ナザリックへと消えた英雄のお話   作:柴田豊丸

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遥か後世の書籍『宮廷史』より抜粋。

「何故その様な惨い事をなされるのか」

 そう問われたのは、至高の君の隣に侍るかのお方。彼女は悠然と微笑んでこう仰られた。

「──決まっているじゃない。愛故に、よ」


2016年3月4日
作者の勘違いが原因でスキル名を変更しました。
成形炸薬撃→爆裂撃



初依頼:クラーケン討伐

 まるで海の様だ、とイヨのみならず修繕した漁船に乗り込んだ皆が思った。

 足元の板切れの下には、身長の何倍何十倍の水深を湛えた湖があるのだ。事前に用意しておいた木材と魔法で仮修繕を行った為、少なくとも今すぐに船が壊れる筈もない。無論長期的な使用には到底耐えきれないが、元よりほんの僅かな間だけ壊れなければ問題の無い代物である。短期的には平気な筈だ。

 

 しかしそれでも、もしもと思ってしまう。巨大湖は文字通り広大だ。深遠なまでの水量を誇る。かのクラーケンを筆頭に水生モンスターも多数生息しているが、長い歴史の間に人類が体験し、学習し、獲得した比較的安全圏の内側ならば、頻繁に襲撃を受ける事は無い。だから地元の民が漁をして生活を営んで行けるのである。

 

 感じる恐怖は、モンスターと斬った張ったをする命のやり取りとはまた別なモノ。

 それは遥かな高所に立つ様な、支えるものの無い空に身を投げる様なそれと似た種類の恐怖。落ちれば普通は助からぬと云う余りにも常識的で当たり前な怖さ。

 

 人の生息域は当然陸上である。水の中ではない。水中では呼吸が出来ない。森の中ですら人の領域ではなく、本来の性能を発揮するのに訓練のいる場所である。水の中はその比ではないのだ。

 

 泳げる事とて気休めである。

 

 人の泳ぐ速度など水生生物に比べれば遅々たるものである。通常の服とはまるで重量と取り回しの異なる戦闘用の防具類武器類で全身を覆っているのだから、生身一つより遥かに消耗は重く、沈みやすい。振るう剣一つにしても威力も速度も桁違いに劣化する。

 

 命と引き換えならば高価な武装を放棄することも当然有力な選択肢の内だが──陸から離れれば離れるほど、事前の備えはあれどもやはり怖い。もしも、と思ってしまう。

 震えるほど臆病ではないにしろ、恐怖を御せないほど小胆でも無いにしろ、こういった本能的な恐怖は完全には無くせないし、無くしてはならないものだ。

 

「この中で、クラーケンとの戦闘経験のある者はイヨだけだ。ろくすっぽ情報も無い敵相手だが、その経験のお陰で相当の事前準備が出来た。それこそ、組合の想定より一回り強大でも対応は可能だ」

 

 墨を吐くとか、混乱の状態異常を付与するとか、拘束を仕掛けてくるだとか。そういった特殊能力及び、もしかしたら使ってくるかもしれない各種魔法への対応策は準備済みだ。

 ある程度まで進み、櫂を漕ぐのを止めた時、ガルデンバルドが切り出す。既に岸からは遠く、普段漁師が働いている水域まで来ている。つまり、クラーケンの出現した領域の極近くである。

 

「事前の打ち合わせ通りだ。イヨが言った難度百を遥かに超える様な化け物相手なら何を置いても引く。各自連携を維持しつつ死なない事を最優先に」

 

 強いクラーケンはこの場の全員でも全く歯が立たない。レベルが違い過ぎるし、最高レベル帯のクラーケンは邪神の眷属と云う設定持ちだったりするので、スペックもそれに準じて怪物級だからだ。可能性は低いにしろ、その場合は耐性無しで視界に収めると発狂まであり得る。そんな相手とは戦えない。対策も焼け石に水である。

 もしそうだったら逃げの一手だ。

 

「骨格に縛られない柔軟な動き、数多くそして自由自在の触腕。動きの感覚は普段戦っているモンスターとかなり異なる筈だ。前衛は常に一歩も二歩も遠間気味に、視野を広く保つこと。不測の事態があっても対応できるだけの余裕を持っていてくれ」

 

 見知らぬ敵は常に脅威だ。実体験の伴わない知識だけの相手も似た様なものである。この一戦で仕留め切らずとも一様再挑戦自体は可能な相手である以上、人的損耗は出来るだけ避けるべきである。彼ら彼女らは冒険者なのだから。命あっての物種なのだ。

 

「後衛は火力、そして支援として機能して貰う。前衛から防護に優れた俺が援護に付く。当たり前だが自分自身でも警戒を怠らない事。魔力の残量に気を使っていてくれ、さっきのラミアがどうも気になる。どんな場合でも自力で走れる程度には余力を残しておいてくれ、他の面子に担いで走る体力が残っているとも限らない」

 

 頷く魔法詠唱者達に頷き返し、ガルデンバルドは野伏と盗賊に目を移した。

 

「中衛は全体の負担を軽減するべく臨機応変に。前と後ろで負担が偏った方に助勢をしてもらう。基本は自由な立ち回りを許すが、耳目を活かすのは忘れないように。重ね重ね言っておくが、ラミアが気になる。連中は泳ぎも上手いし、気付いたら包囲が完成しているなどという状況はごめんだ」

