IS インフィニット・ストラトス ~天翔ける蒼い炎~ 作:若谷鶏之助
1
チュンチュン……。
鳥のさえずる声がまだ眠い俺の意識をつつく。アラームが鳴っていないから、まだ五時半より前のはず。
「あぁ……」
呻きながら目覚まし時計を手に取ると、案の定時刻は午前五時二三分。セットした時間は三〇分、つまりアラームが鳴る七分前である。
「起きるか……」
微妙な気分なまま体を起こす。しかしアラームが鳴る前に起きるのはなんとも気分が悪い。何か損をした気分になる。目が覚めてしまったものはしょうがないが。
「……ん?」
ふと、布団の下の方を見ると、あるはずのない盛り上がった部分が存在していた。
……嫌な予感がする。だからといって無視するわけにもいかず、ばっと勢い良く掛け布団を取り去った。
「ら、ラウラッ!?」
そこにいたのは、一糸纏わぬラウラ・ボーデヴィッヒ――もとい我が義妹だった。
ある程度予想してはいたが全裸は予想外だった!
「ら、ラウラ、お前何をしている!」
「んあ……、お兄様……?」
目をごしごしして言うラウラ。
そうなのだ。何を思ったのか、この一週間ほど前からラウラは俺の義妹になってしまったのだ。仮にも家族なのでボーデヴィッヒと呼ぶわけにもいかず、ラウラと呼ぶことになったのだが、最近はお兄様と言っては俺にくっついて、まるで離れようとしない。その都度セシリアは何故か怒るし、困ったものである。
「おはよう、お兄様」
煌く銀髪を流し、ラウラはにこりと俺に笑いかけた。
「そんなのんきなことを言っている場合か! 何故ここにいる! そして何故全裸なんだ!? とにかくさっさと服を着ろ!」
俺はラウラを出来るだけ見ないようにして、ベッドから降りる。何故だ、とラウラは首をかしげた。
「兄妹とは同じ寝床で寝るものではないのか?」
「違う!」
即答した。そういう兄妹もいるだろうが、俺たちはそういう兄妹でいたくはないと心から思う。主に俺の精神衛生上の問題で。
「日本ではこういう起こし方が一般的だと聞いたぞ? 強い絆で結ばれる者同士の定番だと」
「夫婦か!」
前からちょくちょく思っていたが、こいつに間違った知識を教え込んでいるのは一体誰なんだ。
俺が頭を抱えていると、ラウラはふふん、と全裸で胸を張って誇る。
「しかし、効果はてき面だったな」
「何がだ」
「目は覚めただろう?」
「当たり前だろうが!」
「もぐっ!?」
ツッコミがてらばさっと毛布をかぶせた。これで目が覚めないやつは眼球が腐っているとだけは言っておく。
「と、とにかく! 俺は素振りをしに行ってくるから、お前はちゃんと部屋に戻れ。いいな?」
ラウラがもぞもぞしながら毛布から頭を出すと、とても悲しそうな顔をする。
「い、行ってしまうのか……?」
「……うぐっ」
うるる、と上目遣いにで見つめてくるラウラ。で、出て行きにくい……! このまま放っていくのも何か罪悪感が残る。
「……す、少しだけなら、構わない」
どうしていいか分からず、結局こう言ってしまった俺だった。
確かに、このまま出て行くのも可哀想なので、少し一緒にいてやることにしよう。それに、仮にもラウラは妹なのだ。ラウラは今までずっと一人だった。初めて繋がりが出来たのが嬉しいのも分かる。……が。
「ありがとうお兄様っ!」
「だからと言って抱きつくなぁあー!」
その都度飛びついてくるのは勘弁願いたかった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
その頃、セシリアはふっふふーん、と上機嫌に鼻歌を歌いながら、優雅に廊下を歩いていた。
セシリアの朝はそれほど早いほうではないが、今日は偶然早く目が覚めた。二度寝しようかとも思ったが、ばっちり目が覚めてしまったからそれもできないので、起きることにした。
寝起き直後だったが、明晰なセシリアの頭脳は翔の日課にすぐ気づいた。
(この時間帯でしたら……翔さんは素振りをなさっているかしら!?)
現在午前六時。早起きな翔は、もう既に起きて素振りをしていることだろう。
(また見られるのですね!)
翔の素振りはとても格好良い。今までに何度か見ているが、見るたび必ず心を奪われてしまう。いつもは朝早くなので拝むことはできないが、こんなときくらい見てもいいのではないか。
そんなこんなで、セシリアは普段翔が素振りしている裏庭に向かったのだが……。
「だ、だから離れろと――っ」
翔の部屋の前を通ったとき、翔の声が中から聞こえた。
(あら? まだ部屋にいますの?)
