お止めくださいエスデス様!(IF) 作:絶対特権
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ハクは、川に落ちた。
こう言うとギャグかコントのように聞こえるが、高高度から水面に落下した場合の水の硬度は馬鹿にならない。
実数を出しても身に沁みてわからないので詳しい数値は省くが、だいたい鋼鉄に叩きつけられたのと同じ様な衝撃を、彼は全身に万遍なく受けたのである。
その結果受けた痛みと被った身体的な損傷は、コントやギャグでは済まないほどに重かった。
腹をぶち抜かれ、斧に斜め十字を描くように掻っ捌かれ、脚を砕かれても気絶せず、加えて殆ど不死身の復活力まで持つこの男が気絶しかける程度にはそのダメージは甚大なものだったのである。
(まだ、手は動く)
真冬の川に落ち、既に全身の骨が折れるか罅が入っているかという状況でなお、この男は驚異的なしぶとさを見せた。
急な川の流れをものともせず冷え切り、悴んだ指の力だけで比較的大きな河原の石を掴み、百足の如く川から這い出たのである。
だが、さしものハクもそこで力尽きた。体力が完全に尽き果て、頼みの綱の意志力でも最早立ち上がることはできなかったのであろう。
彼は腹這いになった身体を寝返らせ、仰向けにして目を瞑った。
起きていても動けないならば、寝て体力を回復するであろうというやぶらかぶれの発想である。
灰色の河原で身体を仰向けに横たえ、彼は始めて夜以外での惰眠を貪った。
規則正しい生活と軍人ならば軍人らしい規範に沿った生活を守るべきだと考える彼にとっては自身の情けなさに嫌気がさすが、それでも土壇場では臨機応変に立ち回らねばならないことくらいは知っている。
ハクは、寝た。
そして、起きた。
三日後くらいに。
「……動けないことも、ないな」
完全に破壊され、川に叩きつけられた時点で解除されていた鎧も核である赤石が復活している。
脚部装甲にも黄金のラインの如き装飾が復活し、いくらか見栄えもマシになっていた。
その恩恵かどうかまではわからないが、身体がやけに軽く、バキバキに折れていた脚が繋がっているような錯覚すら覚える。
「約束を果たさねばならんな」
下半身が何とかなっているとはいえ、上半身は寝ても一向に回復していない。
このまま徒歩で帰るのは流石にキツイと判断したその意志を汲み取ったかのように、手首に嵌められた環と胸の赤石がチカリと光った。
環型の帝具・『玄天霊衣』クンダーラには、何種類化の形態がある。
まず第一に、鎧。これを身体に纏うことを基軸とし、剣、槍、盾、弓、銃の五種類の武器を基軸となっている鎧の装甲を僅かに薄くすることで手元に直接現出させることができた。謂わば、鎧そのものが武器となったものだと言ってよい。
ここで一旦、別な帝具の話題に移す。
その話題の的になるのは、『悪鬼纒身』インクルシオ。鎧型の帝具である彼の生体装甲には、副武装というものが付属していた。
ノインテーター。鎧とは似ても似つかない完璧な槍型であるその武器は、インクルシオを一定以上使いこなせば持ち主の意志に沿って現れ、敵を打ち砕くという。
つまり副武装というのは、帝具の欠点を補う為に作られた補助パーツ、或いは補助機構であった。
インクルシオには、拳の他に武器がない。故に槍が付属品とされる。
では、光を織ったにもかかわらず作れる武器はいずれも重く、瞬発的な動きに鈍さが生じるという弱点を持つこの環型帝具につけられた副武装とは、何か。
「……む?」
ハクは、後方から迫る駆動音に振り向いた。
彼は生来視力・聴力・嗅覚に優れる。故に彼は、遠くから鳴る微かな音程度のものですら、集中力を高めた彼の耳には遠雷の如くはっきりと聴くことができた。
「……馬、か?」
何とも似つかぬその姿を、ハクは慎重に見定めながらそう評す。
後方から機巧の駆動音を鳴らしながら現れたのは、後にサイドカーと呼ばれる四輪を横にくっつけた二輪であった。
二輪はどこか馬を思わせる意匠が施されており、四輪は馬車の車体を思わせる。
接合部分は横と後ろとで大きく違うが、類似品を探すならば馬車というのが適切だと言えた。
「鉄製……いや、レアメタルか」
二輪を馬に例えていくならば、馬体に当たる部分には景色を写すほどに磨かれた黒い金属と金色の金属が、目に当たる部分に自分の鎧についているそれと同様の赤い石が嵌められている。
膨大な力と煌めきを放つそれは、ただの宝石とは思えなかった。
そして、この馬車のような何かは自分の鎧の意匠、それに似ているようなところがある。
太陽のような印があしらわれているところや、配色、赤石の存在などがそれに当たるが、まだまだ彼の帝具の一部、或いは副武装であると判断するには弱い、と。
ハクは慎重に見定め続けた。
「ふむ……」
これが自分の物であれば、歩行が困難な今において、これほど助かる物はない。
が、もしこの馬車もどきの二輪が他の人の物であったならば、ハクが使えば彼はただの泥棒ということになる。
少し考え、彼は自分の横に『乗ってください』とばかりに待機している馬車もどきを横目にチラリと見、その場から南へと歩きだした。
グレイな物には触れない方が良いというのが、彼の基本的な方針だったのである。
一歩歩けば、一回転。
一歩歩けば、一回転。
ハクが一歩踏み出すごとにその車輪を前に一回転させ、その馬車もどきはカラコロと着いてきた。
(これは、チェルシー二号か何か?)
