ナザリックへと消えた英雄のお話   作:柴田豊丸

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初依頼:子爵領への道中

 見渡す限りの青い空と、なだらかな平原が続いていた。道の先に視線をやると、遠方には森なども見える。公国の首都たる公都から北に進むこと二日目。彼方へと続く街道は平原に伸びる蛇行した一本線の様だった。

 遮蔽物の存在しない平原は見晴らしが良いが、それは同時に相手からも此方が丸見えだという事である。公国から定期的に冒険者組合へと依頼される街道の危険排除業務が頻繁にある為、そうやすやすと襲われる事も無いが、決して油断は出来ない。最善を尽くしていてもあっけなくモンスターの胃に収まってしまう事も珍しくないのがこの世界である。警戒は必須だ。

 

 街道を行く一台の幌付き馬車の周囲には複数人の人影があった。四方八方何処から何が来ても感知対応が可能な様に作られた陣形だ。それぞれが一目で高額な品と分かる武器防具やマジックアイテムを装備していて、皆が首からプレートを下げている。

 

 移動中の冒険者集団だ。ミスリルとオリハルコンの混合チームらしく、その高い練度は足運びを見るだけでも言わずと知れる。一筋の緩みも見当たらず、しかし過度の緊張によって体力精神力を削っている訳でも無い熟練者の群れである。

 

 アダマンタイト級が存在しない公国においては正にトップクラス。これ以上の戦力は容易には用意できまい。

 

 そんな者たちに囲まれた馬車の中には、交代で休憩している三人の人影があった。その内の一人はなにやら木箱の前に座って書き物をしている少女──にしか見えない少年だ。

 

 凄腕冒険者の中で、その少年の背格好は浮いていた。痩せ細ってはいないものの、体躯は小さく細い。年の頃は十四か十三にも見えるが、その実十六歳の成人男性であると自称している。同じチームの人間以外にはあんまり信じられていないが。

 澄み渡った大きな金の瞳、穢れを知らぬ輝く白金の三つ編み。内面が見て取れるかの様な無垢で精緻な顔貌。外見だけなら貴族の令嬢か大商人の箱入り娘でも十二分に通ずる美貌だった。外見だけなら。

 

 明らかに戦える人間の外見では無いにもかかわらず、首に下げたプレートはミスリル。全身を衣服の如き防具と数多のマジックアイテムで武装していた。何故か大きめの丸眼鏡と髪色と同じ毛色のウサ耳が頭部を飾っているが、本人は特に気にした様子も無い。鉱毒の腕甲と脚甲だけは、今は外している。

 

 公都で今話題の人物トップテンにランクインしているだろうこの少年の名は、イヨ・シノン。

 交代で取っている休憩時間を利用して、ただ今文字の練習中であった。

 

 公国の文字はイヨが見た印象だと、一見アルファベットの様に見えなくも無い。と言っても『離れた場所から文章の羅列を見たら一瞬そう思うかもしれない』程度で、実際の所は当たり前だが全くの別物である。

 

 共通点は表音文字である程度か。それ以上の何かに言及しようとすると、イヨ自身の知識不足が原因で訳が分からなくなる。英語よりはラテン語とか何だかその辺に似ている。イヨはラテン語の文章を読めないし碌に見た事も無いのだが、ただ印象的にそう思った。

 

「書き取り終わりましたー……」

「──うむ。まあ良し。次は見本を見ずに書いてみい。口に出して確認する事も忘れるな」

「はいぃ……」

「なんじゃその情けない声は。おぬし、故郷では学校に通っておったのじゃろう」

 

 学校に通える人間とは、イヨの元居た世界でもこの世界でも裕福な層とされる。イヨの世界では義務教育制度が撤廃されている為、小学校卒業でも貧困層からすれば高学歴の部類となる。中学高校を出たとなれば大変なエリートである。大学ともなると一般人はほぼ皆無で、巨大複合企業に所属する者及びその関係者の子息や一族が十割近い。

