IS インフィニット・ストラトス ~天翔ける蒼い炎~ 作:若谷鶏之助
ミーンミンミン……。
「暑いな……」
やかましい蝉が鳴きだし、耳で夏を感じた。もっと言えば、揺らめく陽炎や、纏わりつくじめじめした暑さ、そういったものを五感で夏を感じている。
IS学園入学以前はヨーロッパにいたものだから、こんな暑さは久しぶりだ。ヨーロッパは乾燥しているため、体感温度は日本のそれよりもぐっと低い。あの過ごしやすかった夏が懐かしく感じる。
ところで、俺が今どこに向かっているのかというと、空港である。その理由は―――。
「――おかえり、セシリア」
――そう、俺はセシリアを迎えに来たのだ。
「翔さんっ!」
セシリアは俺を見るなり、満面の笑顔で駆け寄ってきた。
まさかそんなに喜んでもらえるとは。敢えて迎えに行くことを伝えずにいた甲斐があったというものだ。帰ってくる日付と時刻は出発前に確認済みである。
「お疲れ様。いろいろ大変だった――」
――が、次の瞬間、天地がひっくり返るような衝撃を受けた。
「なああああーっ!?」
あろうことか、俺に抱きついてきたではないかッ!
「セ、セシリッ――……!?」
「ただいま戻りました……」
セシリアは俺の胸に顔を埋めて、幸せそうに目を閉じている。
本来なら優しく抱きしめてやる場面だろうが、そんなことはどうでもいい! 今は、生きるか死ぬか、デッド・オア・アライブだ!
体温が急激に上昇し、全身から変な汗が噴き出ててきた。
ああ、ダメだ、目の焦点が合わない。視界がぼやける……。
ここで、俺の意識はぷつんと途切れた。
「会いたかった……この一週間、あなたに会いたくて仕方がなかったですわ……」
セシリアは満ち足りた表情でこう言っていたように思う。
「か、翔さんっ!?」
――俺の記憶が正しければ、の話だが。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
一連の事件の後、俺は自販機でスポーツドリンクを買い、ベンチに座って飲んでいた。隣にはセシリアが座っていて、気まずそうにしている。申し訳ありません、とセシリアはまた謝った。
「いや、こちらこそすまない。俺も正直油断していた部分があった」
最近女性に慣れだして反応が遅れた。今までなら咄嗟に飛び退いたところを、何もしなかった俺も悪い。
やはり俺は女性が苦手なのだ。それを忘れてはならないということだろう。
「迷惑をかけた。迎えに来たはずが……」
「い、いえ。そんなことは……その、迎えに来てくださって、嬉しかった、ですし……」
「そ、そうか……」
照れるセシリア。いや、そんな反応されたら俺も照れるだろう。
「お嬢様」
ふと、見知らぬ女性がセシリアに声をかけた。
「は、はい、何ですの?」
「私どもはお邪魔なようですので、先にお暇させていただきます。お荷物の方はいかがなさいましょうか?」
「それでは、先に部屋に送っておいてくださいな」
「承知いたしました」
その女性はセシリアに一礼すると、今度は俺の方に向き直った。
「天羽翔様。お初にお目にかかります。オルコット家当主、セシリア様の専属メイド、チェルシー・ブランケットと申します。以後、お見知りおきを」
チェルシー・ブランケットと名乗るその女性は、優雅にスカートを持ち上げて、俺に丁寧に挨拶した。
ああ、なるほど。この人がチェルシーというセシリアの幼馴染のメイドさんか。よく彼女の話に出てくる人だ。
「……こちらこそ、初めまして。天羽翔といいます」
少し緊張する。こういう、いかにも大人の女性、みたいなタイプの人とは未だに話すだけで緊張するのだ。
何、それなら織斑先生相手ならどうなるかだと? 決まっている。話すときには恐怖こそすれ緊張などするはずもない。相手は鬼だぞ。ある意味緊張していると言えるかも知れないが。
何、山田先生? 論外だ。相手は年齢詐称の幼女だぞ。
