「んぅ~~!…………あー、良く寝た」
午前6時、自然に目が覚めた紅夜は、寝転がったまま伸びをした。
カーテンの隙間からは朝の日差しが差し込んでおり、小鳥の囀ずりさえ聞こえてくる。
起きるにはうってつけのシチュエーションだった。
「さてと、起きますかね」
紅夜はそう呟きながら、未だ眠気が残っているためか、上手く開かない目を擦りながら起き上がろうとする。
その時だった。
「んぅ……あぁっ」
「………………ん?」
自分の真横から、妙に艶がかかった声が聞こえてくる。
声が聞こえた方へと顔を向けると、其所には自分を抱き枕にして寝ている黒姫の姿があった。
「(黒姫…………俺が寝てる間に抱きついてきたのか)」
そう予想を立てた紅夜は、黒姫を起こさないように注意しつつ、布団から抜け出そうとするのだが………………
「んぅ……ご主人……さまぁ……行っちゃ…やだぁ………」
まるで、寝ていながらも紅夜の行動を感じ取っているかのように、黒姫が回している腕に力を入れて、一層強く抱きついてくる。
それによって、服の上からでも分かる豊満な胸が紅夜の脇腹に押し付けられ、卑猥にひしゃげる。
「(黒姫の奴、寝てるとは言え無防備すぎやしねぇか?これが俺だったから良かったが、他の男だったら間違いなく襲われてるぞ)」
内心でそう呟きながら、紅夜は黒姫を起こさないように注意しつつ拘束を解き、ゆっくり起き上がると、横向きで眠る黒姫を仰向けに寝かせ、そのまま部屋から出て1階のリビングへと向かった。
「あら、こうちゃん。おはよう」
リビングに着くと、既に起きていた幽香が朝食を作っていた。
「おはよう、お袋」
紅夜はそう返すと、椅子に腰掛けた。
「昨日は良く眠れた?」
「ああ。今までベッドだったのから布団に変わったけど、案外直ぐに眠れたよ」
朝食を乗せたお盆をテーブルに置き、其処から紅夜の前に並べながら聞いてくる幽香に、紅夜はそう答える。
「いただきます」
そう言うと、紅夜は朝食を食べ始めた。
「………………うん。久々だからか、一層美味く感じるよ」
「そう?それは良かったわ」
幽香は嬉しそうに言うと、台所に戻ろうとするが、紅夜の一緒に居る筈の人物が居ない事に気づき、不思議そうに言った。
「こうちゃん、黒姫ちゃんは?昨日一緒に寝たんでしょ?」
「ああ、黒姫なら未だ寝てるよ。俺が先に起きたんだけど、何かスッゲー気持ち良さそうに寝てたから、そのまま置いてきた」
そう答え、紅夜はおかずの味噌汁を啜る。
「そうなの………………でもこうちゃん、黒姫ちゃんに抱きつかれてたんでしょ?良く抜け出せたわね?」
「ああ、別にあのくらい大したモンじゃなかったから、直ぐに抜け出せたよ………………てかお袋、なんで抱きつかれてたの知ってんだよ?」
「え!?……そ、それは…………その……」
「………………?」
『昨日、2人が一緒に寝てるのを覗いてました』なんて言える筈が無く、幽香は返答に困った。
「そ、それよりこうちゃん、この後はどうするの?何処か出掛ける?」
「いや、誤魔化すなよお袋………………どうせ、昨日か朝のどっちかで覗いてたんだろ?」
「ギクッ」
話題を摩り替えて誤魔化そうとしたものの、どうやら既にバレていたらしく、あっさりと図星を突かれる。
「うぅ~、分かってるのに聞くのは酷くない~?」
不満げに頬を膨らませながら紅夜を睨む幽香。だが、その両目に小さく涙が浮かんでいるために恐さなど皆無で、寧ろ可愛く見える程だった。
「ゴメンゴメン。だってお袋、こう言う時の反応がスゲー面白いから、つい」
「『つい』じゃないわよ、もうっ」
笑いながら言われた幽香はプイとそっぽを向き、台所に戻っていった。
「おいおい紅夜、あんまり幽香を苛めてやんなよ」
そう言いながらリビングに入ってきたのは豪希だった。
「はよーっす親父。今日は何時もより寝坊助なんだな」
「ああ、今日は仕事が休みだからな」
そう言うと、豪希は紅夜と向かい合う席に座る。
「あら。おはよう、アナタ」
豪希がリビングに入ってきたのに気づいた幽香が、台所から出てきて豪希に近づく。
「ああ、おはよう幽香。今日も今日とて美人だな」
「フフッ、ありがと♪」
そう言いながら、豪希の頬にキスをする幽香。
「待っててね?今から朝御飯作るから」
そう言うと、幽香は再び台所に戻っていった。
「やれやれ、この激甘ペアレントは………見た目の割には歳いってんだから、少しは自重してくれねぇかな……」
「それは無理な注文だな」
「そうよ?愛しい人とは、何時までもラブラブで居たいもの♪」
「はいはい、そうですか………………ご馳走さま」
何時もの事であるためか、紅夜は諦めたように言うと、空になった食器を纏めて流し台に持っていく。
「あら、偉いわねこうちゃん。ちゃんと自分で持ってくるなんて」
「あのなぁ………子供扱いしないでくれよ…………」
紅夜の頭を撫でながら言う幽香に、紅夜は溜め息混じりにそう言うと、食器洗いを再開しようとする幽香の手を制して言った。
