IS インフィニット・ストラトス ~天翔ける蒼い炎~ 作:若谷鶏之助
1
月の煌く夜、ラウラ・ボーデヴィッヒは自室で考え込んでいた。
(――天羽、翔か)
今日、織斑一夏に戦闘を仕掛けた際に、割って入った男。ラウラは今日の一件で、織斑一夏よりも、もう一人の天羽翔の方に興味を抱いた。
ラウラ自身が言うのもなんであるが、おかしなやつだと思った。クラスでは基本的に織斑一夏、篠ノ之箒、セシリア・オルコットなどと会話をしているところを見る。あまり人付き合いは得意な方ではないらしく、この三人とシャルル・デュノア、凰鈴音を加えた五人としかほとんど接していない。故に彼が何を考えているかは分からない。
不特定多数の他人とは交わらず、転校生である自分には微塵も興味も示さなかったあの男が、織斑一夏を攻撃した途端、自分に明確な敵意を向けてきたことが、ラウラは気がかりだった。
(あの男に、何があるというのだ……)
どうやらデータを見ると、篠ノ之束の弟子らしい。にわかには信じがたかったが、授業での発言や実習での動きを見ると、なるほどそれも納得できるものだった。特にISに関する知識は、ラウラでも感心するほどのものであった。今日割り込んできたときも、瞬時にISを展開、まったく無駄の無い動きで砲弾を弾いた。
(そして、あの専用機……)
蒼と赤の装甲を持つ、見たことの無いISだった。展開した武装も見たことがないし、『蒼炎』という名称すら聞いたことがないのだ。
(この世界に登録されていないISなど存在するのか……?)
と、ここで、ラウラは思考を止めた。何にしても関係のないことだと思ったからである。それに、予感もするのだ。
――あの男、天羽翔とは、必ず一度刃を交えることになるだろう、と。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
月曜の朝、朝食を俺、一夏、シャルルで食べていた。シャルルはちゃんと男装している。昨日の夜のような沈んだ表情はしておらず、どこかすっきりしたような印象を受ける。
「……で、シャルルは結局残ることにしたのか」
「うん。一夏にも、あのあといろいろ言われたしね」
シャルルは赤くなった。結論は出たようで、俺は「そうか」と微笑んだ。
しかし、シャルルがさっきからちらちらと一夏の方を見ているのが気になった。これは、もしかしたらもしかしたのかもしれない。
「またやってしまったのか、一夏……」
「な、何をだよ?」
「…………」
相変わらず自覚ナシ。一夏は「唐変木・オブ・唐変木ズ」という異名を頂戴していることを知らない。
これで、また一夏のレートが上がったわけか。
シャルル、良かったな。同室というのは途轍もないアドバンテージだぞ。まあどこかの誰かさんはその莫大なアドバンテージをみすみす無に帰したわけだが。
「えっ? それって本当?」
「そうそう、そうなのよ~」
別に聞くつもりはなかったが、隣のテーブルの女子の会話が耳に入ってきた。白ご飯に漬物を乗せて口に運ぶ俺をよそに、二人の会話は続く。
「――月末の学年別トーナメントで優勝したら、織斑君か天羽君かデュノア君と、付き合えるらしいのよ!」
「むぐッ!?」
衝撃の情報に、ご飯がのどに詰まった。
「げほっ!? ごほっ!?」
「か、翔!? どうしたの、大丈夫!?」
シャルルがお茶を差し出してくれた。必死にお茶でご飯を流した。
「す、すまん。大丈夫だ…」
何ということだ。まさか俺の箒への助言がこんなことになるなんて。噂とは尾びれがついていくものだが、まさか背びれに胸びれまで付いていくとは。噂、恐るべし……!
「どうしようか……」
何してもこのままではまずい。自分で撒いた種だから、俺が拾うのが道理だ。
つまり、俺が優勝するしかない。これで出場しなければならない理由ができてしまった。
「おはようございます、翔さん」
トレイを持ってやってきたセシリアはにっこり俺に笑いかけた。「おはよう」と返し、俺も微笑んだ。
「昨日は、ありがとう」
昨日ばたばたしてたから、言い忘れていた。
「どういたしまして。わたくしも嬉しかったですわ。翔さんのことを聞けて」
「それは良かった」
俺の気のせいか分からないが、不思議とセシリアとの距離が近くなった気がする。位置的な距離ではなくて、心の距離が。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
(どうしてこんなことになった……)
篠ノ之箒がベッドで頭を抱えているのは、最近女子の間で持ちきりになっている、「学年別トーナメントの優勝者が男子と交際できる」という噂についてである。
(これは一夏と私だけの話だろうっ!)
