その事件は、とある平日の朝。聖グロリアーナ女学院が保有する学園艦にて、学生の殆んどが家を出て、学校へと足を運ぶ時間、人気のあまり無く、道幅の狭い一方通行の道で起こった。
「すみません、ちょっと良いですかね?」
聖グロリアーナ女学院へと足を運ぶ少女――アッサム――の元に、3人の大柄な男が近寄ってきて、その内の1人が声を掛ける。
「…?何でしょうか?」
怪訝そうな表情で訊ねると、その1人が話を始めた。
その男曰く、彼等はこの学園艦に引っ越してきて間が無いため、友人と待ち合わせをしている店の場所が分からずに困っていたのだと言う。
偶然にも、彼の言う店を知っていたアッサムは、その店への行き方を教えた。
「………………それで、突き当たりの角を右折すれば、その店に着けますわ」
「成る程、分かりました。ありがとうございます」
道を教えられた男は、体格の割にはやけに丁寧な口調で例を言う。
そして残りの2人の方へと向き直り、その店を目指そうとした時、黒い商用バンが近づいてくるのが見える。
それを見た男の1人の反応からして、時間を過ぎていたからか、相手の方から拾いに来たようだ。
「おっ、まさか向こうから来るとは………………すみませんね、教えてもらったのに」
「いえ、お気になさらず。それでは、ごきげんよう」
そう言って一礼すると、アッサムは再び、聖グロリアーナへ向けて歩き出す。
「ええ、もう本当に………………ありがとうございましたってなぁ!」
突然荒々しい口調になった男は、背を向けて歩いていくアッサムとの間を一気に詰めながら、ズボンの右ポケットに隠していた剃刀状の物体――スタンガン――を取り出すと、ボタンを押してアッサムの背中に突きつけた。
「ぐあっ――――!?」
突然背後から電気ショックを喰らい、アッサムは横向きに倒れ込んだ。
「ゲヘヘッ、上手くいきましたねぇ兄貴」
「そうだな。まぁ、ああやって何の警戒心も無しにテクテク歩いてく奴にコイツを当てる事なんざ容易い事よ」
兄貴と呼ばれた男は、下卑た笑みを浮かべながらスタンガンをしまう。
そうしていると、黒い商用バンが彼等の前で停まり、後部座席のドアが開く。
男達はアッサムを放り込むようにして乗せると、自分達も乗り込んだ。
車が発進した後に残されたのは、彼女の鞄だけだった。
「あら?アッサムは今日休みかしら?」
聖グロリアーナにて、戦車道の授業が始まり、愛車であるチャーチルに乗り込んだダージリンは、普段なら砲手の席に座っている筈の少女の姿が無い事に気づき、車内をキョロキョロ見回しながら言った。
「珍しいですね。今日は誰かが欠席しているなんて連絡は無かったのに」
「と言う事は、まさか無断欠席?それなら尚更珍しいわね。あのアッサムがそんな事をするなんて、到底思えないのだけど………………」
弾薬庫にある砲弾の確認をしていたオレンジペコが言うと、ダージリンは一層不思議そうに返した。
結局アッサムが来ないまま、教官から練習開始の合図が出された。
「彼女が来ない理由が分かりませんが……仕方ありません、放課後にでも聞きに……ん?」
アッサムの事は一先ず脇に置いて、練習を始めようとしたダージリンだが、車外から聞こえてきた喧騒で口を止める。
キューポラから上半身を乗り出し手当たりを見回すと、校舎の方で何やら揉めているらしい。
「(何だか、嫌な予感がするわね……)……ごめんなさい、少し出てくるわ」
そう言うと、ダージリンはチャーチルから降りて校舎へと向かっていく。
「そんな………まさか、うちの生徒が………!」
校舎で揉めている人物が視界に映ると、ダージリンは歩み寄る足を止めた。
彼女の視線の先では、茶色のスーツのような服装に身を包んだ男性2人の前で、1人の女性が嗚咽を漏らしながら、覚束無い足取りで後退りしていた。
「(あの女性は………もしや、教官?何故彼女が………ッ!?まさか!)」
思い浮かぶや否や、ダージリンはそのまま、『教官』と内心で呼んだ女性に駆け寄った。
「教官!」
「………ッ」
駆け寄ってくるダージリンの姿を視界に捉えた女性は、両目から滝のように涙を流しながら、彼女へと顔を向ける。
そのまま地面に崩れ落ちそうになる女性だが、すんでのところでダージリンに抱き留められる。
「どうされましたか!?しっかりしてください、教官!」
そう言いながら必死に呼び掛けるダージリンだが、その女性はショックのあまりに気絶しているのか、何の反応も見せない。
「すみません、少し良いでしょうか?」
そんな彼女に、1人の男性が歩み寄ってきた。
右手に持っているものから、彼が刑事である事が分かった。
顔を向けたダージリンに、その男性はもう1人から、鞄と、ビニール袋に入れられた生徒手帳を受け取り、ダージリンに見せる。
「ッ!あ、アッサム………」
それを見たダージリンは、アッサムの身に何が起きたのかを悟った。
その後、2人の刑事と共に女性を保健室へと運んだダージリンは、アッサムの身に何が起きたのかを聞かされた。
