ナザリックへと消えた英雄のお話   作:柴田豊丸

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公都:早朝

 イヨが自分の上に圧し掛かった重みを意識的に自覚したのは、多分明け方頃の事だった。部屋はとても薄暗く、視界はほぼ利かない。彼は未だ摂取したアルコールで脳が痺れていたから、霞む目を擦る事すら無しにその『重み』に視線を向けた。

 

 黒くて短い髪、革と金属を巧妙に組み合わせた衣服。寝ていても分かる鋭い眼つき。

 

 オリハルコンプレートの持ち主、リウル・ブラムだった。

 

 自らの胸にうつ伏せに寝ている彼女を見て、イヨの二重に惚けた意識に何故彼女が自分と共に寝ているのだろう、と云う当然の疑問が浮かぶが、長く悩むことは無かった。

 

 答えは記憶の霧の向こう側だが、その霧の存在自体が答えであるように思ったからだ。

 

 俄かに思い出せば、彼女と一緒に夕飯を食べた所までは記憶にある。途中から記憶が無い。今までこんな風に記憶が欠落する事は無かったから、理由は恐らく酒だろう。

 

 飲んだ覚えはないが、酒を飲む彼女と酒の二つに関心を持った事は記憶にあった。

 

 一緒に寝ている。彼女が自分に圧し掛かって寝ている。多分お酒を飲んだから。

 

 未だ酔いが覚めず寝起きからも覚醒していない頭で、飛び飛びに思考する。

 

 リウルは和やかに寝ている。自分も気持ちよく寝ていた。もう少し寝ていたい。彼女もまだ起きていない。

 意識が完全に覚醒し、酔いも覚めていたなら、そんな風には絶対に考えなかったのは間違いが無い。でも今の彼はそうでは無い。それが全てだった。

 

 ──ならば良し、と。そう考えて。

 

「お休み……」

 

 イヨは自らの胸に乗った彼女の頭を緩く抱きしめて、もう一度眠りに落ちた。

 

 

 

 

 リウル・ブラムが下敷きした人物の存在を意識的に自覚したのは、明け方の頃だった。頭をぎゅっと抱きしめられた拍子に、意識が覚醒したのだ。高位の盗賊である彼女は闇を見通す事に長けていたから、たとえ薄暗くても視認には全く問題が無かったし、酒には結構強いので酔いも残っていなかった。

 

 下に敷いた人物──白金の三つ編み、少女の如き顔付き、綺麗な肌──新人冒険者イヨ・シノンは、なんとも警戒心の無い幼子の様な有様で幸せそうに寝入っていた。

 

 しかも、リウルの頭を優しく抱き締めながら。

 リウルは彼の胸を枕にしてうつ伏せに寝ていたのだ。

 

 酔いつぶれたイヨを抱えて宿まで戻り、そこで力尽きててしまったのだ。リウルにははっきりと記憶があった。初めて酒を飲んだと言う彼に、調子に乗って飲ませ続けたのは自分であるのも覚えていた。

 

 あの程度の酒量で正体を失うなどあり得ない。現に記憶はしっかりある。……あるのだが。

 

 ──いやに懐かれたな? 

 

 リウルが疑問を抱いたのは其処だった。リウルはあまり子供に懐かれる質では無い。愛想もあまり良くないし、顔立ちも態度も柔らかくは無いからだ。いや、イヨが十六歳で、自分の一つ下でしか無い事は知っているが。

 

 ──俺はこの少年に何をしたか。此処まで好かれる事をしたか? 

 

 性別を勘違いして睨み付け、勘違いに気付かされて謝り、謝罪として街を案内して、夕飯を共にし、酒を飲ませて酔い潰した。抱えて宿に戻り、疲労感に負けて一緒に眠り込んだ。

 

 ──イヨに好かれるような事は特別していない。

 

 この少年は本当に子供っぽく、単純で純粋だ。昨日のやり取りで自分を親しく思っていても、さほどの違和感はないが。

 

 ──同衾を許し、あまつさえ抱き締めるか? 『親しく思っている』程度の相手を。

 

 リウルだったら──イヨとリウルが別人な時点で意味の無い比較だが──此処までは絶対にしない。起こさない様にベッドから這い出て毛布一枚被って床で寝るか、書置きでも残してさっさと部屋から出ていくだろう。

 

 何故自分は此処まで好かれている? 許容されている? リウルは其処が疑問だった。

 

 ──俺、イヨに何もしてないよな? 

