IS インフィニット・ストラトス ~天翔ける蒼い炎~ 作:若谷鶏之助
「…………」
無言のまま、時間が経っていく。
「天羽、翔?」
「ああ、そうだ」
俺のことは知っているようだ。まあ、当たり前だな。
「何で、私のこと知ってるの……?」
「入学当初ならともかく、もう二学期だぞ。流石に学年の代表候補生くらい把握している」
更識簪。一年四組のクラス代表にして、日本の代表候補生。
そして、専用機を持たない代表候補生だ。
「何か用……?」
「ただの見学だ」
「そう……」
それだけ言うと、更識簪はまたISらしきものに向き直って作業を再開した。俺のことはどうでもいいらしい。
俺も何の用事もないので、すぐに部屋を出た。そこには、トイレに行ったはずの布仏が。
「布仏? トイレは――」
「しー! しー!」
口に手を当てて、必死に俺を黙らせようとする布仏。聞こえるのがダメなのか。
今度はひそひそと小声で話しかけた。
「……で、どうした? トイレは?」
「ご、ごめんなさーい、あれ、嘘なんだー」
「はあ?」
「と、とにかく! かんちゃんはどうだった?」
「かんちゃん? ……ああ、更識簪か。一人黙々と作業をしていたが?」
「そ、そっかあ……」
どこかぎこちない布仏の態度で、俺は理解した。
「……お前、俺を使って何かしようとしてるだろう?」
ぎくりとする布仏。図星だ。
「あ、あはは~。何のことかな~?」
「とぼけるな。正直に話せ」
全く、こいつは普段のほほんとしているくせに、腹に一物持っていたりするから困る。結局、まんまと連れてこられてしまった。
「あ、あのね~、私って、かんちゃんの専属メイドなんだ~」
「確か、布仏家は代々更識家のメイドをしているんだったか?」
「そ、そうなんだよー」
「それは分かった。それで、俺にどうして欲しい?」
俺が問い詰めると、布仏は「うー」と遠慮がちに口を開く。
「あ、あのね、あもー。かんちゃんとたっちゃんを仲直りするのを手伝ってくれる……?」
布仏は手を合わせて、というか袖を合わせて言った。
たっちゃん。会長のことだろう。
「たっちゃんとかんちゃん、仲が悪いんだ~。私が何とか出来れば良かったんだけどー……」
「それで、何故俺に?」
「あもーなら、たっちゃんとは面識があるし、かんちゃんとは初対面だからねー。私がかんちゃんに会いに行ったらたっちゃんから言われたのか、って疑われちゃうからー……」
事情は中々に複雑らしい。
俺が行っても同じじゃないか、とも思ったが、俺には専用機の調整という「大義名分」がある。
「それで、俺はどうすればいい?」
「まずはかんちゃんと仲良くなってくれたらいいかなー?」
「また難しいことを……」
友達になる、というのは俺の最も苦手とすることの一つだ。その上、さっきの更識の様子を様子を見ると、更識も俺同様、相当厄介な性格をしていると見ていい。そこから仲良くなって会長と仲直りさせろと?
「こ、これはたっちゃんのためでもあるんだよー。たっちゃんだって、かんちゃんと仲直りしたいって思ってるから。だ、だから、お願いしまーす!」
「…………」
仲の悪い姉妹。そう言われると、とある姉妹が思い浮かぶ。俺はその二人を仲直りさせようとしている。まあ、二人がいる場所がばらばらだから難航しているわけだが、俺はそれを諦めたわけではない。今回の場合、二人のいる場所は非常に近い。それを考えれば……。
はあ、とため息が出る。全く、どうして毎月のように面倒事が転がってくるのだろう。
「――布仏、これから先輩方に頼みに行くぞ」
「えー? 何を?」
「俺を更識のいる場所で作業させてくれ。そう頼むからな。それくらい協力しろ」
「えっ!」
布仏の表情がぱあっと明るくなった。
「あ、ありがとー、あもー!」
「それはうまく行ったときまでにとっておけ」
礼を言うのはまだ早い。
会長に貸しを作っておくのも悪くないだろう。良くない言い方かもしれないが、これは予行練習だ。もっと難儀な姉妹が、すぐ近くにいる。それを考えれば、ますます悪くない。
「やっぱりなんだかんだでお人好し~!」
「やかましい」
まあ、俺に任せておけ。姉妹の一つや二つ、何とかしてみせるさ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
その後。布仏と二人で頭を下げて、無事ここで作業をさせてもらえることになったのだが……。
「…………」
「…………」
き、気まずい。
俺たちの間にあるのは、無言のみ。機械音だけが、静寂に包まれてしまいそうなこの空間を何とか繋ぎ止めている。
更識簪と二人、背中合わせで作業をしているが、仲良くなるどこか会話一つ生まれない。最初にここで作業することになったときも、まるで害虫を見るかのような目で見られた。余程邪魔だと思われているらしい。
何とかしてみせる、とは言ったものの、これは苦労しそうだ。
「…………」
ここで作業を始めて既に一時間ほど経つが、俺も、更識も、一言も発しない。
正直のところ、俺はいつ話しかければいいか分からない状態だった。どんな話を切り出したらいいかも分からない。
