IS インフィニット・ストラトス ~天翔ける蒼い炎~ 作:若谷鶏之助
――墜ちていく。
「翔さんッ!? 返事をしてください、翔さんッ! お願い、返事をして――!!」
どこからだろう。セシリアの泣き叫ぶ声が聞こえた。それだけじゃない。ラウラの慟哭も、一夏の呆然とした声も、まるで直接響いているかのように聞こえる。
泣かないでくれ、セシリア。君を泣かせたくなんてないんだ。
泣かないでくれ、みんな。俺はここにいる。俺は、ここにいるよ。
――ここ? こことは、どこだ? 俺は今どこにいる?
――俺? 俺、とは何だ?
俺は――……。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ピ、ピピピ……。カチャ、カチャ、カタタ……。
耳に入ってくる機械音と、誰かがキーボードを叩く音。様々な音が奏でる妙なオーケストラを聴きながら、俺の意識は覚醒していく。
「ん……」
目が覚めたら、俺はベッドの上で寝かされていた。体を起こした瞬間、全身に激痛が走る。
「う、くっ……!?」
よく見れば、全身を包帯で巻かれていた。貼り付けられている絆創膏、ガーゼなどは数え切れなかった。
「お、俺は――!」
徐々に記憶が蘇ってきた。
俺は福音と
ISが強制解除されたのなら、絶対防御は発動しない。その上先の戦場は海上だ。万が一あの最後の攻撃に耐えられたのだとしても、その後海に落ちれば溺死だ。つまり、死は免れない。なのに、何故俺は生きているのだろうだろう。
「あ、目覚めたんだね~」
「な!?」
物陰から、束がひょっこり現れた。
「た、束!? 何故お前がここに!?」
「確かに分からなくてもしょーがないかもねぇ、ここは私の新型居住用ラボだよ~☆」
居住用ラボ、というのは世界中を飛び回る束が、どこでも生活できるように作ったもので、俺もそこで生活したこともあった。ただ、束がまともに生活する気がないので、トイレや風呂、キッチンもない。だから束と放浪生活していたときは、普通のアパートなどを好んで借りていた。今回は新型らしいので、見たことが無いのは頷ける。
ちなみに、移動用ラボ内は、全ての通信機能が使えなくなる。インターネット、携帯電話の電波はおろか、ISのコア・ネットワークすら繋がらなくなる、言わば孤島だ。
ここはどこかは分かった。だが、疑問は残る。何故俺が生きているのか。あの状況なら、束に救出される前に死んでいたはずなのに。束がそんな俺の疑問を見透かしたように説明し始めた。
「何で生きてるのかって? それは、蒼炎のコアに組み込まれた特殊プログラムのお陰だよ」
「特殊プログラム?」
「そうだよ。操縦者が生命の危機に瀕したとき、一度だけだけど、いかなる状況であっても、操縦者であるしょーくんを私のいる場所に強制的にテレポートさせるプログラム。これがしょーくんが海に落ちて死にそうになってるときに、しょーくんを私の元へと転送してくれたのさ!」
「……そんなものが……」
知らなかった。そんなものが蒼炎に組み込まれていたなんて。
「いつの間に仕込んだ?」
「最初からさ。――蒼炎をしょーくんに渡した、あのときからね」
「そんなに前から……」
思えば、今回ほど死にかけたことは過去に一度も無い。プログラムの存在を束から聞いたことは無かったし、俺が何度蒼炎を整備していても気づかなかったのを鑑みると、そのプログラムは極秘のものだったのだろう。
そういえば、蒼炎が胸元に無い。周辺を見渡すと、ベッドのすぐ横に待機形態のネックレスが見えた。
「蒼炎は?」
「ダメージレベルはB。損傷したパーツと装備は全部予備で組み直したから、まあ問題はないと思うよ」
