IS インフィニット・ストラトス ~天翔ける蒼い炎~   作:若谷鶏之助

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 一人だ。

 私はまた、一人か。

 ラウラは、暗い空間に一人、膝を抱えてうずくまっていた。

 何も見えない、聞こえない、感じない。この空間では、自分の存在さえ希薄になって、今すぐにでも消えてしまいそうになる。

 己が揺るがないほどの力を求めたはずだ。なのに何故こんな場所にいるのだろう?

 また一人だ。暗い。寂しい。教官、あなたがいてくれなければ、私は――。

 

 そんなとき、声が聞こえてきた。

 

「ボーデヴィッヒ!」

「誰だ?」

「聞け、ボーデヴィッヒ! 俺だ!」

「天羽、翔……?」

「そうだ、俺だ!」

 

 天羽翔? 何故、こんなところにいるのだろう?

 そんな疑問がふとよぎったが、一人ぼっちの「ここ」に来てくれたのを少し嬉しく思った。

 ラウラは、赤と金の色彩の違う両目をゆっくりと開いた。そこには、やはり翔がいた。彼は目を開いたラウラを見て、どこかほっとしたように、

 

「馬鹿野郎が。お前は、俺のペアだろうが。お前があんなシステムに呑まれたせいで、全員迷惑している。俺はその尻拭いをしているんだぞ」

 

 と言った。説教するような癪に障る言い方に、ラウラはむっと言い返す。

 

「余計なことをするな。私は、それでも構わないのだ。どんなものであろうと、私には力が必要なのだ。強くなるために」

「ふざけるな!」

 

 翔が思い切り叫んだ。その反応にラウラは少なからず面食らった。

 

「力の本質を見誤るような馬鹿に、本当の強さが手に入るものか! お前がセシリアに見せ付けたのは強さでも何でもない、ただの破壊だ!」

「き、貴様……!」

 

 何も知らないくせに。仲間に囲まれたこの男に、私を語る資格などない!

 翔の全て知ったような物言いに、ラウラも凍てついた心が燃え上がるのを感じた。

 

「知ったような口をきくな! 大体貴様に何が分かる!? 私は、私は強くなければならないのだ! 最強でなければ、私は――!」

「――分かる!」

 

 翔がラウラの言葉を強く遮る。

 ラウラはその言葉の意味を疑った。

 

「分かる? 分かるだと?」

「ああ、そうだ。痛いほど分かる! お前がどれほど自分の存在に絶望していたか、自分のことのように理解できる!」

 

 何故、何故、何故……? 

 真っ直ぐラウラの心へ訴えてくる翔に、ラウラの思考は混乱した。そして、違和感も覚える。身体のどこか奥深くで、小さな炎が灯るような、微かな温度を感じた。

 

「何故だ! 何故分かる! 何故、貴様は――……!?」

 

 その正体を知りたくて、得体の知れない感情に突き動かされて、ラウラは翔に問う。

 目の前の彼は、力の入った表情が緩ませ、ふっと微笑んだ。

 

「――俺も、同じだからだ」

 

 ――同じ?

 予想だにしなかった言葉に、ラウラは目を見開いた。

 

「お前は、天涯孤独だろう? 俺もそうだ」

 

 核心をつく、翔。

 

「天涯孤独で、親も、兄弟も、血の繋がった人間はどこにもいない。愛されてもいない。信じてくれる友達もいない。世界は自分だけ、たった一人……」

 

 翔の呟いた言葉は、まさしくラウラの深層心理だった。故に、翔の言ったことは心の中へ染み渡る。

 翔の「答え合わせ」は続く。

 

「自らの存在を肯定できず、何か自分であると証明できるものをひたすらに求めて……その結果が力。力なら、誰もが認めくれる。強ければ、自分は無視されない。そうだろう?」

 

 そうだった。ずっと、自分の存在を証明したかった。だがそれは容易ではなかった。ラウラは他者に「ラウラ・ボーデヴィッヒ」という自己を表す手段を持ち得なかったのだ。そんな心をさらけ出せない不器用な自分が、自分なりに懸命に考えて出した答えは――力。

 過去をラウラをなぞるような独白は、ラウラに十数年の苦悩を思い出させた。そして、理解した。この男は、同じだということを。

 同時に、怒りを覚えた。何故そこまで理解してくれているのに、と。

 

「……ならば、何故私の邪魔をする!」

 

 噛み付くラウラに、「間違っているからだ」と諭すように翔は言う。

 

「俺の……俺たちの考え方は、間違っていたんだ。所詮力を見せつけたところで、それは恐怖しか生まない。そんなことをしたところで、自分が孤独なのは変わらない」

 

 かつての俺――一夏に出会うまでの俺はそうだった。昔を思い出したのか、翔の黒い瞳が揺れる。

 

「俺も小さいときは暴れた。気に入らないやつは暴力で傷つけて、それが自分の証だと、そう信じていた。だが俺は、一夏に出会って、変わった」

 

