IS インフィニット・ストラトス ~天翔ける蒼い炎~ 作:若谷鶏之助
会長が部屋に乗り込んできたことによる弊害は、セシリアの一件のみでは収まらなかった。
「俺は何故夕食後にまた夕食を作っているんだ……」
俺がそう自問してしまうのは、仕方のないことだろう。
そこそこ遅い時間に、独り言をぶつぶつと呟きながらフライパンを振るう。他人から見たら全く理解できない状況だろうが、正直今の状況は俺にも理解できていない。
「――ああ、面倒だ! これから毎日こんなことをするのか、俺は!?」
行き場のない怒りからか、いつもより激しくフライパンが上下していた。
セシリアが激怒して出て行った後、俺は約束通り夕食を作らされていた。会長曰く、自分は約束通り三〇分で帰ってきたのだから、俺もちゃんと言われたことをするべき、ということだ。完全に正論である。
会長は確かに約束は破っていない。破ってはいないが……! だが、何か釈然としない。
あんなに怒っているセシリアを見たのも初めてだ。あんなに怒鳴られたのも然り。セシリアに怒られたのは、正直かなり効いた。
とにかく料理が完成したので、皿に盛って盆に乗せ、部屋へと持っていく。
「……会長、できましたよ」
「わ。ありがとう翔くん! お腹すいてたのよね~」
俺がテーブルに料理を置くと、会長は箸を片手に飛びつくように食べ始めた。
今日はイタリアン。きのことバターのリゾット、スパゲッティ・ポモドーロ、そこにサラダを合わせて彩りを加える。そこにバケットを添えて、完成だ。
「んむぅ~♪ おいしい~!」
美味そうに料理を頬張る会長。例え会長が相手といえども、作った料理を美味そうに食べているのを見て、内心喜んでいる自分が悔しい。負けてもいないのに負けた気がするのは気のせいか否か。
「さっすが翔くんね! 素晴らしい出来だわ」
「……ありがとうございます」
「翔くん、いいお婿さんになりそうね。誰かに取られたら損だし、おねーさんがキープしておこうかしら?」
会長はパスタを口に運びながら、こんなことを言ってきた。損だし、とは何だ。
「丁重にお断りします」
褒めたと思ったらすぐこれだ。油断ならん人である。
「あら? 告白してるのに何もなしかしら?」
「冗談で告白なんてしないでください」
洒落にならない。
「――じゃあ、冗談じゃない、って言ったらどうする?」
今までのちゃらけた雰囲気から一転、会長は真剣な表情で、俺を試すように見た。
「…………」
そうだ、この目だ。何かを含ませていながら、絶対にその本質を悟らせない程の深さを持ったこの目。普段は子供のように振舞っている会長は、たまにこうした目をする。
そして、俺は知っている。これは、明らかに年相応のものではない。こんな目ができるのは、常人には考えられないような経験をしてきた人間だけだからだ。ただの高校生が持っているものとは思えない。
本当に、油断ならない。この人は只者ではないということを改めて思い知らされる。
「…………」
もう何を言っても裏目に出そうな気がしたので、黙っておいた。
「返事は、無し、かぁ。残念ね~」
会長は皿に残ったパスタの残りを放り込んだ。
「……あ」
しまった。マズいことを思い出してしまった。
「ん? どうしたの翔くん?」
「……いえ」
俺はもう一つ忘れていた。
――我が愛すべき妹の存在を忘れていた。
「まずい……」
今日はまだ部屋に来ていないが、ラウラが来る可能性は高い。流石に用事があったりしたら来ない日はあるが、そうではない日は大抵来る。今日は恐らく、用事などはないはずだ。
……もし、今ラウラが部屋に来たらどうなるか。
『な、こ、こいつは生徒会長ではないか! どういうことだお兄様ぁあああッ!』
『あ、いや、これはだな……』
『あらら? あなた確か一年の――』
『ええい、貴様が誰であろうと関係ない! お兄様の妹であるこの私が絶対に許さん!』
そこからは言うまでもない。ナイフとナイフとナイフが飛び交う戦場と化す。会長も簡単にやられたりはしないだろうから、こうなれば全面戦争もあり得る。そしてこの二人が全面戦争した暁には、部屋の一切合財全てが灰燼に帰し、他の人間に同居の事実がバレる。悪夢だ。
まずい、まずいぞ。このままラウラが――。
ガチャリ
「こんばんはお兄様っ!」
来てしまう、もとい、来てしまった。
「…………」
一瞬、訪れる静寂。
――人はこれを、嵐の前の静けさと言う。
「せ、生徒会長!? 何故この女がここにいる!?」
「い、いや、これはだな、複雑煩雑かつ最悪な事情があってだな……」
「君は確か……一年のラウラ・ボーデヴィッヒちゃん?」
「貴様ぁ! 何故お兄様の部屋で食事をしているぅう!」
ラウラがどこから取り出したのか、愛用のナイフを取り出して会長に飛び掛った。ナイフなんてものをどこにしまってあったかは分からない。
