ナザリックへと消えた英雄のお話   作:柴田豊丸

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2015年10月15日
矛盾解消の為の設定変更に伴い、本文の一部を改変しました。


此処は何処

 ぐるり、と辺りを見渡す。その際に遠心力で三つ編みが揺れ、視界を掠めた。つまり、自分はまだイヨであり、自室で椅子に座っていた筈の篠田伊代では無いという事だった。

 

 ──ゲームをしている最中に誘拐され、森のど真ん中に置き去りにされた訳ではないらしい。そもそも、こんなに豊かな自然の森は世界のどこにも残っていない筈なので、此処が現実と云う可能性は元から考え辛いのだが。

 

「サーバーダウンの最中に異常でも起こったのかな……?」

 

 それで冷気系エレメンタルが犇めく雪原から、何処かの森林フィールドまで移動してしまったのか。

 

 森は余りにも深い。足元は大小の木の根で隆起し、平坦な場所は全く無い。見える範囲の地面は支離滅裂にうねっているし、苔や低木、見渡す限りの雑草で覆われている。所々に巨大な茸が生え、木の幹には獣の爪で付けた様な傷跡があった。

 

 その木もまた巨大だ。街路樹などとは比較にならない。細い木はイヨが一人で抱き締められる位でしか無いが、大きいものは大人三人が手を繋いでも一周できないだろう。それらが上下左右全ての空間に幅を利かせ、視界の見渡しは悪く、非常に薄暗い。枝葉が太陽光を遮っているのだ。

 

「来たことないな、ここ……視界内のゲージやタイマーも消えてるし……これって僕だけなのかな。他のプレイヤーもこんな目にあってるとしたら、みんな何処かに──」

 

 もう一度辺りを見渡す。居そうもない。

 動植物系のモンスターなら幾らでも湧いて出そうだが。此処がもし高レベルプレイヤー向けのフィールドであったなら、モンスター一体とエンカウントするだけでイヨなど二秒で死ねる。

 

 あの連中は対策無しだと『見たら死ぬ』『見なくても近寄ったら死ぬ』『近寄らずとも知覚されたら遠隔攻撃で一方的に殺される』という理不尽が普通にあり得る。防具である【アーマー・オブ・ウォーモンガー】の三形態の内、今は最も平凡な性能の代わりにデメリットも無い衣服形態だが、最も物理・魔法防御能力に優れた重装鎧形態でもレベルの暴力の前には紙ぺら同然である。デコピン一発にすら耐えられずに弾け飛ぶ事になるだろう。

 

 ユグドラシル最後の瞬間を死体で迎えるなどさらさら御免であった。

 

「こういう時はGMに連絡すればいいんだっけ? どうやるんだったかな」

 

 何せ久しぶりのユグドラシルだ。戦闘に関しては勘が戻ってきたが、細かい操作は未だ記憶の霧の向こう側である。イヨは暫し頭を捻り、結局思い出せず、先ずはコンソールを出そうとして──

 

「あれ……」

 

 コンソールが浮かび上がらない。

 

 本格的におかしい。そう思いながらイヨは更に頭を捻り、コンソールを使わないシステムの強制アクセス、チャット機能、強制終了を試す。どれも不発だった。

 

「──どういう事?」

 

 漸く事態がただ事では無くなっていると気付き、イヨは焦る。ゲームでのトラブルであれは頼りになる友人がいる。サービス最終日である事を教えてくれた友人だ。彼は今日間違いなくユグドラシルにログインしている筈だが──連絡が着かない。フレンドリストの一番上に乗っているが、コンソールも出せないチャット機能も使えないでは連絡の取りようがない。〈メッセージ/伝言〉という魔法ならば或いはとも思ったが、イヨにはその魔法が使えない。

 

 ログアウトも出来ない連絡も取れない状態で一人っきりだ。確かこういう状態は電脳法で監禁として扱われるらしいので、今頃GMや運営会社も必死に事態の解決を図っているだろう。

