IS インフィニット・ストラトス ~天翔ける蒼い炎~ 作:若谷鶏之助
ガチャ、ガチャ……と機械音が、俺の作業を彩る。パソコンを片手で操り、俺は蒼炎とブルー・ティアーズの調整をしていた。
内容を具合的に言うと、蒼炎は高機動仕様から戻したことによる誤差の修正、ブルー・ティアーズはスラスター出力の調整。
勿論、隣にはセシリアがいる。セシリアは何も言わず静かに俺を見守っている。
「……よし」
一応の調整が終わった。パソコンをセシリアに向けて、画面を指差す。
今回ブルー・ティアーズに調整を施した訳は、蒼炎とブルー・ティアーズの燃費の差を縮めるためだ。近接戦闘重視で剣による攻撃が多い蒼炎と、中遠距離戦特化でライフルによる狙撃が主なブルー・ティアーズでは試合中に撃つ弾数が桁違いだ。つまり、ブルー・ティアーズの方が先に息切れすることになる。しかし、ブルー・ティアーズは中遠距離での手数が魅力の機体なので、『撃たないようにする』というのは論外。そうなると、機体のスラスター効率を向上させ、攻撃面に割けるエネルギーを増やす必要があった。
「言っていた通り、メインスラスターの出力五パーセント分を各部スラスターに割り振った。燃費が向上した代わりに、再加速の速度が落ちてしまうが……」
「構いませんわ。要は足を止めなければ良いのでしょう? 狙撃の体勢が悪くなりますけれど、そこは腕で補ってみせますわ」
「頼もしい限りだな」
ブルー・ティアーズを待機形態に戻してセシリアに渡し、向かい側に構える蒼炎へ向き直る。次は蒼炎の調整だ。
ISには
最終的には高機動寄りの仕上がりになるだろうが、それも悪くない。キャノンボール・ファストのときのあの感覚は、俺と蒼炎に新たな可能性を見せてくれた。
「どれくらいかかりますの?」
「それなりにかかるかもしれない。三〇分以内に片付けたいと思っているんだが、遅くなりそうなら先に――」
「待ちますわ」
言うより先に、セシリアが答えた。
振り返る。セシリアは笑顔だった。
「待っていますから、一緒に戻りましょう?」
「…………」
……全く、君は。どうしてそう当たり前のように言ってくれるんだ。
照れ隠しで蒼炎の方を向いたが、少し赤くなったのがばれたかもしれない。
「すまない、ありがとう」
「……ふふ」
俺は数回首を曲げて、腕を伸ばす。これは、何となくやっている内に、パソコンを触る前のルーティーンになったものだ。
「…………」
「…………」
無言の時間が過ぎて行く。俺のキーボードを打つ音と、たまに本体をレンチでいじったりするときの金属音と、それくらいしか耳に入らない。
セシリアは後ろから俺の作業を見ている。小さな椅子に腰かけて、頬杖をつきながら。
「翔さん」
「ん?」
作業を始めて、五分くらいか。セシリアがゆっくり話し出す。
「翔さんは整備もお上手ですわね」
「まあ、何年も束といればな」
「篠ノ之博士から何か指導などはありましたの?」
「いや、あいつは何も教えてくれなかった」
「では……」
「ああ。見て学んだ」
ハッキングも、整備のスキルも、束の作業していたのを盗んだものだ。あいつのやることは常人離れしていて理解できないものは多いが、それでも得られるものはあった。
束も束で、俺が横でじっと見ていても何も言わなかった。技術を盗まれるのが嫌なら遠ざけたはずだから、それをしなかったということは、暗に「見て盗め」と言っていたのかもしれない。……いや、「盗めるものなら盗んでみろ」か? こちらの方が束らしい。
「ただ、整備に関しては、どちらかと言うと自分でやっていて学んだことの方が多いな。蒼炎をずっと自分で整備してきたからだと思う」
パソコンを置いて、今度は蒼炎の脚部装甲を開く。外からすべてパソコンで調整できるならいいが、このように直接いじくらないといけない部分がある。
何をどうすればいいか、手に取るように分かる。こいつにも馴染んだものだな。何年も一緒にいるから、それもそうだが。
「……こいつはな、事実上俺の『私物』なんだ」
「し、私物ですって?」
セシリアが驚く。当たり前だ。ISは国家に所属しているのが常識なのだから。
束が俺をIS学園に推薦するに当たって書いた推薦状には、「専用機『蒼炎』の運用、整備、その他は、開発者篠ノ之束及び操縦者天羽翔によってのみ決定される」との一節がある。俺と束以外は蒼炎に干渉できないということだが、束は何も言ってこない。こうなるともう俺の好きにしろ、と言っているに等しい。
「蒼炎は、束がプレゼントとして俺に贈ったもの。それで身を守れということなんだろうが、どう考えてもISは過剰だ」
「そんなことが……」
「やることが常識外れだろう? だが、それが束だ」
不可能を可能に、非常識を常識に、理想を現実にできる。それが篠ノ之束。
不意に懐かしさを覚えて、口元が緩む。馬鹿なことをやる保護者を叱りながらの生活も、悪いものではなかった。
「自分のものは自分で管理する。だから、蒼炎の整備は、俺か束しかできないようになっている」
「だから学園も何も言わない、と?」
「ああ」
穏やかに微笑み、またパソコンの前に戻る。