必死に何かを叫んでいるだけでなく、ドタバタと物音も聞こえる。妙に感じて、セシリアは部屋を訪ねてみることにした。
「翔さん? 翔さん?」
コンコンとノックをするが、返事は返ってこない。大きい物音がするだけ。
……何かおかしい。
「翔さん、入りますわよ」
失礼を承知で、セシリアはドアを開けた。ドアを開けたセシリアを待っていたのは――。
「だから、抱きつくなと何度言えば分かるっ!」
「いやだ! 授業まで一緒にいたい!」
全裸で翔に抱きつくラウラの姿だった。
「…………」
セシリアの頭が、すーっと怒りで冷える。戯れていた翔が、極限の笑顔をしたセシリアに気づき、顔面を蒼白にした。
「い、いや、違うんだセシリア。これは……」
「――覚悟は、よろしいですわね?」
「……お、お手柔らかに頼む」
「ふふふ、却下ですわ」
後に、翔はこのときのことを「セシリアが本気で殺人鬼に見えた」と一夏に語ったという。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
キーンコーンカーンコーンと、いつものように朝の予鈴が鳴った。
俺はしっかり着席しているが、一夏とシャルロットの姿が見えない。これは遅刻確定だ。
それにしても、朝から酷い目に遭った。結局素振りにも行けなかったし、散々だった。
「…………」
言わずもがなセシリアの機嫌は最悪だし、ラウラと目を合わせてはバチバチと火花を散らしている。しかも俺を挟んでやらなくても、と思う。胃が痛い。
しかし何故セシリアはあんなに怒る? 俺がセシリア以外の女性と話していたらいつも―――。
……ん、待てよ。そういえば怒るのは女性と話していたりしたときだけで、一夏と話していても不機嫌にはならない。これは一夏に好意を寄せる箒や鈴音と同じだ。ということは、セシリアが不機嫌なのは嫉妬ではないだろうか? ま、まさかセシリアは俺に好意を……!?
いやいや、それはないはずだ。俺とセシリアは友達であって、そんな関係になるような間柄では……、最初の印象も最悪だったはずだが……。
ま、まあいい。考えていても変わらない。セシリアに「俺のことが好きなのか」などと聞くわけにもいかんし。
「到着っ!」
そんなとき窓から現れたのは、ISを部分展開したシャルロットと、彼女に掴まる一夏だった。ISを展開して遅刻を回避するなどもはや苦肉の策ではないか。優等生のシャルロットらしくない。
「おう、ご苦労」
そのシャルロットの唯一の誤算は、我らが鬼教師がもう既に教室にいらっしゃるということに尽きる。
バシンッ バシンッ
小気味のいい音がして、出席簿が二人の頭を襲った。
ふふ、痛いだろう、ざまあみろと内心で嘲笑っている自分がいた。シャルロットのような普段怒られない者が怒られるのを見るのは愉快である。
しゅどっ
「おぐっ!?」
前頭部を異常な痛みが襲った。何かと思えば、チョークが粉を立てて俺の額にめり込んでいた。投擲姿勢のままの織斑先生から指導のお言葉をたまわった。
「阿呆が。くだらんことを考えるな天羽」
「…………」
く、くそ。心を読めるとでもいうのかあの鬼は……!
「さて、デュノア。敷地内でも許可されていないIS展開は禁止されている。意味は分かるな?」
「はい……すみません……」
うな垂れるシャルロット。
もし俺が蒼炎を展開するときなら、それはきっと命の危険があるときのみだ。死にたくなかったから、と堂々と言い訳させてもらうつもりでいる。
「織斑とデュノアは放課後掃除をしておくように」
「はい……」
二人は沈んだ表情で自分の席に着いた。
「さて、今日は通常授業だったな。IS学園生とはいえお前たちも扱いは高校生だ。赤点など取ってくれるなよ」
そうか、そろそろ期末テストか。
IS学園には中間テストはないが、期末テストはある。いくらIS学園でも、普通のお勉強もしなさいと国から言われている。まあそれでなくてもIS学園の生徒は成績優秀な者ばかりだ。赤点常習犯などほんの一部と聞く。
ちなみに、俺は全く問題ない。高校程度の知識ならばもうほぼ履修済みだ。束と一緒に生活していた六年間で、大学レベルまでは学習した。どこでも生活できるようにするには、教養も必要だからだ。
思い出したが、ここ二ヶ月ほど、束と全く連絡できていない。毎日俺が疲れてすぐに寝てしまうし、いざ連絡しようと思ったときにも全く繋がらない。いるのは分かるのだが、会話ができない。ちょうど、あの無人機が襲撃してきたときからだ。あの事件が束によるものだとは思いたくないが、その可能性を捨てたわけではない。連絡が取れないのも不審さに拍車をかける。だがそんな不安を感じさせないかのごとく、IS学園の日々は過ぎ去っていく。俺はそれに身を任せるままだ。
「それと、来週からはじまる校外特別実習期間だが、全員忘れ物などするなよ。三日間だけだが学園を離れることになる。自由時間では羽目を外しすぎないように」
もう一つ言い忘れていた。来週、七月頭から校外実習―――臨海学校があるのだ。
二泊三日の初日は、なんと一日丸ごとフリーになっている。つまり海で遊びたい放題、ということだ。クラスメイトたちはそのことでえらく盛り上がっているが、何が楽しいのか俺には全く理解できない。良く考えろ。海に行くということは、全員水着だぞ? 一面の水着女子という光景に、俺が耐えられると思うのか?
