IS インフィニット・ストラトス ~天翔ける蒼い炎~ 作:若谷鶏之助
(何だ、何だ、一夏のやつめ!)
教室で一夏にそれとなくペアの申し込みを断られてしまった箒は、ずんずんと仏頂面で廊下を歩く。
一夏にいろいろと考えた結果、断られた。ただ嫌だと言われて断られるよりはましだろうが、ちゃんとした理由があって断られるのも、それはそれで複雑である。
(せっかく、これももらったというのに……)
箒は携帯電話を取り出し、先日届いたご褒美を開いて、はあ、と肩を落とした。
携帯に保存されているのは、先日のインタビューの謝礼として渡された、高級ホテルのディナー券だった。一夏にも届いたはずなので、近々二人で行こうと画策していた箒であるが、作戦変更を余儀無くされた。
ちなみに、その作戦とは……。
「い、一夏! 私と組め!」
「おう、いいぜ! がんばろうな、箒!」
一夏とペアを組み……
「や、やったぞ一夏!」
「箒。今日勝てたのもお前のお陰だ。お前は最高のパートナーだよ」
タッグトーナメントで優勝し……
「一夏、その、この前のインタビューの券があるだろ、そのホテルのディナーに行きたい」
「俺も、それを言おうと思ってたんだ」
その晩に一夏を誘い……
「夜景が綺麗だな……」
「い、一夏……?」
「箒……俺、お前が好きだ」
「わ、私も! お前が好きだ!」
そしてそこで想いを確かめ合うという(箒の中では)完璧なプラン……だったのだが、ディナー云々の前にまずペアを組むという時点で頓挫してしまった。痛い誤算である。
(ま、まあ、それは何とかしてみせるが……)
一夏も券は持っている。それを無駄にしたくはないだろうから、ディナーに誘うこと自体は何とかなるだろうが、今真剣に解決しなければならない問題は、ペアを組む人間がいないということであった。
「どうする……?」
こうしている間にも、他の専用機持ちはペアを決めるためにあちこちを回っているはずだ。まだペアを決めていない箒がぼーっとしている時間は無い。
「――あっ、箒ちゃん!」
名前を呼ばれ振り返ると、そこには楯無がいた。
「た、楯無さん。こんにちは」
「うん、こんにちは!」
楯無はにこっと笑った。
おかしい。いつもはもっと凛としているはず。なのに、今日は「るんっ」としている。
「あ、あの、楯無さん。今日は何かあったんですか?」
「ふふふー。今日ね、とーってもいいことがあったのよ!」
「そ、そうなんですか……」
異様にテンションが高い楯無に圧倒されつつ、箒は相槌を打った。
「ねえ箒ちゃん」
「は、はい」
箒はさっと身構える。どこか様子がおかしい楯無だ、何をしてくるか分からない。翔すら悶絶させたというあの必殺くすぐり攻撃がいつ飛んできても、対応出来るように。
「私と組んで!」
「え?」
にこにこしたままの楯無は、さっと箒に手を差し出す。拍子抜けした箒は、突然の提案の真意が掴めずに楯無に問う。
「え、ちょ、ちょっと待ってください。何故私なんですか?」
「どうしてって? 組みたいからに決まってるじゃない! 」
楯無の答えは、あまり具体的ではなかった。何故楯無がペアを組みたいと思っているのか分からない。楯無なら引く手も数多だろうに、と思わずにはいられない。
だが、ペアを求めていた箒にとっては、願ってもないことである。楯無なら紅椿にも合わせてくれるし、優勝も十二分に狙える。
「ね? いいでしょ? ね?」
機嫌が良過ぎる楯無にはやや面食らったが、箒に断る理由は無い。
「はい。よろしくお願いします」
箒は楯無の手を握り、しっかりと言った。
「うん! よろしく!」
にこーっと、また一段と柔らかい笑顔で、楯無は箒に答えた。
「そうと決まれば、早速訓練しましょ!」
「え、ええ~! 今からですか?」
「勿論! さあ、優勝狙いに行くわよ!」
「ちょ、楯無さ――!?」
「問答無用♪」
楯無は有無を言わせず、箒を引っ張り、アリーナへと駆けて行った。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
カタカタカタ、と俺がキーボードを叩けば、ディスプレイを文字が埋めていく。俺は生徒会室の自分の机の上で、ひたすらパソコンと向き合っていた。
