Fate/after Silent Noise (フェイト/アフター サイレント・ノイズ)   作:どっこちゃん

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一章 過加速「ディーン・ドライブ」-8

 

 降り注ぐ輝光はその数を増していた。

 

 疾走するセイバーに対し、ランサーは再度矢を放ち続ける。しかしそれと同時にその総身を飾る甲冑がまったく別の挙動を見せ始る。

 

 いかにも鋭角で硬質な印象を与えてくる輝甲の、そのうちの肩や背中、脹脛の甲冑がやにわに風船の如く膨張し、それらが張り裂けるかのように次々と口を開くのだ。

 

 その刹那、特大の真珠の如く艶めく曲面の中からは幾多もの短刀や小柄、投げ矢、手裏剣など、東西の洋を問わぬ投擲兵器が群れを成して飛び出してくる。

 

 その数は一度に四、五〇ほどにもなろうか。しかもそれらはひとつとして同じ形状のものがなかった。

 

 故にそれらが同様の飛来軌道を描くはずもなく、結果として縦横無尽に飛び交うことになった刃群と連射される輝矢の直線的な射線とがあいまって作り上げられる光の弾幕は、セイバーの直感と反射速度をもってしても確実に回避できる現界を明らかに超えていた。

 

 やむなく、セイバーは群をなす輝刃の中から回避しきれなかった一本の矢を左手の篭手で受けとめる。しかし、その矢はまるで障害などないかのように彼女の装甲をスルリと貫通し、セイバーの左手を串刺しにしたのだ。

 

「――クッ!」

 

 苦悶の声は苦痛に耐えかねてのことばかりではない。先の近接戦でセイバーは千万変化するランサーの攻め手を封じるために自ら先手を取らなければならなかったが、加えてもうひとつ、ランサーの武装には厄介な特性があったのだ。

 

 あの輝ける具足の、防具としての強度は決して高くない。実際ランサーの使用した盾や装甲は、先ほどから幾度となくセイバーの攻撃に耐え切れずに硝子のごとく砕け散っている。

 

 最も、唯人の手による武装ならば至高の宝剣たるセイバーの一撃を受けきれないからといってなにも訝る必要はない。しかし、仮にもあの甲冑がランサーの英霊としての威光を象徴する貴器――『宝具』なのだと仮定するならば、その耐久性は些か以上に脆すぎるのではないだろうか?

 

 その疑問に対する回答がこれだった。ランサーの防具は守りに回ると途端に強度を失うが、逆に武具として攻撃に使用された場合はセイバーの防御をやすやすと突破するほどの凶器となるのである。

 甲冑としての体裁をとりながら、あくまで攻めることでその真価を発揮する宝具なのだ。

 

 それは語るよりもなお明朗に、あの英霊の特性を物語っていた。

 

 これほどまでに攻性に特化した敵を前に、何時までも防御に徹するという愚を犯すわけにもいかず、結果としてセイバーは改めて攻め手に回るため、無数の流星を思わせる弾幕を躱しながら機を待つより他になかった。

 

 しかしそんな状況でもなおセイバーの口元には隠しきれぬ笑みが浮かんでくるのだ。もはや自分でも加速していく己の鼓動を止められない。

 

 一方で、どこかで醒めた思考が、この高揚すらもが敵の用意した何らかの策謀やもしれぬという懐疑をささやく。

 

 果たして敵の真意はどちらにあるのか――暫し脳裏に浮かんだ一抹の葛藤を、セイバーは迷わず杞憂と断じた。おそらくだが、この攻防に斯様な(はかりごと)はありえない。

 

 全身の動悸が烈火のごとく高鳴っていても、セイバーの精神は清涼なまま澄みきっているのだ。自身ですら驚くほどに、今の彼女は十全の状態だった。

 

 初見ではあったが、セイバーにはこの相手の行動原理がよく理解できたのだ。技巧による計略はあっても、そのような歪曲な駆け引きや策略をこの英霊は決して望みはすまい。洞察からではなく確かな直感から、彼女はそれを確信する。

 

 何よりもランサーの兜の深奥に光る瞳が、それを如実に物語っていた。過熱する剣士の鼓動と熱狂とがまるで鏡写しのように対峙するこの女戦士の魂をより高い闘争の次元へと誘っていく。それはまるで真夏のアスファルトに照り返す反射熱の如く、まるで際限のない灼熱の庭であった。

 

 

 そのあまりの歓喜と興奮に、女戦士の口元はひりつく様な薄ら笑いを抑えきれない。

 

 事実、この展開こそ、この槍兵の望むところの総てであった。彼女はただこのためだけに魔術師に与することを承諾し、この現代に呼ばれたのだ。

 極限の戦いで、燃え尽きるほどの闘争と――そして証明のために――この蛮勇の女王は、冬木の地に馳せ参じたのだ。

 

 だが、貝のように防御を固めて隙を突くなどという戦法は彼女の流儀ではない。本来ならば常に先手を取り、攻勢に徹するのが前提以前の必然である。その生来の戦闘狂が死力を尽くす絶好の機会を逃してまで、飛び道具の有利と物量に任せるという消極的な戦法を取らざるを得ないのには無論、理由があった。

 

 彼女の誇る宝具、あらゆる武器・防具に換装可能な輝ける軍神の具足。『沸血装攻(マーズ・エッジ)』をもってしても、このセイバーとの近接戦闘は容易なことではなかったのだ。

 

 一見して見解を述べるとしたら、この戦いにおける両者の処方は共に、あまりにも奇抜であり同時にあまりにも対照的であったといえる。

 

 全身の装甲から輝く刃を幾重にも繰り出す槍兵の奇異なるはいまさら言及するまでもないことだか、対する剣士の処方もまたあまりにも不可思議であったのだ。まず驚愕するべきはこの剣士が無手であったことであろう。

