ナザリックへと消えた英雄のお話   作:柴田豊丸

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公都:両雄激突

 数多くの冒険者組合でそうなっている様に、公都の冒険者組合の裏手にも修練場がある。一国の首都には不釣り合いとも思えるだだっ広い空き地だ。周囲を木の塀で囲み、それなりに長い歴史の間に数千数万の冒険者たちが鍛錬を行った場所である。

 黒土の地面は幾万もの踏み込みと駆け足訓練で石畳の如く踏み固められていて、歩けば非常にしっかりとした感触が返って来る。

 

 普段は数多くの冒険者たちで賑わうこの場所だが、今は中央に大きな空間が空いている。先程まで鍛錬に汗を流していた冒険者たちは外縁に退避し、中央の空間で向き合う二名を静観していた。様々なプレートの持ち主たちが入り混じった観衆の中で、【スパエラ】の面々だけが気持ち前の方で腕を組んで観戦する姿勢である。

 

 二名の内一名、イヨ・シノン。可憐で幼い容姿に似合わず、英雄級の実力を持つ拳士。

 もう一名はガド・スタックシオン。公国内に並ぶ者無き大英雄。老いて尚その名声は揺るがない。

 双方の距離は十メートルほど。二人は未だ構えていない。

 

 共に小柄な両者だが、放つ戦意は物理的な圧迫感を感じる程に高まっている。イヨの実力を知らない者たちも、老英雄と相対して全く引かない彼の姿勢に感じるものがある様だった。

 

「やるじゃねぇかよう、イヨ・シノン。見た目に反してお前さん、男だな?」

「こんな見た目ですけど男ですよ。それより何時始めるんです?」

 

 イヨはご飯を前に待てを連発された子犬の様な表情である。興奮の為か、頬すら赤らめていた。首に下げていたアステリアの聖印は、防御力を高めるマジックアイテムと交換されている。完全な戦闘仕様の装備だ。

 

 面接時にガド・スタックシオンが告げた言葉に、イヨは一瞬の逡巡も思考もせずこう答えた。

 『そういう分かり易いの、僕大好きです。何処でやるんですか? 僕は何処でも構いませんよ!』と。仮にも公国最高の剣士を相手にして余りに気安い発言だが、少年の顔には達人に対する無限の憧憬と、手合わせ出来るという望外の幸運に対する喜色だけが浮かんでいた。

 

「おおっと、済まねぇなあ。歳をとると話が長くっていけねぇよう」

 

 ──理屈はいらねぇ、さあやろうかい。

 

 声に出さずに呟いて、老人は二刀を抜き放つ。その動作だけで観衆がざわつく。

 公国最強最後のアダマンタイト級冒険者の愛刀、左刀貫き丸と右刀切り裂き丸は、それ単体だけで伝説として語り継がれる名刀として名高い。

 南方より流れ至る刀の構造を解析し、公都最高の鍛冶職が自前の技術と融合させて生み出した不朽の名刀を、帝国の大魔法詠唱者フールーダ・パラダインその人が魔法の武器化した一品。オリハルコンの刀身とアダマンタイトの刃を持ち、切先諸刃造りの刀身はギガントバジリスクの鱗すらも難なく切り裂いたと云う。

 

 凡そ考えうる限りあらゆるモンスターを切り伏せた名刀を、最高の使い手が振う。なんとも贅沢で、なんとも残酷な組み合わせか。

 

 これから行われるのが試験であり一種の試合であると知っている観衆ですら、相対する者の死を連想せずにはいられない。

 老人の構えは、これまた基本に忠実。前屈気味かつ半身の身体、切先を相手の正中線にぴたりと据えた二刀。その様はこの上なく堅実でいて美しくすらある。

 

 老人が積み重ねた鍛錬と経験の歴史が、そのまま垣間見えるかのような構えであった。

 

 そんな対戦相手を見て、イヨは知る。

 

 ──ああ、強い。

 

 人の持つ力量は外見に出る。オーラやら殺気などという何だか良く分からない物を感知するまでも無く、そのまま見た目に出るのだ。

 

 どんな武術武道であろうと遊戯競技であろうと、共通する事がある。強い者は大概、要求される動作や作法に対して、程度の差こそあれ熟練しているのだ。道着の着こなし等が分かり易い。素人は如何にも着慣れていなくて、どんなにちゃんと着たつもりでも何処かしら崩れているし、動けばすぐさま帯が緩み、合わせがずれる。

 慣れておらず、着こなしも動作も、本来こうあるべきと云う形から外れ、離れ、満たしていないからだ。

 基本動作や道具の扱いなども同様だ。面白い事に、同じ年数を捧げている同門の人間であっても、実力の上下によって結構な差が出るのだ。絶対の指標には間違いなくならないが。