 

 しかし、この見た事も聞いた事もない異常事態は一体どれだけ続くのだ? プレイヤーの位置どころかゲームとしての機能が軒並み駄目になってしまう様なトラブルなど、イヨは聞いた事も無い。

 

「もしかしたら……何日もこのままだったりして……」

 

 いけない。非常時でこそ、より冷静でいなければ。そう思い、イヨは深呼吸を数度繰り返す。

 

 初めて嗅いだ森林の空気は清浄でとても新鮮だった。生まれてからずっと吸ってきた排気ガスの味が全くしない。しかし、生き物の腐ったような臭いが僅かに混じっていた。つぅー、と頬を汗が伝い、口内に入る。しょっぱいな、とイヨは思った。舌で唇を舐め──舐める? 舌で?

 

「嘘!?」

 

 イヨは自らの口元に触れる。唇を指で摘み、舌を出し、頬を膨らませる。

 

「顔が動いてる!?  なんで、どうやって!?」

 

 いや待て、さっき自分は臭いを感じたし、頬を伝った汗を口に含んだ。それをしょっぱいとも思った。それはつまり汗が出ているという事であり、嗅覚と味覚があるという事に他ならない。

 

「有り得ない!」

 

 ユグドラシルはゲームだ。DMMO─RPGというゲームの一ジャンルの、新旧無数の中の一タイトルだ。顔はプレイヤーが操作するキャラクターの外装でしかなく、動いて表情を形作ったりはしない。電脳法を始めとする各種法律で定められた様々な制約を破るものでも絶対に無い。ゲーム中では嗅覚と味覚を完全に削除している筈だし、触覚や痛覚も制限されている。そうでなくてはならない。

 それが今はまるで──生きた人間の様だ。

 

「っ」

 

 息を詰まらせ──その感覚と動きがまた、生身と変わらないことに驚愕しつつ──イヨは自らの脈をとる。そこにはしっかり鼓動を感じた。体温も、じっとりと掻いた汗の湿りも。

 

「──あぁっ!」

 

 気合を入れ、イヨは自らの顎を鉤突きの要領で殴り抜いた。途端、加減した通りに意識が揺らぎ、傾ぐ上体を一歩踏み出して支える。軽い脳震盪だ。一分も大人しくしていると、狙い通りに症状は収まった。

 

「本物、だ。痛覚も、拳の触覚も。脳震盪も……部活と道場で何度となく味わったのと変わらない」

 

 篠田伊代ではなく、ユグドラシルのキャラクターであるイヨのものだが、この身体は本物の肉体だ。だとすると、この樹海も本物の森なのだ。

 

 足元を踏みにじれば苔が浚われ、濡れた地面が剥き出しになる。木を殴りつければ樹皮が傷付き、僅かに樹液がにじんだその下が露わになる。ここまで作りこんだ再現をするのは、ゲームではサーバーのスペック上不可能であり、それ以前に技術的にも無理である。

 

 自分の分身であるイヨが、もう一つの自分になってしまった。即ち、生きた人間に。

 

「じゃあ、此処は何処なの……?」

 

 現実世界では無い。突き詰めればサーバーに保存されたデータでしかないイヨが人間として実在しているのだ。こんな自然環境もとっくの昔に地球上から消えている筈だ。だから有り得ない。

 

「──ユグドラシル、なの……?」

 

 ユグドラシルのキャラクターであるイヨが実在している世界。ならばそこはユグドラシルではないのか。現実と仮想の世界が入れ替わったのか。

 

 ──今や、地球と篠田伊代の方が架空の存在なのではないか?

