IS インフィニット・ストラトス ~天翔ける蒼い炎~ 作:若谷鶏之助
「う……」
ラウラは保健室のベッドで目が覚めた。
「気がついたか」
そう声をかけたのは、ラウラが尊敬してやまない織斑千冬だった。
「私……は……?」
「全身に無理な負担がかかったことで筋肉疲労と打撲がある。しばらくは動けないだろう。無理はするな」
千冬は体を起こそうとするラウラを制した。
「一体、何があったのですか……?」
まだぼーっとするラウラをそのままに、千冬は今日の説明を始めた。
「……VTシステムは知っているな?」
「はい……」
VTシステム、正式名称は『ヴァルキリー・トレース・システム』。
過去のモンド・グロッソの
普段は巧妙に隠されていたが、条件が揃うと発動する仕組みになっていたようである。その条件とは、操縦者の精神状態、機体の蓄積ダメージ、そして操縦者本人の強い願望。この三つだ。
ラウラは自分の行動を恥じた。一人で戦った結果追い詰められ、心の中から聞える魔の囁きに耳を貸し、破壊しか生まない力に身を投げた。
「――ご迷惑を、おかけしました」
「構わんさ。それを言うならあいつらに言ってやれ」
千冬の言う「あいつら」とは言うまでもない、あの二人――天羽翔と織斑一夏だ。
そこで、ラウラは一つ思いついたことがあった。
「……あの、教官」
「何だ?」
「一つ、お願いしてもよろしいですか?」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
一夏は保健室の前に立っていた。
(千冬姉に呼ばれて来たが、一体何があるってんだ?)
千冬が翔と一緒に保健室に来いと呼んだので来た一夏だったが、その理由は全く分からない。一緒に呼ばれた翔は、セシリアに捕まってそれどころではないので、ひとまず一夏が一人で来た。
「失礼しまーす」
扉が開く音と共に、砕けた口調で一夏は保健室に入って行った。
「織斑……一夏……」
「ら、ラウラ……!」
そこにいたのは、ベッドで体を起こして座っていたラウラだった。
「どういうことだ? 俺は千冬姉に呼ばれて来たんだけど……」
「私が教官に頼んだのだ。織斑一夏と天羽翔と話がしたい、と。……天羽翔は?」
「翔? ――ああ、あいつなら今セシリアに捕まって来れないんだと」
「……そうか、残念だ」
ピットに戻った翔を一番迎えたのは、眉間に皺を寄せたセシリアだった。一夏は恐れをなしてそそくさと逃げたが、後から聞いたところによると、傷の治療中も説教をされ続けたらしい。翔があれだけげっそりしていたので、相当シメられたのは間違いなさそうだ。
もし翔がセシリアと結婚したら、間違いなく尻に敷かれるだろうなと一夏は思ったのだった。
「織斑一夏……」
「何だ?」
「――すまなかった」
「!」
ラウラはゆっくりと頭を下げた。一夏はラウラの急激な態度の変化に驚いたが、思い当たることはあった。あれだけ翔が必死に行動していたのだから、翔が何かしたのだろう。
「天羽翔が、言っていたのだ。織斑一夏は強いと。自分は織斑一夏に救われたと。だから、私はお前と話たいと思った」
翔の言葉は一夏には信じがたいことだった。一夏は自分を強いなどと微塵も思っていないし、翔を救った覚えもない。翔に助けられたことはあっても、翔を救ったと言われるほど大したことはしていない。
「俺は、強くなんかねえよ。全然強くない」
一夏はIS学園に入学して、それを更に痛感することになった。
「だが、天羽翔はそう言っていたぞ?」
「…………」
ラウラが嘘を言っているとは思えないから、本当に翔はそう言ったのだろう。
「そうか。……まあ、翔が言ったんなら、そうなのかもしれないな。俺は強いのかもしれない」
「では何故だ? お前は何故そんなに強く在れる?」
そうだな、と一夏は考えた。思いつくまま、その答えを口にした。
「強くなりたいから、強いんじゃないか?」
自分が強い理由……そんなことは一度も考えたことが無かったから、あまりピンとは来ない。
