Fate/after Silent Noise (フェイト/アフター サイレント・ノイズ)   作:どっこちゃん

55 / 65
五章 高位受容「ノエマ・フィードバック」-5

 昔々、更なる昔、神々が未だそこに在った時代。

 

 あるところに北方の国を治める王様がいました。あるときその王様は、有能な二人の鍛冶師の小人を捕まえてこういいました。

 

「柄は黄金で決して錆びず、鉄をも簡単に切り裂き、持ち主には必ず勝利を与える剣を作るのだ。さもなければ余はお前たちの未来に、その身に余るほどのひどく鮮明な苦痛と、なによりも明確な死を与えることになるだろう」

 

 二人の小人は、この王様のいううことを聞きたくはありませんでした。無理やり捕まえられて、いうことをきけ、と脅されているのです。

 

 しかしいわれたとおりにしなければ殺されてしまいます。仕方なく、小人たちは王の命令を聞き入れ、持てる限りの技術で剣を拵えました。

 

 いくらいやだと思っても、小人たちは手を抜いて剣を作ることが出来ないのです。それを知っていたから王様もこんな乱暴なやり方をしたのでした。

 

 出来上がったのは、それはすばらしい剣でした。その切れ味も装飾も、もはや神々の武器にも決して引けをとらないでしょう。しかし、やはり小人たちは面白くありません。

 

 そこで小人の一人が言いました。「そうだ、この剣に魔法を掛けてしまおう。あの意地悪な王様が困ってしまうような」小人たちは武器だけでなく、魔法の道具を作るのもたいへん得意なのでした。剣に魔法をかけることは彼らにとっては簡単なことなのです。

 

 しかし、そこでもうひとりの小人が訊きました「でも、どんな魔法をかけるの?」これは難しい問題です。王様を困らせるにしても、最初から触れないような魔法はかけられません。

 

 それでは小人たちは使えない剣を作ったことになってしまいます。それは二人のプライドが許さないのです。しかし魔法を掛ける事を提案した小人は笑っていいました「僕にいい考えがあるんだ。ちょっと聞いてくれる?」――。

 

 そして剣を王様の前に披露するときが来ました。それまで見たことないすばらしい剣の出来に、王様はたいへん喜びました。上機嫌で小人に尋ねます。

 

「偉大なる小人たちよ。余がこの剣に科した条件を覚えておるかな?」

 

 小人たちは歌うように応えました。「柄は黄金、鉄を布のように切り裂き、振るう者には必ず勝利をもたらす剣にございます」

 

 王様の心はこの上ない満足で満たされました。剣を握って至福の喜びに満ちた王様は約束どおり二人の小人を帰してあげることにしました。

 

 しかし去り際に小人のひとりがいうのです。

 

「――王よ、王よ。ひとついい忘れたことがございました――」

 

 もうひとりの小人が続けます。

 

「――王よ、王よ。その剣にはもうひとつの条件がついているのでございます――」

 

 呆気にとられる王様の耳に謳うような二人の声は次第に重なり、山彦のようになって響いて遠ざかっていきました。

 

「――その剣は三度まで持ち主の願いをかなえ、必ず勝利に導くだろう。しかしその後になって最後には破滅と死をもたらすであろう。

 

 ――王よ。王よ、強欲なる王よ。三度剣を振るうことなかれ、さもなくば、剣は貴方の未来に、その身に余る鮮烈なる破滅となによりも明確な死が訪れるであろう――」

 

 小人たちはこれで王様は二回しか剣を使えないと思って悔しがると考えました。一度も使えないのでは不満なのですが、たとえ二回だけでも使ってくれるならば小人たちはそれで満足だと考えたのです。

 

 しかし、小人達が考えたようにはなりませんでした。結局、その王様は三度剣を使って勝利しましたが、最後には逆にその剣を敵に奪われて殺されてしまったのです。

 

 そのとき剣を手に入れた半巨人の一族がその剣の次の担い手でした。

 

 そうして剣は振るわれるたびに凄まじい力を発揮し、次々と勝利をもたらしました。しかし、そのたびに破滅をももたらしました。

 

 次第に、血に濡れた剣は熟れた果実のように成熟し、破滅をもたらすたびに持ち主をかえました。

 

 そのうちに剣は形や名前を変えて幾多の伝説となりました。まるで自ら意志を持っているかのように殺戮の気配を追い、幾度となく血を吸い、人に栄光を与えては英雄を作り出し、同時に破滅をもたらしては英雄を殺戮していく。そのたびに血塗られた伝説が生まれました。

 

