れた歩み──まるで恋人へと歩み寄る思春期の青年の様な──で近寄ると、その奇妙な本を恭しく持ち上げ、検分する。

 

「──確かに。おお、これを手にする日が遂に来たか。一時期、夢にまで見たものだ」

「師よ、これは本当に?」

 

 高弟の内一人が問い掛ける。その瞳には隠しきれぬ熱があった。

 フールーダ・パラダインの弟子である彼らは、無論フールーダ当人より腕が劣る。しかし、大陸最高の魔法詠唱者の一人と比べるのは酷な事だ。彼ら一人一人の腕前も十二分に一流を超えている。特にこの場にいる二人は、第四位階魔法の行使をも可能とする達人の中の達人だった。

 

 フールーダ・パラダインがいる帝国では無理にしても、他の国家なら主席宮廷魔術師の座を射止める事も可能な人材。そんな彼らの目で見ても、目の前の書物は余りにも魅力溢れる研究対象だった。

 

「間違いない。これこそ、表向きには存在すら秘された公国の秘宝──禁忌の魔導書に他ならぬ」

 

 国家の宝と言えば、リ・エスティーゼ王国の五宝物が有名である。人によってはフールーダ・パラダインこそ帝国の宝だと言う者もいるだろう。しかし、公国にもその類の宝物があると知る者はいない。秘されているからだ。

 

 帝国の民から世俗を超越した賢者、帝国の守り神の如き尊敬を集めているフールーダ・パラダインの欲求──それはより深き魔法の理解。解読、会得、体得、習得。

 

 フールーダ・パラダインは大陸最高の魔法詠唱者の一人。単独で第六位階魔法を行使出来る者は他にいないとされている。しかし、一般にはあまり知られていないし、研究者の間でも実在を疑問視する声があるのだが、魔法には更に上の階梯が存在する。

 

 お伽噺の英雄たちや、その仇役たる魔神が行使したと伝わる第七位階。第七位階すら超えた規模の魔法を行使した伝承から存在が推測される第八位階。そして、更に上、第九位階と第十位階。フールーダ・パラダインが目指す深淵とはそれらの領域を指す。

 

 その欲求の深さは、彼の理解者の一人である皇帝の想像すら超える。もしも、あくまでもしもの話だが──より深い魔法の知識、深淵に自らを誘い、その知恵を教授してくれる存在が現れれば──帝国や自身の人生を含めた全てを投げ打つ程だ。

 

 仮定の話にしても不味すぎる真実なので、口に出して述べた事は無いのだが。それでも皇帝や大公などは知っている、彼が導き手を欲していることを。

 

 今目の前にあるこの書物は、深淵に差す一筋の光となり得るかもしれない貴重なものなのだ。

 

「陛下を通じて、大公殿下には大きな感謝をお伝えせねばなるまい」

 

 その書物は一般人が見たなら『これ本なのか?』と疑問するだろう奇妙さだった。まず表紙も無ければ題名も無く、紙製でも羊皮紙でも無い。病んだ様な気持ちの悪い黄色をした金属の板、それが何枚か纏まって、端っこをカビの如き色合いの金属の輪で止められていた。

 極薄の金属板を捲ってみると、其処には記号の様な絵の様な奇妙な文字が連なっている。

 

 これの存在を知ったのは、六十年ほど前の事だった。当時から主席宮廷魔術師の職に就いていたフールーダは、研究に際し古書──それ自体も目の玉が飛び出るくらいに希少で高価なものである──を読み解いている最中に、『人類以外の種族が書き記したある魔導書』の存在を知った。

 

 実を言うと、それ自体は珍しくはあっても目新しくは無いものだった。オーガソーサラー【人食い大鬼の妖術師】の様に、魔法を使うモンスターや他種族は普通にいるし、それらの種族とて魔法の研鑽を行うのだから。

 

 しかし、フールーダ・パラダインの心を強烈に掴んだのは、『第七位階以上の魔法について詳述されているかもしれない』という、調べれば調べる程確度を増した不確定情報。

 