「やりたいことがあるんだ。だから強くなりたい。そう思ったから、強いんじゃないのか? 俺は良く分からんけど……」
「……やりたいこと、とは?」
「――誰かを、守ってみたい。自分の全てを使って、ただ誰かのために戦ってみたい」
「!」
一夏は、その瞳に確かな意思を浮かべて、そう言った。
「それは……まるで、教官のようだ」
そうか。そうだったのか。ラウラは何度も繰り返した。一夏にその意味はよく分からないが、ラウラは一夏のどこかに姉の共通点を見出してくれたらしい。
「天羽翔が言っていたことは、嘘ではなかった。やはり貴様は強かった。力ではなく、その心が。暖かく、それでいて力強い」
「お、おお……」
ベタ褒めだった。それも真剣な表情で言うのだから、むず痒い。
「あ、メール。……翔からだ」
一夏はポケットから携帯を取り出すと、内容を確認した。
「ラウラ。翔は今日は来れそうもないと」
「そうか。残念だ」
翔はまだセシリアから開放してもらえないらしい。
「じゃあな。お大事に」
「ああ」
優しげにラウラは言う。殊勝な態度のラウラに踵を返し、一夏は部屋を後にした。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
『トーナメントは事故により中止になりました。ただし――』
俺たちはいつものメンツで夕食を食べている最中だ。
俺の肩の傷は結構深かったようで、何針か縫った。今日は左腕が使いにくいが、幸い俺は右利きだから大したことはない。本日の夕食は鯖の味噌煮。良く味噌の味が染み込んでいて非常に美味だ。のだが――。
「セシリア……た、頼むからもう勘弁してくれ……」
「嫌ですわ」
セシリアが俺に言った。……そう、セシリアがくっ付いて離れようとしないのだ!
無茶をした俺に与えたお仕置きと称して与えられている罰が、これだ。あの後事情散々尋問され(主にボーデヴィッヒのことについて)、説教され、その上二時間のくっつきの刑に処されているわけである。罰にしては重すぎではないだろうか。
流石に食事中はと見逃してくれているが、さっきまでセシリアは俺に腕を絡めてきていた。その上……
「あのだな、セシリア、非常に言いにくいんだが……」
「何ですの?」
「……その、当たってるんだが……!」
やんわりとだが、それでも確実にあれが当たっていた。本人曰く「気のせいですわ」とのことだが、絶対気のせいではなかったと確信している。制服の上からならあまり分からなかったが、セシリアもなかなか……その感触たるや、俺の混乱度合いを三割増であががががが……(混乱)。
と、ま、まあこんなこともあったのだ。
まだ開始から一時間しか経っていない。あと一時間もこんな状態で過ごせと言うのか。食事でいくらか時間が経つにせよ、確実にまた手を握られる時間が来る。そうなったらと思うと、全く食事が進まない。
何十人かの女子たちは沈んだ表情をしていて、中にはこんなことを言う者もいた。
「……優勝……チャンス……消え……」
「交際……無効……」
「……うわああああああんっ!」
と、いうわけである。あいつらには悪いが、俺としては万歳だった。
「どうしたんだろうな、あいつら」
「さあな」
一夏は分かっていなかった。最初から期待していないから安心してくれ。
呆れ半分に流し目をしていたら、「あ、そういえば」と一夏が思い出したように言った。
「そういえば箒。先日の約束だが――」
「何ッ!?」
静かに箸を進めていた箒がマッハで反応した。早い。だが待て、一夏。ここでその話題をしたら――!
「ちょ、ちょっと、約束って何よ!」
「そ、そうだよ一夏! 聞いてない!」
案の定、鈴音とシャルルが抗議の声を上げ、事情の説明を求めた。二人はぎゃーぎゃーと騒ぐが、一夏は全く気にしない。
ああ、やめてくれ。これ以上俺の精神に負担をかけないでくれ。
「付き合ってもいいぞ」
心からそう願ったが、どうやら神様は耳を塞いでいたようである。
一瞬、この場の時が止まった。
「ほ、ほほほほ本当かっ!?」
目を輝かせる箒。ダメだ箒、喜ぶな。喜んではいけない。一夏だ。一夏なんだぞ?