答えはノーだ。無理。不可能。ISスーツでさえギリギリの極限状態だというのに、さらに露出の多い水着なんぞは絶対にアウトだ。水泳の授業で見てきたスクール水着ならまだしも(このときも死にそうになったのは割愛するが)、へそが見えるビキニタイプなんて耐えられるはずがない。
何故女性という生き物はあんなに破廉恥な格好をして何が楽しいのだろうか。心底そう思う。
「臨海学校……憂鬱だ……」
チョークが刺さって痛む額を押さえ、机に突っ伏す俺だった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「よいしょ、っと」
一夏が持っていた机を動かし、別の場所に移動させる。放課後に教室の掃除を命じられた一夏とシャルロットの二人は、千冬に言われた通り一年一組の教室を掃除していた。
(ど、どうしよう……、二人っきりだなんて……!)
シャルロットは、放課後の教室に二人っきり、という状況にドキドキと胸を高鳴らせていた。
「あ、あのさ、一夏」
「ん? どうした?」
「その、ごめんね。朝のこと。僕のせいで……」
「いいって。もしシャルロットがIS使わなくても、俺たち遅刻してたわけだしな」
「そ、そっか……」
この一言で会話が終わってしまい、シャルロットは忙しなく雑巾を動かすしかなくなった。
おかしいな、今までもっと自然体で話せていたはずなのに。一夏との距離感にもどかしさを感じるシャルロットだが、
「そういえばさあ」
「な、何?」
「何で女子として再入学することにしたんだ? 別に男子としてここにいることもできたわけだろ?」
「え!? そ、それは――」
いろいろと事情があるシャルロットとしては、そのことを聞かれるのは痛かった。だがこのまま曖昧にしたままにするのも嫌なので、言うことにした。
「ちゃんと、女の子として見て欲しかったから、かな。二人きりのときだけ女の子なんて、中途半端だし……」
先日二人で風呂に入ったとき、シャルロットは「二人きりのときだけシャルロットと呼んで欲しい」と一夏に頼んだ。一夏はそれを快諾し、今に至るわけだが、シャルロットはすぐにそれを後悔するはめになった。
というのも、一夏に一途に想いを寄せる箒と鈴音に申し訳ない気がしたのだ。もしシャルロットが男子のままであったなら、部屋だってずっと一緒だっただろう。男子として一夏の傍にいて、二人きりのときには女子になる、というのは二人の気持ちを知っている身として、許せないものがあった。
「だ、だからさ、一夏だけじゃなくて、皆にも知って欲しかったんだよ。ありのままの僕をね」
「そうか。しかし、それならシャルロットって呼ぶの普通だよなあ?」
「そ、そんなこと……」
「――あ。なら別の呼び名考えようぜ。俺とシャルロットだけの」
お、「俺とシャルロットだけの」!?
最後の一言で、シャルロットは真っ赤になる。
「シャルロットがよければ、だけど」
「い、いいよ! 全然いい!」
大げさに首を振って、シャルロットは否定した。
(ぼ、僕と一夏だけの呼び名かぁ。嬉しいな! ねえ、これってちょっと特別ってことだよね!? うん、そうだよ! 間違いないよね!)
脳内で質問、回答、確認を済ませ、シャルロットはうーんと考え込む一夏へ熱い視線を送っていた。
「そうだなあ、『シャル』、なんてどうだ? 呼びやすいし、親しみやすいし」
「シャル。――うん! いい! すごくいいよ!」
目を輝かせ、シャルロットは頷く。
「シャル、かぁ。ありがと、一夏!」
満面の笑顔のシャルロットを見て、一夏は穏やかに微笑んだ。
「――でな、シャル。一個頼みがあるんだ」
「な、なに?」
「付き合ってくれ」
「――え?」
シャルロットの時間が止まった。