ナザリックへと消えた英雄のお話   作:柴田豊丸

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イヨがもしナザリック近郊に転移していたら、という設定のIFです。続きません。
本編執筆以前に断念したネタを加工したものであり、本編とは何のかかわりも無い文章です。本編を期待していた方には申し訳ございません。

作中のオリキャラは元々はイヨではありませんでしたが(長田タマくんというイヨの雛形みたいなキャラでした)六割方同一人物なので、折角だからイヨに変換してあります。

原作キャラは色んな部分で「なんか違う」可能性が御座います。


ネタ番外編IFルート:イヨがナザリック入り

 

 草原に少年が一人寝転がっている。可愛らしい顔は不貞腐れたように歪み、朱唇は不貞腐れて血が上った思考を表すかのようにぎゅっと引き結ばれていた。

 

 ──どうしろというのだ、一体。

 

 少年、イヨは思う。数分前までは泣いたり喚いたりと騒がしく自分の状況を嘆いていたが、今や指一本動かす気になれない。そんな気力は無くなってしまった。

 自分はただ、最後の最後までユグドラシルを楽しみたかっただけだ。最期の最期まで楽しんで、そうしてまたいつも通りの日常を生きる筈だった。

 

 普通そうだろう。そりゃあ思い入れのある人にとっては一大事だろうし、その気持ちも十分に理解できるが、言ってしまえばたかがゲームの一タイトルが終わりを迎えたというそれだけの話だ。

 

 世の中、どんな物にだって終わりはある。移りゆき変わり果てていくのが世の常だ。

 

 ましてやオンラインゲームなんぞ、百年前から流行り廃りが激しいものと相場は決まっている。十二年だ。ユグドラシルは十二年も続いたのだ。最初期はどれだけ斬新だったのか知らないが、最早化石である。もう十分だろう。この上まだ足りない、まだ続けるというのか。

 

 コンソールは出ない。GMコールも効かない。強制アクセスすらできない。即ちログアウトできない。

 これだけで電脳法で定められている監禁罪に相当する。結構な重罪だ。

 

 それでいてこの景色ときたらどうだ? まるで本物の草原のようではないか。本物の草原など生まれてこの方見たことは無いが、この草の一本一本が風に靡く様ときたら! おまけに千切れば草の汁が断面に滲み出て、青臭い臭いが鼻腔を刺激する。

 

 随分と手が込んでいるではないか。しかも五感が現実よりも敏感だ。

 

 凄まじい技術革新だ。ここまでの作り込みを視界一杯より広い範囲で、しかも全くラグが無いなど、常識に喧嘩を売っている。ユグドラシル2だとでも言いたいのか? 

 

「作るのは勝手だけどね、やりたい奴だけでやってればいい! 僕を巻き込むな!」

 

 夜空に向けて咆える。ああそうだ、この夜空! 全く素晴らしい、本の中でだけの表現だと思っていた満天の星空とやらは現実に有り得るらしい。星明りで本が読めるってのは比喩表現だと思っていたが、この眼で目にする機会が我が人生にあろうとは! 

 

「ふん。紙の本だなんて何時の時代の話?」

 

 ユグドラシル2。この言葉を聞いたのが一時間前だったら飛び跳ねて喜んだだろう。此処までの逸脱っぷりだと世間に知れたら引退組だけでなく、本来ゲームなどやらない人種まで我先に買い求める人類史上でも稀な大ヒット作になっただろう。聖書なんて目じゃなくなってしまう。

 

 本当はイヨだって分かっている。

 

 此処がゲームでは無い事くらい。ただ考えたくなかっただけだ。だって余りに荒唐無稽ではないか。ゲームをやっていたら別世界に来てしまいました? 一周回って新しい設定だ。内容次第で二百万部は売れると思う。アニメ化も夢じゃない。

 

 ただ当事者になってしまうと全く面白くない。

 此処は何処なのだ。一体何をすればいいんだ。

 

 「誰が何をさせたくて此処に僕を寄越した?」

 

 例えば近くに襲われている人がいるとか、そういった危機的事態の真っ最中だったなら、それに対処せんと頭を回せるのだ。そうしたらこんなだだっ広い草原で寝っ転がって星空を眺めているなんて暇な事はしなくても良かった。

 

「なんで僕なの?」

 

 イヨの心中を占めるのはこの一言である。

 

 例えば大手ギルドのギルド長とか、ワールドチャンピオンとか。ワールドアイテム持ちのプレイヤーだとか。

 

 そういった人物が別世界に飛ばされるなら、まだ分かると云うものだ。彼ら彼女らはユグドラシルにおいて特別な存在だ。数奇な運命によって、何らかの大事を成す為に呼ばれたのだと納得できる。

 

 イヨには何も無い。たかが二十九レベルの一般プレイヤーだ。特別な装備も特殊な職業も縁が無く、課金だってトータルで一万円も行かない位しかしていない。

 

 まだイヨでは無く、中身である現実の篠田伊代の方が特別と強弁できるだけのものを持っている。

 

 小学校二年から六年生までの空手道全国大会の優勝者だ。身長が伸びず、中学一年生ごろから勝てなくなったが、伸びない身長をカバーするだけの修練を積み、高校一年生の現在になって都大会を突破し関東大会に出場が決定。今一度全国一位の座に返り咲かんと奮起している。

 生来女性的な容姿の持ち主で、未だに女子と間違われる。身長も百五十センチ弱しか無く、同級生どころか後輩にも「伊代ちゃん先輩」「伊代ちゃんさん」「シノちゃん」などと呼ばれて慕われている。とてもとても可愛らしい七つ離れた双子の弟妹がいる。名前は弟が千代で妹が美代。

 

 王道とは言い難いが、なんとなく主人公っぽい気がする。

 

「なに考えてんだか」

 

 イヨ自身、荒んでいる自分を自覚している。普段ならここまで荒い言葉も思考もしない。世界間の移動などと云う前代未聞の事件に巻き込まれたせいで、心に余裕が無いのだ。誰もいない草原で一人っきり。四方八方何処まで見渡しても虫くらいしかいない。

 せめて誰かと出会えたら──

 

「もし、其処のお方。お休み中の所を申し訳ございません。少しよろしいですかな?」

 

 イヨは全力で跳ね起きた。

 

 

 

 

 ナザリック地下大墳墓を本拠地とするギルド、アインズ・ウール・ゴウンに仕える執事、セバス・チャンは現在主の命令を遂行すべく、ナザリック近郊の草原を探索している最中であった。共に居るのは戦闘メイドプレアデスの副リーダー、ユリ・アルファ。

 

