IS インフィニット・ストラトス ~天翔ける蒼い炎~ 作:若谷鶏之助
俺と侵入者の間に割って入った一夏。突然の乱入に動じることもなく、サイレント・ゼフィルスがBTレーザーを撃ち込んでくるが、一夏は《雪片》が放つ光刃の切っ先を向けて構え――剣道で言う霞の構えだ、《雪片》を一振りし、BTレーザーをかき消した。
さらに一夏は振り抜いた左手の《雪羅》を荷電粒子砲モードに変形させ、カウンター砲撃を見舞う。不意の一射目でサイレント・ゼフィルスを動かし、追撃の二射目、三射目をきっちりとサイレント・ゼフィルスに命中させて後退させた。
砲撃でゼフィルスとの距離を調節して、俺の身の安全を確保した一夏は、「大丈夫か?」とハイパーセンサーで俺の様子を確認する。俺はああ、と答えた。
「ふう! 危なかったな!」
残心をとって一夏が俺の前に降り立った。ゼフィルスは一夏の奇襲から体勢を直すためか動きを見せない。
「……すまない、助かった」
一夏に言うと、いいって、といつもの調子で返事が来る。
「しかしお前、どうしてここに」
「なんか落ち着かなくてさ。外で素振りしてたら蒼炎とゼフィルスが交戦状態なのを目視で確認したんだ。……それにしても、どうしたんだよ」
らしくないぜと一夏は言う。
俺自身そう思う。返す言葉もない。一夏にギリギリの窮地を救ってもらって、守ってもらっている現状も非常に情けないの一言に尽きる。
「翔、やれるか?」
振り返った一夏が問う。戦えるのかと。やれる、と答えたかった。俺もお前と共に戦うぞ、と。
だが、身体は言うことを聞かなかった。割れるような頭の痛みと、重い手足。まともに前線に立てるかすらも怪しい。
「俺は……」
返答に窮した俺が口を開こうとしたそのとき、一夏が俺の状況を察したのか首を横に振った。
「――いいよ、わかった」
一夏のその一言で俺が押し黙ると、一夏は普段の明るい表情をどこかに引っ込めて、鋭い殺気を纏い始めた。そして――。
「なら、あいつは俺が斬る」
ぞくり、と寒気すら感じる気迫を帯びた声色と表情だった。一夏らしい朗らかさはなりを潜め、その雰囲気は羅刹のよう。白式のスラスター出力を上げた一夏は、体勢を立て直したサイレント・ゼフィルスに向かって飛翔していく。
以前、他の専用機持ちからも聞いたことがある、一夏が極度に集中を高めたとき、まるで鬼のような鋭いオーラを放って、動きが極限まで研ぎ澄まされたときがあるのだと。
――一夏、怖かった。別人みたい、と。
「俺は……」
背中を預けるはずの親友に守られ、立ち上がることもできないまま、俺は地に這いつくばっていた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
(翔……)
地上から一夏を見つめる翔。動悸が乱れ、地に這いつくばったその姿は、いつも蒼炎で一夏や仲間たちの前をするその姿とは別人のようだ。
その翔が、あのような状態になってしまったのには必ず理由がある。そして、その理由が必ず目の前の機体――サイレント・ゼフィルスとそれを操る女にあることは、確定的に明らかであった。
女の長い髪が風に揺れた。藍色の装甲に映える漆黒はまるで夜空のよう。目鼻立ちの整った顔は、親友天羽翔と瓜二つと感じるほどに似ていて、一夏は言葉を失っていた。
「『
銃剣付きライフルを一夏に構えながら、女が一夏に言う。
「オルタナティブ・ゼロ……?」
「そう言えば、あなたにもお会いしませんでしたね」
「……誰だ、お前は」
語気を強めて一夏が問うが、女は妖しげに微笑むばかりで、何も答えない。
(――まあ、いいか)
一夏は中段に愛刀《雪片弐型》を構えた。相手が誰であろうが、一夏のやらなければならないことは変わらない。今すべきことは何か、一夏にはそれがはっきりと認識できていた。
親友を護るために、この女を斬る。今一夏の中にあるのは、ただ、それだけ。
「斬る……!」
先手必勝。相手が対応する前に、速攻で決着をつける。スラスターを全開にした一夏が、神速の踏み込みでサイレント・ゼフィルスに迫っていく。
白式の高い機動力を生かしながら、サイレント・ゼフィルスに肉薄した一夏。その動きは非常に鋭く、放たれた斬撃がゼフィルスの胴に迫るが、ゼフィルスは器用に銃剣の腹を持って零落白夜の白刃に剣先を合わせた。女は《雪片》を跳ね上げ、その勢いのまま白式との距離を離すために後方へスラスターを吹かす。
「逃がすかよっ!」
跳ね上げられた刀身を振り下ろしながら、
踏み込みが間に合わない。直感的に判断した一夏は、攻撃の手を止めてブレーキをかける。急停止からの宙返り飛行でビットからの射撃を回避する。しかし、本命はその先。ゼフィルスの長射程ライフルが、白式をロックしていた。
(ああ、見えてるぜ!)