 当時のフールーダには既に焦りがあった。このままでは魔法の深淵を覗く前に寿命が尽きる、そんな遠い未来の避けられない結末に対する焦りが。その焦りの中で発見できた魔導書の存在は大きかった。

 

 他に欲していた物と共に収集する事を目指し、実力と立場の双方をもって探した。

 所在自体はあっさりと──といっても年単位の時間を掛けて──発見できた。帝国と縁深い公国の、大公家が所蔵しているらしかった。帝国魔法省の総責任者であり主席宮廷魔術師、第六位階魔法詠唱者であるフールーダだからこそたった数年で実在を確認し、所在を特定する事が出来とも言えよう。

 

 そこからが大変だったのだ。交流の活発だった両国の首脳同士の対話に際し閲覧を願い出ると、当時の大公は驚愕に目を見開きながら、絞り出すようにこう言った。

 

『何故それを知っ──いや、大魔法詠唱者たるパラダイン殿ですからな、流石、と言うべきか。しかし、それは願いを聞き届ける訳には行きませぬ。あの書物は存在しない、存在しないものとして絶対に人の目に触れる事の無いよう扱え、と伝承されています。無いものは見せられません』

 

 幾度も願い出た。幾度も説き伏せようと試みた。秘密裏にではあったが、何度かこっそり持ち出すなり侵入するなりして見るだけでも事は叶うまいかとも考えた。

 もしもフールーダ・パラダインが国家の重鎮では無く、ただ野望に身を焦がす一個人であったらその策を実行したかもしれない。しかし、彼の存在は大きすぎ、それ故に『公人』として振る舞う事が求められた。

 

 如何に公国が帝国から分かれて出来た国で、力関係においても帝国が優越しているとはいえ、建前上は対等な友好関係なのだ。否という相手の腕を無理矢理捻って要求を飲ませる真似は出来なかった。

 時の皇帝も助力はしてくれたが、最終的には両国間の関係を揺るがせる訳にはいかぬとして立ち消えた話だ。秘された国宝に触れる事はならない、大きな災いの元になるかもしれないからと、時の大公は最後までそう言っていた。

 

「まさかこうも気前よく譲渡してくれるとは」

 

 それを現大公はあっさりと譲り渡した。対価も無く条件も無く、時世が変わったのを機に今一度話を切り出したフールーダに対し、『分かりました。慎重な扱いを要する物と聞いております故今日明日にとは行きませぬが、戻り次第準備を始めます。しばしお待ちを』と即時に返したのである。

 

 そうして本当に直ぐ送ってきた。『常人が触れるには危険が過ぎる魔導書と伝わっております。我が先代達は、通常知られるより高位の魔法の知識を争いの元として秘したのでしょう。フールーダ様以上に適格な所有者は他にいないと存じます。どうかお役立て下さい』との伝言付きで。

 

 確かにこうして手に取ってみると、尋常ならざる魔力を感じる。しかしそれは長き年月の間に堆積した埃の様な質のモノと、経年劣化や外部からの物理的・魔法的破壊力に対抗するための付与魔法が発している様だ。

 この魔導書自体に何らかの呪いや呪術的属性の仕掛けは施されていない。フールーダは魔法による調査で確信した。

 

「共に送って頂いた書物も素晴らしいものです。流石にその秘宝には劣りますが、十二分に過ぎる」

「伊達に一つの国が長年に渡って集めてきた物ではないと、そういう事でしょうな」

 

 高弟二人が視線を送った方向には大きな箱があった。木材を金属で補強した頑丈な代物だ。中に詰まった物はこれまた魔導書、もしくは魔法に関連する稀覯本の類だ。秘宝と一緒に送られてきた品々である。帝国魔法省にはこれと同等の希少さ有用さを誇る品々も数あるが、これだけの新しい書物を一気に手に入れたとなれば、ちょっとした事件である。

 

「大公殿下は魔法詠唱者ではないが、魔法研究の重要性を理解しておられる方だ。陛下などは一度にこれだけの本を手に入れた私が、研究に夢中になる余り公務を投げ出すのではないか等と仰っておられたが」

 

