IS インフィニット・ストラトス ~天翔ける蒼い炎~ 作:若谷鶏之助
覚悟を見せろ、と。クラリッサは俺に言う。
「――俺は……」
彼女に、俺は何を見せれば良いだろう。ラウラを守ってやれる力だろうか。ならば、蒼炎を展開して戦闘でもするのか?
いいや、違う。そうじゃないはずだ。クラリッサが求めているのは、想いだ。ラウラがその生まれ故に、ドイツ本国でも複雑な立場に置かれていることはよくわかっている。今までずっと一人で生きてきたことも。
「俺は、ラウラを家族だと思っている」
「…………」
決して血の繋がりがあったからじゃない。天涯孤独の似た境遇の者同士、その寂しさと冷たさを知っているという
ただ同情と言えばそれまでなのかもしれない。実際に、最初はそうだったのかもしれない。だが、あの
だから、俺はラウラを家族だと思っている。ラウラも、きっとそう思ってくれている。そこに理由はない。誰かに決められたわけじゃない。俺たちはただ
「ラウラはドイツの
だが、と俺は強く訴える。
「俺は、それでも構わない」
「……ほう」
「立場が違うと言うのなら……俺は。それを破壊してでもラウラの傍にいよう」
俺はラウラの傍を離れない。ラウラが、いなくならないで欲しいと言うのならば。
立場を――それはつまり、ラウラが所属している
胸元のリングとチェーンが、ほんのり熱を帯びている。俺の意思に呼応しているのかもしれない。この状態なら、俺はコンマ数秒でISを纏うことができる。
「障害になるのがたとえお前たちが相手であっても、ラウラを貶めるつもりなら、容赦はしない」
「…………」
クラリッサは、今回の行動のいきさつ、俺へのわだかまり、ラウラへの敬愛、今日に至る経緯は大方話してくれた。信用に足る人物だと、今は思っている。
しかし、彼女と俺は立場が違う。クラリッサが苦悩の末に、あくまでドイツの軍人として、ラウラに害をなすならば、例えクラリッサがラウラの副官であっても、俺はラウラのためなら刃を向ける。そのクラリッサの行動が、ラウラのことを精一杯考えた結果起こしたものだったとしてもだ。俺にとっては国の事情も、クラリッサの私情も、すべてラウラの身には優先しないのだ。
これがクラリッサが納得するに足る覚悟であるか、俺には分からない。だが、これが今俺がクラリッサに見せられる覚悟であり、兄としての誠意だった。
クラリッサは数拍の沈黙ののち、俯いた。
「……そうですね」
小さく呟いたクラリッサは、ほう、と一息もらす。俺の言葉に、何か思うところがあるらしく。
「私に足りなかったのは、あなたのように立場も越えて隊長を思う心だったようです。結局、私は何も捨てられなかった。今こうして隊長が眠っているのも、私が立場を重んじたが故……。隊長のことを案じたつもりでいながら、私は結局自分や自分の持つ立場や地位が大事だったのかもしれません」
クラリッサは自嘲するように、俺の腕の中にいるラウラを見つめていた。
「やはり私では、隊長を変えることはできなかったのですね……」
私は、何もできなかった――。後悔と、無力感のにじむクラリッサの独白。それを耳にした俺は、疑問を隠せずにいた。
――本当にそうだろうか。
クラリッサと、そして俺と。それぞれラウラのことを思いながら、クラリッサは同僚のまま、俺は兄として家族になった。確かに、ラウラは俺の妹になって変わっただろう。まずよく笑うようになった。それが自然体であるように、笑顔だけでなくいろんな表情を見せてくれるようになった。なら、俺は正しく、クラリッサは間違っていたのだろうか。ラウラを思い慕い、忠実な部下として尽くしてきたクラリッサの行動が間違いだったのか。俺たちだけではない。ラウラの力を認めて存在意義を示した織斑千冬は、ラウラにとって何の意味もない存在だったのだろうか。
ラウラにとって、俺との出会いが唯一価値あるもので、クラリッサの献身も、織斑先生の指導も、まったくの無価値だったのだろうのか。
「俺は……違うと思うがな」
「……お兄様」
そんなはずはない。――絶対に、否だ。
