IS インフィニット・ストラトス ~天翔ける蒼い炎~ 作:若谷鶏之助
勝負だとは言ったものの、お互いにエネルギーが限界に近い。俺は攻撃に割き過ぎたし、一夏は回避に使い過ぎた。具体的に言うと、俺はライフル数発分しか残っていない。
俺が攻撃できない以上、残り半周、ここからは純粋なレースになりそうだ。早さでは僅かに俺が上。徐々に一夏に迫っている。
「やっぱ、翔なら来ると思ってたぜ!」
「随分と上からだな」
「そりゃあ暫定一位だからな!」
なんだかんだと言いながら、こいつはまだ軽口を飛ばせる余裕があるらしい。
数秒飛行している内に、ついに俺が一夏を射程に捉えた。ようやくだ。
「追いつかれちまったか!」
「俺から逃げ切ろうと考えるのが甘い」
一夏はさらに減速してきている。ついに燃費の差が現れ始めたらしい。
「雪羅でも使ったらどうだ?」
「バカ言え! んなことしたら自滅――うおっ!?」
突然一夏が機体を傾けて急降下した。何かと考えるより先に、コンソールに警報が表示された。俺も一夏と同じように回避行動を取った。
ハイパーセンサーの後方の視界、セシリアとシャルロットが俺たち二人を狙撃しているのが分かった。
まずいな。大分迫られている。
「げっ!? 追い上げてきやがった!」
「射程に入ってしまったな」
「俺の代わりに当たれよ翔!」
「遠慮しておこう」
最終コーナーは目前に迫った。ここでダメージを受けるわけにはいかない。
残り四分の一周。一位は俺と一夏、三位はセシリア、シャルロット、そして箒。六位はラウラと鈴音。まだレースはどうなるか分からない。最後の最後が最も順位の変動しやすい局面なだけに、少しも油断できない状況が続く。つくづく厳しいレースだな。
(……まずい)
後方を確認すると、すぐ後ろに三位集団が迫ってきていた。これは一度スピードを上げれば簡単に追い抜かれてしまう。
特に危険なのが、現行IS最高スペックの紅椿を駆る箒。このまま目立った動きが無いまま終わるとは考えにくい。
そろそろ勝負所。もう残りの距離が短い。仕掛けるならもうこの辺りが限度だろう。
――そう警戒した矢先、箒が動いた。
「さあ、お前の力を見せてみろ! 紅椿!」
紅椿の展開装甲が拡張し、スラスターの出力が跳ね上がる。そして、終盤とは思えないほどの加速で俺たちの横に現れた。
何というスペックだ。流石は全身展開装甲の第四世代機。伊達ではない。
「ようやく捉えたぞ、一夏、翔!」
「くっ、やべえっ!」
至近距離で一夏を攻撃している箒。一夏は少し後退した。
しかし、燃費が最悪な紅椿で、終盤にこの動きできるということは……
「最後までエネルギーを温存していたのか……」
「こいつが全力を出せる時間は僅かだからな!」
終盤までエネルギー消費を抑え、最後に全エネルギーを解放した猛追で逆転する。それが箒のシナリオということか。
エネルギーが少ないこの状況で、フル稼働の紅椿と真っ向勝負はリスクが大きい。ここは戦闘を避ける方が良いと判断し、スラスターで箒と距離を間合いを取った。
「逃がすものか!」
このチャンスを逃すまいと、箒は俺へと接近し、刀で斬りかかってきた。俺は咄嗟に《荒鷲》で防御した。
「ほう! やるな!」
「そう簡単には沈まないぞ?」
「百も承知だ!」
箒の叫びと同時に、ガコンと紅椿の背部展開装甲が分離、二つのビットとなった展開装甲が俺の脚部装甲をホールドした。
「な、何!?」
そうか、刀はブラフ! 本命はこっちか!