現在、午後九時。そんな時間であるにも関わらず、俺はまだ生徒会室にいる。
何故か。理由は簡単だ。
「あ、来た来た! 翔くーん!」
「急に何ですか?」
「これ、やっといて!」
「……は?」
「明日までに!」
「はあ!?」
「お願いねー!」
謎に上機嫌な会長に呼び出され、どさっと書類の山を渡されたからである。
確かに最近生徒会に行けず、俺の仕事は溜まっていたのかもしれないが、渡された書類の中に、明らかに会長がやるべき業務が混ざっていた。どさくさに紛れて俺に仕事を押し付けてきたのである。しかも、会長も相当溜め込んでいたようで、紛れ込んだ書類の数も尋常ではなかった。
当然それだけの量がすぐに片付くはずもなく、俺は生徒会室使用の延長手続きをするはめになり、それの申請にまた余計な時間がかかってしまい……と、そんなことをしているうちに、気が付けばもう九時だ。
「会長め……」
諸悪の根源を呪いつつ、無心でキーボードを叩く。そんな恨みすら力に変えて、俺は課された仕事を終えようとしていた。
会長のサボり癖は今に始まったことではないので慣れたものだが、流石に今日の横暴は許し難い。次に会ったとき、何か褒美でももらわなければ気が済まない。いかがわしい方向のやつは要らんが。
「……ふうっ」
大きく息を吐き出し、俺は背もたれに体を預けた。
――終わった。やっと終わった。
長時間労働で火照ったパソコンの電源を落とし、じーんとする目を指で抑えた。
仕事が終わったと思うと急に腹が減ってきた。ただし、今の時間だと食堂は開いていない。キッチンを借りて自分で何か作るしかないが……この疲労感では、簡単なものしか作れないだろうな。
「ああ、そういえば……」
机の横にある、ラップに包まれた二つのおにぎりに視線を移す。
「あも~。差し入れ持って来たよ~」
二時間ほど前だったか、布仏が差し入れを持ってきてくれたのだ。そのときは、お前のそのだぼだぼの袖でどうやって握ったのか、とか、口についている米粒は何だ、つまみ食いしたのか、とか色々と思ったものだが、忙しすぎて全部忘れてしまった。
空腹で疲れ果てた俺の目には、その白い三角の山は何よりも美しく映った。
「いただきます」
白い三角の山に手を伸ばし、口に運ぶ。
「ああ……」
た、たまらん。塩のみのシンプルな味付けであったが、それが味の邪魔せず、むしろ米本来の甘さを引き立てていた。
美味い。白米がこれほど美味いものだったとは……。
気が付くと、俺は二個あったおにぎりを胃の中に入れていた。無心で貪っていたらしい。
「……ごちそうさまでした」
何もなくなった皿に手を合わせつつ、何時間もお世話になった椅子から立ち上がった。腹を少しでも満たしたことで、食べる前とは気分が大違いだ。夕食を作る元気も湧いてきた。
侮り難し、おにぎり。俺は救われたぞ。これは今度布仏に礼をせねばなるまい。
「……ん?」
電気を消し、生徒会室を出ようとした俺だが、足元にどこかで見たことのある携帯電話があるのに気付く。よく見ると、会長のものであった。
(……何をやっているんだ、あの人は)
頭を抱えてしまった俺。落ちていたそれを拾い、付いていた埃を払うと、ポケットの中に入れた。
あの人は何をしている。更識家の当主でロシアの代表なのだから、この中に見られたくないものが山ほどあるだろうに。
携帯電話がここにある以上、連絡は取れない。仕方なく蒼炎に意識を集中させ、コア・ネットワークで会長の大体の位置を捉えることに。
これは普段、プライバシーを侵害するので禁止されているのだが、まあ今回は許してもらおう。
「――蒼炎」
相棒を呼び、俺は目を閉じる。俺の呼びかけに蒼炎が応じて、自分を中心とした宇宙が広がっていく。光る星が、ISだ。
会長のミステリアス・レイディを探していると、セシリアのブルー・ティアーズが見えた。位置は、寮の大浴場。つまり、入浴中らしい。
「…………」
……バカか俺は。何を考えている。
気を取り直して、ミステリアス・レイディを探すと……いた。あの方向は、第二アリーナだ。
しかし、第二アリーナ? こんな時間に訓練でもしているのか、あの人は。まあ、そこにいるならそうなのだろうが。
