IS インフィニット・ストラトス ~天翔ける蒼い炎~   作:若谷鶏之助

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 サアアアア、という音と共にシャワーノズルから熱めのお湯がふき出し、水滴は肌に当たっては弾け、セシリアのボディラインをなぞるように流れていく。白人にしては珍しく均整の取れた体と、そこから生まれる流線美はセシリアの自慢の一つでもあった。

 すらっと伸びた白い脚は艶かしくもスタイリッシュで、そこらのアイドルでは相手にもならないほどである。胸は同年代の白人女性と比べれば慎ましいものではあったが、それはセシリアの体全体のバランスの良さを際立たせていて、むしろ魅力的ですらあった。勿論、日本人女性と比べれば十分なサイズである。

 

「――天羽、翔……」

 

 今日、何度呟いたか分からないほど、呼んだ名前。唇に手を当てて、何度も呼んだ。その度、シャワーの温度が上がっていくような気がした。セシリアは、その翔のことで頭がいっぱいだった。その頬が赤いのは、果たしてシャワーの熱か、それとも――。

 

(どうして、こんな気持ちになるのでしょう……)

 

 今日の試合、自分は完璧に負けた。それでも、今の気分はそれほど悪くなかった。むしろ良いとさえ言える。

 最初の印象は最悪の一言に尽きた。男性のIS操縦者というだけちやほやされ、さらには束の弟子を名乗る。無愛想極まる接し方、そして傲慢とも言える態度に、途轍もなく腹が立った。でも、そうやって自分に正面から喧嘩を売ってくる彼の存在を一番特別視していたのは、他でもないセシリアだったのかもしれない――。

 

 

 

 セシリアはイギリスの名家、オルコット家に生まれた。幼い頃より次期当主となるべく、母から様々な教養、学問を叩き込まれた。その中には厳しいものもあったが、まったく苦には思わなかった。彼女自身、自らの出自に誇りを持っていたし、何よりそれが多忙な母と触れ合える数少ない機会だったからだ。

 彼女の母である先代オルコット家当主は強い人だった。世界が女尊男卑になる前から、女の身でありながらいくつもの会社を経営し、成功を収めた優秀な人だった。厳しい人だったが、セシリアにとっては理想そのものだった。

 そんな母と対称的に、父は母の顔色ばかり伺う、はっきり言って情けない人だった。婿入り養子として名家に入った父であったが、それを差し引いても気の弱い人間だった。セシリアはそんな父が大嫌いだった。「将来父のような人間とは結婚しない」と幼いながらも思わずにはいられなかった。そして、ISが出現してからは、父の態度はますます弱いものになった。あまりに情けないその様子に、母はもはや鬱陶しがっていたようにさえ思える。何故、お父様とお母様は結婚し、わたくしは生まれたのでしょう。そんな疑問がふとよぎるも、セシリアは見て見ぬふりをし続けた。

 しかし、その両親はもういない。既に事故で亡くなっている。セシリアが十歳のときだ。晩年の完全に冷え切った関係だった両親は、たまたま一緒だった列車で事故に遭って亡くなった。笑えない皮肉な話だと思う。

 両親の死後、まだまだ子供であったセシリアの元には、年不相応の莫大な遺産が残った。遺産を抱え込んだ薄幸の美少女……そんな絶好の「獲物」を、周囲の大人たちが見逃すはずはなかった。ありきたりな賛辞、口だけの慰め、そして下卑た下心が見え透いた甘い口説き文句。彼らの本心を見抜いていたセシリアは、それらを一切耳に入れなかった。しかし、母の教育が無ければどれか一つに引っかかっていたかもしれない。そのような大人たちからオルコット家の財産や誇りを守るには、力が必要だった。権力でも武力でも構わない。家と使用人たちを守るため、セシリアは死に物狂いで努力した。

 そのとき、偶然受けたISの簡易適正検査でA+を出した。一般的な女子の適正がC~Bに収まることを考えると、セシリアは逸材と言って違いない存在だった。それを見たイギリス政府は、代表候補生になることを条件に、財産保護に協力することを申し出た。願ってもないことだった。セシリアはその提案に飛びついた。それから、試作型の第三世代ISの試験者に選ばれ、稼働データと戦闘経験値を得るため、IS学園へ入学が決まった……ちょうど、その頃だ。

