IS インフィニット・ストラトス ~天翔ける蒼い炎~   作:若谷鶏之助

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更新が遅れてしまい申し訳ありません。


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「んーっと、ここは因数分解でっと……」

 

 織斑一夏は、一人カフェテリアで教科書を開いていた。翔との模擬戦を終え、食事を済まし、部活レンタルに向かうことを決意したのだが、幸か不幸か行く予定だったバトミントン部が校外で試合中だったため参加することができなかった。そんなわけで、いよいよもってすることがなくなった一夏は柄にもなく勉強していた。

 一学期であれば、一夏が一人でカフェにいたら間違いなく人だかりができていただろう。しかし、入学して半年が過ぎた今、一夏の存在は校内でも特に珍しいものではなくなった。相方の翔はあまり他の生徒と話さないため王子様のような扱いを受けているが、一夏は持ち前の鈍さと朗らかさでむしろ身近な存在として受け入れられているのである。女子高の中の男子二人は、半年のうちにそれぞれ他の生徒とそれなりに良好な距離感を保ちながら生活していたのだった。

 閑話休題。一夏はちらほらと挨拶をくれる先輩や同級生に挨拶を返し、問題集を解き続ける。ただ数学の計算をしながらも、一夏の頭の中は今日の模擬戦のことが大半を占めていた。

 

(しっかし、強いな翔は)

 

 今日の模擬戦は、一夏が今持っているものをすべて翔にぶつけた。今まで一度も翔に勝てていない一夏だが、本気で勝ちにいった試合だった。

 ――結果、敗北。

 射撃がエネルギー兵器主体で構成されている蒼炎に対し、零落白夜を持つ白式は相性がいい。短期決戦に全力を注ぐ機体特性的もあり、一夏は最初から全力で翔を攻め立てたが、結局崩し切ることはできず、見事にカウンターをもらって沈んだ。

 

(……抜刀の踏み込みの浅さ……いや、違うな。(わざ)自体のキレってより、読まれてるんだ、思考が)

 

 楯無も言っていた。翔の実力を支えているのは、読みと判断能力だ、と。それは一夏が最も翔に及ばない部分であり、逆に言えばそれを埋めば翔に一矢報いることもできるだろう。

『零落白夜』を乗せた抜刀は当てれば試合を決定づけるものだが、それを当てるためには、翔の思考を読み切らなければならない。翔が一夏の裏を狙うなら、その裏を。裏の裏を狙うなら、裏の裏の裏を……。

 一夏の思案は続く。ぐるぐると思考を巡らせていると、一夏の集中は徐々に深層へと沈んでいった。

 

「あら、一夏さん?」

 

 そこで、一夏の姿を捉えた金髪ロールの少女が、通りかかった。

 

「……ダメだ、もっとだ。翔よりも深く、深く、もっと……」

 

 それに気づくこともなく、まるで呪文のように、一夏はぶつぶつと呟く。

 

「一夏さん」

 

 そうだ、目指すその先を……チャンスを探れ。一瞬を逃すな。そして一刀の下に敵を斬り伏せるのだ。修羅のごとく――。

 

「一夏さんっ!」

「――んおっ!?」

 

 大声で呼ばれてぱっと現実に戻ったとき、一夏の目の前には腰に手を当て、眉間にしわを寄せたセシリアがいた。

 

「な、何だ、セシリアか……」

 

 一夏が気のない返事を言うと、セシリアはむっと一層険しい表情になる。

 

「まあ。何だとは何ですの。声をかけてもお返事されなかったのは一夏さんでしょう?」

「あー、すまん……」

 

 バツが悪くなって一夏は頭をかいた。一夏が謝ったのを見て、セシリアは表情をふわりと和らげた。セシリアが「席をご一緒しても?」と聞くので、一夏はそれを快諾した。セシリアは微笑をこぼして、「では、失礼しますわね」と一夏の反対側の席についた。

