IS インフィニット・ストラトス ~天翔ける蒼い炎~   作:若谷鶏之助

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「ええとね、一夏がオルコットさんや凰さんに勝てないのは、単純に射撃武器の特性を把握してないからだよ」

「そ、そうなのか? 一応わかっているつもりだったんだが……」

「シャルルの言うとおりだ。戦いに於いてはまずは敵を知ること、基本だぞ? 言わなかったか?」

「言われたような言われてないような……」

 

 土曜日の午後、いつものメンツにシャルルを加えた六人で、一夏のレクチャーをしていた。

 まだシャルルが転校してきて五日だが、シャルルは持ち前人当たりの良さですっかり馴染んでいた。俺はここに馴染むのに何日かかったことか……。

 

「うーん、知識として知ってるだけってところかな? さっき僕と戦ったときもほとんど間合いを詰めれなかったでしょ?」

「うっ、確かに……。瞬時加速(イグニッション・ブースト)も読まれていたし……」

 

 瞬時加速(イグニッション・ブースト)の欠点は、直線的にしか加速することができないことだ。どれだけ速かろうが、真っ直ぐ突っ込んでくるだけならどうとでも対処できるからな。だから瞬時加速(イグニッション・ブースト)は奇襲技なんだ。

 実はそれを補う方法も無くはないのだが……まあそれはいずれ見せることになるだろう。何より難しいしな。一夏にはまだ無理だ。

 

「あ、でも瞬時加速(イグニッション・ブースト)中はあんまり無理に軌道を変えたりしない方がいいよ。空気抵抗とか圧力の関係で機体に負荷がかかると、最悪骨折したりするからね」

「……なるほど」

 

 見ていて思う。シャルルは本当に教えるのがうまい。

 俺はどちらかと言えば説明が下手な方である。というのも俺は技術の習得がほとんど実戦でのぶっつけ本番だったため、一応はきちんと知識で理解してはいるが、体で覚えたのが先だから、それを伝えるとなるといまいちうまくいかない。一夏には申し訳ないが。見知らぬ人と話すのも得意でないし、教師には向いていないだろうな。

 だが、他の三人よりマシだとは言わせて貰いたい。

 

『こう、ずばーっとやってから、がきんっ! どがんっ! という感じだ』

『なんとなく分かるでしょ? 感覚よ感覚。……はあ? なんでわかんないのよバカ』

『防御のときは右半身を斜め上前方へ五度傾けて、回避のときは後方へ二十度反転ですわ』

 

 上から、箒、鈴音、セシリアの順。全員言いたいことは分かる。だが教え方が果てしなく下手だった。箒は擬音語を多用しすぎて何がなんだか分からんし、鈴音は感覚的過ぎて理解できんし、セシリアは逆に具体的過ぎてイメージが全く掴めない。何よりダメなのは全員「分かって当然」といった態度で接していることだ。そんな態度だから一夏が焦るのだ。シャルルは一夏に分かりやすく、丁寧に教えているため一夏からも好評だ。

 おい、そこの箒と鈴音とセシリア、悔しいんだったら反省しろ。

 

「そういえば、シャルルの使ってる機体って山田先生と同じ機体じゃないのか? でも若干見た目が違うような……」

「そうだよ、これは『ラファール・リヴァイヴ』だけど、僕のは専用機だから僕用にカスタムしてあるんだ。これの正式名称は、『ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ』だよ」

 

 シャルル曰く、『ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ』は、初期装備(プリセット)をいくつか外した上で拡張領域(パススロット)を拡張して倍にしてあるらしい。そのため後付武装(イコライザ)はざっと二十ほどあるという。

 二十か。流石にそれだけの武装は俺でも扱いきれない。そもそも呼び出し(コール)の手間を考えればむしろ邪魔になるはずなんだが……。

 

「じゃあ、射撃武器の練習をしてみようか。はい、これ」

 

 シャルルは一夏に、五十五口径アサルトライフル《ヴェント》を手渡す。本来他のISの装備は使えないが、ISの操縦者が使用許可(アンロック)すれば、他の人も使えるようになる。

 しかし、射撃武器を使用許可(アンロック)して実演させるという考えはなかったな。盲点だった。シャルルは絶対教師に向いている

 一夏はアサルトライフルを扱い、何か感じたようだった。 

 