 

 百貨繚乱と咲き乱れる華の如く四方八方から繰り出される紅石の刃が、その矮躯からは到底及びもつかぬ、凄まじい剣圧によって弾かれ、砕かれ、そして削り取られて夜気に散華していく。

 まるで小型の削岩機かと見紛うその剣士はしかし、間違いなく確かな剣気を纏い、輝ける槍兵に迫る。――そも、無手でありながら剣士とはこれいかに。

 

 ランサーが敵に先手を取らせるのを良しとしたのも、セイバーとの接近戦を厭う余りの苦肉の策であったのだ。

 

 このランサーほどの豪の者がそうせざるを得なかった理由――それこそがこの騎士王の持つ不可視の剣『風王結界(インビジブル・エア)』の脅威であった。そう、先ほどからセイバーが縦横無尽に振るう剣は確かにそこに存在しながら、サーヴァントであるランサーにも目視することが叶わなかったのだ。

 

 不可視の剣。その効果は宝具としては特にシンプルな部類に属するが、それを振るうのが他ならぬこのセイバーだったなら、話は大きく変わってくる。

 

 セイバーの近接戦闘における単純な戦闘力はランサーのそれを明らかに上回る。そのスピードも破壊力も、楽観視できる範囲の内にはない。ましてやそれが見えぬとあっては、たとえ主義を曲げてでもまずは生き残るのが先決だと、この歴戦の蛮勇も判じざるを得なかったのである。

 

 そして何よりも危惧が先にたった。よもやこの闘争が無明の内に終わってしまうのではないかという予感が。――そう、あのときのように、死力を尽くす暇すらなく――

 

 このときまでは、確かにそのような危惧が在った。それが彼女の足を留めていた。それが彼女の腕を縛っていた。ゆえにランサーは業腹でありながら意にそぐわぬ選択をせざるを得なかったのだが――

 

 それもここまでが限界だった。

 

 再度、乱れ飛ぶ矢群を潜り抜けたセイバーがその間合いにランサーを捕らえようとしたそのとき、セイバーの視界は突如として一面の透光にさえぎられた。

 

 それまで待ちに徹していたはずのランサーが自ら前進し、一瞬で距離を詰めてきたのだ。そればかりか、ランサーは左手の弓をさらに変容させ傘の如く展開して創り出した鏡のごとき大型の盾を、セイバーの眼前に突き出してきたのだ。

 

 一瞬、ランサーの挙動の是非を判じかねたセイバーだが、すぐに敵の意図を理解した。

 

 突き出された盾の影になって、今のセイバーの目には敵の姿が映らない。それは同時にランサーの右手が、新たに執ったであろう得物の形状がわからないということを意味している。

 

 そう、敵の剣が見えぬというのなら、同様に己の剣も見せなければいいだけのこと。

 

 ここにきて、両者は互いに、目視の適わぬ刃にその身をさらすこととなったのだ。

 

 〝――これで、五分だ!〟

 

 セイバーは盾の向こうに、そう不敵に嘯くランサーの血色の双眸を確かに見た。

 

 だがそれで怯むセイバーではない。右か左か、上か下か、それとも後ろからか。ランサーの宝具特性を鑑みるならば、凶刃はどこから来てもおかしくない。

 

 故にセイバーは防御を捨てた。防御面は己の直感に預け、総ての専心は敵を切り捨てることのみに注がれる。盾が邪魔だというなら盾もろともに敵影を切り捨てるだけのことだ。

 

「はあぁぁぁッ!!!」

 

 案の定、全霊をかけた横薙ぎの一撃は眼前の鏡の如き盾を砕き、一文字に切り裂いていく。輝ける飛沫の如き硝子片が、滑るような月光の下に舞い上がった。

 

 だが、彼女はここで訝るべきだったのだ、以前にも増して脆すぎる、その紫水色の輝きを。

 

 紅光が奔り、凶刃は現れた。

 

 それはさしものセイバーも予想だにしなかった場所――今しがた自身が切り裂き、粉砕ししようとする盾の裏(・・・)から、それを貫きつつ一直線に現れた。突き穿つ意図を持って繰り出されたそれはまさしく決殺の一撃だった。

 

 セイバーに突貫する際ランサーがあえて用意した、大きくそして薄い盾(・・・)

 

 その狙いは敵の眼前に突き出すことで敵の視界を塞ぐとともに、その注意を用を成さない防具(・・・・・・・・)に向けさせることにあった。そしてランサーは遮蔽物の裏側、つまりは死角となったセイバーの前方から自らの盾ごと彼女を串刺しにしようとしたのだ。

 

 月夜に舞う細雪(ささめゆき)のごとく散華する紫水晶欠片の唯中で、二つの影法師がまるで溶け合うかのように交差した。しかし、辺りには誰の倒れこむ音も響かず、苦悶の声も上がらない。結果として、またもや両者は健在であった。

 

 星の瞬くほどの刹那、光塵の被膜が月光にさざめき硬質な夜を彩る。次いで、再び天蓋が漆黒の帳を纏うまでの一瞬の静寂の後、両者は弾けるように離れ、再び五間ほどの距離をとった。

 

 僅かに滲んだ鮮血が、翠緑の瞳を飾る長い睫毛と、紅兜の奥の厚唇とを淡く彩る。

 

 ランサーの必殺の刺突は直感によって即座に身を捩ったセイバーの前髪を一房だけ切り取るに留まり、体勢を崩したセイバーの振り抜きもまたランサーの兜に擦過して僅かの罅を残しただけだった。

 

 

 降るかの如き月光に照らされて、両者が再びその威を顕わにしたそのとき——震えるような静寂が、世界を包み込んでいた。

 

 そのとき、すべてのものが静止を余儀なくされていた。

 

 距離を置いてなおも止まらず、再三の打ち込みに備えようとしていたセイバーの足でさえもが滞り、最後には停止した。

 