「お前の想いが無駄だったと、俺は決して思わない。身寄りのないラウラをずっと支えていたものは、きっとお前たち
ラウラは確かに変わった。それでも、変わってない部分もある。尊敬する人間を真っすぐ慕うところ、責任感の強いところ。
力を過信していても、本当は孤独に怯えていても、ラウラの根は真っ直ぐだった。ラウラの心がねじ曲がらなかったのは、クラリッサたち隊員との時間があったからこそだと、俺は思うのだ。
「きっと、お前たちと過ごした時間がなかったら、俺はラウラの家族になってやることはできなかった。ラウラは学園に来ても、部隊のことを忘れたことはなかっただろう」
ラウラが
「その時間が無駄だったと言うのなら、ラウラは部隊の話をしたり、臨海学校でお前たちに土産を持っていくなんて言わないはずだ」
「隊長が……」
「ラウラの出会いに、無駄なことなどなかった。ラウラは全て受け止めて、純粋に真っ直ぐ進む……そんな子だ」
ラウラの部隊に、クラリッサのような者がいてくれてよかったと思う。
「だから……、クラリッサ・ハルフォーフ。今までラウラを支えてくれたこと、感謝する」
「……!」
「そしてこれからも、ラウラを支えてやって欲しい。ドイツに帰ったとき、ラウラの帰る場所であって欲しい。それがラウラの兄として、俺がお前たちに望むことだ」
「お兄様……」
俺が言いたいことはすべて伝えた。どう受け取るかは、クラリッサ次第だ。
クラリッサはふっと微かに笑みを見せた。今日初めて、俺が見たクラリッサの微笑みだった。
「あなたには敵いませんね。やはり、隊長を一番理解されているのは、あなただったようです……」
すっかり冷めた飲み物のカップを手に取って、口に運んだクラリッサ。ゆっくり間を取って、クラリッサは俺に言った。
「天羽翔、いえお兄様。改めて、副隊長であるクラリッサ・ハルフォーフ大尉より、お兄様にお伝えしたいことがあります」
クラリッサは姿勢を正し、敬礼した。
初めて会ったときも思ったが、クラリッサの敬礼は、ラウラとまったく同じ所作だった。過ごした長い年月の分、幾度となく繰り返されたルーティン。ラウラと
「お兄様。お兄様には、我々から離れて暮らす隊長を、見守っていただきたいのです。隊長の、ご家族として」
どうか――我々の隊長を、よろしくお願いします。
クラリッサは、眠るラウラのあどけない表情を見て、そう言った。
俺はラウラの髪を撫でて、ふっと微笑む。
今のラウラに、支えてやるなんておこがましい話だ。何故なら、俺が支える必要などないのだから。支えてやるのではない、クラリッサの言う通り、俺は見守る。妹が充実した日々を送れるように。その平穏を護るのが、俺の役目だ。
「ああ――言われなくても、そうしてやる」
俺もいつもの調子で、生意気にしっかりと答えてやった。
「ところで、クラリッサ。ずっと聞きたかったことがある」
「はい、何でしょうお兄様。小官のスリーサイズでしょうか。でしたら上から……」
「違う。よくラウラが日本について間違った知識を披露してくれるんだが、入れ知恵しているのはお前か?」
「一体何のことやら」
「とぼけるな、こっちは真面目に聞いている。これはラウラの教育方針の問題だ」
「誤解のないようお伝えしておきますが、小官自ら隊長へお教えしたことはないのです。隊長がお聞きになられたことに、副官としてお答えしているのみであります」
「そこで間違った情報を教えているのか……。日本文化に造詣が深いのならその程度のこと知っているだろう。何故あえてそうする」
「はぁ、仕方ないようなので白状しましょう。適当なことを言えば、純粋な隊長がその通りに行動してお兄様を困らせてくれるかと考えまして」
「……お前、存外イイ性格をしているようだな」
「お互い様であります。皮肉屋のお兄様」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「う、ううん……お兄様?」