 

 恐ろしい発想が頭に浮かぶ。

 酔った勢いで異性をベッドに引きずり込み、一時の性欲に任せてコトに及び、手籠めにしたと。その最中に無責任にも甘ったるい言葉を吹き込んで、この少年を誑かしたのではないかと。

 

 いやいやいやいや、とリウルは頭を振る。イヨが呻く。慌てて止める。

 彼が寝たままなのを確かめて一息つく。

 

 リウルには記憶があった。正気が飛ぶほどの量も飲んでいない。だから有り得ない。

 

 ──でも、そうだったらイヨの態度に納得がいく。

 

 ぶっちゃけイヨはチョロそうだ。直ぐ落ちそうな気がする。抱き締めて好きだと言えばイチコロっぽい。行為に及ぼうとしても、懇切丁寧に口説き落とせば割とすぐ許してくれそうな気がする。最悪無理矢理ヤっても謝れば楽勝で事後承諾が貰えそう。

 

 そういう想像をしてもあんまり非現実感が無い。

 

 本人が聞いたら顔を真っ赤にして烈火の如く怒るだろう失礼極まりない想像だが、昨日一日でリウルがイヨに抱いた印象は『恐ろしく純粋かつ単純な扱いやすい子供。詐欺に引っかかりそう。告白とか断れない奴っぽい』だった為、ひどい展開ばかりが頭に浮かんだ。

 

 んな訳ねぇだろ、と理性が否定。

 相部屋なのに俺達二人以外誰もいねぇし、と無駄に邪推。

 

 そうやって十数分ほど悶々と過ごし、リウルは唐突に悟る。服着てるじゃん俺達、と。

 服装も乱れていない。よくよく考えたら、女が男を一方的に襲うのは無理がある。男がその気にならなければ行為自体が成立しないからだ。

 

 ──素で懐いてんのかよコイツ! 子供か! 

 

 リウルは無言で怒る。疲れた。本当に疲れた。この一時間にも満たない間に全力の戦闘後並みに疲労した気がする。冒険者などと云う切った張ったを旨とする職業に身をやつしている内に、思考が男性化しているのではないだろうか。

 

 どうせイヨには寝る時にぬいぐるみを抱き締める癖でもあるのだろう。当人が十六歳だと本気で主張するから信じてはいるが、外見は十三か十四そこらの小娘である。そんな癖があっても違和感はない。むしろお似合いだ。絶対そうに決まっている。

 

 イヨにそんな癖は無いが、リウルのイメージするイヨはそんな少年であった。

 

 ──ああ、本当に良かった。何も無くて──

 

「男にモテないからと遂に同性に手を出したか、救えん小娘だ」

「しかも年下趣味とは筋金入りだな。俺の半径三間以内に近寄らないでくれ、犯罪者が感染する」

 

 背後から聞こえた見知った二人の声に、リウルは飛び上らんばかりに驚いた。実際に音も無くベッドから飛び降りて即座に背後に向き直った位だ。そこまで大きな動作をしてもイヨが全く起きる素振りを見せない辺り、リウルの腕の良さが分かる。高い技術を使って何をやってんだという話だが。

 

「お前ら、何時の間に──!」

「寝顔を眺めるのに夢中で儂等にも気付かんかったらしいぞ、仮にもオリハルコンのプレートを預かる冒険者が。恋とは──おっと、若き性欲とは偉大じゃな」

「そう詰ってやるなよ、爺さん。酒に頼ってまであのお嬢ちゃんを押し倒したかったらしいからな、明日には公都中の噂になってるだろうさ。俺たちが言わんでも街の皆が言ってくれるよ。──レズロリコン、と」