 不意を衝かれたように芒と立ち尽くすセイバーとは対象的に、ランサーは微笑を崩さずに泰然と棒立ちしているだけだった。総ての武装を具足の内に格納した彼女は無手で構えすら取っていなかった。

 

 本来のセイバーを前にしたならば、それは致命的ともいえる隙であっただろう。しかしその瞬間、彼女には一切の挙動が赦されていなかったのだ。

 

「止めだな」

 

 ランサーは呟くように漏らした。

 

 セイバーは見た。それを、真正面から。

 

 ランサーのしたことは罅割れた兜を脱ぎさり、素顔を晒したということだけ。

 

 それだけ。

 

 唯それだけで、セイバーは一時の思考をまるごと奪われていたのだ。

 

 それは、あまりにも――

 

 ――美しい。

 

 何かを憂いるかのようなその面持ちは祈りを捧げる女神の彫像を思わせる。山吹色(サンライトイエロー)に煌めく流髪は揺蕩う陽光のようであり、仄かに赤らんだ頬までもが生気に満ち溢れ燦然と輝いているようにさえ見えるのだ。

 

 しかしその全体像は血に濡れた宝剣を思わせる、華美な凶器とも見て取れた。

 

 その在り方は奇異であり、同時に奇跡だった。蛮勇と壮麗さとが共存するかのような、かのごとく美しくありながらも異形であった。そんな言葉では追随できぬほどに神掛った美がそこにあった。

 

 戦場にありながら、否、戦場だからこそ戦士達の心を、ほんの一瞬だけ奪い去ってしまうような。そんな在り方が――気まぐれな夜に訪れた一瞬の静けさに包まれて、剥き出しになった騎士王の心中の何かを捕らえていた。

 

「ランサー、何を言っているのです!?」

 

 互いのサーヴァントを挟む形で、セイバーが背にしていた士郎と向き合い、戦いを見守っていたテフェリーもランサーの言葉の真意を測りかねて背後から声をかけた。

 

「だァから、止めだ。止め」

 

 ランサーは事も無げにそう言って、罅割れた兜を変形させて鎧に格納する。

 

 瞬きほどの放心のあと、すぐに我にかえり気を引き締めたセイバーも完全に機を逃してしまい次の手に出られないでいる。

 

「……剣を引くというのか、ランサー?」

 

 努めて冷静を装い、問いかけたセイバーの声にも知らず不満そうな困惑の色がこもる。セイバー達の目的は、あくまでも街の異常の調査である。本来ならここで一度戦闘を取りやめるというのは彼女にとっても是とすべき展開であるはずなのだ。

 

 しかし不完全燃焼をやむなくされたセイバーの闘志は、彼女自身が静止を意図してもなお止まらずに燻り続けているのであった。

 

 ランサーもそんな問いに鼻を鳴らして苦笑した。

 

「ンなわけがあるか。ただ、我ながら柄にもないことをしたと思ってなァ。この有様では我が父神に申し開きのしようもない」

 

 その言葉の意をセイバーが判じようとするよりも先に、ランサーが新たに取り出した武装はそれまでの紫水晶のごとく煌く武具とは一線を画すものであった。

 

 長柄ではあったが槍ではない、それは両の刃で白亜の翼を模して鋳造された巨大な戦斧であった。

 

「これ以上小競り合いを続けるのも詰まらんのでなァ。この辺りでケリを付けようかと思うのだが――」

 

 そこに充満する大気すら捻じ曲げんばかりの魔力は間違いなく宝具であろう。セイバーも士郎もあの自在に換装し、如何様にも千万変化変するあの紫水晶(アメシスト)のごとき甲冑こそがランサーの宝具だと半ば確信していた。

 

 しかし、どうやらあれが槍兵(ランサー)としての(クラス)に据えられた、あの女戦士の本命の宝具のようだった。他ならぬセイバーがそうであるように、サーヴァントの中には切り札と呼ぶべき宝具を二つ、三つと秘蔵する者もいるのだ。

 

「――如何かな、セイバー?」

 

 大仰な様で戦斧を掲げ上げ、ピタリと静止したランサーは問う。およそ人の手には負えぬ神与の彫像の如き美貌を輝かせながら、その構えは地に伏せる野獣がごとく、低く、深く、それでいて微塵も揺らがない。

 

 セイバーは対峙するランサーにも劣らぬ、その美しき翠緑の双眸に僅かに躊躇するような気配を浮かべた。

 

 はたしてこの展開を喜ぶべきか、彼女の心中は複雑だった。その意味を問うというのなら、この戦いは無為だ。本来ならばこれ以上意味のない勝負を、と厭うところなのかもしれない。

 

 しかし、不適に笑うランサーを前にセイバーも嘆息して応じる構えを見せた。その顔には抑えようのない微笑が覗く。

 

 彼女にとってもこの展開は半ば予見するところであったのだ。むしろ心ならずも予定調和とさえ思ったほどだ。これほどに嬉々として闘争を楽しむ輩がそう簡単に勝負を預けるはずはないだろうという予感ははたして的中したのだった。

 

 そしてセイバーの本心も紛れもなくこの展開を是としていた。彼女もまた高鳴る鼓動を無視することが出来なかったのだ。

 

 セイバーはただ厳かに、真っ向からランサーの視線を捉えることでそれに応ずる。異存はない。もはやここに至っては雌雄を決すること無くして退けられる敵ではないだろう。

 

 両者は間合いを空けて対峙したまま、無言の視線を交わして互いの必殺を約束しあう。

 

 

 しかし、そこで――その場にいた者達はほぼ同時に、それ(・・)に気付いた。

 

 はるか彼方の天空から、ゆっくりと飛来するそれが尋常なものでないことは明らかだった。それでも交差する視線が逸らされることはない。今まさに衝突せんとした彼女たちにはそれをかんがみるだけの猶予など、微塵も残っていなかったのだ。