「セシリアからよくお話を聞いています。とても美人で、聡明なお方だと」
「まあっ」
ブランケットさんは主人の本音が聞けて嬉しいのか、嬉しそうに頬を染めて微笑んだ。
「……わたくしには一度もそんなこと言ってくださらないのに……」
セシリアが暗い感情をこれでもかとばかりに込めて俺を睨んでくる。怖い。
そんなことはないぞ。言わないだけでそう思っている。セシリアは間違いなく美人だ。それもとびきりの。
「失礼ですが天羽様。少し時間を頂けますか?」
「ええっ!? チェ、チェルシー!?」
「構いませんが……」
ブランケットさんの真意を探る俺、警戒のレベルを一つ引き上げた。
「チェルシー……何をなさるおつもりですの?」
「何でもありません。少し、お話したいことがあるだけですので、ご安心ください」
「…………」
セシリア、そこで俺を睨むのは違うと思うぞ。
「では、あちらに」
俺はブランケットさんに言われるまま、セシリアに声が届かないところにまで移動した。見切れるまで全力で睨んでくるセシリアにビビリながら。
「……何の話でしょう?」
警戒を露わにする俺。失礼かもしれないが、これは癖だ。それが分かっていたのか、ブランケットさんはご心配は無用です、と一言前置きして話し出した。
「大したことではないのです。ただ一言、天羽様に申し上げたいことがありまして」
「言いたいこと?」
「はい。――お嬢様を救っていただき、本当にありがとうございました」
ブランケットさんは、深々と頭を下げた。
どこかセシリアと似ている、と思った。多分、セシリアが作法などをこの人から習ったからなのかもしれない。
「頭を上げてください。俺は何も……」
頭を下げて感謝されるほどのことは何もしていないはずなのだ。寧ろ俺が救われているぐらいだというのに。だがブランケットさんは、それに首を横に振る。
「そんなことはありません。天羽様は、お嬢様を救ってくださいました。お嬢様は本来、笑顔溢れる優しいお人柄ですが、ご両親を亡くされてからは、お嬢様は追い詰められて笑うことがだんだんと少なくなっていました。しかし、IS学園に入学して――いえ、正確には天羽様と出会いになってから、嬉しそうに、笑顔でわたくし共にお話なさるのです……」
「…………」
言われてみれば、そういうところはあった。
セシリアは良くも悪くも真面目だ。両親が亡くなってから、それこそ血が滲むような努力で代表候補生の座を勝ち取ったのだと聞いた。自分に遺された、莫大な遺産を守るために。そして努力することに精一杯になって、余裕がなくなっていった。
俺は最近になって、そんなセシリアだから、きっと入学当初は高飛車な態度だったとしても不思議ではないと思うようになった。男性嫌いの気があったのも、それは本国で嫌というほど男に言い寄られたからだった。
「我々は天羽様に心から感謝しております。お嬢様の笑顔を取り戻してくださったあなたには、心からお礼申し上げたいのです」
ブランケットさんの意図を理解した俺は、「はい」とだけ答えた。その返事に、ブランケットさんは嬉しそうに笑顔を見せた。
「ご存知だとは思いますが、俺もセシリアとは仲良くさせてもらっています。今までも、これからも、俺たちは仲間でいられると信じています」
あの臨海学校のときのようなことは、もう二度と起こらないようにしなければならない。
「これからも、お嬢様のことをよろしくお願いたします」
頭を下げたブランケットさんに、俺ははい、としっかり答えた。
「では、そろそろ戻りましょう。お嬢様がお怒りです」
ふとセシリアの方を見ると、ブランケットさんの言う通り、非常にお怒りの様子であった。
俺はそれに苦笑して、ブランケットさんと共にセシリアのいる場所へ戻る。
「……何をお話になっていましたの、翔さん」
怒っている。機嫌の悪いセシリアの機嫌を直すのには骨が折れるのに。
「……セシリアのことだ」
「えっ!?」
「本当のことですよ、お嬢様」