国に所属していない以上、蒼炎のデータを開示する義務は無い。だから学園は何も言わない、というより言えない。
まあ、何度かの公式戦で稼働データくらいなら取られているかもしれないが。
「…………」
再び無言の時間が訪れる。
ずっと、俺を後ろから見つめるセシリア。もう何分も座ったままだが、楽しいのだろうか。
「セシリア」
「何でしょう?」
「俺ばかり見ていて、飽きないのか?」
「はい。こうしているのも、とても楽しいですわ」
……よく分からない。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
セシリアはじっと翔の作業を見つめている。翔は飽きないのかと訊いたが、セシリアは迷わず飽きないと答えた。
それもそのはず。セシリアが、翔と二人きりでいれるこの時間に飽きるはずがなかった。むしろ、もっとこの時間を過ごしたいとさえ思う。
(……格好良い)
ドキリと胸が高鳴る。無言の後ろ姿も、たまに見える端整な横顔も。愛しい彼の真剣な表情は、セシリアにとっては至上のものだった。
一体、何人の女性が彼に惹かれているだろう。その中で、彼の外見に惹かれただけでなく、内面にまで惹かれた人はどれほどいることか。セシリアは指折り数えると、立った両手全ての指を見て顔をしかめた。
(……十は、軽く超えますわね)
いくらIS学園と言えど、生徒は女子高生である。誰が誰を好きだとか、そういう話には目がない。無論それはセシリアも例外ではない。どこのクラスの誰が翔を好きかは、友人たちの口を通してすぐ耳に入る。だがセシリアはその数多いる翔ラバーズの中で、自分は特別であることも理解していた。手を繋ぎ、贈り物を貰い、キスまでしたのだから。
セシリアは首にかかる金色の太陽を手に広げた。もう、不安に思うことはない。翔は目の前にいて、こうして彼を見つめていられる。翔と一緒にいて、支えること。それが今できることで、セシリアが一番したいことだ。
(そ、そうですわ、もしかしたら……!)
こうして一緒にいれば、何かの間違いが起こるかもしれない。
何かの間違い……。セシリアの想像(妄想)が、もわわーんと膨らんでいく。
『セシリア、調整が終わったぞ』
『どのような感じになりましたの?』
『ここのパワーを上げて、全体的にバランスの良い仕上がりにした。このディスプレイを見てくれれば分かると思う』
『分かりましたわ。ではそちらに――きゃっ!?』
『おっと。ピットの中を走るからだぞ。受け止めたから良かったものの』
『す、すみません。でも、早く翔さんのお側に参りたかったから……』
『ははっ、可愛い奴だな』
『む~、笑うなんて酷いですわっ』
『――セシリア』
『は、はいっ』
『君の体も、調整したい……』
『ええっ!? そ、そんな、急に……』
『いいだろう?』
『は、はい……』
『注文は? どういう風にして欲しい?』
『……優しく、してください……』
『了解した。注文通り、仕上げてやる。やさしく、優しくな……』
『ああ……っ』
「……よし、調整完了。セシリア、待たせて悪い――……セシリア?」
「もう、やですわ! 翔さんったら!」
「!?」
翔がぎょっと目を丸くした。
セシリアはそれを見てようやく、めくるめく桃色の世界から帰還した。
「――はっ!? な、何でもありませんのよ、おほほ!」
「……おかしなやつだな」
翔は取り繕うセシリアを訝しむ。少しひねくれたところが目立つ翔には、こういう表情がよく似合う。
危なかった。あのままだと現実に戻ってこれなくなっていたところだ。
翔は蒼炎をリングとチェーンに戻し、首にかけた。
「とにかく調整は終わった。待たせてすまないな」
「お気になさらず。わたくしがそうしたいと思っただけですので」
「そうか」
立ち上がった翔に連れ添って、セシリアも部屋を出る。
待っていたのは自分の意思でしたことだけれど、何か褒美が欲しい。せっかく二人きりなのたから、何かしたい。
ここで、あることを思いつく。セシリアは、愛しい彼に自分の腕を絡めた。
「ななな……!? セシリア!?」
狼狽する翔。案の定真っ赤になって、ガクガクと四肢が震え始めた。
「……セ、セシリア、た、頼むから、放してくれ……」
普段の彼からは考えられないほど情けない声で懇願する。世の翔のファンのほとんどは、知らないに違いない。翔にこんな可愛らしい一面があるなんて。
「いけませんの?」
「だ、ダメだ! この前倒れたところだろうが!」
「本当に、いけませんの?」
「うっ、ぐ……!」
上目遣いに、翔を見上げる。腕を抱く力も少しだけ強めて、胸の膨らみを彼の腕に押し付けた。
翔さんにこんな色仕掛けが効くかは分からないけれど、もし、わたくしのことを意識してくれているなら――。
「……す、少しだけだからな……!」
翔は真っ赤な顔で、小さく呟いた。照れてそっぽを向く翔の仕草で、セシリアの表情に花が咲く。
――してやったり。
「ふふふ、了解しましたわ」
セシリアは翔の腕を一層強く抱き締めて、早速忠告を破った。翔はまたびくりと震えたが、ついにぎこちない足取りで歩むのだった。