 ナザリックでは稀有なカルマ値を持つ二人は、誠心誠意丁寧にそれでいて素早く辺りの様子を知覚する。至高の四十一人のまとめ役にして現在のナザリックに唯一残られた慈悲深き絶対者、モモンガその人の命であるからには、万に一つの手落ちも許されない。

 

 シモベとして生み出されたからには、かの御方々の為に身も心も魂も捧げて忠誠を尽くす事こそが自らの存在意義。不注意が為に命を遂行できなかったなどと云う事態になれば、最後まで残られたただ一人のお方すら失望しその身を隠されてしまうかもしれないのだ。

 

 それは、ナザリックのシモベならば誰もが恐怖する最悪の未来である。

 

 直々に命を受けた瞬間の歓喜は何物にも代えがたかったが、いざ遂行しようと墳墓の外に出た瞬間、セバスは驚愕した。

 

 栄えあるナザリック地下大墳墓は、沼地に存在していた筈。しかし、二人の目の前に広がったのは何処までも続く草原であった。地殻変動や魔法による転移では不可能。正に驚天動地の異常事態と言えた。

 

 ──この事態を見越して、モモンガ様は命令を下されたに違いない。

 

 セバスとユリは己が主君の神智とも称するべき能力に驚嘆し、より一層の忠誠を誓った。創造して下さった御方々の名に恥じぬ様に、あの御方に仕えるのに相応しきシモベであらぬばならないと改めて感じ入ったのである。

 

 そんな時だ。小動物以上の生き物が見当たらない草原で、一人の人間の存在を発見したのは。

 

「……セバス様」

 

 数瞬遅れてユリも気付いた様だ。モモンガより指定された一キロの範囲内からは外れているが、ここは自己判断で接触すべき場面だろう。

 

 広域知覚や存在感知等のスキルを持たない二人ではあったが、その五感の及ぶ範囲は常人どころか超人の域すらも遥かに逸脱して余りあるほどだ。片や守護者と同格の百レベルNPC。もう一人はプレアデスの副リーダーであり、生者の気配に敏感なアンデッドであるのだから。 

 

 アサシンの職業を修めているソリュシャンや、後衛として優秀なナーベラルとルプスレギナ、ガンナーとしても種族的にも優れた視力を持つシズ、中衛として幅広い能力を持ち、蟲を使っての人海戦術も取れるエントマも無論優秀なのだが、今回の命令にはナザリック外の存在との友好的な交流が必須。

 特定の種族に対する行き過ぎた蔑視の感情を持つ者や、相手の文化文明によっては特異に見えかねない者は避けた方が無難と判断し、前衛拳士二人と言うアンバランスな組み合わせも承知の上で、セバスは共にユリを選んだのだ。

 

 どうやらそれが功を奏したようだ。

 

 こくり、とお互いに頷き合い、二人は相手に無用な警戒を持たれないよう、あえて普通に足音を立ててゆっくりと近付いて行く。

 

 が、寝転んで空を見上げている少年──一見すると少女にしか見えないほど可憐だ──は、何か考え事でもしているのか、二人の足音に気付かない。そのまま三メートルほどの距離に付き、尚気付かないので、セバスは相手を威圧しない様に意識して声をかけた。

 

「もし、其処のお方。お休み中の所を申し訳御座いませんが、少々宜しいですかな?」

 

 少年は蹴飛ばされた猫の如く跳ね起き、即座に二人に向けて両拳を中段上段に構えた。実力のほどは取るに足らない物だが、姿勢は様になっている。二人の脳裏に僅かな関心が湧いた。数奇な事に、この少年も自分たちと同じく拳士であるらしい。対して、少年の大きな眼に浮かぶの純粋な驚きと警戒だ。

 

 ──いつの間に人が? この恰好は何だ? 執事? メイド? 誰? 

 

 表情から読み取れる内心はそんなモノだ。

 セバスとユリは静かに低頭した。

 

「驚かせてしまったようで、真に申し訳ございません」

「あ……え、ええ。こちらこそすいません。ちょっと考え事をしてて、気付かなくて」

 

 しばしお互いに頭を下げ合う。

 

 お互いにとって幸運な事に、言語の違いは無い様だ。謝罪の意として頭部を下げるという行為の意味が通じている事からも、ある程度近い文化を持っていることがわかる。

 

 未だに慌てている少年を落ち着かせる意味でも、セバスは話を切り出した。

 

「私はナザリック地下大墳墓にて至高の四十一人に仕えるべく生み出された存在の一人、執事のセバス・チャンと申します。こちらは戦闘メイドプレアデスの副リーダー、ユリ・アルファ」

「こ──これはどうも? 僕はイヨと言います」

「イヨ様ですね。我々は主人の命により、ナザリック周辺の地を探索しておりました。貴方さえよろしければ、少々お話をしたいのですが、どうでしょうか?」

 

 主人より下された命を遂行するためには、この存在と交流して情報を引き出し、かつその後に友好的にナザリックに招かねばならない。その為には、こちらの素性は積極的に明かすべきだ。

 

 少年、イヨは少し戸惑う姿を見せた。

 

「あの、お話をするのは良いんですけど、僕はついさっき此処に来てしまったばかりなんです。変に聞こえるでしょうけど、本当に前触れなく急にこの草原に居たんです。質問にもよりますが、満足のいくお答えが出来るかどうか……」

 

 セバスとユリは瞠目した。

 

 前触れなく急にこの草原に居た。それはナザリック地下大墳墓の者たちと同じではないか。もしやこの地の人間では無く、自分たちと同じように転移により来てしまったユグドラシルの存在ではないのか。

 お互いの状況を伝え合うと、やはり同じ事態に巻き込まれている様だった。

 

「良かったです、こんなに早く同じ境遇の人と出会えるなんて。ギルドホームごと来てしまったと云う訳ですか? 貴方達お二人の他に、何人のプレイヤーの方がいらっしゃるんです?」

 

 イヨは安堵していた。異世界に転移してしまったと云う異常事態そのものは何も解決していないが、やはり同じ境遇の仲間がいると分かっただけで気は楽になる。しかも、二十九レベルのイヨと違って、ユグドラシルプレイヤーの大半はレベル百なのだ。

 

 この世界がどういった世界なのかは分からないが、ユグドラシルのキャラクターのままでいてしまっている以上、自衛のための力はあった方が良い。しかも目の前の二人の落ち着いた理知的な雰囲気から察するに、外装だけでは無く中の人も大人なのかもしれない。

 

 キャラの外装も中身も子供である自分一人で行動するより、知恵と経験のある大人の人達に付いて行った方が安全な筈である。しかもギルドホームごと来ているのなら、この何もかもが分からない世界で、其処は安住の地となり得る。是非ともお邪魔させていただきたかった。

 