 

 目の前の人物の二刀の扱い、なんと流麗なる事か。何千何万どころでは無い、数億かそれ以上の回数を必死かつ決死で熟していった者だけが到達できる境地と一目で分かる。

 既に現役を引退して二十年以上と聞く。当然身体は衰えているだろう、身体能力の衰退が技から冴えを奪った事だろう。それはこの世に生きる者ならば誰にでも訪れる当然の理である。

 しかし、最盛期を下回ろうとも、未だ健在。未だ精強。未だ遥か格上。

 

 これほどの強者と戦える、これほどの相手とこれから競い合えるという現実に、イヨはこの世界に来てから最も強い歓喜を覚えた。

 歓喜が熱となって体を巡り、目の前の人物に勝つための燃料源となる。

 イヨは強く呟いた。

 

「【アーマー・オブ・ウォーモンガー】、重装化」

 

 どよめきが上がる。ある一人の冒険者の言葉が、この場のほぼ全ての人間の驚愕を代弁していると言えよう。

 

「なんだあの防具は……重装鎧の拳士だと……!?」

 

 唱えた瞬間、イヨの着こんだ衣服の各所にあった金属装甲が元の質量を無視して増大し、流動した。鈍色の魔法金属が瞬時にして一部の隙も無くイヨの全身を覆う。四肢の【レッグ・オブ・ハードラック】と【ハンズ・オブ・ハードシップ】と結合し、定着。頭部は視界と呼吸を確保するための僅かな隙間を残して、三つ編みさえも金属の装甲板に覆われた鋼の尾と化した。

 

 アーマード・ストライカーとベアナックル・ファイターの本領、戦士にも負けず劣らずの重装甲だ。それはただひたすらに分厚く、頑丈で、無骨な全身鎧。装飾らしい装飾などなく、あえて言うならば額に生えた二本の剣の如き直角がそれに当たるか。

 

 ポテンシャルの全てを物理防御力と魔法防御力に割り振った、イヨが唯一持つ聖遺物級の防具。筋力増強系のマジックアイテムと併用せねば許容重量超過のペナルティを受けるほどの超重量武装。かつて友より贈られた思い出の品で、今のイヨのレベルでも分不相応な防具だが、使う事に迷いは浮かばない。持てる全てを持って挑むと云う当然の礼儀に徹するだけだ。さもなくば、戦いになるまでも無く五体を刻まれるだろう。

 構えは何時もの上段中段、前屈で半身。何億とまでは行かずとも、現実と仮想のどちらにおいても百戦で錬磨された戦いの結晶だ。

 

「聞いた通りだぜ、イヨ・シノン。大したもんじゃあねぇか。幾度の修羅場を潜ればその歳でその境地に到れるんだい」

 

 羨ましいぜ、と老人は至極明るく言い放った。皺だらけの顔には喜色が溢れている。

 イヨにもその気持ちは分かったから──重装形態の防具の所為で顔が一切露出しておらず、意味は全くないのだが──同じように笑顔を浮かべた。

 

 ──これから己と戦う相手が強い事が、何よりも嬉しい。

 

 心の内にあるのは、称賛、共感、感謝。そして果てしない我欲。

 

 ──より強い相手を踏破する事で、己はより高みへと到れるから。

 

 一層深まった二人の笑みが薄れて消える。後に残ったのは、張り裂けそうな程の緊張感。

 

「お互いの立場上、死ぬのは御免だよなぁ……?」

 

 何を言っているのか分からないほど、イヨは鈍くは無い。

 

「そうですね。治る程度なら全く構わないです。止めだけは無しでどうでしょう」

「だな。殺しさえしなきゃあ良い。死にさえしなけりゃ構わねぇってとこだな」

 

 当たり前の事としてルールを定める二人の会話が漏れ聞こえ、比較的近くにいたリウルが眼の色を変えて慌てるが、今やこの二人はお互いしか見聞きしていない。

 

「おい待てよ! これって特例昇級の審査だろ、何考えてそんな──」

 

 外野に一切合切取り合わず、二人は一手目から全力で激突した。

 

 

 

 

 ユグドラシルで言うレベルアップと同等の現象はこの世界にも存在し、それは端的に表すなら、より上位の生物への進化、超人への第一歩と言える。

 

 この世界の人類はホモ・サピエンス・サピエンスでは無い。より能力が高く、この過酷な世界で未だ種を存続させている彼らに名前を付けるならば、ホモ・サピエンス・マギテウスとでも呼べばいいのか。

 

 ユグドラシルキャラクターの身体を持っているイヨと同様に、複数回の進化を繰り返したホモ・サピエンス・マギテウスの肉体は人間の域を超越する。

 