 

 女達は止まらなかった。

 

 振りかぶられた戦斧に込められた戦意は臨界を超え、解かれた旋風は眼前の敵を穿たんとして荒れ狂う。

 

 自らの剣に必勝を誓い、敵を討つと決めたならば、余計な諸所に向ける注意など残っていない。ましてや、それが到達する頃にはこの戦いはとうに決着していることだろう。ならばなおさらだ。

 

 両者は互いから目を離すことは出来なかった。この刹那だけは互いこそが世界の総てであった。――そう、飛来してくるそれが本当に誰を狙ったものでもない、的外れな牽制の一投であったのなら。

 

 サーヴァントたちはそれを見ていなかった。しかし彼女らの主たちはありあまる驚愕を持ってそれを見上げていた。

 

 目視できる位置まで飛来したそれは、夜を裂くかのような一筋の紅光だった。箒星を思わせる焔尾を撒いて迫りくる紅弾は途中二股に別れ、そしてその数を倍々に増やしながら一様に停滞するかに見え、そこで渦を巻いて燃え盛り、膨張し、爆ぜて――灼熱の弾雨へと変じたのだ。

 

「――ッな?!」

 

「――くッ!?」

 

 降り注ぐ幾多にもわたる烈火のごとき礫。それはまるで燃え盛る土砂降りの雹塊のようであった。

 

 さしものサーヴァントたちも、これを無視することは出来なかった。

 

 天から舞い降りた無数の紅弾。ランサーは咄嗟に主を庇うように後退し、これらを手にしていた戦斧で迎え撃った。

 

 巨大な刃が垂直に振り下ろされた瞬間。飛来する紅蓮の弾雨がやおら、その軌道を歪ませ、救世主(メシア)の前に道を開く大海の如く割り開かれたのだ。それでも幾つかの散弾は執拗に獲物に喰らいついていたと見え、そのうちの幾つかは煌めく鉱石の如き装甲に小さな穴を穿っている。

 

 セイバーの反応は対峙していたランサーと比してもなお迅速であった。いち早く飛来する光弾群の脅威を感じとったセイバーは主の元まで後退しながら次々と飛来する光弾を打ち落としていった。

 

 数多の赤雨がアスファルトの大地に降り注ぎ、辺り一面を溢れかえった溶鉱炉の如き様相に変貌させていた。あのちっぽけな礫が、なんという熱量であろうか。

 

 狙撃主はどこに――!?

 

 総ての紅弾を速やかに打ち払い。未だ見ぬ新たな敵の姿を探して彼方を臨んだセイバーだったが、その視界の隅にふと――なにか、赤い揺らぎが掠めた。

 

 不思議に思って見てみれば、己が手に執る不可視の剣の先端に僅かにこびりつくようにして先の火弾の欠片が残っているではないか。

 

 ゾッ――と、するような黒い悪寒がセイバーの首筋を駆け抜けていった。戦場で感じるような、抜き身の鋼に晒される危機感とは別種の、もっと本能的で、それゆえに致命的で耐え難い。――そんな感覚だった。

 

 次の瞬間、その火の粉が爆発的に燃え盛りセイバーの腕をも巻き込んで炎上し始めたのだ。火の勢いはとどまることを知らず、風王結界に封じられた風を侵食し、さらにはセイバーの白銀の甲冑をも削り取るように燃え盛る。

 

「なッ――」

 

 なんという奇怪な火炎か、まるでこの炎はセイバーの魔力そのものを食いつくし、貪っているようではないか。

 

 セイバーの纏う装甲やインナーは見る影もなく焼け爛れ、侵食されつくした風王結界はその役割を果たすこと叶わず、本来は包み隠さなければならないはずの聖剣の輝きを露呈させるに到っている。

 

 対峙するランサーでさえ、その怪異に息を呑んだ。彼女にはこのような怪異は起っていないのだ。

 

「セイバー!」

 

 尋常ならざる事態に、彼女のマスターもセイバーの傍に駆け寄ろうとする。

 

 そのとき、裂帛の気合とともにセイバーの身体から放出された魔力の奔流が、彼女に纏わりついていた怪炎を吹き飛ばした。

 

「――ッ、問題はありません。シロウ、下がってください」

 

 そしてすぐさま装備を修復したセイバーは主を押し止め、目下の敵であるランサーの動向を窺う。

 

 今の隙をランサーに突かれたならば危なかった。だがランサーはセイバーを見てもいなかった。美しい双眸を不機嫌そうに眇める彼女の視線のその先に、セイバーも重厚すぎる気配感じ取り、それを視た。

 

 そのとき、直視を許さぬほどの赫い光が一瞬、セイバーの視力を奪う。厳かな声がそこから響いてきた。

 

「……(ナーガ)の気を纏うか、ならばこの炎は辛かろう」

 

 悠然と姿を現したのは屈強な男だった。艶めかしい茶褐色の肌を露出し、見るからに鍛えこまれた堂々たる体躯を、今も煌々と燃え盛る赤い炎が照らし出している。

 

 その赤光の焔はあろう事かその男の手の中にあった。

 

 揺らぎながらも確かな形を保つ炎の弓。そう、男は煌々と燃え盛る弓を平然と携えているのだ。

 

 渦を巻きながらながら燃え盛る紅蓮の翼弓、天空から飛来した赤弾、そして撒き散らされた烈火の礫。……今の横槍をこの男の所業だと判ずる状況証拠は充分だ。

 

 だがサーヴァント達の示す警戒色が明らかな攻撃の意思に転じようとしたそのとき、男の持つ紅蓮の弓はあろう事か萎縮し始め、小さな種火となって男の分厚い掌に納まってしまった。 

 

