IS インフィニット・ストラトス ~天翔ける蒼い炎~ 作:若谷鶏之助
昼を食べ終えた俺たちは、服を買うことに。
今日は午後の予定を特に組んでおらず、適当に過ごすつもりだった。セシリアが買い物をしたいと言うので、なら俺も、という流れだった。
「うーむ……」
俺は手に持ったコートを相手に唸っていた。
冬物のコートで、デザインも気に入ったのだが、値段がそこそこ高い。予算的にこれを買うと他が買えなくなる。
「翔さん」
横からひょこっとセシリアが現れた。
「何を悩んでいますの?」
「いや、これを買うかどうか迷っていてな……」
「なら買えばよろしいのでは?」
「……そう言うと思った」
まだ店に入って一時間も経っていないが、セシリアが持つカゴには大量の服が放り込まれていた。セシリアはイギリスの貴族。買い物に対する価値観が違う。
セシリアは迷ったなら買えと言ったが、俺はそうもいかない。使える予算は限られている。その上、買っても着ない可能性がある。今までほとんど学園の外には出なかったし、出たとしてもほとんど制服のままだった。
「だから、買うか迷っているんだ」
「そういうことでしたのね」
特にこの前のカメラはなかなか大きな買い物だった。今日服を買うのに大金ははたけない。こんな感じで俺が妙に世帯じみているのは、間違いなく束との生活故だろう。
俺がまだ悩んでいるのを見て、セシリアはなら、と試着室を差す。
「一旦わたくしの服を見ていただけますか? そのコートはまたあとで買うか決めればよろしいでしょう?」
「そうだな、そうしよう。だが、俺はセシリアの服を選べるほどファッションには詳しくないぞ?」
確実に、セシリアの方がそういうことに詳しいだろう。これでもダサくはないと思っているのだが。
「それでも構いませんわ。ただ翔さんの感想が聞きたいだけですので」
「分かった」
俺が同意すると、セシリアは笑顔で近くの試着室に飛び込み、着替え始めた。
三分はかかるかと思ったが、予想に反して十秒と経たずにカーテンは開かれた。
何だろうと訝しんでいると、セシリアは悪戯っぽい顔をして、
「覗くのはダメですわよ」
「覗くか!」
俺の反応に満足したらしいセシリアは、冗談ですわと笑い、またカーテンを閉めた。
「全く……」
俺に覗くほどの度胸があれば苦労はしない。……まあ、覗いたら即刻蜂の巣だろうが。
カーテンの中から聞こえる布擦れの音に悶々としながら、俺はセシリアが出て来るのを待った。
「お待たせしました」
モデルのように颯爽と、セシリアはシャッと試着室のカーテンを開いた。
「おぉ……」
スラリとしたストレートジーンズと、カジュアルなスーツ型ジャケット。高めのヒールのブーツが格好良いキャリアウーマンの休日姿を思わせる。細身のコーディネートがセシリアの抜群のスタイルをより際立たせていた。
――正直、とても綺麗だ。どきりとした。
「どうでしょう?」
「……い、いいと思う」
素っ気ない返事になってしまったが、セシリアは嬉しそうにしている。
「では、次を」
セシリアはカーテンを閉めた。
「…………」
――やられた。普段ほとんど制服姿しか見ないから、オシャレをしてくるとぐっと印象が変わって見えてしまうのだ。
次は動揺すまいと身構えていると、再びカーテンが開かれる。
「……どう、ですか?」
「…………」
今度は茶色のカットソーに、白のカーディガンとロングスカート。ふんわりした印象のコーディネート。ニット帽と伊達眼鏡がふんわり感を高めている。
さっきの「格好良い」コーディネートからはガラリと印象が変わり、今度は「可愛い」コーディネート。本人の上目遣いもあって、これまたいい。さっきも思ったが、本国でモデルしているからか、セシリアは見せ方も上手い。
目で感想を求めるセシリアの視線を避けるように俯いた俺は、ぼそりと呟く。
