艦隊これくしょん~艦これ~―There is no rain which does not stop.― 作:雪見酒
(また、あの夢か)
目覚めは最悪だった。
悪夢のような過去の事件を鮮明な悪夢としてみること、すでに3年続いている。
あの日のことは私の脳裏から消えることはないようだ。
私は頬に伝う涙を拭き、目覚まし時計にセットした時間よりも20分も早く起きてしまったことを知ると、ため息をついた。
黒く濁った瞳を擦り、もう一眠りしたいところだが、今日は珍しく上に呼び出されていることから、そうもいかなかった。
私は洗面台に向かった。
自己紹介が遅れたようだ。
私は山川一二三。日本の海上自衛隊の将校だ。
将校と言えば聞こえはいいが、私はその下位の部類の人間で、しかも現在は病気休養中の身だ。
休養中に体は動きを鈍くしたし、第一線からも離れたため大した情報を持ち合わせてもいない名前だけの将校。それに毎日のように見る悪夢。
(お笑いだな)
私は自分自身の境遇を嘆いていた。世間に対する劣等感が私の心を澱ませる。
洗面台の前に立つ。世界で一番醜悪な男が鏡に映っていた。
顔を洗い、穢れを落とすように何度も手ですすいだ。
しかし容姿が劇的に変わるわけもなく、生気のない顔を濡らした男が目の前に立っているだけだった。
私は自分の顔が嫌いだ。
太い眉が嫌いだ。
他を威嚇するような鋭い目が嫌いだ。
お高く留まったような鼻が嫌いだ。
見るからに不満そうな唇が嫌いだ。
この剃刀で引き裂いてやったら、もう一生目にしなくて済む。
しかしそのような一時的な衝動も、すぐにどうでもよくなってしまう。
無意味に思う。興味をなくす。
私はあの日以来、怒りをなくした。自分に絶望したあの日から、そんな性分になってしまった気がする。
髭を剃り終ると、私は歯磨きをしてクリーニング仕立てのスーツに着替えた。
食欲はなかった。最近は夕飯まで食べないこともある。
冷蔵庫から100%のオレンジジュースの入った市販のペットボトルを持ち、私は家を後にした。
駅が自宅の近くにある。が、私はタクシーを選択した。人混みは体に堪える。
「どちらまで」
タクシーの運転手が尋ねる。
「防衛省まで」
運転手は私の顔を見る。が、すぐに「はい」と返した。
(意外か。確かに)
こんな酷い人相の男が日本を守っているとは考えづらい。事実私は守れてなどいない。
日本を守ったのは、彼女だ。
《――――昨日未明、アメリカ首都ワシントンが海洋からの爆撃に晒されてから一夜明け、アメリカ当局はこの事件を深海棲艦による奇襲と断定。2000名を超える犠牲者と各方面への対応に追われています――――》
私を乗せたタクシーがラジオ放送を告げていた。
《――――レーダーや熱探知、衛星からの捜索も困難の深海棲艦に対しては巡視船による音波ソナーと戦闘機による哨戒が進められていましたが、深海棲艦は警戒網を潜り抜け、一方的な攻撃を行った模様です。これで攻撃を受けた都市はイギリス、ロシア、フランスに続き、4か所目となります。どの都市も一方的な攻撃を受け、多くの人々が犠牲者となっています。未だに深海棲艦に対する具体的な対応策も練られていない政府に国民の怒りが向いているようです――――》
「ひでぇ話ですね。自分の国を滅茶苦茶にされた挙句、国民に文句言われるなんて」
「はぁ、そうですね」
私は運転手の言葉を適当にあしらう。
「でもアメリカがダメとなると、今度の矛先はまた日本になるかもしれませんね。3年前のように」
「…」
「あのときは撃退できたからよかったものの、今度また来たらどうなるんでしょうね。新型も出てきてるっていうし、どう対処するんですかね」
運転手が探りを入れてくる。興味本位で聞くことではない。
彼のためにならない。
「特攻」
「え?」
「自衛隊全員が爆弾を積んだ高速艦艇で深海棲艦に突っ込めば、また本土への攻撃は防げますよ」
運転手の血の気が引くのが分かった。
「それくらいの覚悟だということです。忘れてください」
タクシーが防衛省に到着した。私が代金を払うと、タクシーは逃げるように去って行った。
私はため息をついて、自分の嘘を思い出す。
(覚悟なんてとうに失ったくせに)
現に目の前に聳え立つ巨大な建物に入る勇気がない。
(入りずらい。入りたくない。帰りたい)
3年間全く顔を出さなかったお陰で、入社初日のような緊張感が生まれた。
溜息をつく。襟を掻いて、覚悟を決める。
足取り重く、もと居た巣に入っていく。
(さて、上の部屋へ行くには)
なるべく目立ちたくない私は、受付に軽く会釈するだけでさっさとエレベーターへと向かう。
「おーい!山川!!」
そんな私の気持ちをまるで無視した軽薄な声がロビーに響いた。ロビーにいた全ての人間が私と私に近づいてくる馬鹿者に注目する。
軽く眩暈がしたが、ぐっとこらえて立ち止まった。
「久しぶり!元気にしてたか!?伯父さんに言われて迎えに来たぞ!入りづらいんじゃないかと思ってね!」
無駄に明るく、望んでいない歓迎をする男は私の背中をバンバン叩いた。
私は呆れるように男を見つめる。
「ん!?どうした!?長期休養が長すぎて俺の顔を忘れたか!?同期の雪村だぞ!覚えているだろ!?よく一緒に居酒屋で日本の行く末について語り合った仲じゃないか!」
「覚えているよ、雪村さん。居酒屋に行った覚えはないが」
「そうか!カフェテラスでだったかな!?」
(アンタとまともな付き合いをしたこと自体ないよ)