 

「あ、ISを男が……!?」

 

 新聞の大見出しを見たセシリアは、目を疑った。世界で初めて、男がISを動かした。しかも、その男は特例でIS学園への入学が決まったと言う。それだけで驚きだと言うのに、後日二人目も発見された。世界に衝撃をもたらしたニュースに、セシリアはひそかに期待していた。

 父のような弱い男性、あるいは両親の死後近寄ってきた邪な男性しか知らないセシリア。恋に落ち、共に子を育てる「男」が、そんな存在だとは思いたくなかった。男性が大嫌いである反面、セシリアは確かな強さを備えた男性に会いたい、自分の男性観を変えてくれるような男性に会いたい、と……そう思っていた。ISという力を得た者なら、少し違うかもしれない。IS学園で、強い男に出会えるかもしれない。そんな期待を、胸に抱いていたのだ。

果たして、その期待は現実のものになった。

 天羽、翔。

 自己紹介は非常に簡素だった。無気力な印象さえあった。しかし、実際に話してみて印象はがらりと変わった。内に秘めた確かな自信と、強気な宣言。ひと度ISを纏えば、その黒い瞳は力に満ちて輝きを放つ。

 

「俺の、勝ちだな」

 

 セシリアを負かした彼は、その目でセシリアを見下ろし、不敵に笑ったのだった。悔し涙で目が滲む傍ら、心臓はどくんどくんと脈打って止まらなかった。

 そう、セシリアは出会ってしまったのだ。天羽翔に。ずっと求めていた、強さを持つ男に。

 

「――天羽……翔……」

 

 もう一度口に出して彼を呼んでみた。その響きだけで、セシリアの胸の鼓動は高まっていく。

 どうしてだろう。彼のことを想うと、胸が苦しくなる。こんなにも、切ない気持ちになる。でももっと知りたい。近くで感じたい。そんな、初めての気持ち。

 

「…………」

 

 だが、まずすべきことがある。

 セシリアはそう決心すると、蛇口をひねり、バスルームを出た。

 

 

 

 ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 

 

 

 俺は夕食の後部屋へ戻ると、ベッドに倒れこむ。

 

「疲れた……」

 

 本当に今日は疲れた。もともと女性だらけの空間にいて精神的に疲労しているのに、それに加えて連続で二試合もしてしまったので身体的にも疲れた。試合後にクラスメイト皆にもみくちゃにされたのも効いている。

 クラス代表決定戦は俺が優勝し、普通なら俺がクラス代表になるはずだが、代表としてクラスをまとめるなどという面倒事は勘弁願いたいので一夏に押し付けることにした。一夏の成長に貢献するとか適当な理由をつけて織斑先生に言ったら、先生は簡単にオーケーしてくれた。その旨は明日クラスメイトたちに伝えられるだろう。

 もう今日はさっさとシャワーを浴びて寝る。だがそんなとき、声が脳内に響く。

 

「はろー!」

 

 こ、この声は……。

 

「やあやあしょーくん! 元気してたかい?」

「束……」

 

 いつもに増して束のハイテンションに殺意が湧いた。もし今目の前に束がいたら即刻叩きのめすに違いない。

 直接声が聞こえてくるのは、この通信が蒼炎を通して束のみが使えるチャンネルで行われているからだ。

 

「突然何の用だ、束」

「ふふふ、別に用はないよ~。ただ、IS学園に入ってどんな感じか聞きたかっただけだよ」

 

 そんなことなら今聞かなくてもいいだろうが。ピンポイントで俺が嫌だと思うタイミングを狙っている気がした。

 

「思ったよりいい場所だ。部屋もいいし、今のところ問題は無い」

「女の子はいっぱいだけどね~、えへへへ! ぶっ倒れてないかーい?」

「うるさい、ウサミミもぐぞ」

「うあああんっ!? しょーくんが酷いこと言ったー! 束さんはそんなことをいう子に育てたつもりはない~!」

「誰がだ!」

 