 やおら得物を収めた闖入者の意図を読めずに一同は固唾を呑んだ。それまで炎に照らされていた周囲は再び闇に飲まれる。しかし暗夜に伏してなお、苛烈にして厳かな意思を湛える双眸が際立つ。()の如く燃え上がる烈火の眼差しが闇の中に輝いている。

 

 誰もがその男の奇怪さ以上に、その偉容に二の足を踏んでいた。

 

 上半身には衣服はなく、代わりに金色の装飾品の数々がその屈強な褐色の裸体を着飾っている。いつの時代、どこの英霊なのかまでは判じ切れないが、身に纏う高貴な空気と威容とが生前の高い身分を物語っている。

 

 すると、両サーヴァンとの視線を受けて男は唐突に声を張り上げた。

 

「双方待たれい! その闘いに意義はあらず! この場はこの化身王が預からせてもらおう!」

 

 困惑する両者を差し置き、男はそう一喝した後で、今度は語りだした。低く、厳かであるが、よく通る声であった。

 

「いや、まずは非礼を詫びるのが先であったな。ランサー、そしてセイバーよ。察しのついている事であろうが、この身は此度の儀式にて召喚されしアーチャーのサーヴァントである」

 

「化身……王?」

 

「あァ? 預かる、———ってのはどういう意味だ?」

 

 いきなり現れたこの男の意図が読めず、一同は困惑の表情を崩せない。セイバーとランサーの闘いに乱入して消耗した両者をもろともに討ち取る、というならまだ話も通るというものだが、まさか本気でこの闘いの仲裁でもしようというのだろうか? 

 

 その言葉を信じることもできず、誰もが困惑の表情を浮かべることしか出来ない。

 

「言葉どおりの意味に相違ない。其処許(そこもと)等の戦いは何の意義も持たぬものであるが故、引き止めたまでのことだ」

 

「意義がない、だと? ……いきなり現れて人の喧嘩のイチャモンをつけようとはいい度胸だなァ貴様ッ」

 

「うむ、説語が必要であろうな。よろしい。ではまずセイバーよ、其処許は此度の召還によって招かれたサーヴァントではないな?」

 

 剣呑な殺気の矛先を向けてくるランサーを前に、アーチャーを名乗るサーヴァントは勝手に話を進め始めた。これにはランサーも「はァ?」と呆気にとられるほかなく、水を向けられた当のセイバーも状況を判じかねて憮然と応じるしかない。

 

「……それについてはこちらが問いたいところだ。何故再開されないはずの聖杯戦争が執り行われているのか。そして、いったい誰が、なんの目的でこの事態を引き起こしたというのか」

 

「……そうか。ふむ、何らかの悪意によって参じたというわけでもないらしいな。他意はない、ということか。……そうか……」

 

 またなにやら考え込むように思案し始める様子のアーチャー。そうしてなにやら合点がいったのか一人で頷くと、押し黙るセイバーを余所にまたもやランサーに向き直り、

 

「ランサーよ、聞いてのとおりだ。これでそこなセイバーと其処許が戦う理由はないことがわかったであろう」

 

「……」

 

 ランサーはもはや言葉をなくしたかのように表情を凍らせたまま閉口していた。男はまたランサーの返答を待つまでも無く、再度セイバーに向き直った。

 

「して、セイバーよ、残念だが(それがし)には其処許(そこもと)の問いに答えることができぬ。なにも聞かずに此度のことは忘れて息を潜めていてはくれまいか?」

 

 指示を仰ぐように士郎を見るセイバーだが、当の士郎も状況を判じかねて押し黙っている。仕方のないことだ。

 

 セイバーとてまだ問いただしたいことはあった。たとえ剣に訴えてでも怪異の情報を聞き出したいところではあった。

 

 しかし彼女の戦闘者としての冷静な危機感知が述べている。この男は危険だ。得体が知れない、というよりも底がしれないといったほうがいいかもしれない。

 

 そのとき、ランサーがいよいよ憮然とした様子で声を上げた。

 

「……で、セイバーを下がらせて、あんたがアタシの相手をしてくれるってわけかい?」

 

 低く揶揄するようなランサーの声。しかしその歌うような声色のうらに、猛獣の唸りにも似た苛立ちが見え隠れするのを、はたしてこのアーチャーは気付いていたのだろうか。

 

「否、それも無用だ。なぜならばこの身は既に……」

 

 そこで、ランサーはさらに言を重ねようとしたアーチャーの言葉を厭うように声を上げた。

 

「ああ、そうかい。……もういい、言いたいことは大体解った」

 

「なにを言う? ランサーよ、其処許も事情を知らぬままに引くはやぶさかではあるまい。遠慮することはない、某が話せることなら仔細まで話そう。まずは某の立ち位置をはっきりさせねばならぬであろう。今現在この身は……」

 

 何処までも生真面目に、そして誠実そうに語りかける男の言にランサーは今度こそかぶりをふってそれを遮った。

 

「いいや、もういい。大丈夫だ。つまりはアレだろ? この場合、アタシらは戦略的には引くのが正しいわけだな? おとなしく帰って、しかるべき相手を探してそこで雌雄を決するべく力を振るう、と」

 

 思いのほか聞き分けのいい相手の態度に、アーチャーは ほう、と満足そうに頷いた。

 

「そのとおりだ。うむ、某は手を出さぬ故安心するがいい」

 

 それを前にランサーも始めてアーチャーに向けて満面の笑顔をみせた。しかし、まるで大輪の華の如きその美貌は先ほどまでの愉悦から来る笑みとは、明らかに一線を画していた。

 

「……そうかそうか、なるほどな。……で、最後にひとつ気になっていることがあるんだが、いいか?」

 

「うむ、申すがよい」

 

 それも知りもしないアーチャーは邪気のない微笑を返す。――が、次の瞬間、世界は一瞬でそれ(・・) に飲まれていた。

 

