IS インフィニット・ストラトス ~天翔ける蒼い炎~ 作:若谷鶏之助
「私、今日からここに住むわね」
「……は?」
最初にそう言われたときは、突然すぎて何が何だかよく分からなかった。だが、少しして内容を理解した瞬間、俺はこう口にしていた。
「却下だ!!」
叫んだ。否定の意思の表れである。
「え~? ダメなの?」
「ダメだ! 何を言い出しているんですか、あなたは!」
当たり前だ! 何故会長がここに住まねばならん!?
「どうしてもダメ?」
「ダメだ!」
「じゃあ、こういう理由はどう?」
「理由?」
「生徒会長権限」
「ぐあっ!」
思わず頭を抱えてしまった。
唯一にして最大のカードを切ってきた会長。この一言を言われてしまっては、俺はもう何も言えなくなる。
というかだな、生徒会長権限強すぎる! 行使される側には人権すら認められないというのか!? 生徒会長権限は、人類が勝ち得てきた自由という財産さえも容易く踏みにじるというのか!?
「いいじゃない。私と住むのは良いことこそあれ、悪いことなんて君がぶっ倒れることだけだもの」
「死活問題だ!」
俺が女性が苦手なことを知ってこの仕打ち。この人は俺を何だと思っているのだろうか。
……玩具か? 会長の玩具の一つにすぎないのか俺は?
「――と、いうわけで、よろしくね☆」
「いいや、俺はまだいいとは言っていない! いくら生徒会長権限だろうが――」
コンコン、と俺の言葉を遮って、部屋がノックされる。誰だ?
ガチャッとドアを開けると、そこにはダンボールの箱を持った数名の生徒たちが。
「こんばんは~」
「こんばんは。……何の用ですか?」
「会長の荷物を持ってきました!」
「はあ!?」
「ありがと~。ほら、じゃんじゃん入れちゃって!」
「会長!? おい、待――っ」
「はーい!」
俺が止める間さえなく、どどどっと荷物が運び込まれてきた。
「あ、その荷物はそこね」
「はい!」
「あ、それはそこね」
「はい!」
部屋中に会長の私物がどんどんと運ばれていく。何という地獄絵図。
「…………」
そのあり得ない様相を前に、俺は何もできなかった。気がついたときには、既に会長の荷物は完全にセッティングされていた。
時、既に遅し。
「んふふー、どうしようかなー。これはここに置いてっと」
強大な権力の前に屈した俺。ふんふんと鼻歌を口ずさんで楽しそうに笑う会長とは対照的に、俺はがくりと肩を落とした。
今後の生活に憂鬱を隠せない俺だったが、コンコン、と再びドアがノックされた。
「今度は誰だ?」
俺はとりあえずドアの方へと歩いて行く。ドアの近くまで行くと、来客の声が聞こえた。
「あ、あの、セシリア・オルコットです」
「セ、セシリア!?」
ま、まずい! 事情を説明する前にこの有様を見られたら絶対に誤解される!
「ど、どうした? 何か用か?」
「あ、あの、デザートを作って参りましたので、翔さんに食べていただきたいと思いまして……」
「…………」
思わず顔が赤らむ。
セシリアは俺に好意を抱いてくれているのだ。今回のお誘いも俺と一緒にいたいと思っての行動だろうから、嬉しいことは嬉しい。恐ろしい味に仕上がっている可能性もあるが、せっかく作ってくれたデザートだ、是非頂きたい。
「ねえ、翔くーん」
……が、今セシリアを部屋に上げるわけにはいかない! 今も悪魔は部屋の中にいる。
「す、すまないセシリア。今は少し忙しい。一〇分後にまた来てくれないか? それまでに片付ける」
「は、はい。分かりましたわ」
何とか一応は納得してくれたようだ。冷や汗ものである。
ふうっ、と安堵の息をもらした俺は、目の前にいる諸悪の根源の駆逐に取り掛かった。
「会長。今から三〇分間、部屋から出て行ってください」
「えー。どうして~? ここ、もう私の部屋なんだけど?」
「とにかく! 出ていってください!」
「……あ、分かった。女の子連れ込むんだ!」
「…………」
事実なので否定できなかった。だが、連れ込むなどという表現は心外である。
「あの子、イギリスのセシリア・オルコットちゃんでしょう? そういえば仲いいんだったね」
「分かっているならさっさと出ていってください」
「まあ、そうよね~。セシリアちゃんには嫌われたくないわよね~」
意地の悪い表情をして、会長はニヤニヤと俺を見る。イライラして額に青筋を浮かべる俺。
早くしないとセシリアが戻ってくるだろうが!