「そうか……」
呻きながら、ベッドから出る。
行かなければ。俺は傍に置いてあった待機形態の蒼炎を首にかけて、立ち上がった。勿論、戦場へと戻るためだ。体は痛むが、そんなことは言っていられない。まだ作戦は終わっていないのだから。
「ありがとう、束。助かった」
「お安い御用っ! しょーくんを助けるのは保護者としての私の義務なのだからー!」
俺はそれもそうだな、と苦笑して立ち上がった。
「……束?」
しかし、俺がラボから出ようとしても、束が出口に立ち塞がって動かない。
「束? 何をしているんだ? 外に出たいんだが……」
「――行かせないよ」
「!?」
しょーくんだめだよ、と再び念を押す束。
「それと、蒼炎は預かっておくからね」
束が指をすいっと動かすと、俺の首に掛かっていたリングとチェーンが、一瞬で束の手に移動する。
束はISの開発者だ。生活しているうちに知ったのだが、束には開発者権限とも言うべき全てのISに対する権限がある。束が蒼炎を所持しているなら、俺は蒼炎を操れない。これで、俺は飛べなくなったことになる。
「……何故、行かせてくれないんだ?」
束が、どうしてこんなことをするのか理解できない。束は「はあ」とため息を一つつくと、話し出した。
「しょーくんは理解してないみたいだね。あのプログラムの意味が」
「意味、だって?」
「そう。あのプログラムが発動したってことは、君は死にかけたってことなんだよ?」
「それは分かる。それ以上に何の意味があるというんだ」
束の意図が掴めない俺は、その意味を尋ねた。
「じゃあ教えてあげるよ。このプログラムの役割は、しょーくんの生命救助と、もう一つあるんだ。――それは、境界線さ」
境界線?
「これが発動したかしてないかで、しょーくんが戦って死んだかが分かる。発動しなけば君は戦って特に問題無く勝つか、負けるにしても死ぬことは無い程度。だけど、発動したならそれは君が負けて、死ぬ一歩手前だったことになる。だから、このプログラムは生きているか死んでいるかの境界線なんだよ」
そういうことか。つまり、俺は一度死んでいた、と。だが、それと俺を行かせないことに何の関係がある?
「じゃあ、しょーくん、問題です。私が世界で一番嫌なことは何でしょうか?」
「……『自由を奪われること』、だろう?」
知っての通り、束は自由に生きることを至上としている。故に、赤の他人にそれを邪魔されるのを何よりも嫌う
「ぶっぶー。ハズレ」
「ハズレ? 他に何がある?」
束が嫌いなもの。食べ物で好き嫌いは全く無い。好き嫌いが無い、というか食べることに興味が無いのかもしれない。だが、人間の好き嫌い以外に特にそんなものはなかったはず。
「正解は簡単さ。――それは、『しょーくんが死ぬこと』だよ」
束の答えは、予想し得ないものだった。
今、何と? 俺が死ぬのが嫌だと、そう言ったのか?
「はーっ、何で分かんないかなぁ。だって、私としょーくんはずっと一緒にいたんだよ? しょーくんは私にとって、弟のような、息子のような存在なんだよ。そのしょーくんが死ぬなんて、私は耐えられない」
俺は受けた衝撃を隠せずにいた。開いた口が塞がらない。
「分かる? 君に蒼炎を渡したのも、あのプログラムを仕込んだのも、君に死んで欲しくないから。私にとっては、しょーくんは唯一無二の存在。しょーくんが死ぬのは絶対に嫌なこと。だから、決めてたんだよ」
「……何を?」
「――もし、あのプログラムが発動するようなことがあったら、しょーくんをIS学園から退学させようって」
「なっ!?」
た、退学!?
待ってくれ。IS学園に入学しろと言ったのは束なんだぞ?