「なんていうか、速いって印象だ」

「そう、速いんだよ。一夏の瞬時加速(イグニッション・ブースト)も速いけど、弾丸は面積が狭い分もっと速い。軌道予測さえできれば命中させるのは簡単だし、外れても牽制になる。一夏は特攻するとき集中してるけど、それでも心のどこかでブレーキをかけてるしね」

「なるほど……」

 

 他の面々は「何を当たり前のことを」と思っているだろうが、それはお前らの説明が下手だからだ。反省しろと言ってるんだがな。 

 さて、一言付け加えておこう。

 

「一夏。それと、射撃の訓練をするならセシリアの動きをちゃんと見ておいたほうがいい」

「セシリアの?」

「そうだ。セシリアの射撃関連の動きは秀逸だ。反動制御、位置取りなど基本的な動きは勿論、特殊機動と応用技術も学年トップクラスだからな。見ているだけで勉強になるぞ」

「そ、そうなのか……」

「と、当然ですわねっ! わ、わたくしは、イギリス代表なのですからっ!」

 

 セシリアは口ではそう言うが、照れて赤くなっているし嬉しそうだ。

 学年トップクラスというのは紛れも無い事実である。俺もセシリアから見て学ぶことは多かった。シャルルも上手いは上手いが、流石に専門分野ではセシリアには及ばない。

 

「ねえ、ちょっとアレ……」

「ウソっ、ドイツの第三世代型だ」

「まだ本国でのトライアル段階だって聞いてたけど……」

 

 急にアリーナの女子たちがざわつき始めた。俺はその注目の的に視線を移す。そこにいたのは、シャルルと同時に転入してきた女子、ラウラ・ボーデヴィッヒだった。その身には、専用機と思われる黒い装甲が纏われていた。特に目を引くのは、右肩部の巨大な砲身。精度、威力ともに高そうな印象を受けた。

 一夏は険しい表情をしていた。初めて会ったときのあの平手打ちを思い出しているのだろう。

 

「おい」

 

 ISの開放回線(オープン・チャネル)で声が聞こえてきた。

 

「……なんだよ」

 

 一夏はしぶしぶ答えた。

 

「貴様も専用機持ちのようだな。なら話は早い。私と戦え」

「イヤだ。理由がねえよ」

「貴様には無くても私にはある。――貴様がいなければ教官が大会二連覇の偉業をなしえただろうことは容易に想像できる。だから、私は貴様を――貴様の存在を認めない」

 

 なるほど、そういうことか。簡単な話、尊敬する千冬さんの名誉に傷をつけた一夏の存在を認めない、と。俺もテレビで見ていて驚いたものだ。モンド・グロッソの決勝戦を控えた千冬さんが突然棄権したのだから。

 束からその理由を聞いたとき、どれだけ俺が怒り狂ったことか。もしかしたら大切な幼馴染を失っていたかもしれなかった事件だった。それで、その事件の解決をバックアップしてくれたドイツ軍に感謝した千冬さんは、一年間教官として就任した。ボーデヴィッヒは恐らくこのときに千冬さんに教官として指導してもらったのだろう。

 

「また今度な」

「ふん、そうか。――戦わざるを得ないようにしてやる!」

 

 ボーデヴィッヒはその漆黒の機体を戦闘状態へシフトさせ、肩に装備された大型の実体砲が一夏に照準を合わせた。

 俺の心中では、怒りの炎が燃え盛っていた。

 結果としてみれば、一夏が千冬さんの二連覇を妨げた形になったのかもしれない。だが、俺は知っている。千冬さんは一夏が本当に助かってよかったと思っていること、そして一夏がそのときの自分の無力を死ぬほど呪っていることも。だが、何もおかしいことはない。二人はお互いにたった一人の家族なのだ。千冬さんとって、名誉や賞金なんかより、一夏の方がよっぽど大事だった。それは誰も責めてはいけない。それなのに、一夏が千冬さんの足枷になったから、一夏の存在を認めないだと? それは、一夏と千冬さんへの――侮辱だ!