雪村遼。士官学校で同期、年齢は年上の、よく言えば同僚、悪く言えば知り合い程度の間柄だ。性格がこのようにマイペースに度が過ぎた周りを見ない豪快な感じなので、内向的で非社交的な私は自衛のため意図的に距離を置いていたのだが、本人が何かと私に注意を割いてくる。お陰で周りからは『仲のいい親友』扱いされていた。冗談じゃない。私はコイツのメルアドすら知らないのに。
「まあいい、よく来た!上で伯父さんが待っているからな!さっさと終わらせてしまえ!そして今夜飲みに行こう!」
「いえ、私、下戸なんで遠慮します」
ドクターストップかかってるし。
「おい、アイツ、3年前の…」
「ああ、『英雄』の連れ合いか」
「しばらく噂を聞かないと思ったら休暇を取ってたのか」
「じゃあここに来たってことは、何かの任務にあたることになるのか?」
「やっぱり深海棲艦の…」
聞こえやすい噂話がもう広がっている。
だがやっぱり彼らの言うとおりなのだろうか。
3年もの間、一線から身を引いてきた私が、今更本部に呼ばれた理由。
私は溜息をついた。
私の襟を引っ張るこの男の伯父は、一体何を考えているのだろうか。
私はエレベーターに乗せられ、目的の階に着く。
「伯父さんはああ見えて短気だからな!少し早足で行くぞ」
(だからって胸倉を掴んで連れてくヤツがあるか)
クリーニング卸したての一張羅が皺になっていく。私はまたもや溜息をついた。
「ここだ!」
雪村は目的の部屋に着くと、ようやく私を解放した。私はうんざりしながら襟とネクタイを正す。
雪村は私の用意を待たずにドアをノックする。
「山川二等海尉、招集に応じました!入室してよろしいでしょうか!」
「よろしい」と室内から初老の男性の声がする。
雪村はドアを開けると、私の背中を突き飛ばすように押す。睨み付けようかと思ったが、上司の目の前なので控えた。
「久しぶりだね、山川君」
穏やかな声。同じように老いを感じさせながらも朗らかな表情の男性が執務机の椅子に座していた。
雪村以蔵。顔にある皺が樹木の年輪のように威厳がある男性だ。
私の隣にいる男とは大違いだ。
「…お久しぶりです。閣下」
「ふふ。そう呼んでくれるのもキミくらいのものだよ。座りなさい」
「は…」
執務机の前にある来客用のソファーに案内される。閣下が対面に座ってから私も座った。
「雪村一等海尉。君はいい、戻りなさい」
(一等海尉?この人、昇進したのか)
3年前は私と同じ二等海尉だった。なるほど。先ほどまでの横暴なほどの振る舞いは上官だという自信からか。
なんて迷惑な。
「は!いえ、海将!私は山川二尉の同期であり、上官であります!久しぶりに彼が顔を見せたので嬉しいのであります!」
「それで?」
「彼が復帰後初めての任務!同期として、年上として、上官として!耳に入れておきたいと!」
「遼」
「はいっ!」
「帰れ」
「すいませんでした!伯父さん!」
雪村は皺を寄せる閣下を見て即座に退散した。私は彼が去ったドアを呆れ顔で見つめていた。
「やれやれ、何が上官か。空席ができただけだろうに」
閣下もうんざりした顔でソファーに背をもたれ掛ける。
「わざわざ来てもらって悪かったね、山川君。体に異常はないかね?」
閣下が仕切りなおすように明るく訪ねてくれる。
この方の声は安心できた。
「体にはありませんよ。多少肉は付きましたが」
「薬は?」
「…今日の分は、まだ」
「一人前の男に言うことではないが、毎食きちんと食べないといけないよ。食べるだけで気分が違ってくるだろう」
「すいません…」
「謝ることはない。ただ、心配なだけだ」
「ありがとうございます。他人の私に多くのご配慮をしてくださって」
「つれないことを言うんじゃない。私たちは家族になるはずだった…いや、私は君を家族と思っているよ。だからこそ君を療養休暇扱いにして手元に置いているのだ」
「…閣下」
目尻が熱くなった。温かい言葉が身に染みた。
不思議とこの方の言葉は素直に心に入ってくる。他の人間と違って言葉に澱みがない。心の底から私の身を案じてくれているのが分かった。
「…しんみりしてしまったね。今日、君を呼んだのは頼みごとがあるからなのだ」
「私にできることなら」
私は許容の態度を取った。閣下の言葉が素直に嬉しかったから、心が前向きになっているのかもしれない。
「…役職について欲しいんだ」
「…は?」
「療養休暇を3年も取っていただろう。私としてはもっと取ってくれてもいいんだが、公務員の決まりでは療養休暇は1年間までと規定されている。これまで有給だとか産休だとかで誤魔化してきたが、そろそろ言い訳が効かなくなってきてしまった。今後の社会復帰のことを考えても、簡単な事務仕事の監督者でもなんでもとにかく働いた方がいい。査察があれば、君の身が危ない」
「確かに」
「そこでだ。私が社会復帰にちょうど良い仕事を見繕った。この書類の中に内容が明記されているから、ちょっと見てくれないか」
閣下は何故か封のされている角形2号封筒を差し出した。
どうでもいいが閣下のまるで私がニートや引きこもりみたいな言い方が気になった。確かに仕事を休んでいたが普通に買い物をしに外出したり家事をしたりしていたのに。
封筒の中にはクリップで止められた分厚いファイルが入っていた。
――――対深海棲艦殲滅用最終兵器建造実用化計画
背筋に強烈な悪寒が走った。
瞬時にファイルを床に投げ捨て、ソファーから立ち上がる。
「閣下!これは!?」
私の心臓の鼓動は瞬時に速くなった。危機感が収まらない。呼吸の苦しさを感じた。
閣下の行動は冷静かつ迅速だった。
端末を操作し、入口、窓、隣の部屋へ通じる通路、全てが堅牢なシャッターによって閉ざされる。
閉じ込められたのだ。
(なんだ、この部屋は!?)
