IS インフィニット・ストラトス ~天翔ける蒼い炎~   作:若谷鶏之助

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 セシリアと無事仲直りした俺は、適当に二人で歩きながら話していた。

 校舎の中に入って手は放した。余計な火種は作らない方がいいに決まっているしな。

 歩いている間、横を見れば、常ににこにこしたセシリアが。セシリアは今までにないほどご機嫌だった。その胸元には、金に輝く太陽が見える。

 

「それは、付けてくれているんだな」

 

 俺がそう言うと、セシリアは頬を紅潮させて目を逸らした。

 

「これは、肌身離さず付けていますの。翔さんからの、大切な贈り物ですから」

「…………」

 

 ……そんな風に言われたら、照れるだろう。

 暫しの静寂の後、セシリアは行きたい場所を見つけたのか、目当ての場所を指差した。

 

「翔さん、あそこは如何ですか?」

「……オーケストラ部?」

 

 セシリアは、にこりと笑って頷いた。

 ブラスバンドではなく、オーケストラか。高校生らしくないといえばらしくない。部員はいるのだろうか?

 

「セシリアは確かヴァイオリンが弾けるんだったか?」

「ええ。ピアノも多少は」

「俺は昔から楽器はからきしでな。小学校のときのリコーダーもまったく出来なかった」

「ふふ、翔さんにも不得意なことがありますのね」

「それは、な」

 

 何でもできる人間なんていない。

 

「さあ、参りましよう!」

 

 今度はセシリアが俺の手を取って歩き出した。と、同時に俺の体温が急激に上昇する。

 

「や、やめてくれっ、不意打ちは!」

「……翔さんは苦手なのか大丈夫なのかどちらなんですの?」

 

 確かに、さっきは俺から手を握った。しかし、俺の本質は変わっていない。最近慣れてきたとは思うが、こう、勢い的なものが必要なのだ。

 

「……苦手だ」

「もう……」

 

 ……自分でも気にしているから、あまり言わないで欲しいのだが。

 扉を開けると、中は小さなステージになっていた。どうやら小規模の演奏会をするような形式らしい。客はおらず、今はオーケストラメンバーの人だけが中にいた。

 

「あ、天羽くんだ! いらっしゃい!」

「ほんとだ、天羽くんだー!」

「…………」

 

 きゃーきゃーと声を上げるオーケストラ部員の皆様。

 この歓迎のされ方には慣れたはずなのだが、どうにも……。

 

「……どこでも人気ですわね」

 

 セシリアが俺をじとーっと睨む。

 ……仕方がないだろう。

 

「ごめんねー、今ちょうど演奏し終わったところなの」

「そ、そうなんですの。残念ですわ……」

「ところで、どうしたの? まさか二人で仕事の合間のデート?」

 

 指揮者らしき人に尋ねられて、セシリアは真っ赤になって黙り込んだ。

 ……セシリア、沈黙は肯定と同義だということを知っているか?

 

「なるほどねー。仲良しで有名だもんねー、二人」

 

 つい数十分前まではそうではなかったが……っておい待て。今仲良しで有名、と言ったか? なら、それは校内で知れ渡っているのか?

 恐ろしい。俺、そして恐らく一夏も、誰と仲良くしているかは全校生徒にチェックされているのか……。

 

「うーん、どうしましょうか。せっかく来てもらったのに何もしないのもねえ……――あっ」

 

 揮者の人が何かを思いついたようだ。

 

「オルコットさん、楽器は弾ける?」

「え、ええ。ヴァイオリンと、ピアノが少し」

「なら、やってみない? 私たちと一緒に」

「ええっ?」

 

 予想外の提案だった。

 

「で、でも、そんな、迷惑ですし……」

「いいのいいの。(……天羽くんにいいとこ見せるチャンスかもよ?)」

「やりましょう! ええ、やりましょう! どの曲を演奏するのかしら?」

 

 俄然やる気になるセシリア。何を囁かれたのだろうか。

 