 そんな考えから来た発言だったが、セバスとユリは顔色を暗くした。月明かりの下でさえ、明らかに気分が沈んだのだろうと察せられるほど。

 

「我々は、四十一人の至高の御方々に創造されし存在……プレイヤー、つまり我らの創造主にして支配者である御方は、四十一人の内四十人がお隠れになられてしまいました」

「イヨ様の質問にお答えするのなら……プレイヤーたる存在はただお一人。至高の四十一人のまとめ役にして唯一残られた慈悲深き君、ナザリック地下大墳墓の絶対の支配者である御方のみとなります」

 

 正直に言って、この言葉を聞いたイヨの感想は『何を言ってるのこの人達?』であった。その沈痛極まる表情から、目の前の二人が深い悲しみを抱いて、それでもイヨの問いに応えるために今の言葉を伝えてくれたのだろうとは察しが付く。

 

 しかし、内容そのものは全く意味が分からない。

 

 最初から主人とか何とか言ってはいたが、創造主とか支配者とか、至高の御方々に創造されし存在とか、普通にゲームをやっていたら全く掠りもしない言葉ばかりである。要約すると、自分たちはプレイヤーに作られた存在で、プレイヤーでは無いと言っている様に思えるが。

 ギルドを持つプレイヤーが作ると言えば拠点防衛用のNPCが思い当たるが、確かそれらは拠点の外には出れず、しかもプログラムを組みでもしない限り喋れもしない存在の筈だ。

 目の前の二人は明らかに自我を持って思考と行動を行っているし、何よりもギルドホームであるナザリック地下大墳墓なる場所から外に出ている。NPCである筈が無い。

 

 ふざけている様には全く見えない。しかし言っている事は訳が分からない。

 

 イヨの知識で納得できるように解釈すると、この人達は『自分たちは作られた存在であり、至高の御方々(多分ギルメン?)にお仕えする被造物である』という設定の下に臣下RPをやっている変わったプレイヤーだと推測できなくも無いのだが。

 

 ──なんともまあ変わった設定のRPだなぁ。というか、この異常事態であっても設定を貫き通してRPを止めないとは、筋金入りのロールプレイヤーだ。ある意味、見上げた根性だなぁ。

 

 流石に社会人プレイヤーともなると遊び方も一味違うのだな、とイヨは一周回って感心する。

 

 正直言って普通に話してほしいのだが、イヨだってリアルではTRPGを嗜む趣味人でもあるので、RPへの意気込みも分からないでは無い。従者ロールプレイは結構楽しいのだ。イヨはSW2.0では良く、ルーンフォークのグラップラーで従者キャラをやっていた。ついうっかりリアルでもPLをご主人様呼びしてしまった時はあらぬ疑惑が生まれたが。

 

 この人達はもしかしたら、異常事態に巻き込まれているからこそ普段通りの言動を貫き通す事で、混乱や不安を跳ね除けようとしているのかもしれない。

 

 この人達も自分と同じように不安なのだ。この沈痛な表情はその感情もあっての事だろう。そう思うと、イヨの内心で二人に対する意識が変わった。

 

 よし、とイヨは意気込む。自分だってTRPGプレイヤー、此処は空気を読んで二人のRPに合わせて見せようと。

 

「……申し訳ありません。我知らず、お二方に残酷な質問をしてしまったようで」

「……いえ、謝られる必要は御座いません。我らには未だに忠義を尽くすべき御方がおられるのですから、悲しみに暮れてばかりでは、偉大なる創造主に顔向けが出来ませぬ故」

 

 イヨの謝罪を、二人は鷹揚に受け取ってくれた。

 

「イヨ様。我らが主人より受けた命令は、知的生命体との接触と交流、そしてその者をナザリックに友好的に招く事なのです。つまりは貴方を」

「どうでしょう? ナザリックにおいで願えませんか? 貴方は我々と同じ事態に巻き込まれた存在。お互いに協力し合えることもあるのではないかと思うのですが」

「はい! 喜んでご招待に預からせて頂きます! みなさんの──」

 

 所属するギルドの名は、と言い掛けつつ、

 

「──みなさんがお仕えするギルドの名を、お聞きしてもよろしいでしょうか?」

 

 顔には出さないものの、セバスとユリの内心に緊張が走る。

 

 自分たちが仕える偉大にして至高なる御方々が作りたもうたギルド、この世で最も貴きその名はアインズ・ウール・ゴウン。ナザリックのシモベ達にとって、己の全てを捧げてもまだ足りないほどの意味を持つ名。

 その名を口にする事すらもが喜びであり、仕える事こそ存在理由かつ責務。創られたモノとしての本懐にして至福。

 本来ならば、何よりも厳かにその名を告げるべきなのだ。至高の御方々の偉大さと想いの全てが籠った御名を。

 

 しかし、今は事情が異なる。

 

 アインズ・ウール・ゴウンは悪のギルド。異形種のみが集い、数多くの殺戮と悪事の限りを尽くしたギルドだ。無論、ナザリック内では珍しく善に片寄ったカルマ値を持つ二人だが、至高の御方々が残した功績の数々に尊崇の念を抱く事こそあれど、嫌悪感など一片たりとも持っていない。

 人間種に対する見下しや蔑視の感情こそ持っておらず、優れた能力と人格を併せ持った相手になら好感を抱き、もしも虐げられる弱者がいれば救う事すらもするだろう二人だが、アインズ・ウール・ゴウンに敵対、更には侮辱を行った者を殺戮する事になんの躊躇も罪悪感も無い。

 

 彼らが緊張を感じたのは、アインズ・ウール・ゴウンの名を教える事で起こる少年の反応を気にしたからだ。

 

 アインズ・ウール・ゴウンは悪のギルド。異形種のみが集い、数多くの殺戮と悪事の限りを尽くしたギルド。ユグドラシル全土にその名を轟かせた悪の大集団。当然敵は多く、以前には千五百人もの討伐隊が押し寄せた事すらある。至高の御方々の偉大さを理解出来ぬ愚か者どもから、蛇蝎の如く恨まれ嫌われているだろう。

 

 自分たちと同じくユグドラシルから来た存在であるこの幼い人間種の少年にとって、その名が嫌悪と畏怖の象徴たる名であったのならば、『そんな所には行きたくない』と言われかねない。それだけならばまだしも、もしもアインズ・ウール・ゴウンと至高の四十一人の御方々を侮辱する言葉を口にしたのならば──

 

 ──大墳墓を出て、周辺地理を確認せよ。もし仮に知的生物がいた場合は交渉して友好的にここまで連れてこい。交渉の際は相手の条件をほぼ聞き入れて構わない。行動範囲は周辺一キロに限定。戦闘行為は極力避けろ。