 

 この世界で一般的に学校と言えば──学校そのものがまず一般的では無いのだが──知識人が経営する私塾の事で、経済的に余裕のある家々が子供を通わせるのものだ。大抵は商家などの子で、大成するために教養を身に付けさせる目的がある。

 それ以外の子供は読み書き計算を親に教わる程度で、それすら出来ない者もいる。なにせ親自身が分からない場合は教えようがないからだ。近所の物知りや教会の読み聞かせなどから知識を得るしかない。

 

 では貴族の子弟が国立の学校に通っているのかと言えば、まあそうなのだがこれも実はあまり一般的では無い。家に家庭教師を招いて教育を受けさせる場合が多いからだ。殆ど一般人と変わりがない名ばかり貴族などは親が教える例もある。

 

 と云うか、国立の学校自体が滅多に無い。近隣諸国では帝国と公国にある位だろうか。帝国には能力のある者を広く迎え入れる帝国魔法学院があり、王国には学校自体が存在しない。公国のそれも歴史がとても浅く、平民にも平等に門戸が開かれているとはいえ、一般人にまで名が知れ渡っているとまでは、まだ言えない。

 つまりこの世界の常識で言えば、国立の学校に通っていた経歴がある時点で知識人だと判断され、当然勉学に優れていて恐らく家柄も良いのだろうと思われるのだ。

 

 そのイヨが何故文字の勉強位で疲労感を滲ませた青色吐息なのかと言えば、

 

「僕は武道の特待生枠で入学したの……だから勉強は、専門外……」

 

 如何にスポーツの特待生枠とは言え、学徒にとって勉強が専門外であって良い訳が無い。本来ならば。でもイヨは平常点と得意科目の高得点、それに至極真面目で積極的な授業態度などが相まって色々とお目こぼしを頂いていたのである。

 

 篠田だからまあいいか、で見逃され、それに甘えてきたツケが今回ってきていた。外国語の筆記とかマジ無理である。イヨの年齢が半分の八歳だったら恥も外聞も無く『お勉強やだ!』と駄々を捏ねていただろう。だが、流石に十六歳になっては感情だけで喚く事など出来ない。仕事上、字は読めた方が良いに決まっている。

 

 自分の声が萎れているのが分かる。折角の青天なのに何故筆を握って字の練習をせねばならないのか。必要な事だと頭では分かっていても、心と体が運動を欲している。

 

 言い訳する気は無いが、元居た世界の環境だったらもっと勉強にも身が入った筈だ。事実そうしていた。しかし、この世界には誘惑が多すぎる。

 

 走って頬に風を感じたい。陽の光を存分に浴びて汗をかきたい。空を飛ぶ鳥の姿をこの目で見たい。幾度味わっても飽きないその快感に酔いしれたい。元居た世界では絶対に体験できない自然を存分に満喫したい。

 

 がたんごとんと揺れる幌付きの馬車の片隅では、陽の光を直に浴びる事も叶わない。

 

 ──どうして言葉は通じるのに文字は読めないのだろう。日本語を使っているなら日本語の読み書きが通じてもいいでは無いか。

 

 流石のイヨもこれだけの日数を過ごして多くの人と関われば、自分以外の面々が使っている言葉が何故か通じるだけで日本語では無い事くらい気付いているが、理由がさっぱり分からないので不平を言ってみただけだ。

 

「しかし、面白いのう」

「そのアイテム、気に入った?」

 

 そんな膿んだ心境だったので、イヨは教師役たるベリガミニがつい零したその呟きに飛びついた。敬語はいらないと言われたからこその常語だが、数倍も歳の差のある人物にそんな口を利くのはちょっと変な気分になる。

 

 日本語で云う五十音に相当する文字が書き連ねられた羊皮紙から顔を上げれば、其処には座り込んだ禿頭の老人が見えた。

 