一夏は直感的に機体を旋回させ、ライフルから放たれたレーザーを紙一重で回避した。ビットで陽動をかけて、本体のライフルが仕留める、それがセシリアの一号機と同じ、ティアーズ型の強力な王道戦術。一夏がセシリアに何度もやられてきた経験が生きていた。
「ほう、今のを避けますか」
女が口角を上げる。
――腕を上げたな一夏!
今朝真剣勝負したとき、翔は同じように口角を上げた表情をしていなかったか。この女の正体は暴かねばならないが、それを詮索している暇はない。
一度距離が離れた二機だが、一夏がスラスターを出力を上げて接近を試みると、迎撃しようとゼフィルスからの弾幕分厚くなっていく。一夏は、ビットから放たれるレーザーの雨を軽々と掻い潜っていた。この手の兵器は翔やセシリア、ラウラとの対戦で慣れており、サイレント・ゼフィルスのビットに包囲されても一夏は動じなかった。さらに、動かされた先に置いてあるかのように狙い澄まされた本体からのレーザーも紙一重で回避していく。
元々、零落白夜を持つ白式はエネルギー攻撃主体の機体に対して相性が非常に良い。入学直後ならともかく、経験を積んで実力をつけた一夏は、白式の高スペックに振り回されることなく、性能を引き出せるようになっていた。
加えて、今の一夏の精神状態はかつてないほど良好だった。闘志が己を静かに燃え上らせているような、最高潮の鼓動と、冷静さを失わない思考。自然と集中力が高まっていくのを感じていた。
(ゼフィルスは常に俺を動かしてライフルやビットの射線に誘導しようとしてくる。大切なのは、視野を広く持ってビットの位置を把握すること。ビットが回収された瞬間に一気に踏み込むこと)
翔やセシリアとの模擬戦で得た、対ビット兵器の攻略法。己自らが編み出したそれを反芻しながら、一夏は集中力をさらに高めていく。
基本的にビットが展開されて多角攻撃をされている状態では不利、その場合は無理に攻めず、回避と牽制に徹する。狙うタイミングはそのあと。ビットのエネルギーが尽きて、本体に回収されたタイミング――……それが一夏の狙う、一瞬の隙。
降り注ぐ雨の一粒一粒を掻い潜るかのような繊細な機体操作を行いながら、そのタイミングに合わせ、一夏の集中力は極限まで高まっていく。
(――今)
ビットが回収された瞬間、一夏が腰に構えた《雪片》を抜き放ち、
静から動への鋭いキレのある踏み込み。だが、小細工も何もない愚直極まる突進は、手練れのゼフィルスには見透かされていた。一夏がビットを回収したタイミングで狙ってくるのも想定済とばかりに、一夏の加速が始まると同時に、長射程ライフルの照準が一夏をロックしていた。
ロックされてアラートが鳴っていても、一夏は構わずスロットルを全開に振り切った。一夏の瞳に迷いはない。その瞳に映るのは、斬るべき敵……それだけだった。
「――斬る!」
一夏は右手に握った《雪片弐型》を逆手に持ち替え、大きく左腕を前に突き出し零落白夜のシールドを展開した。
――抜刀三式・《傘返し》
零落白夜の盾でゼフィルスの狙撃をかき消し、神速の踏み込みでゼフィルスの懐に潜り込んだ。
「っ……!?」
一夏のぎらりと鋭い視線と女の驚き見開いた目が交差する。
「――くらえっ!!」
一夏は構わず大きく腰を回し、力を込めた渾身の横薙ぎで、ゼフィルスの胴部を斬り裂いた。
――白刃一閃。一夏の一撃がゼフィルスを捉え、機体の胴部で爆発が起こる。爆風に押された一夏は、宙返りで姿勢を整えると、残心を取った。
「抜刀三式・傘返し」は、左腕の《雪羅》で敵のエネルギー攻撃を無力化しつつ接近し、逆手に構えた右の《雪片》で斬り裂く攻防一体の抜刀術で、一夏が編み出した奥義のひとつ。腕を全面に出してフィールドを張る分、踏み込みの速度は他の業より遅いが、ゼフィルスのようなエネルギー兵器主体の相手には反撃を無効化しつつ斬り込める効果的な業だ。しかし。