「見たね、山川二等海尉」
ニヤリ、と笑う閣下。危機感は益々強くなる。
「どういうことです閣下!?」
「では、山川二等海尉に辞令を申し渡す」
閣下は私の問いを無視し、まるであらかじめあったシナリオ通りに段取りを淡々と進めているようだった。
そう。獲物を罠に仕掛け、仕留める狩人のように。巧妙で、狡猾だった。
「本日付で海将補へと昇進。我々上層部が秘密裏に編成した特務部隊『鎮守府』の司令官に任命する。これは我が国の脅威に対応するための特例である」
(な、何を…言っているんだ、この人は)
海将補。
特務部隊。
司令官。
入ってくる言葉が、単語が、唐突すぎる。何より閣下の雰囲気の豹変ぶりに気圧された。
(いやしかし、閣下の顔…!)
目の前にいるのはつい1分前まで優しい笑顔を見せてくれた恩人ではない。
手頃に利用できる人間を見つけた、恐ろしく冷酷な策略家だ。
(異例の大昇進?特務部隊司令官への抜擢?違う!)
「おめでとう。君は今から我々上層部の仲間入りだ」
(仕組まれた…私をこの上なく厄介な面倒事に巻き込むつもりだ!)
心臓の鼓動が、警鐘を鳴らすように耳に響いた。
「共に人類の敵…深海棲艦殲滅のために尽力しようではないか」
微笑む閣下が悪魔に見えた。
かくして私は、否応なしに戻りたくない第一線の、更にその先の大嵐に放り込まれたのだった。
それが8時間ほど前のことである。
現在私は、閣下にどこぞとも分からない辺境の港に連れられてきていた。
どこか分からないのは、閣下の運転する防弾ガラスのリムジンに目隠しをされて連れてこられたためだ。私が状況に流されるまま阿呆のように唖然として、閣下の命令に答えを出していないからこその配慮だろう。
やっと目隠しを外すことを許された私は見知らぬ土地に連れてこられた気持ちを何と表現したらよいかわからない。
ただ一つ理解できるのは、いいことが起きる予感が全くしないということだ。
閣下の車は寂れた港に全く似つかわしくない高級感の溢れる白亜のクルーザーに横付けされた。
「ここからは海路だ。乗り換えよう」
閣下が降りると、私も仕方なく後に続く。
本当なら降りたくはないが、閣下の言葉には有無を言わさない強さがあり、従わざるを得ない。雪村が恐れるわけだ。
閣下がリムジンのトランクを開ける。中にはカラフルな包装紙に包まれた箱状のものがいくつも積まれていた。
(プレゼント?)
「船に積むんだ。手伝ってくれ」
「はい」
私と閣下は手分けをしてその箱をクルーザーに積む。全部で12箱。多少の大小の違いはあったが、いずれも重たくなかった。
「では行こうか」
荷物を積み終わると閣下は私に言う。気は進まないがついていくしかないようだ。
船は閣下の操舵で港を離れ、沖へと進む。
乗ってきたリムジンが遠くなり、じきに見えなくなった。
「閣下。お聞きしてよろしいでしょうか」
冷たい潮風に当たり、些か平静を取り戻した私は、やっと質問を投げかけることができた。
「何かね?」
閣下は質問をよしとする。
「何処に向かっているのでしょうか」
「鎮守府だ。鎮守府とは部隊名でもあり、また施設の名でもある。君の配属先だ」
「それについてもいろいろお聞きしたいです。何故私を?何故他の者ではないのですか?私より上の階級で優秀な方はたくさんいらっしゃるはずです」
「まるで自分が相応しくないような物言いだね。謙遜か、自信がないのか」
後者に決まってる。
「それはそうです。私は」
「君は?」
「…自分が憎いのです。あの時、救いたかった命を救えなかった」
顔を伏せた。醜悪な表情をこの方に見せたくない。
「私は澪さんを救いたかった」
3年前、深海棲艦に対して特攻を仕掛けた雪村澪は、爆発の衝撃で海中に投げ出された。私は彼女の体を海中から引き揚げ、救出できたと思った。しかしそうではなかった。彼女の体は血だらけで、熱がなかった。そんなはずはない。海の中で彼女の体を拾ったとき、確かに彼女の温かさを感じた。温もりがあったはずだった。陸に上がったら、いつものようにしたり顔で笑ってくれると思った。でも私は澪の体を引き揚げることはできても、肝心なものを零れ落としてしまったらしい。それは海深く潜っていって、二度と掴むことはできなかった。彼女の笑顔も、命も、暗く冷たい海に沈んで行ってしまった。
「だからこそだよ。君に頼むのは」
閣下はいつものように穏やかに言った。
「鎮守府を任せるには条件が合ってね。秘匿性が高いため私に近い者である必要があった。上層部でもこの件に関わっているものは少ない。私の親族か、それに準ずる者が欲しかった」
「雪村さんがいるじゃないですか」
「あれは口が軽い。それに前線には向かん。ああ言うのは深海棲艦をすべて殲滅した世界の復興で扱き使うのがいい」
吐き捨てるように言う。だが閣下も人だ。
(甥っ子まで死なせたくないか)
当然の考えだ。
「もちろん、優秀である必要もある。私は君の技量を高く買っているのだよ?」
「…閣下も老いていらっしゃるようですね」
「おいおい。まだ目は曇ってないつもりだぞ」
3年間、ニートや引きこもりに似た生活をしていた人間が優秀というのは希望的観測が過ぎるというものだ。
私はうねりを強くする海を見た。いくら閣下でも妄言には付き合いきれない。