「じゃあ、条件付きってことで」
「条件?」
「そう。これから一週間、君は私に料理を振舞うこと!」
「何故です?」
「食べたいからに決まってるじゃない。知ってる? 翔くんの料理、一年生の間で絶品って話題なのよ?」
「……知らなかった」
噂が立った理由は、俺が以前女子に弁当の具をやったからだろう。というか、俺が蒔いた種ではないか。
悩む余地はない。セシリアに事情を説明して納得してもらうためだ、安いものだろう。
「こんな条件でどう?」
「構いません」
「じゃあ交渉成立ってことで」
会長の去り際は鮮やかだった。話が決まると会長はささっと部屋から出ていった。
「……よし」
一応の脅威は退けた。ここからセシリアが来るまでの数分が勝負だ。如何に会長の荷物を片付けるか。とにかく時間がないので、ダンボール類は全て洗面所に放り込むことにする。
次々と荷物を洗面所へと隠していく俺。束との生活で培った片付けスキルは、確実に時間短縮に効果を発揮していた。
「ふうっ……!」
一分残し、俺は荷物の隠蔽をやり遂げた。だが、「隠蔽」と表現しなければならないのが辛い。何故こんな不名誉な表現をせねばならないのか。
コンコン、と再びドアがノックされる。俺は今度は慌てることなくドアに歩み寄り、ドアを開いた。ガチャリ、とドアが開き、そこには少し緊張した顔のセシリアがいた。
「こ、こんばんは……」
俺と目が合うなり、頬を赤らめるセシリア。その手には作ってきてくれたデザートが入っているであろうケースがあった。
「と、とにかく、部屋に入ってくれ」
「は、はい。失礼します……」
お互いぎこちなく部屋に入ると、俺はセシリアにデザートをテーブルの上に置くよう指示すると、学習机の椅子を持ってきてセシリアを座らせた。
「今日は何を作ってきてくれたんだ?」
「ティラミスですわ」
「ほう」
上品なチョイスだな。セシリアらしい。
「翔さんはあまり甘いものが好きではないでしょう?」
「……ああ」
そう、俺は甘いものが苦手なのだ。ケーキなどはほとんど食べたことがないし、コーヒーや紅茶には絶対に砂糖は入れない。セシリアにそう口にしたことはなかったが、どうやら俺といるうちに分かったらしい。
セシリア曰く、それを考慮して、今回のデザートは甘さは控えめであるそうだ。とても気が利いていて、好感が持てる。
「ありがとう」
俺がそう言うと、セシリアは微笑んだ。俺は皿を取り出して、そこにティラミスの入った容器を置いてもらった。そのティラミスだが、とても綺麗に仕上がっていた。セシリアは几帳面だから、見た目で妥協したりはしない。であるが故に珍妙な味の料理を作ってしまうようだが、まあそれはご愛嬌だ。
「じゃあ、頂こう」
「はいっ。召し上がってくださいな」
スプーンですくって、口に運ぶ。
口の中に、チョコレートの上品な甘さが広がる。甘さはセシリアが言っていた通り、控えめだ。甘すぎず、かと言って渋くはない、良好なバランスだった。
「い、いかがですか……?」
セシリアが恐る恐る訪ねてきた。自信があると言っても、不安なのだろう。
「美味い。いい出来だな」
そんなセシリアの不安を拭うように、俺はしっかり答えた。それが本当に嬉しかったようで、セシリアは満面の笑みを見せた。そして、小さくガッツポーズする。
「(シャルロットさんに教えて頂いて正解でしたわ……! 何かお礼をしませんと……)」
「ん? 何か言ったか?」
「い、いえ! 何でも! お気になさらず」
「……そうか」
まあそれはさておき、俺は残ったティラミスを食べて、スプーンを置いた。
「ご馳走様。美味かった」
「あ、ありがとうございます」
照れるセシリア。そのセシリアに、どきりとさせられた俺。何秒か、沈黙が部屋を包んだ。
今俺は、セシリアと二人でテーブルを挟んで向き合っている。セシリアとの距離は五〇センチほど。
もう知り合って何ヶ月だというのに、こうして緊張しているのが可笑しくなって、二人して笑った。
「翔さん。クラスの出し物の話なのですけれど」
「ああ、いいと思うぞ、俺は。ラウラには珍しいファインプレーだったな」
