IS インフィニット・ストラトス ~天翔ける蒼い炎~   作:若谷鶏之助

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大変お待たせしました、本日より第十三章投稿開始です。
『セシリア・ダイアリー』2話も更新していますので、そちらもどうぞ。


第十三章 ニュー・フェイス/ニュー・デイズ
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 ――某日某所。

 

「にゃーるーるるー」

 

 鼻歌を適当に奏でる女が、自作のラボで何かをしている。

 その鼻歌は特に上手いと呼べるものではなかったが、鼻歌の巧拙など取るに足らない問題である。

 彼女の開くディスプレイに表示されたそれは常人には到底理解できないもので、彼女でないと全く分からないという代物であった。

 彼女は稀代の天才にして、天災――篠ノ之束。

 

「しょーくんは元気かなあ……」

 

 束が思うのは、今はIS学園にいる、弟のような、息子のような、母のような少年。束が愛情を抱く、数少ない一人。

 出会った頃から比べれば背も伸び、顔つきも男らしくなった。ずっと束に依存していた翔が、仲間の元へ行きたいと束に啖呵を切ったのだから、それは大きな成長だろう。

 同時に、束は言いようのない寂しさを覚えた。 翔が翔び立った後は、子離れが悲しい親の心境で、束の狂ったように泣いた。翔の守護者たる蒼炎が、開発者の束の意志を無視して翔の元へと向かったのも子離れを象徴するかのように思えた。

 束が泣いたのは、それが初めてである。もしかしたら母親の腹から産まれたときは泣いたのかもしれないが、あんなどうでもいい人間の前での涙など、カウントするに値しない。

 束にとってはどうでもいいのだ。親も、親族も、教師も、何もかも。ただ一人の親友とその弟、無二の妹、そして――翔。それ以外の何もかもが、束には無価値で無意味だった。

 

「おっ」

 

 コツ、コツと靴の音が聞こえる。

 その足音は徐々に束に近づき、キーボードを叩く束の後ろで止まった。

 

「――お久しぶりです、篠ノ之博士」

 

 女だった。まだ二〇歳にもなっていない、少女とも言える女である。

 

「やあ」

 

 挨拶はするが、束は振り向かない。

 

「誰だっけ? 誰でもいいけどね」

「顔は覚えていただけたようで、何よりです。名前など、篠ノ之博士に覚えていただくようなものではありませんので」

 

 女は恭しく礼をした。ふーん、と束は返した。

 他人から見れば素っ気ない対応かもしれない。だが、これが束の「他人」に対する普通の態度だった。

 

「さて、わざわざ私のところへ来て何の用かな?」

 

 大抵の人間は、束にISのことを頼むだろう。ただ、束を見つけること自体が極めて困難なのだ。だからこそ世界にはISが四六七――に加えて一機しかない。

 

「しょーくんなら、いないよ?」

「存じています」

「やっぱりそっかあ。知らないはずがないよね~」

 

 そう、天羽翔は束の元にはいない。今彼は、IS学園にいる。

 ――絶海の孤島に等しい、あの学園に。

 

「では、篠ノ之博士。我々と共に来ていただきたいのです」

 

 女は前置き無しで、束に言う。

 束はキーボードを叩きながら、「えー」と子供のように口を尖らせた。

 

「嫌だよ、って言ったら?」

「しかるべき対応を取らせていただきます」

「礼儀正しいね~。『力ずくで連れて行く』って言ったら早いのに」

「あなたは敬意を払うべき偉大なお方です。礼儀を欠いた言動は失礼というものです」

「…………」

 

 女の言葉を受け、しょうがないなあ、と束はディスプレイを閉じ、ぴょんっと椅子から立ち上がった。

 

「……で、この天才束さんはどこに行けばいいのかな?」

「我々がご案内します」

「ほうほう。サービスが行き届いてるねえ。流石は『FoKs(フォークス)』ってとこかな?」

「…………」

 

 女は、微笑むだけで答えなかった。

 束がラボの外に出てそれを収納すると、数人の黒い装束の者が現れ、その中の一人が前に出た。

 

「お待ちしておりました、篠ノ之博士」

 

 謎の一団が束を先導する。束は、無言でその一団に続いた。

 

「――では、参りましょう。新世界の聖地へ」

 

 

 

 ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 

 

 

 大盛況だったキャノンボール・ファストから、一週間ほど経った土曜日。気温が涼しくなるにつれ、制服も夏服から冬服に戻った。十月に入った現在、気の早い生徒たちはもう年末の予定を話している。

 さて、そんな秋を感じられるようになった今日この頃、俺は整備室で簪の専用機、『打鉄弐式』の整備をしていた。

 目の前に鎮座する水色の装甲からは無数のコードが伸び、それが俺のパソコンへと繋がれている。

 

「天羽くん、六番コードの最終チェックをお願い!」

「了解しました」

 