「なんにもしてねぇし、こいつは男で成人だボケ! 素っ首跳ね飛ばすぞ!」

 

 全身甲冑の巨人と矢鱈と健康的な肌艶の禿爺。

 

 何時の間にか部屋に入って来ていた二人のオリハルコン級冒険者を形容するなら、そういう感じだ。戦闘に適した強力なタレント【生まれながらの異能】を持つことで有名な二名で、リウルと同じチームに所属する仲間でもある。

 そのチーム名を【スパエラ】と言い、公国内に三チームしかいないオリハルコン級冒険者パーティーの中でも、実力ではアダマンタイトに最も近いと謳われる強豪である。昇格の機会が巡って来る度にメンバーの離脱が相次ぐ運の悪さでも名高い。

 

 因みに二人は普通に階段を上り、ドアからきちんと部屋に入ってきている。別に隠形などしていないし、甲冑も普通に音を立てていた筈だ。

 リウルが二人の接近に気付けなかったのは単に、極限の懊悩から解放された当人が油断していただけである。

 

「遂に自身の女性性の欠落さ加減を自覚して、略奪婚で婿取りか。犠牲となったその、小僧? に祈祷を捧げねばな。メリルがまだチームにおったら良かったのじゃがな」

「ロリコンでは無くショタコンか……この言葉はかの六大神が定義したそうだが、まさか実物を拝む日が来るとはな。仇名はショタレイパーに変更だな」

「お前ら俺になんか恨みでもあんのか……!」

 

 別に二人は恨みなど持っていない。持っていたら何年も組んでいない。

 

 珍しくリウルのスキャンダラスな場面に遭遇したので、ここぞとばかりに弄くり回しているというのが二人の正しい心境であった。

 

 リウルはこう見えて裕福な商家の長女とした生まれ育った上流階級出身者であり──と言ってもその時分から近所のガキ大将として有名な腕白だったらしいが──幼い頃に受けた教育が活きている為か、男遊びもしなければ賭け事も手を出さない。とある事件をきっかけに冒険者となって以降、仕事以外は大概飲んで食って鍛錬して寝て過ごすというある意味とても健康的な生活を送ってきた。

 

 そんな彼女が見ず知らずの少年とベッドを共にしている。本当に事に及んだ後だったら誓って見なかった振りをしただろうが、この様子だと酔い疲れて寝落ちしただけだろう。

 ならば、人生の先達にして仲間である二人としては、揶揄いの一つもしてやりたくなるものだ。

 

 気心知れた仲間ならではのやり取りである。少なくとも二人はそのつもりだ。リウルは本気で怒髪天だが。

 

「──リウル、組合長との約束を忘れたか? 多忙の折に時間を取って下さったのだ、朝一番の会談に遅れるわけにはいかんぞ。はよう起きぬか」

「お前が俺達と同じ宿に泊まっていてくれれば、そんでもって酔っ払って眠りこけていなければ、わざわざ迎えに来なくても済んだんだがな?」

 

 今にも飛び掛かりそうなリウルの形相に、二人は即座に方針を転換した。既に十分楽しんだのだ、引き際を誤れば痛い目に合うのは自明の理である。引く事を知らない冒険者は絶対に一流にはなれない。なる前に死ぬからだ。

 

「……言われなくてもちゃんと起きてたよ。つーか、あんな一泊するだけで金が飛ぶとこに泊まれるか。その金でポーションを買うか飯でも食った方がマシだ」

 

 だから当然リウルも引く。

 今までのやり取りは甚だ不愉快だが、場の流れが自分の不利から遠ざかったのだ。言ってることも至極ごもっともなのだし、乗っておくのが吉である。

 

「若いうちはそれで良いかも知れんがなぁ、儂は最近柔らかいベッドでないと腰を痛めるでな」

「体力には自信があったんだが、四十を過ぎるといい加減身体が無理を聞いてくれないんだよ」

「揃って爺臭い事言ってんじゃねーよ。アダマンタイト級になるまでは絶対引退させねぇからな」

 