くすりと笑いながら、ブランケットさんが証明してくれた。
「わ、わたくしの、どのような、お話を?」
ほんのりと顔を赤らめ、おずおずと俺に尋ねるセシリアだが、俺は話す気はないので、ブランケットさんへ頼め、とブランケットさんに押し付けてしまうことにした。
「――ふふ。それは、秘密です」
ブランケットさんは、魅力的な笑顔と共にこう言った。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
結局、俺までセシリアのリムジンに乗せてもらい、帰り道は非常に楽なものになった。
「セシリア」
「はい?」
俺はその帰りのリムジンで、隣にいるセシリアに話しかけた。
俺は今、非常に緊張している。
「……実はな、これを言おうと思って来たんだ」
「な、何ですの?」
何を言ってくれるのか、そんな期待を含んだセシリアの目。
「セシリア」
「は、はい」
「明後日、俺と一緒に夏祭りに行かないか?」
「――え?」
――セシリアは、固まった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「じゃあ、また」
「ええ。楽しみにしていますわ」
翔とセシリアは最後にそういってそれぞれの部屋へと戻ってきた。セシリアは自分の部屋に戻ってくると、どさっとベッドに倒れこんだ。
(きゃあああああああああああーッッ!!)
セシリアは心の中で絶叫した。
(翔さんが、あの翔さんが、わたくしをデートに誘ってくださいましたわ!!)
溢れる感動を抑えることが出来ないセシリア。それはベッドの上をごろごろと転がる動きとなって外へ発せられていた。
(ああ、どうしましょうどうしましょう! どのような服を着て……下着は……)
下着は気にしすぎな気がする。
数分悶えていると、携帯電話が鳴った。着信は、チェルシーからであった。
『お嬢様、お荷物は届いていますか?』
「はいっ! 問題ありませんわっ!」
『どうなさいました? とてもご機嫌がよろしいようですが』
「ふふふ……実は、翔さんがデートに誘ってくださったのですっ!」
『まあっ! 本当でございますか?』
「ええ! あのあと車の中で……」
頬を染めて、セシリアはまだ冷めやらぬ熱を感じる。
『……素敵な方でございますね、天羽様は』
「ええ。本当に」
『――思わず、ときめいてしまいました』
「なっ!?」
いたずらっぽく、チェルシーは言った。がーん、と激しい衝撃がセシリアを襲う。
「そ、そんな!? だ、ダメですわ! いくらチェルシーでも、翔さんを好きになるなんて許しませんわよっ」
『大丈夫ですよ、お嬢様。いくらわたくしでもお嬢様の想い人を奪ったりはいたしません』
「……ほ、本当ですわね?』
『勿論でございます』
セシリアは焦る。正直、チェルシーと真っ向勝負では勝てる気がしない。女性として、チェルシーは自分より遥かに魅力的であるとセシリアは思っている。
『ときにお嬢様、浴衣というものはご存知ですか?』
「浴衣、ですか? 確か日本の民族衣装のようなものだったはずですけれど」
『ええ、その通りです。日本では、夏祭りには女性は浴衣を着ていくのが良いそうです』
「ほ、本当ですの!?」
『はい』
チェルシー曰く、日本の男子は浴衣を着た女性のいつもと違う姿にグッと来るらしく、翔にも効くのではないか、とのことであった。なるほど、とセシリアはチェルシーの知識に感心する。
「ありがとうチェルシー。わたくし、がんばりますわ!」
『はい。我々もお嬢様の恋の成就を心から応援いたします』
「ええ! おやすみなさい!」
そう言って、セシリアは携帯電話の通話を切った。
(どうしましょう。和服は着たことがありませんし……)
と、ここでセシリアの頭にある人物の顔が浮かんできた。
「和服といえば……!」
そう、和服といえば、である。
セシリアは目当ての人物の部屋へと急いだ。