「その、とても……可愛いと思う……」
「ふふ。ありがとうございます」
セシリアは笑顔を浮かべて、またカーテンの奥へと消えて行く。
――おかしい。俺が俺ではない。俺はこんなしどろもどろではなく、もっとクールな感じだと思うのだが。
セシリアはその後も何通りかのコーディネートを見せ、俺はその度赤くなっては貧相な感想を漏らした。ロクなことが言えなかった俺だが、セシリアは終始嬉しそうで。
小さなファッションショーは、それから何時間も続いた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
波が浜に打ち寄せて、やがて消えて行く。夕焼けに反射して、きらきらと煌めく水の飛沫が綺麗だ。今はもう十月で、流石に泳いでいる人はいない。だが浜辺で走って遊ぶ人は子供の姿はまだ見える。
買い物が終わったあと、俺たちは海に来ていた。浜辺に座って、夕焼けを見ている俺たち。セシリアは試着した服を全て購入し、俺も悩んでいたコートを買うことにした。買ったものは全て郵送で直接寮に送ってもらった。
ここに来てから、口数はかなり減った。一日中歩き回った疲れというよりも、あまり言葉が必要ではなかったからだろう。二人並んで座って、手を繋いでいるだけで――陳腐な言葉かもしれないが――心まで繋がっている気がした。
「最後に海とは、とっても素敵なプランですわね」
穏やかにセシリアは言うが、俺はそれを否定する。
「……いや、たまたまだ」
午後は完全にノープランだった。本当は決めておくべきだったのだろうが、結果的にセシリアが喜んでくれたならそれでいい。
俺の答えを聞いて、セシリアは微笑む。
「だとしたら、翔さんは女心をよく分かっていらっしゃいますわ」
「そんなことはない」
ここに来たのだって、セシリアの気持ちを汲んでのことではなく、ただ俺が来たいと思ったから来た。
ただ、それだけのことである。
「……っ!?」
不意に、セシリアが俺の肩に頭を預けてきた。
俺は反射的に飛び退いてしまったが、セシリアが口を尖らせたのを見て、すぐに元の場所へ戻った。セシリアはまた同じことをしたが、今度は飛び退かなかった。
「セシリア……」
こうなったとき、次に何をすればいいのか。それを理解していた俺は、ゆっくりと、恐る恐る、セシリアの腰に手を回した。くびれた腰はとても細く、服越しに伝わる肌の感触が俺の顔を赤くして止まない。
そこまでするとはセシリアも思っていなかったようで、セシリアは驚いた顔で俺を見上げた。赤くなっている顔を見られたくなくて、嬉しそうに微笑むセシリアの視線から逃れるように、沈んで行く夕日に視線を合わせた。
夕日を前に、寄り添う俺とセシリア。今の俺たちを誰かが見れば、恋人同士のように見えるだろうか。だが、実際俺たちは恋人ではなく、有り体に言えばただの友達という関係に過ぎない。
――それも全て、俺のせいだ。
「――セシリア」
俺が小さく尋ねると、セシリアはゆっくりと顔を上げた。
「すまない。俺は、君に非道いことをしている」
俺が臆病で、優柔不断なばかりに、セシリアの気持ちを知りながら、そのままにしておくという残酷な仕打ちを続けてしまっている。
俺だって分かっている。あれこれ考えずに、俺が返事をする方がセシリアは幸せで、俺も楽になることは。心の奥底に潜む感情には目をくれず、セシリアの想いに答えてしまえば、きっと新しい関係でこれからの日々を過ごすことができる。
だが、俺にはできない。こんなに純粋に、一途に、誰よりも俺を想ってくれるセシリアに、口だけの返事など、できない。
「その上で、聞きたいことがあるんだ」
俺は、あり得ない言葉を口にする。
「――まだ、俺のことを好きと言ってくれるか?」
あまりに非道で、遠慮の欠片も無い言葉。答えも出せないくせに、俺はその言葉を望んでいる。自分でも反吐が出そうだ。自分がこんなに惨めに思ったことは無い。
