IS インフィニット・ストラトス ~天翔ける蒼い炎~ 作:若谷鶏之助
一夏とシャルルの部屋に行った俺を待ち構えていたのは、何やら困った様子の一夏と、ジャージを着たシャルルだった。シャルルは明らかに普通ではなかった。無いはずのものが、ある。シャルルのジャージを押し上げている、確かな胸の膨らみ。それは男ではなく、女の証だ。
「部屋に戻って、俺が偶然気づいちゃったんだ……」
シャルルの髪がまだ濡れているところを見ると、シャワーを浴びているときにうっかり見られてしまったようだ。で、どうしたらいいか分からないからとりあえず俺に来て欲しかった、と。
「なるほどな」
「ご、ごめんね、翔……」
「気にするな。俺は最初からあやしいと思っていたんだ」
「えっ!? そ、そうなの!?」
「ああ。それに、一夏も薄々気付いていただろう? シャルルの男らしからぬ行動に違和感を感じていたはずだ」
一夏は俺よりも長い時間シャルルと接しているのだ、当然俺よりも違和感を感じていた場面は多いはずだろう。持ち前の鈍感さで片付けた可能性もゼロではなかろうが。
俺の問いに、一夏は「まあな」と頭をかいた。……やはりな。
「…………」
シャルルは黙って下を向いていた。男なのは絶対おかしいと思っていたんだが、どうやらその通りだったらしい。
なら、答え合わせといこうか。
「さて、何故お前が男装してここに入ってきたか、簡単に推理してみた。俺の勝手な推測だから、無視してくれて構わない。いいな?」
シャルルはこくりと頷いた。
「まず最初に謝っておかねばならないんだが、勝手にデュノア社のデータを覗き見させてもらった」
「構わないよ? データを見たくらい」
「違う、そうじゃない。見たのは機密情報だ。元々デュノア社に御曹司は存在しないはずなんだが、それの真偽を確認するのと、最近の経営状況などを見るために、デュノア社のコンピューターにハッキングした」
「ええっ!?」
シャルルが目を丸くする。
驚くのは無理もないだろう。デュノア社なんて大企業のコンピューターをハッキングするなんて。常人では不必要かつ不可能な行為なのだから。そんなことをしたら下手をすれば社会的に抹殺されかねない。だが俺は束の弟子である。バレずにハッキングなど造作もないことなのだ。
「で、そんな非合法的手段でデータを見たわけだが、どうやら最近のデュノア社は、第三世代型のISの開発に出遅れていて、経営状況が芳しくない状態らしいな。それで、このままではまずいから、事態打開のための策を講じた。そうだな?」
「……うん、合ってるよ」
シャルルが頷く。ここまでは正解。
「だが、肝心のその策が――社長の子を男としてIS学園に入学させ、世間への広告塔になると同時に、俺たち男性IS操縦者に近づいてそのデータを取ること。違うか?」
「…………」
シャルルは諦めたようにため息をついた。正解か。
「――そうだよ。翔の言った通りの経過と、動機でここに来た」
「……そうか」
少なからず落胆した。何か企んでいたが分かっていても、シャルルのことを信じたい気持ちはあった。悪い言い方をすれば、シャルルはここにデュノア社の犬として来たことになる。
「細かいこと、聞いてもいいか?」
俺が何を話せばいいか迷っていたら、一夏が先を促した。一夏の要望に、シャルルはこくりと頷いて話し出した。
「さっき翔も言ったけど、僕にここに来たのは実家の方の命令で、僕に『IS学園に男として入学しろ』っていう命令があったからなんだ」
女を男として入学させる――。一見不可能に見えても、シャルルなら可能だ。