 俺は素早く蒼炎を展開、レール砲の射線に機体を滑り込ませると、左腕の実体シールドで放たれた砲弾を弾き飛ばした。

 

「……何者だ」

「――名乗る気などない。ましてお前と戦う気などまるで無かった。だが、気が変わった」

 

 俺は《荒鷲》を展開し、ボーデヴィッヒに向ける。

 

「――お前は、許さん!」

 

 一夏を侮辱するものは、絶対に許さない。

 

「ふん」

 

 再びレール砲を俺に向けるボーデヴィッヒ。俺も《荒鷲》を構えて対峙する。手加減はしない、かかってくるなら、全力で叩き潰す。

 剣を握る手に力が入る――

 

「……ちょっと待った」

 

 そこでシャルルが俺とボーデヴィッヒの間に入ってきた。

 

「こんな密集地帯で戦闘を始めるほど、ドイツの人は沸点が低いんだね。ビールだけでなく頭もホットなのかな?」

「貴様……」

 

 割り込んできたシャルルの言葉を聞いて、俺は頭がさっと冷えるのを感じた。冷静になればさっきのは俺らしくもない行動だった。

 

「フランスの第二世代型(アンティーク)ごときで私の前に立ちふさがるとはな」

「未だに量産化の目処が立たないドイツの第三世代型(ルーキー)よりは動けるだろうからね」

 

 二人のにらみ合いはその後も数秒続いた。

 

『そこの生徒! 何をやっている! 学年とクラス、出席番号を言え!』

 

 アリーナのスピーカーから教師の声が聞こえた。大方騒ぎを聞きつけたんだろう。

 

「……ふん。今日は引こう」

 

 何度も横槍が入って興がそがれたのか、そう言ってボーデヴィッヒはアリーナのゲートに戻っていった。俺は《荒鷲》を下ろし、蒼炎を解除した。

 とりあえず、砲弾を撃たれた一夏に意識を向けた。

 

「一夏、大丈夫か?」

「さ、サンキューな、翔」

 

 しっかり弾いたはずだからダメージは無いだろうが、一応聞いておいた。

 

「翔さん、どうしましたの。急に……」

 

 セシリアが疑問を隠せない顔で俺に尋ねた。今回は俺が相手の安い挑発に乗った形だ。状況も弁えずに抜刀するなど、普段の俺からしたら、「らしくない」行動かもしれない。

 

「すまない。短慮だった」

「翔さん……」

 

 俯く俺を、セシリアが心配そうに見つめた。仲間たちは不思議そうな顔で俺を見ていた。

 

 

 ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 

 

 

「くそ……」

 

 俺は部屋に戻って、こう吐き捨てた。誰にでもない、自分自身に。

――怒りに呑まれて、我を失った。あのときのボーデヴィッヒの態度で、俺はキレた。一夏の存在を認めない、というボーデヴィッヒの言葉が、俺の怒りを突き動かした。もしシャルルが割って入らずに、あのまま戦闘が始まっていたらどうなっていただろうか。

 

「最低だ……」

 

 冷静さを失ってはいけないことはよく分かっていたはずなのに。

 自己嫌悪に苛まれていたら、コンコン、というノックが聞こえた。

 

「翔さん? いらっしゃいますか?」

「セシリア?」

 

 ドアの方へ歩いていき、覗き穴から見えるとと、やはりセシリアがいた。迷わずドアを開く。

 

「こんばんは。お話をしに来ましたの」

 

 セシリアは笑顔で言った。どこかであったな、と思ったら、あのクラス代表決定戦の後と同じだ。あのときもセシリアが話をしに来たのだった。

 セシリアの柔らかい声でふっと気が軽くなって、俺は微笑んだ。

 

「入ってもよろしいですか?」

「あ、ああ……」

「失礼します」

 

 セシリアはこの前と同じように、ベッドに座った。俺もすぐ隣に座る。これもこの前と同じだ。違うのは、少しだけ距離が縮まったこと。

 

「きょ、今日来たのは、その、別に何か理由があったわけではなくて……」

 

 何故だろうか、セシリアの歯切れが非常に悪い。

 

「その、翔さんと、お話したくて……」

 

 赤くなってしどろもどろになるセシリアに、思わず笑みがこぼれた。多分、セシリアは分かっていたのだろう。俺がこうやって悩んでいたことを。

 仲直りして友達になってから、セシリアは俺にいろいろなことを話してくれた。自分の両親のこと、幼馴染の優秀なメイドのこと、他にもいろいろ。俺は、束のことを少ししか話していない。自分のことは、何も話していないままだった。だから、俺も話しておかないといけないと思った。