狙いに気づくも既に遅く、俺は蒼炎の両足首を掴まれ、うまく動けなくなった。
「翔、お前は行かせん!」
拘束された後、蹴りで後方に飛ばされた。
「ぐっ……ちぃっ!」
何とか体勢を立て直し、前進しようとスラスターを吹かすが、脚を掴む展開装甲が逆方向に推進していてうまく加速できない。
「くそっ、厄介な土産をくれたな!」
止むを得ずライフルで展開装甲を破壊した。これで、エネルギーがライフル二発分無駄になってしまった。
さらにまずいのは、すぐ後ろにはセシリアとシャルロットがいること。のろのろと前を飛ぶ俺は、ただの的だ。
「ぼろぼろだね! やっぱり最初のが効いてるんでしょ!」
「分かっているならショットガンを撃つな!」
「随分とお遅いですわね。かなり無理されたのではなくって?」
「分かっているならライフルを撃つな!」
何と容赦の無い連中だ。弱った相手に追い打ちをした挙句、皮肉まで飛ばしてくる。
二人の追撃で数発被弾し、今度はシールドエネルギーが削られた。
「最終コーナー。まだ終わりではありませんわ!」
「箒ばっかり、かっこいいところを見せるのはズルいよね!」
エネルギーを残していた二人は、加速して前方へと離れて行った。
「お兄様!」
「ラウラ!?」
もっと後ろにいるはずのラウラが、横にいる。
――ノーマークだった。これはまずい!
《荒鷲》で牽制するが、ガクンと何かに掴まれたように腕が止まる。こ、これは……!
「AICか!」
「さっきのお返しだ!」
シャヴァルツェア・レーゲンの切り札、AICで腕を固定された俺は、プラズマ手刀で荒鷲を叩き落とされた。
これで、俺に残った武装は《孔雀》のみになった。
「ああ、分かっているぞ! その羽も、エネルギーが無いなら使えないのだろう!」
「御見通しか……!」
やはり気付いていたか。
《孔雀》はエネルギー消費が激しい。少しのエネルギーも惜しいこの状況で発動は無理だ。つまり、事実上俺は武装の全てを失ったことになる。
「借りは返したぞ、お兄様!」
機体は損傷が激しいが、エネルギーは残していたようで、ラウラも前方へと加速して消えて行く。
「悪いけど、もうあんたの相手してる余裕は無いから!」
大ダメージを与えたはずの鈴音も
最終コーナーを通過し、最後の直線に差し掛かる。たった三〇秒前までは首位だった俺は、いつの間にか最下位になっていた。レースももう残り数百メートルしかない。
――だが、直線。しかも、全員前を向いている。邪魔するものは、何もない。
(――『アレ』を、使うしかないのか……?)
正真正銘の奥の手。しかし、練習での成功確率はゼロ。その上失敗すればゴールすらできなくなる可能性がある。
妨害の関係上、キャノンボール・ファストは完走することにも一定の価値がある。
(それでも、やるしかない!)
勝利のために最善を尽くす。ここで出し惜しみする理由は無い。会長とも、約束したからな。
失敗したらそのときだ。それはそれで構わない。
「蒼炎、勝つぞ!」
愛機が俺に応えた。
攻撃、機動用の残りエネルギーを全て使い、《孔雀》の光翼の出力を限界まで引き上げる。蒼い燐光を放つ翼は、今までにない大きさへと変化した。
一度放出したエネルギーを取り込み放出。それを再び取り込み、放出。ここまでは、
「行くぞ、
通常の機体はスラスターがオーバーロードしてできない技だが、蒼炎のスペックなら理論上は可能だ。
「う、ぐ……!?」
爆発しそうになる巨大な力を抑え込み、限界まで集約させる。ギシギシと蒼炎が軋んでいるのを感じる。だが、ここで抑え込めなければ、オーバーロードして終わりだ。
ここでは終われない。全力で戦ってくれたライバルたちに、俺は俺の全てを以って応える!
「お……おおおおおおォーっ!」
――だから、お前も俺の思いに答えろ、蒼炎!