「本当なら、IS学園にも入学させたくなかったんだ。でも、君のためを思って、私はしょーくんをIS学園に入学させた。『IS学園を護って』とは言った。それはいっくんや箒ちゃん、ちーちゃんを護って欲しかったからさ。でも、そのことでしょーくんが死んじゃうようなことが起こるなら、私は迷わず君を退学させる」
それぐらい、私にとってしょーくんは特別なんだよ。
「束……」
一度も聞いたことが無かった、束の本心だった。
「だから、私の大事なしょーくんが、いっくんや箒ちゃんはまだしも、あんなどうでもいい人間のために命を賭けることなんて、許せない。もし、しょーくんが行きたいっていうなら、私を説得しなきゃダメだよ。それならしょうがない、って思えるぐらいの理由を、ちゃんと証明してくれなきゃ、ダメ。――そして、この『蒼炎』を納得させて、取り戻せるくらいの覚悟がなきゃ、ダメ」
今回俺を助けてくれたプログラムはもう発動しない。つまり、次は本当に死ぬ。
どうやら、俺は理解していなかったようだ。束がこんなに俺を大切に思っていたなんて、考えたこともなかった。俺と同じくらい、束は俺のことを思ってくれていた。
束の質問は、暗に俺に二択を迫っていた。束を取るか、仲間たちを取るか。そして、見極めているのだ。俺のことを救ってくれて、俺を本気で大切に思ってくれている束を振り切ってでも、仲間たちの元へと行くことができるかを。俺の仲間たちは、そこまでしてでも会いたいと思える人間たちなのかを。
束は俺を救ってくれた。そのことへの感謝は、今も俺の心に深く深く根付いている。
「……束、ありがとう。束がいてくれたから、今の俺がいる。束には感謝してもしきれない、だが……」
その束の言ったことを否定して行くなんて、言語道断だろう。
だが、俺は、俺は――!
「俺は……あいつらと一緒にいたい」
束のお陰であいつらと出会うことができた。相変わらずの一夏と箒、俺を信じてくれるセシリア、気さくで楽しい鈴、優しいシャルロット、兄として慕ってくれるラウラ。
その仲間たちを見捨てるなんて、俺にはできない。
「束との生活が嫌なわけじゃない。例え平穏ではなくても、束といられるならそれでいいと思う。……でも!」
「…………」
「やっと、出会えたんだ。一緒にいたいと思える仲間たちと」
束は何も言わず、ただ俺の話を聞いていた。
「――だから、頼む。行かせてくれ。あいつらのところへ」
束に言いたいことは言った。束は何も言わない。それでいい。
――蒼炎。
今度は相棒だ。蒼炎が答えてくれるかは分からない。それでも、俺は相棒に語りかける。
『――聞こえているぞ、我が主よ』
相棒は、応えてくれた。
『――改めて問おう、我が主よ。汝は何故、我を求める?』
今の俺は空を飛べない。だから翼が必要なんだ。行きたいところへ行くために、居たい場所に居るために。
『――だが我が主よ、思い出せ。汝は何故、力を、我を求めた?』
そうだったな。俺が
『――汝は言ったな。篠ノ之束を救うためなら、何を犠牲にしてもいい、と。故に、我は問う。汝は何故、その篠ノ之束を犠牲にする?』
尤もだ。相棒の言うことは正しい。束を護りたいと言ったはずの俺が、仲間を選ぼうとしている。俺の行動は矛盾しているだろう。
だが、犠牲にはしない。束の、俺に死んで欲しくないという思いは、絶対に。もう二度と、死んだりしない。束を……悲しませるような真似は、絶対にしない。
だから、俺はお前に誓う。俺は強くなる。今よりも、もっと。束の想いも、仲間たちも護れるように。
蒼炎。お前は、俺の翼だ。お前がいれば、俺はどこへでも行ける。もし、お前がもう一度、俺とあの空を翔んでくれるのなら……
「一緒に行こう。俺と、皆のところへ」
そのとき、束の手の中のリングとチェーンが光を放った。
『――承知した……』
脳裏に声が響いて、相棒は一瞬で俺の首へと戻った。つまりそれは、蒼炎が束の支配から抜け出し、俺の元に戻ってきたことを意味する。
『――汝の思い、しかと受け取った。汝が望むなら、我は何処へも参ろう、我が主よ……』
……ありがとう、蒼炎。