(おかしい……手応えがない)
一夏は斬った感触に違和感を感じていた。零落白夜特有の、シールドエネルギーを無効化して斬り裂いたときの手応えがない。まるで鉄の板を両断したような、無機質な手応えだった。それに、起こった爆発も解せない。あの爆風で一夏は大きく距離を離された。
一秒もせず爆炎が晴れ、その先にゼフィルスはいた。主武装のライフルを失っていたものの、一夏が斬ったはずの胴は、刀の軌道上の装甲が大きく一文字に斬り裂かれていたものの、機体は健在で浮遊を続けていた。
「驚きました、まさか無効化されるとは」
少し顔をしかめてに言う女。その表情が嫌でも親友に重なる。悪寒が背筋を走るのを感じた一夏だったが、視界がぐらりと揺らいだのを感じた。
(やべえ、抜刀の反動が……!)
極限の集中の反動は未だ大きく、一度使ったあとの疲労感は大きい。それでも一夏はまだだ、と己に言い聞かせ刀を握ったが、それ以上に。
(あいつ、何で抜刀を受けて倒れない……?)
踏み込み、太刀筋も完璧だった。斬撃を外したわけじゃない。なら何故――。
「――『傘』がなければやられていました」
「傘……!?」
ゼフィルスの様子を確認していた一夏は、ゼフィルスの両膝の装甲パーツが外れていることに気付く。
よく見てみるとその通りだ。膝のパーツの一部が外れているような形跡があった。傘という名前からして、シールドのような役割の装備だと仮定すると、それがビットとして自立稼働し、一夏の攻撃に割って入ったとすれば、一夏が手応えに違和感を覚えたのも不思議ではない。
実際にその通り、ゼフィルスは斬られる直前に咄嗟にシールドビットを分離し、《雪片》の刀身に滑り込ませていた。ビットが爆散して
「機体損傷大、エネルギー系統に異常、BT兵器稼働率低下……まさか、ここまでとは。正直侮っていました、織斑一夏」
「……そうかよ。そいつはどう――もっ!」
一夏が前進し、《雪片》を大きく振りかぶる。しかし、集中が切れたせいか一夏の動きにキレはなく、楽々と避けられてしまった。
「時間切れですか。機体のダメージも大きい、頃合ですね」
一夏と軽々距離を離しながら、ゼフィルスは少しずつ高度を上げていく。
撤退の意思を見せるゼフィルスに、一夏は追撃しようと白式の出力をあげるが。
「待てっ!」
「やめた方がよいと思いますよ。あなたも限界でしょう」
「……ちっ」
白式のコントロールパネルを確認すると、シールドエネルギーのゲージが染まっており、機体に残っているエネルギーも少ない状態だった。
その一方でゼフィルスもビットを飛ばしてこない。一夏を牽制するエネルギーを消費したくないということか。《雪片》の切っ先は決してゼフィルスから動かさず、何か不審な動きを見せれば動けるようにはしていたが、一夏も本能的にここが退き所だろうと理解していた。
「ここは痛み分けといたしましょう。この続きは、また次回ということで」
「――そうはいくか!」
一夏の後ろから、蒼い光が駆け抜ける。蒼炎を駆る翔が、一夏の前に出た。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「待て! お前は逃がさない!」
左手で額を抑えながら、《荒鷲》ライフルモード、そして《孔雀》キャノンモードの銃口をゼフィルスに向けた。
頭の痛みは酷い。ともすればズレて明後日の方向をロックしかねない照準を、精神力で抑え込む。
距離が少しずつ離れてゆく、このままでは逃げられる!