「ふふっ、そうですわね」
二人で話をした。学校のこと、ISのこと、ラウラのこと、或いは、とりとめもないこと。セシリアと二人で話すのは久しぶりだったから、出てくる話題も多かった。
談笑しながら、俺は何かを忘れているような気がしていたが、今この瞬間を壊したくなくて、それを頭の隅へと追いやった。
「…………」
話が一旦切れて、再び訪れた沈黙。その沈黙を破ったのは、「すまない」という俺の一言だった。
「えっ?」
突然謝る俺を、セシリアは不思議そうに見つめる。
「……あの夏祭りから、こうして二人でいることはなかっただろ?」
夏祭り以降、俺とセシリアが話すときにはよく隣にラウラがいて、二人きりで何かをすることはなかった。だがそれでも、二人きりになれた場面もなかったわけではない。
「俺はきっと、無意識に君と二人になるのを避けていたんだと思う」
あのとき告白されたことで、俺の中でセシリアへの見方が変わっていた。今まではただの友達だったのに、そしてそれは今でも変わらないのに、だ。好きだと言われた途端、真っ直ぐセシリアに視線を向けられるのが気恥ずかしくなったのだ。
「ふ、ふふっ」
「……ん?」
真面目に話していたつもりだが、セシリアは何故か吹き出した。クスクス笑い続けているセシリアだが、俺には訳がわからない。
「な、何故笑うんだ?」
「だって、そのようなことで謝るんですもの。そんなこと、わたくしは気にしていませんのに」
セシリアは笑いながら続ける。
「いつもいつも二人でいたらラウラさんに怒られてしまいますわ。それに、わたくしは翔さんに……その、好きだとは言いましたけれど、そこまで無理に考えなくてもよろしくってよ。だって、あなたらしくありませんもの」
「…………」
二人きりでいることに、俺の方が意識していたらしい。考え過ぎだったか。
不意に、セシリアの右手が俺の左手に乗せられた。
「なああっ!?」
俺は驚いて反射的に手を引っ込めようとするが、セシリアが手を掴んだ。ばくばくと心臓のポンプがペースを上げて、顔に血が昇って赤くなるのが分かった。
「セ、セシリア……!?」
案の定、俺の体温が徐々に上昇を始める。だが、セシリアが上目遣いで、俺をじっと見つめていた。
「……こ、このままが、いいのか?」
セシリアは頬を染めて、こくりと頷いた。ゆっくりとセシリアが手を絡めた。
その白い手の肌の感触と確かなぬくもりは、夏祭りのひとときを思い出させて、あのときの記憶がまた脳裏に蘇ってきた。
「今はこれで十分ですわ。時々でも、あなたとこうしてお話できるだけで、それだけで、今のわたくしには、十分なのです」
「セシリア……」
「だから、このままで。今は、このままで――」
何分こうして見つめ合っていたかは分からない。雰囲気は穏やかだが、動悸は激しい。静かな雰囲気と、激動の感情。その静と動のコントラストが、俺が今セシリアと二人でいるこの刹那を、より強く認識させた。
よく見れば、もはや俺たちの距離はほとんどないことに気づく。そして、俺たちの顔が近くにあることにも。
「翔さん――」
セシリアが切なげに俺を呼んだ。澄んだ高い美声に合わせて動く、桃色の形の良い唇。
「ッ……!」
――そうだ。俺は、知っているのだ。この唇が、どれほど柔らかいのか。世界でたった一人、俺だけがあの感触を知っている人間なのだ。その優越感が、俺の心を激しく刺激した。
どくん、どくん……。
体が言うことを聞かない。次第に、動悸が高まって行く。触れている手は、より強く。少ししかない距離は、より近く。
この唇に、触れたい。俺の本能が、そう叫んでいた。
今、俺の世界には、セシリアしかいない――。
ガチャリ
「翔くんただいま~」
だが俺は……忘れてはならないことを、忘れていた。
「どう? おねーさんきっかり三〇分で帰ってきちゃった! ……あ、あれ? もしかして、お取り込み中……?」
まあ、その後は特に詳しく語る必要も無かろう。
セシリアに根掘り葉掘り聞かれ、会長との同居がバレて、セシリアが激怒。俺がどのように言おうともセシリアは聞く耳持たずで、そのまま部屋へと戻ってしまったのだった……。