溜息をつく。空模様も曇ってきたようだ。
「そして最後に、娘の死を英雄として美化しない者」
私は閣下を見た。
意外だった。閣下の表情も、今の言葉も。
「澪にとっては、娘にとっては必要な行動だったのかもしれない。だがあの子の犠牲が必要だったはずがない。私は娘の死を英雄として仕方がないと正当化する態勢が腹立たしくて仕方がないのだよ。あの子は死ななくていいはずだった。深海戦艦などがいなければ」
私は、閣下が誰よりも澪のことを誇らしく思っていると勝手に思い込んでいただけなのかもしれない。
そう。深海棲艦がいなければ、澪は死ななかった。
そんな当たり前のように生まれてくる憎しみを、多くの自衛官は持っていない。
深海棲艦の本土攻撃を防いだ英雄は必要でも、目に見える後味の悪い生贄はいらない。
誰もが都合よく解釈して、目を背けがちな現実を閣下は見ていた。
澪が日本のために身を捧げたのではなく。
深海棲艦のせいで死んだという現実を。
「山川君。だから君なのだよ」
閣下は真っ直ぐに私を見た。その瞳に優しさはなく、悲しいほどに強かった。
「君には私と同じ世界が見えている。娘がいない世界だ。地獄のようではないか。深海棲艦が何を考えているかは知らんが、私は奴らを許せない。奴らが地獄の閻魔大王だとしても、私は喜んで奴らを殺そう。たとえこの身が裂けようとも、この身が裂けるほどの憎しみを抑えきれんのだ」
狂気のように思えた。
閣下の顔は、今まで私が見たことのない形相だった。
怒りで顔を赤くして、感情に押しつぶされそうで目が潤んでいた。
私は、何も言えなかった。どう言葉をかけていいか分からなかった。
自分は深海棲艦をどう思っているのか。
澪の死をどう受け止めているのか。
自分の非力さを嘆くだけで、現実を受け入れていないのは私も同じだ。
ただ閣下の言う、この世界が地獄という言葉は素直に受け入れられた。閣下の言うように深海棲艦を殲滅すれば、自分の中で何かが変わるのだろうか。
違う世界が見えるのだろうか。
薄暗い視界に一分の、可能性のような一本の道筋が見えた様な気がした。
空は雲の色を濃くしていた。暗雲。まさに黒い雲。一雨くるのだろうか。
――――ゾクッ!
冷ややかな氷のような視線を感じた。
殺意のような、怨念のような、憎悪のような、冷たい視線。
ここは海洋上だ。周りに船舶はない。
このような芸当ができるのは奴らしかいない。3年前と同じ感覚。忘れもしない。これは―――!
後方の海中から巨大な影が海上に跳ねた。
それは黒。見ただけで分かる。冷たい肌、冷たい目。邪悪な存在。クジラに似てはいるが、敵意とともに剥き出しにした巨大な牙。人類の敵が私たちの視界を釘付けにした。
深海棲艦!
「イ級か!!」
閣下はクルーザーの速力を上げた。最高速で退避行動をとる。
「ギャガァァァァァァァァァァァァッッ!!!!」
駆逐艦イ級が咆哮する。口内からせり出した砲身がクルーザーに砲撃を浴びせる。
速やかに回避運動を取るクルーザー。一門の砲撃がそうそう当たるものではない。攻撃はクルーザーの20m離れた海面に大きな飛沫を上げた。
「閣下!武器は!」
「船内だ!」
私は船内に潜り、武器庫を開く。
「何でこんなものが」
対戦車ライフル。単発式ロケットランチャー。歩兵が扱う最高火力の武器が格納されていた。
「こちらGF。大淀、すぐに鎮守府正面海域に一個小隊を出撃させろ。艤装を着けるのを忘れるな」
《了解》
船上に戻ると、閣下が通信を入れていた。だが私はそんなことを気にしてられなかった。
イ級がいくつもの魚雷を発射する。直撃コースだ。一発でも当たれば船は沈む。
私は即座に対戦車ライフルを海洋に構える。扱いなら心得ていた。
魚雷に向け、数発撃つ。弾丸は魚雷を貫通し、魚雷が爆ぜる。
「ギャガァァァァァァァァァァァァァァァッッ!!!!」
吠えるイ級に向け、ライフルを撃つ。弾は金属音を放ち、弾かれた。
「豆鉄砲みたいなものか。なら」
単発式ロケットランチャーを放つ。イ級の頭部に着弾し、爆発を起こす。頭部を焦がすことはできたものの、火傷程度の損害しか与えられない。
「ちっ」
思わず舌打ちをした。
その口に手榴弾のピンを加え、引き抜く。私は全力投球でイ級に向かって手榴弾を投げた。手榴弾は追跡をするイ級の口内に入り、爆発した。
「ギャアッ!?」
イ級にとっても口内は脆弱な部分のようだ。手榴弾のような小規模の爆発でも、攻撃に怯んでいる。
クルーザーはその間に距離をぐんぐん離す。
前方に小さな島が見えた。緑と丘と小規模だが港らしき構造物も確認できる。
「見えたぞ山川君。あれが君の配属する鎮守府だ」
「あれが鎮守府」
しかし今はよく観察している場合ではない。
イ級は猛スピードで追ってくる。砲撃も止まない。回避運動を取っているが、それが逆にイ級との距離を縮めてしまっている。
このままでは二人とも追いつめられる。
閣下を死なせるわけにはいかない。
私の脳裏に澪の最後が浮かび上がった。
「閣下。救命衣を。ここは私が」
「馬鹿を言うんじゃない。君も私も、ここで死ぬわけにはいかん。それに」
閣下は穏やかに微笑んだ。
「助けが来たらしい」
――――ドゴォォンッ!!