 ──プレアデスから一人だけ連れていけ。もしお前が戦闘に入った場合は即座に撤退させ、情報を持ち帰らせろ。

 

 それがモモンガの下した命令である。シモベであるセバスとユリにとって神にも等しい御方から下された命令だ。言うまでもなく、それは絶対確実に遂行せねばならない。

 

 もし来ることを拒むのならば、恐怖を抱くのならば。誠心誠意説得しよう。幸いこの少年は割かし素直な質である様で、現在までの所はこちらにも誠意をもって相対している。真っ直ぐに言葉を尽くし、安全の保障をすれば、あるいは案外すんなりと招かれてくれるやも知れない。楽観的な予想ではあるものの、そう外れていない予測でもある事実をセバスとユリは思う。

 

 侮辱や罵倒の言葉を吐きつけたならば。シモベの本音としては、その様な存在は頭蓋を砕いて骸とせしめてやりたい所だ。だが今は緊急事態の只中。情報源はどんなものであれ、あった方がいい。賛否分かれる判断ではあるが、セバスとユリはその場合、手足を砕いて猿轡でも噛ませ、客人では無くただ単なる『情報』として搬入するつもりであった。

 

 もしそうなった場合、主であるモモンガはどう思われるだろうか。妥当な判断だと頷くか、間違っていると叱責するか。

 後者であった場合、あるいは叱責そのものは怖くは無い。シモベとして命令を果たせなかった挙句お叱りを受けるというのは絶望を感じるに余りある、身切れるかのような苦痛であろう。しかし、それはセバスとユリが至らなかったせいという事で片付く可能性もある。至高の御方への謝罪として命を奪われるのであれば、二人の命で至高の御方が納得するのであればまだいい。

 

 だがもしも。他の御方々と同じく、お隠れになってしまわれるとすれば。セバスとユリだけでは無く、ナザリック地下大墳墓の全シモベに愛想を尽かし、『お前たちは要らない』という、苦痛よりも死よりも辛い無価値と不必要の宣告を受けてしまったならば──。

 

 一瞬のうちに其処まで考えが及んだからこそ、二人は緊張した。現時点では可能性でしかないそれらだが、可能性が有ると云う時点でなんと悍ましき事か。

 

 この少年がアインズ・ウール・ゴウンの事を知らないか、せめて悪感情を持っていませんようにと二人は願う。

 

 会話として常識的な間に圧縮された思考の後、セバスは外見的に一切の異常を見せず、その名に相応しく厳かに告げた。

 

「ギルド、アインズ・ウール・ゴウン。それが我らがお仕えする四十一人の至高の御方々がお作りになられた組織であり、私共の全てで御座います」

「アインズ・ウール・ゴウンと仰られるのですか! かっこよくて素敵なお名前で──アインズ・ウール・ゴウン?」

 

 イヨは英語に限らず外国語が著しく苦手であり、単語の意味などは皆目分からない。しかし、分からないなりに名前の響きに良きものを感じ、感じるがままの称賛を言葉としたが──不意に止まる。

 

 アインズ・ウール・ゴウンと、ナザリック地下大墳墓。片方では分からなかったが、両方が揃うと、頭の何処かに引っかかる。何処かで聞いたような、漫画やテレビでは無くユグドラシルの中で、ユグドラシルに関連した何かで。

 

 もう少しで思い起こせそうなのに、あと一歩で思い出せない。そんなもどかしい感覚がイヨの表情を歪め、眉根を寄せて視線を斜め上にやる。その顔は傍から見れば、負の感情の発露に見えなくも無かった。

 ユリとセバスが僅かに身を固くした事に微塵も気付かず、イヨは首を捻った。想起される記憶は、ゲーム内では無くリアルで友人と交わしたもの。ゲームを始める以前の、友人が語る話だけでユグドラシルを知っていた頃のもの。

 

『すっげえだろコレ!? 千五百人だぜ千五百人! 全員がプレイヤーって訳じゃないけど、たった四十人そこらで勝てる人数じゃないって普通さ! 全盛期はランク一桁だったらしいし!』

『うわぁ……なにこれ、あれ何が起きてるの? 魔法?』

『いや、ワールドアイテムを使った何かって予想がされてるだけで、実際の所は解明されてないんじゃなかったかな? wikiにもそこまでは書いて無かったし……でもホントすごいだろ! ワールドアイテムを十個以上持ってるんだぜ!?』

『十個以上!? あれって一個持ってるだけでもすごいって前に言ってなかった? へー……この、ギルド? チーム? パーティー? ってどんな名前なんだっけ?』

『最初に言っただろ? ユグドラシル最凶最悪の悪役RPギルド、その名も──』

 

 ──アインズ・ウール・ゴウン。

 

 一度思い出せば、後は雪崩のように記憶が蘇った。実際に眼にした事は一度も無かったが、友人を始めとする何人かから逸話を聞かされた事があった。

 

「アインズ・ウール・ゴウンって、あのアインズ・ウール・ゴウンですか!? あの、えっと、千五百人の討伐隊を返り討ちにしたあの! わあ、すごい! 会えるなんて思ってもみませんでした!」

「おお、イヨ様は至高の御方々の偉業を知っておられるのですか!」

 

 セバスとユリの顔色が、夜目にも明らかに良くなった。真剣な表情を緩ませ、微笑みさえ浮かべる程に。

 

 まあ一応知ってはいた。活動規模が随分と縮小して一説にはメンバーの殆どが引退したとの噂も流れていたし、事実イヨがゲームを始めた頃には全く表立って活動していなかったが、それでも非常に有名な話だ。ユグドラシルプレイヤーの中で、その名を聞いた事が無いものは存在しないのではないかという位に。

 幾ら本拠地の機能と優位性をフルに使っての防衛戦とはいえ、千五百対四十一で後者が勝つのは異常どころの話では無い。イヨが友達に見せられたムービーの一件などは違法改造ではないかとの訴えが続出して、運営の査察が入ったとまで聞いている。そして運営から違法性は無しとの判断が下され、アインズ・ウール・ゴウンとナザリックは正に伝説となったのだ。今思い出したが。

 

 他にも彼のギルドの武勇伝は事欠かない。大規模PKや敵対ギルドの討滅、稀少鉱山の独占など、悪のRPギルドだけあって、その所業は正に悪の王道。さながら魔王の如しだ。蛇蝎以上に嫌われていたとも、その苛烈な有様に魅了される者もまた多かったとも、イヨは聞いている。

 

 なにより、その有名性はなにも『悪い奴らだった』というだけが理由では無い。

 

「わ、ワールドチャンピオンのたっち・みーさ──様がいたギルドですよね!? エクリプスのモモンガ様がギルド長を務めておられるとお聞きしています!」

 