シャルルは中性的な顔立ちをしているから、女顔の男子として紹介すれば男だと納得させられる。問題の体型は、あのISスーツのようなもので誤魔化していたと見ていい。恐らく女性の体の凹凸のある部分を量子変換して、男性の体つきに変えていたのではないか。だからISスーツを人前では絶対に脱ごうとしなかった。体型を偽装するISスーツは、技術的には不可能ではないだろう。俺も以前束と生活していたとき、ISスーツに女性的な体のラインに見せる特殊なステルス機能を付与していた。それと似たようなものだと思えば納得がいく。
だがもうバレてしまったあたり、いつまでも隠し通せるようなものではなかったということだろう。
「め、命令って、親だろう? そんなこと――」
「僕はね、一夏。愛人の子なんだよ」
一夏は絶句した。俺は驚かない。社長と本妻の間に子はいないのは知っていたからだ。
「引き取られたのが二年前。ちょうどお母さんが亡くなったときにね、父の部下がやってきたの。それで色々と検査をする過程でIS適応が高いことがわかって、非公式ではあったけれどデュノア社のテストパイロットをやることになってね」
こんな話はしたくないのだろう、シャルルの顔は暗かった。俺たちは黙って聞いている。
「父にあったのは二回ぐらい。会話は数回ぐらいかな。普段は別邸で暮らしているんだけど、一度だけ本低に呼ばれてね。あのときはひどかったなあ。本妻の人に殴られたよ、『この泥棒猫の娘が!』ってね。参っちゃうよね、本当」
あはは、と笑うシャルルは、とても痛々しかった。
今度はシャルルがデュノア社の経営状況を説明してくれた。
それから少し経って、デュノア社は経営難に陥ったらしい。量産機では世界第三位でも、第三世代型のISの開発が遅れていたため、欧州連合からの総合防衛計画『イグニッション・プラン』から外され、その結果政府からの援助が大幅にカット――そして今に至る。
「それで、僕は世間から注目を浴びるための広告塔としてここに入学して、あわよくば特異ケースである二名の男性IS操縦者及びその専用機のデータの採取を命じられたんだ」
「…………」
「と、まあこんなところかな。二人にはバレちゃったし、僕はきっと本国に呼び戻されるだろうね。任務には失敗したわけだし」
あまりに痛々しい笑顔だった。
「なんか、話したら楽になったよ。聞いてくれて、ありがとう。それと、今まで騙してて、ごめんね」
シャルルは深々と頭を下げた。
そのシャルルを、一夏は肩を掴んで顔を上げさせた。
「いいのかそれで?」
「え……?」
「それでいいのか? いいはずがないだろ。親だからって子供の自由を奪う権利がどこにある?」
「い、一夏……?」
「親がいなけりゃ子は生まれない。そりゃそうだろうよ。でも、だからって親が子供に何をしてもいいなんて、そんなバカなことがあるか!」
一夏は怒っていた。その一夏を見て、俺は目を閉じて微笑んだ。
昔から一夏はこんなやつだ。理不尽な不幸にも、平然と文句を言える。間違っていることを、「間違っている」と自信を持って言える。そんな正義感の強い頼れる男だ。
綺麗事かもしれない。それでも、その綺麗事に、俺は救われてきたのだ。こんな一夏だから、俺は自分の存在を見失わずに済んだ。真っ直ぐ俺の存在を肯定してくれる、一夏だからこそ。
「どうしたの、一夏? 様子が変だよ?」
「俺は――俺と翔は、親に捨てられたから」
一夏は、俺の過去を知っている。その上で、「そんなこと関係ない」と言ってくれた。
「あ……」
思い出したようにシャルルは言った。多分資料か何かを見たことがあるんだろう。
「気にしなくていいさ。俺も千冬姉も今更会いたいとも思わない。翔もそうだろ?」
「ああ。顔も知らんしな」
そもそも親がいるかも分からないんだ。会いたいもくそもない。
「それより、シャルルはこれからどうするんだ?」