「キサマ、いまこのアタシに見逃してやる(・・・・・・)とぬかしたのか?」

 

 静かに、しかしその実、夜を満たさんばかりに溢れだした殺気の波濤が、空間そのものを沸騰させんばかりに燃え盛っている。

 

「ランサー、待て……!」

 

 この美獣の次なる挙動を過たず予期したセイバーは彼女を制そうとしたが、もはやこの槍兵を止めうることは神々の換言をもってしても叶わぬことであった。——もっとも、彼女の奉ずる神々の中に、この暴挙をとどめようとする神は一柱としてなかったが――

 

「退いていろ、セイバー。続きはこの阿呆を黙らせてからだ!」

 

「…………」

 

 しかし、それほどのむき出しの憤怒を向けられてもなお、当のアーチャーは依然として何やら難しい顔をしたまま首を捻っている。

 

「……うむ。失言は認めるが、できればこちらの意を汲んでもらいたい。某は決して……」

 

 そのとき空間そのものを激しく打った音無き烈波は、ランサーの口腔から放たれた覇気だったのか、それとも彼女の中で何かが決定的に切り替わった合図だったのかは分からない。

 

 もう問答になど興味はなかった。

 

 返答など聞く気もなかった。

 

 ランサーは再び大上段に振りかぶった戦斧を誰に向けるでもなく、己が足元(・・・・)へ目掛けて横薙ぎに打ち下ろした。

 

鋳造されし(プテロ)――』

 

 紡がれる神斧の真名。宝具とは真実の名をもって放たれる奇跡を封じたものであり、奇跡とは、この世界では起こる筈のない暴挙である。故に、

 

『――不和の双翼(エリス)!!』

 

 それは至極単純にして、ただ明瞭な『奇跡』であった。

 

 まるでクレバスのような大口の亀裂を残し、分厚い刃がアスファルトを切り裂いた瞬間、揺らぐはずのない世界が歪み、絶対の筈の秩序が消失していた。

 

 一体誰がこの事態を予想し得ただろうか、今まさにランサーの放たんとする宝具の威力と、それが為しうるであろう奇跡を。

 

 その場に居合わせたものたちが四者四様の展開を予測し、その総てが悉く覆された。誰もが動転しながらも必死に足を掻いた。地面があまりにも遠かった。

 

 次の瞬間に己の踏みしめる足場が全く消失するなどという事態を一体何者が的確に予測しうるというのか。

 

 正確には、地面が雲散霧消したというわけではない。その瞬間あらゆる森羅万象が慣れ親しんだ万有引力の頚木から解き放たれ、舞い上がった先の虚空に繋ぎ止められたまま浮遊していたのだ。

 

 これこそ、『トロイア戦争』の引き金となった、『黄金の林檎の逸話』に知られる不和の女神『エリス』によって彼女に賜わされたという神斧の力の顕著であった。

 

 そも、人と人が互いに不可避な魅力を感じる時、否応なしに引き付け合い、いつしか互いに離れがたい「引力」を認識することがある。

 

 その、人と人の間を友愛によって引きつけ合う引力こそが「和」と呼ばれる概念であるとするのなら、彼の女神が司る「不和」とは人と人の間に否応なしの拒絶を齎すものといえるのではないだろうか。

 

 二つの物体を引き離そうと作用する反発力。それ即ち「引力」と対を成す「斥力」に他ならない。

 

 つまり、彼の女神の双翼を模したこの戦斧は、その神格を現実の物理法則の世界に顕著させていたのだ。

 

 その宝具の炸裂によって生み出された不可思議なる斥力が地球上の万物に等しく与えられていた重力の恩恵を相殺し、この一帯をまったくの無重力空間へと変容させたのだ。

 

 いきなり足場を失った人間にどのような回避行動がとれるというのだろうか。それはたとえ人の臨界を超越した絶対者であるサーヴァントであっても変わることはない。

 

 それが人という根本に根ざす存在である以上、予期し得る埒外の理不尽には誰もが平等に驚愕と混乱の憂き目を免れないのだ。その刹那、誰もが本能的に踏みなれた地表を探して足を掻くことしかできなかった。

 

 故に――魔力放出による姿勢制御のおかげでなんとか体面を正せたセイバーはいざ知らず、ただ虚空に浮遊することしかできなかったアーチャーがたいした対策も取れずに、それ(・・)をまともに受けたことは仕方のないことかもしれなかった。

 

 輝爪の具足(アンカー)で自らの体を固定したランサーは、宝具による初撃の後間を置かずに二撃目を放っていた。ただし、今度は地面にではなく彼女の闘気に揺らぎ捩れる背後の虚空に目掛けて。

 

 再度見舞われた渾身の一撃は、何もないはずの打突点に凄まじい炸裂音を響かせる。そして次の瞬間、ランサーの身体そのものが一帯の夜を裂く一筋の閃光と化した。

 

 ランサーは戦斧から発する反発力を推進力として利用し、未だ宙に繋ぎ止められたままのアーチャー目掛けて「飛翔した(とんだ)」のである。

 

「そォ――ッ、らあああぁぁぁッッ!!!」

 

 そしてさらに三度、虚空で斧を炸裂させ、直線だった進行方向へ『弧』のベクトルを発生させたランサーは己を一本の軸として、駒の如く戦斧を旋回させる。

 

 そしてハンマー投げよろしく極限まで加速された分厚い戦斧の刃を、虚空で無防備なまま漂っていたアーチャーへ向けて無慈悲に叩きつけたのだ。

 

 同時に、不可解な斥力場は消失していた。宙空から重力の加護を取り戻して地面に投げ出された衛宮士郎は、その光景をしかと見届けていた。

 