 

 全員で決めた作戦──といってもやる事自体は単純である──を再度確認していく。最後にバルドは、この場で最も小柄な少年を指し示した。

 

「そして全員周知の事と思うが、今回は新人がいる。腕っぷし自体はこの場で最も強大な武人と表現して差し支えないものの、冒険者としては素人同然だ」

「素人ですけど頑張ります!」

 

 意気軒昂とおててを掲げて、イヨが言った。彼の武装、腕甲【ハンズ・オブ・ハードシップ】と脚甲【レッグ・オブ・ハードラック】には、特殊な革帯が巻き付けてあった。本人はこの上なく真剣なのだろうし、実際表情には些かの緩みも見受けられないが、元の顔立ちが子供っぽさ満点である為、お皿洗いに志願するお子ちゃまチックな雰囲気であった。

 

 年長者たちはその様子を見て僅かに目を細め、

 

「……とまあ、突っ込み過ぎた場合や場の流れに気付いていない場合等、申し訳ないが手を貸してやってくれ。副組合長との一戦を見たみんななら分かっていると思うが、経験さえ積めば文句なく最上位冒険者として相応しい人間になれるだろう逸材なんだ」

 

 【スパエラ】の三名は最早イヨの扱いを熟知していると言っていい。何分単純で、非常に素直かつ扱いやすい人物なのである。メンバーの入れ替わりが激しいチームでもあったので、新入りを中核の三人で育成する事にも慣れている。なので問題らしい問題は、ぶっつけ本番である事位しかない。

 

 そして【戦狼の群れ】は、人員の少なさと新入りが一人いるという不安要素を戦力の拡充によって補強する目的で雇われたチーム。なので、バルドの言葉はこの場の全員というより、【戦狼の群れ】の面子に向けて言った側面が強い。

 

「勿論だ。二十年ぶりのアダマンタイト級の誕生を、俺達みんなが待ち望んでたんだからね。その初陣をしっかりサポートしてあげるさ」

「単純に強い味方ってだけで得難く有り難い存在だからな。その腕っぷしを十二分に発揮してもらえれば、全体の被害や損害が減る。後ろは任せてくれて良いぞ、その分前は頼んだからな」

「実力では敵いませんが、私たちの方が経験も年齢も上ですからね。子供の世話は大人の役目ですよ」

 

 歴戦の強者らしい威厳たっぷりの笑みで、年長者たちは請け負った。心強い大人の姿であった。バルツネヒトとダーインも寡黙に、しかし確かな自信を窺わせる表情で頷く。

 バルツネヒトはちょっと子供が苦手で物静かな性格なだけなのだが、ダーインはかつてのモンスターとの戦いで顎と声帯の一部を損傷している為、話す事自体は可能だが、明瞭な発音があまり得意では無いのである。元より無口な男だったが、それで輪を掛けて無口になったのだった。

 

 魔力系魔法詠唱者バルツネヒト、彼のパッと見の外見は『悪の魔法使い』である。

 経年劣化の著しい闇色のローブの上から更にフード付きロングマントを身に纏い、顔色はちょっと心配になる位に青白い。その上骨の浮いた腕で携えているのは亜人種と魔獣の骨で作られた杖だ。無論どれも正規の手順で手に入れた強力なマジックアイテムだが、なんだか全体的に呪われていそうな感じであった。

 そんな彼の悩みは矢鱈と子供に好かれる事である。悪人まっしぐらな外見と善人そのものな人格のミスマッチは、意図せずお子様に大人気であった。

 

 二刀使いの軽戦士ダーイン。顎から喉にかけての大きな傷が目立つ彼の外見は、ぶっちゃけ裏稼業の人間を想起させる。

 生来藪睨み気味の三白眼も少々刺激が強く、革と軽金属の防具も傷が目立ち一見柄が悪そうに見える。公国の二刀流戦士はガド・スタックシオンという偉大な先達の影響で、両手それぞれに同一の武器をもって苛烈に攻めるスタイルが主流だが、彼は利き手に通常の大きさの武器を、反対の手に小さく軽量な武器を持つスタイルの戦士だ。利き手側の武器は相手によって刺突、打撃、斬撃を切り替え、反対の手の装備は常に受けと防御に優れた短剣であるマンゴーシュを振るう。

 因みに目を見張る様な美人のお嫁さんと結婚していて、五人の子を持つパパである。無名の冒険者だった頃は家族と出歩くたびに街の警備兵に声を掛けられたそうだが、今ではそんな事もなくなったらしい。

 

そんな先輩たちに無言の低頭で返礼したイヨに対してバルドは、

 

「お前はクラーケンとの戦闘経験を持つ唯一の人間でもある。何か気付いた事があったら遠慮なく声を上げて周知してくれ。新人だからといった気遣いはいらないぞ。お互いがお互いの命に関わる立場だからな」

「了解しました!」

 

 

 

 

 さて、そうして冒険者達は作戦に移る訳だが、まず当のクラーケンと出会えなくては戦いも糞も無いのである。まず発見し、接敵し、交戦しなければならない。その為にどうすればよいか? 