「どうって……本国に戻ったら、フランス政府も黙ってはいないだろうし、僕は代表候補生から降ろされて、良くて牢屋行きかな?」
「それでいいのか?」
「良いも悪いも、僕には選ぶ権利なんて――」
「待て」
俺が待ったをかけた。シャルルのネガティブな発言もそろそろ飽きてきたころだし、俺の考えを披露するとしよう。
シャルルの素性を聞いて落胆したのは事実。だが、ここに来てシャルルが見せた思いやりも、優しさも、笑顔も、すべて本物だったと俺は信じたい。だから、俺はシャルルのためにできることをする。
「一夏、IS学園特記事項第二十一を知ってるか?」
「あっ! 翔、それ俺が言おうと思ったのに!」
「なんだ、そうだったのか。えらく珍しいな?」
「俺は勤勉なんだぜ?」
「そうなのか。知らなかったな」
こんな状況でも、俺たちはくつくつと笑い合う。いつも通りで何より。
「――特記事項第二十一項。本学園における生徒はその在学中においてありとあらゆる国家・組織・団体に帰属しない。本人の同意が無い場合、それらの外的介入は原則として許可されないものとする」
一夏が音読した。
「つまり、この学園にいれば少なくとも三年は大丈夫、というわけだ」
本来は学園の秩序を守るために作られたものだが、これは利用できる。ありがたく使わせてもらえばいい。
「一夏、翔……」
「お前は一人じゃないんだ。俺たちが付いてる」
一夏が笑って言った。シャルルは「うん」と潤んだ目で笑顔を見せた。
もう俺は必要ないな。あとは、シャルル自身が決めることだ。
「さて、俺はもうお暇するとしよう。おやすみ」
「おう。おやすみ」
一夏が俺に手を振る。
あっと、そうだ。一言言っておかなければならないことがあったな。
「シャルル」
「な、何かな?」
「とにかく、どうするかは自分で決めろ。一夏はどうか知らんが、とにかく俺はお前の意思を尊重する。ここに残るもよし、国へ帰るもよし、好きにすればいい。……ただ、これだけは忘れないでほしい」
「……何?」
「俺は友達として、お前にここに残ってほしいと思っている。俺にとって、お前は大事な友達の一人なんだからな」
「う、うんっ!」
シャルルの声を最後に、ドアを閉めた。あとは、シャルルの意思次第だ。
あとシャルル、気付いているかどうかは知らんが、一夏はお前の胸をやたらと気にしていたぞ? 一夏がまたラッキースケベスキルを発動させなければいいが……。
また一夏のレートが上がりそうな気がしてならない。果たしてどうなることやら。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「ふふふっ」
セシリアは戻った自室のベッドで笑顔を隠せずにいた。うつ伏せになって、枕に顎を乗っけて頭を左右に振っている。その頬は赤く、彼女の笑顔からは幸せがあふれ出ていた。
傍から見れば本当に変であったろうが、本人は嬉しくて仕方がないのである。
(わたくし、翔さんの、翔さんの手を握ってしまいましたわっ!)
きゃーっと、心の中で叫んで、真っ赤になるセシリア。
悲しいこともたくさん聞いたが、それ以上にまた翔との距離が縮まった気がして、嬉しくて嬉しくて飛び跳ねそうだった。あの女性が苦手な翔が、あんなに近くで、セシリアと話してくれたのだ。こんなに嬉しいことがあるだろうか。他の男に歯の浮くような世辞を言われたときよりも、努力して代表候補生に選ばれたときよりも、翔と触れ合えたときの喜びのほうが何十倍も嬉しかった。
(恋は人を変えると言いますけど、本当でしたのね……)
まさかわたくしが、こんなに一人の男性に心惹かれるなんて。幼馴染のメイドは何と言うでしょう?
(あ、ああっ! 忘れていましたわ!)