「実に残念ですが……彼女は、誘拐されたとしか言いようがありません…………」
ベッドに寝かされた女性を心配そうに見ているダージリンに、刑事は心苦しそうに言う。
「我々の方でも、既に彼女の捜索に乗り出していますが、直ぐに見つかるとは………」
「そうですか………」
短く返して、ダージリンは俯いた。
場所は変わって、此処は聖グロリアーナ学園艦の昇降用ドックの近くにある、今では使われていない建物の一室。
スタンガンによる電気ショックで気絶させられたアッサムは、其所に連れてこられた。
「(う………ん………?)」
自分が横たわっているためか、頭部右側に感じる固くて冷たい感触でアッサムは目を覚ました。
背中に回された両手や両足が動かせない事から、自分がロープで縛られているのを悟る。
さらに、口許に感じる不快な感触から、ガムテープで口を塞がれている事も悟った。
「お?どうやら目が覚めたようだな」
すると、彼女の監視をしていた男が気づき、下卑た笑みを浮かべながら声を掛けてきた。
「――――ッ!?」
何かを言おうとしたアッサムだが、口を塞ぐ形で貼り付けられたガムテープがそれを阻む。
「『俺達が何者なのか』って言いたげな表情だな」
だが、その男はアッサムが何を言おうとしたのかは察していたらしく、低い声でそう言った。
「本来なら教えたりはしねぇんだが………まぁ良い、特別に教えてやろう…………………最近、不良集団による被害が相次いでいるってニュースでやってると思うんだが………あれの正体が俺等だよ」
「ッ!?」
あっさりと正体を打ち明けた男に、アッサムは目を見開いた。
「(まさか、そんな奴等に捕まってしまうなんて………ッ!)」
内心でそう呟きながら、アッサムは目を細めた。
実際、彼女は不良集団による被害の事は、度々ニュースや新聞で報道されていたためによく知っていた。
騒音公害、酔っ払いや夜遅くに帰宅するサラリーマンを襲って金品の強奪、祭り会場などでの恐喝など、彼等が何を仕出かしているかは、口で言うだけで億劫になる程だ。
また、彼等の多くが各学園艦に潜伏しており、其所の女子生徒にも手を出していると言う話もある。
何れも未遂に終わっているが、その女子生徒の心に傷をつけるには十分すぎるものだ。
「それにしても、つまんねぇなぁ……あれだけ騒いだんだから、ポリ公とかが派手に動き回ると思ってたんだが…………こうともなりゃあ拍子抜けってモンだ」
めんどくさそうに頭部を掻きながら、男はそう言った。
「ついでに言わせてもらえば、今日お前を拐ったのは、とある“余興”のためさ」
「………(余興?)」
訳が分からずに首を傾げていると、男はベラベラと喋った。
「約2年前の冬の事だ……ウチの兄貴が、ある女を捕まえるのに失敗してな。その時兄貴等の邪魔をしやがった小生意気なクソガキが、確か、大…大……まぁ良い、その大何とかってトコの学園艦に居るのが分かってなぁ、ソイツを誘き出して叩き潰すための余興さ。当然、それには俺等も参加する。そんでお前は、『クソガキを叩きのめす』と言うメインディッシュの前の前菜として犯させてもらう」
「ッ!?」
「時間は今日の夜だ。それまで残りの処女生活を満喫するんだな………まぁ、生活って言ってもホンの数時間しかねぇけどな!ギャハハハハハ!」
下卑た高笑いを上げながら、男はその部屋を出ていった。
「――――ッ―――――ッ!」
何の声も上げられぬまま、アッサムには涙を流す事しか出来なかった。
その日の夕方、上の空のまま練習に戻ったダージリンだが、練習後は家に帰らず、彼女が普段、オレンジペコとアッサムを伴ってティータイムを過ごしていた部屋に来て、置いてあった電話の受話器を左手でひっ掴み、ある電話番号のダイヤルを回していた。
それは、ある人物に救援要請をするためである。
「(これは、私達聖グロリアーナ女学院の問題……でも、少なくとも私達だけでは解決出来ない!)」
ダイヤルを回し終えると、後は相手の応答を待つだけ。
呼び出し音を聞くこと数秒、相手からの応答が帰ってきた。
『ほいほーい、どったのダージリン?』
電話を掛けた相手は杏だった。
何時ものおちゃらけた調子で聞いてくる杏に、ダージリンは叫んだ。
「角谷さん!そちらに紅夜さんは居ますか!?」
『ちょいちょい、声大きいってダージリン………………んで、紅夜君?うんにゃ、居ないけど……』
「そ、そうですか………なら、彼の番号は!?」
『知ってるよ?教えたげるからちょっと待って』
その後、杏から紅夜の番号を聞いたダージリンは、一言礼を述べると、戸惑う杏を放って通話を終え、直ぐ様教えられた番号をダイヤルしていった。
受話器から聞こえてくる呼び出し音が、杏が応じるまでの時間より長く聞こえてくる。
「(紅夜さん、お願いです……助けて…………)」
そう願いながら、紅夜が電話に出るのを待つダージリン。
そして、相手が留守の時に流れる女性の声が聞こえる時間になりかけ、彼女の表情に諦めの色が見えそうになった時………………
『ほーい、どちらさん?』
遂に、相手からの返事が返された。