IS インフィニット・ストラトス ~天翔ける蒼い炎~   作:若谷鶏之助

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大変長らくお待たせいたしました。


7

 黒髪の女性が、ひとり街をゆく。背にかかるほどの長さの黒髪は流れるように、艶やかにネオンの光を受けて鈍くきらめく。

 一七〇センチは越えるであろう女性にしてはかなり高めの身長と、長いまつ毛に彩られた切れ長の両目。彼女の美貌に、待ちゆく人々の視線が集まってくる。その美貌は、まるで抜き身の刀のような鋭さを感じるほどの端正さであったが、彼女の表情にほんのり浮かんだ微笑が、その鋭さを絶妙に緩和していた。微笑の彼女は、自分へ向けられた周囲の視線をどこか楽しむように、歩みを進める。

 今まで表立って外を出歩くことが少なく、街を歩くだけで楽しい。しかし、それ以上に自分が注目を集めていることこそ、彼女が上機嫌の理由であった。何故なら、人々の視線、それは今世界に自分が存在している――その証左であると、彼女は考えているからだ。

 

(日本語で「人間」を(ひと)(あいだ)と書くように、人は、自己の存在だけでは自己足り得ないもの。自己の存在は、他者との境界があることで初めて形あるものになる――)

 

 それこそが、彼女の人生のモットー。そして、その他者との境界は、他者との接触によって認識される。通りすがる名も知らない赤の他人であっても、好奇、羨望、嫉妬、様々な感情が織り交じった彼らの視線が、彼女という存在の輪郭を型取っているようだ。

 今日は最高の一日になりそうだった。もっとも、彼女の一番の楽しみは、この後にあるのだが。

 

「……寒くなってきましたね」

 

 誰にでもなく、彼女はひとり呟いた。澄んだ美声が、静かに街の中を駆け抜けてゆく。独り言、彼女は語りかけていた。――()に。

 

「以前お会いしたのは、まだ少しあったかい頃でしたか?」

 

 彼女にとっては、()が唯一無二の存在だった。決して揺るがない絶対不変の存在、それこそが()だ。人は単体では存在し得ない、彼女の存在が()なしでは存在し得ないように、()もまた、彼女なしには存在し得ないのである。その縁は、この世にある限り決して消えることはない――言わば「宿命」と呼ぶべきものであろう。

 笑顔をたたえた彼女はゆっくりと顔を上げ、冬空を見上げた彼女は、まだ見ぬ()へと思いを馳せる。

 

(――さ、そろそろ向かうとしましょう)

 

 楽しい散歩は終わり、これからが今日の本番である。彼女は区切りをつけ、今日の「お出かけ」の目的地へと赴く。

 

「以前お伺いしたときは会えませんでしたが、今度は会えるといいですね――兄さん」

 

 引き合うように、あるいは引き合わさるように、二つの存在は惹かれ合う。望むと望まざるに関わらず起こる邂逅があるとすれば、それは運命と呼ぶべきものかもしれない。

 

 

 ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 

 

 ラウラと学園に戻った俺は、部屋のベッドに身を投げ出して、物言わぬ天井を眺めていた。学園に帰って、ラウラと二人で食事を済ませ、寮の入り口で分かれた。それから何をするでもなく、無言のまま腕を組んでベッドへ身を投げ出している。それから何時間経っただろうか、時計の秒針が進むカチカチという音だけが部屋の中で反響している。それは俺の機嫌をうかがうかのごとく、急かされているようで落ち着かなかった。

 今俺の胸の中にあるのは、束のことばかりだった。以前雑誌インタビューの謝礼として受け取った食事券を使って開いた、束との小さな食事会。再会こそ叶ったものの、束の真意を何一つ掴むことができないまま、音信不通になってしまった。あの一件は自分で思っていた以上に堪えていたようだ、落ち込んでいるのを妹にまで見透かされて気を遣われる始末だ。まあ、クラリッサとの「三者面談」は、あれはあれで実りあるものだったように思っているが。

 とにかく、最近の俺の心境は、まさに五里霧中とも言うべき状態で、何をどうすればよいのかまるで見通しがない状態であった。それをラウラにまで見透かされてしまう程度には、態度に表れていたということだろう。

 もうひとつ気になっているのが、専用機持ちタッグトーナメントで現れた刺客――無人機についてだ。あの謎の無人機、あれが束の差し金である可能性は高い。現段階で、ISを動かすなんてことができるのは束以外に考えられないからだ。送り込まれた無人機の特徴としては、自動で稼働する点が一つ。これは一学期のクラス代表戦の際現れた無人機にも見られた特徴だ。二つ目の特徴として、専用機持ちを優先的に攻撃するようにプログラミングされていた点。これは学園の制圧を目的としたプログラムでないことは推測できる。学園の制圧を目指すのであれば、障害となる専用機持ちとの交戦はなるべく避けて行動するはずだからだ。わざと専用機持ちを狙うようにプログラムされていたということは、奴らの目的は専用機、もしくは専用機持ちである代表候補生ということになる。そして三つ目、何よりも特筆すべき特徴は、ISの絶対防御を無効化する能力を持っていたことだ。ISの絶対防御は、操縦者を守るためのもの。それを無効化ということは、ISの使用者に対しダメージを与えることを目的とした能力と言うことができるだろう。これらの前提が正しいとするならば――。

 

(束は、俺を殺そうとしている……?)