 

 単純に面積で見てすら大きな街が四つ五つは入ってしまうこの巨大湖を探して回るのか。いやさ、それは非効率が過ぎるというものである。幾らクラーケンが大きいとはいえ、巨大湖はその数万倍も大きく、そして深い。水の上をお船でぷかぷかしていたら何時発見できるか分かったものではない。

 

 クラーケンの被害が看過できないほど頻発しているとはいえ、それは湖に船を出せば百%襲撃を受けるといった次元ではない。もしそうだったらガバル村はとうに廃村になっている。連日朝晩数十隻の漁船が出る中で、何日かに一、二隻が襲われ、乗組員数人が死亡する。被害の度合いはそれ位である。それ位と言っても、辺境の寒村からしたら到底容認できない被害だが。

 

 で、広大にして深遠な湖の中から敵を見つけだす為に、冒険者たちが考えた方法とは──

 

「最低限の緊張感は途切れさせんなよ、ここが一番出現情報が多い処、奴の縄張りの推定ど真ん中なんだからな」

「あー、シノン君。そんな一心不乱にやらなくてもいいよ。あくまで負担にならない位にね。投網を打つのと同じくらいの音が出せたらそれで十分なんだから」

 

 漁船の上から櫂と切り出した木の枝を使って水面をバシンバシン叩く。叩いて音を出す。要するに縄張りの真ん中で存在を主張することで、捕食か排除の為に相手から姿を見せる様に仕向ける策である。

 

「僕の武技の爆発でもっと大きい音が出せると思うけど……」

「それだと、漁で出る音と比較してデカすぎると思うんだよ。魔獣の類だったらむしろ向かってくるかもしれんが、相手が動物並の知能だったら逃げ出しちまう。動物って意外と賢いもんだぞ、下手に恐れられると二度と近寄ってこないかもしれねぇ」

「地元の方々の情報から推測しますと、ただ船で水上を移動している分にはあまり襲われないっぽいんですよ。被害が出る時は大体作業中で、水面を騒がせている時です。その状況を疑似的に再現するのが──って、この話題何度目です?」

 

 初期の作戦立案の時点から総計すると七、八度目位。船に乗ってからだと三度目位だろうか。ちょくちょく移動しながら交代で水面を叩き続ける事既に二時間が経過しており、正直集中力も緊張感も持続しなくなってきていた。警戒態勢は保っているが、無理をしてトップギアの状態を維持していると疲労が募るので、現在適度に力を抜いている処である。

 

「殴り合いなら緊張しないのに……ただ待つ時間って辛いね。早く村の人たちを安心させてあげたいよ」

「その為にも、今は余分な体力を消耗しないように抑制しておく事じゃな。なにせ相手が喰いつくまではこれを続けるんじゃ、逸っておると辛いぞ」

「はい……あ、リウル見て。あっちにでっかい恐竜さんがいるよ」

 

 イヨは少しばかり気を張っている様だったが、先輩たちに諭されて多少は落ち着いた様子だ。

 この時子供っぽい言い方がちょっとツボに入ったらしいイバルリィが噴き出しかけたのだが、当人であるイヨは気付かなかった。

 

 両手が塞がっているイヨが視線で示したのは、船首を十二時として九時の方向に数十メートルの距離にいた大きな生物であった。首から先を僅かに水面から出し、円らな瞳で興味深げに船の方を窺っていた。

 それは翼の無いドラゴンの様な姿をした生き物である。体長はおよそ数メートル程で、柔らかそうな青白い鱗で全身が覆われていた。大きい二頭と小さな一頭が連れ立っている。親子だろうか。

 

「あー……確か、カマウェトだったか? 難度は十二だった筈だな。伝聞情報だけど、図体の割に温厚で人懐っこい奴らしいぞ。海の近くだと牛や馬みたいに人と共存してたりもするとか聞くな」

 

 あー、そう言えばそんなのもいたね、とイヨは頷く。体つきや鱗の色など微妙な違いがあるが、たしかあの種族はユグドラシルにもSWにも居た。わあすごい実物を見ちゃった、等と一瞬はしゃいでから、

 

「──あれ、カマウェトって海の生き物だったよね? 分類的には動物じゃなくて幻獣なんだっけ。なんで湖にいるんだろう」

「なんだ知ってんのか。あいつ等に限らず、巨大湖には本来海に生息してる筈の生き物が結構いるぞ。大昔に実在したらしい水棲竜の伝説とかシーサーペントの目撃例とかもあった筈──」

 

 リウルの視線の先で、ついさっきまで和やかに過ごしていた三頭のカマウェトが泡を食って潜行し、遠ざかっていった。同時に、脚下から巨大な生き物が近寄ってくる気配。

 

「──総員退避! 船を捨てろ!」

 

 叫んだ直後、水面を引き裂いて現れた巨大な触腕が漁船を木っ端微塵にした。

 

 

 

 

 飛び散る木片と水飛沫の中、【スパエラ】と【戦狼の群れ】両チームの面々は回避に成功していた。この程度の事態に対応できない様では、彼ら彼女らは遥か昔にモンスターの腹の中に納まっていただろう。

 警戒の叫びからクラーケンの触腕が船を叩き潰すまでは一瞬だが、凡百の冒険者を遥かに超えた力量を有する歴戦の勇士たちにとっては、船外に退避するのに十分な時間である。

 