 ユグドラシルのwikiにはアインズ・ウール・ゴウンの項目があり、それとは別にアインズ・ウール・ゴウン攻略wikiなども存在している。それらのページにおいて、最も多くの文章量で『特に注意すべし』と綴られているのが、この二名を筆頭とした数名である。

 

 ワールドチャンピオン。それはサーバー毎のPVP大会で優勝した者のみが就く事を許される、正にトッププレイヤーの証明。強キャラが作りにくいとの一般論を打ち破って異形種でその座に付いたたっち・みーは、前衛職のプレイヤーの中では非常に有名である。異形種ならではの高ステータスと見事にかみ合った職業構成、そしてその超級のプレイヤースキル。彼のギルドでは珍しく、正義のRPを貫いた人物でもある。

 

 イヨの憧れの人である。もしも現役だったら是非手合わせして頂きたいと思っていた。アインズ・ウール・ゴウンの名は忘れていても、たっち・みーの名は忘れていなかった位だ。もしも先にこの名を出されていたら、それを切っ掛けにギルド名を思い出していたかもしれない。

 

 もう一人の要注意者、モモンガ。この人物、実はwikiには『RPに偏重したビルドの為、魔法職としての火力的には中の上から上の下』と明記してあり、そこだけ見ると同じく要注意人物であるウルベルト・アレイン・オードルなどの方が危険な様にも思える。

 

 しかし、彼の場合はそのRPに偏重したビルドが厄介なのだ。死を司る魔法詠唱者として異常に特化し、しかも全身を神器級装備と課金アイテムで武装。ユグドラシル全体でも数えられる程しかいないエクリプスの職業に就いたロールプレイヤーだ。

 即死完全耐性も即死無効化も貫通する超スキルと専用ワールドアイテム、そしてこれほどの情報が公に晒されているにもかかわらず、PVPで勝ち越すという本人のプレイヤースキル。たっち・みーとはまた違った方向性の超級プレイヤー。wikiのコメント欄でDQN廃人、反則廃人、ガチ魔王と異名とも陰口とも取れる名で呼ばれた人物。

 

 ぶっちゃけた話、百レベルの魔法職と云うだけでイヨにとっては憧れの存在である。なにせ、イヨは魔法職を諦めた人間なのだから。

 百レベルに達した魔法詠唱者は、最低でも三百の魔法を使えるのだ。三百の名前と効果と範囲と射程と──その他諸々の情報を頭に入れているだけでもうすごい。それらを場面場面によって有効に使い分けるとなれば、イヨには絶対にできない境地だ。

 更に、モモンガは七百以上の魔法を使い分けると書いてあった。雲上人だ、とその文を読んだときイヨは思った。またその威厳溢れるRPも有名で、攻略wikiとユグドラシルwikiの双方に『一見の価値あり。勇者RPで渡り合ってみるのも一興』と書いてある位である。

 

 そんなすごい人たちのギルドに行けるなんて夢のようです、とイヨはプロ野球選手に憧れる野球少年の如き情熱と興奮で喋り倒した。喋っている最中にRPが剥がれなかったのが奇跡とすら思える位であった。

 

「ああ、すいません! 僕一人で喋っちゃって……」

「いえいえ、イヨ様のお気持ちはしかと伝わりましたとも。どうか頭をお上げ下さい」

 

 これに非常に機嫌を良くしたのがユリとセバスである。自らが仕える主人、自らの創造主への無垢な憧憬と尊敬をぶつけられて、機嫌が悪くなろう筈がない。元々人間種に好意的な面もある二人は、目の前の幼い少年を好ましく思っていた。

 

 ──やはり、人間にも良きもの、見る目のあるものはいる。

 

 どのような人物であれ情報源としてナザリックに招く事は命令で決められていたが、やはりシモベの心情としては、下賤な者など至高の地に踏み入れさせたくはないのだ。

 その点、この少年は至高の四十一人とナザリックにとても好意的で、特にセバスの創造主であるたっち・みーと唯一残ったモモンガを殊更尊敬している様だ。この分ならば他の守護者たちも、情報を搾取した後に『有効利用』しようなどとは恐らく言い出さないだろう。

 

「ナザリックは近いのですか?」

「はい、ここから二キロと離れておりません。人の目では見えないかもしれませんが、あちらの方向に御座います」

 

 ──モモンガ様に、良いご報告が出来そうです。

 

 主人よりの命を完璧に遂行するのはシモベの義務であり、大いなる喜びだ。その達成感と幸福感は、命を受けた瞬間の歓喜にも勝るものとなるだろう。

 二名がともにそう考えた瞬間、セバスの脳裏に〈メッセージ/伝言〉が響いた。丁度今思い浮かべた、主であるモモンガその人からである。

 

「すみませんが、メッセージが届きましたので、少し外させて頂きます。ユリ・アルファ、しばしイヨ様とご歓談を」

「かしこまりました」

「はーい」

 

 僅かに低頭するユリと笑顔で送り出すイヨに背を向け、やや離れた場所にて姿勢を正し、

 

「これはモモンガ様……どうかなさいましたか?」

 

 

 

 

「そうか、でかしたぞセバス!! ──お前とユリの働きは称賛に値する」

『勿体無きお言葉で御座います。……しかし、モモンガ様より命じられた一キロの範囲を自己判断で超過してしまい──』

「よい、不問に処す。その場合で頑なに命令に固執するのは明らかな悪手だ。現場の柔軟な判断は成果を得るために不可欠。何も謝る事は無いとも」

 

 送り出したセバスからの報告を聞いたモモンガは、情報源が見つかった事に大きな喜び──直ぐ何かに押さえつけられたかのように平坦な状態へと戻ったが──を感じていた。慣れない上位者の振る舞いや言葉遣いも思わず滑らかになるほどだ。

 

 懸念材料は無くなっていない。やはりナザリックは何処か見知らぬ地へと転移したらしく、沼地であったはずの周囲は何の変哲もない草原だと云う。ゲームの現実化、若しくは世界間の移動。異常にもほどがある事態だ。

 

 だからこそ、そんな事態の只中で同じ境遇の存在を発見できた事は幸運だ。

 

 仮にここが異世界だとすれば、最重要の情報は現地の知識だろう。世界が違えば何もかもが違う可能性もある。極端な事を言えば、この世界では羽虫や小動物すらユグドラシルのレベル千に匹敵する可能性も無いとは言えないのだから。

 現地の人間、もしくは人間に相当する知性体から直接話を聞ければそれが最上だった。それは叶わなかったが、同じユグドラシルのプレイヤーと接触出来たのは次点の上出来だ。

 

 ──確定だ。この世界には他にもユグドラシルのプレイヤーがいる。

 