「それとお袋。食器洗いは俺がやっとくから、親父とイチャついてなよ」
「あら、そう?じゃあお言葉に甘えさせてもらうわね」
そう言うと、幽香はタオルで手を拭いて台所から出ると、豪希の隣に座って料理を食べさせ始めた。
「………やれやれ………」
口ではそう言いながらも笑みを浮かべながら、紅夜は食器洗いを再開しようとしたが、其処でドタドタと騒々しい音が聞こえてきた。
「(この音………………彼奴だな)」
紅夜がそう思った瞬間、リビングのドアが勢い良く開け放たれ、黒姫が飛び込んできた。
「ご主人様!なんで起こしてくれなかったのよぉ!?」
台所に立つ紅夜の姿を視界に捉えるや否や、真っ先に向かってきて問い詰める黒姫。
「い、いやぁ~、お前がスゲー気持ち良さそうに寝てるから、邪魔するのも悪いかと思ってな」
「嘘仰有い!学園艦に居る時は普通に起こしてきたのに!」
「………………」
「目を逸らさない!」
台所で漫才を繰り広げる2人を、豪希と幽香は微笑ましそうに眺めていた。
それから暫くして食器洗いを終えた紅夜は、家に置いていた普段着に着替えていた。
黒姫は普段通り、白い装束のような服を着ている。
「さて、それじゃあ彼奴に会いに行きますかね」
半袖の黒いシャツにジャーマングレーの長ズボンを履いた紅夜は1階に降りると、そのまま家を出る。
それに続いて、黒姫も出てきた。
「ご主人様、髪結んでないけど良いの?」
黒姫はそう言って、ロングストレートになっている紅夜の緑髪を指差した。
知っての通り、紅夜の髪は男性にしては非常に長く、普段は結んでポニーテールにしている。
だが今日は結んでいないため、腰まで伸びる緑髪全部が風に靡いていた。
「あー、良いの良いの。家の直ぐ前だし、問題無いって」
紅夜はそう言うと、車の隣に置かれている“モノ”にかけられている大きめのシートを取る。
すると、其所から深緑の車体を持つ1台のバイクが姿を現した。
――九七式側車付自動二輪車――
昭和12年、大日本帝国陸軍で正式採用されたサイドカー付き軍用バイクである。
アメリカのハーレーダビッドソン社製品のライセンス生産品であったオートバイ――『陸王』――に改良が加えられたものだ。
不整地走行性能を向上させるため、オートバイ本体のみならず、側車の車輪も駆動すると言う二輪駆動式サイドカーと言う変わったスタイルを持ち、側車を外して、オートバイ単体としても使用出来ると言う、柔軟な運用が可能なバイクである。
「久し振りに見るなぁ~、コイツの姿は」
紅夜はそう言いながら、陸王の周囲を歩き回る。
深緑の車体にサイドカー、ハンドシフトのレバー。そして、フロントフェンダーの真上に取り付けられた、覆い付きの前照灯………………
「どうだ?久々に見る相棒の姿は?」
最後に見た時と何ら変わらない姿を眺めていると、豪希と幽香が家から出てきた。
「ああ、昔見た時と全く変わってねぇよ」
「そりゃそうだ。何たってお前が来ねぇ間、コイツのメンテナンスは俺がやってたんだからな。感謝しろよ?」
そう言いながら、豪希は陸王に近づいてくる。
「それじゃあ、早速エンジン始動させてみろ。ペットコックを開けたりするのはやっといたから、そのままエンジンかけても良いぜ」
「あいよ。サンキューな親父」
そう言って、紅夜は陸王のシートに跨がる。
キーを差し込んで回し、次にタンク中央部にあるメインスイッチを入れる。
スピードメーターの数値が僅かに光り、それに感動していると、豪希が肩を叩いた。
「ん?どったの?」
紅夜が訊ねると、豪希は右手の人指し指を立てて言った。
「良いか?キックは1発だ。それだけで良い」
「ああ、分かった」
そう返すと、紅夜は車体右にあるペダルを蹴り、下へと押し込む。
その瞬間、陸王のサイドバルブエンジンが唸りを上げる。
「スゲー!ホントに1発でかかった!」
子供のように叫びながら、紅夜はアクセルスロットルのグリップを回して吹かす。
「さぁ、紅夜。久々にコイツのエンジン音を聞いて感動するのも良いが、先ずは…………」
「ああ、分かってるよ親父」
そう言うと、紅夜は少しの間を空けて言った。
「大型二輪免許、ぜってぇ取ってみせるぜ!」
「その意気だ。じゃあ早速教習所に行くか!」
「おー!」
紅夜はそう言うと、陸王のエンジンを切って家に飛び込むと、階段をかけ上がって自室に入り、何時のポニーテールに髪を結ぶと、その間に用意されていた車に飛び乗った。
「それじゃあ幽香、ちょっくら行ってくる!」
運転席の窓を開けて言うと、豪希はアクセルを踏み込んで家を飛び出していった。
「「………………」」
その様子を、幽香と黒姫は唖然として見送った後、家に入っていった。
そして、教習所に着いた2人だが、紅夜の本人確認のための書類の用意を忘れ、一旦家に戻る羽目になったのは余談である。
紅夜君の新たな相棒――陸王――の姿は、《ザ・コクピット》の《鉄の竜騎兵》での陸王(古代一等兵による修理終了後の姿)と考えてください。