 一旦落ち着けば、其処にいたのはオリハルコン級の名に相応しい歴戦の冒険者たちだった。此処がボロ宿の一室で、直ぐ隣では少女の如き少年が健やかな寝息を立てている事を差っ引いても貫禄があった。

 

 公都の朝は早い。日が出れば仕事が始まる。朝一番の会談に間に合わせるには今すぐ動かなければならなかった。

 

 さあ行こうとなった段で、リウルはイヨが気に掛かった。イヨ本人には昨日の記憶は無いかもしれないが、まさか丸一日分無くしている訳はあるまい。リウルと一緒に宿を出て食事をとった辺りまでは覚えていると予測するべきだろう。そうなるとイヨはどうして自分が宿に戻っているのか、リウルはどうしたのかと気にする筈だ。

 

 リウルはちょっと迷って、宿の店主に言付けておくことにした。こいつは素直な人間だし、それで問題は無いだろうと。

 

 最後に乱れていた毛布をイヨに掛け直してから、リウルは相部屋を後にした。

 

 

 

 

 寝付きと寝起きの良さは、イヨの自慢の一つだ。何処でも何時でも、目を閉じて横たわれば直ぐに寝られる。そしてどんな熟睡中でも、家族の声や地震があれば直ぐに目が覚める。

 なので、所謂『寝惚ける』という状態をあまり体験した事が無かった。

 

 眼を閉じれば三分で熟睡、目を開けた瞬間に完全覚醒。

 

 それがイヨの睡眠だったのだが、今日に限ってはとても心地の良い陶酔感と身体が宙に浮いているかの様な浮遊感を感じた。見聞きするもの全てに薄い布が被せてあるかの様な五感の鈍さ。身体も思考に対して若干遅れて動くが、不快感は無く、むしろ気持ち良い。

 

 そんな常ならぬ状態で目覚めたイヨは、緩慢に体を起こすと辺りを見渡した。宿の相部屋である。幾つか連なってベッドが置いてある他は殆ど物が無く、すっきりしている。

 

 心中に僅かな疑問が湧き、しかしその疑問さえ定かでなく、思考は回らない。

 

 バラバラに想起した習慣に従って着替えようとし、寝間着を着ていない事に気付く。野宿なら兎も角、宿に泊まったのなら着替える位はした筈。少なくとも金属の装甲がついた防具は脱ぐ。聖印を始めとした装飾品も外す。

 

 はてどうしてこんな格好でベッドに入ったのかと考え、やっと記憶の欠落に気付く。

 

 リウルと出会って、一緒に食事をとって、それで──覚えていない。そこから先は記憶に無かった。

 

 どうして、と小首を傾ぐ。徐々に鋭敏さを発揮しつつある嗅覚が身体の発する独特の臭気を捉え、少しして考え付く。

 

「お酒を飲んだんだった……かな?」

 

 状況から考えればそうなる。いくらイヨが鈍くとも、記憶が無くてアルコール臭がするとなればそれ位は考え付くのだ。間違いない、自分は酒を飲んだ。記憶が消える程大量に。

 

 飲酒の経験は無いが、酒を飲んだ人間がどういう事をしでかすかは知っている。

 

 泣く。怒る。喚く。笑う。絡む。構う。躁鬱。高揚。寝る。

 大体こんなところだろう。

 

 記憶が無くなる程、という点が気掛かりだった。普段ならしない様な事も平然とやっている可能性が有る。

 服装が乱れていないし、恐らく歩く事も出来なかっただろうイヨを此処まで送って来てくれたのは多分リウルだ。酔った勢いで不埒な真似を、という可能性は除外で良いだろう。リウルを押し倒したにせよリウルに押し倒されたにしろ、痕跡が残っていないという事はあり得ないのだから。

 

 イヨは頭が良くないのを自覚している分、推理や考察をしない。どうせ出来ないのだから端からやらないのだ。目の前にある現実と矛盾しない様に過去を想像するだけである。

 

「後でお礼しなくちゃね」

 

 酔った自分をここまで運んでくれたのだから。

 