 自分とそのもう一人の共通点を探る事で、転移の切っ掛けや条件的なものが掴めるかもしれない。共通の何かを持ったプレイヤーが転移してきていると不完全でも推測できれば、そこから更に今後の指針を掴むことは十分に可能だ。

 

 モモンガは元から自分だけが選ばれた、来てしまったなどとは考えていなかった。そしてそれは早々に実証された。ナザリックとナザリックから数キロの範囲に二名もいるのだ。他にも沢山、もしかしたら数百数千、最終日の最後まで残っていたプレイヤー全員が此方に来ている可能性だって完全に無いとは言い切れなくなってきた。

 

 ──もしかしたらアインズ・ウール・ゴウンのメンバーも来ているかもしれない。

 

 その可能性は高まったと言ってもいいだろう。少なくとも、モモンガは全くの孤独ではないのだ。

 

 イヨという名前には聞き覚えが無いが、向こうは此方に著しく好意的で、人間種の少年アバターらしい。

 人間種のプレイヤーとの友好関係を築けば、今後出会うだろう他のプレイヤーに対する宣伝にも使える。悪のギルドとして此方を毛嫌いしていてもおかしくない人間種のプレイヤーに、実績としてアピールする事で争いを事前に回避できる手札となるだろう。悪役RPで知られた自分たちが人間種のソロプレイヤーを保護しているのはインパクトが大きい。

 

 しかもセバス曰く、イヨの実力のほどは体感で三十レベル程度。装備がレベルの割に上等である事を考慮しても四十レベル相当には到底達し得ない程度らしい。

 もし話し合いが拗れて敵対状態になってしまったとしても──聞く限りではその可能性は低そうだが──モモンガ一人でどうとでもなる。何ならプレアデスの内一人だけでも十分すぎる程だ。

 

 相手は最初から此方に好意的で友好的、しかもなんら脅威足り得ない弱者で、しかし利用価値は大きい。

 

 下手に正義感にあふれた百レベルの上位ランカーだったりした場合、負ける事は無いだろうがナザリック側に被害が出る可能性もある。それに比べて、イヨはファーストコンタクトの相手としては理想的と言ってよかろう。

 

 ……この異常事態の最中で同じ境遇の人物が見つかったと云うのに、その人間をいかに有効利用するか、敵対した場合の対処等を淡々と考えている自分にやや違和感を覚えるモモンガだが、今は他の事を考えている時間は無いと思い直し、深く考えるのを止めた。

 

 電話の先には指示待ちの部下がいるのだ。与えた仕事で見事に結果を出してみせた部下を放って私事にかまけるのは、上司として褒められた態度では無い。

 

 モモンガは無い舌で無い唇を湿らせる様な仕草──傍目から見たら僅かに上顎と下顎を動かしたようにしか見えない──をし、精一杯威厳ある声で命じる。

 

「セバス、現在アンフィアテアトルムに守護者全員を集めている。その人物を連れてそこまで来い」

『畏まりました、モモンガ様』

「極端に遅くならない限り、時間は特に指定しない。一応の目安としては二十分後だ。その人物と交流を深めて友好的な反応を引き出し、よりナザリックに親近感を持たせるのだ。場合によっては今後客人として遇する事も考えられる。他の者にも通達するが決して危害は加えず、不快にさせる様な真似も極力控えろ」

 

 了解の意を聞き、メッセージを解除。続いてアルベドに繋ぎ、セバスが連れてくる存在を害さない様に徹底させる旨の指示を出す。

 

 ──やっぱり支配者の演技は疲れるなぁ。ああそう言えば、他のプレイヤーの前ではこんなことしなくていいんだよな。そういった点でも、外部のプレイヤーを客人としてナザリックに住まわせるというアイデアは悪くないな。相手がまともな人でさえあれば、交流は息抜きにもなる。

 

 そうしてから、アウラとマーレの期待の籠った視線を思い出し、モモンガはスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを掲げた。

 

 

 

 

 交信を終えたセバスが戻ってくると、ユリとイヨは何故か取っ組み合いをしていた。

 

「この状態で片足を取られますとほぼ詰みですので、相手の重心と自分の重心を──」

「なるほど、勉強になります。でもこの場合はもう割り切って組み技か絞めに行った方が良いのでは──」

「そこはケースバイケースですが、相手が多肢や不定形などの非人間的構造ですとそもそも密着状態そのものが不利過ぎますし、やはり基本は間合いを自由に使いながらの立ち技が──」

 

 なるほど、とセバスは得心する。共に素手での戦いを得手とする拳士職、共通の話題から入るのは会話の基本であるし、自然に指導や意見の交わし合いとなる為、交流は活発になる。親交を深めるにはうってつけの手段だ。

 流石はユリ・アルファ。プレアデスの副リーダーであり、ナザリックでは稀有な善の属性を持つ者だ。結果論ではあるが、やはり彼女を共に選んだのは正解であった。

 

「お待たせして申し訳ありません」

「あ、セバスさん!」

 

 警戒心の一切ない子供らしい足取りでイヨは駆け寄り、興奮気味にまくしたてる。

 

「お話はどうでしたか? ユリさんとっても知識が豊富で、僕、色々教えてもらってました!」

「いえ、私の方こそ良い刺激になりました。イヨ様はまだ幼いのに、とてもお強いです。同レベル帯なら私の方が勝率は低いかも知れません」

「ほう」

 

 真面目なユリの言う事であるし、浮かべた表情からしてもお世辞では無く本音の評価なのだろう。至高の四十一人の一人であるやまいこに創造された彼女に此処まで言わせるとは、イヨと云う人物の腕の良さが分かる。

 

「いえいえそんな、僕よりユリさんの方が攻めが多彩ですし、殴り合いだけが格闘じゃありませんから。ユリさんの方が強いですよ」

 

 両手を振って否定するイヨだが、褒められたのが嬉しかったのか、表情は明るい笑顔である。女性的な容姿の男の子と云う点では守護者であるマーレと同じ分類の存在である彼がそうすると、幼さが強調される。

 

「本当に強いですよ、ユリさんは。ちょっと失礼な質問かも知れませんが、リアルでも格闘技をやってらっしゃったりしませんか? 何歳位からやってたんです? もしかして、有名な選手の方だったり?」

 

 彼の質問に、セバスとユリは揃って不思議そうな顔をした。

 

「リアル……至高の御方々が拠点を持ってらっしゃると云う、我らでは立ち入れぬ地だったでしょうか? やはり同じプレイヤーであるイヨ様も其処に拠点を……」

「私は至高の御方であるやまいこ様に斯くあるべしと創造されたので、何歳位から、等はありません。生まれた時から、この定められた通りの力を持っていました」

「あっ……そ、そうなんですか。ちょっと口が滑りました、すいません」

 