 我こそは魔法詠唱者であると言わんばかりのフード付きローブに捻じ曲がった木製の杖、そして全身に装備したマジックアイテム。装束とは裏腹に全身には見事な筋肉が乗っていて、背筋などは若者にも負けないほどピンと伸びている。

 外見で云うならイヨより余程頑強そうな、皺が無ければ老人には見えない人だ。ただし、本日この時のベリガミニ・ヴィヴィリオ・リソグラフィア・コディコスの頭頂部には、茶色い毛並みの猫耳が生えていた。

 

 見間違いでは無い。本当に、禿頭の老人の頭には、猫耳が生えていた。

 

 正確には猫耳仕様のヘアバンドなのだが、人気アイテムであるアニマルシリーズの一角〈キャッツ・イヤー〉は、シリーズ共通の仕様として装備状態ではヘアバンド状では無く、本当に獣耳が生えているかのように見える様に設定されている。

 

「全く、弾んだ声を出しおって」

「普段やってる分までは終わったもの、ちょっとだけ休憩」

「体を酷使する事はどうとも思わん癖にのう」

 

 等と言いつつ、ベリガミニ自身もアイテムについて聞きたいことがあったのか、それ以上の追及はしなかった。因みに馬車の中にいるもう一人の人物、ミスリル級冒険者チーム【戦狼の群れ】に所属する信仰系魔法詠唱者の女性──名をイバルリィ・ナーティッサと云う──は、今のベリガミニの姿を見ると思わず笑ってしまって失礼だからと云う理由で、フードを深く被って体育座りで寝ている。

 

「このマジックアイテムの効果は知っておるな?」

「敏捷力の増強と、落下時・転倒時のダメージを軽減、受け身判定にボーナス……だった、と思うよ? どう? 合ってるかな?」

「なんで持ち主であるおぬしがうろ覚えなんじゃ? 掛かっている魔法からしてもそのようじゃな。しかしの、この形状には一体どんな意味があるのかのう。猫の耳を象ったアイテムで、猫に因んだ能力の増強効果がある。それ自体は一見分かり易いのじゃが、魔法さえきちんと掛かっていれば別にこの形でなくとも良いじゃろう」

 

 こんな目立ちやすくて必要性の無い、遊びに溢れた形に作る理由が分からん、と老人は不思議そうに首を傾げた。

 

「ええっと……だってほら、猫って可愛いじゃない?」

「愛玩動物としての猫が人気なのは分かるが、このアイテム一つ作るのにも相応の金銭と素材が使われている筈じゃろう。かなり高性能なマジックアイテムじゃし、十二分に実用に耐えうる。なのに何故……同じ魔法を指輪か腕輪にでも込めた方が余程合理的ではないか」

 

 実際に、ほれ。と、ベリガミニはイヨの頭部を指し示す。少年がウサ耳の事かと思って首を傾げると老人は、違うわい、今では無く普段着けている方の奴じゃ、と言った。

 

「おぬしが普段着けている髪飾りの様なアイテムにした方が道理に沿っておるし、色々と利点が多いじゃろう。あれは小さく質素な作りで、しかも髪色とほぼ同じ色使いじゃから視認性が低く、装備している事自体が気付かれにくい。外見からは性能の予測も付かん。マジックアイテムとはそうあるべきじゃろう?」

「う~ん……効果云々って云うより、猫の耳を象っているっていう事の方が本質なんだと思うよ。僕なんかは、可愛いから好きで着けたりもしてたし。今も眼鏡と一緒に索敵の為に着けてるし」

 

 友達の受けも良いのでガチ戦闘以外ではわりとこの系列のネタ装備を好んでいたイヨだが、そんな真面目な視点からアニマルシリーズを考察した事は無かった。だってこれらのアイテムの意味と云うか意義は、正に可愛いからとか格好いいから一点なのである。

 性能だってユグドラシル基準で云えばネタ装備にしては良心的程度のもので、同レベル帯でもっと良い性能の防具や装飾品は幾らでもある。実際イヨの髪飾りなどはそのマトモな装備品の類である。毒や疾病などの状態異常への耐性を引き上げてくれるアイテムだ。