夕日の沈む帰り道、背中でもぞもぞとラウラが体を動かした。眠ったままのラウラを背負って、帰路についていた俺は、ラウラに声をかけた。
「起きたか。もういい時間だから、学園に帰っている」
ラウラは華奢で軽いから、背負って歩く分にはそれほど負荷はかからない。ただ、銀髪の少女をおんぶして歩く俺は明らかに目立っていて、道行く人がちらりと見ては通り過ぎていった。
「すまない……私は、眠ってしまっていたようだ」
「気にするな。いろいろあってから疲れが溜まっていたんだろう」
そうか、と目をごしごしと擦るラウラ。実際のところは、クラリッサに睡眠薬を盛られていたわけだが。
ラウラが眠りに落ちてから目覚めるまで、およそ一時間半。二時間は効果時間があると聞いていたのだが、実際はそれよりも短かったらしい。クラリッサが報告して欲しいと言っていたから、後でしてやろう。
「クラリッサは……」
「申し訳ないが他の仕事がある、とさっき別れたところだ。まあ、いろいろ話せて親しくなれたぞ」
「それなら、よかった。後で、連絡しておこう……」
……そう、いろいろ話したさ。いろいろな。
「お兄様ぁ」
まだ眠気が抜けてないのか、間延びした声で俺を呼ぶラウラ。何だ、と返事をしたら、ラウラは首に回した手を顔に添えて、ぎゅっと、俺の頬をつねった。
「い、いてててっ!? な、何だラウラ!?」
「お兄様、私は怒っているんだぞ。せっかく部隊の仲間を紹介しようと思っていたのに、疑ってかかるなんて」
……ごもっともだった。
それはそうだ。信頼する副官を紹介したのに、俺が勝手に疑って、警戒して、敵意を剥き出しに睨みつけたのだから。部隊内に裏切り者がいるなど、部隊の隊長たるラウラにとっては許しがたい侮辱だろう。大いに反省している。
「それは、すまなかった。だが誤解は解けた。ちゃんと和解もした」
「本当だな? あとでクラリッサに確認するぞ。私がいないまま、喧嘩別れしていないか」
「安心しろ、そんなわけがあるか」
是非そうしてくれ……とは言いにくい。今日一日話して思ったが、あのクラリッサという女、かなりイタズラ好きのようだからな。面白いからと適当な嘘を言ってラウラを変に乗せてくるかもしれない。
まあ、ラウラを見守るという一点においては、ヤツと利害が一致しているからな。そこは心強い。
頬をつねったと思ったら、今度は腕を首に回してぎゅう、と締め付けた。オトす気かとさえ感じるこの力強いチョークも、ラウラの愛情表現だと、俺は知っている。
「……お兄様」
「今度は何だ?」
「少しは、気が紛れたか……?」
ゆっくりと歩き続ける俺に、ラウラは控えめに言った。
「お兄様、最近はずっと難しい顔をしていたから」
「お、お前……!」
「何があったのか、私には分からないが。だが、お兄様はこの前の一件以来どこか落ち込んでいて、ずっと何か考えている」
「…………」
「だから、今日は一緒に外出したら気でも紛れるかと思って」
まさかラウラからそんなことを言われるとは思わなかったが、身に染みる言葉だった。
束と会ってから、どこか不安を感じていた部分はある。それを見透かされていたことは情けないが、ラウラがそんなことを考えてくれていたとは。
「私はお兄様が何を悩んでいるのか、知りたいんだ。力になりたい。私だけではない、セシリアや鈴、簪もお兄様のことを心配している」
皆までか。筒抜けではないか。
「私は余計な詮索もする。お兄様が話してくれるのを待つ、なんて聞き分けのいいことはしたくない。お兄様がそうしたように、私はお兄様の心の声を聞きたいんだ」
「ラウラ……」
つくづく、身に染みる。この健気な妹は、俺がやったおせっかいを、そのまま俺に返そうとしている。
俺は何を言わず、何を言うべきなのだろうか。俺自身、言葉にもならない思いが渦巻いていて、上手く表現することができないものだ。
俺が無言のまま一歩を一歩と歩くうち、遠慮がちに「言えないか?」とラウラは問う。無駄な詮索はしないと言いながらも、俺が本当に言わないつもりなら、きっとラウラは俺の意思を尊重して引き下がる。そんな妹の優しさが、つらい。
