IS インフィニット・ストラトス ~天翔ける蒼い炎~   作:若谷鶏之助

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大変お待たせしました、本日より第十四章投稿開始です。


第十四章 シスターズ
1


 一限前のIS学園。生徒会長更識楯無は、廊下を歩いていた。見るものを惹きつけるカリスマ性は今日も変わらず、生徒たちは憧れの目線を惜しまない。

 

「おはようございまーす!」

 

 すれ違いざまに、一年の生徒が楯無に挨拶をした。全校生徒から慕われる楯無は、毎朝こうして元気な挨拶をされる。

 

「んー、おはよう!」

 

 それに笑顔で挨拶を返す楯無。こういった愛想の良さも、楯無が人気である理由の一つと言って違いなかった。

 

(今日はどうしようかな~)

 

 歩きながら、楯無は今日の段取りを考える。

 国家代表としての仕事、更識家当主としての仕事、そして生徒会長としての仕事。それらを抱え、多忙な日々を送る楯無は、一日を適当に過ごしていられない。きちんと段取りを立てなければ、たちまち仕事に押し潰されてしまう。

 しかし、最近生徒会の業務はかなり楽になった。それは優秀な幼馴染に加えて、頼れる副会長がいるからだ。

 

(……そういえば最近、翔くんに頼ってばっかりね、私)

 

 色々と、頼り過ぎている気がする。仕事にしても、私生活にしても。特に、妹のことに関しては翔に丸投げしてしまった。それだけ楯無が翔を信頼しているということだろうが……。

 

(こんな感じになるとは思わなかったのに……)

 

 当初、楯無は翔を警戒していた。一学期は海外にいて翔と面識が無かった楯無は、翔のデータを見た際、疑問を隠せなかった。

 出身地、不明。誕生日、不明。経歴、不明。データが不明のオンパレードで、何一つ分からない。分かっているのは、篠ノ之束に保護されていたということだけ。一方で、能力は万能かつ優秀で、特にISの操縦にかけては国家代表クラスとの報告だった。そのあまりの怪しさ故、楯無は監視という面倒な任務に就かされることになった。

 ところが、実際に会ってみて、当初の印象はあっという間に吹き飛んだ。思っていた以上に優秀であるし、頭が切れる。その上、仲間思いでお人好し。何でもできて一見完璧でも、実は女に触れないという分かりやすい弱点があるのが、楯無の悪戯心に火をつけた。

 そしていつの間にか、二ヶ月という短い間でも、楯無はこれ以上ないほどに翔のことを信頼していたのだ。

 ――が、その副会長が最近、なかなか顔を出さない。キャノンボール・ファストの時期は調整で忙しかったのは想像できるが、今はそうでないはず。

 

(今日ぐらい、呼び出しても罰は当たらないわよね!)

 

 にしし、と悪い顔をする楯無。一週間ほど前に一夏の部屋を出てしまったので、楯無は何か遊べる「玩具」が欲しいのだ。生徒会の仕事という絶好の口実があるのは、翔にとって不幸だったと言わざるを得ない。

 

「……あら?」

 

 急に、楯無はぴたりと足を止めた。廊下の曲がり角、そこから歩いて向かってくる一人の生徒を、じっと見つめる。

 

「あ……!」

 

 それが誰か分かった楯無は、咄嗟に廊下の影へ隠れた。

 

(か、簪ちゃん……)

 

 それは、楯無が一番会いたくない人物……実の妹、更識簪だった。

 多分、目も合わせてもらえない。簪は楯無を見ると、他人のふりをするのだ。――それが、どれほど楯無を傷つけるか知らずに。

 虚や、薫子と一緒なら耐えられる。だが、一人でいるときにそれをされると……とても辛い。

 

(どうしよう、どうしよう……)

 

 簪はこちらに歩いてきている。もはや鉢合わせないようにするのは無理だ。かと言って背を向けて逃げるのは、違う。それだけはやってはならない。それでは、今までと何も変わらない。

 

 ――もう、あいつは一人じゃありません。あいつは、一歩を踏み出したんです。

 ――だから、あなたも一歩を踏み出してください。

 

 ふと、翔の言葉が脳裏に蘇った。

 

(翔くん……)

 

 焦燥に駆られていた楯無の心が、平静を取り戻した。

 

(……そう、そうよね、翔くん。このままじゃ、何も変わらないものね)

 

 ――恐れるな、一歩を踏み出せ。

 彼の力強い言葉に励まされ、楯無は廊下へ躍り出た。そして、いつものように歩く。簪も気づいただろう。

 傷つくのを恐れて、妹から逃げてはならない。簪が変わろうとしていることを、翔の言葉を信じ、一歩を踏み出すのだ。たとえ拒絶されたとしても、諦めない、向き合う心を忘れない。長きに渡って開いてしまった心の距離は、そうすることでしか縮められないのだから。