 それぞれが飛び立つ際の体の捻りでクラーケンを視界に収めつつ、適切な方向に逃げる。しかし、逃げ出した先は水深数十メートルとも数百メートルとも囁かれる湖である。当然全員がどぼんと音を立てて淡水に沈む──事は無かった。

 

 空を飛ぶ術を持たぬ者達は、なんと波荒れる水面をまるで地を行くが如く疾走する。水の神に仕える神官であるイバルリィ・ナーティッサが全員に行使した魔法、〈ウォーター・ウォーキング/水上歩行〉の効果だ。船上にて効果時間が半分を切るたびに買い漁ったスクロールを用いて掛け直していた為、効果は後四十分は続く。

 

 バルツネヒト、ベリガミニの両名が〈フライ/飛行〉を発動し、ローブをはためかせて宙を舞う。飛行魔法を扱う事の出来る高位魔法詠唱者は敵と距離を取る事だけに意識を割く簡単な方法で機動戦をものにするが、経験豊かな熟練者である二人の描く軌道は見事であった。大木の如く長大で巨大な触腕の手の届く内から速やかに退避し、全体を見渡せる高所を目指す。

 

 ──おお、何たるデカブツじゃ! 

 

 濁った水面から突き出す触腕は四本ばかり、そしてその先には未だ水面下に身を横たえた巨大な影がうっすらと見えていた。全長は三十メートル以上か。胴体部だけでも四~六メートルは下るまい。彼我の大きさの違いだろうか、クラーケンは未だ冒険者たちが己が襲撃を回避し得たとは気付いていない様であり、漁船の残骸を触腕で水中に引きずり込まんとしている。

 

「続けバルツネヒト、一番槍はこの儂らが頂こうぞ!」

 

 と言っても、放つそれは攻撃魔法ではない。ベリガミニ・ヴィヴィリオ・リソグラフィア・コディコスは杖を持つ右手の中指に装備した指輪の力、一日に一回だけ装備者の魔法行使能力を補助、増強させる切り札を初手から発動させる。

 

「〈バインド・オペレーション/拘束作動〉!」

 

 魔法上昇による第四位階魔法の行使。指輪の助力によって消費魔力を抑えられたそれは、しかし巨大な海魔の移動を制限する。完全な停止までは行かないが、移動力は元の力を考えれば遅々たるものと化す。そして、効果の発揮と同時に追い打つ攻撃が叩き込まれた。

 

「〈ライトニング/雷撃〉」

 

 クラーケンの直上から斜めにズレた位置取りより放たれたバルツネヒトの魔法は、本人の覇気に欠けた発声からは想像も出来ない威力を持って海魔に迫る。自然界の理とは異なる術理の下に発現せし雷が、二本の触腕と水中に蠢く本体を雷速で穿った。

 

 激しくのたうち、幾本もの触腕を捻じれ振り回すクラーケン。彼──彼女かもしれないが、頭足類の雌雄の区別などこの場の誰にも付かない──に発声器官があったならば苦悶の叫びを挙げた事だろう、しかし彼にはそのような器官も、そして声を上げる暇も与えられなかった。

 

 イヨとダーイン、この場で最も速度と攻撃力に優れた二人の前衛が、クラーケンの元へと突進していたからである。

 

 

 

 

 リウルの号令によって全員が逃げる時、一番早く行動に移せたのがイヨであった。レベルの差、この世界の目線に立っていうならば進化の度合いの差による、神経伝達速度と反射神経、身体能力の差もあるが、パッシブスキルである【気配察知】の恩恵でもあった。

 

 号令とほぼ同時に脚下から迫りくる奇襲を感知し、船から飛んだ。

 

 背後で水面が爆裂し、現れたうねる触腕がさっきまで乗っていた船を圧搾する刹那、目の端で他の面子が問題なく避難したのは確認した。

 

 直後、水面に着地し、同じく攻撃的前衛を務めるダーインの下へ駆ける。

 〈ウォーター・ウォーキング/水上歩行〉は、地を行くが如く水面を駆ける力を与えてくれるが、それは『水面を地面と同じにする』のとは違う。あくまで地面を行く様に水面を行く事が可能となるだけで、水は水のままだ。

 

 即ち、水面の荒れ様に思い切り影響を受ける。踏み締める筈の地面が波打ち、流動する状況で、満足に歩行を行える人間がいるだろうか。いる。イヨを含んだこの場の全員がそうである。卓越した身体能力とバランス感覚、積み上げた経験と対応力で疾駆する。

 

 中でもイヨはマスター・オブ・マーシャルアーツの一レベルにて自動取得したスキル【仙理の運足Ⅰ】を保有している。スキルの効果は足場の悪条件を一定程度まで無視し、移動と行動に対するボーナスを得る事。最大でⅢまでレベルが上がるこのスキルは、スキルレベルⅡで壁面や水上を闊歩し、Ⅲレベルに至れば空気中の塵や水分を足場にした二段ジャンプを可能とする地味に強力なスキルだ。

 

 マスター・オブ・マーシャルアーツという職業の特徴は豊富なスキルを覚える事。どれも地味に有用だが、基本的に他の職業で得るスキルやマジックアイテムで代替が可能だ。それでいて効果的エフェクト的に酷く地味。しかも有用ながらも活躍できる場面が限定的で活かし辛い。上級職相応に強いは強いが、飛び抜けた性能は無かったのだ。伊達に『リアル技能自慢したい中学生用の職業』との評価を頂いていない。