 この世界において、金属の全身鎧を着用して長距離の旅や長時間の戦闘を可能とする戦士は数多く実在する。重量数十キログラムにもなり、イヨの元居た世界では一説によれば着用した状態での戦闘行動は五分が限界とさえ評される重甲冑を着こんで草原を旅し、街中で生活を送り、幾度もの苛烈な戦闘を熟すのだ。

 

 イヨの元居た世界の人間たちが絶対に越えられない物理的限界の壁を、この世界の人間は幾度もの進化の果てに平然と踏み越える。

 

 人間の眼球はカメラ眼と呼ばれる形態であり、眼の筋肉の動きで焦点を合わせる以上、高速で移動する物体に対する視認は困難である。

 人骨を構成するのが特定の無機物と有機物である以上、当然強度的限界が存在し、金属並の硬度もゴムの如き柔軟性も個人の努力では獲得できない。

 筋肉繊維の数を決める筋肉組織のキャパシティ、収縮する筋肉繊維の断面積に比例する筋力。限界まで鍛え込んだところで、人間では絶対に成体の象や羆には敵わない。

 信号の神経伝達速度、経験によって培われる神経ネットワーク、学習による効率化。仕組み上最低限度の必要時間を短縮する事は叶わない。

 

 この世界では違う。

 進化を繰り返す毎に物理的生理的な限界は高まり、性能は拡張し、能力は上昇する。十回にもなる進化を繰り返せば、イヨの世界のどの人間をも超えた超人と言えるだろう。

 

 ましてやイヨはユグドラシルプレイヤーとして、ガドはホモ・サピエンス・マギテウスとして、三十度もの進化とレベルアップを繰り返した存在。彼らの筋骨は並の使い手が振う鋼の剣など、皮膚とごく表層の筋肉だけで止めてしまう。射掛けられた矢を見てから避ける、若しくは手で振り払う、掴み取る事も至極容易。

 飛燕の速度、鋼の身体。彼ら超人の前では、比喩表現でなくなってしまう。幾ら老いたとて、外見的に幼く小柄とて、その力は純粋な筋力でも大型猛獣を下に見る。その筋力と技術によって成立する速度は駿馬を追い抜く。

 

 イヨは両拳を構えたまま、岩盤を割砕する勢いの前蹴りをぶち込んだ。

 ガドは二刀の狙いを喉と心の臓に定め、全力の振り抜きを打ち込んだ。

 

 彼我の距離は十メートル。長く遠いと思うかもしれないが、二人は英雄の領域に達した武人である。この程度の距離は一足の間合いであり、お互いがお互いに攻撃の意を持って踏み込む以上、十分の一秒も掛からず、距離は喰い潰される。

 

 まともに受ければ命の大部分が消し飛ぶだけの威力を持った攻撃だが、勿論双方共に達者である。ただで喰らう訳が無い。

 

 ガドが熟練にして老成の運足で蹴りを空かし、イヨが左右の手首の返しで、回転力と装甲の防御力を頼りに二刀を捌く。

 

 大きな二つの金属音と、擦れた一つの音が響いた。

 

 結果は明らかだ。イヨの前蹴りはハードレザーを掠っただけで避けられ、ガドの二刀はイヨの捌きを押し切って狙い通りの箇所に命中している。──つまり、双方健在。

 

 一発では終わらない。イヨが蹴り足を引き戻しつつ連突きを放ち、間合いを詰めながら繊細な足さばきで只管に急所を狙う。ガドは自分の間合いを維持しながら四肢を狙って二刀を振う。瞬間的には秒間数十発にも達する熾烈な斬打を両者が交わす。

 

 戦いの最中である、悠長に物を考える時間も思考の余裕も無い。かといって、考え無しの攻めなどカウンターか後の先を取られるだけだ。戦の最中の彼らの思考は、言語と云うより一瞬の閃きや色彩、音や光などに例えられる酷く感覚的な物だ。

 

 実際にこの様に考えているというより、その心中の光や色彩を言語に変換すればこうなる、といった解釈に近いと前置きさせて頂こう。

 

 ガド・スタックシオンは二刀を致死の旋風と化しながら思う。状況は不利だと。

 相手は孫位の年齢の、小娘の如き容姿の小僧。しかし、実力のほどは超一級品。歳を考慮すれば絶句したくなる程の技量と膂力、そして勝負勘だった。

 あと三年もすれば自分を上回る使い手となるだろう。自分は衰え、あの子は栄える。羨ましい事だ。しかし、現在においては自分の方が上だ。上だが──

 

 ──あの鎧と武器は不味いな。少なくともアダマンタイト以上の魔法金属か。

 

