IS インフィニット・ストラトス ~天翔ける蒼い炎~ 作:若谷鶏之助
「セシリアって、翔のことが好きなのか?」
一夏が何気なく唐突に投げかけた、ド直球の質問。あまりにストレートな問いかけは、セシリアを容易く紅潮させる。
「え、えええっ!?」
セシリアの顔がかーっと赤くなる。よもや一夏からそんなことを聞かれるとは思いもよらなかっただろう。
「どうしましたの、急に! 一夏さんらしくありませんわ!」
「いや、もしかしたらそうなのかなーって思って……」
一夏としては純粋な興味から口にしただけであって、特別な意図などはなかった。
一夏には、ずっと気になっていたことがあった。入学して以来専用機持ちとはずっとつるんでいるが、セシリアには翔といるときにだけ見せる表情があることを一夏は何となく感じていた。無論、セシリアが翔を大切に思っていることは分かっていた。それは一夏も箒も他の専用機持ちも同じだろう。それでも、セシリアの翔に対する想いは、どこか他の皆とは違っているように感じていた。その正体が何なのか、一夏は自分なりに推測を立ててみたのだった。
「結局のところ、どうなんだ?」
「う、それは……」
動揺していたセシリアだが、興味津々な一夏の顔を見ると、観念したように言う。
「――はい。わたくしは、翔さんのことが好きですわ」
すとん、と何かが一夏の中で落ち着いた。探していたものが見つかったような、しっかりと感じる安心感。
「やっぱりそうなんだな」
一夏が笑顔で言うと、セシリアが照れ隠しにこほん、とわざとらしく咳払いをして頷く。
「……『好き』、か」
小さく呟いて、その意味を噛み締める。セシリアの気持ちが、ただ単に好ましく思っているという意味ではないことを一夏は理解していた。一夏が姉を想う気持ちと、セシリアが翔を想う気持ちはイコールではない。
物心がついてから今に至るまで、一夏には恋と呼べるような経験はない。それ故、推測はついても一夏が本当の意味でセシリアの気持ちを理解できたとは言い難かった。
「なあ、セシリア。人を好きになるって、どんな気持ちなのかな」
「い、一夏さん……!?」
セシリアが後ずさる。まるで幽霊でも見たかのような目である。
「一夏さん、頭でも打ちましたの? 鈍感で唐変木の一夏さんがそんなことをお聞きになるなんて……」
セシリアは本気で心配している様子だった。心外である。
「そ、そんなに変か?」
「変ですわ」
「う……」
即答された。
「だって、今まで異性の気持ちなんて微塵も気にされていなかったでしょう?」
「……そ、そんなことは……」
「ありますわ」
「…………」
ぴしゃり、一刀両断された。ひどい。
「まあ、翔さんも大概ですけれど。一夏さんは本気で異性に対する興味があるのか疑われていましたわよ?」
「マ、マジか」
「ええ。
ここまで言われているとなると流石の一夏もちょっと悲しくなる。まあ、確かに一夏自身恋愛事への関心は同年代の男子と比べても薄い気はしていた。何度か告白された記憶もあったが、告白された相手とどうなっていくのか具体的にイメージできず、適当な理由をつけて断っていた。
俺もしかして枯れてるのかな、と一夏が一人ブルーになっていると、セシリアが一夏に「それで」と話を戻した。
「『好き』とはどのような気持ちか、とお聞きになられましたけれど……」
セシリアはそうですわね、と一言挟んでゆっくりと話し始めた。
「……上手く言葉にするのはでも、難しいですわね。でも、敢えて言うなら――」
セシリアは一瞬逡巡して、言葉を選ぶ。
「『引力』……のようなものだと思いますわ」
「引力……」
納得がいく言葉が見つかったのか、セシリアはええ、と続けた。
「きっかけなんてどんなことでも構いませんの。気がつけば、その方のことを目で追っていて。ずっと一緒にいたいと、そう思わせてくれるような、引力を感じる。きっとそんなどうしようもない引力が、恋なのだと思っていますわ」