 それはいつ見たのかも忘れてしまったブラウン管の向こうの光景を思い出させるものだった。哀れな子供が誤って今飛び立たんとする小型飛行機のプロペラに巻き込まれてしまうという、まるで現実味のないハプニング映像だ。

 

 だがいつまでもそんな揺籃の回顧に浸っている暇はなかった。鉄骨が圧し折れるような不快な音を立てて木っ端の如く弾き飛ばされたアーチャーは遥か遠くの彼方まで消え行くかに夢想されたが、実際には瞬きの終わらぬ刹那のうちに、彼の目と鼻の先まで迫ってきたではないか。

 

 同様に浮遊感から開放されていたセイバーは危なげなく地表に着地をはたしていたが、次の瞬間には怒涛を撒いて主へと迫る砲弾と化したアーチャーの姿を視止め、愕然と眼を見開いた。

 

 飛来するアーチャーの軌道を己が身体を以て変えようにも、残像さえ残さぬその速度を見ればもはや手遅れなのは明白だった。

 

 今の状況からでは士郎にはどのような回避も間に合わないだろう。――故にセイバーの意思は刹那に先んじて決定された。もう、猶予はない。ならば対処策はひとつ。この位置からアーチャーの軌道を変えるよりほかにない!

 

 瞬間、大嵐の如くうねった大気は咆哮を張り上げた。

 

「奔れッ! 風王鉄槌(ストライク・エア)!」

 

 セイバーは咄嗟にランサーとの打ち合いにおいて解きかけていた『風王結界』の旋風を開放し、主へ向けて飛来するアーチャーにむけて風圧の巨塊を叩きつけたのだ。

 

 セイバーの持つ宝具『風王結界』は剣そのものが透明なわけではなく、実際には剣の周囲に纏わせた高密度の圧縮空気により光の屈折率を折り曲げ、その聖剣の真の姿を隠蔽しているものである。

 

 そして、この超高密度の圧縮空気には副次的なもうひとつの使い方があったのだ。それこそがこの『風王鉄槌』である。光を捻じ曲げるほどの高密度の大気を瞬間的に解き放つことで一度限りの遠距離攻撃としても使用することが出来るのだ。

 

 剛風の剣戟によって横撃されたアーチャーの身体はその軌道を捻じ曲げられ、シロウの脇を通り過ぎ、隣接していた古い廃屋とその前にあった街路樹とをまとめて粉砕しながら吹き飛んだ。

 

 それを遠目で見届けたあとセイバーはねめつけるようにランサーを睨んだが、当のランサーは大戦斧を肩に担いだまま、その燦爛たる美貌をセイバーに向けて鈴を転がすようにカラカラと笑う。

 

「ナハハハ。やるなァ、セイバー!」

 

 セイバーはもはや嘆息するしかなかった。結果としては二対一で一人の敵を痛めつけたようなものだ。

 

 セイバーとて、この闖入者の言を信じて闘いを避けようなどとは夢にも思っていなかったが、さすがにこれは騎士王の本意ではない。

 

 サーヴァントの宝具による渾身の二連激。――端的に推察するなら少なくともAランクを軽く上回る程の破壊は免れまい。並みのサーヴァントなら悪くすれば即死、少なくとも戦闘不能は避けられないほどの攻撃だったはずだが……。

 

 しかし次の瞬間、その場に居た全員が閉口して眦を見開いた。

 

 瓦礫の中からのそりと姿を現したのはまぎれもなく、無傷で悠然と佇むアーチャーの姿だった。

 

 しかし、言葉を失うほどの一同の驚愕はその事実だけによって齎されたものではない。それは先とは一変したアーチャーの出で立ちによるものであった。

 

 とはいえ、アーチャーの身体そのものが異形のそれへと変じたわけではない。果たして一変していたのは――その肌の色だった。

 

 先ほどまでの、はちきれんばかりに輝くようだった茶褐色の体色が今ではひどく青ざめて――――否、それは青銅の彫像を想わせるほどの真蒼に染まっているではないか。

 

 あまりにも奇怪に人間味を失ったその姿は……しかし不吉な邪悪さとは程遠く、眩いばかりの神々しさと尊さに満ち溢れている。それこそが、この場の一同をもって最も奇異に感じさせたものの正体だったのかもしれない。

 

 そしてよく見てみれば、彼は決して無傷というわけではなかった。

 

 その分厚い胸板には一文字に切り裂かれた傷がうっすらと残っている。おそらく、中空に浮いたまま、無防備に受けたランサーからの一撃によるものだろう。しかしその皮一枚を裂いたような傷が、あの巨大な戦斧から受けた傷と見受けられたのが余計にその奇怪さを助長していた。

 

 それは同時に、彼が攻撃を避けたのでも、いなしたのでもないという事実を物語っていたからだ。

 

「ハッ、出鱈目なやつめ……」

 

 そのあまりにも規格外なアーチャーの頑強さに、ランサーはもはやあきれ返って嘆息した。

 

 己の秘剣の威力を知るが故に、セイバーも瞠目せざるを得ない。セイバーの風王鉄槌をまともに受けながらその真蒼の体躯にはまるで影響が見受けられない。おそらくは何らかの宝具による防御。そうとしか考えられなかった。

 

 当のアーチャーは何事もなかったように首を鳴らし、一息ついて諭すような口調でランサーに語りかけた。

 

「うむ。ランサーよ、今の攻撃は先の失言のつけとして受け取らせてもらおう。故にこれ以上の無意味な戦闘は避けたいと思うのだが、聞き入れてはもらえぬか?」

 

 今しがた己に対して凶刃を振るった相手に掛ける言葉としてはこの上なく穏当極まりない言葉だといえたが、当のランサーにとってそれは侮辱以外の何物でもなかったに違いない。

 

「……()ァれたことをッ!」

 