 

「おぬしが持つ同系列の他のマジックアイテムと共通する点としては、おぬしが付けると白金の毛並みに、リウルが付けると黒の毛並みに。儂が付けると茶色に。装備した者の髪色に合わせて毛色が変化する訳じゃな。こういった性能とは無関係な細部も妙に凝っておる。おぬしの故郷ではやたらと遊び心や自由な発想に拘るんじゃなぁ」

 

 ──ところ変われば文化も変わる、当たり前の事じゃが面白いのう。

 

 外した猫耳をイヨに手渡しつつそう呟く年の離れた仲間に、イヨはウサ耳をぴこぴこ揺らす事で返答とした。

 

 イヨが所有する変わったマジックアイテムは老魔法詠唱者の知識欲を刺激した様で、時折こうして研究されているのである。他の二人も外見は兎も角有用なアイテムだと云う事で、意外と興味津々な様だった。イヨとしてはリウルに狼耳を付けてほしかったり、イヨも犬耳を着けて疑似ペアルックなどをしてみたかったりするのだが、装備部位を一つ潰して重要でない能力を増強するのは割に合わないとして却下されていた。

 

『だ、だったらウサ耳を着けてみない? 可聴範囲と可聴音域の拡大で、聴覚関連の知覚力を増す効果があるんだよ。斥候の役に立つと思うんだけど』

『矢鱈と目立つしこの上なく不審で馬鹿っぽいって云うデメリットで相殺されるな。やだよ』

 

 現実は非情であった。いやまあ、リウルの身を危険に晒してまで装備してほしかった訳では無いので、別に気にしてはいないのだが。

 

『……ま、本来索敵能力の無いお前が疑似でも予備の野伏として活躍できるようになるのはメリットがあるし、お前が装備してりゃいいんじゃねぇの。……お前なら似合いそうだし。どうせ平原だと、相手からは居場所は丸わかりだからな』

『──うん! 僕、頑張るね!』

 

 そんな経緯があって、現在のイヨは〈ラピッツ・イヤー〉と感知の眼鏡を装備している訳なのだ。決して趣味だとか遊んでいるだとか、そういう訳では無い。強化された聴覚によって、外の人達が『他国のアダマンタイト級と仕事をした時も思ったんだが、桁外れて強い奴ってのは何処かしら常人とは違うんだよな。なんだよあの装備は』『ああ見えて有用なマジックアイテムだっていう説明は聞いたし、確かに優れた効果だとは思うが……下手に似合っているのが始末に悪い、なんだか直視するとビクッっとする』等と会話しているのが丸聞こえであった。

 

『事前情報無しで見たら実は人間じゃなくてラビットマンだったのかと思うな、アレは。一見して作り物には見抜けん』『しかし、あと五年もしたら結構な美女になるだろうに、あのセンスはなあ。明らかに好んで着けてるっぽかったし』『な。折角可愛いのに惜しいよ。ああいうのが好きって奴もいなくは無いだろうが』『あの見た目で男だって言い張ってるのもよく意味が分からないよな? あれかな、何か性別を隠す理由があるのかな? 生まれ付き身体は女で心は男って奴だとか……』

 

「心も身体も男ですってば」

「急にどうしたのじゃ?」

「いや、外にいる【戦狼の群れ】の人達の会話が聞こえてきて……っていうかバルさんも一緒に居るんだから訂正してくれても良いのに」

 

 多分面白がっているんだろう。副組合長との戦いを目撃している人達だから、イヨの実力のほどははっきりと認識している。そっちをちゃんと分かっているなら性別の方は別に事故の元にはならないから、此処は黙っていた方が面白いだとか、そんな事を考えているに違いない。

 

 ──声に悪い感情は籠ってないし、ただ単に話のタネになってる感じかな。

 

 だったら別に良いか、とイヨが心中で一人納得していると、外から件のガルデンバルドの声が響いてきた。

 