 姿が見えない所を見ると、恐らく彼女はもう仕事に行ったのだろう。流石はオリハルコン級冒険者、公国内では最高位の冒険者だ。眠りこけるイヨを横に、格好良く颯爽と出勤していったに違いない。

 

 当然の事ながらイヨを敷布団にして一緒に眠り、イヨとヤってしまったかどうかで心底悩み、仲間に少女を酔わせて誑かしたレズロリコンやら年下の少年を押し倒したショタレイパー扱いされた等と云う現実は欠片も浮かばなかった。

 

 イヨの頭の中のリウルは仕事の出来る大人の女性、凛々しく恰好が良い大先輩なのだ。憧れの存在なのである。

 

「僕も頑張ろう!」

 

 小さく気合を入れ、ベッドから飛び降り、部屋を出て階段を駆け下りる。目指すべき目標を早くも目にすることが出来たのだ。後は其処に向けて駆けるのみ。

 イヨは立派な社会人に、人の役に立てる大人になるのだ。

 

 

 

 

 話題の人物、『あのリウルと同衾していた少女』が一階へ降りてくると、朝食を掻き込んでいた冒険者たちは一斉にざわついた。少女が宿の店主と朝の挨拶を交わして何やら言伝を預かり、肉が大盛りされたオートミールを持って席に着く。すると周囲の冒険者仲間からの視線を受けて、少女の隣の席に座っていた男が彼女に話し掛けた。

 

「嬢ちゃんよ、ちょっといいか?」

「あっひ、あひ──あ、はい。 なんでしょう?」

 

 熱々のオートミールを勢いよく頬張って舌を火傷したらしく、少女はちょっと涙目だった。口内から覗く真っ赤で艶やかな舌に視線を奪われつつも、男は目の前の少女をこっそりと観察する。

 

 服装も外見も、昨日見た時と何ら変わりない。首に下げた木彫りの聖印と、金属装甲が各所に追加された服装。それに幾つか身に帯びている装飾品。

 

 感想は昨日と同じ、富裕層の子女らしき人物というモノ。

 

 やはり外見通りの子供にしか見えない。こんな荒事に縁が無さそうな少女とリウルにどんな関係が? イヨの姿を見てそう考えながら、男は続ける。

 

「詮索する訳じゃないんだ、言いたくないなら聞かなかったことにしてくれ。 嬢ちゃんは、あのリウルとどんな関係なんだ? ……姉妹か?」

 

 その可能性が低い事は当然分かっている。

 

 リウルは南方系の血筋を連想させる黒髪黒目で、目の前の少女は白金の髪に金の瞳だ。明らかに人種が違う。血の繋がらない姉妹という可能性も無くは無いが、リウルの家族構成や半生は公都の冒険者の中では常識に近いレベルで知れ渡っているので、ほぼ有り得ない。

 昔の話をしたがらない冒険者は珍しくなく、過去の詮索をしないのは冒険者同士にとって暗黙の了解である。しかし、リウルは冒険者になる切っ掛けとなった過去の出来事を『冒険者リウル・ブラムの最初の武勇伝』と捉えている為、酒の席で酔いが進めば必ずと云っていいほど語りだすのだ。

 

 その武勇伝『ブラム商会崩落秘話』の中に、妹は一切登場しない。リウルには兄が二人いるきりだ。

 

 昨日の出来事を目撃した面々が立てた予想の中では、『お嬢様時代のリウルの知り合いで、元からリウルを訪ねてこの宿に来た』辺りが有り得そう線だとされている。因みに大穴は『リウルが同性愛に目覚めた』だ。良い処のお嬢様が何故一人で来たのか、待ち合わせ場所にならもっとまともな宿を選ぶだろうという当然の疑問は付いて来るが。

 

 それでもあえて確率の最も低い予想の真偽を聞いたのは、姉妹疑惑を否定するために少女が自分の素性を喋る事を期待した為だ。返答が「違いますよ」の一言だけだったとしても、こちらが疑う素振りを見せ続ければ、少女は反論なりするだろう。その中から情報を抜き出す事は十分に可能だ。