と、ここで今月「彼女」に連絡をしていないことを思い出したセシリアは、慌てて携帯電話を取り出すと、生来の幼馴染で、専属メイドであるチェルシー・ブランケットに電話をかけた。時差を考えれば、今頃向こうは正午過ぎくらいだろう。数回のコールの後、電話が繋がった。
「はい、お嬢様。チェルシー・ブランケットでございます」
「もしもし、チェルシー? ごめんなさい、今月一度も連絡をせずにいて」
「いえいえ、構いません。大変お忙しいようですね?」
「――ええ、本当に」
セシリアはこの一言に、万感の想いを込めた。翔と出逢って、彼に恋をして、その友達の一夏や箒、鈴と仲良くなった――。今まで生きてきたどの時間より、今が楽しい、とセシリアは思う。
「あのね、チェルシー?」
「何でしょう、お嬢様?」
今度はメイドとしてのチェルシーではなく、今度は幼馴染としてのチェルシーと話す。
「――わ、わたくし……今恋をしていますの!」
「まあっ! 本当ですか!?」
「ええ!」
セシリアは少し照れて言った。チェルシーの声にも喜色がにじんでいた。
「どのような殿方に恋を?」
「男らしくて、とても格好良くて素敵な御方なのですが、本当に不思議な御方で――」
言っていて、翔は本当に変わっている人だと思った。
強くて、自信家で、人付き合いが苦手なのに、お人よしで。いつもは冷静なくせに、激情家で。女性をときめかせるくせに、女性が苦手――。
(――本当に、変わった人……)
今日、翔の過去を知った。自分が誰であるかわからない、と彼は言った。それこそが彼の闇であり、弱点だった。初めて戦った試合のあと、セシリアは翔を強い人だと感じて、惹かれるようになった。勿論それは今でも変わっていない。だが、その彼を形作るのは、強さだけではないことも理解した。彼は自らの弱さも理解していて、それを出すまいと強さを纏っているのだ。
しかし、その強さが偽りだなんてセシリアは思わない。きっとその強さは、翔の強く在りたいという心の現れだと思うからだ。
(あなたの強さも、あなたの弱さも、全て受け入れますわ)
今日、セシリアはその覚悟を決めた。以前のように、自分の描いた「強い男性像」を彼に押し付けるのは違う。今では彼こそがセシリアの理想で、彼のすべてが愛おしいと思う。
わたくしは、あなたとずっと一緒にいたい。嘘偽りの無い、セシリアの純粋な想いだった。
「そうですか。お嬢様が恋を……」
チェルシーの声はどこか嬉しそうだ。彼女は幼い頃のセシリアも、両親の死後のセシリアも知っている。だからこそ、男嫌いで恋を捨てていたセシリアの変化が嬉しいのだろう。
「また今度、紹介してくださいますか?」
「ええ。約束いたしますわ」
「ふふふ。このチェルシー、とても楽しみにしております」
それでは、と一言告げ、幼馴染とちょっとした約束を交わして、セシリアは通話を切った。
チェルシーと話せて良かった。彼女はセシリアにとって姉のような存在だったから、彼女がセシリアの恋を応援してくれるのなら、きっと心強い味方になる。
上機嫌なセシリアは、ベッドの隣の引き出しから、二枚の写真を取り出した。
「ふふふっ」
二枚はどちらとも翔の写真である。一枚は、いつもの格好良い凛々しい表情、そしてもう一枚が、女性に触れて真っ赤になっているところ。激レアな写真である。実は二枚目は鈴にこっそり頼んで撮影してもらったものであるというのは秘密だ。この二つの翔は、どちらも翔の一面だ。ただ男らしいだけじゃなくて、可愛い一面もある翔。そんな翔だから、セシリアはどうしようもなく好きになる。
セシリアは、母と、そして父と過ごした日々を思い出した。
最近になるまで忘れていたが、セシリアにも微かに記憶があった。父と母の間を、両親の手を片方ずつ握って、一緒に歩いた記憶。……父が、まだ自分を愛してくれていた頃の記憶。そのとき、セシリアは満たされていた。両親の手は温かくて、愛に溢れていた。それを、翔は知らない。
いつかあなたと、二人で寄り添って歩きたい。恋人として、ひと時を過ごしたい。家族のぬくもりを、教えてあげたい……。
(そのためにも、必ず振り向かせてみせますわ)
翔は鈍感な一夏に呆れているようだが、自分も大概だということには気づいていない。セシリアがあれだけ明確なアプローチをしても、まったくセシリアの好意に気付かないのだから。女性が苦手なのが先立っているのもあるだろうけれど。
(だから、覚悟していてくださいね、翔さん――)
遠慮はしない。少しずつで構わない、それでも翔との距離を縮めていく。
そう決意を新たにすると、真っ赤になっている写真の翔にそっと口付けた。
ぞくっ
(な、なんだっ!? 一瞬寒気が……!?)
同時に、翔が焦っていたのはお約束。
本日をもって第三章終了となります。第四章は11月15日(日)より投稿開始です。