「最近悩んでいたのはな……束の、ことなんだ」
悩んだ末に、俺は小さく口にした。ゆっくり歩きながら、先日のあらましを話した。
話しているうちに日が暮れて、行く道では電灯に光が灯った。人の多い通りも抜け、少し静かな道になる。
「そうか。篠ノ之博士が」
「ああ。もしかしたら、俺の敵になってしまうかもしれない」
そうなったら、俺はどうすればいい。俺に束は斬れない。束への恩義や思慕は、離れて暮らす今もそのままだ。
そのとき、束は俺を撃つのだろうか。なら、二度も俺の命を救ってくれた束の行動は何だったのだろう。嘘だったとでも言うのか? ならそれに対する俺の思いも、嘘だというのか。
――分からない。束のことが、俺はもう何も分からないのだ。
「すまない、ラウラ。俺自身、何も整理できていないんだ。ただただ、困惑している」
「そんなことはない。話してくれて嬉しいぞ、私は。これで、私も一緒に悩める」
「……ありがとう」
……一緒に、か。
「私は、お兄様がIS学園に来るまでのことは何も知らない。だから、篠ノ之博士がお兄様にとってどういう存在なのか、正確には理解できていない」
滔々と、ラウラも話す。……そういえば、ラウラは学園に来た頃よりもよく話すようになった。
「だが、篠ノ之博士が、私にとってのお兄様のような存在だと言うのなら、もし敵対としても――私は戦う」
「……!!」
「大切だからだ。だから私は戦う。敵対すると言うのなら、戦ってでも引き戻す。倒すことだけが戦いじゃない、心をぶつけることだって戦いだ」
――お兄様が、私をあの暗い闇の底から救い出してくれたように。ラウラはそう締めくくった。
「ラウラ……」
「つまりこれはお兄様にだって言えるのだぞ! お兄様がもし、篠ノ之博士と一緒に私の敵になるなら、私は力尽くでもお兄様を連れ戻す! お兄様が兄妹の縁を切ろうとも、私は絶対に諦めない。もう一度、お兄様にお兄様になってもらう!」
覚悟していろ、ラウラはふふんと言った。随分と強引な話である。だが、ありがたい言葉だった。
ラウラは強くなった。……いや、違うな。ラウラはずっと強かった。俺と出会う前からずっと、芯が通った強さを持っていた。それが今になって表れているだけなのだろう。
「大切だから戦う、か」
俺にできるだろうか。束と戦い、束に思いをぶつけたとして、取り戻せるだろうか。
いや、できる。やらなければいけない。俺が束を――姉であり、母でもあるあの人を、心から大切に思っているのなら。
随分、気が楽になったような気がする。今あれこれ悩んでいても仕方ない。そのときに、また覚悟を決める必要がありそうだからな。
「……ラウラ、一旦下ろすぞ」
俺がしゃがんでラウラを下ろそうとしたら、ラウラはじたばた暴れ始めた。
「なっ! い、嫌だぞ私は! せっかくだからこのまま学園まで……!」
俺がいいから、と急かすと、ラウラはしぶしぶ背中から降りた。足の感覚がおかしくなっているのか、少しふらついたラウラだが、すぐに安定して立てるようになった。
「ここから歩きか?」とラウラは不満げに言うが、俺はいいやと否定した。
背負うのがしんどくなったわけではないんだ、ただ――。
「――ラウラ」
「はぅあっ!?」
ラウラがびくりと飛び跳ねた。……俺が、勢いよく抱きしめたから。
わたわた慌てるラウラを抱きしめる力を、心持ち強めた。
「お、お、お兄様っ、急にどうしたんだ!? あ、あと、苦しい……」
「気にするな。いつものお返しだ」
「う、嘘だ! 私はこんな強さで抱きついたりしていない!」
「そうか? もっと、これくらいだった気がするが」
「うわわわっ! また強くするなぁっ、潰れるー!」
ばたばた、ばたばた。真っ赤な顔で無駄な抵抗をするラウラを、思う存分抱きしめてやった。
今日は本当にありがとう、ラウラ。お前が妹でいてくれてよかった、と。感謝と愛情をしっかり込めて。
半日遅れてしまいまして、大変申し訳ございません。
次回更新は4月30日(日)を予定しております。よろしくお願いします。