IS インフィニット・ストラトス ~天翔ける蒼い炎~ 作:若谷鶏之助
金曜日。一夏ラバーズとの買い物の約束は明日に迫った。
今晩は色々と考える必要がありそうだ。……主に暴走しがちなあいつらを止める手段について。
と、まあそれはさておき、今俺は第六アリーナのピットにいる。今日は、更識簪の専用機の試験運転を行う日だった。
「機体の状況は?」
俺は目の前で準備をしている更識に聞いた。
更識はさも邪魔だと言わんばかりに俺を睨み、
「あなたがここにいる必要、無い……」
「…………」
この期に及んで強情である。そこまで言うのなら、俺も意地悪をしたくなってくる。
「自意識過剰だな」
「ッ!?」
「俺がここに来たのは、蒼炎の機動演習をするからだ。誰もお前のために来たなんて言っていないが?」
「……!」
嘘だ。俺はこいつの様子を見にここに来た。しかし、それも効果てき面だったようで、更識は顔を真っ赤にしてわなわなと震えていた。
「……じ、自意識過剰じゃ、ない……っ!」
……どうやら意地悪が過ぎたようだ。本気で怒らせてしまった。
「悪かった」
「……ふん」
俺がそう言うと、更識はしぶしぶ引き下がった。
「……で、どうなんだ?」
「……機体自体は完成した。でも、武装がまだ……」
「なるほどな」
本当に一人で機体を完成させたのか。驚きを通り越して呆れる。
確かに俺がアドバイスした部分はあったが、そんなものは有って無いようなレベルのこと。せいぜい完成が一日ほど早くなっただけだろう。
「なら今日は起動実験と実稼働データの採集か?」
更識はこくりと頷いた。
「――おいで、
更識が名を呼ぶと、手のひらにあった待機形態のIS――クリスタルの指輪が解き放たれ、装甲が更識を包み込んで行く。
その打鉄弐式と呼ばれた機体は、打鉄の名を冠する割には、全体的にスマートな印象を受ける。見たところ、防御型の打鉄の機動力を強化させた機体のようだ。
「それは第二世代なのか?」
「違う。武装に第三世代システムが搭載されるから、第三世代機。機体自体も、第三世代相当のスペックがある」
まあ、日本の最新鋭の機体なら当然第三世代か。
更識はコンソールを開いて
PICは見事に起動している。パーツの状態からよくここまで組み上げたものだ。
「……天羽くん」
「何だ?」
並々ならぬ雰囲気を漂わせる更識に、俺は少し身構えた。
「――私は、一人でやる」
「…………」
それは、重い言葉。以前俺の問いを受けた上で出した答えだ。
一人でやる。それはつまり、手出しをするなという意味だ。
「……本当に、それでいいんだな?」
迷い無く――俺にはそう見えた――更識は頷いた。
「……そうか」
俺はそう言うしかなかった。
あの無口な更識が、敢えて口に出して俺に意思を伝えてきた。それがどれほど強烈な意思の下なされたかは、察するに余りある。
俺は尋ねた。何故一人にこだわるのか、と。それは多かれ少なかれ、更識に影響を与えたはずだ。それでも、一人でやることを貫き通すのなら、俺は何も言えない。
俺は黙って踵を返すと、ピットを出た。きっと、そうする方が、更識のためになるだろう。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
(これでいい……)
簪はピットから出て行く翔の背中に一瞥して、準備に取り掛かった。手を差し伸べてくれた翔を遠ざけたことは、少なからず簪の良心を傷付けたが、簪はそれも仕方のないことだと割り切った。
一人でやると断言した。きっとこれから先、翔と話すことも、一緒に作業することも無いに違いない。
そう思うと、胸にズキリとした痛みが走った。簪はその痛みに気付かないフリをした。
「天羽くん……」
翔なら、友達になってくれたかもしれない。
……でも、それは出来ない。友達になれば、きっと自分は翔に頼ってしまう。簪は一人でやると決めた。彼に頼ってはならない。それに、翔にはちゃんと付き合うべき仲間がいるのだ。異端である自分とは釣り合わない。簪は、そう無理矢理納得することにしたのだ。
ぶんぶん、と晴れない心の雲を吹き飛ばすように、首を振る。簪はピットの偏向重力カタパルトへ機体をセットした。
眼前に見える赤い『READY』の文字が青い『GO』に変わった瞬間、簪と打鉄弐式はピットから飛び出し、第六アリーナの空へと飛翔した。