 一夏は、本当に特別な存在で、翔に出会った一夏は、こう笑ったのだという。

 ――お前、いつも一人だよな。だったら俺が友達になってやるよ。と。

 

「初めてだった。俺のことをちゃんと見てくれたやつなんて。誰も俺と友達になろうなんて言ってくれなかった。当然だ。いたずらに他人に傷つけるようなやつに、友達なんてできるはずはない。だが一夏は違った。俺を理解して、俺を認めてくれた。だから俺は、救われたんだ」

「……………」

「お前は間違っている、ラウラ・ボーデヴィッヒ。今の俺は、はっきりそう言える。一夏の強さが分からない人間に、本当の強さを理解することなどできはしない」

 

 ラウラは殴られたような衝撃を受けた。天羽翔という人物と自分の共通点と、ずっと弱い存在と決めつけていた織斑一夏の真実に。

 ラウラは膝を抱え込んだ。今まで信じてきたものが、根底から崩れていくような気がした。しかし、心のどこかでは理解していた。力の虚しさと、孤独な自分を。それでも、そうするしかなかった。唯一自分の持っているものを誇り、それを見せつけることでしか、ラウラは己を認めてやれなかった。それが、間違っていないと信じて。なのに――。

 

「私は、私は……どうすればいいのだ……」

 

 ラウラにとって、人生は無駄なものでしかなった。

 ラウラに親はいない。母親の胎内から生まれたのではなく、人口子宮という鉄の胎盤から生まれてきた存在だ。その目的は、最強の戦士を誕生させることだった。

 ラウラの戦闘能力は高かった。格闘、射撃、兵器の使い方、その他全てがトップであり、部隊で最強の名を欲しいがままにしていた。最強、その称号が、ラウラを認めてくれているような気がしたのだ。

 だが世界は変わった。『IS』と呼ばれる最強の兵器によって、武力は姿を変えた。そのために、ラウラはあるものの実験台になった。『ヴォーダン・オージェ』。それは擬似ハイパーセンサーとも呼ばれるもので、脳への視覚信号伝達の速度の向上、超高速戦闘下での情報処理能力の向上が目的である。それはラウラの左目に移植され、『越界の瞳(ヴォーダン・オージェ)』となった。理論上安全だったこの装置だったが、ラウラの目で異変が起こった。常に稼動状態でカットできない状況に陥ったのだ。そしてラウラの瞳の色は金色に変色した。その事故以降、ラウラはIS操縦において周囲の兵士たちに後れを取ることになる。

 そんなとき、現れたのが織斑千冬だった。彼女の指導によって、ラウラは再び最強の座に返り咲いた。

 

「……私は、あの人に憧れた。あの人のようになりたかった。だから……嫉妬したのだ。織斑一夏に。教官に愛されるあの男を、私は嫉妬したのだ」

「…………」

 

 ラウラの過去を聞いても、翔は微塵も驚いた様子を見せない。それどころか、優しい表情になったような気さえした。

 

「天羽翔。お前は何故、そんなにも強く在れる? 自分の存在を認められる?」

 

 胸に抱いた疑問をすっと口にできるくらいには、翔への警戒は失われていた。

 ラウラの問いかけに、翔は優しく微笑んだ。

 

「信じてくれるからだ」

 

 翔は断言した。

 

「俺には信じてくれる仲間がいる。一夏、箒、セシリア、鈴音、シャルル、束――皆が俺を信じてくれるから、俺は俺だと、そう確かに思える。俺は此処にいる、そう確信できる。だから俺は、俺なんだ」

 

 一切迷いがない、はっきりした一言だった。一夏に救われて、今度は束に拾われて、今の翔は存在している。だから、翔は生きるための強さをくれた彼らを大切にするし、それを傷つけるものを許さない。

 それが、彼を支える強さ。そして――ラウラの持ち得ない、強さだった。

 

「なら、私は……私はどうすれば良い……!? 私には、私を信じてくれる仲間などいない!」

 

 ラウラは孤独だった。それを望んだわけではない。それでも生まれたときにはそうで、それは今も変わらなかった。近づいてくる者は少ないながらいた。しかしラウラは中途半端な憐憫や同情は拒絶した。

 

「要らなかったのだ、そんな上っ面の想いは。私が求めたのは、もっと、もっと、崇高な――」

 

 そう、天羽翔の仲間たちのような、そんな唯一無二の価値をくれる者だ。

 ラウラの願いを聞いた翔は、「違うな」と厳しく言う。

 

「お前はその触れ合おうとしてくれた少数を拒絶した。例え同情からの行動であろうと、それがいかに貴重なものだったか……分からないお前ではないだろうに」

「…………」

 

 ラウラは黙る他なかった。

 結局、ラウラは怖かったのだ。孤独な日々で知らず知らずのうちに傷ついていた心が、もっと傷つくことが。

 