「先行偵察中のリウルとビルナスから連絡が入った! 前方に敵影及び障害物は無しとの事だ! 我々は現在の進路を維持したまま進むぞ!」

「了解!」

 

 イヨも馬車の中の面子を代表して声を上げた。体感時間だが、あと少しで休憩も交代なので、今の内に追加の分の書き取りを終わらせておこうと筆を握り直した。

 

 所で、先行して偵察に当たっているリウルと【戦狼の群れ】のビルナスは斥候兼盗賊と野伏である。当然魔法は使えない。リウルが盗賊系なのでスクロールを騙す事は出来るが、〈メッセージ/伝言〉の魔法は信用し過ぎては行けない、と云うのが現代の常識だ。遥か昔、この魔法による情報の誤伝達がきっかけで滅びた国があったとされているし、実際距離が離れる毎に雑音が混じったりする。なので、便利ではあるが出来るなら多用も重用もしない方が良いとされている。しかも定時連絡で毎度の事スクロールを使うのは財布に悪い。

 

 なのに何故遠方にいながらバルドと連絡が取れたのか。誤報の危険性を呑んでスクロールを使った訳では無い。それは、イヨが提供したあるマジックアイテムの効果である。

 

 その名は通話のピアス。名前の通りの見た目と性能を持つアイテムである。一対のピアスの片方ずつを、全体の指揮役であるバルドと一番腕の立つ偵察役であるリウルが装備しているのだ。

 元はSW2.0の物品だが、コラボに当たってユグドラシルにも登場したアイテムの内の一つだ。このアイテムは本来の仕様だと一日一回十分までしか通話が出来ないのだが、ユグドラシルには既にゲーム機能としてのチャットやメッセージその他情報系魔法が腐るほど、本当に腐るほどあったので、このままだと余りにも使用するメリットが無さすぎると運営によって判断され、やや仕様変更の末に導入されている。

 

 一日十分までと云う上限は変わらず、その代わり通話時間計十分までなら一日何回でも使用可能かつ距離制限なし。何の対策もなされていない素の状態でも、盗聴系の魔法やスキルにある程度の耐性を持つ。それがユグドラシルバージョンの通話のピアスである。その他の点は元の仕様とほぼ同じだ。

 

 ぶっちゃけこれでも使う者はかなり少なかった。たったそれだけの為に装備部位を潰すとかねぇわ、との意見が大勢であったのだ。しかしピアス自体が水晶の様な鉱物をあしらった上品な造りだったし、SWシリーズに思い入れの強いプレイヤーがコレクターアイテムとして所有したりして、一時期ほんの少数のプレイヤーの間で『あえてこれを使うのがお洒落なのだ』的な風潮が出来たりもした。

 

 正直言ってイヨもほぼ使った事が無い。友人に女装ドッキリを仕掛けた時にアクセサリーとして着けた位である。

 

 世界の垣根を超えてから重用されるようになるなんて考えてもみなかった。そう思うと感慨深い。自分の持ち物が仲間の役に立っていると思うと、イヨの胸に温かい気持ちが宿った。どういう形であれ、人の役に立てるのは良い事である。無論時と場合にもよるが。

 

 筆を握り羊皮紙とにらめっこをする。やりたくないと訴える本能を理性で殴り倒して文字の練習である。我が儘は良くない。弟妹の千代と美代であったらこの位は軽く熟してしまうのだろうな、と思ったりもするが、向き不向きはもうしょうがないので精一杯頑張るしかない。

 

 手は文字を書き、口は書く文字を音読しながらも、イヨは頭の中で今回の依頼で討伐する対象であるモンスターの事を考えていた。

 

 クラーケン。

 絶滅するまではイヨの元居た世界に存在していたのが信じられない位の化け物である。ユグドラシルでは外見がキモ過ぎるとして人気は著しく低かった。足が八本も十本も、種類によっては何十本もあるのが非常に面倒臭い。そもそも海などの水中若しくは水上や船上で戦わざるを得ないステージそのものが不人気だったが。