どこで聞いたのかは検討がつかないが、女子の情報網をなめていたとしか言いようがない。それに、今では様々な憶測が流れていて、「学年の違う優勝者はどうするのか?」「授賞式での発表は可能か」などという確認をしに、多くの女子が箒のもとへ来ていた。
何より困るのは、「一夏」ではなく「男子」という括りに範囲が広がっていることだろう。翔やシャルル目当ての女子まで気合を入れているではないか。
(ということは、セシリアも……)
セシリアは翔に好意を寄せている。それは誰が見ても明らかで、箒は直接セシリアから聞いている。
最近、徐々にではあるが、間違いなく二人の距離は縮まってきている。セシリアは以前にも増して翔にべったりで、翔はそんなセシリアに満更でもない様子だ。そしてそんな二人を見て、あまり気分が良くない自分がいた。
(――翔……)
天羽翔。もう一人の幼馴染。箒の一番の理解者。かけがえの無い親友。束の弟子。
以前セシリアに聞かれた。翔のことをどのように思っているのか、と。箒は分からない、と答えた。逃げたようにも聞こえるかもしれないが、それは箒の本心だった。一夏と翔に感じる感情は違うのだ。一夏は隣にいてドキドキする存在で、翔は隣にいて穏やかな気持ちにしてくれる存在なのだ。
(私は、翔をどうしたいのだ……)
自問してみたが、箒の中でその答えは既に出ていた。
箒は、六年前の関係を望んでいるのだ。翔と一夏と、三人で過ごしていたあのときに。翔がいつも箒のことを考えてくれていた、あのときに戻りたいと願っていたのだった。
しかし、それはもう叶わないことも理解していた。一夏も、翔も、箒も成長している。もう幼い頃のようにはいられない。そして鈴、シャルル、当然セシリアも、他の生徒も皆翔のことを慕っている。あのときのように、箒にずっと寄り添ってくれていた翔はもういない。そんな身勝手な要求は、できない。
(翔、私は――)
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「この距離だけはどうにかならないのかよっ!」
「言っても仕方ないだろう。黙って走れ」
休み時間、俺と一夏は走っていた。この学校、男子トイレが教室から凄まじく遠いのだ。休み時間に歩いていったら次の授業に遅刻してしまう。トイレに行く度中距離走を行わねばならんとは、過酷な環境である。そのせいか、体力が付いた気がしなくもない。
しかしこの前織斑先生に「廊下を走るな」と理不尽に怒られた。なので、織斑先生に見つかりそうなら早歩きに戻すことを覚えた俺たちだった。
「何故こんなところで教師など!」
「何度も言わせるな。私には私の役目がある。それだけだ」
走っている最中、織斑先生とボーデヴィッヒと思しき会話が聞こえてきた。
「このような極東の地で何の役目があるというのですか!」
学園内で「氷の転校生」と呼ばれているボーデヴィッヒだが、今はやけに饒舌である。
「お願いです、教官。我がドイツで再びご指導を。ここではあなたの能力は半分も生かされません」
「ほう」
「大体、この学園の生徒など教官が教えるにたる人間ではありません」
「何故だ?」
「意識が甘く、危機感に疎く、ISをファッションか何かと勘違いしている。そのような程度の低いものたちに教官が時間を割かれるなど――」
「――そこまでにしておけよ、小娘」
「っ……!」
織斑先生が威圧感のある一言を発し、ボーデヴィッヒを黙らせた。
「少し見ないうちに偉くなったな。十五歳で既に選ばれた人間気取りとは恐れ入る」
「わ、私は……」
その声は震えていた。純粋な恐怖だった。
「さて、そろそろ授業が始まるな。さっさと教室に戻れ」
「…………」
普通の口調に戻った織斑先生。ボーデヴィッヒは何も言わずにその場を去った。
「……なあ、翔」
「ああ」
これは、聞かないほうがよかったのかもしれない。罪悪感が生まれた。
とか考えていたら、魔王が目の前にいた。
「おい、そこの男子二名。盗み聞きか? 異常性癖は感心しないな」
「な、なんでそうなるんだよ千冬ね―――」
バシンッ
「学校では織斑先生と呼べと言っただろう」
「は、はい……」
俺は一夏が織斑先生に勝ったところを一度も見たことがない。
「お前もだぞ、天羽」
「すみませんでした」
叩かれたくはないので先に謝っておく。危ない、今回は脳細胞を破壊されずに済んだ。
「そら、走れ劣等生と優等生。特に劣等生はこのままじゃお前は月末のトーナメントで初戦敗退だぞ? 勤勉さを忘れるなよ」
「わかってるって……」