 蹴りを避けながら、捌きを掻い潜りながらの斬撃だったとはいえ、公国最速最鋭の二刀をもろに喰らって精々傷が付いた位とは。この名刀を自らの腕で振えば、鋼鉄位は容易に断てる。魔法金属であっても切断は可能だろう。それと比べれば、常識外れの防御力である。

 斬撃が防がれたとしても、衝撃までは殺せていない。威力が減衰した打撃となってイヨ・シノンを襲った筈だ、先の二連斬は。最低でも打撲と内出血、骨に異常が出ているやも知れない。しかし、勝利には遠い。

 

 ──相当に強い毒だ。防具の上から掠っただけで俺を侵すか。

 

 先の蹴りが掠った瞬間、確かに猛毒が自分の神経を蝕んだ。恐らくは麻痺性の鉱毒。マジックアイテムと生命力に物を言わせて抵抗しはしたが、何度も身に受ければ遂には動きを鈍らせるだろう。

 

 そうすれば自分はあの拳脚の餌食だ。老いぼれた身ではそう何発も耐えられまい。イヨ・シノンと自分の力量差は明らか。だが、絶対の差では無い。現状でも油断すれば避けきれない。毒で鈍れば尚更だ。一撃喰らえばそのままあの小さな剛拳に叩きのめされるだろう。

 

 長引けば長引くほど不利。それは小僧も同じだろうが。

 

 ──短期決戦と行こうじゃねぇかよう、小僧! 

 

 特に際立ったものの無い老人の顔に凄絶な笑みが宿る。この上なく楽しそうで、殺気に塗れた戦士の形相だった。腱と筋肉を余すところなく切断し、意思云々に関わらず地を這いつくばるしかない状況に追いつめてやる。と。

 

 イヨ・シノンは四肢を暴虐の嵐と化しながら思う。状況は不利だと。

 相手は奇刃変刃の異名を取った英雄級の剣士、国を代表する武の体現者。自分より強い事は一目見ればわかった。しかし、百聞は一見に如かずと言う様に、百見は一触に如かずなのだ。

 単純に格上と云う時点で恐ろしく厄介だ。何をしても上を行かれる。イヨの攻撃が全く入っていない訳では無いが、此方が一回当てる毎に五回は斬られている。

 

 既に前手の小指が鎧ごと根元から断ち切られている。同じ場所に幾度も斬撃喰らって、鎧が損耗したからだ。装甲の隙間から侵入した刃によって、肘の関節部分も血を流していた。首と胸骨には罅が。打撲と内出血は既に無数だ。全身で痛くない箇所の方が少なくなってきている。下手を打てば腱を断たれて拳が握れなくなるか、脚が使えなくなるだろう。

 

 ──あの二刀、あれこそが奇刃変刃の異名の由来か! 

 

 老人が振う二刀の刃は高速で強度と鋭利さを保ったまま変形しているのだ。最初の急所狙いも捌いたはずが、刃自体が首と心臓に迫ってきた。そのせいで喰らってしまった。

 

 高速で変形・変成する二本の刃。接近戦では恐ろしく厄介な代物だ。【アーマー・オブ・ウォーモンガー】が如何に強固で防御力に優れていようと、人間が使う装備品である以上、関節や腹部などの可動域を広く取る必要がある箇所は装甲に覆われていない。必ず継ぎ目がある。隙間がある。

 

 最初からそこを狙ってきている上に、刃が更に蛇の如く内部に侵入し、イヨの肢体を斬攪していく。言っている間にも右の頬が切り裂かれて大穴が開いた。血と唾液で兜の中が気持ち悪いが、首を逸らすのが遅かったら下顎を持っていかれていただろう。

 

 とはいえ、あまり奇想天外な変形は出来ない様だ。刃自体は鋭くとも軽量であるため、踏み込みと全身の筋力による重みが乗らなければ、十分な攻撃力を発揮しえないからだろう。あくまで通常の太刀筋と体勢から外れる程度。それでも厄介極まりないが。

 

 それを思えばまだマシと言える。気にせず戦闘続行だ。

 

 ──狙うは短期決戦。倒れる前に殴り倒す。

 

 イヨが兜の中で寒気のする様な笑みを浮かべる。少女の如き可憐な少年が浮かべる笑顔は、本来ならば人々を魅了するに余りあるものであっただろう。しかし、頬の片側が破けて穴が開き、顔を血化粧に染め、殺傷に向けて情念を燃やす彼の表情は戦士のそれだ。

 時間が経てば経つほど失血で体力が損なわれていく。僅かにでも足が鈍れば刃の奔流で全身を刻まれる。そうなればもう重装甲も役に立たない。腱と筋を断たれれば身体自体が動かないのだから。