 

 イヨの祖父や曽祖父の世代はあの生き物を好んで食べていたらしい。そう聞いた時は友達全員と一緒に絶句したものである。最初はクトゥルフ系の神話生物をモチーフにしたモンスターだと本気で思っていたのだが、後々現実に存在した生き物を元にそれらの怪物が創作されたのだと聞いて『海ってあんなのが住んでたの? そんな所で泳ぐとか、昔の人度胸あり過ぎるでしょ』とみんなが思ったものだ。

 

 クラーケンは色々と種類があり、低レベル帯のものならあまり強くない。キモイ触りたくない足多過ぎという三難関を潜り抜けられれば倒せない事は無い位である。

 しかし、高レベル帯のクラーケン型モンスターはマジモンの怪物である。分類が巨大生物では無く魔獣だったり神話生物だったりし、なんらかの魔法を使って来たり、名状しがたい特殊能力があったりする。全種類をひっくるめたレベル幅は十二から九十程までとかなり幅広い。

 

 この世界のクラーケンも、やはり珍しく悍ましい存在とされている様だった。まずこの世界においてはクラーケンがただの巨大な海洋生物なのか、それとも魔獣なのかすら定まっていない。伝説上には足が数百本もあり吸盤一つ一つが大型船の帆より大きかったとされるクラーケンも語られてはいるが、海で漁師の網に数メートル程度の大きさの小物が掛かる事もあり、それが幼体なのか別種なのかも議論の種である。

 

 ともあれ、組合では著しく難度──この世界での強さの単位である──の幅が広いモンスターとして扱ってはいるものの、討伐例自体数が少なく、分かっていない事の方が多いらしい。

 

 巨大湖の淡水生クラーケンは前回の討伐例が百年近く前で、その時の個体は十数メートルほどの大きさだったとか。前々回の討伐例ともなると古すぎるのか記録が無かった。

 

 巨大湖の畔の漁村では度々遠目からの曖昧な目撃情報があるだけで、実際にはっきりと確信出来るほどの近距離で見た者はいない。地元では所謂UMA的扱いを受けていたらしい。

 

 ただ、最近になってその目撃例が急増。実際に吸盤の生えた触腕を見たとの声も上がり、漁師が不気味がっていた所に実害が発生し、それが収まらずにどんどん拡大。やがて漁業で支えられていた村の経済を脅かすまでになり、それが周辺一帯の領主であるプルスワント子爵の耳に入って此度の依頼発生に至る──らしい。

 

 冒険者組合の定めた推定難度は七十から八十五。イヨが見知っているモンスターの難度とレベルの差を勘案する限り、難度は大体大雑把にレベル×三くらいが標準だと思われるので、レベルにすれば二十三から二十八程か。ただし不明な点が多く、これより上になる可能性も高いとの事。

 

 単純にレベルだけで考えれば、倒せない敵では無い。だからと言って楽観する事は許されない。既に大勢の人が直接的間接的に犠牲となっているのだ。人の命を左右する職業に進んで就き、これからそれで生計を立てて行こうとする以上、自分の働きが人々の生命に直結すると思って望まねばならない。

 

 弱肉強食である。クラーケンだって生きていくために喰わねばならないのだろうが、人間だって生きていきたいから喰われたくはないのだ。同等では無くとも、対等の立場から駆除する。

 

「ベリさん」

「なんじゃ、何か分からない所でもあるのか?」

「──僕、頑張りますっ!」

 

 両拳を固く握りしめて宣言した少年に、老魔法詠唱者は一瞬目を見開き、直ぐに男らしい笑みを浮かべた。

 

「その意気じゃ、若人よ。ただし逸ってはいかんぞ、いくら強かろうとも冷静でなければ力は発揮し切れぬ。ましては今回の相手はデカい水溜り中じゃ。見つけるのも一苦労じゃし、戦うにしても一筋縄ではいかん。道中である今は無為に疲労を溜めぬようにな」