 

 だが、今この場が正に活きる場面であった。不安定の極めにある荒れ狂う水面を、ダーインと共に獣の如く疾走した。

 

 上空からの拘束魔法がクラーケンを縛る。しかし、かの第四位階拘束魔法が縛るのは移動であって行動ではなく、続いて雷撃に撃たれた海魔は苦痛に激しく身を捩る。

 

 荒れ狂う幾本もの触腕。その一本一本は濁った緑色の体表も相まって、苔に覆われた大樹の如し。一撫でされれば遥かに軽量な人の身は木っ端同然に吹き飛ばされよう。──只の人ならば。

 

 ダーインと共に走り出しはしたが、速度差故にイヨがやや先行気味になっていた。前衛としての初撃は少年の手によって成される事となる。

 

 知らないモンスターだ、とイヨは思う。ユグドラシルのクラーケンに似てはいるが、外見や大きさはちょっと違う。何度も戦った事がある訳では無いので詳しくは分からないが、兎に角なんか違う。

 

 共通点は足が八本で気持ち悪くて悍ましい事くらいである。その悍ましさも何らかの精神作用を及ぼしたりはして来ていない以上、単に外見がキモいだけで、特殊能力の類は無いのだろう。

 

 言語化されない思考でそんな事を考えながら、イヨは軽く跳ねて暴れまわる触腕の狭間に飛び込んだ。そして、その根元まで進行せんと走る。触腕は大人しくなどしてくれない。のたうつ触腕に打撃されそうにもなり、挟まれて磨り潰されそうになりもする。

 

 だが、狙いを付けている訳でも無いそれらを避けるのは簡単な事であった。単純な速度で言えばかなりのものだ。身体の九割が筋肉で出来ているだけある。全身が筋肉で骨格が存在しないが故の柔軟さは動作の予測を困難にする。だけども、それだけである。ただ痛みに耐えきれずのたうっているに過ぎない。

 

 イヨは一本一本の触腕の動きを目で追わない。戦闘中にあからさまに視線を動かして物を見る事自体しない。人間の眼は白目の部分が大きいため、眼球の動きで何処を見ているのか判断する事が容易で、狙いを読まれやすいからである。なので見る時は全てを見る。一部で無く全体を、全体の大も小も諸共見る。一々視線を向けるのでは無く、視界丸ごとを凝視し注視する。それで対処できない時に、例えば対戦相手の一部分──腕だったり足元だったり──に注目したり凝視したりするのである。無論その時だって他の場所を疎かにしたりは出来るだけしない。

 

 そういった物の見方を訓練と経験によって体得している。

 

 イヨは今視界内の暴れ回る触腕を含めた全てを、それこそ水飛沫一つに至るまで捉え、害を成すものを避けている。

 

 更に言えば眼だけで物を見る事も、またしない。知覚は常に五感で行う。背後から迫りくる触腕の打撃を、イヨはひょいと避けた。視覚は最も重要だが、同時に五感の一つに過ぎないのだ。そして視覚が捉え得る範囲が視界の内側に限定される以上、知覚に聴覚や嗅覚、触覚を用いるのは至極当然の事であった。【気配察知】の力も大きい。

 

 ──ユグドラシルから此方の世界にきて、随分やり易くなった。

 

 イヨは心からそう思う。ゲーム内では現実では有り得ない身体能力や能力で、現実では有り得ない行動を実現できる。が、味覚と嗅覚を完全に削除されていて、触覚にもある程度の制限があるのは大層動き辛かった。

 

 味覚はまだ如何にかなるが、嗅覚と皮膚感覚が活かせないのは痛かった。空気の動きが分からないからだ。相手の動作で動く空気を肌や体毛、鼻で感じられないのは大きな損失である。

 

 『見てから動く』時点で後手に回っている。故に『動きの前兆を捉える』事で相手と同等になれる。『動きの前兆の予兆を捉える』事でやっと相手を上回れる。それには五感の活用が必須。そういう感覚を当たり前のものとしてきたイヨにとって、ユグドラシルというゲームの中は慣れるまで随分辛かった。

 

 これは別にイヨが特別なのではない。『前兆の予兆を捉える事で、相手が実際に動作する前に対応する、先手を取る』位は初級者以上なら大なり小なり誰でもやっている常識的な行いである。別段格闘技に限定せずとも、あらゆるスポーツ分野で、なんならスポーツ以外の日常の最中でも。

 ただ、仮にもかつて空手道全国一位の頂に立ったイヨのそれは大抵の人間より鋭い。ましてや今のイヨは二十九レベルの、通常人類を遥かに超えた肉体性能を持つ。

 

 この世界は篠田伊代の生まれた世界ではないが、現実である。相手は生き物で、自分も生き物。互いに自我をもって動く。其処に予め決まられた動きは無い。故にとてもやり易い。分かり易い。

 

 水面を駆け、ついにイヨはクラーケンの真上、触腕のほぼ根元まで辿り着いた。走る勢いを殺さず放つのは、中段回し蹴り。

 

「──しっ」

 