 イヨは顔を俯かせて、小さな声でぼそりと口にする。

 

「ロールプレイ中にリアルの事とか聞いちゃいけないよね、うん、僕が悪い。しっかり設定に合わせていかないと。……僕も一人称を名前にしたりとか、キャラを作った方がいいのかな……」

「どうかなさいましたか、イヨ様」

「何処かお加減でも? 」

「いえ、なんでもないです! あのアインズ・ウール・ゴウンの皆様が統べる地に行けると思うと、歓喜で体が震えて来ちゃいまして! 本当に光栄です! 」

 

 このRPの方向性で良いんだよね、とイヨは思案しつつ喋っていた。アインズ・ウール・ゴウンは悪のギルド、ナザリック地下大墳墓はその総本山。そして自分はそれらに尊崇の念を持ったか弱い人間。大体そんな感じを基本として、魔王城に招かれた悪魔崇拝者的な感じをイメージの下敷きとする。

 

 イヨの言動に理解が及んだのだろう、ユリとセバスは揃って納得した。

 

「おお、そうでしたか。イヨ様。私は先ほど、ナザリックは第六階層まであなた様を案内するようにモモンガ様より命を下されました。道中歓談などをしつつ、ご案内させていただきたいと思っておりますが、宜しいでしょうか?」

「はい、ぜひお願いします!」

 

 

 

 

 所と時間は変わって、此処はナザリック第六階層アンフィアテアトルムである。情報源たるイヨの案内を命じられたセバス以外は既に集合し、各階層の異常の有無やナザリックの警備、隠蔽などについて話し合った後だ。

 

 モモンガは最後、居並ぶ守護者たちに自身をどう捉えているかと質問した。果たしてその答えは──

 

「美の結晶。まさにこの世で最も美しい方であります。その白きお体と比べれば、宝石すらも見劣りしていしまいます」

「守護者各員ヨリモ強者デアリ、マサニナザリック地下大墳墓ノ絶対ナル支配者ニ相応シキ方カト」

「慈悲深く、深い配慮に優れたお方です」

「す、すごく優しい方だと思います」

「賢明な判断力と、瞬時に実行される行動力をも有された方。まさに端倪すべからざる、という言葉が相応しき御方です」

「至高の方々の最高責任者であり、私どもの最高の主人であります。そして私の愛しいお方です」

 

 ──なにその高評価。全くの別人だろ。

 

 笑いながらそう突っ込んであげられたらどんなに気が楽だったか。居並ぶ守護者たちの表情は真剣そのもの、決して冗談で言っているのではないと理解できる。

 

「……なるほど各員の考えは理解した。それでは私の仲間たちが担当していた執務の一部まで、お前たちを信頼し委ねる。今後とも忠義に励め」

 

 なんとかそれだけ言うことが出来た。正直もう転移してこの真っ直ぐな崇拝と賛辞を突きつけてくる目線から逃げたかったが、セバスの報告がまだだからそうもいかない。

 現地の情報と招いた情報源の紹介は、皆が共有すべき情報だからだ。折角主要な者たちが集まっているんだから、ここで周知させておくのが一番手っ取り早い。

 

 とりあえず跪かせたままではなんだから、楽な姿勢を取る様に命じるか。こんな光景を他者に見られたくはないし──とモモンガが思考した所で、その優れた聴覚が速足で近寄って来る二つの足音を捉えた。

 

「モモンガ様、お待たせしてしまい真に申し訳ありません」

「遅くなってすいませんでした!」

 

 背後から聞き覚えのある重厚で低い声と、初めて聞く声変わりの気配も無い高い子供の声を聞いて、モモンガの全身から血の気が引いた。骨だが。

 ぎぎぎ、と音を立てそうな動きで振り返ると、腰を九十度に折り曲げて謝罪するセバスと同じく、頭を下げている金の三つ編みの子供が視界に移った。

 

 見られた、もしかしたら今までのやり取りも聞かれたかもしれない、とモモンガが脳裏で絶叫を上げる。子供の方は自分と同じくユグドラシルのプレイヤーなのである。当然NPCが如何いった物かも知っている。

 

 命じなければ動かない、プログラムを組まねば喋らない。当然自分の意思など持っていない存在。ユグドラシル時代ならばその理解で間違っていない。

 

 つまりこの光景は『お人形を跪かせて自分を賛美させ、偉そうに君臨して支配者ごっこに興じている大人』的なものにも見えかねないのだ。そうでなくても高々ゲームの一プレイヤーが支配者然とした振る舞いを取っているのは失笑物の光景だろう。

 

 かといって守護者たちの目の前で素の口調で外部のプレイヤーと接するのも問題がある。なぜ自分は此処に連れて来いなどと命じたのか。それが一番効率が良いからだ。にしたってこうなる事はちょっと考えれば想像できただろうに。

 

 テンパった心の水面が一瞬で平定し、静かなものとなる。

 

「構わないとも。時間を指定しないと命じたのは他ならぬ私だ。お前には何の責も無い。頭を下げる必要は無いぞ、セバス」

「有り難きお言葉に御座います、モモンガ様」

「ありがとうございます!」

 

 ──他所様の前で様呼びはやめろ、やめてくれ。

 

 またもや一瞬で平定。

 

 取りあえずは支配者然とした態度で通すしかない。組織の運用に必須で、仲間の子供とも言える百レベルNPC達と外部の三十レベル程度のプレイヤー一名。どちらを選ぶべきかははっきりしている。後で事情を説明するにも、色々ぶっちゃけて話せるプレイヤーの方が簡単だ。

 

 なるべく威厳たっぷりに、頭を上げた二人を見やり──少年と聞いていたアバターの外見が少女の物である事にちょっと驚き、マーレと同じ男の娘タイプかと納得し──未だ跪いている背後の守護者たちを少年の視界から隠すように立ち位置を調整する。

 

「セバス、その者が?」

「はい、ナザリック近郊にて出会い、協力を申し出て下さった御方で御座います」

「イヨと言います、初めまして」

「ああ、初めまして。イヨくんとやら。私はモモンガと──」

「失礼いたします、モモンガ様。下等なる人間風情が跪きもせず話をするのは不敬かと」

「私もそう思います」

「ちょっ」

 

 モモンガは後ろ弾を喰らった。頼むからこれ以上話を拗らせないでくれ、とデミウルゴスとアルベドを静止しようとするが、間に合わない。

 

『平伏し──』

「確かに重臣の御方の仰る通り。失礼いたしました、モモンガ様!」

 