「これよ!」

「あら、これならやったことがありますわ。問題なくってよ」

「よーし、じゃあ準備して!」

 

 セシリアがそそのかされた感はあるが、こうして俺だけのためにオーケストラ部とセシリアによる演奏会が開かれることになった。ありがたい話である。

 セシリアはヴァイオリンでオーケストラの仲間入りをしていた。借り物のヴァイオリンなので、少しぎこちないようだったが。

 俺は客席の真ん中で座り、演奏が始まるのを待った。

 

「それでは」

 

 指揮棒が上下する。それが振り下ろしたとき、一斉に演奏が始まる。

 ――俺は目は閉じた。瞼が下りて、視界が閉じることで、その分聴覚が研ぎ澄まされる。

 管楽器の頼もしさ、弦楽器の上品さ、太鼓の力強さが、鋭敏化された感覚を通じて心に伝わってくる。オーケストラ部の人たちの努力、セシリアの想い、そんなものまで、音になって俺に届いてくる。

 上手いか下手かなんて、そんなことは俺には分からないし、どうでもいいことだ。こうして俺のために、ただ俺だけのために、心を込めて演奏してくれている。それが、大事なのだ。

 

(俺は――……)

 

 忘れたくない。

 誰かを想って、その誰かのために、何かをする。そんな優しい心を、俺は忘れたくない。

 セシリアの心が近くに感じる。こんな感覚は久しぶりだ。あの、夏休みのとき以来だ。

 今なら理解できる。君がどれだけ俺を想ってくれているか。それが、心から心に、直接伝わってきたから。

 ゆっくり目を開くと、セシリアが俺を見つめていた。

 俺と、目が合う。

 セシリアは頬を染めて、俺に笑いかけた。綺麗に整った顔立ちに、喜びと、恥じらいを乗せて、混ざり合ったその笑顔は、ひどく綺麗で。俺を惹きつけてやまない。

 楽譜を見なくていいのか、と思わないでもなかったが、ありったけの感謝を込めて、俺はセシリア笑いかけてやった。

 

 案の定、思い切り間違えて慌てるセシリアを見て、つい俺が吹き出したのは愛嬌だ。

 

 

 

 ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 

 

 

 あの演奏会の後、俺たちはオーケストラ部の人たちに礼をして、部室を去った。

 演奏してくれた人には、惜しみなく賛辞を贈った。勿論セシリアにも。オーケストラ部の人々がとても喜んでくれたのは良かったが、あの素晴らしい時間を頂いたことへのお返しにはなっていないと思うのだ。そういう訳で、今度別の方法でお返ししようと思う。

 教室の激務の疲れが吹き飛んだように、すっきりとした感覚だ。これなら後半も乗り切れそうな気がする。

 

「これからどうしましょう?」

「すまないが、茶道部室へ行っていいか?」

「茶道部室? ラウラさんの部活でしたわよね?」

「ああ」

 

 俺はポケットから携帯電話を取り出して、セシリアに見せる。開いた画面を見せた途端、セシリアが「ええっ!?」と画面を凝視した。

 まあ無理もない。何故なら、そこにはこう表示されているはずだからだ。

 ――着信、ラウラ・ボーデヴィッヒ、一六三件、と。

 

「ラウラさん……」

 

 呆れるセシリアだが、俺も今回については同意する。

 そんなに来て欲しいのか、と恐れおののいてはならない。我が妹の愛情表現は、熾烈かつ頻繁に行われるのだから。それに応えてやるのが、ラウラの兄たる俺の責務のようなものだ。

 

「……はあ、分かりましたわ」

「ありがとう」

 

 セシリアの了承を得たので、これから茶道部室へと向かうことにする。

 

「おーい、翔!」

 

 その矢先、知った顔に遭遇した。弾だ。そして、隣には知らない男子が一人。

 

「弾か。久しぶりだな。一夏は?」

「ちょっと別行動中だ。なんでも、彼女候補さんたちが一緒に回りたいんだと」

「そうか」

 

