IS インフィニット・ストラトス ~天翔ける蒼い炎~   作:若谷鶏之助

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アイム・ホーム ~セシリア~

(……ただいま戻りました。我が祖国よ)

 

 長い飛行機のフライトがそろそろ終わりに近づこうとしていて、セシリアは飛行機の窓から見える祖国の大地を見つめた。

 親しみを感じる町並み。日本とは全く違う場所。父と母が出会い、セシリアが生まれ……そして父と母と死に別れた場所。

 

(ふああ……。少し眠たいですわね……)

 

 日本とイギリスとの時差は九時間。今はサマータイムが適用されているため時差は八時間だ。朝に出発したはずなのに、到着したらまた朝だ。感覚的には、一日が伸びたようなものだ。時差のある移動も何度か経験しているセシリアだが、やはり何度味わっても慣れない。

 忘れ物が無いか身辺をチェックしていたセシリアの目に、胸元で輝く金色(こんじき)の太陽が映った。それを見て微笑んだセシリアは、今も日本にいる愛しい彼を思い浮かた。

 

(翔さんはどうなさっているでしょう……)

 

 自分が帰国している間、日本にいる翔とは会えない。一週間ほど本国イギリスに滞在する予定なので、同じ時間だけ翔に会えないことになる。翔と知り合ってから、これほど長く会えないのは初めてのことだったので、セシリアは不安を抱かずにはいれなかった。

 旅客機が着陸し、荷物を受け取ってロビーへと出たセシリアを待っていたのは、愛すべき幼馴染にして専属メイドのチェルシーであった。

 

「――おかえりなさいませ、お嬢様」

 

 チェルシーは優雅にお辞儀して、笑顔を見せた。たった数ヶ月なのに、とても久しぶりに感じる。

 

「はい。ただいま戻りましたわ、チェルシー」

 

 セシリアも笑顔でそれに答えた。

 

 

 

 ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 

 

 

「お嬢様、長旅、お疲れ様でした」

 

 屋敷へと向かうリムジンの中で、チェルシーが主人の長旅を労った。セシリアはありがとう、と笑顔で返した。

 チェルシーに話したいこと、聞きたいことがたくさんある。疲労も他所に、セシリアは話始める。

 

「チェルシー。この三ヶ月、色々ありましたの」

「そのようでございますね。お嬢様の話を聞いていれば、よく分かりました」

 

 少し頬を赤らめたセシリアは、これからの予定を確認することにした。

 

「チェルシー。これからの予定はどうなっていますの?」

「はい。本日と明日はお嬢様も長旅でお疲れになっていると思いますので何も。明後日から、今回の滞在中のメインスケジュールとなります。明後日の午前は、国立IS技術所へ活動報告と収拾したデータのバックアップを行っていただきます」

「……了解しましたわ」

 

 気が重いセシリア。

 セシリアの本分は学生であるが、代表候補生でもあるのでこういった仕事も多々ある。特にセシリアの専用機『ブルー・ティアーズ』は「偏向射撃(フレキシブル)」の試験機としての側面も強いため、収拾したデータを研究に反映することが運用するための義務とも言えた。

 

「はあ、大変……」

「わたくしも全力でバックアップいたしますので、ご安心ください」

「ええ、そうですわね」

 

 公の場においても、チェルシーは優秀な副官である。代表候補生として、オルコット家の当主としての業務を行うセシリアには公私両面で頼もしい存在だった。

 

「――ときに、お嬢様。見慣れぬネックレスをおつけになさっていますが、それはもしや……?」

 

 チェルシーの言葉に、セシリアはかあっと赤くなって俯いた。

 

「……はい。これは、翔さんに頂いたものですわ」

「やはりそうでございましたか。――天羽様は、とてもセンスのよいお方なのでしょう、よくお似合いです、セシリアお嬢様」

「あ、ありがとうチェルシー」

 

 セシリアは首にかかったネックレスを愛おしそうに撫でた。

 いろいろな想いの詰まった、このネックレス。悲しい思いもしたけれど、それがあるから今のセシリアと、この金色の太陽がある。かけがえのない、セシリアの宝物だ。

 

「お嬢様……」

 

 チェルシーが驚きの混じった呟きを漏らした。それから、少し涙ぐむ。

 

「チェルシー? どうかしましたの?」

「い、いえ! 何でもございません……何でも……」

 

 チェルシーはすぐ目元を拭い、リムジンのハンドルをぐっと握った。少しおかしな様子を見せたチェルシーだが、セシリアはそれを気にせずに別の話題を振った。

 しばらくチェルシーと話していたセシリアだったが、途中何度もあくびをしていた。やはり、眠い。

 

「お嬢様。とにかくお疲れでしょうから、到着するまでお休みになさってください」

「……分かりましたわ」

 

 長くなるであろうこの一週間のために、今はしっかりと休むべきだ。チェルシーの言葉に甘えて、セシリアは睡魔に身を委ねた。

 

 

 

 ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 

 

 

 一日を休養にあて、万全の体調でロンドンにある国立IS研究所へと出向いたセシリアは、この数ヶ月で得た稼動データ、及び他国のISのデータを開示していた。

 

「――以上が、IS学園入学から現在までの報告になります」

 

 セシリアは分かりやすく纏めたプレゼンを用意し、それを研究所の人間へしっかりプレゼンした。その報告自体は優秀な仕上がりであったが、この仕事は大事な仲間たちを売っているようで、義務とはいえセシリアを嫌な気分にさせた。

 さらに嫌だったのが、男性操縦者という「特異ケース」である翔と一夏に研究所の人間は興味津々だったことだ。想い人である翔の専用機と操縦技術――言ってみれば彼の努力の結晶をこっそりと横流ししているようで、セシリアは嫌悪感と罪悪感を拭えない。ただ、それは間違いなく他国の代表候補生もしていることなので、お互い様であるとセシリアは無理矢理納得することにした。

 

「ご苦労だったわね、ミスオルコット。度重なる装備の破損、トーナメントへの出場不可といった問題も少々ありましたが、それも稼働率の大幅な向上と、『偏向射撃(フレキシブル)』の発現の二つが得られたならお釣りが出るでしょう。流石ね。あなたを代表候補生にしてよかったわ」

 

 プロジェクトの主任の女性研究者がセシリアを褒め称えた。

 

「……光栄なお言葉ですわ」

 

 笑顔と優雅な挨拶でセシリアはこう答えた。こうして賛辞を受けることは嫌なことではないはずなのに、セシリアの気分が晴れることはなかった。

 

「――それで、特異ケースとの接触は? 順調なのかね?」

「……!」

 

 別の研究者の男が放った一言に、セシリアの表情が歪む。 

 

「特に二人目の……天羽翔だったか、そちらの操縦者の機体には『ブルー・ティアーズ』と似た装備があるのだったな。もう少し詳しいデータは無いのか?」

「…………」

 

 セシリアの中で戸惑いが渦巻く。

 ――やめて。あの人を特異ケースだなんて呼ばないで。

 それを極力出さないように、セシリアはできるだけ事務的に答えた。

 

「申し訳ありませんが、そちらは得ることができませんでしたわ。天羽翔さんの『蒼炎』のデータは入手困難でして、恐らく本人は誰にも開示するつもりがないものと思われます。国家に所属している方ではありませんので、開示する義務もありません。得られるデータは、これくらいでしょう。――ただ天羽翔さんとは、良好な関係を築けていると思っていますわ」

「そうか……」

 

 セシリアは早く帰りたい、と願った。仲間たちの待つ、IS学園に。

 少なくとも彼らとだけは、打算的な付き合いをしたくなかった。どこの国の代表候補生だとか、男性IS操縦者だとか、そんな肩書きだけの付き合いだけは絶対にしたくなかったのに。自分の想いが踏みにじられた気がした。

 

「それでは、失礼します」

 

 逃げ出すように研究所から出たセシリアは、駆け足で迎えのリムジンへと飛び込んだ。その後チェルシーに何があったのかと問われたが、セシリアは何でもありませんわ、と誤魔化した。きっと、チェルシーは分かっているだろう。それでも、誤魔化していたかった。 

 努力して代表候補生になったことを後悔したことはなかった。代表候補生になったことで、翔たちとも出会うことができたのだから。それでも、セシリアは少しだけ、自分の代表候補生であることを後悔した。

 

 

 

 ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 

 

 

 それからのセシリアの生活はすぐ過ぎていった。オルコット家当主としての仕事の消化、ヴァイオリンの発表会、貴族の社交界など、言ってしまえばどうでもいいことが続いていた。気がつけば母国での時間は五日目に突入していて、残っている仕事は少しだった。

 だが、最後に残った「仕事」が、セシリアには一番大事だった。それは、死んだ両親の墓参りだった。

 

「……変わりませんわね、ここは」

 

 ロンドン郊外にある国立墓地。その一角に、セシリアの両親の墓はあった。その土を踏みしめ、セシリアは目の前にある一対の十字架に視線を移す。

 

「――ごきげんよう、お父様、お母様」

 

 手に持っていた花束をそこに置いて、セシリアは亡き両親へと話しかける。

 

(――そういえば、ここに来るのも、久しぶりですわ……)

 

 何年ぶりだろうか。両親が死んでから、数えるほどしか来ていない。

 

(無意識のうちに、逃げていたのかもしれませんわね)

 

 だとしても、今のセシリアに逃げる気はない。逃げずに、向き合うためにここに来たのだから。

 

「お父様、お母様。どうして、わたくしを置いて逝ってしまわれたの……」

 

 ポツリ、とセシリアは呟く。

 両親の生涯に関して、疑問は尽きることはない。どうしてセシリアを残して、両親は死んでしまったのか。どうして両親は不仲になってしまったのか、それとも元々望まない結婚だったのか。どうしてその両親が最期は一緒にあの世へと旅立ったのか。