セシリアは、赤らんだ表情そのままに微笑みを見せた。
セシリア曰く、翔に対する第一印象は最悪以外の何物でもなかったという。一夏は入学早々に口喧嘩していた二人を見ていたが、あの場にいなかった鈴やシャルロットが今見たら、信じられないと言うに違いない。
努力を重ね代表候補生になり、祖国の誇りとして学園に来たセシリアにとって、ただ適正があったというだけでISを操縦できる「特権」を得た翔が気に入らなかった。加えて、実際会ってみると愛想の欠片もない応対。これに関してはセシリア自身の問題もあったが、とにもかくにも、そんな最悪な印象が変わったのが、クラス代表戦だった。翔は、圧倒的な実力を見せつけて、言葉通りに勝利をもぎ取った。
「父のような男性が苦手だったわたくしは、翔さんの見せた強さに惹かれましたの。世相が世相ですし、本国でも翔さんのような男性はいませんでしたから」
このままではいけないと、セシリアが思い切ってその日の夜に非礼を詫び謝罪したことで、翔と和解することができた。お互いを認め合うことができた。そのとき、初めて翔が女性に触れられないことを知ったりもした。
そのとき、セシリアの恋は始まったのだ。自分を変えてくれるような恋が。
「最初は比類のない翔さんの強さに惹かれた……それは事実。でも――」
今までの記憶を編みなおすように、セシリアはゆっくりと語る。
「翔さんと接していくうち、翔さんの違った一面が見えてくるようになりましたわ。器用なところ、とってもお人好しなところ、お料理が大好きなところ……そして、強さの裏側にある、弱いところも」
「弱い、ところ」
「ええ。翔さんは、いつも悩んでいましたわ。自分が誰なのか、何故自分がここにいるのか、と」
「…………」
一夏にとっても特段意外なことではなかった。思い当たる節はあったからだ。
一夏と出会う前、翔は粗暴だった。近づくなとばかりに周囲を威圧して、気に入らないと絡んできた同級生や上級生を返り討ちにしていた。近づくものを傷つけ、敢えて一人でいることに拘っていた。そうやって恐れられることで、むしろ自己の存在を主張していたように感じた。――まるで、IS学園に来た頃のラウラのように。
「自分に家族は存在しない……翔さんはそうおっしゃっていました。孤児院でも孤独なままで、だからこそ一夏さんと箒さんが友達になってくれたことが本当に嬉しかったんだと、話してくださいました」
「……そっか」
照れくさいな、と一夏は頬をかいた。一夏との想い出を、翔が大切にしていたことは素直に嬉しい。
一時はセシリアを傷つけられて激昂していていた翔があそこまでラウラに拘ったのは、きっと自分と似たものがあると感じたからだろう。
「翔さんの弱さを知っても、わたくしの想いは変わりませんでしたわ。むしろ、翔さんのことをもっと知りたいと思いましたの」
そう言ってセシリアは、目の前のカップを取って一口啜る。くるくると中の紅茶を回しながら、セシリアの回想は深まっていく。
「それから、臨海学校があって、
「それから?」
セシリアはカップを置いた。何となく重大なことが口から出そうで、一夏はすっと姿勢を直す。
「夏祭りの日。わたくしは、翔さんに告白しましたの」
「そ、そうだったのか!?」
顔を赤らめて、セシリアは頷いた。
「一夏さんのお家で集まったときに、一夏さん以外の専用機持ちの皆さんにはばれてしまいましたけれど」
「…………」
言われてみれば、あのときのセシリアと翔は、最初はどこかぎこちない雰囲気だったような気がする。いつの間にかいつも通りの二人に戻っていたから、一夏は気にもしていなかったのだが。
(あれ、てことは……)
告白したと聞いたら、今度は別の疑問が浮かんでくる。
翔からの返事はどうなったのか? もしかして二人は付き合っていたのか、それとも、まさかセシリアはフラれていたのか?