 何故か少年は至極ごもっともだという態度で、支配の呪言発動前に自ら跪いた。セバスもそれに続く。ほう、と守護者たちが僅かに関心の声を漏らすが、モモンガはそれどころでは無い。

 

 ──ええええええええええ!? とモモンガは内心で再度絶叫する。精神の安定化が連発されるが、それでも追い付かないほどの動揺を感じていた。

 NPCであるアルべド達はまあ分かる。設定に忠誠を誓っていると書いてあるのかもしれないし、NPCとはプレイヤーに創られるものだから、そもそも前提としてそういう風に出来ているのかもしれない。

 

「先ほどは無礼を働きまして、誠に失礼いたしました。至高にして至尊なる御方、生者も死者をも超えた絶対の不死者、モモンガ様!」

「ふむ、成程──下等生物にしては礼儀を弁えているようだね」

「勿論でございます! 定められた寿命に縛られる我ら人間種との格の差は明らか。弱者が強者に、下位なる者が上位の者に服従するのは当然の摂理かと」

 

 なんでプレイヤーであるこの少年までが自分に跪く、褒め称える? 分からない、さっぱり分からない。アインズ・ウール・ゴウンは、そしてそのギルド長である自分は嫌われ者だった筈だ。

 

 勿論ファン的なプレイヤーが皆無だった訳では無いだろう。事実憧れを抱いていた者の何人かとは話した事がある。

 

 しかし彼ら彼女らは、あくまでも十大ギルドの一角である事に称賛の念を抱いたり、悪のRPに理解を示したりしてくれた普通の人達だった。決してこんな何処の漫画だ、と言いたくなるような言葉で自分を称える狂信者では無かった。

 モモンガが今まで偶然出会わなかっただけで、この様な熱狂的なファン? が今までも存在していたのだろうか。そう思うと背骨がうすら寒くなった。

 

「お──面を上げよ」

「はっ」

 

 俊敏な動作で顔を上げた少年の瞳に移るのは何処までも真剣な色と──はっきり見て取れるほどのモモンガへの肯定的な感情。嘘偽りの気配は欠片も無い。

 

 ──こいつ、本気だ。

 

 そう理解したモモンガは十歩分程退いて距離を取りたい衝動に駆られるが、背後には守護者達が居る。どっちを向いても熱狂的な信者に囲まれているという現実に鈴木悟の残滓が悲鳴を上げかける。が、立場上そんな事が出来るわけが無い。如何にか状況を打開するべく言葉を紡ぐ。

 

「そこまで硬くならずともよい。部下の発言は兎も角、私自身は君を客人として遇したいと考えている。対等な言葉遣いでかまわないのだが?」

「いえ、恐れ多いことで御座います。ナザリックの絶対支配者であるモモンガ様にその様な接し方は許されるものではありません。願わくば、シモベの一端として平伏す事を許していただきたくあります」

 

 ドン引きである。なんでそんなマジな顔ですらすらとそんな台詞が喋れるのだ。NPC達と違ってこの少年は自分と同じプレイヤーである筈なのに。

 まさかこの世界はみんなそうなのか? ゲームの現実化や異世界では無く、存在する全ての者がモモンガを神の如く崇め奉る嬉し恥ずかしな妄想ワールドに転移してしまったのか? なんだその地獄は。

 

 ちやほやされるのが嬉しくない訳では無いが、これは流石にあんまりだろう。此処までされたいと思った事など今までの人生で一度も無い。誓って言える。

 

「セバス、君にしては良き人間を連れて来たじゃないか。手間が省けるよ」

「お褒めの言葉ありがとうございます、デミウルゴス様」

「モモンガ様? 早速、この下等生物とセバスから外部の情報を受け取るべきかと思いますが」

「あ、ああ。……良きにはからえ」

 

 この場を任せるとの意を受け、アルベドが場を仕切りだす。そんな光景を半ば茫然と眺めながら、モモンガはこれからこいつらと一緒に過ごすのか、と前途に大いなる暗雲を感じていた。

 

「周囲は何の変哲もない草原であり、小動物以上の生物は全くおりませんでした」

「ふむ……天空城の様な物が浮かんでいる訳でも無く、特異なフィールドでもない、か」

 

 ──早く一人の時間が欲しい。

 

 切にそう思う。NPC達は神か何かの様に自分を崇拝し、同じ目線で話し合えるかと思ったプレイヤーすら自分を絶対の上位者として扱う。心の安らぐ暇がまるでないではないか、と。

 

 バッドステータスとしての疲労は無効化されている筈なのに、既に心が重たくて仕方が無いモモンガこと鈴木悟であった。

 

 

 

 二十分後、事実確認と情報の擦り合わせの為に嫌々イヨと二人きりになった時、

 

『アインズ・ウール・ゴウンの皆さんのRP、すごかったですよ! まるで本当の悪の組織みたいで、モモンガさんも魔王っぽさが板についてましたね! やっぱり普段からああやって遊んでいたんですか? 僕もついRPに熱が入ってしまって……いやぁ、楽しかったですね! 改めまして、篠田伊代と申します。モモンガさん、これから宜しくお願いします!』

 

と言われ、モモンガは全身脱力を起こして膝から床に崩れ落ちたという。

 

 




「モモンガさん! 世界征服って本気ですか!?」
「えっ!?」

「モモンガさん! 死体が欲しいからリザードマンの村を襲うって本当ですか!?」
「え?」

「モモンガさん!? 人間牧場って正気ですか!?」
「……え?」

みたいな展開を考えはしたけど、無理だなって断念したやつです。カルネ村で終始ガゼフと一緒に陽光聖典と戦うとか、そのまま王都にお呼ばれしてアインズ・ウール・ゴウンの名を宣伝するとか、原作とは同じストーリー展開で「原作のあの時、オリキャラは裏でこんなことしてたよ」みたいな展開のつもりでした。

この世界線の場合、イヨは終始客分であり外様の存在で、アインズ・ウール・ゴウンのメンバーにはなりません。モモンガ様がアインズ様に改名した後で、外付け良心回路として(都合の良い時だけ)使われる感じでした。鉱山のカナリアみたいな。

「もし他のメンバーの方が此方に来ていたとして、大量虐殺なんかしてたら嫌われてしまいますよ」「来てたら精神の異形化が絶対に起こるかも不明ですし、殺してからじゃ取り返しがつかないのですから、取りあえずヤバい事は避けていきましょう? お願いします!」「人を特別扱いしろとは言いませんけど、ね? 穏便に行きましょう?」「アインズ・ウール・ゴウンで世界を平和裏に、あくまで平和裏に征服しましょうよ。そうしたらギルメンの方を発見するのも簡単になりますし!」

苦労人キャラのイヨ……人格変わりそうですね。擦れて良くも悪くも大人になりそう。


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