俺はコア・ネットワークを閉じ、部屋の電気を消したのを確認して、生徒会室を出た。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
時計で時刻を確認しながら、第二アリーナへと足を踏み入れる。本来無人であるはずのアリーナだが、ナイターがついている。会長がいるに違いない。
入場許可はもらっていないが……まあ、いいだろう。機密の宝庫を届けるためだ。止むを得ない。
入り口の扉を押して中に入ると、ロッカールームに至るまでの廊下も電気がついていた。それに従って、アリーナの中を進んで行く。そして、ピットからスタジアムを覗くと……。
「あれは……」
そこには水色の装甲を纏い、特徴的な大型ランス《蒼流旋》を振るう会長の姿が。かなりハードなメニューをこなしているように見える。顔に浮かぶ汗が、その真剣な表情を強調していた。
会長にしては珍しく、俺が上から見ていることには気づいていないようだ。相当集中しているらしい。
会長がかなり集中しているので、一区切りつくまで会長の技術のほどを見ることにした俺だが、会長の随所で光るテクニックには舌を巻いた。
「……なるほど、そこで敢えて狭い右側に飛ぶことで意表を突き、次の読み合いを有利にするのか……」
流石はロシアの代表。見ていると勉強になる。盗めるものは盗んでおきたいところだな。
しかし、会長の努力家な一面は初めて見た。薄々気付いてはいたが、やはり影でこそこそと努力をしていたらしい。
会長がランスを下ろしたのを確認し、俺は蒼炎を展開して、機体を会長の後ろにつけた。
「……会長」
「うわあっ!?」
俺が声を掛けると、会長がびくりと体を震わせて振り返った。心底驚いたようで、会長が俺の存在を認識するまでに数秒を要した。
「び、びっくりしたあ、翔くんか……っていうか、何で寮に帰ってないの……?」
「誰かさんが渡してくれた仕事を片付けるのに手間取っていただけです」
皮肉たっぷりに、俺は言ってやった。それを聞いて、会長はうっ、と罰の悪そうな顔をする。流石にあの量の仕事を押し付けたのには罪悪感があったらしい。それなら、押し付けないで欲しいのだが。
しかし、普段の仕返しができるのはとても気分がいいな。
「気付かなかったんですか? 十分ほど前からピットで見ていたんですが」
「そ、そうだったの?」
「はい」
俺が頷くと、会長はじとっと俺を睨んだ。
「やーねー、女の子が一人でいるのを覗くなんて。ストーカーみたいよ。……ていうか、何でここに来たの?」
「ストーカーとは失礼な。これを届けに来ただけですよ」
俺は左手に持っていた携帯電話を手渡した。
「これ、私の?」
「はい。生徒会室に落ちていました。こんな機密の宝庫、外部に漏れたら大変なことになっていたところです。拾ったのが俺だったから良かったものの……」
俺が小言を言ったところ、会長はあちゃー、と頭を抱えた。そして「その心配は無いわ」と申し訳なさそうに手を横に振った。
「そういう大切なものは、また別にあるのよ。これはただの携帯。普段の生活では、こっちを使ってるの。……あ、虚ちゃんからメール来てる」
「何だ、そうだったんですか」
安心したような、がっかりしたような、複雑な気分だ。それを知ってか知らずか、会長はにっこり笑った。
「とにかくありがとうね、わざわざ」
「……いえ」
こそばゆい思いがして、俺はそっぽを向いた。それを紛らわすように、話題を変えた。
「……で、どうしてこんな時間に訓練を?」
「あー、それね……」
少し言いにくそうな会長であったが、怒らないでね、と念を押して、話し出した。
「今日ね、箒ちゃんとペアを組んだのよ。それで、二人で訓練してたんだけど、居残りでやってたの」
なるほど、箒と組んだのか。会長は続ける。
「私、ロシアの代表じゃない? だから色々としなきゃいけないことがあってね。あと、実家のこともあって、昼間はあんまり訓練できないのよね。一夏くんと箒ちゃんを指導してるときはISを使えるんだけど、それだけじゃやっぱり足りないかなって」