 因みにジルクニフは冗談や洒落の類でその台詞を言ったのではない。本当にやりかねないフールーダに対して『そんな事はしないよな? しないな? するなよ?』と釘を刺したのだ。そんな皇帝の心情を想像できただけに、二人の高弟は特に言葉を述べず、控えめかつ曖昧に頷くに止めた。

 

 公国には第五位階魔法詠唱者がいない。第四位階も、国に属している者だと三人だけだ。公国の宮廷魔術師、大公家付きの神官、帝国から派遣されてきたフールーダの高弟。今回大公がフールーダに秘宝を含めた沢山の魔法関連の書物を贈ったのは、限られた物資を有効に活用するために最も適切に効率よく扱える人物の所に送るべき、そういう判断のもとで実行された行動である。

 

 ぶっちゃけた話、手持ちの人材が努力によってそれらを読み解き進歩するより、フールーダとその弟子たちが解読した結果を教えてもらった方が手っ取り早い。故に実用書というよりは研究分野における貴重な書物を贈ったのである。

 

『魔法関連のあれこれ見せて、貸して、触らせて』

『うちでは持て余し気味で有効活用にコストがかかるのであげますよ。読み解けたら教えてくださいね』

 

 既に従属的同盟関係が板についている公国と帝国は、あらゆる分野でこういった協力を積極的に行っている。魔法分野は帝国が一枚も二枚も上手であるからこうだが、逆に帝国情報局などはフールーダのお陰で経験が浅いので、公国側からノウハウその他諸々を教わっている。

 

「目録はこちらですが、内容の全てを公国側で把握できている訳では無いので、抜けがあるやもと但し書きが」

「元より全て解読する積りではありましたが、この量では時間が掛かりますな。通常業務もありますし、私共の弟子より有望かつ優秀な者を幾人か回しましょうか?」

 

 フールーダ自らが直接指導した、選ばれし三十人と呼ばれる弟子たちは皆優秀な魔術師である。第四位階や第三位階を使いこなし、もしくは各自の研究分野について格段の功績を誇る者達だ。彼らは徒弟であると同時により下位に位置する者達の師である事も多くあり、フールーダの孫弟子曾孫弟子とも呼べる者たちは結構な数に上る。

 

 そうした者の中から信頼できる実力者を選び抜いて使おうかと、高弟が言い出したのはそういう話であった。

 

「それで良い。ただし、重要度の高いものについては私か、お前たちの手で管理しなければな。特にこの──」

 

 フールーダの枯れ木の如き細い手が、抱えたままだった奇妙な秘宝をより強く握りしめた。

 

「禁忌の魔導書に関しては、地下のあれに次ぐ体制で管理せねば」

「了解いたしました、師よ」

「ではそのように取り計らいます」

 

 目配せを受けて退出する弟子たちを見送り、フールーダは部屋の中央に位置する机に付き、秘宝の金属板を捲った。そこにあるのは未知の種族の言語だが、読む事自体は魔法を用いれば可能である。老人は体内から巻き上がる興奮を抑えて詠唱を行い、魔法を発動する。

 

 フールーダは廊下を爆走し更に飛行した事からも分かるように、非常に興奮していた。深淵へと至る手掛かりが手に入ったのだから当然の事だが、同時に頭のどこかの冷静な部分が囁いていた。

 

 ──この書物は確かに貴重で希少な手がかりだが、私に飛躍を齎す事は無いだろう。

 

 今までの経験で分かる。魔法の深淵とはそれほど容易いものではない。この秘宝にしたところで、確かに第七位階以上の魔法について詳しく書かれていたとしても、直接的に行使の仕方を一から十まで書いてあるわけでは無い。

 

 この奇妙な書物は他に例を見ない貴重品。しかし、この中にあるのは深淵の知識の欠片も欠片、有るか無きか些細な手掛かりだ。針の穴より小さい隙間から、奈落の底に細い光が差している様なもの。とても深淵を照らす導きの光とはなり得ない。

 

 しかし、フールーダ・パラダインにはそれで十分だ。

 完全な暗闇の中を歩いてきた。教え導てくれる者も無く、手掛かりすらなく、それでも這いずって這いずって此処まで来た。人類未踏の領域と語られる第六位階魔法を詠唱するまでに到達したのだ。