「ギャガァァァァァァァァァァァァァッ!!!」
押し寄せるイ級の体が吹き飛んだ。
吹き飛ぶ前の轟音は、砲撃。周りに艦艇はない。
(どこから?!)
「やった~!敵に攻撃、いっちばん乗り~!!」
耳がおかしくなったかと思った。
この緊急時、命を捨てようとしていたその時に。
朗らかな少女の声が聞こえたのだ。
私たちが目指す鎮守府の方向。その海面。
私は目を見開いた。
急な司令官への抜擢と異例の昇進。
豹変した閣下と無茶苦茶な現場復帰。
深海棲艦との3年ぶりの戦闘。
今日はいろいろな出来事が起こるが、これが一番驚いた。
(人が、海面に立っている?)
夢でも見ているのか。忍術でも使っているかのように、人が2本の足で海面を立っている。
その数は、4人。
皆、一様に紺色のセーラー服を纏った少女たち。
彼女らはいずれも、手に戦艦を彷彿とさせる鋼鉄の砲台を装備し、腰には艦橋に酷似した構造物を装着していた。
彼女らが並ぶ様は、まるで、艦隊。
「何だ…あの娘たちは…?」
「いっひひひっ♪初陣の一番槍はやっぱり一番お姉さんのこのあたし、白露がぴったりだよね!」
黄色のカチューシャをした茶髪の少女が胸を張る。
「もーぅっ!白露だけずるいっぽい!夕立も活躍したいっぽい!」
長い金髪の少女が頬を膨らませる。
「うふふ♪じゃあ村雨も、ちょっといいとこ、見せちゃおうかしら」
栗色のツインテール少女が艶めかしく髪を撫でた。
「僕もみんなに続こうかな。時雨、行くよ」
黒髪で三つ編みの少女も微笑む。
「ギャガァァァァァァァァァァァァァッ!!!」
イ級が怒り狂うように咆哮する。
なんとなく、そう、なんとなくだが。
(苛立っている?今の攻撃が効いたのか?)
不思議と、そう思えた。
イ級が咆哮しながら主砲を放つ。少女たちへの直撃コースだ。
「散開!」
カチューシャの少女の号令とともに、少女たちが攻撃を躱す。
「速い!」
彼女たちの身のこなしは非常に軽かった。海面の波を、攻撃の飛沫による衝撃をもろともせず、スケートをするように海上を走り抜けていく。
「各艦標的、駆逐艦イ級!各砲門装填!」
彼女たちは攻撃を避けながら、クルーザーよりも圧倒的に速い速度でイ級に接近する。各々が手に装備する砲台を構えた。
「撃ちー方ーはじめーっ!」
イ級に対する一斉射撃。イ級は攻撃に対し身をよじり、悶絶していた。
(間違いない、効いている!あの細腕からの砲撃がどうして!)
私の放った攻撃はいずれも私の180㎝の身長ほどの大きさを持つ大型火器だ。戦車、戦闘ヘリに対抗しうる火力を持つ。それでもイ級に有効打を与えることはできなかった。
しかし彼女たちの持つ火器は、形状は砲台にしろ、いずれも小型小口径だ。私の持つ火器の方が明らかに強力なはずなのに。
イ級は火器の威力を示すように、体から黒煙を上げていた。
「さあ、素敵なパーティーしましょ!」
「やっちゃうからね♪」
「残念だったね」
彼女たちの一方的な砲撃は、深海棲艦に猛烈なダメージを与えていた。
「みんな、一気に決めるよー!四連装魚雷!装填!」
彼女たちの両腿に装着されている筒状の装備が、イ級に狙いを定める。
「いっけぇぇぇぇっ!!」
筒状の火器が一斉に掃射され、海中に白泡を生みながら潜行していく。その姿はまさに魚雷。全32門。
イ級の腹に衝突し、爆炎を上げる。
イ級は絶叫した。初めて聞く深海棲艦の痛みの声。
そして、閃光。
――――ドゴオォォォォォォォォォンッッ!!!