 束譲りのタイピングで、ISのプログラム・シミュレーションを行う俺。

 打鉄弐式を組み上げるに当たって、俺たちは簪の行っていた過程を一から見直し、問題点がある場所を徹底的に洗い出した。やはりISを一人で組み上げるというのは非常に困難であり、簪の気付かなかった穴がいくつか見つかった。ただ、簪の名誉のために言っておくと、問題点が見つかったとはいえ、機体は一人でやったというのが信じられないほどの出来であった。

 現在、打鉄弐式は機体フレームが完成し、OSに不備が無ければ完成というところまで来ていた。つまり、完成は目前である。

 

「終了まで、残り十秒。――三、二、一……」

 

 やがてシミュレーションも終わり、俺はふうと息を吐く。全員がごくりと唾を飲み、真剣な面持ちで俺の答えを待つ。

 

「シミュレーション、終了。システムに問題ありません。――打鉄弐式、完成です」

 

 俺が完成を宣言した瞬間、わっと整備室内が拍手に湧いた。

 打鉄弐式の制作チームに入って二週間。優秀な人材の揃ったこのチームは、ISを組み上げるという快挙を成し遂げた。

 

「やったやったー! かんちゃん、できたよー!」

「う、うん……!」

 

 念願の専用機が完成し、簪はとても嬉しそうだ。本音に至っては半泣きである。

 

「いやー、すげえな天羽! 流石は篠ノ之博士の弟子だぜ!」

「ほんとですぅ。天羽くんが一人入るだけで効率が跳ね上がるんですもん」

「……どうも」

 

 整備科のトップチームである成山先輩、トンプソン先輩から褒めてもらった。光栄だな。

 

「ねえ、天羽くん」

 

 そう後ろから声をかけたのは、制作チームのリーダーにして整備科二年の首席、黛先輩だった。

 

「何でしょう?」

「冗談とかじゃなくて、本当に整備科に入らない?」

「……その話ですか」

 

 敢えて考えを出さないよう、事務的な返答をする。

 一度布仏先輩に打診されていたが、いつかされるかもしれないと思っていた。

 

「正直なところね、天羽くんの能力は是非整備科に欲しい。天羽くんが入ってくれれば、整備科のいい刺激になる。学園側もいろいろと思うところがあるみたいだけど、そんなことは関係無しに。まあ、引く手数多なのは知ってるし、難しい……かな?」

「俺は……」

 

 この前布仏先輩に誘われたときにも思った、整備科の人たちが本気で言ってくれているのは。

 だが、俺の中ではもう答えが出ている。そしてそれを変えるつもりはななった。

 

「すみません。それでも俺は、操縦科に行きます」

「……そっか」

 

 再び俺が断ると、黛先輩は少し残念そうに肩をすくめた。

 ただ、これで終わりは悲しい。整備科に進まないからと言っても、この人たちとの個人的な繋がりまで失くすのは不本意ではない。

 

「呼んでくれればいつでも行きます」

「ふふふ。頼りにしてるよ」

 

 整備科の人たちとはこれからも仲良くできそうだ。

 話が一区切りついたので、さっき完成した機体の方を見る。その横では簪が布仏と何か話していた。布仏がぽんと簪の背中を押したかと思うと、布仏は制作チームのメンバーを簪の前に集める。

 

「何をするんだ?」

「まあまあ。とにかく来て~」

 

 簪の目の前に、六人の制作チームが揃った。

 

「あ、あのっ!」

 

 今までで一番大きい簪の声。簪からそんな声が出るとは思わず、俺は少し驚いた。

 

「ありがとう、ございました……! 私一人じゃ、皆さんがいなかったら、きっと完成させられなかった……。だから、本当に、本当に、ありがとうございました……っ!」

 

 さっと頭を下げた簪。口下手なりに、精一杯の感謝を伝えた。

 ――少し、照れくさい。

 

「へへっ、気にすんなよかんちゃん。俺たちだって、いい思いさせてもらったからなあ!」

「そうですぅ。久しぶりの専用機、しかも最新鋭の第三世代、腕がなりましたよぉ」

 

 成山先輩と、トンプソン先輩。

 

「完成っての何か悲しいな。もう触ることもねーのか。……ああっ、またあの機体中枢に油をさしてえっ!」

「また整備したいですねぇ、うぇへへへへ……」

「…………」

 

 ……相変わらず、変人だ。

 機体との別れを惜しむ二人を一瞥したあと、簪と握手をする黛先輩に視線を移す。

 

「よーし。これで今年の単位はもらったも同然ね。……さて、かんちゃん」

「は、はい」

「今度は新聞部の取材をお願いするわ。そのときのタイトルは、『眠れる専用機、現る』でどう?」

「いいと、思います……」

 

 黛先輩はやったと笑い、簪の肩に手を置く。

 

「……これから、頑張ってね。専用機持ちになるっていうのは、大変なことよ」

 