「もう、ちょっと待ちなさいな」
会長は呆れたような言葉と共に、座っていた会長を狙ったナイフを左手でしっかり受け止め、右手に持ったスプーンでラウラの口にリゾットを突っ込んだ。
「んむっ!?」
「どう? 美味しいでしょ? 君のお兄さんが作ってくれたリゾット」
「む、う、美味い……」
俺のリゾットを口にして、徐々に落ち着きを取り戻すラウラ。
……何故だ。予想と違う展開になってきたぞ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「なるほどねー。ラウラちゃんはドイツの代表候補生で、エリート部隊の隊長さんなの。すごいじゃない」
「そ、それほどでも……あるな!」
あるのか。
褒められたからかやや誇らしげに答えるラウラ。
「翔くん、すごいわね。優秀すぎて私の手に余るもの」
「と、当然だな! 私のお兄様なのだからな!」
この通り、会長は見事にラウラを説得、懐柔してしまった。
怒るラウラをなだめつつ、ときには俺の料理や話題を駆使してラウラを鎮圧した会長は、そのあとも俺を引き合いに出しては褒めて、ラウラに好感を持たせた。
ラウラが単純なのもあるだろうが、聞けば聞くほど巧みな話術だ。
「大丈夫よ。私はあなたのお兄さんを取って食べたりはしないから」
「む、むぅ……」
「だからここに住んでもいいでしょ? ね?」
「……いいだろう」
ラウラはしぶしぶだが、頷いて了解した。
一番苦労すると思っていたラウラの説得があまりに簡単に終わってしまった。会長の手腕には舌を巻くほかない。
「ん~。翔くんごちそうさま。じゃああと一週間よろしくね」
「はい……」
はあ、と深いため息が出た。
会長による侵略はまだ始まったばかりであるが、すでに心が折れそうな俺だった。
結局、その日は最後の最後まで会長に遊ばれ、俺の睡眠時間は常に警戒していたせいで大幅に削られてしまったのだった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
現在、教室から話し声は聞こえてこない。聞こえてくるのは、生徒たちの最後の足掻き、もといガリガリと答案に解答を書き込む音のみ。
分かると思うが、今俺たちはテスト中だ。最後の科目である数学の、残り数十秒。つまり、煩わしいテストからの解放まであと僅かということである。
今、クラスの中には日本人しかいない。世界中から生徒が集まるIS学園は国際的な学園であるため、学年の全生徒に統一したテストを受けさせる意味は薄い。そのため、テストは出身地によってそれぞれ異なっている。
普段は金髪や碧眼など、黒以外の色が混ざるのが当たり前なだけに、これだけ黒髪黒眼の人間のみが集まっているのには違和感を覚える。恐らくそう思っているのは俺だけではないだろう。
……と、呑気に達観している俺はというと、既に答案を完成させて、二度目の見直しが終わった段階だ。
前回のテストは一問だけ間違えて満点を逃したため、今回こそは満点を頂くつもりでいる。二回目の見直しを終えても、間違いは見当たらない。完璧だ。
(ふっ、今回は貰ったぞ、数学の山口先生……)
心の中で仇敵、山口先生に告げて、俺はその瞬間を待つ。
キーンコーンカーンコーン……
「はい、そこまでです」
チャイムの音と共に、山田先生の試験時間終了の声が発せられる。
「ああ~、終わった~」
次々に生徒たちの声が上がるクラス内。
テスト終了後のクラスの雰囲気は異様である。あるものは絶望してか天を仰ぎ、あるものは晴れ晴れとした表情をしていて、顔をちらっと見ればテストの出来は一目瞭然であった。
ちなみに俺は、そのどちらでもない。テストの出来は上々であるが、日々のストレス(主に会長によるもの)故に非常に疲弊している。テストが終わったからと言って、俺はこのストレスから解放されるわけではないのだ。世界はあまりに無情である。
「ぐああ、死んだ……」
「自業自得だ」
テストが悲惨だったからか、ぐったりとしている一夏を横目に、俺は冷たく言い放った。悪いが一夏のことを気遣ってやれるほどの余裕がない。
「翔は出来たのかよ……って聞くまでもねえか。日本人の学年トップだったよな、お前」
「当然だ。――が、今回は自信ありだ。満点は頂いた」
「ああ、次元が違う……」
うな垂れる一夏を放置して、俺はすたすたと箒の元へ向かう。
「箒。昼飯を食べに行こう」
「ああ、今行く」
俺が先導すると、箒は立ち上がり、筆記用具を持って教室を出た。一夏は慌てて俺たちについて来た。
「なあ、翔。大問四の最後の設問の答えなのだが」
「ああ、あれか。いくらになった?」
「1<a<4だ」
「いや、違う」
「な、何っ!?」