「はいっ!」

「イヨ、そろそろ時間だ。ナッシュと交代してくれ」

「あっ、はーい!」

 

 タイミング良く外からバルドが声を掛けると、少年はベリガミニに黙礼をしてから勢いよく馬車から飛び降りていった。書きかけの羊皮紙の上に、筆を置いて。

 

「あやつめ、目を輝かせて行きおったわ」

 

 息子どころか孫ほども歳の離れた少年。しかし実力は誰よりも高く、その癖外見通りの言動をする。

 

 全く不可思議で面白い人物が仲間になったものだ。高位冒険者には変わり者が多いが、それでもあそこまでの者は中々いない。十七歳のリウルですらがオリハルコン級としては若過ぎると云うのに、イヨはあの年齢で、あの身体で、あの性格で、腕が千切れても戦うのである。

 

 一体どのようにしてそれだけの実力を身に付けたのか、常識では考えられない。稀有にも程がある。あんな人物は数百万人に一人、いや数千万人に一人の稀さだろう

 

 ──長生きはするものじゃのう。

 

 老魔法詠唱はふと思う。

 

 自分は何時まで現役でいられるだろうか。後衛職だとはいえ、身体は冒険者の資本である。加齢による衰えは避けられない。有名なワーカー、老公パルパトラなどはベリガミニやガド・スタックシオンより高齢であるにもかかわらず現役であり続けているが、自分はあそこまで行けるだろうか。

 

 イヨやリウル、バルドと何時まで共に戦えるだろうか。ベリガミニは彼らしくも無くそんな事を考え、御者席側から差し込んでくる光に眼を細めた。

 

「ふうー、この時期にしては日差しが強いな。この位の行軍は何とも無いけど、少し汗をかいちまったよ。──あれ、ベリガミニさん、どうしたんだい?」

「なんじゃ、儂の顔になにか付いておるか?」

 

 イヨに代わって休憩を取りに来た髪を赤く染めた若者、【戦狼の群れ】のナッシュ・ビルに声を掛けられ、ベリガミニは一瞬ギクリとした。まさか自分は、見て取れるほど感傷的な表情でも浮かべていたのだろうか、と。

 

 人間は老いを自覚した瞬間に老化が早まると云う。自分に限ってまさかそんな、と考えていると、

 

「いや、何時になく戦意漲ると云うか、滾った顔をしてたからさ。ちょっとビクッっとしちゃったよ」

「──ははっ」

 

 老魔法詠唱は思わず笑ってしまった。自分は自分で思っているよりももっと、気が若かったらしい。

 

 ナッシュは怪訝な顔をしたが、ベリガミニは彼が何か言う前に、心配いらんと手を振った。

 戦意漲る滾った顔。自分がそんな表情を我知らず浮かべていた理由は、これしかないだろう。

 

「いやなに──まだまだ若い者には負けられんと、そう思っていたところじゃよ」

 

 

 




食べ物として見る文化抜きで考えれば、タコやイカって多分こんな感じの感想を抱かれるんじゃないかなと思いました。オーバーロードの現実世界は荒廃し過ぎですね。イヨは多分犬や猫等の愛玩動物以外の生き物を見た事も触った事もありません。

「このモンスターは何々っていう現実に存在した生物がモデルなんだよ」
という話を聞く度に、
「昔の人ってすごいなー、あんなのが跋扈する中を生きてきたのかあ……」
みたいな感じで間違った前時代の地球観を育んでそうですね。

友人への女装ドッキリは仲間と共に共謀して仕掛けたもの。最重要仕掛け人たるイヨはお祭り根性で割とノリノリでしたとさ。イヨは文化祭とかでも女装とか着ぐるみ着たりしてそう。最初は「これはちょっと……」と思っていても、褒められたり好意的な反応を寄せられる度に態度を軟化させていく感じです。

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