 

 そうなる前に全力の打撃を当て、骨格と内臓ごと意識を粉砕してやる。身体云々に関係なく、意識が飛べば戦えないのだから。

 

 

 

 

 修練場には血風が吹き荒れていた。言うまでも無く、激突を続ける二者が垂れ流すものである。本来であれば地を濡らすだろう血液がお互いの動きが巻き起こす烈風に攫われ、空気さえも赤く染めているのだ。

 

 戦いを観戦する者たちは増え続けている。二人の戦いを邪魔しない様にと端に詰めている為、人だかりの人口密度は上がり続けていた。

 

 ほぼ全員が冒険者ばかりである。銅からオリハルコンプレートまで、依頼を受けていない冒険者の大部分が集まってきているのではないかと思ってしまう程の人数だ。

 

 冒険者。その職務内容を端的に表すならば、対モンスター専門の傭兵。野盗の掃討や希少物品の確保なども良くある仕事だが、それでも一番多いのはモンスターとの戦闘だ。

 モンスターとは、その多くが人間よりも巨大かつ強大である。ゴブリンですら農民が俄かに武装した位では敵わない存在だ。オーガともなれば兵士でも厳しいものがある。エルダーリッチや月光の狼【ムーンウルフ】などの強敵が複数ともなれば、上位の冒険者チームが討伐隊を組むべき事案である。

 

 冒険者は強大なモンスターを討伐するのが仕事。一般市民が生涯目にする事も無いような強者に挑み、打倒する事を生業とする者たち。

 自分自身が戦った事は無い場合でも、武勇伝や伝聞情報として強者の事を知っている。より上位の先達たちの語る戦いに憧れと恐怖を抱き、何時か倒してやるとも、出来れば出会いたくないとも思う。

 冒険者たちは強者を知る。強大なモンスターを、その強大なモンスターを打倒する勇者たちを知っている。

 

 しかし、目の前のこの戦いは何だ。こんな高みが存在したのか。

 

「人間って……あんなに速く動けるのか……」

 

 耳で聞くのと自分の目で見るのとでは、余りに違う。

 

 重装鎧の拳士の踏み込みが地を割砕し、彼らの目では捉える事も出来ない超速の突きを奇刃変刃の足さばきが避け、残像すら発生させる武技の剣撃を連続で叩き込む。拳士は幾度かその身に剣を受けながらも、拳から爆発を発生させて奇刃変刃を退けさせる。そうしてまた、煙幕を突き破る様にして必殺の足刀をぶち込むのだ。

 

 交わす一挙手一投足が一撃必殺級の威力。狙いは全てが急所。まともに当たれば骨が砕けて内臓が破裂する。腕か足が斬り飛ばされる。

 

 鉄プレートを下げた冒険者が呻く。あそこで交わされる攻撃のどれもが、一撃でオーガを容易く屠る威力なのだろうと。自分のいる位置など、まだまだ初歩の初歩なのだと思い知らされていた。

 

 白金のプレートを下げた冒険者が目を輝かせる。吸血鬼を倒した時、自分も一端の強者になれたと思った。でも違う、道の先はあそこまであるのだ。頂きはまだまだ先に、より高みに。知らず知らず、彼の眼から熱い涙が流れる。

 俺もああなる、あそこまで強くなると人知れず彼は決意していた。

 

「すげぇ……! 副組合長って、今でもあんなに強かったのか!」

「あの子供の方も強いぞ、奇刃変刃のガド・スタックシオンを相手にあそこまで! 一体何で出来てんだよあの鎧は!」

「な、なぁ。あの子供の方が優勢じゃないか?」

「馬鹿言うなよ! 武技が派手だからそう見えるんだろ!? 副組合長の方が上だよ、あの人は公国最高の剣士だぞ!?」

「互角だ、互角だよ! すげぇよアイツ、本当の本当にアダマンタイト級じゃねぇか!」

 

 すごいけどさ、と壮年の男が訝し気に口を開く。

 

「マジになり過ぎじゃねぇか? これ、試験なんだよな?」

 

 幾ら治癒魔法やポーションで怪我が治ると言っても、元は試験だった筈なのだが。

 重装鎧の方などは右腕を始めとする全身の出血が激しすぎて、そろそろ倒れるのではないだろうかと心配になってくるほどだ。

 副組合長もモロに喰らってはいない為一見元気そうだが、擦過傷やら痣やらで傷だらけだ。それに体力の消耗が激しいのか、眼に見えて息が上がってきている。

 

「死んだりはしない……よな? 其処まではやらない筈だろ? 二人とも」

 

 

 

 