 

 この少女の様子からして、口は軽そうだし。

 

「えーと、二つ否定します」

 

 二つ? と男が疑問を持つ前に少女は続ける。

 

「一つ目。リウルとは姉妹じゃありません。昨日初めて出会って、ふとした事から一緒にご飯を食べただけです」

 

 少女の声は普通に大きく、聞き耳を立てている面々にもしっかりと聞こえた。次はその『ふとした事』がどんな出来事なのかを聞かねば、と男が考えている内に、

 

「僕はお嬢ちゃんじゃありません、男ですよ。十六歳です。昨日リウルもそれを間違えて、それでお詫びにご飯を奢ってもらったんです。記憶にないんですが、多分酔っ払った僕をリウルがこの宿まで連れて来てくれたんじゃないですか?」

 

 皆さんはその様子を見ていなかったでしょうか、と少女、いや少年が問うが、その場の誰もがそれどころでは無かった。

 

「……は? いやいや、お嬢ちゃんが俺と同じ性別とか嘘だろ?」

「嘘じゃないです。何なら手っ取り早く上だけでも裸になりましょうか?」

 

 どうやら此処にいる全員に女だと思われているらしいと察して、イヨは提案した。

 

「い、いや! 嬢ちゃんにも複雑な事情があるのは分かった、そこまでしなくてもいい!」

 

 イヨは、上半身までなら裸を見せる事に抵抗感があまりない。

 空手の練習をする時は下着一枚の上から空手道着を着るし、更衣室なんて上等な物、男子は使わないし用意もされていないのだ。大会などでも普通に観客が往来している場所で着替えねばならない場合が多く、視線など一々気にしていられない。女子選手には更衣室がある場合も多いが、女子は無地のTシャツの上から空手道着を着るので、気にしない人はやっぱりそこら辺で着替えていたりもする。観客の方も一々着替えなど気にしない。

 

 女子選手は更衣室がありますよ、と言われても普通に着替えを続行し、この通り男なので大丈夫です、と返すのが一番面倒で無く、話が早いのである。

 

「おい、ちょ、やめ──」

 

 周囲の人々が止める中、イヨは素早く上着とシャツを脱いで上半身裸になった。瞬時に全員の視線が胸部に集中し、全員の顔が一瞬で驚愕に染まる。そこには膨らみかけの可愛らしい乳房など無く、真っ平らな少年の胸があったからだ。

 

「ほ、本当に男だ……」

 

 その場にいる全員の驚愕と男性陣のがっかりを代表するかの様な男の台詞であった。

 

「分かって頂けたようで良かったです」

 

 魂消た顔の男衆と、良い笑顔で頷くイヨ。

 

 イヨの本音としては、今は女装をしている訳でも無いのだから普通に見分けてほしい所である。でも今のイヨは元居た世界の篠田伊代と違って体の線が細く、髪型は三つ編みなのだから、しょうがないかという思いで本音を飲み下す。

 

「──綺麗な肌……」

 

 ぼそっと呟かれたこの言葉でイヨはやっと数少ない女性冒険者の存在に気付き、急いで服を着た。冷静に考えると早まった行為だった気もするが、やってしまった事は仕方が無い。そう思って自身を納得させていた。

 

 

「嬢ちゃ──あ、いや」

「イヨ・シノンです」

「イヨか。十六歳ってのもマジか?」

「本当です」

 

 証明できないですけど、とイヨ。

 

この少年が十六歳だと云うのは本当なんだろうな、と冒険者たちは思う。この外見で事実男であるという驚天動地の出来事に比べたら些細な事に思えたのだ。到底十六歳には見えないが、個人差という奴だろう。

 

 男は何だか脱力していた。たまたま隣の席に座られたから聞き役が回ってきただけだと云うのに。朝からテンションの上下動が激しくて、疲れた気がしたのだ。

 

「お前、この宿に泊まったって事は冒険者なんだよな?」

「はい、昨日登録をしてきました。今日のお昼頃にプレートを貰う予定です」

 