「……傷つけられるくらいなら、傷つける方がいい、か?」

「……ああ、そうだ!」

 

 ヤケになって叫んだ。幼稚な考えだ。馬鹿にするがいい。ラウラはそう言って俯いた。

 孤独を進んで求めた。孤高の強さを……孤高の果てに立つ強き者――織斑千冬を目指して。なのに、このザマ。

 私は間違っていた。私の歩む道の先には、私の求めるものは無い。その最後に待つのは……孤独な「死」。

 

「……う……あぁ……!」

 

 ラウラは膝頭で顔を覆った。隠してきた本心を丸裸にされ、今までの自分を否定され、ラウラはぽろぽろ涙をこぼした。

 このまま死んだとして、私のことを誰が覚えてくれるだろうか。

 なら、私の生きる意味は? 私の存在は? 使い捨ての兵器と、何ら変わらない。そんなの――

 

「い、嫌だ……!」

 

 兵器として生き、兵器として死ぬなんて。抑えきれない涙がラウラの頬を伝う。

 ずっと、心の奥底にあった願い。気づかないふりをしてきたその想いを、ラウラは口にする。

 

「一人は、一人は、嫌なんだ……っ! 誰か……誰か……!」

 

 

 

 

 

 

 私を、助けて……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――なら、俺がお前の仲間になってやる」

 

 優しい言葉がかけられ、温かい手がラウラの髪を撫でた。

 見上げた先には、穏やかに微笑む翔がいた。

 

「俺が、お前の存在を認めてやる」

「あ……」

 

 その言葉で――壊れていく。世界が。

 

「俺がお前を理解してやる。肯定してやる。お前はラウラ・ボーデヴィッヒ。それ以上でも以下でもない、たった一人の人間だと、俺が認めてやる」

 

 翔の言葉は、ラウラの心を解き放った。

 誰も、自分を見てくれなかった。力だけを見ても、心まで見てくれる人はいなかった。だがこの男は違った。かつてこんなに嬉しいことがあっただろうか?

 

「あ、うあ、うあああ……!」

 

 溢れる涙を、抑えるなんてできるはずもなかった。

 だって、こんなに……こんなに、嬉しいのだから!

 涙でぐずぐずになった顔を拭い、ラウラは目の前に立つ男に尋ねた。

 

「どうしてだ……? どうしてお前は、そうまで言ってくれる……?」

「……助けて、とお前が呼んでいたからだ」

 

 翔は少し恥ずかしそうに言う。

 

「お前と戦ったとき、お前の心の声が聞こえた。だから、救いたいと思った」

「そ、それだけか……?」

「……それだけだ」

 

 そう言って、翔はそっぽを向く。心なしか、顔も赤いように見える。

 

「……とんだお人好しだな」

「放っておけ……」

 

 ラウラが苦笑すると、むすっとした返事が飛んできた。

 次々出てくる涙を拭いながら、ラウラは思い出す。何故、この男にペアを組もうと持ちかけたのか。

 ラウラも感じていたのだ。ほんの僅かだったが、あの剣を打ち合わせた瞬間に、共感していた。そのシンパシーに惹かれてか、ペアを組みたいと思ったのに抵抗は無かった。

 まあなんだ、と翔は続ける。

 

「俺たちは言ってみれば『家族』みたいなものだと思わないか? 同じような境遇で生まれて、同じ過ちを犯した。その家族を助けるのは、当然のことだろう?」

「そうか、家族か……」

 

 嬉しい。誰かに思われることが、こんなに嬉しいことだったなんて。私は、幸せ者だ。今なら、そうはっきり思える。

 

 ――ありがとう、天羽翔――いや、●●●。

 

 涙で濡れた金と赤の瞳を、「家族」へ向ける。穏やかに微笑んでいる翔に、ラウラも笑顔を見せた。

 寒く暗い世界は、眩い光に包まれて消滅していった。

 

 

 

 ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 

 

 

 敵の動きが、止まった。俺は瞬時に相手の刀を吹き飛ばして、無防備にした。

 

「一夏!」

 

 俺の声に反応した一夏が、素早い動きで黒い「人形」に接近し、その刀を振り下ろした。

 ――一閃。

 ISのドロドロとした表皮が切り裂かれ、真っ二つに裂けた。

 

「ボーデヴィッヒ……」

 

 その中から出てきたボーデヴィッヒを抱きかかえて、俺はその銀の髪を撫でた。気を失っているようだが、特に身体的な異常は見られない。

 

「全く、世話をかけやがって……」

 

 俺たちの下に、一夏が白式を解除して駆け寄ってきた。

 

「一発殴らなくていいのか?」

「……遠慮しとくよ。そんな顔してるやつ、殴れるかよ」

 

 一夏は苦笑した。

 俺の腕の中のボーデヴィッヒは、今までで一番良い表情をしていた。


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