「なあ、セシリア。翔からの返事は……どうだったんだ?」
「うっ……」
セシリアは痛いところを突かれたとばかりに顔をしかめた。
「お、お返事は……その、保留ということになっていますの」
「ほ、保留……!?」
予想外の展開だった。ということは、二人は付き合ってもないし友達のまま、と。
ある意味、一夏の認識に間違いはなかった。
「でも、勘違いする必要はなくってよ。わたくしがそれでもいいと言ったから、今も保留のままなのです。翔さんは適当な返事をしたくないからとおっしゃっていましたし、わたくしもその方が嬉しいから」
「いいのか、それで」
「ええ、決めましたもの。翔さんからお返事をいただけるときを待つと」
「……待てるんだな、セシリアは」
だが、その決意は普通ではない。結論を出さない翔をなじってもいいはずなのに。
「待てますわ。わたくしは、翔さんを信じていますから」
まるでそれが当たり前であるかのように、セシリアは言った。
セシリアがこうまで言えるほどに、セシリアを変えた恋。――恋とは何なのだろう。引力、とセシリアは言った。どうしようもなく惹かれてしまう大きな引力なのだと。そんな引力を感じる瞬間が、俺に訪れるんだろうか。
「俺にも来るのかな、誰かに恋するときが」
一夏が呟くと、セシリアはにこりと笑った。
「きっと来ますわ。今はまだ分からなくても、いつかすべてを共有したいと思う人が目の前にいるはずです。わたくしがそうであったように」
それに、と優しくセシリアは言う。
「もしかしたら、そのお相手は一夏さんのことを想ってくれている方かもしれませんわよ?」
「俺のことを? いるのかな、そんな人」
ぼんやり一夏が尋ねると、セシリアは頷いた。
「――ええ、います。学園の中に」
「ほ、本当か……!?」
「本当ですわ。わたくしだって女の子ですし、学園の皆さんが誰に恋をしているかなんて、すぐ伝わってきます」
どくん、と心臓が跳ねた音がした。俺に恋心を抱いてくれている人は、いる。それも、学園の中に。
聞いてはいけないと分かっていながらも、一夏は口にしてしまう。
「……そ、それって、誰な――ん!?」
一夏が言う前に、セシリアはしーっと白い指を一夏の口に立てた。
「それは、秘密。わたくしからは言えませんわ。だってその人は、まだ一夏さんに伝えるべきでないと考えているから、一夏さんに本心を伝えていないのです」
「そうでしょう?」とセシリアは一夏ではない『誰か』に尋ねた。
「告白するのはとても勇気がいることですから。大好きな人に拒絶されるのは怖いものです。だから、もしその人が一夏さんに想いを伝える日が来たら――」
セシリアは一夏の口から指を離して、指を目の前に出した。
「一夏さんは、ただ真摯に向き合ってあげてくださいな。そのあとどんな結論が出ようとも、きっとその人は告白したことを後悔しないはずですわ」
「セシリア……」
確信と共にセシリアは一夏に言う。
「わたくしは、翔さんのことが好き。翔さんがどんな結論を出しても、あのときの告白の返事として、わたくしは受け入れますわ。それは翔さんの、わたくしに対する本当の気持ちだと信じていますから」
「…………」
「でも、翔さんのことを諦めるかと言われれば話が別ですわよ。例えそのときフラれたとしても、絶対いつか振り向かせて見せますわ」
柔らかな笑顔で放たれる強気な宣言と意地。プライドの高い彼女らしいと苦笑しながらも、一夏はどこかいつもと違う動悸を感じていた。
自分のことを想ってくれる誰かがいる。たったそれだけの、けれど大きな事実。
「――ありがと、セシリア。また今度なんかおごるよ」
「あら、でしたら来月から始まる新スイーツにしていただけるかしら?」
「オッケー、わかった」
「ふふふ、楽しみですわ」
セシリアはそう言って、紅茶の最後の一口を傾けた。
次回更新は1月22日を予定しております。