 

「…………」

 

 やがて、二人の距離が無くなった。楯無が簪の前で止まると、簪も止まった。

 そして簪は、姉の目を避けるかのように、俯いた。

 

(――ああ、やっぱり……)

 

 心がずきりと痛んだ。楯無の顔が、悲痛なものに変わる。

 今日はダメだった。でも、諦めない。諦めずに向き合い続ければ、きっと――。

 だが、その瞬間だった。簪が、楯無の目を見上げたのは。

 

「え……!?」

 

 簪は何も言わない。ただ、目の前の姉から目を離さず、一心に見つめている。

 簪は、逃げなかった。翔が言っていた通り、簪もまた、覚悟を決めていた。姉から逃げずに、向き合うという覚悟を。

 

「あ、あの、簪ちゃん……」

 

 向き合ったものの、楯無は何を言っていいのか分からない。だが、このままではいずれ予鈴が鳴って、何もないまま終わってしまう。せっかく会ったのだから、何かしたいとは思う楯無だが……。

 

(――あっ!)

 

 楯無は、翔が挨拶でもしてみたらどうでしょう、と言っていたのを思い出した。

 

「あ、あのねっ、簪ちゃん!」

 

 思いついた途端に、あれこれ考える間も無く、楯無は声を発していた。

 

「おはよう!」

 

 勢い余って大声になってしまったが、楯無は臆せずに言った。

 

「…………」

 

 暫しの、沈黙。どくん、どくんと楯無の心臓が激しく脈打つ。

 

(大丈夫、大丈夫。簪ちゃんは、無視したりしない)

 

 楯無が暗示をかけるように自分に言い聞かせていると、ついに簪がゆっくりと口を開いた。

 

「……お、おはよう……っ」

 

 本当に、本当に、それこそ蚊の鳴くような小さい声であったが、確かに簪はそう言った。そして楯無も、しっかりそれを聞き取っていた。

 

「っ……!」

 

 余程緊張したのか、簪は顔を真っ赤にして、すぐに走り去ってしまった。

 

「簪ちゃん……」

 

 楯無は簪が走って行った先を見つめ、しばらくその場に立っていた。

 目を合わせてくれたのは、何ヶ月ぶりだろう。挨拶なんて、何年ぶりだろう。

 

(ど、どうしよう……! すっごく嬉しい……!)

 

 心の底から溢れてくる、この言いようのない喜び。嬉しくて、嬉しくて、わーっと叫びたい気持ちを、楯無は必死にこらえた。

 挨拶して、挨拶してもらっただけ。些細なことかもしれない。それでも、楯無が感動するには充分過ぎることだった。

 そしてその感動は、大きなやる気に変わる。

 

(よ、よーし! 今日もがんばっちゃおうかな!)

 

 ――きっと今日は、最高の一日になる。

 授業の教室へ向かう楯無の足取りは、とても軽かった。

 

 

 

 ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 

 

 

 キーンコーンカーンコーン。

 

「――では、本日の授業はここまで」

 

 千冬が授業の終了を宣言すると、クラスの全員が教科書を片付け、おしゃべりを始めた。

 

「さて、天羽、織斑、篠ノ之、オルコット、デュノア、ボーデヴィッヒ」

 

 話し声は気にせず、千冬は専用機持ちへ話しかけた。自分の名前が呼ばれたのを聞き、専用機持ちは千冬に視線を戻した。

 

「今月末に行われる専用機持ちタッグトーナメントの締め切りは、今週中だ。まだペアが決まっていないのなら、急げよ」

 

 クラスの人間の視線は、男子二人に集まった。一夏は気まずそうに頬をかき、翔はそれに気付かないふりをした。

 

「なお、今現在学園にいる専用機持ちは十一人。奇数で数が合わないため、特別措置として山田先生にラファール・リヴァイヴで参加してもらうことになった」

 

 クラスの人間がざわつき始める。

 代表操縦者でないとは言え、教師とペアになるというのはかなり不平等ではないか。そんな声も上がった。

 

「勿論、競技の際はシールドエネルギー制限や弾数制限などの特別ルールを設けて実力的不平等を是正する。ただ、それでも教師と組めるというのは大きな経験値になるだろう」

 

 千冬は持っていた出席簿に一つ二つメモを記入し、ではな、と一組を出た。

 

「……よし」

 

 同時に、翔がカバンを持って立ち上がった。逃げる気である。

 