「正しくは1<a<2だ。最後の最後で油断したな。もう一つの条件-2<a<2を忘れているぞ」
「ああっ!? しまったあ!」
頭を抱える箒。一夏はその問題を解いていないのか首をかしげている。
「あ、あの問題だけ不安だったのだ! それが、案の定……!」
「ふっ。今回は貰ったな」
俺と箒はテストの結果で勝負をしている。前回は俺の勝ち。今回こそは、と箒が果敢に挑んで来たが、返り討ちにしてやるつもりだ。
ちなみに、一夏はこの勝負に参加していない。一夏が相手だと真剣な勝負がただのカツアゲになってしまうのでな。
「いや、まだ分からん! 翔がどこかで計算間違いをしている可能性もある!」
「残念ながらそれも無い。今回は二回見直し済みだ。計算ミスも無かった」
「ぐっ……!」
悔しそうに唸る箒。食堂の飯一回分の奢り決定だな。さて、何を奢らせようか。
箒相手なら何の遠慮もない俺だった。
「あ、翔、一夏、箒~!」
「シャルロット」
食堂に着くと、入り口でシャルロットが俺を呼んだ。奥の席を見ると、シャルロットだけでなくいつもの専用機持ちの面々もいる。
――セシリア以外、だが。
「セシリアは……聞くまでもないか」
「うん。翔とは顔合わせたくないって……」
シャルロットは苦笑した。それを見て俺はため息をつく。
「じゃあ、僕らはもう昼ご飯買ったから、先に行ってるね。買ったらあそこで食べようよ」
「ああ」
俺たち三人はそれに返事をして、各々目当ての昼食の食券を買い、トレイを持ってカウンターを進む。
「なあ翔、セシリアがいないけど、知らないか?」
後ろの一夏が尋ねる。驚くほどピンポイントで傷口をえぐってきた。悪意は無いのだろうが、タイミングの悪さが絶妙極まる。それだから皆に空気を読めと常々言われるのだ。
「……今に分かる」
俺は怒りから、少々声を低くしてそれに答える。
「そ、そっか……」
一夏は俺の口調で何かを察してか、これ以上は何も言わなかった。どの道詳しく話さなければならないのだ、同じことである。案の定、俺がシャルロットたちのいる席に座った途端、向かいにいた鈴音が鬼の形相で俺を睨みつけていた。
「翔! あんたセシリアに何したのよ!」
鈴音はご存知の通りセシリアと大の仲良し。セシリアを怒らせるようなことをしたと考えるのは当然かもしれない。だが――。
「何をしたかと言われれば……何もしていない」
事実である。何も悪いことはしていない。はずなのに。
「じゃあ何でセシリアは怒ってんのよ。あんたが何か変なことしないと、ああはならないでしょうが」
俺を問い詰める鈴音。とりあえず、昨日の経緯を説明することにした。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「はあ!? 生徒会長と同居ぉ!?」
俺が説明するや否や、鈴音は大声を上げて驚いた。他の生徒に聞こえるほど大声であったため、俺は反射的にしっ、と鈴音を制した。周りの人間に聞かれていい話ではない。
知っていたラウラは特に驚かなかったが、一夏、箒、シャルロットは鈴音同様驚いた顔をしていた。
「あ、あんた、もしかして女が苦手って嘘だったの!?」
「そんなわけがあるか! 何が悲しくてあの人と同じ部屋で生活しなければならないんだ!」
あの人の人間性を知ってなお、そのような愚行に及ぶやつは相当頭がおかしい。
鈴音の質問攻めに対し、「止むを得ない事情があったんでしょ?」とシャルロットが援護してくれた。それもあってか、鈴音は「じゃあそういうことにしておくわ」と一応引き下がった。
「なるほど、それが原因でセシリアに三行半を叩きつけられたわけだな?」
箒が言う。……三行半ではない。
まあとにかく状況は理解してくれたらしい。
「そういえば……。ねえ、ラウラは反対しなかったの?」
「むっ」
シャルロットの問い掛けを受けて、ラウラはざるそばを食べていた手を止めた。
「そ、それなのだがな、私は何故か承諾してしまったのだ」
「え? ど、どうして?」
「その、だな。確かにあの女とお兄さまが私より先に同室になるのは許せんが……」
「おい待てラウラ。お前は今何と言った?」
「不思議とあの女になら大丈夫かと思ってだな……」
無視か。というか、あの人なら大丈夫なのではない。あの人はダメだ。
「それで、オーケーしちゃったと?」
「う、うむ……」
ラウラは再びずぞぞーっとざるそばをすすり始めた。これ以上は聞くなということだろう。
「翔くん、隣、いいかしら?」
「か、会長!?」
噂をすれば何とやら、突如となりの席に会長が現れた。
「な、何故ここにも会長が……!」
「あら? 食堂は全校生徒公共の場よ? 別に私がいたらダメな理由はないでしょ」
「ぐ……っ!」
いちいち正論で来るな、この人は!