卓越した馬術と赤系統の髪を見ればわかる通り、チェルシーは異民族とのハーフである。
ハクのイジメは良くないという素朴な正義感がイジメられていた彼女に対して触発され、何だかんだで助けてやってからと言うもの、チェルシーは基本的にどこでも着いてきた。
それは勿論自分の身の安全を守る為の用心棒のような存在である彼に着いていけば安心、ということもあっただろう。
しかし彼は最近、どうにもそうではないような気もしてきていた。
彼が感じている感覚は、捨て猫を匿ってやったら懐かれたような感じ、と言えばわかりやすいだろう。
こっちから近づけば逃げるように去っていくが、ボーッとしていればフラフラ近づいてくるし、こちらが離れようとすれば慌てて近づいてくるのだ。
チェルシーはつくづく猫だな、と。彼は土壇場になると慌ててこちらにくっついてこようとする様を見て、そう思っていたのである。
「……ふむ」
意匠が似通っており、必要とされる時に駆けつけてきた。更には距離を離せばその分詰めてきた。
ハクは、割りと簡単に思考を翻す。
これは、自分のものではないのだろうか。
正確に言えば、自分が暫定的な所有者であるこの帝具の副武装と言うやつではなかろうか。
「南方にある、エイへ行きたい。わかるか」
環を近づけてやれば眼のような赤石が光るし、跨ってみても抵抗はない。それに身体に負担をかけないことを第一としているのか、揺らさないようにゆっくりと進発し始めた。
この間、ハクはこの馬車もどきを何もいじっていない。
自分で考え、自分で動く。そういう類の帝具もあるとは聞いていたが、まさか副武装にまでこのような自律回路が施されているとは、彼は思っていなかった。
ハクが副武装の優秀さに驚いているのを傍らに、馬車もどきは自律回路で南へと向かう。
造られてから千年経っているのだ。言葉そのものは変わっていないとはいえ、アクセントや細かい使い方は変わっている。
それでも、そこそこ優秀な自律・学習回路を積んだこの馬車もどきには、単語単語を聴き取ることができていた。
後は繋ぎ合わせ、意味を汲み取ったのであろう。
尤も馬車もどきの聴き取れた単語は『南』『エイ』くらいなものであるが、エイという都市はそう多くはない。
現在地から南に行くとある『エイ』は、候補としては一つだった。
「優秀だな、お前は」
彼の頭の中には、大体の地図が入っている。
この馬車もどきが向かおうとしているのがエイであることは河原を突っ切り、街道に合流した時点でわかっていた。
エイは言わずもがな、革命軍の根拠地である。チェルシーもそこに居るであろうし、着けさえすれば原隊復帰も可能な筈だった。
「あれか」
流石に馬車もどきに乗ったまま突っ込むわけにもいかず、ハクはこれまで色々と世話になった馬車もどきに別れを告げる。
少し寂しげに宝石の眼をチカチカと明滅させる馬車もどきの頭を一つ撫で、ハクは門に立つ上官に向けて一歩踏み出した。
「隊長殿、生還しました」
「……ああ、新入りか。どこで何やってた」
いつの間にか七割方治っている身体に僅かな疑問を抱きつつ、ハクは簡潔に説明する。
やけに強い女性兵士との戦闘に辛くも勝ったこと。
その後その女性兵士の直属の部下らしき二人に叩きのめされたこと。
そして、川に落ちたこと。
それを聴いた隊長は、僅かに苦笑する。
そもそも大の男が女性兵士に苦戦することが論外だし、そんな腕の立つ護衛を抱えている時点で富裕層であることはほぼ確定。
女だからといって必ずしも弱いというわけでもないが、女戦士が強いとあらば、それは大概この世の戦闘力ヒエラルキーから抜きん出ている傾向にある。
そんな存在に、この冴えなそうな顔色の悪い男が勝てるわけがない。
「その女性兵士は貴族かなんかの道楽で従軍してたんだろうな。
それにしてもエスデス軍は実力主義というが、やはり大臣一派だな。貴族の娘が居るあたり―――」
「エスデス軍?」
「そうだ。帝国最強の軍隊が相手では、我々も歯が立たなかったということだな」
ハクはあの蒼銀の髪が美しい女性を思い出し、頭を捻った。
『エスデス様』、と。彼女は呼ばれてはいなかったか。
つまり、自分の戦った彼女は帝国最強の名を恣にする将軍なのではないか、と。
彼はここに来て漸く、自分の戦った相手の凄まじさを風聞を以って実感したのである。
「隊長、私がそのエスデスと相対し、勝てると思いますか?」
「新兵では勝負にもならんだろうさ。ま、颯爽と現れて勇猛且つ果敢にエスデスへ挑み、ナジェンダ将軍を逃がした勇者はいたらしいが―――」
不景気な面。
蒼白な顔。
貧相な身体。
後、矮躯。
「お前ではないな。絶対に」
到底その勇者に付属された形容表現に似つかわしくない風貌と、戦闘経験の浅さから、隊長はそう断言した。
彼の中でのその勇者とは、誰よりも戦場にいた者であり、誰よりも厳つい面をした存在であり、断じて一般人を軍人として引っ張ってきたような体格であるこの男ではなかったのであろう。
ハクは、別に厳つくならず、威圧感を与える風貌にならずとも、自然のままで強くなることができた。
不必要に筋肉をつけることなく、不必要に威圧する必要もなく、不必要に鍛練をする必要もない。
彼は無理をせず、毎日欠かさずに武を積むことで強くなる。故に、押し出しの不味さは最早一生ものであるとすら言えた。
「でしょうね。私は勇猛でもなければ果敢でもなく、颯爽などとは形容されない」
「よくわかってるじゃないか」
蒼銀イコールエスデス論を完全に否定した隊長に見送られ、ハクは治りかけの身体で歩き出す。
彼にはまだ、チェルシーを探すという一大任務が残っていた。
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