 暗中模索を数百年、無明の荒野の最先端で単独行を続け、自らの進む道を自分の手で切り開いてきた男には、その程度の些少な灯火でも十分すぎる。

 

「……」

 

 分かり易い飛躍など望めない。虫けらにも劣る速度で僅かずつ進んでいくしかない。それでもフールーダ・パラダインならば進歩できる。人類史上でも最上級の才を狂的な努力で誰よりも長く磨き続けた人物ならば。

 

 ──やはり素晴らしい書物だ。読むことが出来たのは幸運に他ならない。飛躍は齎さずとも、進歩の糧としては大きい。

 

 内心でぽつりと呟く。先ほどまでの言葉が冷静な頭の一部分が発した言葉ならば、これは熱狂した頭の一部分が発する言葉だった。

 

「──流石は国宝、と言った所か」

 

 ──国宝と言えば、陛下が王国を取り込めば、かの五宝物をこの手で調べる機会も来よう。

 

 フールーダはそう思う。王国の五宝物は、十分興味深く研究に役立つだろう素材だからだ。

 

 フールーダには、あれらと同等の力を持つマジックアイテムを作成できない。あれらの性能は第六位階魔法によって発現できる限界を超えていると考えても不思議はなく、即ち第七位階以上の魔法の手掛かり足りえるものかもしれない。

 

 それは勿論フールーダが専門の付与術師では無く、作成に特化した魔法詠唱者では無いからでもあるけれども。

 

 ──もしも本当にそうした超高位魔法によって魔化された物品なら、手掛かりとしてはこれ以上無い程のものだ。

 

 熱に浮かされた思考は前向きにそう言っている。しかし、同時にこんなことを考えてしまう。

 

 ──なぜ私には師が、教え導てくれるお方がいないのか。いればこんなにも遠回りをせずにすんだ、こんなにも時間を無駄にせずとも良かった。

 ──もっと深き深淵に手が届いていたのに。

 

 自らの弟子たちが羨ましくすらあった。彼ら彼女らには自分という導き手がいた、時間を無駄にせず効率的に成長が出来た、自分より若く早く位階を駆け上がっている、と。

 

 考えても詮無い事。そう済ましてしまうには、積み上げた年月と抱く情熱が巨大すぎた。胸の内を燻らせる炎を諫めながら、フールーダは外見的には一切の異常を表す事無く、目の前の魔導書を読み解いていった。

 

 

 

 

 公都の警備兵であるレアルト・ムーアが、夜の通りを自宅に向かって歩いている。平均より大柄で筋肉質な体躯を持つ彼は、しゃっくりをしながらゆったりまったり宵闇の中を歩いていく。手に携えた灯りだけが足元を照らす材料だ。今宵は雲が濃く、月が出ていないから。

 彼は先も述べた通り、公都の治安を守る警備兵だ。衛士とか騎士、酷いと憲兵等という全く間違った名で一般人から呼称される事もたまにあるのだが、警備兵である。

 

 街中で酔っ払いの保護や夫婦喧嘩の仲裁、道案内などを主な職務としている為、なんだかほんわりしたイメージを持たれがちなのだが、彼ら警備兵は一般の民から志願者を募って構成される公人である。

 

 この近年は中々に平和かつ好景気であり、犯罪者の捕り物等の大きな仕事は比較的少なかった。代々の大公殿下のお膝元たる公都は、あからさまな非合法組織や犯罪者の徒党は軒並み撲滅されているのである。完全に人っ子一人いない訳では無いにしろ、表社会にまで力を振るう事の出来る大きな組織は存在しない、と一般には思われてる。

 

 軍人並みとまでは言わないまでも、彼ら警備兵はそれなりの訓練も熟している。選考に当たって最低限の体力試験もある。あからさまに運動ができなかったり、著しく体格が劣っていたり、職務に差し障るほど気弱な者は警備兵になれないのだ。

 

 あと犯罪歴がある者も弾かれるが、それは当たり前と言うものだろう。

 