 

 踏み締めていた足から力が抜ける。イヨはそのまま、前のめりに地面に倒れた。頬に触れる雑草がくすぐったい。苔の質感は濡れた絨毯の様だ。そういえば、こんな風に地面に寝転がるのは生まれて初めてである。下に視線を向ければ、名も知らぬ小さな虫が這っていた。

 

「……ここが現実なんだとしたら」

 

 この土や草は本物の大地、天然の植物なのか。

 

 エアドームに覆われた人工緑化公園ですらこんな体験は出来ない。イヨの親世代やそのまた親世代はよく、失われた自然とか、行き過ぎた人類の環境破壊が地球を壊したと口にする。しかし、イヨたちの世代からすれば世界は生まれた時から灰色である。昔はもっと綺麗だったとか、多くの動物が生きていたのだと語られても、実感など出来るものでは無い。

 

 緑溢れる森林や清流のせせらぎは仮想空間の中にだけあるもの。

 空気とは有色で毒を含むもの。

 空とは黒く澱んでいるもの。

 海は汚染物質の溜まり場で、生き物が住めない所。

 

 それこそが子供たちが生まれた時から変わらず在り続けた世界である。

 

 では此処は何処なのか。失われた筈の自然が現存している此処は。

 

「過去の地球……?」

 

 そんな事があってたまるか。まだゲームが現実化したと云う方が道理に沿っていると思える。

 

 ──ではなんだ?

 

 分かる筈も無い。混乱が酷いと自己診断するが、こんな時に冷静でいられる奴は人間ではない。

 

「一体誰? こんな理不尽に僕を巻き込んだ奴は。張り倒してやりたい」

 

 イヨは生まれながらに女性的で整った容貌と、同じく女性的で、かつ鍛えれば速く正確に力強く動く素養のある身体を持って生まれた。反面、頭と性格の方は酷く感覚的で直感的であった。

『国語なんて問題文に答えが書いてあるんだから、その通りに書けば満点取れるでしょ?』『英語は無理。問題文からして読めないもの、赤点さえ回避できれば良いの』と当然の様に口にし、本当にその通りの点数を取ってクラスメイトに微妙な視線で見られるタイプの人間なのである。地頭は悪くないので糸口さえあればそれを辿る事も出来ただろうが、何一つ無いこの状況ではただ恨み言が口をつくばかりだった。

 

 虚脱に任せてこのまま寝てしまおうか、そんな事を考えた。その時、

 

「……──っ! ──ぁ──ぇ!」

 

 がばりと飛び起きる。

 

 声が、恐らくは人の声が聞こえたのだ。イヨは両手を耳にやって目を閉じる。今は聞こえない声を今度こそ捉える為に。

 

「だ──か──! ……た──て──!」

「あっちだ!」

 

 声が聞こえた方向に、イヨは全力で駆け出した。樹海の地面は走りやすい環境の対極に位置するが、そんなものはお構いなしだ。脚力に任せて、時折手も使って、兎に角声のする方向に駈ける。

 

 自分以外のユグドラシルプレイヤーが近くに居たのだろうか。それともGMがアバターを使って探しに来てくれたのか。そのどちらでも、いっそどちらでも無くとも構わない気持ちだった。

 

「何処とも知れない場所で一人で途方に暮れるよりはマシだよ!」

 

 ただそれだけが、イヨの脳内を占める全てだった。

 

 

 




精神作用無効による強制安定化が無い上に、イヨはまだ子供なので大いに取り乱しております。
でもまあ運は良かったんじゃないでしょうか。

まかり間違って転移先がナザリックだとしたらタイトル詐欺で速攻ゲームオーバーロードも展開として十分あり得ました。

侵入者扱いで拷問とか。
絶望のオーラⅤで即死とか。
ネガティブタッチ〈負の接触〉で死亡とか。
モモンガ様をさん付けで呼んで守護者からのプレッシャーで死亡とか。
「下等生物如きがモモンガ様と馴れ馴れしく会話を……!」で嫉妬&激怒の感情で圧死とか。

 やったね、モモンガ様! 自分以外のプレイヤーで蘇生実験が出来るよ! 

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