 

「セシリアには、話しておくべきなのかもしれないな」

「な、何をですの?」

「――俺の、過去だ」

 

 セシリアは驚いた顔で俺を見上げた。

 

「聞いてくれるか?」

「え、ええ。もちろんですわ」

 

 ありがとう、と一言告げて、一呼吸置くと、俺は話し出した。

 別に過去と言っても、そんな大それた話ではない。ただの身の上の話だ。そもそも俺は、過去の記憶自体が希薄で、特に印象深いこと以外は、覚えていない。

 

「セシリアの両親は、亡くなったんだったな」

「……はい。列車の事故で他界しましたわ」

「――実は俺も、両親が……家族がいないんだ」

「…………」

 

 何となく分かっていたのか、セシリアは特に驚いた様子を見せない。

 

「俺にも両親はいない。でもセシリアと違うのは、亡くなったんじゃないんだ」

「……えっ?」

 

「ど、どういうことですの?」とセシリアは疑問を浮かべて尋ねる。俺は少し間を置いて答えた。

 

「――いない(・・・)んだ、最初から。存在していない」

 

 セシリアの表情が、驚愕に歪んだ。

 

「あ、あり得ませんわ! 人は必ず親がいなければ生まれないはず!」

「多分そうなんだろうな。この世界のどこかには『父親』と『母親』はいるんだろう。少なくとも過去にはいたはずだ。だが、戸籍がないんだ。辿ろうにも、辿る術がない」

 

 少なからずショックを受けたらしいセシリアは、「そんな……」と表情を暗くする。

 俺はどこかで生まれ、孤児院で育った。誰が預けたのかも知らない。孤児院の「親」は教えてくれなかったし、戸籍も無いから調べようがなかった。

 

「まあ、今更、俺の親がどんな人物だろうか気になることはない。――ただ、俺は分からないんだ」

「分からない?」

「俺が、どんな人間なのかだよ」

 

 俺は自嘲的に言った。

 子供は、親の愛の下に生まれる。たとえ両親がいなくとも、兄弟や祖父母、親戚たちが与えてくれる無償の愛を受け、育つ。

 俺は、愛されて生まれてきたわけじゃない。親がいないからだ。愛されて育ったわけでもない。孤児院の連中は俺を愛してはくれなかった。

 孤児院では、誰も俺を認めてくれなかった。俺のいた孤児院は、貧しい孤児院だった。余裕が無くて、孤児院の人間も仕方なく俺を受け入れた。そこの「親」も、「子供たち」も、皆俺を邪魔者扱いした。それはそうだろう。ただでさえ貧しいのに、また一人増えたのだから。義務感だけで養っていた俺への愛情なんて、あるはずもなかった。やがて、連中の心の声が聞こえてくるようになった。

――お前なんて必要ない、邪魔だ、と。

 

「だから、よく不安になるんだ。家族もおらず、捨てられた俺は、どうしてこの世に生まれてきたのか

と。本当にこのまま生きていていいのか、と……」

 

 これこそが、俺の弱さ。いつもの強気な言葉も、行動も、すべては弱さを押し隠すためのものだ。

 幼い俺は、それを上手くコントロールできなかった。気に入らなかったもの、心を乱すものを徹底的に攻撃していた。

 

「そんなときに会ったのが、一夏だった」

 

 一夏は、俺と同じように両親がいなかった。それでもあんなに明るく育ったのは、姉の千冬さんがいたからに違いない。

 一夏に出会って、親友になって。それから剣道を始めて、剣道がきっかけで箒と出会って……俺は救われた。二人は俺の存在を認めてくれる。友達だと思ってくれている。だから俺は、二人がいるだけで「俺」は、「一夏と箒の友達の天羽翔」だと確かに思えたのだ。

 そのあと、「親」に捨てられ、束に救われて、新たな人生を歩み始めた俺。

 二人に再会できて、俺は本当に嬉しかった。 それからセシリアと友達になって、鈴音と友達になって、シャルルがIS学園に来た。口にはしないが、俺は満たされていた。確かに友だと思ってくれる皆が、くだらないことを言いに俺のところへ来てくれる。俺と一緒に食卓を囲ってくれる。それがたまらなく嬉しかった。