 引っ張りだこになっている姿が容易に思い浮かぶ。

 

「あ、紹介する、こいつが御手洗数馬。あだ名はトイレな。ぷぷっ」

「言わなくていンだよんなことはっ!」

 

 弾の横にいた男子――御手洗数馬は、よろしく、と挨拶をした。俺もよろしく、と返した。

 

「一夏とは中学の頃から友達なんだ。天羽は小学校からなんだって?」

「ああ。四年になるまでに引っ越したが」

 

 そうか、と相槌を打つ御手洗は俺の少し後ろのセシリアを見るなり、弾に問いかけた。

 

「お、おい弾! この金髪の超美人さんは誰なんだよ!」

「この人か? この人はセシリア・オルコットさん。イギリスの代表候補生だってよ。んで、翔の彼女」

「か、彼女ッ!?」

 

 セシリアが真っ赤になった。

 

「ま、マジで!?」

「違う……」

「ご、五反田さん、違いますわっ! わ、わたくしと、翔さんはまだそのような関係では……!」

 

 まだ?

 

「わ、悪かった。冗談だって」

「…………」

「ま、まあ、だいたい分かったから。で、二人は今からどこに?」

「茶道部室だ。ラウラがもてなしてくれるらしい」

 

 ――俺がそう言うと、ラウラと既に顔見知りな弾は納得したようだった。

 

「へえー。ラウラちゃんって茶道部だったんだな」

「ああ。あいつは日本文化マニアだからな」

 

 なあ、ラウラって誰だ、と御手洗が俺たちに聞いた。弾が翔の妹だと答えると、御手洗は訝しげに俺を見る。

 まあ、普通に考えればそうだろうな。明らかに名前が日本人ではない。

 

「俺たち、今から別のとこに行くから。翔のクラスには後で行くから安心してくれ」

「……できれば来ないでほしいがな」

「そう言うなって」

 

 弾は笑った。

 最後に一言二言交わして、俺たちは別れた。後でクラスにも来るようだし、また会うだろう。

 

「さて、行くか」

「ええ」

 

 とにかく、今は拗ねているであろう妹の機嫌は取りにいかなければ。

 

 

 

 ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 

 

 

「お兄様っ」

 

 俺が茶道部室の扉を開けるなり、中からぴょんっ、とウサギの如くラウラが飛び込んで来た。

 茶道部らしく、ラウラは和服を着ている。銀髪で眼帯がセットだが、これはこれで中々似合っていた。

 ラウラ以外からも熱烈な歓迎を受けた。先ほどのオーケストラ部と大差はなかったので、特筆はしない。

 

「何で一度も返事をしてくれないんだ!」

「それは悪かった。まあ今来たんだからいいだろう?」

「むう……」

 

 ラウラは言い淀んだ。

 

「来てくれたのは嬉しい。嬉しいが――」

 

 ラウラはセシリアを睨んだ。

 

「セシリア! 何故お前も一緒にいる!」

「あら、わたくしがどこに行こうとわたくしの自由ではなくて?」

 

 セシリアは余裕を持って接しているつもりだろうが、俺の目にはしっかり額に浮かんだ青筋が見える。

 

「私はお前などを呼んだつもりはないぞ!」

「ふふん、器の小さいこと。底が知れますわね」

「……ちっ……! 一生仲直りしなければよかったのだ……」

「何ですって!?」

 

 入り口でぎゃーぎゃーと罵り合う二人。

 一週間ぶりに見る、ある意味見慣れた、セシリアとラウラの口げんかだが、このままでは他の方々に迷惑が迷惑がかかってしまうので、適当に二人を宥めつつ、俺は中に入るように促した。

 

「ラウラ、もてなしてくれるんだろう?」

「……勿論だ」

 

 ぶすっとした表情で準備をするラウラを尻目に、俺と、そしてラウラと同じく不機嫌な顔をしているセシリアは畳の上の座布団に座った。

 ……この二人は、本当に。相性が良いというか何というか。

 セシリアとは一言も話さず、ラウラが茶を持ってくるのを待った。

 

