IS インフィニット・ストラトス ~天翔ける蒼い炎~   作:若谷鶏之助

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 専用機持ち全員のペアが決まり、学園内の専用機持ちのモチベーションは、トーナメントへ向けて高まっていた。

 天羽翔と、セシリア・オルコットの『蒼』ペア。

 鳳鈴音と、シャルロット・デュノアの『アンチ一夏』ペア。

 織斑一夏と、特別参戦した山田先生の『謎』ペア。

 ラウラ・ボーデヴィッヒと、更識簪の『妹』ペア。

 篠ノ之箒と、更識楯無の『巨乳』ペア。

 三年生ダリル・ケイシーと、二年生フォルテ・サファイアの『上級生』ペア。

 今回のトーナメントは、以上の六チームによる勝ち抜き戦である。

 そしてここ、第六アリーナでは、篠ノ之箒、更識楯無が訓練をしていた。

 

「はあ、はあ、はあ……!」

 

 箒が息を切らせて、愛機紅椿のコンソールに表示された『絢爛舞踏』の文字と、回復したエネルギー、そして箒を見守る楯無を半信半疑に見つめる。

 

「た、楯無さん!」

「う、うん」

「『絢爛舞踏』の発動、成功しました!」

「やったー!」

 

 専用機受領から三ヶ月。ついに箒は、紅椿の単一仕様能力(ワンオフ・アビリティー)、『絢爛舞踏』の発動に成功した。

 箒がISを解除すると、楯無は箒の元へ駆け寄って箒を抱きしめる。

 

「おめでとう箒ちゃん!」

「は、恥ずかしいです、楯無さん……」

 

 箒は照れ臭くなって、楯無をやんわり押し返す。それがまた可愛らしい。

 

「んもう、可愛んだからー!」

 

 頬ずりするかのように箒を愛でる楯無。箒にとって絢爛舞踏の発動はとても嬉しいことであったが、楯無としてもそれは同じであった。自分が一生懸命指導した後輩の成長は、嬉しいものである。

 楯無は箒を離し、少し真面目な顔になった。

 

「箒ちゃんが絢爛舞踏を使えるようになってくれたお陰で、私たちは他のペアとは一味違う強みを手に入れたことになる」

「……はい」

 

 絢爛舞踏は、エネルギーを増幅させる能力。発動することで紅椿のエネルギーを回復させることができる。勿論紅椿のエネルギー回復だけでも破格の効果であるが、絢爛舞踏の最大の利点は、その増幅させたエネルギーを、他機に接触するだけで簡単に渡すことができる点にある。この点が非常に強力で、これによって紅椿は、自機のみならず味方機にも無尽蔵のエネルギーを供給できることになる。故に、紅椿が単一仕様を発動可能になったことは、極めて大きな戦術的価値があるのだ。

 

「また一歩、優勝に近づいたわ。……ありがとう、箒ちゃん」

「い、いえ、そんなっ。私は何も……!」

 

 箒は大袈裟に手を横に振った。

 

「楯無さんの指導のお陰です」

「まーた謙遜しちゃって。負けず嫌いなのに、妙に謙虚なのよね、箒ちゃんは」

 

 呆れるような口調だったが、その真っ直ぐさが箒の長所である、と楯無は理解していた。

 箒と初めて会ったとき、楯無は箒に対して翔や一夏ほどの興味は抱かなかった。だが、今考えればとんでもない。こんなに面白い子、滅多にいない。強くなるためになら、誰かに教えを乞うのを躊躇わない。厳しいことを言われても、真摯に受け止めて自らの糧とする。そういうひた向きさが、箒の成長を促しているのだ。

 だが、成長の原動力は、それだけではない。

 楯無は箒の瞳をじっと見つめる。真っ直ぐな瞳の奥には、やはりある人物が見えた。いつでも見える、二人の少年の姿。

 

(……明確な指針があるから、かしら)

 

 箒の実直な性格と、もう一つ箒の成長を促すもの。それは、幼馴染――天羽翔と織斑一夏という、二人の存在。

 目標と、ライバル。彼らがいるから、箒は前を向いて歩んで行ける。支えのある者は、強いのである。

 

「さーて、じゃあ今日はこの辺にしましょう!」

「はいっ」

 

 汗を拭いて元気良く返事をした後輩に、楯無はにっこり笑った。

 

 

 

 ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 

 

 

 サアアアア、と熱湯が箒の身体を伝って床に落ちる。全身の汗と垢を洗い流す湯けむりの中で、箒は手首の紅の紐を見つめ、微笑んだ。

 

(やっと、やっとだ……)

 