 冒険者や専業軍人である騎士などとは到底比べられないけども、一般の人々と比べれば強い方だ。国から支給される装備品にプラスして、自前で購入した過度でない程度の武装をする事も認められていた。

 

 レアルトは今日、直属の上司の昇任祝いでしこたま酒を飲んだ帰りであった。ごく真っ当な人事で、彼の上司は現場で数人を指揮する立場から、一隊を纏める立場に昇進した。上司は少々頭が固いが、熱意と気骨のある尊敬できる男だった。聞けば実家は鍛冶屋だという。跡目は幾人かいる兄が継いだそうだが、父親はそれこそ鉄鉱石の如き堅物で、幼い時から厳しく育てられたのだそうだ。

 

「だー、もう、あんまり何回も話すから覚えちまったよ」

 

 酔った上司は幾度も同じ話をした。お陰でレアルトは彼の半生を殆ど知った。二十歳になったばかりのレアルトにとって、父親と同じくらいの年代の男の身の上話は少しばかり退屈なものだった。上司の事は尊敬しているが、それだけは辟易とさせられたものだ。

 

 レアルトは上司に気に入られている。若い者の中では根性があって、仕事の覚えが良いからだ。一見すると厳めしい顔をしているが人当たりが良く、笑うと年相応の柔らかさが出る。そういうのが市民には受けが良いのだとか。

 

 少しばかり面映ゆい感もあるが、期待されているというのは嬉しい事だ。レアルト本人も、その期待に応えるべく日々訓練と職務に精を出している。

 

 そんな彼の耳が、通りの脇にある小道から異音を拾った。物を引っ繰り返した様な音と、何か硬いものが地面を打つ音の混成音であった。

 

 レアルトはぴたりと足を止め、手に持った灯りを音のした方に差し向けた。そこに在るのは脇道というよりか、建物と建物の隙間とでも表現する方が的確な、本当に小さな小道であった。

 青年は空いている片手で自分の頬を二三度張って酔いを散らし、歩み寄り、

 

「其処に誰かいるのか?」

「──…………」

 

 問う声に、奥まった所から本当に小さな身動きの音が帰ってきた。ついで、なにやらもがく音が聞こえてくる。

 

 人がいるらしい。そう判じたレアルトの行動は速い。彼は一応自分の武装──支給品は保管庫に置いてきているので、腰にあるのは自分で見繕った棍棒だけだ──を確かめ、その小道に分け入った。

 

 狭い。一応そのまま入っていく事は出来たが、左右に一歩分の隙間もなく、窮屈な思いをする。しかも足元にはゴミやら廃材やらの不法投棄物が沢山あって歩き辛かった。音の人物──酔っ払いかなにかだろうか──はそのせいで転んだのかもしれないと考えた。

 

「大丈夫ですか? 私は公都警備兵のレアルト・ムーアです。こんな夜更けにどうし──嘘だろ!」

 

 声を掛けながら十数メートルほど進み、レアルトは大声を出した。

 

 其処に居たのは酔っ払いでも浮浪者でも無かった。灯りに照らされたその姿は、明らかな異形。

 ゴミか何かに蹴躓いたらしく地面に這いつくばって、無造作に立ち上がろうとしてはまた転んでいるのはアンデッド。それも白骨死体。肉も皮膚も完全に無くなった死者──骸骨【スケルトン】だった。

 

 レアルトは腰の棍棒を抜き放ちながら大股で十歩下がり、そして灯火を高く掲げて出来る限り広範囲の前後を見渡し、同時に耳を澄ました。来た道にも行く道にも、何者の姿も身動きの音も見受けられない。目の前の白骨以外は。それを確認し、青年は誰にともなく罵倒を吐いた。

 

「なんだってこんな所に──此処は墓場じゃないぞ! 打ち捨てられた死体があって、それが誰にも見つからずに白骨になるまで放置され、んでアンデッドになって動き始めたってか? 馬鹿も休み休み言え、ちくしょう!」

 