「そうか。ならいい」
その表情は、教師としてではなく姉としてのものだった。
「じゃあ俺たちは教室に戻ります」
「急げよ、遅刻するぞ」
それこそ言われなくても分かっております。
「一夏、走るぞ」
「了解っ」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「「あ」」
放課後、第三アリーナでセシリアと鈴がばったり遭遇した。
「あら、奇遇ですわね鈴さん。わたくしはこれから学年別トーナメントのための特訓をするのですけれど?」
「それはこっちのセリフよ」
二人はニヤリと笑った。クラス
「――優勝は譲っていただけそうもないわね」
「当然ですわ」
二人の目的は、当然優勝者へ贈られる「男子と交際する権利」である。
(もし優勝できたら、一夏と……)
(もし優勝できましたら、翔さんと……)
と思った二人は勝つために特訓することを決めたのであった。
勿論本人たちが好きになってくれればその方がよっぽどいいのだが、彼らの彼女の地位を手に入れることが出来れば、デートなんかをする口実になるし、数多いライバルへの抑止力になる。特典は満載である。
ただ、二人の誤算は翔本人が凄まじくやる気になっていることだった。翔が本気になれば、一対一で適う相手はこの学年では一人も存在しないのだ。
「では鈴さん? お相手になって頂けませんか?」
「望むところよ」
二人はISを展開、正対する。二人の戦績は今のところ五分。お互いにいいライバルであった。
「では――」
『警戒! ロックされています!』
「な……っ!?」
突如コンソールの表示された警告。二人は咄嗟に後退した。
二人がいた場所に砲弾が撃ち込まれ、爆炎が広がった。砲撃された方向を見ると、そこには漆黒のISが佇んでいた。その名の如く黒いIS――ドイツの第三世代型、『シュヴァルツェア・レーゲン』。
「ラウラ・ボーデヴィッヒ……!」
セシリアは《スターライトmkⅢ》を構えると、乱入者に銃口を向けた。
「……どういうつもり? この前といい、いきなりぶっ放すなんていい度胸してるじゃない」
主武装の《双天牙月》を肩に担いで、鈴はラウラは睨む。鈴の額には青筋が浮かんでおり、鈴が以前の一件で相当腹を立てているのが伺えた。
「中国の『甲龍』にイギリスの『ブルー・ティアーズ』か。……ふん、データで見たときのほうが強そうだな」
セシリアと鈴の頬が引き攣った。
「何? やるの?」
「鈴さん」
キレかけた鈴を手で制する。
セシリアは先日、翔が怒っていたことを思い出した。怒りに呑まれて、自分を見失ってはいけない。
「――残念ですが、わたくしたちにはあなたと戦う理由がありません」
「…………」
セシリアはライフルを下げ、戦闘の意思がないことを示した。
「どうしてもやるというのなら、今度ちょうど良い機会があるではありませんか」
「……ふん。なるほどな。怖くて戦えないのか?」
「…………」
暴れだしそうになる感情を、笑顔で押さえ込むセシリア。
「二人がかりで量産機にも負ける程度の力量しか持たぬものが専用機持ちとはな。よほど人材不足と見える。数くらいしか能のない国と、古いだけが取り柄の国はな」
「なッ!? あ、アンタ……!」
もう今にも殴りだしそうな鈴を、セシリアが腕を掴んで止めた。
「鈴さん、耐えてください……! ここで怒ったら、負けですわ……! それに、量産機に負けたのも事実なのですから……!」
「セシリア……」
鈴にはセシリアの悔しさが痛いほど伝わってきた。それは、鈴の腕を掴むセシリアの腕が震えているのでも分かる。
「どうせなら二人がかりで来たらどうだ? 下らない種馬共に群がるメスに、私が負けるはずがない」
ぶちっ、とセシリアの中で何かが音を立てて壊れた。我慢の限界だった。
「……鈴さん。すみませんでした。抑えろ、などと言って」
セシリアは鈴の腕を放すと、その腕でライフルを握りしめる。
「わたくしが……わたくしが侮辱されるなら、構いませんわ。言われたことは事実なのですから、耐えて見せましょう。ですが――」
セシリアはビットを展開、ラウラを憎悪のこもった視線で睨みつけた。
「――翔さんと、一夏さんを侮辱するのは、絶対に許せませんわ!」
一夏と翔の友情を、翔の不安を理解したセシリアには、ラウラを許せなかったのだ。一夏の存在を認めない、あまつさえ翔のことを「種馬」などとぬかすこの女の存在が。
「とっとと来い」
「言われなくてもッ!」
セシリアと鈴は武器を構え、ラウラ・ボーデヴィッヒと激突した。