心の中で相棒に礼を告げると、俺の相棒は、胸元でもう一度光った気がした。
「まさか、この子が私の元から離れちゃうなんてねー……」
どこかがっかりしたような表情の束。それも仕方ないことかもしれない。ISは束の子供のようなものなのだから。親離れされたような心境なのだろう。
束はまたため息をつくと、オーバーにやれやれ、と言った様子で話し出す。
「これもしょーくんを信じろ、ってことなのかなぁ? だったらいいんだけどね……」
惜しむような、喜ぶような、悲しむような、複雑な笑顔の束。こんな様子の束は見たことがない。
「仕方ないね。行ってもいいよ、しょーくん。だけど、一つだけ約束して。絶対に死なない、って」
束はついに泣きそうな顔でそう言った。その歪んだ歪んだ表情に、胸を打たれた。
「――約束する」
生きて、必ず束のところへ帰る。俺は心に誓った。
「……行ってらっしゃい、しょーくん」
「ああ。行ってくる」
――ありがとう、束。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
俺は移動型ラボの外に出ると、胸の蒼炎にもう一度語りかける。
「見ただろう、束のあの表情を。俺は、俺たちは、もう二度とああなってはいけない」
今まで一度も泣いたところを見せたことがないのに、束は泣きそうになっていた。それだけ、俺を行かせたくなかったのだ。それだけ、俺を危険に晒したくなかったのだ。
だが、俺はセシリアとの約束も忘れてはいない。まだ彼女に何も渡していないのだから。
そして、
「約束は、守る」
仲間たちの悲鳴。束の悲しみ。いずれも、俺が弱さ故に生まれてしまったもの。もう二度と、見たくはない。
「蒼炎」
今のチェーンとリングからは、溢れんばかりの力を感じる。その力が、俺を空へと駆り立てる。俺はイメージをチェーンとリングに投射し、蒼炎を待機形態から解き放つ。
――さあ行こう、仲間たちの元へ!
「――
一気に蒼と赤の装甲が形成され、俺は大空へと飛翔した。無限の可能性。さらなる高みへの進化。それこそが、
鋭角的な印象を与える各種装甲と、目を惹く蒼と赤のコントラスト。だが、今までと決定的に違うことが一つ。それが、俺の背から発生している蒼い光の翼だ。
これが、進化した俺のIS、『蒼炎』第二形態――『蒼炎・
外は、雨だ。海も黒く、空も黒い。だが、今の俺なら晴らせる。曇りきった空も、悲しみの詰まった雨も、全て俺が晴らしてみせる!
「急ぐぞ!」
煌く翼を広げ、俺は戦場へと急いだ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
最高速度で戦場に着いた俺は、
「させるかっ!」
俺は瞬時加速《イグニッション・ブースト》で突っ込み、チェーンにセシリアを胸に抱くと、広げた翼を閉じる。俺の翼は、しっかりと鎌を防いだ。
「――何っ!?」
ボロボロなったブルー・ティアーズ。シールドエネルギーはゼロだろう。
あのまま鎌がセシリアを切り裂いていたらと思うと、背筋が凍る。間一髪だった。
「間に合ってよかった……」
セシリアを抱きしめる力を少し強めた。彼女の髪のにおいが、ふわりと俺の鼻腔をくすぐる。
本当に、本当に間に合ってよかった。
蒼炎の翼に包まれたこの蒼い空間の中で、俺を半信半疑に見つめるセシリア。無理はない。俺は死んだと思われていたのだろうし、実際一度死んだに等しい。
翼を、開く。蒼い燐光が舞い散り、セシリアを抱いた俺が現れる。
「何で……何であんたがここにいるんだいっ!?」
やつは無視し、今はセシリアに目を向ける。セシリアは震える声でようやく言葉を搾り出した。
「どう、して……?」
セシリアの大きな瞳は涙をいっぱいに湛えて、俺を真っ直ぐ見つめてきた。俺は笑って答えてやる。
「どうして? 君を助けるのに、理由が要るのか?」
助けることに理由なんて要らない。セシリアを助けることなんて当然だ。
いつでも君は俺を信じてくれた。そんな君を、俺が見捨てるはずがないだろう?
「――君を護る。そのために、戻ってきたんだ」
煌く翼をはためかせ、俺はセシリアに言った。