そう思っていたときだった。
「……生徒会が何の用……?」
背中の方から、更識簪の声が聞こえてきた。
皮肉たっぷりの一言だったが、俺にはその方がやりやすい。
「俺は生徒会としてここにいるわけじゃない。専用機の調整をしているだけだ」
「ここでやる必要、ない……」
「仕方がないだろう? ここでやってくれと言われたものは」
嘘だ。だが、既に先輩方とは口裏を合わせてある。
「……邪魔」
……ついに本音が出たな。
「何様のつもりだ。ここはお前だけの空間じゃないはずだが?」
更識が整備科の作業室を借りている以上、俺を追い出すことは不可能だ。
「お前は何をしている?」
「あなたには、関係ない……」
「俺が力になれるかもしれないのにか?」
「助けは、必要ない……」
「孤独だな」
「余計なお世話……」
この応酬の後、俺たちの会話は途切れてなくなった。
きっかけは生まれた。これからの展開は、俺の頑張り次第と言ったところだろう。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「えええー!? 簪ちゃんと友達になるぅ!?」
「はい」
会長が驚いた顔で言った。ここまで驚いたのは初めて見た。
今日のことで会長に尋ねたいこともあったので、生徒会室へ来ていた。
今は会長と俺以外には誰もいない。部屋の中には副会長の机、そして新たに庶務になった一夏の机が置いてある。
「な、何で翔くんが?」
「布仏に頼まれたので」
「本音ちゃんが……」
何とも言えない複雑な表情の会長。色々と事情がありそうだ。
「……か、簪ちゃん、私のこと、何か言ってた?」
会長がおずおずと俺に質問する。遠慮がちなその様子は、人たらしとまで言われるこの人とはかなりギャップがある。
こんな会長、なかなかにレアだ。
「別に何も。ほとんど会話もしていませんから」
「そ、そっかあ。そ、それなら仕方ないかー。あはは……」
「…………」
会長が会長らしくない。いつもなら、こんなはっきりしない態度を取らない。
妹との関係はかなり耳の痛い話と見える。まさか会長にこんな弱みがあったとは。
「……妹さんとの話、聞かせてもらえますか?」
言いたくないことかもしれないが、是非聞いておきたかった。情報はあるに越したことはないのだ。
一瞬迷いを見せた会長だが、ふう、と息を吐き出して、ぽつぽつと話し始めた。
「簪ちゃんとはね、最初からずっと仲が悪かったわけじゃないのよ。ううん、むしろ、小さい頃は仲が良かった歳も一つしか変わらないから、昔は二人でよく遊んだし」
当時を思い出しているのか、会長は柔らかく微笑んで話す。だが、その表情も徐々に曇り始めた。
「でも、大きくなっていくにつれて、ちょっとずつ距離が出来だしてね。ちょうど、私が更識家の当主になったとき。そのときを境に、あの子が露骨に私を避けるようになったの。高校に入ってからは、もうほとんど会話してないかな?」
「…………」
こんな会長は初めて見る。負の感情を隠すことなど造作もないはずなのに、それを隠そうともしない。
会長と、妹の間に生まれてしまった確執。それは、会長の優秀さ故だろう。更識簪は、常に姉と比べられることで劣等感を抱いていたに違いない。
俺は約束通り、更識簪と友達になるつもりだ。だが、問題がある。布仏は、会長と妹を仲直りさせようと、俺に頼んできた。俺は、会長妹を繋げるようにはするが、それはあくまで仲介するだけ。最終的に、会長と更識簪の意思がなければ意味がない。お互いに、歩み寄っていこうとする意思が無ければ。
「会長。一つ、言っておきたいことがあります」
「何?」
俺は、その言葉を紡いだ。
「――何を恐れているんですか?」
「あ……っ!?」
会長は目を丸くした。
会長は恐れている。俺はそう確信していた。会長はあの手この手で他人に迫ってたらしこむ、人たらしだ。その会長が、仲の良かった実の妹とぎくしゃくしている。それはつまり、会長が距離を縮めようとしていないということ。
相手が実の妹なのに――いや、実の妹だからこそ、会長は拒絶されることを恐れている。それだけ、妹のことが大切であるということでもある。
「俺が、必ずあなたたちを繋いでみせる。だから、恐れないでください。歩み寄ることを」
「翔くん……」
「恐れる、なんてあなたらしくありません」
俺たちの長なら、それ相応に振舞ってもらいたい。
俺がそう締めくくると、会長はあはは、と笑った。
「まさか翔くんにお説教されるとは思わなかったなあ。年下の君に諭されるようじゃ、私もまだまだね」
会長は苦笑した。
「――でも、君の言った通り。私は簪ちゃんに向き合うことを恐れてる」
俯きがちに出る言葉。深く、そして弱い。
「でもやっぱり、怖いよ。簪ちゃんに拒絶されるのは、怖い。だから……」
会長はその言葉を心の底から、ゆっくりと引き出していく。
「……君に、頼ってもいい?」
俺はふっと微笑を浮かべた。
――その言葉さえ聞ければ、充分だ。
「任せてください」
俺は躊躇いなくそう言った。