「あら、兄さん」
「黙れっ! 俺を、俺を兄と呼ぶな――く……うっ」
「今日はこのくらいにいたしましょう。嬉しかったですよ、お兄様と逢えて」
「だ、まれ……!」
がんがんがんと鉄の塊が頭の中を暴れまわっているかのようだ。
これさえなければ、こんなことにはならなかった。だが、一夏のおかげで手の届く範囲に収められた。このトリガーを引けば、この頭痛ともお別れできるだろう。
なのに何故だ。何故、指に掛かったトリガーを引けないんだ……! ここで撃てずに、俺は何を守れる、親友におんぶに抱っこのまま、終わっていいのか、天羽翔!
「翔!? お前、そんな状態で……っ!」
一夏が静止したが、俺は射撃の構えを解かない。
「構うものか! これは、俺がやらなければ! あの女は、俺の、俺の……!」
勢いで口から出そうになった言葉が、頭の中に跳ね返ってきた。
……俺の? 俺は今何を言おうとしたんだ。俺の何と言おうと――。
「ぐ、うううっ……!?」
大きな頭痛の波が襲い来る。ぐらり、と機体が傾く感覚と共に、走馬灯のように記憶が脳裏をよぎる――。
――……にい、さん?
――いや、兄さん行かないで!
俺を呼ぶ声。幼い、女の子が、俺を兄と呼ぶ。
ラウラではない。黒髪の女の子だ。幼い頃の自分そっくりな、長い髪の女の子。赤く染まった両の瞳の色は、月食の月を思わせた。
「………ば、さ……?」
いつかこの子が自由になってほしいと、大空を羽ばたけるようにと、そんな願いを込めて、俺はこう呼んではいなかったか。
「――『
俺は無意識に、言葉にしていた。零れ落ちるように、俺が呟いたそのとき、遠ざかっていたゼフィルスがこちらに勢いよく振り向いた。
どれだけ距離が離れようと、ハイパーセンサ―はその表情をしっかり捉えていた。その女は、喜色を隠すこともせず、涙さえ浮かべながら、俺を見下ろしていた。
そして、その目は真紅に変わっている。月をバックに赤い目で見下ろすその女の姿は、夜の眷属たる悪魔のようで。
「く、くふふふ……っ!」
女が笑う。
「――嗚呼、もう一度、この名を呼んでもらえるなんて……! もう一度逢えただけでも、十分だったというのに!」
こんなに嬉しいことはありませんと、女は言った。トリガーにかかっていた指はいつの間にか外れて、俺はただ妹と名乗る女を見上げていた。
女は腕を広げた。烏が両翼を広げるように、あるいは、歓迎するかのように。
「そう、私の名は
『翼』の影が、少しずつ小さくなっていく。
「再びあなたに相見えたこの日を、始まりといたしましょう。我々が、世界を変える始まりに!」
赤い瞳を翻して飛び去っていく『翼』。
「ぐ……っ」
ズキリとまた頭が痛んで、俺は目を覆った。それが収まったとき、『翼』の姿はなかった。
《荒鷲》の構えを解いたその瞬間、蒼炎の装甲までが解除され、愛機はリングとネックレスに戻っていた。PICの浮遊力を失い、俺は地面へと真っ逆さまに落ちていく。
ダメだ、体に力が入らない――。
「翔!」
一夏が俺を受け止めてくれたのが分かって、俺の意識は急速に薄れていった。
「か、翔……」
だが、その間際に一夏が言った言葉を、聞き逃すことはできなかった。
「お前、目が赤く――」