 こめかみにめり込む肘の衝撃で飛びかける意識を必死で繋ぎ留め、ガドは殆どの本能のままで二刀を振るう。イヨの装甲の隙間に切先を突き立て、さらに刃を変形させて筋肉を穿つ。

 一瞬揺らいだ全身鎧の腹に押し込む様な蹴りをブチ当てて距離を作り、出来た距離を維持するために、ともすれば垂れ下がりそうになる両腕を掲げ、牽制とする。

 

 現役から退いて二十年以上、やはり体力の衰えは深刻だった。ガドの刃は幾度となくイヨの全身を切り裂き、流血による損耗を強要し続けていた。しかし、掠り以上の攻撃を受けてはいないにも関わらず、既に息は上がり、身体は疲労の蓄積を訴えて来ていたのだ。

 

 其処に駄目押しとなる先の肘だ。たった一撃で足に来ている。無論まだまだ戦えるが、これから先は弱るばかりだろう。毒への抵抗も厳しくなってきた。

 

 ガド・スタックシオンには限界が近づいている。だが、イヨの消耗はそれ以上だ。

 

 ──一撃入れる為に腕を片方捨てるか、思い切りの良い小僧だ。

 

 イヨは幾度も刃で切られ、肘を断たれて拳を握れなくなった右腕を使って特攻を仕掛け、半分になった右腕の肘をガドのこめかみに叩き込んだのだ。

戦闘の最中に四肢を失う覚悟位は誰でもしているが、たった一度の攻撃を成功させる為に腕一本を捨てる前提で突っ込んでくるとは。実際の戦闘中であったら効率の悪過ぎる手段だ。ただ、耐久性に乏しい老英雄を相手にならやる価値のある攻撃だった。

 

 ──それで勝利に近付けるとなれば俺でもやるわな。対処できなかった俺が間抜けってだけの話だ。

 

 既に老人は倒れる寸前だ。衰えた体力は枯渇一歩手前、短時間での連続した武技の使用で消耗が加速し過ぎていた。それに加えて先の一撃。あと五分も相手に凌がれればもう潰えるしかない。

 

 さて、勝負を決めるか、と老人は笑った。

 

 

 

 拳が割れても鍛錬を続けた。

 骨が折れていても試合に勝った。

 度重なる痛みを味わい、克服し、打ち勝つ。その循環を日常とし、痛みに対する耐性は常人とは比べ物にならない域に達する。

 

 痛覚が麻痺していては本末転倒。戦闘の最中、イヨの五感はこれ以上ないほどに研ぎ澄まされた状態にある。むしろよりはっきりと知覚できる痛みに対し、イヨは声を上げる事はおろか、眼を見開く事すらしなかった。

 

 何度も己が身を斬裂したせいで体温が移り生温かくなった刃が、何度も斬りつけられたせいで強度を失った鎧ごと右の下腕を両断する痛みをしっかりと感じ、狙い通りに腕が断たれた事にしめたしめたと肘を叩き込んだ。

 

 ──よし、入った。

 

 そのままノックダウンまで殴り続ける筈が、相手もさるもの、勝利の機会は遠のき、戦闘開始直前と同じく、お互いに間合いを開けて睨み合いの状態に戻ってしまった。

 

 既に互いは満身創痍。イヨの右腕は肘から先が無くなり、全身からの流血で死のほんの数歩前にいる。通常人の身体であったらとうに死んでいただろう。腕を断たれる痛みは蹴り同士がかち合って足の指が引きちぎれる感覚よりはマシだったが、精神を削るのに十分すぎる激痛だった。

 

 ただ立っていても命が流れ出ていく。ならば死ぬ前に倒さねばならない。

 

 もう既に、両者の頭に試合やら試験云々は残っていない。戦いが始まる前から薄れていた気さえする。ただあるのは、この強敵に打ち勝つという欲求のみ。

 

 ガド・スタックシオン。老いて尚公国最高の剣士の称号を手放さぬ大英雄。

 イヨ・シノン。アダマンタイト級に匹敵する若き実力者にして、英雄へと挑む挑戦者。

 

 両者は共に覚悟を決めた。

 ガドは二刀を刀身の全てが背に隠れる程振りかぶり、全てを切り伏せる構え。

 前手を断たれているイヨは左の貫手を思い切り引き、全てを貫く構え。

 

 双方ともに、此処に到るまで様々な理由があった。

 

 ガド・スタックシオンは公国最強最後のアダマンタイト級冒険者チーム、【剛鋭の三剣】の生き残り。他の面子は、当時既に四十台半ばで後は老いるばかりだったガドより、十も二十も若かった有望な仲間たちはみんな死んだ。分断されたガドが彼らの遺体を見つけた時にはもう腐敗が始まっていて、蘇生魔法ですら蘇らせることは叶わなかった。死ぬ事で、彼ら彼女らは本物の英雄になってしまった。