「ああっ、お兄様!?」

「翔さん!? お待ちなさい!」

 

 無論、おいそれと逃がすセシリアとラウラではない。すぐに二人も立ち上がり、翔を捕らえようとするが、今日は翔の逃げ足の速さが上回ったようだ。翔は二人より一足先に教室のドアに辿り着くと、

 

「すまん、今日は生徒会なんだ。その話は明日しよう」

 

 そう言い残し、颯爽と教室から消えて行った。

 

「くっ……逃げられましたわ……!」

「流石はお兄様だ。反応が早い」

 

 セシリアは地団駄を踏んだが、ラウラは翔へのリスペクトを欠かさなかった。

 一方、机に座ったままだった、もとい逃げ遅れた一夏は、案の定箒に捕まっていた。

 

「一夏! 私と組め!」

「ちょ、ちょっと待ってくれよ。俺だっていろいろと考えることがあってだな……」

「何だ! 言ってみろ!」

「……い、いや、今回は、シャルかラウラと組もうかなーと……」

「なぁにぃっ!?」

「えっ、本当!?」

 

 怒りが一瞬で沸点を通り越した箒と、自分と組みたいと言われて目を輝かせるシャルロット。

 箒は怒りの赴くまま、どこからともなく木刀を抜き、鋒で一夏の眉間にぐりぐりと押さえつけた。

 

「い、いだだだだだだぁー!?」

「い、一夏、貴様……! 私と組むのが嫌だと言っているのか……!」

「ち、違うって! 機体の相性の問題だよっ!」

 

 悲鳴を上げている一夏が指摘しているのは、操縦者の技量ではなく、機体の特性上の問題である。

 一夏の白式と箒の紅椿は、どちらも前衛の近接型で、燃費が悪く、短期決戦に特化した仕様となっている。同じタイプの機体が組んだ場合、連携はやりやすくなるものの、相性の悪い機体との戦闘がとことん不利になる欠点がある。紅椿の『絢爛舞踏』が実戦段階であれば、紅椿は白式の悪燃費を克服できる稀有な存在になれるのだが、それがまだ不完全な以上、一夏は箒と組むのはデメリットが大きいと判断した。

 援護ができない、燃費が悪い、その代わりに攻撃力は過剰、と機体性能が著しく極端な一夏が組みたいのは、後衛ができ、なおかつ同時に突撃もできてバランスが取れる、シャルロットのリヴァイヴ、もしくはラウラのシュヴァルツェア・レーゲンが挙がってくる。

 勿論それは一夏個人の意思であって、満場一致で、というわけではない。

 

「ほう、つまり貴様は私と組みたくないということだな……!」

「ま、まだ分かんないって。お前と組む可能性もあるっつーかとりあえず木刀で眉間をグリグリすんのやめてくれぇえー!」

 

 ぎゃああああ、と一夏の断末魔がクラス中に轟く中、シャルロットは様子が違った。

 

「え、えへへ~。そんな、一夏ってば、『俺が組みたいのはシャルだけだ』なんて~! 一夏がそこまで言うなら、しょうがないよね!」

「…………」

 

 拡大解釈が拡大解釈(というよりもはや妄想)を呼び、シャルロットの脳内がとんでもないことになっているが、ツッコミの少ない一組の生徒だけでは、どうすることもできなかった。

 

「あ、あの……」

 

 このカオス空間の入り口で中を覗いている人間がいた。眼鏡の少女、更識簪である。

 

「あら? あなたは……」

 

 その存在にいち早く気付いたのは、セシリアだった。

 

「え、あ、オ、オルコット……さん……」

 

 セシリアが一歩一歩近寄る度に、簪は小さくなる。実は、最初にきつく迫られたのが、かなりトラウマになっていた。

 

「ごきげんよう、更識さん」

 

 セシリアはそれを悟り、できるだけ優しい表情で語りかけた。

 

「……先日の非礼、お詫びしますわ」

 

 そして、セシリアは恭しく頭を下げた。

 

「え……!? あっ、そ、そんな、謝らなくても……!」

 

 急な謝罪に驚き、あたふたと言葉を並べる簪であったが、セシリアはそのまま。

 

「あ、あの……顔、上げて……」

 

 恐る恐る簪が言うと、セシリアは顔を上げた。

 

「わ、私、気にしてないから……」

 

 それが嘘であるのはセシリアにも分かったが、本人がそう言うので、セシリアもありがとうございます、と笑って、とりあえずこの場を収めることにした。

 

「そういえば、自己紹介がまだでしたわね」

「……あ」

 

 セシリアはスカートの裾を掴み、優雅にお辞儀をした。

 