 

 仮説だとしても、考えたくはない可能性だった。

 俺にとって、篠ノ之束の存在は唯一無二だった。単に幼馴染の姉であるというだけに留まらない。死ぬ寸前だった俺を救ってくれた命の恩人で、身寄りのない俺の保護者で、姉代わりで、母親代わりでもあった。その束が、俺と、俺の仲間たちを手にかけようとしている。もしそうならば、瀕死の俺を救い、共に過ごした数年間の意味とは何だったのか。俺に蒼炎(ちから)を授けたのは何故なのか。臨海学校で俺に見せた涙は、何だったのか。その可能性を前に、俺は悩み、怯えるばかりだった。

 そんな俺の迷いを見抜いたラウラが、俺の話を聞いて言ってくれた。

 

 ――大切だからだ。だから私は戦う。敵対するというのなら、戦ってでも引き戻す。倒すことだけが戦いじゃない。心をぶつけることだって、戦いだ。

 

 今日の帰り道でラウラの言っていた言葉が、ずっと頭の中をぐるぐると駆けまわっていた。はっきり「戦う」と言ってくれたラウラの言葉は、強く刺さるものがあった。

 束が本当に俺たちを狙っているのか、それは分からない。だが、もし本当に束がIS学園と専用機持ちに仇をなすとして、俺はそのとき何をするべきなのか。束への情故戦わないのか、それとも束と戦ってでも止めることができるのか。

 

「…………」

 

 思考がぐるぐると回るばかりで、時間が進んでいく。俺はすっと立ちあがると、掛けてあった上着を羽織って部屋のドアを開いた。

 このまま考え込んでいても気が滅入るだけだ、外に出て散歩でもしよう。門限は近いが、それでもこのままずっと横になっているよりは気が晴れるかもしれない。上着のポケットからカードキーを取り出して部屋の鍵を閉め、寮のロビーを通り抜け、寒空の下外へ繰り出した。

 

「……流石に冷えるな」

 

 寒風が上着の隙間から中へと吹き込んでくる。十一月の夜ともなると流石に肌寒く、夜風に撫でられると少し体が震えた。しかし、その冷気が思考の回転で熱を持った頭を冷ましてくれるようで、心地よい。

 特に目的地があるわけでもなく、気の向くまま歩く。アリーナまで行くと戻ってくるまでに門限を過ぎそうだから、寮から学園の校舎くらいまでを散歩するとしよう。

 芝が生い茂った中庭を踏みしめながら、IS学園の敷地内の散歩していると、俺がこの学園に来てからまだ半年しか経っていないことに驚く。こうして目に入る場所にいくつか関連する記憶があるくらいには、IS学園に入学したあとの時間はとても濃密で、特別な時間だった。その記憶の数々に当たり前のように出てくる専用機持ちの面々に至っては、半年どころかもう何年も前からつるんでいるのではないかと感じるほどだった。

 くだらない想い出だってある。

 

 ――翔、聞いてくれ! 箒の奴がさあ~。

 

 入学してすぐだったか、そこのベンチでは、一夏がデリカシーのない発言をして箒を怒らせたのを俺に相談してきたことがあった。一夏の話も聞きつつ、あとで箒の機嫌を伺いながらまあまあと宥めたのだが、なかなか機嫌が直らず苦労したのだった。

 そこの中庭では、皆でシートを敷いてお茶会をしたとき、ラウラが買ってきた饅頭を勝手に鈴音が食べて喧嘩になったことがあった。二学期になってからだったか。

 

 ――ああ!? 鈴、貴様私の饅頭を勝手に食べたな!?

 ――ええ、持ち寄りなんだから食べていいんでしょ?

 ――違う、あれは私一人で食べるつもりでいたんだ! だから違う袋に入れて持ってきたというのに、私がトイレに行った一瞬によくもやってくれたな!

 ――はあ!? あんたの分け方わかりにくいのよ! 勘違いするってーの!

 

 二人とも気が強いために一歩も譲らず、楽しいお茶会になるはずが、とんだドタバタ劇となってしまった。

 そんなくだらない、面倒な日常は、想い出となって俺の記憶で生き続けている。いつの間にか、このIS学園での生活は俺の中で当たり前でありきたりな、大切な日々になっていたらしい。、

 何気なく蘇った想い出に、ふっと微笑みが漏れた。

 

(ただ、意外と行ったことがないところもある)

 

 学園内と言っても、そのすべてが俺の行動圏というわけではない。馴染んだとは言ってもまだ入学して半年と少しだ。

 俺の視線の先にあるのは、寮のちょうど裏側にある大きめの多目的倉庫。寮の物品などを保管するために使われているということらしいが、この倉庫の奥には少し空間があり、俺はその先に行ったことがなかった。倉庫と寮との位置関係上陰になっていて、人目につきにくい場所であるためか、普通の学校で言う「体育館裏」的な使われ方をしているとの噂があった。呼び出して告白に使われるならまだしも、いじめの現場になっていたとしたら、あまり褒められたものではないな。

 腕時計を見ると、門限まで残り約一〇分。十分気は紛れたし、時間的には寮に戻っても良い時間だ。しかし――。

 

「……覗いていくか」

 

 何となく気になって、俺は例の倉庫の裏へと歩いていった。倉庫の裏を見て引き返すくらいなら数分とかからないだろう、そのとき俺は、そう高をくくって足を踏み出した。

 そのとき俺は、何故この場所が気になったのか、その理由が分からなかった。何となく、という言葉で片付いてしまう程度の理由だと思っていた。だが、あとになって俺は思い知ることになる。

 この何気ない一瞬の選択が、俺の日常に大きな変化をもたらしてしまったということ。しかし、それは不可避の事象でであって、遅かれ早かれ、必ず起こったであろうことも。そして……俺は呼ばれていた(・・・・・・)のだということに。

 

 ――そう、俺は呼ばれていたのだ、彼女(・・)に。

 

「……この日を、ずっと、ずぅっと待っていましたよ……」

 

 そして、彼女はこう俺に告げたのだ。

 

「……ね、兄さん?」

 

 

 


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