「お待たせした」

 

 ラウラが茶菓子と抹茶をよこした。湯気が上がる抹茶が、俺には和みを与える。

 別の部員からセシリアにも同じものが渡った。

 

「あ、あの……わたくし、茶道の作法などは存じておりませんので、どのように頂いたらいいのか……」

 

 セシリアがおずおずと尋ねたが、ラウラはその心配はない、と答えた。

 

「うちはあまり作法にはこだわらないのだ。気軽に楽しんで欲しい」

「そ、そうなんですのね。安心しましたわ」

 

 実は俺も安堵した。

 昔習った気はするが、うろ覚えだったから、自信がなかった。

 

「お言葉に甘えて、頂くとしようか?」

 

 セシリアはこくりと頷いた。

 まずは、茶菓子を一口。柔らかい求肥を通して、和菓子特有の重厚な甘さを持つ白あんが口の中に広がる。和菓子を食べたのも久しぶりだからか、懐かしさも感じる。

 甘いものは苦手な俺だが、和菓子は別だ。

 続いて、温かい抹茶を一口。ずずーっと茶が舌を通る。菓子の甘さで引き立てられた抹茶の独特の深い苦味がとても心地よい。茶が喉を通ると、おれはほう、と息をはいた。美味い。

 

「結構なお点前で」

 

 茶を立ててくれたラウラに、一礼する。いくら作法にこだわらないと言っても、最低限の礼儀は守る。

 セシリアも俺に倣った。

 

「良かったね、ラウラちゃん」

 

 後ろから部長と思しき人がラウラに言った。

 

「ふふふ、嬉しいよね。大好きなお兄さんに喜んでもらえて」

「そ、そう、だな……」

 

 ラウラはよほど照れくさいのか、珍しくもじもじしている。そこに何人かの茶道部の生徒もやってきて、一緒になってラウラを弄る。その度にラウラは赤くなっていた。

 

「…………」

 

 ――『ドイツの冷氷』、か。

 こんなに柔らかく温かい表情に、冷氷などという言葉ほど、似合わないものはない。

 微笑ましい光景に、自然と頬が緩んだ。

 

「翔さん? どうかしましたの?」

「……ラウラも愛されるようになったと思ってな」

「……まあ、最初に比べれば」

 

 素直に変わったとは言わなかったが、セシリアもそう思っているはずだ。

 ――ラウラはもう、一人ではない。兄である俺と、手強いライバルと、仲間がいる。

 

「お兄様」

 

 ラウラが白い頬に赤みを添えて、俺に話しかける。このタイミングだ、きっと何かねだってくるに違いない。

 

「どうした?」

「……ご褒美に、撫でてほしい」

 

 案の定だ。

 

「……まったく、仕方ないな」

 

 俺はラウラの望み通り、その銀に輝く髪を撫でてやった。

 兄妹になってから、ラウラはこうして髪を撫でてもらうのをよくねだる。落ち着くのだろう。俺のために茶の立て方を学んで、もてなしてくれたのだ、これくらいのおねだりは聞いてやろう。

 

「お兄様……」

 

 ラウラは気持ちよさそうにその小さな体を震わせて、俺に抱きついた。

 

「うわ、絵になる~!」

「ラウラ可愛い~!」

「きゃーっ、写真写真っ!」

 

 衆人環視の中なので、こうなってしまったが、ラウラも俺も気にしない。

 ……後ろからセシリアの射殺さんばかりの嫉妬と羨望の視線が刺さるが、それも今は気にしないことにした。

 

 ――ラウラ、お前は知らないだろうな。

 こうやって無邪気に甘えてくるお前の存在に、どれだけ俺が救われているか。お前は俺が救ってくれた、と言っているが、本当は俺の方がお前に救われているということを。

 勿論そんなことは、面と向かっては言わない。だから、少しでも伝わるといい。触れ合った俺たちの体温を通じて、少しでも。

 


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