 

「だから、俺はボーデヴィッヒを許せなかった。俺を……こんな俺を認めてくれる一夏の存在を否定したあいつを、俺は許せなかった。それだけだった……」

 

 ただ、それだけだった。

 一夏の存在の認めない、それだけで俺の存在はいとも簡単に崩れ去る。一夏と出会っていなかったら、俺は――。

 

「翔さん……」

 

 セシリアは、泣いていた。その大きな瞳から、涙が一筋、すーっと頬へと流れていく。

 

「セ、セシリア、何故――」

「そんなこと、言わないでください……! あなたの存在が、この世に不必要だなんて……!」

 

 そう言いながら、セシリアは右手で俺の手を握った。

 

「少なくともわたくしは、あなたが必要ですわ……! あなたが、今までのわたくしを変えてくれたんですもの!」

「セシリア……」

 

 ぽろぽろ涙をこぼすセシリアは、俺の近くへ寄ると、俺の頬を撫でた。優しく、できるだけ優しく。

 

「わたくしは、あなたに必要ない人間ですか?」

「そんなことはない! 君が、君が俺を信じてくれるから、俺は――」

「でしたら! でしたら、もう二度と自分を必要ない人間などとおっしゃらないでください!」

 

 真っ赤な目で、俺を見上げるセシリア。その手が俺の制服のシャツを掴んで、ぎゅうと握り締められる。

 

「怒ってもいいではありませんか、あなたは間違ってなんかいませんもの! もし間違っていたとしても、わたくしたちが正せばいいのですわ。先ほどはシャルルさんが、今度はわたくしが、あなたをなだめて差し上げますっ」

「セシリア……」

 

 セシリアは涙を拭って俺に笑いかけた。その笑顔は、俺への信頼と慈しみに溢れていた。

 どうしてなのだろう。どうしてセシリアは、知り合ってたった二ヶ月の友人をここまで思いやってくれる?

 

「どうして君は、そこまで俺に言ってくれるんだ?」

 

 セシリアはまた赤くなって、俯いた。何か言いたそうに、でもそれが憚られるように。彼女が逡巡しているのが分かる。彼女は、その言葉を紡ごうと、俺を見つめる――。

 

「そ、それは――」

 

 ピリリッ。セシリアが何か言おうとしたとき、ポケットの中の俺の携帯電話が鳴った。

 

「誰だ――……一夏?」

 

 携帯のサブディスプレイには、「織斑一夏」の文字が。

 

「なんだ一夏?」

『か、翔っ! き、緊急事態なんだ、今すぐ俺とシャルルの部屋に来てくれっ!!』

「何かあったのか?」

『来たら話す! だから早く来てくれっ!』

 

 どうやら大変な事態に遭遇したらしい。ゴキブリか? まさかな。処理できるだろう。まあ、相当焦っているとにかく早く行かないと可哀想だ。

 

「セシリア。すまないが、一夏に呼ばれたから俺は行く」

「は、はい……」

 

 下の方で、何やらぽーっと頬を染めて俺を見上げているセシリア。

――待て。今俺は何をしている? 改めて近辺を確認したら……俺の腕の中に、セシリアがいた。

 

「す、すまないっ!!」

 

 マッハの勢いで後ずさった。

 

「俺は、俺は何を……っ!?」

 

 俺は三十秒前まで何をしていた? 徐々に記憶が蘇ってきたが――。 

 な、何ということだ。まさか、俺としかことがここまで侵入を許しただと!?

 

「だ、大丈夫ですわ翔さんっ! その、嬉しかった、ですから……」

 

 真っ赤なセシリアが必死にフォローする。

 ぐあ、恥ずい……! 俺に触れられて嬉しかったということか!?  それは一体どういう……。

 

「か、翔さん! 早く行ってあげたほうがよろしいのではありませんか!?」

 

 思い出したようにセシリアが言った。ああ、そうだった行かなければ。

 

「あ、ああっ、そうだな!」

 

 また声が上ずる俺。ああ、もう、形無しだ。

 そそくさと立ち上がり、ドアの手前までいく。セシリアも立ち上がって、ついてくる。ガチャっと鍵を閉めまだ熱のある顔をそのままに、俺は部屋を後にした。

 セシリアはそんな俺を見て、微笑んでいた。


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