でも、それでも。俺は聞かなければいけなかった。前に進むために。
セシリアは真っ直ぐ俺の目を見ると、柔らかく微笑む。
「はいっ」
セシリアは、迷わずに答えてくれた。
「――好きです。大好きです。愛していますわ」
――あのときと、同じ言葉で。
「不安になるときはありました。あなたのことを信じられず、もしかしたら、あなたに言ったことは忘れられてしまったのではないかと」
俺の胸にそっと体を寄せて、セシリアは語る。
「でも、今日でそれも吹き飛びましたわ。翔さんは、決して人の想いを踏みにじるような薄情者ではありません。だって、わたくしのために、こんな素敵な一日を用意してくださったのですから」
セシリアの腕が首に回され、耳元でセシリアが囁く。
「翔さんと会えるなら、わたくしはいつまででも待てますわ。わたくしにとって一番大切なことは、返事をいただくことではなくて、翔さんと一緒にいることだと……今日、改めてそう思いましたわ」
耳朶に澄んだ声が優しく響く。
セシリアは何も否定しない。だが、セシリアは俺の弱さを知っている。知らないから肯定しているわけじゃない。俺の迷いも、弱さも、在り方も知っているのに、俺を否定しようとはしない。
どうして、俺は何も答えてあげられないんだ。こんなに俺のことを想ってくれる女の子に、どうして――。
「……これからも、ずっと、ずっと、好きですわ。だって、たとえあなたに会えなくても、会ったときにまた、もっとあなたを好きになる――」
セシリアは笑顔を見せた。
その笑顔は、どこまでも純粋で穢れなく、眩しい。胸を渦巻いていた黒い感情は、陽に照らされたかのように消えて行く。
俺はセシリアをそっと引き寄せて、抱きしめた。普段なら絶対にできない。でも今は、抱きしめることで安心している。
セシリアはずっと好きだと言ってくれた。そんな彼女の想いの純粋さが、とても嬉しく、とても眩しく、とても……哀しかった。
セシリアは俺に答えを求めなかった。その代わり、一緒にいたいと言った。答えの出せない俺ができることは、せめて彼女のために、傍にいること。今日見た映画主人公のように、離れて想いを確かめるのではなく、彼女の傍で、彼女への想いを確かめていく。
その決意と共に、俺はセシリアをそっと離す。
「――セシリア」
俺はセシリアの目を真っ直ぐに見つめた。澄んだ碧眼が俺の瞳を捉えると、セシリアの白い頬にさっと赤みが差す。はにかむ表情が可愛く見えて、俺は微笑んだ。
セシリアは、おもむろに目を閉じた。セシリアが何を望んでいるのかは、分かる。だから、俺も精一杯の想いで答えよう。セシリアを大切にしたい。その想いに、偽りはない。
肩に手を置いて、目を閉じるセシリアの唇に、俺のそれを近づける。
瞬間、五感がすっと研ぎ澄まされていく。目に映るセシリアの紅潮した顔が、どくんと跳ねる心臓の音が、鼻腔を満たす潮の香りが、手に触れる肌の感触が、意識したことの無い唾液の味さえも、鮮烈に俺の脳に焼き付けられた。
そして俺も、目を閉じる――。
「――ん……っ」
触れ合う、唇。二度目の口づけは、柔らかく、甘く、確かな感触を伴ったものだった。
溢れるこの感情は、友愛というのか、安心というのか、羞恥というのか。何にしても、嫌な感情ではない。もっと別の、満たされた感情。俺はただ、その感覚に酔いしれた。
きっと答えは、この想いの中にあると確信した。
優しく、恥ずかしく、恐ろしく、愛おしい、この感情。きっとそれは――。
俺は、思考を止めた。これ以上、何も考えたくなかった。
今はただ、セシリアと交わしたキスに溺れていたかった。
夕暮れの渚に響き渡る静かな波の音は、渚を包むオーケストラ。
そして砂浜には、沈み行く太陽から伸びる二つの長い影が。一つに重なったそれは、いつまでも、離れることは無かった……。