 憤怒のあまりに言葉に詰まりながらもアーチャーに向けて再び大地を踏み抜かんばかりに駆け出そうとしたランサーの踏み込みを、寸でのところで一歩先んじたセイバーの身体が遮った。

 

「――ッ! 止めるな、セイバー!」

 

 セイバーは背中でランサーを射止めながら、ただ無言でアーチャーを見据える。

 

「アーチャーのサーヴァント。いや、化身王といったか……用があるのは私のほうであったな」

 

「然り。……引くのだ、セイバーよ。我らの争いは無為だ」

 

「それでも引かぬ……と言わば、貴殿はどうするのだ?」

 

「……其処許をこの儀式から排除せねばならぬ。だが先刻申した通り、互いに手を出さずにすむのならばそれに越したことはない。今ならまだ引く道もあるのだ。これは其処許を高名なる騎士の王と見込んでの諫言である。……どうか聞き入れてはもらえぬか?」

 

 やはり知られていたか。セイバーはさして動じることもなくその事実を受け入れた。

 

 先の怪異なる炎により衆目にさらされることになった黄金の宝剣は彼女の真名を何よりも雄弁に物語ってしまっていたのだ。

 

 それを聞いていたランサーも、特に動揺したふうもなくセイバーの後ろからアーチャーを見据えている。彼女もとうにその可能性に行き着いていたのだろう。

 

 しかし、その程度のことで動揺するセイバーではない。静かに返答を返す。

 

「……いいだろう」

 

「では、引いてくれるか、騎士王よ」

 

 しかし突き返されたのは不可視のはずの切っ先であった。それは揺らぐような剣の輪郭を夜気に描き出し、浮かび上がった刃は灼熱をともなって真っ直ぐに化身王の喉元へ向けられる。

 

「ああ、この身を騎士王と知って挑んでくるならば是非もない。貴殿の挑戦を受けよう!」

 

 セイバーの意志は既に決定していた。

 

「……これは無益無用な争いといった筈!」

 

 それでもアーチャーは食い下がるように言葉を洩らす。しかし既にセイバーの意思は決していたのだ。

 

「くどいぞ。化身王とやら、ここでむざむざと引き下がるものを英霊とは、ましてや一国の王とは誰も呼ばぬ」

 

 元より彼女達の目的は怪異の調査、解明と、それを補足した上での打破、解決である。怪異の真相こそわかってはいなかったが、二人目のサーヴァントが現れた時点でセイバーは怪異の究明よりもその解決こそ優先すべきと言う判断を下していた。

 

 いかなる理由であろうと、この冬木の地が今再び魔の動乱に蹂躪されようとするのならば、彼女はその剣によってその災厄を打ち払うのみだ。彼女の正規マスターである少女も必ずそうに断じるはずである。 

 

「そして、貴様らが何をするつもりなのかは知らぬが、この怪異の全貌を知るまではおとなしく引き下がることなど出来ぬ。わが騎士道に誓ってな」

 

 しばし沈痛に太い眉を顰めたあとで、アーチャーは深く息を吐いた。言葉を弄したところでどうなる相手でもないと悟ったのであろう。

 

「……仕方あるまいな。ならば――」

 

 そこで言葉を切ったアーチャーの、青銅色に染まっていたはずの肌がやにわに色味を増していく。

 

 それだけではない、苛烈なまでの眼光を放っていた紅蓮の瞳すらもが黒曜石のごとき光沢を帯びた墨色に染まっていくではないか。そしてその黒真珠の如き黒曜色の煌めきは眼球はおろか口腔まで、それこそ全身を覆っていくのだ。

 

 息を呑むセイバーを前に、やおら転身を果たした漆黒の魔人が吼え猛る!

 

「闘うという以上、某も容赦の出来ぬ身の上だ。行くぞ、騎士王よ!」

 

 セイバーも斜に構えてそれと対峙する。この得体の知れぬ難敵の更なる怪異に、彼女の危機感知はいよいよけたたましい警報を鳴らし続けている。

 

 対峙する剣士と弓兵。間合いは十メートル弱。サーヴァントにとっては既に必殺の間合いだ。趨勢は、近接戦を主体とするセイバーにやや有利な状況であろうか……。

 

 しかし、一人蚊帳の外に追いやられた感のあるランサーがこのまま黙っている筈もない。

 

「ふざけんな! いい加減にしろ! アーチャー! それにセイバーもだ、我らの決着を如何とするつもりだ!」

 

 しかしそのとき、憤るランサーの背中に硬い琴線の鳴るような声が掛かった。

 

「駄々をこねずに下がりなさい、ランサー。あなたは勝ったほうと存分に戦えばいいでしょう?」

 

 そんな台詞をニコリともせずに語るテフェリーに言葉も返さず、暫し牙を剥くようにして主を見据えていたランサーはやおら霊体化して一瞬で主の傍らまで移動した。再び燦然と実体化を果たし、そしてそこであらん限りの声を張り上げた。

 

「…………ッったく、―――――――――ンだってんだあぁぁッッッ、あああああああああぁぁ―――――ッ!!」

 

 最後に――チクショウッ! と付け加え、一通り吼え猛けた後でランサーは顔をしかめたまま近くの縁石にどかり、と腰を下ろした。

 

「――お断りだ。戦士のすることではない」

 

「ならば大人しくしていなさい――見ものですよ」

 

 漁夫の利をさらえというテフェリーの指示はバトルロイヤルにおいてはむしろ定石であり、ランサーにとってこの状況は本来なら願ってもないはずだった。が、そんなことは無論、彼女の流儀と目的からすれば見逃せることではなかった。

 

 そして当のランサーがそのような無粋な仰せに従う手合いでないことは、テフェリーもすでに承知している。しかし、ここであのサーヴァント達の特性を見られるならば再戦においては有利に働こう。

 

 静観を決めた二人の視線は、いよいよ対峙する二王の挙に向けられた。

 

 

 

 


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