 成程リウルと行動を共にしていたのはそういう事か、と納得する。自分たちと同じようにリウルも彼の性別を間違えたのだろう。男扱いされる事を殊更に嫌うリウルの事だ、らしくも無く恥じ入って、少々面倒を見てやったのだろう。そうして酒が進むうちにイヨにも飲ませ、あっという間に酔いつぶれた彼を背負って宿に戻ってきた。疲れたのでイヨと一緒に自分も寝台に倒れ込んだ。

 

 そんな所なのだろう、イヨ本人が言った事が真実ならば。リウルの性格を考えても辻褄は合う。

 

「お前みたいな小僧っこが冒険者としてやっていけるのかぁ? いくら神官たって体力は必要だぞ」

「その体力が唯一の自慢なんですよ、僕は。それにこう見えて本業は殴り合いなので」

「はっ、なんだそりゃ」

 

 分かってしまえばそれだけの事と言うのは簡単だが、オリハルコン級冒険者の一挙一動は影響力が大きい。実力的には最もアダマンタイトに近いと言われる【スパエラ】の一員の行動とあれば尚更だ。

 

 イヨは期せずしてオリハルコン級冒険者と縁を持った。本人の実力以外の部分も本人の価値の一部だ。公国内トップのオリハルコン級チームとの縁には十分すぎる価値がある。

 

「俺はな、こう見えて一チームのリーダーをやってる。見て分かるだろうが、ランクは鉄だ。こう見えて最も銀プレートに近いって評判なんだぜ、自分で言ってもだせぇだけだがな」

「そんなことありません、すごいですよ!」

 

 ただでさえ魔法詠唱者の絶対数は戦士や野伏より少ない。

 今は未熟だろうが、回復魔法の得手である神官はチームに一人は欲しい人材だ。本人の自己申告になる為程度は分からないが、イヨは体力には自信があると言う。教導すれば付いて回る位の事は可能だろう。新人が使えないのはどの業界でも何時の時代でも至極当たり前の事、出来るようになるまで教え導いてやれば良いのだ。

 イヨは素直な質の様だし、飲み込みも悪くなさそうだ。

 

「俺の名はバルドル・ガントレード。此処で会ったのも何かの縁だ。イヨ。うちのチームに──【ヒストリア】に入らねぇか? 冒険者は一人でやっていける仕事じゃねぇからな。お前さえ良ければ先輩として、同じチームの仲間として色々教えてやるよ」

 

 何より、だ。色々と理屈はこねたが、要は男──バルドルはイヨ・シノンの事が気に入ったのだ。この界隈では中々見られない純真さとその真っ直ぐな瞳の輝きに、可能性を見たとでも言おうか。

 現時点では誰に行っても笑われるだろう予想だが、バルドルは思ったのだ。

 

 こいつは強くなるぞ──と。

 

「新人の僕なんかを……良いんですか!? 是非ともよろしくお願いします!」

 




捏造設定:ロリコン・ショタコンという言葉を広めたのは六大神(ロリコン・ショタコンと翻訳される言葉では無く、ロリコン・ショタコンという単語そのものを六大神があの世界に齎したという意味)

期待を裏切ったのではないかとちょっと心配しながら更新。でもイヨとリウルの設定を改めて考えたら、こいつらそもそも同じ時間に起きねぇじゃんってなったんですよ。
リウルは兎も角酔いつぶれたイヨは中々起きないし、そもそも二人の性格的に、相手が目の前で起きてさえいたら普通に相手に聞いて誤解を抱く前に疑念を解消しちゃうんですよね。

何気にチーム名を考えるのが面倒臭い事に気付きました。人名は二秒くらいで書きながら考えるんですが、チーム名は時間が掛かります。
迷った時はそれっぽい単語を各国言語に訳せばそれなりにいい感じになる……のでしょうか。今回はそうしましたが。設定とネーミングの擦り合わせが大変でした。
ドイツ語とラテン語って偉大ですね。

蒼の薔薇とか朱の雫とかかっこいいですよね。漢字を使ってかっこいい感じを出すのが苦手なので、横文字に逃げました。

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