 束の子供にだけは絶対になりたくない。もし母親がこんな変質者だったら、恥で死ねる自信がある。料理はできんわ、洗濯はせんわ、片付けはせんわの三拍子揃った母親だ。絶対に要らない。この六年間、俺がそれらすべてをこなしていたことを忘れたとは言わせない。

 

「蒼炎は?」

「こいつも問題ない。武装もいい感じだ」

「そっかあ……」

 

 俺の答えに、束は嬉しそうに返した。少し寂しさが滲んでいた気がする。

 

「まあ、元気そうでよかったよ。じゃあね~」

 

 結局束は散々言いたいことだけを言って俺の意識から去っていった。

 

「あいつ、無駄に俺にストレスを……」

 

 束を撃退するのだけで大分疲れた。限界が近かった。疲労に重なる疲労で、眠気も凄まじい。とにかくシャワーを浴びようかと思ったときだった。コンコン、と俺の部屋のドアがノックされた。

 誰だろうか、こんな時間に。門限間際だぞ? ドアの方まで行くと、外から声が聞こえてきた。

 

「あの、天羽さん? いらっしゃいますか? セシリア・オルコットですわ」

 

 オルコット? 何故?

 

「その、お話したいことが、ありまして……」

 

 別人のように大人しい口調だ。ドアを開いた。

 

「こ、こんばんは……」

 

 金色の髪が濡れていて、いい匂いがする。シャワーを浴びたのだろうか。何を考えて、そして誰から聞いてここにきたのかまったく読めないので、とりあえず今まで通り「何の用だ」とキツく返してみる。オルコットはびくりと体を震わせ、俺から視線を逸らした。

……ダメだ、読めないな。

 

「何故、ここが俺の部屋だと知っている?」

「ば、場所は織斑さんに聞きましたの!」

 

 一夏め。余計なことを。

 

「クラス代表の件か? 譲って欲しいなら譲るぞ」

「ち、違いますわ! わ、わたくし、あなたとどうしてもお話したくて、それで……!」

 

 必死に訴えてくるオルコット。試合後から思っていたが、どうにもオルコットの態度がおかしい。昨日までのオルコットなら、一夏に聞いてまで俺に会って話そうとはしない。追い返すのも酷か。

 

「まあ、立ち話も何だ。中に入るといい」

 

 廊下で話して見られる方が困る。「し、失礼します……」とオルコットが俺の部屋へ入った。まさか記念すべき初来客がオルコットだとは考えもしなかった。ソファなどはないので、俺はオルコットをベッドの上に座らせ、しっかり一メートル以上距離を置いて隣に座った。オルコットに話を促した。

 

「あ、あの、その……」

 

 言いにくそうにもじもじとするオルコット。このままではいけない、と思ったのだろう。天羽さん、と言って立ち上がった。

 

「数々の非礼、本当に申し訳ありませんでした! どうか、お許しください……!」

 

 オルコットはそう言って、俺に深々と頭を下げた。予想だにしなかった言葉に面食らった。あれだけいがみ合っていたから、急にそんなことを言われたら戸惑う。オルコットは頭を下げたまま、俺の言葉を待っている。門限も近いというのに、わざわざこれを言いに来たらしい。律儀なやつだ。

 咳払いを一つして、オルコットに話しかける。

 

「……顔を上げてくれ、オルコット」

「……え?」

「もういい。俺は怒っていない」

 

 俺は微笑んで言った。本当のことだ。

 

「で、ですが、わたくしはあなたに――っ!」

 

 俺は手でオルコットの言葉を止めた。

 

「確かに最初はイライラしたが、今日の試合で分かった。オルコットには代表候補生として、相応しい実力があると」

「天羽さん……」

 

 俺は内心、オルコットの評価を改めていた。試合こそ俺が勝ったが、オルコットの実力も決して低くはなかった。特に射撃は正確だった。反動制御、位置取り、軌道予測、その他もろもろは一級品であり、日々の努力の賜物であることは簡単に想像できた。俺がその射撃を回避できたのは、俺が多くの戦いで得た経験による。普通の人間なら、初見で蜂の巣にされていただろう。

 

「あの試合で、お前の努力は理解できた。その努力をけなすようなことを、俺は言ってしまったな」

 