 僅かな呼気と共に放たれる蹴り技は、ユグドラシルプレイヤーの目線から見れば大したものではない。『お、レベルの割に良い動きじゃん。リアルでもなんかやってんのかな』と、その程度でしかなかろう。だが、この場で共に戦う仲間達からすれば、それは武の精髄の発露とも言うべき技だった。

 

 少年の回し蹴りはたった一撃で、クラーケンの大樹の如き触腕二本を『切断』した。少年が腕甲と脚甲に巻いていた革帯、ブレイドテーピングと呼ばれるアイテムの効果によるものである。動物や魔獣の牙と蛇型モンスターの皮で作られるこのアイテムは使い捨てであり、戦闘終了後に使い物にならなくなるが、一時的に拳士系の武器を斬撃武器として扱う事が出来るようになる。

 

 柔軟な身体を持つが故、クラーケンは打撃武器に対して耐性を持つ。そんな相手を効率的に殺傷する為、イヨは出来る限りの準備をして来ていたのだ。

 

 巨体だけに体液もまた多量であるらしく、酸素と結合したヘモシアニン──かどうかは知らないが、パッと見はそれらしい──の青い血液が身震いと共に振り散らされていくが、イヨはそんなものに頓着しない。間髪入れずに即座の連撃、狙いは下段。水面下のクラーケンの胴体だ。

 

 魔法の効果によって水面歩行が出来る様にはなっているが、本人が望めば潜る事も可能だ。故にイヨは腰まで水に浸かり、更に左拳を深々と沈め、

 

「ああっ!」

 

 気合いと共に【爆裂撃】の爆裂を発生させた。水の中であっても構わず迸った炎と衝撃がクラーケンの胴体を炙り、引き裂く。更に攻撃を叩き込まんとする。

 

 此処まで、戦端が開かれてから七秒ほど経過しただろうか。この時やっとクラーケンは自身に起きている出来事を正しく認知するに至った。即ち、自分は襲撃を受けているのだと。

 

 ──狩る側から狩られる側に回りつつあるのだ、と。

 

 クラーケンはその事を良しとしない。この巨大湖の生態系を生き抜いてきた彼は生まれながらの強者であり、歴戦の強者である。今と比べれば弱く小さかった幼体の時代を、捕食される事無く生き抜いているのだから。

 

 動物は人間と比べて頭が悪いと一概に言うのは間違いである。人間は文字が書けるし言葉も使うが、動物は出来ない。だから動物は人間より頭が悪いと、そう判ずるのは公平な判断ではない。判断に用いた価値観と基準自体が人の持ち物で特技で得意分野だからだ。

 それは、鳥は飛べるが人間は飛べないから下等だとか、ゴブリンは繁殖力が人間より優れるから上等だと言うのとあまり変わらないレベルの暴論である。

 

 異なる種別の生き物を同列に比べる事は出来ない。この世に生きる全ての生き物は、己が生態に沿った能力を獲得しているからである。犬には犬の、鳥には鳥の、ゴブリンにはゴブリンの、クラーケンにはクラーケンの生き方があり、そうして生きていく為の力がある。

 第一イヨの生まれた世界ならば兎も角、この世界には人間以外にも言葉を操り文字を用い芸術を生み出し愛を紡ぎ、歴史を綴る種族が厳然と存在する。それらの種族の多くは人間より頭が良く身体も強い。更に種族によって繁殖力にも優れ寿命も長く、魔法も得手とする。

 

 それらの種族と比べて人間は劣っているから下等だと、だから滅べと言われたら納得できるだろうか。出来るわけがない。生きているのだから。

 

 このクラーケンは、ユグドラシルの分類に当てはめるなら動物である。常識外れだし、地球の理に照らせば存在自体が有り得ないのだろうが、事実として魔獣でも神話生物でも無い。故にその知能は人間の基準で言うなら高等とは言えず、正しく動物並みである。しかし、その事実は弱い事と同義ではない。

 

 野生に生きる彼らは生粋の捕食者である。通常のタコでさえ知能は人間の三歳児を凌駕すると提唱する学説があり、人と同じく五感で周囲を知覚する。特に視覚の発達は高度である。

 

 クラーケンは自身に宿る捕食経験と本能と知能により、自己の状態をほぼ正確に把握していた。

 

 ──現在の自身は、何故だが分からないが著しく移動を制限された状態にある。身体があまり動かない。

 ──自慢の八本の腕は二本が断たれ、残り六本。内二本は負傷。先の上方から襲い掛かってきた『痺れる痛み』も痛手であった。

 ──今回の『縄張りを荒らす小さい餌』達は、餌であって餌ではない。自らを害する術を持つ外敵だ。逃げる事が叶わない以上、排除せねばならない。

 

 これは事実としてそう考えている訳では無いが、実際この時のクラーケンの思考を人の思考に翻訳したならば、これに近い結果が出るであろう。

 

 彼は巨体を躍動させる。自慢の腕を振るい、外敵を叩き潰さんとする。吸盤で吸い付き、自らの場である水中に引きずり込まんと欲する。最初の狙いは高みで此方を見下ろしている空飛ぶ連中では無く、己が身を直接傷つけた者達だ。

 

「時間ば稼いだ、引げ」

 