 当初の目標を達成したことで、箒は心地良い満足感を得た。

 紅椿を受領して三ヶ月。ようやく単一仕様の発動に成功した。まだ使いこなせているとは言えないだろうが、一つの結果としては悪くない。しかし、まだ完成にはほど遠い。これからは地道に絢爛舞踏の発動効率を上げていくしかない。

 

「箒ちゃーん、待ってよ~! 私、ストッキング脱ぐのに時間かかるって言ったでしょ!」

 

 箒から五分ほど遅れて、楯無がシャワールームに現れる。なかなか苦戦していたので箒はこっそり出てきたのだ。そんなに一緒に入りたかったのだろうか。箒は苦笑して、

 

「どうせ浴びるときは別なんですから……」

「ふふー、本当にそうでしょうか?」

 

 嫌な予感がした箒だが、時既に遅し。扉を押さえる前に、楯無が手をわきわきとさせて侵入してきた。

 

「た、楯無さん!?」

「んふふー。箒ちゃん、ロック☆オン! まだ読みが甘いわね。私から逃げられると思ってるのかしらー?」

「あ、あ……」

 

 虫の足の如く蠢く楯無の指。何度か食らったことのある『アレ』を思い出し、箒の体がガタガタと震え始める。

 

「私を待たなかった罰よ! こちょこちょこちょー!」

「あっ、ちょ、あははっ、た、楯無さん、やめてください!」

「あっはっはっは! ほーれ、こちょこちょこちょー!」

「や、やめ――あ、あは、あはははははははっ!」

 

 

 

 

 

 

「ふい~。汗かいた後のシャワーは気持ちいいわねー」

「…………」

 

 シャワールームでぐったりしている箒の隣では、マイペースな生徒会長が爽快感全開で湯を浴びていた。

 何とか隣のブースに押し返した箒だが、楯無の『必殺・くすぐり攻撃』のダメージは甚大であった。

 箒がよろよろ身体を起こすと、楯無はすりガラス越しに箒の身体をまじまじと観察していた。

 

「やっぱり、箒ちゃんっておっぱいが大きいのね。私、負けてるかも」

「んなっ!?」

 

 箒は咄嗟に胸を隠した。シャワールームだからエコーがかかり、何回も同じことを言われているかのように錯覚してしまう。

 

「どこを見てるんですか! セクハラですよ!」

「いやーん、セクハラだなんて。女同士よ?」

 

 すりガラスで隔てられていても、隣の人のシルエットは分かる。誰から見ても目立つ胸がコンプレックスな箒は、他人の視線が気になってしまう。だから箒は普段、アリーナのシャワールームを使いたがらない。

 

「いいじゃない、大きいのも。魅力的よ?」

「……こんなもの、あっても邪魔なだけです」

「まあ、そうかもね。肩が凝るし。でも、一夏くんは大きい方が好きかもしれないわよー?」

「い、一夏が……!?」

 

 かっと顔が赤くなる。表情は見えないが、このお茶目な先輩はきっと意地悪く笑っているに違いない。

 

「……む、胸の大きさは、関係ありません」

「あら? それって普通は小さい子が言うセリフよ?」

 

 胸が大きいだけで、一夏が好きになってくれるなら、きっと箒の勝ちである。だが、そうはならない。目下最大のライバルである鈴とシャルロットは、それぞれ違った魅力に満ちている。箒は決して、二人に勝っているなどと思ったことはない。

 

「た、楯無さんは、誰か好きな人はいないんですか?」

 

 火照ってぬるく感じる湯の温度を上げながら、ちょっとした反撃のために、箒は思い切って聞いてみた。

 

「いないわ」

 

 間髪置かず、即答であった。全く効果無し。

 

「そ、そう、ですか……」

「甘い甘い。私をからかおうなんて一〇年早いわ」

「…………」

 

 けらけら笑う楯無。このままでは一〇年経っても勝てないかもしれない。

 

「さーて……と」

 

 隣のブースで蛇口がキュッと捻られ、湯が落ちる音が止む。

 

「……ねえ、箒ちゃん」

 

 楯無の声色が変わった。

 翔が以前、会長はときどき真面目になる瞬間があると言っていたが、最近箒にもそれが分かってきた。これは、真面目な話をするときだ。

 何の話だろう。一夏のことか、翔のことか、それとも、箒自身のことか。あまり検討がつかない。

 

「――お姉さん、いるのよね」

「ッ……!」

 

 思わず表情が強張る。

 ……()()()か。

 

「私ね、妹がいるのよ」

「……知っています。更識簪、ですよね」

「うん、そう。そういえば、この前翔くんが一年の専用機持ちに紹介した、って言ってたかしら」

「はい。先日翔が紹介してくれました」

 