イ級は爆発した。体は爆風ではじけ、海底へ沈んでいく。
3年前、撤退させはしたが、一隻も沈めることはできなかった深海棲艦。
私は、今日初めて、深海棲艦が負けた姿を目に収めた。この光景は、おそらく死んでも忘れることができない。
「やっほー、おじい様!迎えに来たよー!」
海面を進みながらカチューシャの少女が手を振る。閣下は手を振って答えた。
閣下に向かって、得意げに笑う彼女たち。
「山川君、紹介しよう」
閣下の安心しきった表情。信頼しきった顔。
鈍感な私にも理解することができた。
彼女たちが、閣下の秘蔵する『最終兵器』なのだと。
「彼女たちが深海棲艦に対する最終兵器、艦娘だ」
閣下の操縦するクルーザーは、閣下の目指す島、鎮守府に到着する。
接舷するにあたって、私は岸に飛び乗り、閣下が投げたロープを受け取ると、ロープで岸とクルーザーを固定した。
「閣下」
「ありがとう」
私が差し出した手を取り、閣下は岸に飛び移った。
「おじいちゃーんっ!!」
陸から先ほどの少女4人が駆け寄ってくる。中でも長い金髪の少女が誰よりも早く閣下に近づいて、その胸に抱きついた。
「おうっ、はっはっはっ。夕立、元気そうで何よりだよ」
閣下は少女を抱きしめると、嬉しそうに笑った。
「うんっ!夕立、久しぶりにおじいちゃんに会えて嬉しいっぽい!」
「ああ、私も嬉しいよ」
閣下は少女の髪を撫でる。少女は心地良さそうに笑っている。
他の3人も遅れて閣下の近くに寄ってくる。
「おじい様!おかえりー!」
「お久しぶり、おじい様」
「会いたかったよ」
「おお、白露。村雨。時雨。迎えに来てくれてご苦労だったね。よくぞイ級を倒してくれた。素晴らしい戦果だ」
3人は閣下の言葉に満足するように「はいっ」と答えた。
4人はいずれも、先ほどイ級を轟沈させた火器、腰や両腿に装着していた装備を着けていなかった。
(アレは取れるのか)
彼女たちの姿は一見、セーラー服を着た普通の少女のように見える。
『最終兵器』と閣下は言っていたが、私がここに来る間に考えていたようなサイボーグなどのメカメカしい存在とは違うもののようだ。
そもそも物なのか。者なのか。
艦娘とは、一体なんだ?
「そうだ、君たち。彼には初めて会うだろう。挨拶しなさい」
「はーい」
3人は私に対し横一列に並び、敬礼をした。
「初めまして!白露型の1番艦、白露です。1番艦です」
黄色いカチューシャをした茶髪の少女、白露は胸を張って言った。
「僕は白露型の2番艦、時雨。よろしくね」
黒髪の三つ編み少女、時雨は穏やかに言った。
「はいはーい!同じく白露型の3番艦、村雨です。よろしく♪」
栗色のツインテール少女、村雨は明るく私にウインクした。
私も敬礼を返す。
「山川一二三です。階級は…本日で海将補になりました。よろしく」
口下手な私は最低限の挨拶で済ませた。
私は視線を閣下に抱きつく少女に向けた。少女と目が合う。少女の目が怯えたのが分かった。
「ゆ、夕立…っぽい」
明らかに畏縮してしまった金髪の少女、夕立は閣下の陰に隠れた。
無理もない。私は目つきが悪い上に愛想も悪い。自分で自覚してしまっているのだから、もう救いようがないだろう。
「ははっ。怖がられてしまったな、山川君。彼女は白露型の4番艦、夕立だ。素直な、いい娘だよ」
私は溜息をついた。
閣下は悪戯のつもりで言ったのだろう。閣下の言いようでは、私の目つきと愛想の悪さは、閣下もお墨付きのようだ。
(白露型、か…)
肩書の意味するところは分からないが、彼女たちの名前の由来は分かった。
「ねえ、おじい様。この人って、もしかして」
白露が興味津々という感じで私のことを閣下に尋ねた。
「ん。そうだよ。この前話をした、君たちの司令官になる男だ」
わぁっ、と花が咲いたように白露、時雨、村雨は笑顔になった。
対して、私は溜息をついた。
(話の流れでは、まあ、そうなるな…)
私がここ、鎮守府の司令官に任命されたことと、彼女たち艦娘が鎮守府にいることから考えたら、私が彼女たちの上官になるという話は極めて自然なことだ。
そしてこの任務は非常に危険だと理解できた。
私の知る限り、そして閣下が彼女たちの存在を極秘としている現状から、この4人の少女は現在深海棲艦に対抗しうる、いや、その力を凌駕する唯一の存在だ。
世界中が深海棲艦の猛威に震える中、日本だけに彼女たちがいて深海棲艦を倒している。
そんな秘密が知れたら、各国が許すはずがない。
どうにかして彼女たち艦娘の力を得ようと、あらゆる手段を講じるはず。
対話のできる相手ならまだしも、あれこれことをでっち上げて彼女たちを強引に奪う勢力が現れれば、自衛隊が対抗することは難しい。
何故なら、その勢力が友好国でない保証がないからだ。友好国はいずれも大国だ。日本だけで彼女たちを守りきることができない。
鎮守府の司令官になるということは、深海棲艦だけではない。日本以外のすべての国から艦娘の秘密を守る義務があるということ。
それはつまり、世界を敵にするということ。
非常にリスキーだ。好んでこの任務に就く者なんて居はしないだろう。
(いい『蜥蜴の尻尾切り』だな…)
『英雄』となった澪の連れ合いが最終兵器の司令官になる。
その最終兵器を各国から守るため死亡。もしくは全責任を押し付けられて切り捨てられる。
死んだら英雄の再来。生き残れば道化。
面白い筋書きだ。閣下は脚本家になれるかもしれない。
どの道、私は断れないのだ。
ここまで秘密を知った以上、閣下と道を違えれば、閣下は私を殺すだろう。
運命に身を任せるしかない。
私は夕立を撫でる閣下を見た。
(閣下、何故私なのですか)
閣下の、鎮守府の司令官としての条件。閣下は特に、澪の死を英雄化していないことに重きを置いていた。
先ほどの話を聞いても、私にはまだ納得できないことがある。
確かに私は澪を英雄とは思っていない。澪の死を納得していない。
だが、澪の死を悼んでいる者はたくさんいる。
私じゃなくてもいいはずだ。秘密を守れるものなら、誰でも。
そっと、私の手に温かいものが触れる。
はっ、と私は自分の右手を見た。
私の手を、時雨が両手で包み込んでいた。
「不安そうな顔をしていたから」
時雨は少し照れた様に、優しく私の手を包み込んでくれていた。
とても温かい、小さな手。
見覚えがあった。
――――不安なの?新入り君。
――――ほら。手を出して。
――――こうやって、包み込んであげると緊張が和らぐでしょ?