 遠間で触腕を斬りつけている者と、懐で二本の触腕を断った者。二者を諸共害そうとし、あっさり空振りする。移動を制限された今のクラーケンは、言わばフットワークを殺された武術家に等しい。幾ら振るう拳が一撃必殺の威力だろうと、遅々とした歩みしか許されない足のせいで、間合いの主権を相手に譲り渡している状況であったのだ。その様で当たる訳がない。

 

 率直に言うと、初手の拘束魔法を抵抗できなかった時点で、クラーケンの趨勢は負けに傾いていたのである。ベリガミニの魔法は移動を著しく制限するもの。あの魔法を喰らった時点でクラーケンは、牛馬の如き遅々とした移動を強制されていたのだから。

 

 逃げるには遅すぎるから戦おうと、それ自体は悪手では無かった。相手が普通ならば。

 

 今この場に集った冒険者達は、定員を割ったオリハルコン級一チームとその不足を補うべく選ばれたミスリル級一チームの計九人。一人一人を難度で測れば最低でも六十は下らない。イヨに至っては武装とマジックアイテムによる補正込みで難度百をも上回りかねない。

 

 今日此処でクラーケンと相対しているのは、紛れもなく公国最強の冒険者達であった。その手練れ達は予めクラーケンに狙いを定め、作戦を立て、装備とアイテムを選りすぐって来ていたのである。

 

 事前に想定された最も高い依頼失敗の可能性は、クラーケンに逃げられる事だった。海と見紛うばかりの湖の深遠に逃げられては、当然手も足も出ない。

 その可能性を封じる為の第四位階拘束魔法の初手行使。それが通った以上、始まるのは──その効果時間内にクラーケンを屠り殺す為に研ぎ澄まされた手順、その冷厳なる実行のみだ。

 

 前衛二名がクラーケンの触腕の檻の中から退避した瞬間、彼に降り注いだのは三つの火球だった。卓越した腕前が織り成す芸術的なまでの連携による、第三位階魔法〈ファイヤーボール/火球〉の三発同時着弾だ。

 

 ベリガミニとバルツネヒトの上空からの魔法行使、ビルナスの魔法蓄積された矢。ビルナスの矢より解放された魔法は他の二者のそれより威力的には劣るが、それでも十二分に過ぎる。

 

 超常の理が発現させた紅蓮の烈火が急激に膨れ上がり、クラーケンの滑る触腕を炙り焼き、そしてまるで幻だったかの様に急激に消失する。範囲攻撃魔法である火球の威力は、クラーケンの長大な触腕を八本諸共巻き込んだのだ。後の残ったのは半死半生になった無残な海魔だった。

 

 最早放っておけば一日持たずに死するだろう有様。惨たらしい焼け爛れた身体。触腕の先端の細い部分に至っては炭化して風に攫われていく。

 

 其処にイヨ、ダーイン、後衛の援護から離れたナッシュがカイトシールドを投げ捨て突貫し、残り一日足らずの命を切り刻んでいく。

 拳足とロングソードとバスタードソード、縦横無尽に振るわれる刃が意味を成さなくなった触腕を次々に切り落とし、

 

「引け!」

 

 また全員一斉に引いてゆく。

 

 前衛が引いて射線が空くと、狙いすましたタイミングで二連の〈ライトニング/雷撃〉が撃ち込まれた。狙いは勿論、最も傷の浅い胴体だ。耳を聾する雷鳴と雷光が鳴り止んだ時、其処に『生物』はいなかった。元々生命力に優れた魔獣でも無いこのクラーケンが第三位階魔法の三重撃をモロに喰らって生きていたのは、肝心の胴体が水中に有った為に炎の影響が減じた点が大きい。

 

 剣と魔法の追撃は、命の灯を完全に消した。

 

「──……ふう。終始計画通りにいったか。概ね組合の想定通りの難度だったな?」

「俺のカイトシールド、誰か回収しててくれたかい?」

「俺が回収しといたよ。つか、俺今回一発も相手に入れてないぞ」

「中衛であるリウルが積極的に前に出ざるを得ない様な戦いにはならなかったという事だ、いいじゃないか。横槍は無かったが、周囲に気配は? 」

「終始なんも無し。こんだけ視界が開けてりゃ、何か来ても気付けると思うぜ」

 

 一拍の後、ビルナス、ナッシュ、リウル、ガルデンバルドは少しだけ緊張を解いて順に発言した。役割分担上割と距離が離れているので、みんな結構な大声である。其処に、ローブとマントをはためかせて魔力系魔法詠唱者二人組が降りてくる。

 

「儂が言うのもなんじゃが、〈フライ/飛行〉からの攻撃魔法を使える魔法詠唱者が二人もおったのじゃからな。型に嵌まれば苦戦しないのは当然と言えば当然じゃよ」

 

 老人が得意げにそう言い、口には出さないバルツネヒトも頷いている辺り、自分達の仕事には自信があるらしい。さもありなん、である。実際、今回交戦中に最も貢献したのはベリガミニ、次いでバルツネヒトとビルナス、斬り込んだ三人、他は全員が横並び位であろう。交戦以前の前準備や立案段階、補助の分野ではガルデンバルドとリウル、イバルリィも大活躍している。

 