 分からないことだらけで、それがもどかしくて、でもどうしようもなくて、幼いセシリアは両親のことから目を逸らしたのだった。

 

「わたくし、好きな人ができましたの。だからこそ、あなたたちの生き方が理解できませんわ。あなたたちが自然に出会って、愛し合って結婚なさったのなら、どうしてあのようなことに……」

 

 もしこれから先、翔と想いが通じ合って、二人で愛を育んで、その終着点として結婚が待っているとしたら、それはとても幸せなことだ。翔への想いは強くなることこそあれ、冷めることはないと、セシリアは確信を持っている。

 両親の結婚が、たとえ見合いだったとしても、もし政略だったとしても、幸せになる方法はいくらでもあったはずなのに。晩年の二人の関係は冷え切っていて、互いに幸せと言えたかどうかは疑問だ。

 

「お父様……」

 

 妻に、娘にさえも一歩引いた態度をとっていた父。そんな父が、セシリアは嫌いだった。弱気な父が、セシリアは嫌いだった。だが厳密に言えば、それは違った。セシリアが嫌いだったのは、父の弱気な態度ではなく、自分を娘として見てくれなかったことだった。

 

「お父様は、あんなに遠慮しなくてもよかったのです。わたくしはあなたに何も求めていませんでしたわ。ただ、あなたが父親として愛してくれればよかったのです。どこの出身かなんて、関係なかったのに……」

 

 そうしたら、何かが変わっていたかもしれないのに。父との日々に関して、セシリアの後悔があるとすれば、父へ求められなかったこと。もっと我儘であれば、父と無理矢理にでも接することができたかもしれない。それも所詮は後悔だ。過去が変わることはない。

 セシリアの意識は、母の墓石へ向かう。

 

「お母様……」

 

 いつでも優秀だった母親。そんな母親を、セシリアは心から尊敬していた。父とは違って、母はちゃんと母としてセシリアを愛した。

 

「あなたのことを、わたくしは本当に尊敬していましたの。この世が女尊男卑になる前から、経営者として立派に身を立てていたあなたは、いつでもわたくしの憧れでしたわ。ですが、もう少し力を抜いてよかったのではありませんか? あなたは、困ったときも、辛いときも一人で抱え込んで、一人で解決してしまいました。そんなあなたの姿は……」

 

 孤独だった。優秀であったから。強かったから。もしかしたら、そんな母の姿が父との不和を呼んだのだろうか。だとすれば、もう少し肩の荷を降ろす心の余裕があったのなら、家が壊れることはなかったのかもしれないのに。

 父と母。どちらが悪いとか、正しいとかではない。ただ、同じ場所で暮らす夫婦として、決定的にすれ違っていたのだ。

 それが分かったセシリアは、両親の墓石に強く語りかけた。

 

「わたくしは、あなたたちのようにはなりませんわ。わたくしは、翔さんと向き合って生きていきます」

 

 すれ違ってばかりだったセシリアの両親。二人が一緒に死んだのは、天からの最期の贈り物だったのではないだろうか。二人の遺体は、寄り添って見つかったそうだ。もしかしたら、最期の瞬間、二人の心は再び重なり合ったのでないだろうか。だとすれば、この上なく皮肉な最期だ。

 

「また来ますわ。――そのとき、翔さんも一緒に来ていただけたら、嬉しいですわね」

 

 セシリアはそう締めくくって、両親の墓地を後にした。

 勿論、両親が応えてくれることはない。それでも、セシリアの気持ちは来たときよりも晴れていた。

 

 

 

 ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 

 

 

 キィィィ――。

 旅客機の飛び立つ音を聞きながら、セシリアは再び日本の地に戻ってきた。

 両親に語りかけたことで、セシリアの中で何かが変わった気がした。両親の死と向き合ったことで、今生きていることに感謝できるようになった。生きて、素晴らしい仲間たちと、翔と出会えたことに感謝できる。

 母国に帰って一週間、会えない分だけ、想いも強くなった気がする。翔はIS学園にいるだろう。なら、会えるのは学園に着いてからということになる。

 

(――早く会いたいですわ……翔さん)

 

 たった一週間会えなかっただけで、こんなに想いが募るなんて。よく恋は人を盲目にするというけれど、それも仕方のないことだ、と思ってしまうセシリアだった。

 誰かに恋をすることで、こんなに幸せな気持ちになれるなら、盲目であっても構わないとさえ思う。

 

「――え?」

 

 セシリアは目に飛び込んできた光景に、思わず声を上げた。

 目立つ長身。短めの黒い髪。鼻筋の通った端正な顔立ち。その人は、確かにセシリアの目に映った。

 セシリアは、駆け出した。

 どうしてここに? 

 そんな疑問はあったが、そんなことはどうでもよかった。

 

「――翔さんっ!」

 

 溢れる喜びをそのままに、セシリアは翔の元へと走った。


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