 表の大通りではないにしろ、此処は一国の首都の通り道、そのすぐ近くである。巡回警備の者も毎日周辺を通るし、出入り口はどうやら使われていないらしいが、左右に立ち並ぶ建物には住人がいる。死体一つ腐っていって誰も気づかない訳がないのに。

 

 酔いなど一瞬で吹き飛んだ。レアルトは灯火を地面に置いて、武器を構えていない方の手をフリーにする。そうしてから、ようやく立ち上がりかけている化け物を睨んだ。

 

「アンデッド、スケルトン。難度は普通なら三──だったよな? もっとあったっけ、でも十までは行ってない筈だ。最低位アンデッド全般の特徴として知能が低く、盲目的に生者に襲い掛かる。動死体【ゾンビ】に比べれば俊敏で、もう死んでるから痛みを感じないし殴っても怯まない。完全に偽りの生命力を失うまでは頭を割っても背骨を折っても襲ってくる……んで、即死条件は首を刎ねる事」

 

 一撃で首刎ねんのは難しいよな、と己の技量を鑑みて苦渋を滲ませる。

 

 動揺している自身を落ち着かせる為に、警備兵として教育を受けた時に習った知識を声に出して呟くレアルト。そうして、大丈夫だ、と自身を鼓舞する。

 

 公都の墓地区画を巡回するときに、出くわしたアンデッドと戦う事がたまにある。レアルトも同僚の警備兵たちと共に何体かその手で葬っている。先輩方の中には、もっと強いアンデッドと遭遇しても生きて帰ってきた人がいる。

 何時もは長い槍のリーチを有効に使い、遠い間合いから一体を複数人で囲んで叩く戦法が多用される。今はその戦い方は出来ないが、幸い此処は狭い路地で、前方の一体以外に敵はいない。前だけに集中できる。そして、手に持った棍棒は堅い木材で出来た立派な打撃武器だ。スケルトンには打撃が有効だから、これも有利に働く。

 足元の散らかり様にさえ気を付ければ、条件は良い。

 

「おら、来いよ。生きてる俺が憎いんだろ、さっさと来い」

 

 挑発に釣られた訳では無いだろうが、完全に立ち上がったスケルトンは青年に向かって走った。目の前に現れた生きの良い生者を害するという目的、願望、欲望を果たすために。

 

 その動きは俊敏だ。鈍いゾンビと違って骨しかないスケルトンは──そもそも何故筋肉も腱も無いのに動けるのかという点は置いておいて──身軽で、故に意外と素早い。青年が期待していた、足元の物に躓いて転ぶといった偶然は起きなかった。

 

 しかし、それは機も何も無いただ近寄って掴みかかるだけの動き。一般人なら慌てて背を向けたり恐怖で足が竦んだりしたかもしれないが、訓練を積んだ警備兵であるレアルトは臆さない。

 

「おおっ!」

 

 動きを見極め、狙い澄ました棍棒の一撃をスケルトンの胸骨に叩き込んだ。骨が幾本も割れ砕け、衝撃で突進の勢いが一瞬緩む。その瞬間にもう一撃、今度は右の肩口に思い切り振り下ろす。

 即座に相手を突き飛ばしながら自身も引く。そうしてそのまま、蹴躓いて転ばないように摺り足で一歩、二歩、三歩とゴミを蹴散らしながら下がり続けると──

 

「──……!」

 

 スケルトンはまた無策の突貫を行う。さっきの二撃で上半身は半壊、片腕は取れて無くなっているのに。低位アンデッドであるスケルトンには、戦術を考える知能など殆ど無い。精々目の前に見えている落とし穴を避ける程度だ。

 

『自身の怪我の度合いと相手の力量を考えて一旦引く』とか『相手の戦法を悟って対応する』、そういった高度な思考が行えないのだ。

 アンデッドは生者より優れた点を幾つも持つ。疲労しないし恐れない、痛みを感じず食べなくても寝なくてもまるで問題なく動き続ける。それは戦う者として見た場合、大きすぎる利点だ。それらは長期戦となった場合これ以上無い程のアドバンテージとなる。

 

 だからこそ、

 

「短期決戦……! どりゃああああっ!」

 