訓練機とは全く違う一体感。それに己の気分が高揚したのを感じた簪は、さらに加速して高度を上げた。
訓練機と専用機の特筆すべき違いは、やはりこの一体感であろう。専用機は操縦者の固定が前提であるので、操縦者に合う設定が可能であるが、一方訓練機は、より多くの人間が扱えるように、設定が万人向けである。他人の履いた靴に違和感を覚えるように、他人の「痕」が残るISは馴染まない。その点で、専用機と訓練機は乗った時点で差が付いてしまうのだ。
(ハイパーセンサー、接続確認……)
ハイパーセンサーが起動しているため、今の簪には数百メートル先の景色もよく見える。
センサー関連のチェックを一通り終えて、今度はエネルギーとスラスター関連のチェックを行う。
(エネルギー供給システム、第一バイパスに問題あり……。修正、臨界値からマイナス三……、完了。姿勢保持スラスター……問題無し。加速時のシールドエネルギーを展開……)
特に大きな障害も無くテストをしていく簪であったが、シールドエネルギーを展開して数秒後、機体ががくんと傾いた。
加速をやめて機体を減速させて、コンソールで確認すると、原因も解明できた。
(シールドエネルギーが展開時に相互干渉……それでPICが反転……)
どうやら両腕部のシールドエネルギーに問題があるようで、簪はすぐに調整する。
(展開時のポイントを調整……。干渉領域からずらして、空気抵抗減推進補助角錐を、機体の前方六センチへ……。それから、脚部のスラスターバランスを四マイナスで再点火……)
調整が完了した簪は、IS学園の象徴的なタワーの周囲を旋回飛行した。
(やった……出来た……!)
一人で出来た。やり遂げた。これで――。
簪がそう思った瞬間だった。
打鉄弐式の右脚。そのスラスターがチカチカ、と点滅している。
――それが突然、爆発した。
「な、何が!?」
爆発の衝撃と、片足の推進力が失われたことで、打鉄弐式は大きくバランスを崩した。機体を制御出来ず、打鉄弐式は空中でもがくように飛び回る。コンソールを開いてみても、表示されるのはエラーの数々。
(反重力制御が効かない……!? どうして……!?)
簪の制御を離れた機体は、ついに加速をし始めた。向かった先は、タワーの壁。――つまり、衝突する。簪の顔が青ざめた。
(だ、ダメ……! 止まって……!)
必死に念じても、システムダウンを起こした機体は反応しない。何の手段もないまま、タワーの壁はぐんぐんと迫って来ていた。
もう駄目だ。ぶつかる。
それを悟った簪は目を固く閉じ、来るであろう衝撃に備えた――。
耳をつんざく轟音と、壁が壊れた破片がパラパラ当たる感覚。
(あれ……?)
しかし、何故か衝撃が来なかった。どこか温かさを感じる、不思議な感覚。
目を開けると、そこは蒼い空間だった。
「――だから、聞いただろう? それでいいのか、と」
背中から聞こえる声。それは――。
「……天羽、くん……!」
簪の後ろには、蒼い翼で簪を包む翔と蒼炎の姿があった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
まったく、言わんこっちゃない。
呆れた顔で更識を見ていると、更識は困惑した表情で俺に聞く。
「天羽、くん……!? どうして……」
「良かったな。俺がアリーナから出て行っていなくて」
あの後、俺は確かにピットを出たが、何も第六アリーナのピットは一箇所ではない。他のピットから、こっそり出て来た。更識は必死になっていて分からなかったようだが。
激突する寸前、俺は
光の翼で保護したので、俺自身のダメージは大分軽減されている。流石にゼロではないが。まあ、挟まった俺がこんな程度だから、更識へのダメージはほぼ無いだろう。
それよりもっと問題なのが、受け止めたせいで体が密着してしまっていることだ。案の定体温が上昇、体がぶるぶると震えそうになっている。しかし、こんなタイミングで赤くなるのも締まらない上に格好悪いため、何とか気合で抑え込んだ。
どうしてここにいるのか、という質問にちゃんと答えたはずなのだが、更識が聞きたいのはそこではないらしい。
「ち、がう……! そうじゃない……!」
「なら、何だ?」
「どうして、私なんかを……!」
……何だ、そんなことか。
「友達だろう?」
「……ッ!」