結局誰の了承も得ないまま、会長は巨大な五段の重箱をテーブルに広げた。退く気は無いらしい。
「うわ……」
「どう?」
重箱を開くと、豪華な料理が所狭しと敷き詰められていた。
普通の家庭料理もあるが、そこにウニ、伊勢エビ、ホタテなど海の幸、さらには山菜、松茸までもを使用していた。もはや学生に作れる料理のレベルではない。
そのあまりの豪華さに、周りの生徒たちもざわついている。
「翔くん」
「何ですか?」
「はい、あーん」
俺が会長の方に向いた途端、口にピーマンの肉詰めが放り込まれた。
「美味い……」
しっかりと表面を焼いている肉はその旨みを外に逃がすことなく凝縮し、包んでいるピーマンが絶妙な苦味を与えている。
が、問題はそこではない。問題は、衝撃の光景を目に焼き付け、凍りついている女子。
「え……」
当然、次に訪れるのは耳をつんざく絶叫のみである。
「えええ~~!?」
「翔様と会長ってそういう関係!?」
「死んだ! 神は死んだ! 今死んだ! 今死んだよ!?」
「会長ズルい! 美人で完璧で彼氏持ちなんて許せません!」
「お姉様! 私のお姉様があぁ!?」
周りの女子はこんな感じで、近くで見ていた専用機持ちは呆然としている。
「な、何をしているんですか!」
「昼ごはん食べてる」
「そんなことは分かる! 俺が言っているのは……!」
「でも、美味しかったでしょ?」
悔しいが、確かに美味かった。
「……まあ、確かに……」
「そう! 良かった!」
会長は嬉しそうに微笑んだ。
「会長。これほどのものを作れるなら、俺に夕食を作らせなくても……」
「それとこれとは話が別。翔くんの料理、美味しいんだもん。食べたいじゃない?」
面倒くさい……。
頭を抱えていたら、ラウラがふるふると震えていた。
「お、お兄様に『あーん』だと!? 羨ましい! 許せん!」
「ラウラ、本音が混ざってるよ……」
「もう我慢できん! もう貴様の好きにはさせんぞ!」
フリーズが解けたらしいラウラは、うさぎもかくやとばかりの跳躍で会長へ襲いかかった。
「ラウラちゃん、あーん」
「むぐっ」
昨日と同じように、会長は松茸の炊き込みご飯をラウラの口に突っ込んだ。すると強張っていたラウラの表情が、みるみる穏やかになっていく。
「どう?」
「う、美味い。こんなに美味い炊き込みご飯は初めてだ……」
ふにゃりと力が抜け、またも懐柔されるラウラ。
これで昨日会長がどうやってラウラを説得したか、専用機持ちの皆にはお分かりになっていただけただろう。
ラウラは強情だがかなり単純である。美味いものは普通に好きだ。故に、このようにして簡単に丸め込むことができるらしい。
「これはどう?」
「美味い!」
「ふふ、じゃあ、これも!」
「美味い、美味いぞ!」
ラウラは日本食が大好物だからな……。堪らんだろう。それにしても、見事に胃袋を掴まれたな。
俺もメモしておこう。ラウラには料理が有効、と。
「あ。みんなも食べたい?」
「え、あ、いや……」
「いいわよ。遠慮せずに食べて食べて!」
会長が笑顔で言ったこの一言を皮切りに、見ていた全員が集まってきた。
気がつけば、会長の周りには人だかりができている。
「人気があるっていいわね~。おねーさん嬉しい!」
満足げな会長と、舌鼓を打つ生徒たち。昼休みの食堂は大騒ぎ。思わずため息が出た。
せめて昼食の時間くらいは落ち着きたかった俺だが、そんなささやかな願いは儚く散ったのであった。