――――大丈夫、大丈夫って、おまじない。
――――ちょっ、そんな赤くならないでよ。私まで照れてくるじゃない。
最後の最後で、零れ落ちてしまった、失いたくなかったもの。
しかし今の光景は、悲しみの中に埋もれていたとても小さな幸せの欠片で。
無くしたくなかったのに、忘れてしまっていたとても大切な思い出の。
時雨がぎょっ、として私の手を離した。
「ごめん!迷惑だったかな」
「え?どうして」
「だって…」
時雨は私の右目を指差した。
私は、涙を流していた。溢れんばかりの涙を。
皆は私の顔を見て驚いている。しかし、私が一番驚いていた。
涙なんて、とうに枯れたと思っていたのに。
彼女の温かい熱に触れた途端に。
塞いでいた感情が、溢れてきたようだった。
「ご、ごめんよ。僕、そんなつもりじゃ」
「いや、いい。分かっている」
私は涙を拭った。
無愛想な私は照れ隠しで「ありがとう」と付け加えた。
時雨はほっ、と胸を撫で下ろした。
「さあ、みんな。今日もプレゼントを持ってきたぞ。鎮守府に運んでくれ」
「わぁ!ありがとうおじい様!白露、いっちばーん!」
「ああっ、ずるいっぽい!夕立もプレゼント欲しい!」
「オシャレな洋服とかあるかしら」
白露、夕立、村雨の順にクルーザーに入っていった。
時雨は私とクルーザーを交互に見ていた。私が涙を流したのは自分のせいだと誤解しているのかもしれない。
「君も行きなさい」
私は時雨に声をかける。
「でも」
「さあ」
私は気にしてないことを伝えるため、笑顔を作って見せた。時雨は安心した様子で、クルーザーに駆けていく。
(笑顔なんて、久しぶりだな)
自分で思ってて、馬鹿馬鹿しい。笑顔が苦手だなんて。
「閣下。みっともないところをお見せしてしまいました」
閣下は私の言葉に、何故か満足そうに返した。
「何か思い出したのかね?」
「閣下…」
私が驚いた顔をすると、閣下は艦娘たちに呼びかけた。
「プレゼントを運んだら、次は任務だ。新しく来た司令官を鎮守府に案内するように」
「はいはーい」
村雨がにこやかに言う。
「えー…っぽい」
対して夕立は不服そうだった。
「文句はなしだよ、夕立!任務なんだから!1番目指すよ!」
白露が人差し指を掲げる。
「案内に1番とかないっぽい」
夕立は不満を漏らす。
「まあまあ。任務はちゃんとやらないとね」
村雨は夕立にウインクした。
「案内するよ。ついてきて」
時雨は片手でプレゼントを抱きながら、私の手を引く。
彼女たちは腕いっぱいのプレゼントを抱いて、古ぼけた3階建ての公舎に向かう。
「ここが鎮守府の庁舎だよ!あなたの住むところになるんだから、しっかり覚えてね!」
「あ、ああ」
「もう、元気ないなぁ!そんなんじゃ1番になれないよ!あなたのことなんだからぼーっとしないの!」
――――ちょっと一二三くん。さっきの親睦会で、わざと愛想悪くしてたでしょ?
――――確かにあの人も、一二三くんの外見だけでイチャモンつけていたけど。
――――もっと大人になることも必要だと、お姉さんは必要だと思うな。
(まただ。この既視感…)
彼女たちはプレゼントを窓口に置いて、私を庁舎の中に連れ出した。閣下は微笑みながら後をついてくる。
「ここが食堂よ~。間宮さんのご飯は本当に美味しいんだから」
「間宮?」
すると厨房の奥から長い茶髪をリボンでとめた美女が顔を出す。
「あら。みんなにおじい様。それに」
私と視線が合うと、美女は慎ましく一礼した。
「初めまして。給糧艦、間宮です。みなさんのお食事のお世話をしています。覚えておいてくださいね」
「ああ…山川です。よろしく」
素気なく答える私の顔を見ると、間宮はジッと私の顔を見る。そして何故が「くすっ」と笑った。
「あまりご飯、食べてないみたいですね」
私は目を背けた。
「ふふっ。栄養のあるもの、たくさん作りますね。今後とも、間宮をご贔屓に」
間宮は上目遣いにウインクした。
――――ねぇ、一二三くん。また朝ご飯抜いたでしょ?
――――顔見れば分かるよ。自衛官のくせに、いざというとき戦えないよ。
――――面倒?確かにそうだけど。
――――じゃあ、その…私が作ってあげようか?
「今、鎮守府の中を案内しているんだ」
時雨の声で私は我に返った。
「あら。だったら私もついていっちゃおうかしら。何だか楽しそう」
「よーし、じゃあ次は二階だよ!」
白露が駆けだす。
(また…どうして、澪の)
思案している私の背中を、村雨が軽く押した。
「はいはーい♪行きますよ」
「あ、ああ」
私は白露の走って行った先を歩いていく。階段を上った踊り場にまた美女が二人いた。
一人は長い黒髪で眼鏡をかけ、一人は長い桃色の髪で鉢巻をしていた。
「大淀さん。明石さん」
村雨が呼びかけると二人は振り向く。私を見ると背筋の伸びたお手本のような敬礼をする。
「ようこそ鎮守府へ。軽巡、大淀です。艦隊の運営はお任せください」
「工作艦、明石です。少々の損傷だったら、私が泊地でばっちり直して見せますね」
私は敬礼を返した。
「大淀。先ほどはご苦労だった」
「いえ、おじい様。ご無事で何よりでした」
大淀は閣下に軽く会釈をする。
「明石、鎮守府の様子は」
「様子も何も、老朽化が進みすぎです。こんなんじゃまともな基地として機能しませんて」
「それは、山川君の手腕任せだな」
閣下が話を私に振る。明石が目を輝かせて私に歩み寄った。
「お願いします!資材がちゃんと揃えば、私たちもっといい暮らしができるんです。埃舞った軍事施設なんて聞いたことありません。就任の暁には、まず鎮守府の改築を!」
明石が目を潤ませて懇願する。周りを見れば、他の娘たちも私の言葉を期待しているようだった。
――――ねぇ、一二三くん!私あれ欲しい!あの射的の景品!