「そりゃ、幼馴染の頼みだからな、付き合うさ」
「そ、そうか!」
この会話の時点で、何かがおかしいことに気付いたのは俺だけではないはずだ。
「買い物くらい」
――ご愁傷様。
箒の髪がボッと逆立ち、顔が鬼のそれに変わった。
「そんなことだろうと……そんなことだろうと思ったわぁああ!!」
どげしっ
「ぐはっ!?」
腰の回転を利用し、ひねりの加わった正拳が一夏の脳天を襲う。
自業自得とはまさにこのこと。南無。
「ふんっ」
機嫌を最悪にしまった箒は、さっさと席を立ってこの場を後にした。
「一夏ってさ、たまにわざとやってるんじゃないかって思うときがあるよね」
「同意」
「同意ね」
「同意ですわ」
地面で屍になっている一夏に、全員が呆れていた。同時に、箒に同情した。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「あ、織斑君、天羽君、デュノア君、ここにいましたか!」
一騒動の後、山田先生が俺たちのところにやって来た。
「朗報です!」
朗報? 何のことだろうか。まさかこの「腕にくっつき二時間の刑」を終わらせてくれるのか? だとしたらこの上ない朗報だが。
「どうしたんですか?」
「なんとですね……ついに、ついについに、男子の大浴場使用が解禁です!」
「おおお!」
刑の停止令は出なかった。残念。
無類の風呂好きの一夏は声を上げて喜んだ。入学してから風呂に入りたいと常々言っていた一夏だ、納得の反応である。
「三人とも早速お風呂にどうぞ。今日の疲れもゆっくりお風呂に使って取ってくださいね」
ふむ、風呂か。三人で――。
「「「……あ」」」
しまった。忘れていた。シャルルは女だった。
「(ど、どうする、翔!?)」
「(どうしようもないな。もう運命に身を委ねろ)」
一夏は焦っているようだが、俺はそうではない。何故なら、この状況を打破するジョーカーが俺にはある。
「山田先生」
「はい。何ですか天羽君?」
「残念ですが、俺は遠慮させてもらいます。肩の傷がこんな感じなので」
俺は左肩の切り傷を指して言った。
「おい、待て翔!?」
「そうですかー。仕方ありませんね……」
「本当に残念です」
さて、当面の危険は回避、と。余裕たっぷりに食後の緑茶をすすった。
「翔、お前逃げたな!?」
「仕方ないだろう。ドクターストップが掛かっているのは本当だ。それに、ペア組むとき俺を仲間はずれにしたのは誰だ?」
「ぐっ……!」
一夏が言葉に詰まる。これを言うと一夏は言い返せない。当分使えるな。
「まあ、二人でごゆっくり」
「ま。待ってくれー!」
一夏とは対照的に、シャルルは頬を赤らめていた。
この後どうなったかは、俺は知らない。
「翔さん」
「ん?」
「あと三十二分残っていますわよ」
「ぐ……っ」
結局残り三十二分、俺は再びセシリアにくっつかれたのだった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
翌日、朝のホームルームにはシャルルの姿がなかった。
「一夏。シャルルは?」
「いや、俺も知らないんだ」
ルームメイトの一夏が知らないなら、誰に聞いても無駄か。いつものように教科書を用意していると、教室の扉が開いた。
「み、みなさん、おはようございます……」
よろりとよろけながら、山田先生がホームルームに入ってきた。
何があったのだろうか。こんなに疲れ果てた山田先生を見るのは初めて見る。
「今日は、ですね……みなさんに転校生を紹介します……」
転校生? また? しかもうちのクラスに。問題になるのでは?
そんな俺の心配を他所に、教室がざわつき始める。おい本当にいいのか。まさかまた男子とか言うのではないだろうな?
「それでは、入ってください……」
「失礼します」
明るい声がした。どこかで聞いた声だ。
「ま、まさか――」
かくして、俺の予想は正しかった。現れた人物は、俺の良く知る男――ではなく、「女」。女子の制服を身に纏ったシャルルが、そこにいた。
「シャルロット・デュノアです。皆さん改めてよろしくお願いします」
ぺこりと行儀良くお辞儀をするシャルル――改め、シャルロット。
「えーっと、デュノア君は、デュノアさん、でした。ということです……。はぁ、これで部屋割りが……」
山田先生が沈んでいた原因がはっきりした。男だと思っていたシャルルが女だったという事実が、クラスメイトに与えた衝撃は大きかった。
「え? デュノア君って、女……?」
「おかしいと思った! 美少年じゃなくて美少女だったわけね」
「って、織斑君、同室だから知らないってことは……」
「ちょっと待って! 昨日って確か、男子が大浴場使ったわよね!?」
――あ。これはまずい。
「いいいいいちいいいいいいかあああああああああーーー!!」
教室のドアを蹴破って、鈴音が突入してきた。
「どういうことよ! 説明しなさい!」
「そうだぞ一夏! 貴様まさか……!」
鬼もかくやとばかりに怒る鈴音。織斑先生が放り出す間もなく箒も参戦し、早くも一年一組は混沌の様相を呈している。一夏は弁明に苦心していて、二人を宥められない。
どうしたものかと考えているうちに、俺の周りにもクラスメイトたちがわらわら集まってくる。
や、やばい、
「あ、天羽くんも一緒に入ったの!?」
「もしかしてデュノア……さんに男子二人共ペロリんちょされたの!?」
「あ、いや、その……!」
ああ、舌が回らない! 大体何が「ペロリんちょされた」だ! 風呂には入ってない!