 今にして思えば、彼女が怒ったのは当然だったのかもしれない。俺も言い過ぎた。そして、IS学園で負けることはないと高をくくり、弱いと罵倒した。言うまでもなく、恥ずべきことだ。その結果が、先のオルコットの試合で貰ったカウンター。相手の実力を見誤り、迂闊な攻撃を読まれ、窮地に立たされた。蒼炎の能力に助けられたから良かったものの、訓練機だったら即試合終了である。要は、俺は天狗になっていたのだ。

 そんな俺が、失礼を侘びに来た彼女にすべきことは一つ。

 

「……すまなかった」

 

 俺も頭を下げた。

 

「い、いえっ、そんなっ、わたくしは……!」

 

 突然のことにおろおろと慌てるオルコット。とりあえず頭を上げてくれというので、そうさせてもらった。言いたいことが言えたおかげか、少しすっきりした表情のオルコットはぽつぽつと語り始めた。

 

「……わたくし、男が大嫌いでしたわ。本国で出会った男は、皆弱々しくて、卑劣で。で、ですから、あなたのような男性は初めてでしたの! わたくしと正面から向き合って、戦って、負かした男性なんて……」

 

 恥ずかしいのか、ちらちらと目線を外したり合わせたりしながら、オルコットは赤くなる。確か、イギリスの代表候補生だったか。本国では、ろくな男がいなかったのだろう、だからあのような嫌悪感むき出しの態度だった。

 しかし、それはこの場では関係の無いことだ。オルコットにどんな理由があろうと、俺への態度に失礼があったことは変わらない。だから彼女はそれを詫びた。俺も自らの非礼を詫びた。ここにいるのは、いがみ合い、ぶつかりあったあとに、お互いを見直した者同士。

 俺は一つ提案することにした。

 

「オルコット」

「は、はいっ」

 

 オルコットが、少し俺の方へ身を乗り出した。上目遣いの目に浮かぶのは、期待、疑問、ほんの少しの恐怖。

 

「今回のことは、お互い様ということで水に流さないか? お互いに許して、終わりにしよう」

「天羽さん……」

 

 オルコットの大きな瞳が喜びに彩られた。ありがとうございます、と嬉しそうに言う。

 俺だってずっといがみ合うのは好きじゃない。人間は仲良くできるならそれに越したことはないのだ。

 

「まあ、その代わりにと言っては何だが……」

「代わりに……?」

 

 首をかしげるオルコットに、俺は微笑んだ。

 

「友達になる、というのはどうだ?」

 

 オルコットは驚いた様子だったが、すぐに表情がぱあっと明るくなる。

 

「は、はいっ! 是非っ!」

 

 手を胸元で組んで、オルコットはこくこく頷いた。そんな嬉しかったのか、と思わず苦笑した。

 

「……そういえば、俺たちはちゃんと自己紹介していなかったな」

 

 俺が思い出したように言うと、オルコットも「あっ、そうでしたわ!」と手を口に当てて言った。

 こほん、と咳払いを一つして、オルコットと一緒に立ち上がった。そして、真っ直ぐ向き合った。

 

「……天羽翔だ」

「イギリス代表候補生、セシリア・オルコットですわ」

 

 オルコットが手を差し出したのに、顔が渋った。いや、握手をしようという簡単な合図なのは誰が見ても分かるのだが……。

 

「……ど、どうかしましたの?」

「……いや」

 

 まさかこの状況でやらないわけにもいくまい。オルコットの白魚のような右手に、俺も右手を重ねた。いつもの反応が出そうになるのを全力で堪え、「これから、よろしく頼む」と一言。

 

「はいっ!」

 

 オルコットはそう言って、笑った。

 それは、オルコットが初めて見せる、年相応の愛らしい笑顔だった。

 こうして、俺に、IS学園での最初の友達ができた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――あの、天羽さん」

「なんだ?」

「汗をかいていますけれど……」

「……オルコット。この際、言っておきたいことがある」

「な、なんですの?」

「――俺はな、女性が苦手なんだ……」

「えええーっ!?」




これで第一章終了となります。
第二章は10月25日(日)から投稿開始です。

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