会長はミステリアス・レイディを展開して、水色の装甲に包まれた掌を見つめた。
「……この子、まだ完成して間もないから、まだ私に馴染んでないのよ。だから、もっとこの子と飛ぶ時間を増やして、馴染んでもらわないと」
掌をぎゅっと握りしめ、会長は俺の目を見た。
「――肝心なときに負けたんじゃ、IS学園の生徒会長として、ロシアの代表として、恥ずかしいからね」
誇りと、責任と、覚悟。会長の笑みは、確固たる思いに満ちていた。たまに見せる会長の真剣な姿は、この人が紛れもない実力者であることを感じさせる。
……この人がただのサボリ魔だったら、叱って終了だから話が早かったんだが。俺はため息をついて、話し出す。
「……で、その訓練のために、昼間の雑務は俺に押し付けるわけですか」
「あ、あはは……ごめんね……。ちょっと今日は妙に気合が入っちゃって。すぐに訓練始めたかったのよ。張り切り過ぎちゃって、携帯落としたのに気付かなかったし……」
会長は少し赤面して、やっちゃった、と舌を出した。余程良いことでもあったんだろう。
「……まあ、相手が欲しいなら言ってください」
「へ?」
会長はきょとんとして、呆気に取られたように聞き返す。
「経験が必要なんでしょう? なら、俺が相手になります。必要なら呼んでください」
「……ほ、本当に?」
「ええ。流石に毎日は無理ですが」
「翔くん……」
最初こそ少し嬉しそうな顔をした会長だが、その後、急に赤くなって頬を膨らませた。何か気に入らないことでもあったのだろうか。
「ま、またそうやって優しくするのね!」
赤い顔で怒る会長。別に優しくしたつもりはないのだが。
「そんなつもりはありません。気分です」
「……こ、この、女たらし……!」
女たらし? 俺のことか? 冗談だろう。
「……な、なるほど、こうやってセシリアちゃんたちをたらしこんできたわけね。危ない危ない……」
ぶつぶつと呟く会長であったが、俺は聞かないふりをした。
時計を見ると、時刻はもうあと十分ほどで十時になろうとしていた。
まずい、門限が迫っている。延長手続きは十時までしかしていない。もし遅れたら、地獄の折檻『松』『竹』『梅』の『竹』コースが待っている。急がねば。
「会長。門限が迫っているので、俺はもう帰ります」
「あ、そう? じゃあ私も戻るわ」
俺と会長はピットに急いで戻った。そこから会長は着替えるのでロッカーに、俺はアリーナを出るために通路へ。
蒼炎を
「――あ、あのね、翔くん!」
だが別れる寸前、会長が俺を引き止めた。
「……何でしょう?」
「今朝、なんだけどね……」
言おうか言わないか、迷っているらしい。少し間が空いて、会長は口を開いた。話してくれるらしい。
「今朝ね、簪ちゃんとすれ違ったの。そしたらね、ちゃんと目を合わせてくれた」
「簪が?」
「うん。……だから、挨拶してみたの。思い切って」
「ほう。それは……」
なるほど、今日やたらと上機嫌なのはそういうことだったのか。
やはり、簪は変わった。目も合わせなかった今まで比べれば、雲泥の差だ。簪が逃げなかったから、会長も勇気を出して話しかけられるようになったのだろう。
「それで簪は何と?」
嬉しそうな会長の顔と、今日の上機嫌ぶりを見れば答えは一目瞭然であるが、俺はそう尋ねた。
言いたくて仕方ない。会長がそんな顔していたからだ。
「おはよう、って、挨拶してくれた!」
いぇーい、とピースして、会長は言った。
はじける笑顔、というのはこういう笑顔を言うのだろう。悪戯好きの会長だからか、笑顔の純粋さがより際立って見える。
「それならよかった」
俺もそれなりに嬉しいが、それは顔に出さなかった。実際、俺は何もしていないのだから。これから俺がやることと言えば、見守ることだけだ。
「じゃあ、また明日ね。おやすみ!」
「おやすみなさい」
手を振って、会長はロッカールームへと早足で歩いて行った。後ろ姿さえ喜びに満ちているように見えて、思わず苦笑してしまった。
……さて。今俺がすべきことはただ一つ――。
腕を捲り、時計を見る。時計の短針が十を指すまで、残り三分。
「……」
――猛ダッシュ開始。急げ! 死ぬ!
自らに鞭打ち、俺は寮までの道を全速力で駆け抜けた。