 それからずっと待っていた。衰える肉体を技量の向上で庇い続け、庇い切れずに弱くなり続け、それでも次の世代を待っていた。

 

 篠田伊代はかつての全国大会優勝者。生まれつき小さかった身体は成長期を迎えても大きくならず、身体能力の差に飲まれて一度は敗北の汚泥に塗れた。体格差を跳ね返すだけの鍛錬を積んで、今一度頂点に返り咲かんとした時だ。この世界に来てしまったのは。異世界への転移、生まれ育った世界との別離。人類史上に何人いるのだろう、このような受難に苛まれた人間が。

 元の世界に帰りたい。すぐには帰れない。この世界で生きる上でも、今までと同じように敗北を拒んだ。

 

 双方ともに、此処に到るまで様々な理由と人生があった。

 

 ──お前が真にアダマンタイト、公国冒険者の頂点に相応しい男であるのなら! 超えて往け、かつて一時代を築いたこの老いぼれの剣を! 

 

 周辺国家最強の戦士であるガゼフ・ストロノーフが、まだ剣を握ったばかりの将来有望な少年でしか無かった頃。公国に最速最鋭の二刀在りと謳われた彼の秘技。

 

 〈限界突破〉、〈能力向上〉、〈能力超向上〉、〈春水闊歩〉、〈二刀極斬〉、〈朧幻斬撃〉。限界を超えた筋力を発揮する筋肉の圧力に耐え切れず、骨に亀裂が入るほどの超負荷を代償に、今現在の自分が出せる最高の斬撃を叩き込む。

 

 ──負けられない、負けたくない! 今や自らの身体すら自分の物では無く、世界に僕を知る者はいない。ならば、唯一残った意思だけは貫き通す! 

 

 呼吸法による身体強化術、練技の全開使用。〈ビートルスキン〉で防御力を向上、〈マッスルベアー〉で筋力を向上、〈ガゼルフット〉で回避力を向上、〈キャッツアイ〉で命中力を向上、中位練技〈ジャイアントアーム〉で筋力を更に向上。そして【撃振破砕掌】を発動させる。

 自らの魔力のほぼ全てを消費する感覚に心胆が凍える。しかし、肢体が発火したかのような熱がその感覚を上書きした。段違いに上昇した膂力を技量で技に昇華させ、生涯最高の一手を放つ。

 

 人間として極限の領域に踏み込んだ二者の踏み込みを互いが知覚する。共に必殺、共に必中。相死にして相殺。

 全力の激突だけを望む二人はそんな事に頓着しない。思考すら濁り、判断すら淀み。全知覚の全てを相手に向けて、ただ死力を振り絞れば結果は出る。ただ勝利に向けて駆けるのみ。

 

 二刀と貫手が交錯し、遂に勝者が決する──その時、二人の間に人影が割り込んだ。

 

 身長二メートルを遥かに上回る小山の如き身体、全身甲冑込みで二百キログラムを遥かに超える超巨体。強化と補助の魔法をありったけ身に受けたその人物は、タワーシールドを両手に一つずつ構える異常な装備をしていた。

 

 〈不落要塞〉、〈不動剛体〉、〈巨盾強打〉。二人の間に割り込み、立て続けに武技を発動させたその人物が構える双盾にイヨとガドが激突する刹那──神懸ったタイミングで、二人に魔法が襲い掛かる。

 

 鈍化、弱体化、足止め、速度低下、部分石化──命を奪わず傷を負わせず、ただ勢いだけを削ぐ目的で放たれた魔法の雨嵐。恐らくは熟練の魔法詠唱者が放ったのだろう幾つかの魔法が超級の実力者である二人の抵抗を突破し、効果を発揮する。

 

 大きく威力を削がれた必殺技を全身甲冑の大男──ガルデンバルド・デイル・リブドラットが盾の打撃で受け止め、苦鳴を上げながらも相殺する! 

 

 乱入者たちに驚愕の思いを抱いた両名が口を開く前に、黒き疾風に攫われて、その手足から武器が消えた。

 黒い風、オリハルコン級冒険者リウル・ブラムは二刀と腕甲と脚甲を保持したまま、急場でまとめ上げた数十人の部隊に指示を出す。

 

 恐ろしい事である。半死半生の二人の英雄級を止める為に、オリハルコン級三名を筆頭として、数十人もの高位冒険者を動員せねばならなかったのだから。もしも二人が冷静でいたら、周りに気を配る余裕があったら、消耗していなかったら、不意を打たなかったら。