「治癒が欲しい人はいますかー? おばちゃん今回は戦闘中一回も魔法使ってないんで、ちょっとした傷でもオッケーですよー」

「あ、僕ちょっと吸盤に触れた時力尽くで剥がしたので、血が出てるんです。治癒下さい」

「はいはい」

「お前、今回はあの鎧を使わなかったんだな?」

「あれ、視界が狭いし閉塞感もすごいですから。一応拘束に対する耐性はマジックアイテムで付けてますけど、出来れば捕まりたくなかったので止めときました」

 

 今回の作戦は実に質素である。基本に忠実とも言う。

 後衛が先制の魔法を叩き込んで前衛が突っ込み、前衛が稼いだ時間を使って後衛がまた魔法を叩き込む。そうして半壊した敵に前衛が再度突撃し、後衛が止めを刺す。文字にすればこれだけだ。

 

 『足止めして囲んで叩く』という、単純かつ強力無比な人類の伝統的戦法である。それこそ原始時代から──この世界の原始時代がどういったものであったかは知らないが──マンモス相手にやってきた戦い方だ。効果のほどは実証済み。

 

 リウルやナッシュ、ダーインやベリガミニが周囲の警戒に戻り、しばし時間をおいてからガルデンバルドが、

 

「よし、全員引くぞ。隊列を組め。〈ウォーター・ウォーキング/水上歩行〉の効果時間はまだまだ残っているが、一旦陸まで引く。証拠部位と無事な部分で金になりそうなものは回収したか?」

「ばっちりだ」

 

 ビルナスが無限の背負い袋を叩いて親指を立てていた。希少なモンスターの素材は物によっては高く売れる為、剥ぎ取っていたのだ。今回の場合触腕の大部分は焼け爛れてしまったが、僅かに残った無事な部分と墨袋等を回収していた。

 

 彼らは今一度警戒態勢を組み、速やかに陸地に戻った。幾ら魔法のお陰で歩けると言っても、水の上は落ち着かないのである。下から何かが襲ってきそうな気がしていた。

 

「クラーケンってあれ一体だと思うか? もう少し調査した方が良い気がするな」

「同感です。もう一日くらい湖の方を調査してから森の方の仕事に行きましょうか」

「初陣にしては見事だったと思うよ、シノン。やはり個人の武勇では敵わないな」

「いえ、ダーインさんが近くで助けてくれてましたから。僕は目の前の事で一杯一杯でした」

「ぎにずるな……声をがげた、だげだ」

「今回は殆ど事前の計画通りに事が進んだが、ここまで完全に上手くいくのは稀も稀じゃ。今後も油断はするでないぞ」

「はい! 」

 

 冒険者たちはその後、ガバルの村でささやかながらも心の籠った歓待を受け、村長の許可を得てクラーケンの犠牲となった人々の墓に仇を取った旨を報告した。

 

 そして翌日、早朝から別のポイントに足を延ばし、五メートル級と九メートル級二体のクラーケンを討伐し、その後丸二日を掛けて薬草の採取とモンスターの間引きを行った。ラミア等には特に注意していたのだが、意外にも遭遇する事はなかった。

 そうして『漁は様子を見つつ、慎重にやった方がいい。何かあったら組合に連絡をくれ』と言い残して、ようやく公都へ向けて旅立ったのだった──

 

 

 

 

「納得できません。アリアは死んだのですよ。仇も取ってやれないのですか」

 

 ずるずると、何か巨大なものが這いずる音が静かに響いていた。岩肌の周囲は薄暗く、とても視界が良いとは言えない。しかし、音の発生源である二体の半人半蛇の異形は、それを全く苦にしていない。種族的に闇を見通す目を持っている為だ。

 

「あの戦いを見たでしょう。彼らは強大です。ただでさえ数の減った今の我々が戦うべきではない。アリアは運が悪かったのだと思いなさい。一人の弔いより、我ら全員の命が大事です」

「くっ……」

「此処も、引き払わねばなりませんね。調査隊が来るやもしれません」

 

 二人の女は美しかった。下半身が蛇体である事すら、美しさを引き立たせる一要素でしかないと思ってしまうほど。それは人間が持ち得る魅力を超えた魔性の美であった。

 

「あの少女は本当に強い。私にすら届き得る牙です。他の者達も歴戦の強者たち。多くの犠牲を出せば葬れるやもしれませんが、あれほどの者たちを失ったとあれば人の世界が黙っていないでしょう。私たちは個々の力量においては優越していますが、国一つ敵に回しては磨り潰されるしかないのです」

 

 より長大な身体を持つ者が零し、背後を振り返った。彼女と比較すれば小さなもう一人の女は、涙を流していた。

 

「長らくそうして生きてきたではないですか。死者を悼みましょう。そしてもう犠牲を出さない為に努力するのです。人と我らは切っても切れぬ縁です。ならば」

 

 ──より長い付き合いにしようではないですか。

 

 舌なめずりをして、赤い鱗のラミアは淫靡に微笑んだ。

 




今回三回ほど書き直したんですが、クラーケンがイカとタコでごっちゃになってるかもしれません。基本タコをイメージして書いてましたが。
あと、参考にしようと思ってD&Dの魔法を少し調べてみたんですが、射程ものすごい長いですね。例えばSW2.0だとファイヤーボールって射程三十メートルなんですが、ちょろっと調べた限りD&Dだと術者によっては二百メートル以上(フィートかも?)届くそうで。ぱねぇ。

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