刹那。
荒ぶる力が、静まる。完璧にコントロールされたエネルギーが、その躍動を止めて、静かに波打つ。
――発動。三段階瞬時加速《トリプル・イグニッション》。
蒼い光が、爆ぜる。
俺と蒼炎は、かつてない速さで、コースを翔け抜けた。
――何が起こったのか、分からない。
ただ、異様にスローモーションな世界の中で、残り数メートルで仲間たちを抜き、一位でゴールを通過したこと。それだけが、俺の目に映った。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
一年専用機持ちのレースは、天羽翔が奇跡の大逆転勝利。血湧き肉躍る好勝負に、会場は大盛り上がりであった。
「……なかなかね。流石は天羽翔」
そんな中、立ち見で観客席からレースを見ていた金髪の女が、一人。その華やかな美貌と、タイトなスーツで映えるスタイルは、辺りの男の視線を釘付けにしていた。
明らかに日本人ではないが、グローバル化の進んだ日本において、増して世界的イベントであるキャノンボール・ファストの会場においては、外国人の存在はむしろ自然である言える。
「……『彼女』がこだわるのにも納得できるわ」
金髪の女は、いつも穏やかな笑みを浮かべたとある少女を思い出す。口を開けば天羽翔と名を出し、彼の話をするととても機嫌が良くなる。よく分からない少女である、というのが印象であった。
「彼についてオータムからの報告が無かったのは残念ね」
金髪の女はそう呟き立っていた場所を後にすべく、屈めていた体を起こした。
「――呑気に観戦とは随分余裕ね。スコール・ミューゼル」
後ろから声をかけたのは、更識楯無だった。
「あなたは……更識の『楯無』」
普段のひょうきんな笑顔とは違って、楯無は本気の笑みを見せた。選ばれし強者のみが見せる、余裕の笑みである。
「亡国機業がこんな場所に何の用かしら……って、聞くまでもないか」
楯無がばっと扇子を広げる。そこには、明白の文字が。
「――可愛い後輩に、手出しはさせない」
楯無は手に蛇腹剣ラスティ・ネイルをコールし、その鋒を真っ直ぐ金髪の女――スコール・ミューゼルへと向けた。
スコールはそれを見ても動じることなく、微笑むだけである。
「人聞きの悪いことを言わないでくれるかしら。私はただ観戦しに来ただけよ?」
「テロ組織の人間からそう言われて、信じられると思うの?」
向けた刃はそのままに、楯無は言った。
間合いはあるが、伸びる蛇腹剣を振るえばそれは関係なくなる。IS用兵装で斬られれば、生身のスコールの体は両断されるだろう。
だが、楯無は理解していた。この女は、そこまで甘い人間ではないということを。
「あら、いいのかしら? ここでドンパチやれば、大変なことになる人がたくさんいると思うんだけど?」
「…………」
観客は二人が緊迫していることに気付かない。
もし楯無がこのまま剣を振るえば、スコールは斬れるかもしれないが、誰かが巻き添えになる可能性がある。
「…………」
暫しの沈黙。
「やーめたっ」
その沈黙を破ったのは、剣を下した楯無だった。
「今やり合っても、よろしくないみたいだし」
剣を収納すると、楯無は『無駄』と書かれた扇子を広げた。数回扇ぎ、楯無はぱしんとそれを閉じた。
「早く逃げた方がいいと思うよ。すぐウチの連中があなたを狙って来るから」
「……ご親切にどうも」
楯無は善意で言ったのではない。どうせ捕まえることができないと分かっていたからである。
「……まあ、正直私はあなたと戦う気は無いのよ」
「あら、そう? やる気満々に見えたけど」
楯無の問いに対する返事は無く、スコールは笑顔のままだった。やがてすぐに踵を返し、スコールはエントランスへと向かって行った。
「――そう。『今は』まだ、ね……」
スコールのその一言は、会場の歓声に呑まれて消えた。
楯無はスコールの後姿が曲がり角で見えなくなるまで、その場所に立っていた。