 両手で棍棒を握りしめ、レアルトは大上段からの振り下ろしを敢行。下顎と後頭部を残した顔面と頭頂部を粉砕し、

 

「うらぁ!」

 

 棍棒を短めに持ち直すと、やや窮屈な姿勢に腕を畳みながらも豪快なスイングで半壊した胸部にもう一撃。残りの胸骨肋骨諸共背骨を叩き割り、身体を両断する。頭部の半分と上半身を失ったスケルトンは不法投棄のゴミクズに紛れ、地に横たわった。

 

 レアルトは肩で息をし、ほっと胸を撫で下ろす──寸前で、スケルトンの残骸から急いで離れた。

 

「確実に倒せたか、外見での判断がし辛い為、完全に動かなくなるまで油断は禁物──ですよね、隊長」

 

 昇進した上司の教えを反芻し、用心深く半ばバラバラになった白骨を窺う。死んだふりをする知恵など無いと分かっていても、どうしても不安なので試しに不法投棄物を投げつけてみたりして、ようやく倒せたらしいと安堵の息を吐いた。

 

「っはぁー……すぅー……はぁー……」

 

 何回も深呼吸をし、息を整える。緊張感で誤魔化していた酒酔いが出たのか、少しふらついて壁に手を付いた。警備兵であるレアルトにしても、たった一人で、しかも棍棒だけでスケルトンと戦うのは初めての経験であった。日頃の訓練で手を抜かなくて良かった、と厳しい上司に感謝する。

 

「墓場や戦場ならまだしも、こんな街中でアンデッドが出るなんて明らかな異常事態だ。夜警の連中に報告して警戒態勢と事実関係の調査を願い出ねぇと」

 

 一体何故こんな所でアンデッドが発生していたのか。大昔に此処で人死にがあって、長い年月をかけて妄念によってアンデッドと化したのだろうか。それとも公都のど真ん中で死霊魔法を行使した者でもいたのだろうか。アンデッドは自然発生するものの他にも、なんらかの特殊技術や魔法によって発生もしくは作成・創造されると聞いた事がある。

 

 どちらにせよ、迅速な対応が必要だった。この場にはレアルト・ムーアの様な若年の警備兵では無く、専門家によるきちんとした捜査と情報収集が必要なのは明らかだ。

 

 アンデッドは死と縁深い場所で良く出没する。分かり易い例では墓場や戦場だ。公都の墓地区画の様な手入れの行き届いた場所であっても、そこそこの頻度でアンデッドが湧くのだ。

 そして質が悪いのは、アンデッドの存在はアンデッドの発生を促進するらしいという事。帝国と王国の国境付近には年中霧で覆われたカッツェ平野があるので有名である。其処は霧の中にアンデッドがうようよいる上、エルダーリッチ等に代表される強力なアンデッドも多数存在するらしい。

 

 もしかしたらこんな街中にスケルトンが現れるという今回の異常そのものが、強力なアンデッドの存在によって起こった事態なのかもしれないのだ。

 

「こんな夜中じゃなかったら近所の住民に伝えるように頼んで、その間に俺が此処を固めて誰も入れないようにするんだが……俺、結構デカい声で叫んだよな? 物音もしてたし、両隣の奴は起きてこないのか?」

 

 余程寝入りが深いか、何らかの荒事と判断して関わり合いにならないように避けているのかもしれない。兎も角彼は灯りを拾い──

 

「もう一体いたりとかしないよな……」

 

  走り出す直前、アンデッドが今の一体だけとは限らない事に気付くレアルト。自分が走り出した後で通りがかりが襲われたのでは洒落にもならんと、出来るだけ早く周囲を見回り、改めて走り出した。

 




※公国の禁忌の魔導書と公都に現れたアンデッドは別口です。分かりにくかったらすいません。

捏造設定:警備兵は公国が貧乏だった時代に「騎士より掛かる金が少なくて練成期間が短く補充しやすい、そこそこの力量を持つ治安維持要員」として作られた。昔は民衆からやや評判が悪かったが、今はもう長年のイメージ向上努力によって民衆の間に誉れある職として根付いている。

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