事情を知っているセシリアが分断されて援護できない。まずいぞこれは……!
「どうなの天羽くん!」
「天羽くん!」
「翔様、答えて~!」
あ、ああ、意識が――……。
「――天羽翔!」
凛とした声がクラス中に響き渡った扉に立っていたのは、腕を組んで仁王立ちするボーデヴィッヒだった。
「貴様に話がある!」
覇気のある一言に、俺の周りにいた女子たちはモーセの十戒の如く道を開けた。同時に俺の負担もふっと和らぎ、俺はほっと一息ついた。
一喝して開いた道を歩いてくるボーデヴィッヒ。堂々と進むその姿に、先日の弱々しい様子は見受けられない。
「ISはもう大丈夫なのか?」
「ああ。かろうじてコアは無事だったからな。予備パーツで組み直した」
ボーデヴィッヒは俺の前でぴたりと止まった。
デジャヴを感じる。転校してきた初日、ボーデヴィッヒは一夏に張り手をかましたのだった。まさか打たれることはないと……。
「天羽、翔……」
口をきゅっとつぐんで、ボーデヴィッヒは俺をじっと見つめている。
そして、俺に抱きついた。
「な、なな、何をしているんだッ!?」
「……天羽、翔――いや、『お兄様』!」
お、お兄様!?
「――私の、家族になってくれないか!?」
「……は!?」
今、何と? もう、何がどうなっているのか全く分からん。
「お、お兄様は、言ってくれただろう? 私たちは家族みたいなものだと。私はずっと家族が欲しかった。だから……」
「い、いや、だからと言って……」
「だ、ダメか……?」
「…………」
上目遣いで、しかも潤んだ瞳で俺を見上げるボーデヴィッヒ。さっきのは、一世一代の告白も同然だったろう。初めてできた仲間に、もっと近い関係になりたいと言ったのだから。
……しかし、家族か。俺はふっと笑った。
俺はこいつの仲間になると決めたのだ。ならこいつの想いに答えてやるのも俺の役目だ。
「――ああ、分かった。お前の兄になってやる」
「ほ、本当か!? ありがとう、お兄様!」
さらにぎゅーっと抱きついてくるボーデヴィッヒ。あまりにキャラが変わりすぎて、俺はついていけない。そして公衆の面前で抱きつかれているのが非常に恥ずかしい!
「や、やめろ抱きつくなっ!」
「ああ、お兄様……」
まるで子猫のように俺にすりついている。くそ、ひっぺがすのは無理そうだな、どうしてくれようか……。
――ぞくり。
……嫌な視線が背中に刺さる。恐る恐る振り返ると、その先には般若の笑顔を浮かべたセシリアが。
「……ふふ、嬉しそうですわね」
俺の目を碧眼が射抜く。その視線は《スターライトmkⅢ》の放つレーザーの如く。その顔はどこまでも笑顔だった。だが俺は知っている。この笑顔は極限の怒りによって発生するものだと。
「お、お兄様は大胆だな……」
ようやく気が付いたが、俺はボーデヴィッヒを抱きかえたままだった。
「……ふ、ふふふ……翔さん、あなたは本当に……!」
「ち、違うぞ。これは――危ない!?」
今度は本物のレーザーが俺を襲う。このままでは命が何個あっても足りない。
一夏の方を見ると、一夏は箒と鈴音、加わったシャルル――シャルロットから逃げ回っていて、俺を助けるどころの話ではない。
仕方ない。ここは一旦窓まで行って、飛んで逃げよう。そうすれば死なずにはいられる。
「逃がしませんわよ!」
「待ちなさい一夏ー!」
爆音、悲鳴、罵声、あらゆる音が、一年一組を揺らしたのだった。