 これだけの人数でも、二人は止められなかっただろう。最後の最後、正面から一撃に全てを掛けてぶつかり合う瞬間だったからこそ可能な神業だった。

 観戦の当初から二人の異常な熱の入り具合に気付いて暴走を察知し、その場にいた者たちを纏め上げ、引き分けで両者死亡と云う最悪の結果を回避した【スパエラ】の功績は表彰ものである。

 

「二人共拘束して医務室に叩き込め! 治癒は拘束した後、運びながらだ!」

「て、てめぇリウル、何をしやがるんでぇ──」

「まあしょううはふいてあいお──」

 

 殺到する十数人の高位冒険者に鎖で巻き上げられながら、全身から出血した戦鬼の如き風貌のイヨとガドは非難する。が、帰ってきたのは途轍もなく冷ややかな視線と、裂帛の怒気だった。

 

「その場のノリで殺し合いしてんじゃねぇよ、馬鹿男ども!」

「ば、馬鹿とは何だこの、勝負の邪魔をしやがって!」

 

 あんまりな罵られように鎖で簀巻きにされたガドが反論するが、リウルは何処までも冷淡に告げた。

 

「この審査、あんたの独断だそうじゃねぇか」

「げっ」

 

 彼女が親指で示した先には、半泣きで老人を睨み付けている冒険者組合の職員がいた。

 

「仮にも組織の重職を担う人間が一人先走った挙句、当初の目的を忘れて命の奪い合いにまで事を大きくしやがって! 途中から完全に自分たちで決めたルールを忘れてたじゃねぇか! 医務室で頭を冷やしてろ!」

 

 ぐうの音も出ない徹頭徹尾の正論に、ポーションと治癒魔法を滝の如く浴びせられながら、半死半生の老人は医務室に搬送されていった。状態的には紛れも無く重傷だ。傍らには秘書と思しき女性職員と男性職員が涙をポロポロ零しながら着いていく。

 

「てめぇもだ、ボケイヨ!」

 

 イヨは口を開く事すら許されなかった。というか、頬に穴が開いている上に舌を切っているので、満足に喋れもしないのだが。リウルは憤怒のあまり、噛み締めた歯を軋ませている。

 

「お前はもう【スパエラ】の一員なんだよ! 審査を私闘化した挙句勝手に命掛けやがって、最短死亡記録を更新する気か!? なんでエスカレートする前に自重出来ねぇんだ!」

「はっへしょううあ──」

「それ以上無駄口叩いて寿命を減らしやがったらお姫様抱っこで医務室に運ぶぞ、このクソガキ……! つーか防具を戻せよ、傷の具合が確認出来ねぇだろうが!」

 

 男子の誇りを人質に取られ、イヨはこれまたポーションと治癒魔法を雨あられと浴びながら搬送されていった。斬り飛ばされた身体のパーツや防具と一緒に。

 

 公国最高の剣士と超新星の拳士の一騎打ち、公国の歴史に刻まれるだろう一戦はこうして幕を閉じた。

 暴走した二名は魔法で回復された後も三日ほど寝台に拘束され、強制的に安静を余儀なくされた。その傍らには常に見舞いと監視が絶えず、惜しみないお小言と称賛とお叱りが捧げられたという──。

 

 ──更に数日後、史上最速最短期間での昇格を成し遂げた冒険者が誕生し、公国を沸かせることとなる。

 




残酷な描写タグが仕事をしました。

ホモサピ? 否ホモマギ。レベルアップとは進化~辺りの描写は、原作者である丸山くがね様の活動報告からです。

十レベルもあれば超人、三十レベル前後は超人の中の超人。百まで行くと神。そんな感じだと思っています。持久走も普通に出来る室伏の兄貴で金とか銀クラス冒険者? らしいので(丸山くがね様はちょっとした冗談と書いておられましたが)

書いてる最中に(こんなに頑張ってても三十レベル以下だから絶望のオーラⅤで即死不可避なんだよね……)(ガドさんもデミウルゴスの支配の呪言で一発自害なレベルだ……)とかが頭に浮かんで世の無常を感じたり。レベルの差は絶対ですな。

ガド・スタックシオンさんは
フェンサー(ジーニアス)
ソードダンサー
ソードマスター
の職業持ちです。英雄級の三十三レベル。現役から退いて二十年、ステータスが衰えても三十レベル程の戦闘力を保持している作中最高の天才で努力家で達人。持久力と耐久力以外に弱点は無いです。そもそも攻撃が当てられないし、バテるまで粘るのがきっつい程の強さですが。
全盛期だったら・装備が対等だったら・よーいドンスタートの試合形式じゃなかったら。どの場合でもイヨに勝ち目はほぼありません。レベルでほぼ同等、装備で上回っていても、技量に差がありすぎます。

次回はネタ番外編のIFルートです。

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