 シャワールームで沈黙が訪れると、サアアアア、というシャワーの音が、やけに大きく聞こえる。

 

「ねえ、箒ちゃん」

「……はい」

「お姉さんは、嫌い?」

「それは……」

 

 箒は言葉に詰まった。

 箒の実の姉、篠ノ之束。一家離散の憂き目に遭い、一夏と引き離される原因を作った張本人である。一方で、翔を拾って育てた保護者で、紅椿をくれた恩人でもある。

 好きか、と聞かれれば、迷わず好きではないと答える。だが嫌いか、と聞かれれば――

 

「嫌いでは、ないです」

 

 左手の紅の紐を見つめ、箒はぽつりと呟く。

 

「紅椿のことも、感謝しています。こうして楯無さんと訓練できるのも、これのお陰です。だから嫌いというわけではないんです。ただ……」

「ただ?」

 

 複雑な思いを抱えたまま、箒は俯いた。

 

「……分からないんです。姉のことが」

 

 箒は小さい声で言った。好きか嫌いか、自分の気持ちさえ分からない。姉の気持ちと言うなら、尚更である。姉が何をしているのか、何をしたいのか、本当は箒のことをどう思っているのか。箒には何一つ、分からない。

 

「分からないのは、怖いでしょ?」

「……!」

「向き合うのが、怖いんでしょ?」

 

 怖い。この得体のしれない気持ちの正体は、そうなのかもしれない。

 

「私も、そうよ。あの子のこと、全然分からないの。多分嫌われているんだろうとは思うけど、面と向かって言われたことは無いし。それで、いつの間にかあの子は、どんどん遠くへ行っちゃって……」

 

 楯無の表情は見えない。だが、辛そうな顔をしているのは、声で分かる。

 

「……でもね、最近思うの」

 

 楯無は箒と自らを隔てるガラスへもたれかかる。

 

「怖れていても、何も変わらないんだって。一歩を踏み出さなきゃ、何も進まないんだって。仲直りするには、ゆっくり距離を縮めていくしかない」

「……」

「そう、翔くんが教えてくれたの」

 

 ガラスに指を這わせ、艶のかかった声で、楯無は言った。楯無の指はつーっと音を立てながら、ガラスにハートを描く。

 

「気持ちが分からないのは、姉も妹も一緒よ。でも、分からないって嘆いてるだけじゃ、何も変わらないわ。箒ちゃん。あなたのお姉さんは、きっと一歩を踏み出したのよ。紅椿は、その証じゃないかしら」

「あ……っ!」

 

 箒は、もう一度、手首の紅椿を見つめる。

 

(これが……姉さんの、想い?)

 

 考えもしなかった。紅椿は、自分が我儘を言った結果、姉が実験という意味で渡したものだと考えていた。そうでなければ、姉が自分に専用機を渡す理由が無い。

 箒はそう考えていたのだが、そもそも、紅椿は他のISとは存在意義から違う。普通ISは、国が技術の粋を集めて作り、その高さを証明するもの。決して、操縦者のためだけに作られるものではない。だが、紅椿は違う。紅椿は、箒のためだけに作られた。力が欲しいと望んだ箒のために、束は創ったのだ。

 つまり紅椿とは、妹の我儘に応えた、束の想い――『あなたのことを変わらず想っている』という、愛の形。

 

(そうか、そうだったのか……)

 

 箒は頭を抱えた。少しだけ姉の真意が分かった気がしたが、それはかえって箒の心を混乱させた。

 いっそ、憎めれば良かったのに。それなら、こんなに悩むことも無かった。大声であの人のことが大嫌いだと言えれば、どれほど楽だろう。だけど、心のどこかではまだ姉を慕う気持ちがあって、最近それが感謝の気持ちで強くなってしまっていた。だから、あの人が私を想っているなんて知ったら、思い出してしまう。

 ――姉と過ごした、あの頃のことを。姉が大好きだった、私を。

 

「――怖がらないで、箒ちゃん」

 

 楯無は穏やかに語りかけた。

 

「急がなくてもいい、ゆっくりでもいい。一歩ずつ、踏み出して行けばいいのよ」

 

 楯無の言葉は、どこか自分に言い聞かせるかのように聞こえた。だが楯無がどんな言葉をかけても、箒の心のもやは晴れない。

 

(姉さん……)

 

 今何をしているかも分からない姉を思い、箒は天井を見上げた。

 私は、どうしたいのだろう。姉をどうしたいのだろう。姉と、どうなりたいのだろう。

 それらの疑問の答えは、湯けむりのせいで、はっきりと分からなかった。


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