 座る所作一つとっても、セシリアは少し他の生徒とは違った。相変わらず所作の一つ一つが丁寧で、彼女の育ちの良さが伺える。黙っているのも変なので、一夏はそれで、と話を切り出した。

 

「セシリア、今日は予定無いのか?」

「ええ。午前は家の執務が残っていましたから、そちらを優先して片付けていましたけれど。ところで、翔さんはどちらに? 一夏さんは翔さんと模擬戦をしていたのでしょう?」

「翔か? 翔なら……」

 

 一夏の脳裏で、妹にヘッドロックされながらいずこへかに連行されていった幼馴染の哀れな姿が再生された。

 

「……ラウラに引きずられてどっか行った」

「……そんなことだろうと思いましたわ」

 

 セシリアも何となく察していたのだろう。呆れたようにそう言うと、ため息をついてカフェテリアのメニューボードに視線を合わせた。

 

「……まあ、ダメで元々でしたから。悔しくなんてありませんわ、ええ、勿論」

 

 ぶつぶつと呟くセシリア。やっぱ悔しいんじゃないか、というツッコミは一旦飲み込んで、一夏は教科書をパタンと閉じた。勉強も煮詰まっていたし、ちょうど話相手が現れてくれたのはありがたい。

 

「セシリア、暇ならちょっとお茶しないか? 俺も暇しててさ」

「ええ、構いませんけれど。お勉強の方は……」

「いーって。暇だったからやってただけだしなあ。……じゃあ、飲み物買ってくるよ。紅茶でいいか?」

「では、それで」

「あいよ」

 

 一夏は持ち前の甲斐甲斐しさで二人分のドリンクを用意すると、あっという間に席に戻った。

 

「ほい」

「あ、ありがとうございます」

「セシリア、いつも紅茶はストレートだったよな。ミルクは入れてないから、砂糖は好みで入れてくれ」

「は、はい」

 

 一流のメイドを知るセシリアも驚く手際だったが、常日頃から千冬の世話を焼いてきた一夏にとっては、この程度は造作もないことだった。

 適当な茶請けも用意ができたところで、一夏とセシリアのお茶会は始まった。

 

(そういえば、珍しいな。セシリアと二人で話すのって)

 

 知り合って半年が過ぎるが、思い返すとセシリアと二人で話す機会はそれほどなかった。一夏がセシリアといるときは、大抵翔や他の専用機持ちもいた。

 それでも、一夏の中で明確に記憶に残る出来事があった。堕ちた福音(ゴスペル・ダウン)事件で、翔が一度撃墜されたとき。自責の念に囚われていた一夏に、セシリアは問いかけたのだった。

 

「一夏さん、今日の模擬戦はどうでしたの?」

「おう。今回も完敗だった」

 

 一夏はお手上げ、と両手を開いた。セシリアは苦笑して、そうですわねと相槌を打った。

 

「わたくしも、まだ勝たせてもらっていませんわね」

 

 頬杖をついていた右手を、カップに移動させるセシリア。

 

(……ブルー・ティアーズは蒼炎と相性が悪いからなあ)

 

 一夏は翔対セシリアの模擬戦の様子を思い出した。ブルー・ティアーズは中遠距離戦が本領。しかし、BT兵器をシャットアウトできる防御武装を持つ蒼炎が相手だと、容易に接近を許してしまう。接近戦での優位性は言うまでもなく蒼炎にあり、セシリアは終始厳しい戦いを強いられている。

 

「でも、相性を理由にはしたくないですわ。限界を自分で決めてしまうようで」

 

 カップを置いて、セシリアは毅然と言う。

 

「勝てない相手に勝てないと嘆くだけでは成長に繋がりませんわ。相性でも何でも、技量でカバーできるのは翔さん自身が証明なさっていることですし」

「…………」

「『勝ちたいなら努力しろ』。二学期が始まってすぐ、そう鈴さんに怒られましたの」

 