 黛先輩は、いつになく真剣な表情で簪を諭す。

 

「代表候補生として専用機を持つことには、大きな責任と義務が課せられる。もうこれからは専用機が無いからって言い訳はできない」

「……はい」

「――だから、自分と、このチームで作った機体を信じて、頑張りなさい」

 

 黛先輩は、「ね?」と締めくくった。年上の先輩らしい、とても力のある言葉だった。

 簪は、「はい」としっかりと頷いた。

 

「よしよし。……さあて、かんちゃん」

「……な、何でしょうか」

 

 珍しく真剣で凛々しかった黛先輩の顔が、いつもの軽い表情に戻る。黛先輩はそっと、簪の耳元で囁いた。

 

「(――愛しの彼に、ちゃーんとお礼を言わなきゃね?)」

「えッ……!?」

 

 ボン、と爆発したように簪の顔が真っ赤になった。

 ……何を言ったらそうなるのだ。

 

「わ、私、ちゃんと、言いました……!」

「分かってないなあ。あれはみんなに向けてでしょ? 特別な彼には、特別に言っておいた方がいいんじゃない?」

「……あっ」

 

 俯く簪が、ちらちらとはずかしそうに俺を見る。しばらくした後、俺の目の前までとことこ歩いてきた。

 

「どうした、簪?」

「っ、か、『簪』……っ!?」

 

 また簪は赤くなった。

 

「何だ、まだ慣れていないのか?」

「うう……」

 

 自分でそう呼んで欲しいと言ったのに。これでは話が進まないではないか。

 

「あ、あの、あのね、天羽く……違う、翔……」

「ん?」

「その……ありがとうっ!」

「礼ならさっき聞いたぞ?」

「ち、違うの。さっきのは、みんなへの気持ち。今のは……翔への、感謝の気持ち」

 

 翔は、特別なの。

 簪はそう言って、顔を上げた。さっきのように真っ赤ではないが、頬がまだ紅潮している。人見知りの激しい簪が、真っ直ぐ目を見て話すと言うのも珍しい。

 

「そ、それだけじゃ、なくて。あと話しかけてくれて、機体の制作、手伝ってくれて、ありがとう。そ、それから、先輩たちに、一緒に頼んでくれて、ありがとう……!」

「おいおい、一度に言われても……」

「あと、ご飯に誘ってくれて、助けてくれて……それから、友達になってくれて、名前を呼んでくれて……」

 

 簪は止まりそうにない。それを聞いていると、俺がとても高尚な人間に思えてくる。

 そんなに感謝されるようなことをしただろうか。

 

「翔には、何回だって言える……だって、本当に、感謝してるから……!」

 

 簪のくもった眼鏡の奥に、涙が見える。感極まるくらい、俺に感謝していると?

 

「あのな、俺はそんなに恩着せがましいことをした覚えは無いぞ?」

 

 俺はがしがしと頭をかいて言う。

 俺は友達として、当たり前のことをしたまでだ。

 

「……それでも」

 

 簪は小さい声で言う。

 

「翔には、感謝してるの。私、本当に嬉しかったから……」

 

 消えるようなか細い声であったが、むしろそれで嘘ではないと分かった。

 

「……そうか」

 

 簪本人がそう思っているなら、それでいいか。一生懸命に感謝の意を伝えてくれた簪の勇気を無下にするのは論外だ。ここは素直に受け取っておこう。

 ――ただ、最後に一言だけ。

 

「簪」

「な、何?」

「これから、俺たちはライバルになる」

「!」

「俺たちは友達だが、戦いの場においてはライバルになる。お前と当たっても遠慮はしないし、それは他の専用機持ちも同じだ」

 

 他の専用機持ち、という言葉に簪がぴくりと反応した。

 少し逡巡する素振りを見せ、おずおずと俺に尋ねる。

 

「ライバルっていうのは……オルコットさん、とも?」

「勿論だ。セシリアも専用機を持つ代表候補生。勝つことが国の名誉になる」

「そう……」

 

 気のせいだろうか、少しほっとしたように見えた。

 何故セシリアだけを取り沙汰するのかは分からないが、セシリアとも勿論ライバルだ。公の場で戦うことがあれば、全力で戦う。

 さて、前置きはこの辺にして、本当に言いたかったことを言おう。

 

「だから、もし俺たちが戦うのなら、そのときは全力で戦おう」

 

 俺は篠ノ之束の弟子として。簪は誇り高き日本の代表候補生として。

 

「うん」

 

 俺の言葉に、簪はしっかりと答えた。

 

「……さて、じゃあ……」

 

 簪の返事で満足した俺は、次なる行動に移すべく、部屋の時計を指指した。

 

「もういい時間だな」

「え?」

「飯の時間だが、どうする? 一緒に食うか?」

 

 いつかのときのように、俺はさらりと言った。

 

「……うん。食べる」

 

 簪はあのときとは違い、嬉しそうに頷くのだった。


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