「改めまして、イギリス代表候補生、セシリア・オルコットですわ」

「さ、更識、簪です……」

 

 簪はぺこりと小さくお辞儀をした。

 

「これから、よろしくお願いしますわね」

 

 そう言って、セシリアはにこりと笑った。

 

(……綺麗……)

 

 その笑顔はとても暖かくて、上品で、美しくて。簪は思わず見惚れてしまった。

 それからセシリアの首から下へと視線を下ろしていくと、簪のなけなしのプライドは、ズタズタに破壊された。

 

(う、うぅー……)

 

 ……いろいろと、負けている気がする。主に、胸の辺りが。脚がすらっと長くて、腰はきゅっと細いのに、どうしてこんなに胸は大きいのか。

 ずるい。綺麗で、上品で、その上スタイル抜群だなんてずるい。これでは勝ち目が無いではないか。

 

「……あ、あの、更識さん? どうかされましたの?」

「……い、いえっ、何でも……!」

 

 おずおずと尋ねるセシリアに、簪は慌てて答えた。

 

「それで、今日はどういう要件でこちらに? 」

「あ、あの、本音はどこに? 見えないから、どこにいるのかな、と思って……」

「ああ、布仏さんでしたら……」

 

 セシリアがクラスの隅をと、そこには机に突っ伏して眠る本音が。本音がいるのは、丁度簪のいたドア周辺からは死角になっていて、見えない場所だった。

 ありがとう、と一言セシリアに礼を言って、簪はすたすたと歩いて行き、眠る本音の背中をつついた。

 

「う、うぅーん……誰……?」

 

 本音は袖でごしごし目をこすり、目の前に立つ簪を見上げた。

 

「……あ、かんちゃーん。来てたんだね~」

「……昼間から寝過ぎ」

「いーのいーの。授業はちゃんと起きてたんだから~。で、どうしたの~?」

 

 本音が尋ねると、簪はきょろきょろと辺りを見渡し始めた。明らかに誰かを探している風である。

 簪が一組で探すような人と言えば、自分を除けば一人しかいない。本音は目をキラリと尖らせた。

 

「……ははーん。さてはあもーに会いに来たんだな~?」

「ッッ……!」

 

 ボンっ、と真っ赤になる簪。図星であった。

 

「ち、違う……ッ!」

「まーまー。隠さなくてもいーじゃない。私とかんちゃんの仲じゃん。……あ、ちなみにあもーは生徒会のお仕事しに行ったから、いないよ~」

「え……!? そ、そう……」

 

 明らかに残念そうな簪を見て、分かりやすいなあ、と思いつつ、本音はカバンからチョコレートの箱を取り出して、口に放り込んだ。

 

「どうして、本音は行かないの?」

「私~? 私はいーの。たっちゃんがあもーに任せる仕事は、私たちには出来ない仕事ばっかりだからね~」

 

 本音は飄々と言ってのけ、二個目のチョコレートに手をつけた。

 

「それで~、今日はあもーに会って何をするつもりだったのかなあ?」

「ッ……!」

 

 えっへっへ、と悪人のような顔で、本音は簪に訊く。

 

「べ、別に……! お、お話したかっただけ……!」

「ふふふ~。何を話すつもりだったの~?」

「い、言いたいことが、あるの……!」

 

 簪の言いたいこと。それは、今朝のことだった。

 今朝、姉と遭遇したこと。ちゃんと目を見たこと。姉が挨拶してくれたこと。姉に挨拶を返したこと。それら全てを、翔には言っておきたかった。

 だが、そんなことがあったとは知らない本音は、簪を容赦無くおちょくる。

 

「言いたいこと? もしかして告白~!?」

「ち、ちち違うッ!」

「うんうん! いいと思うよ~! 積極性って大事だもんね~!」

「ち、違うって、言ってるでしょ……ッ!」

「ひゅーひゅー! かんちゃんってばおませー!」

「……!」

 

 ――ぶち。めったに怒らない簪だが、今回はキレた。

 簪は眉を釣り上げ、本音が手に持っていたチョコレートを箱ごと取り上げた。

 

「あ、ああ~!? かんちゃーん!?」

「……没収」

 

 悲鳴を上げる本音を無視し、簪はさっさと一組から撤収する。

 

「ま、待ってぇえ! それ、期間限定数量限定の超激レアチョコなの~!」

「…………」

「ご、ご慈悲をー! かんちゃぁぁあん!」

「……自業自得」

 

 簪は冷たい声でボソッと一言言い残し、怒号と悲鳴で騒がしい一組を去った。

 

 その後、鈴が箒と同様一夏にペアを断られ、さらに混乱が加速したことは、余談である。

 

 

 


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