何を驚く必要がある。一緒に作業して、話をして、飯を食う。それで充分、友達だ。
「違うか?」と俺が尋ねると、更識は顔を赤くして、
「……ち、違わ、ない……」
「そうだろう? なら、それでいいじゃないか」
「……うん」
更識が頷いたのを見て、俺は微笑んだ。
――布仏。最初はお前に頼まれたことだったが、今は違う。更識と友達になれて良かったと、心から思う。
「更識」
「……何?」
「後で、整備科の先輩たちに頼みに行こう」
勿論、更識の専用機を完成させるために。
更識は俯いた。
「頼ることの何が悪い? 一人で困ったら誰かを呼べ」
「……でも、あの人は……姉さんは……」
「あの人も全て一人で組み上げたわけじゃない。整備科に手伝ってもらったらしいぞ」
「!」
驚く更識。
まあ、噂には尾ひれが付くものだ。噂が伝わっていく内に、一人で完成させたという内容に変わっていったと考えれば不思議ではない。
ISを構成する要素は多種多様且つ複雑怪奇。だからどの工房もチームを作って、分業してISを作っている。それを全て一人でやろうとするなんて、無謀もいいところだろう。
――世界でただ一人、例外がいるが。
「それに、もうお前にはちゃんと頼れる友達がいるだろう? 俺と、もう一人」
「……本音の、こと?」
「そうだ。あいつ、心配してたぞ。お前が上手くやれているか」
「……本音……」
「遠ざけてやるなよ。あいつはのほほんとしているが、友達思いのいい奴だ。……まあ、そんなことわざわざ俺に言われるまでもないだろうが」
「……うん」
更識は頷いた。
そう、一人にこだわる必要なんてどこにも無いのだ。完璧な人間なんていない。誰もが不完全で、だからこそ人はその欠けた部分を他人に埋めてもらい、自分も他人の足りないところを補う。そうして、前進していく。まるで、欠けた部分を互いに埋め合って完成する、パズルの絵のように。
俺の欠けた部分、それは愛情『だった』。天涯孤独故に、誰にも愛されず、孤独に生きたあの頃。生きることが苦痛でしかった。ただ、無償の愛が欲しかった。
だが今、俺は満たされている。無二の友である一夏と出会い、束に救われ、俺を好きと言ってくれるセシリアに、友として俺を尊重してくれる鈴音やシャルロット、お兄様、と笑顔で慕ってくれるラウラに出会い、満たされた。
束に、仲間たちに、俺は救われた。だから、俺はあいつらといたいと願う。男性であるにも関わらず、ISを操れるこの力は、そのためにある。
『ちょ、ちょっと、大丈夫!?』
騒ぎを聞きつけた管制の先生が緊急通信を俺に繋いだ。
「問題ありません。俺も彼女も無傷です。が、タワーの壁を一部破壊してしまいました。申し訳ありません」
『あっちゃ~……。まあ、怪我が無くて良かったわ。とにかく、後で職員室に来て。事情を聞くから。……あ。名前は?』
「一年一組の天羽翔です」
「……い、一年四組の、更識簪です……」
『天羽くんと、更識さんね。分かったわ。じゃあ、事情聴取をするから、後で職員室に来てね』
「了解しました」
通信は切れた。
さて、これから職員室に行かなければならないわけだが……。
「更識、飛べるか?」
更識は首をふるふると横に振った。PICは最低限生きているものの、システムがダウンしていて、機体が全く動かないらしい。
なら、覚悟を決めねばなるまい。
――更識を抱き上げて降りる覚悟を。
「……ふぅー」
一度大きく深呼吸。
さて、やるか……。
「すまない。……先に謝っておく」
「え? ……どういう――」
更識が言い切る前に、俺は光の翼を開き、更識を横抱きに抱き上げた。
「きゃああーっ!?」
悲鳴は初めて聞いたな、などと下らないことを考えたのは最初だけで、俺はすぐに頭の中を真っ白にした。
「や、やだ……っ、お、降ろして……!」
更識は顔を真っ赤にして無駄な抵抗をした。
「いいのか? 今降ろしたら死ぬぞ?」
口から出る言葉は全て脊髄反射。脳では思考していない。その言葉を受けて、更識はぴたりと止まった。
それからの俺は、本当に無心だった。余計なことが全く頭をよぎらない、何も考えない、感じない未知の境地に至っていた。
(煩悩退散、無心不動、心頭滅却。さらに煩悩退散、無心不動、心頭滅却……)
そんな状態の俺が、気づくはずはなかった。
――俺を見上げる更識の瞳が、どこか熱の篭ったものだったことには。