――――わぁ、流石だね、一二三くん。一発で当てるなんて。
――――嬉しい。宝物にするね!
(…澪)
「すぐにと約束はできないが、第一に検討しよう」
私の答えに、彼女たちは手を取って喜んだ。
頼みごとをする時の顔。
喜ぶときの、花が咲いたような笑顔。
皆、彼女たちは、顔も、髪も、声も、身長も違う。
だが、一つ一つの動作が澪に似ていた。
冷たくなり最期を迎えた時ではなく、大切な時間を二人で過ごした時の澪が身の前にいるようだった。
「閣下」
「君の考える通りだよ。澪は確かに逝ってしまった。しかしあの子の魂はまだここにいる。彼女たち艦娘の体組織の一部には澪のDNAが使われている。英雄をデザインした兵器なら、上層部の体面も守られるし、下の者たちの戦意高揚にもなるだろう。ま、老いぼれのセンチメンタルでもあるがね」
閣下は自嘲するように言う。
「生物を、人を、我が娘を兵器としてしてしまったのは、一重に私の復讐心の暴走だよ。許されることではないことは分かっている。しかしね皮肉なことに…いや、当然のことか」
閣下は喜ぶ艦娘たちを見やる。
「私は彼女たちを愛してしまった。娘と同じように優しく、明るく、可憐な花のようなこの娘たちを」
閣下は私の手を取った。両手で包み込み、頭を下げる。
「山川君、君にしか頼めない。彼女たちを守ってやってくれ。私の孫を。澪の娘を」
閣下の顔は、父親の顔だった。
私の中で全ての合点がいった。
どうして私なのか、答えがはっきりと見えた。
この任務は私にしかできないからだ。
義務感ではない。そんな事務的な感情じゃない。
澪の娘を守る。
それは彼女を愛した私の使命なのだ。
燻り、白煙をあげていた蝋燭に、再び火が灯った。
暗雲の隙間から、穏やかな日光が射した。
この3年間、道に迷い、闇の中で彷徨っていた私に、明確な道筋が見えた。
(私は、この子たちを守る)
深海棲艦?
諸外国の脅威?
そんなものがどうした。
この子たちが澪の娘だと言うのなら、私の娘だ。
(娘を守るためなら、世界だって敵に回してやる)
「閣下。お任せください」
閣下は私の顔を見た。
「この命に代えても、この任務、完遂して見せます」
私の言葉に閣下は一瞬涙ぐんだ様に見えた。そして振り絞るように「ありがとう」と答えた。
「では、私はもう帰るよ。明日も会議があるからね」
「ええっ!?おじいちゃん、もう帰るっぽい?」
「仕方ないよ夕立。おじい様は忙しいから」
名残惜しむ夕立を時雨が宥める。
「大淀。山川君を提督室へ」
「はい」
閣下はそういうと、階段を下りはじめる。
「閣下!」
私は閣下を呼び止める。どうしても言いたいことがあった。
「私は娘を、澪のようにするつもりはありません。必ず全員、生き残ります」
閣下に私の言わんとしたことが伝わったのだろうか。深く頷いた。
「司令官は君だ。好きにやりたまえ」
閣下はそう言って、鎮守府から去って行った。
私たちは一通りの施設を巡回した後、最後の部屋にたどり着いた。
提督室。
私の部屋だ。
私の指揮、采配、運営、策略によってこの子たち艦娘の運命が決まる。
しかし恐れはない。
私はすでに大切な人を失っている。
(もう二度と失わない)
決意が私を奮い立たせていた。
大淀を初めとし、明石、間宮、白露、時雨、村雨、夕立が提督室の廊下に沿って並んだ。
「提督が鎮守府に着任しました。これより艦隊の指揮を執ります」
大淀が言うと、全員が私に敬礼をする。そして全員で声を揃えて、決意を表明した。
「暁の水平線上に、勝利を刻みましょう!」
打倒深海棲艦。
今日初めて会ったばかりの者同士。だが目的は一致している。
先の戦闘で私は確信している。
(我らに勝機あり!)
意気揚々と、絶望を希望に代えて、私はそのドアに手をかける。
苦難の道になるだろう。
傷つくこともあるだろう。
だが一歩を踏み出す勇気を、私は再び取り戻すことができた。
(見ていてくれ、澪。日本も、君の子どもたちも、私が守って見せる!)
私は大きく、提督室のドアを開いた。
そこには。
古びた段ボール箱が3箱あるだけだった。
電話にて。
「すまん。家具の発注をするのを忘れていた」
「左遷されたかと思いましたよ」
ちゃんちゃん。
初投稿です。
いかがでしたでしょうか。
稚拙な文章で申し訳ないのですが、「心を病んだ提督からの目線」というものを考えてみたつもりです。そのため、白露型を初めとする艦娘の出番が…(汗)。
次の話からは徹底的に艦娘たちとの触れ合いを描いていきたいと考えています。
最後まで読んでいただいてありがとうございました。