 微笑むセシリアに、厳しいなあ、と一夏は苦笑して返した。ちょうど、一夏が第二形態移行(セカンド・シフト)で《雪羅》を手に入れた頃だっただろう、今にしては一時的なものだったと分かるが、一夏がセシリアに勝ち越していた時期があった。結局あっという間に逆転されてしまったわけだが。

 

 と、半年間の振り返りをあれこれをしているうちに、一夏はシャルロットから欧州に呼ばれている話を思い出した。欧州全体で動いている企画らしいから、セシリアも何か知っているかもしれない。

 

「セシリア、そういえばさ」

「はい?」

「シャルが本国から冬休みにフランスに俺と翔を招待してくれって言われたらしいんだけど、セシリアは本国から何か聞いてないか?」

「フランスに!?」

 

 セシリアがぐっと身を乗り出して一夏に詰め寄った。驚いて一夏は少し顔をひっこめた。

 

「どういうことですの!? そんなお話、わたくしは一度も……!」

 

 驚きを隠せない様子のセシリアだったが、一夏としてもセシリアがそのことを知らなかったのは意外だった。

 

「え、ええ? シャルが言うには、これって欧州全体で進んでる企画らしいから、セシリアも知ってるものだと……」

「…………」

 

 セシリアが難しい顔で俯く。セシリアがその事実を知らないことに、一夏も少なからず驚きだったが、セシリアの驚きはそれ以上だっただろう。セシリアは怪訝そうな顔のまま、

 

「……今度、そのことについて本国に尋ねておきますわ」

「お、おう」

 

 ただならぬセシリアの雰囲気に一夏は小さく相槌を打つしかない。

 シャルロット曰く欧州で推進されているプランだそうだが、どうやらこれに関しては欧州各国で温度差があるようだ。ただフランスが先行して推し進めているだけなのか、それともイギリスがあまり乗り気でないだけなのか……。どこかキナ臭い雰囲気がして、一夏も押し黙る他ない。

 セシリアは肩を落とすと、紅茶のカップを口につけた。

 

「はあ、また心配事が増えましたわ……。最近翔さんの様子が少し変なのも気になりますのに……」

 

 ため息をついたセシリアのボヤキに、一夏はぴくりと反応する。 

 

「様子が変? 翔が?」

 

 一夏が尋ねると、セシリアはええと頷いた。

 

「ちょうど、簪さんラウラさんと試合をしたときくらいからですわね」

 

 あの日からか……ん?

 そう言われてみると、一夏にも何となく思い当たるフシがあった。

 

「……言われてみれば、なんか考え込むこと増えたような気がする」

 

 天羽翔という男はあまり口数の多い人間ではないし、一人で何か思案していることも多いが、それでも一夏や他のクラスメイトが話しかければちゃんと答えてくれるくらいの付き合いはある。ところが最近、黙ったままで話かけても上の空でいることが増えていた。何かを気にしている様子だった。

 

「今日翔さんとお出かけしようと思ったのも、何か気晴らしになればと思ってのことでしたの」

「……なるほどねぇ」

「まあ、ラウラさんが連れ出してくれたのならそれでいいですわ」

 

 今度は出し抜かれませんけれど。そう言ってにこりと笑うセシリア。最初出会ったときに辛辣だったのに、知らず知らずのうちにトレードマークになっていたセシリアの穏やかな笑顔。

 翔との試合を経て、セシリアは明確に変わった。翔との付き合いが長いはずの一夏よりも、翔の変化に気づくくらいに。

 

「……よく見てるんだな、翔のこと」

「そうですか?」

「うん、そう思う」

「…………」

 

 一夏の言葉にほんのりと顔を赤らめるセシリア。翔の話をすると、こういう表情をよくする。

 セシリアが変わった理由、セシリアが特別な表情を見せる理由――。

 

「なあ、セシリア」

「はい?」

 

 一夏は、小さな疑問を口にした。

 

「セシリアって、翔のことが好きなのか?」 




次回更新は11月12日(土)午前零時です。
次回もよろしくお願いします。

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