 それはいつしか伝説と英霊を作り出すシステムとして機能するようになり、いつしか独自の魂を勝ち得るまでになっていったのです。やがて、英雄を作り出すはずだった「剣」はいつしか担い手を必要としない「反英雄」そのものへとなっていったのです。

 

 そして、幾多の伝説から姿を消した後も、魔剣はいまもどこかで人の血を吸い続けているのでした。

 

 いつまでも、いつまでも……。

 

 

 

 ――深まった夜半。既に道行く人々の姿は何処の路地にも絶えて久しかったが、僅かに残った通行人の歩みをも、さらに鈍らせようとするかのような重い雨粒は静かにその勢いを増し始めていた。

 

 その雨しぶく暗夜の市街を一条の筋を描く白銀の流星が、濡れそぼつ尾を引きながら縦断していく。しかし、見目にも麗しく鮮烈なるその軌道が、よもや形振り構わぬ逃亡者の退路をなぞるものだなどと、いったい、誰に信じられたであろうか。

 

 だが、それはまぎれもない事実であった。それは必死の逃走に他ならなかったのだ。まるで何かに追い立てられていくかのように馳せるそれを追うのは、追い詰めていくのは金濁色の稲妻であった。

 

 一弧の曲線を描いて流麗に馳せる白銀の獲物を、対してひどく荒々しいジグザグの軌道でなぶるように追随してく。

 

 その様は、憚らずに表すならばまるで雨庭の狩猟に戯れる兎と狐の舞踏とさえ映るものであった。

 

 しかしその流麗な光景も、知るものが見たならはそれは眼を疑いたくなる光景であった事だろう。なぜならば、それが、彼女が、かの騎士王が、かくも一方的に追い立てられる光景など、彼女を知るが故にあってはならない光景だったからである。

 

 しかし、いま、現に追い立ててくる敵に背を見せながらも逃げ去っていくのはまぎれもなく稀代の戦神にして騎士道の頂に咲き誇れる無謬の王の姿であったのだ。

 

 事実。追い立てている側からしても、これは慮外の事態だった。いくら不利な戦況に立たされたとはいえ、まさかあのアーサー王がこの局面でとりうるのが逃げの一手のみとは、安易に解せることではない。

 

 もはや万策尽きたとでもいうのだろうか? いくら伝説の豪勇とはいえ、かのごとく一抹の勝機さえ見えぬ闘いを挑むことは出来ぬ。――と?

 

 

 二筋の閃光はとうとう行き止まりに突き当たった。そこにあったのは壁に囲まれた袋小路ではなく、逆に何処までも開けた空間だった。

 

 ――海だ。打ち付ける重苦しい雨のせいでそこに広がる海原はさながら沸きあがるかのような様相を呈している。

 

 新都中心街から退路を求めたセイバーが行き着き、足を止めたのは未遠河の河口に位置する港だった。そこで、彼女はもはや逃げ去る猶予のない海原を前に立往生したかのように佇んでいる。

 

 はたして、己の逃走の先になにがあるのかすら、今の彼女には計り得なかったのであろうか? それほどまでに恐怖に動転していたとでも言うのか――。

 

 己の後ろに迫っていた黒い女へ向けて、セイバーはようやく顔を向けた。その、一切の表情が抜け落ちた白い貌に、黒い女は不可解な兆しをみる。

 

 両者の距離はすでに十五間程にまで迫っている。サーヴァントならば少なくとも五歩もあれば敵に詰め寄れる距離だ。

 

 鞘――否、伏見鞘の顔をした魔剣士もそこで一度歩みを滞らせた。漆黒の髪端から重い水滴を掃いながら揶揄するような声を上げた。

 

『なんだ? 捨て身のつもりか? 観念したとでも?』

 

 応えはない。感情の起伏を失ってひどく人形じみた精緻な美貌だけが、その滑らかな顎先から甘露のような雫を滴らせて声を迎える。

 

 セイバーはただ泰然と雨の帳の向こうに佇んでいる。その顔は見ようによっては絶望に呑まれた苦悩を決して悟られまいとする気丈な乙女のそれのようにも見受けられる。

 

『つまらんなぁ。それでは騎士王の名が泣く――ゾ?』

 

 黒い女は人形のように小首をかしげ、探るようにじりじりと距離をつめていく。跳びこむならあと四歩、サーヴァントならば四歩の跳躍で敵影を己が剣域に捉える。

 

 そういう距離だ。対するセイバーは沈黙をつづけていた。果たしてあの顔は恐怖に怯える心を必死に押し隠そうとする少女のそれであろうか? 声を出すことも出来ぬほどに――それとも……。

 

 距離はあと九間まで迫る。

 

 ――さて、これをどう見るべきか、もはや万策つき、逃げ場も失って吶喊したと見るべきか。それとも、もはやこれまで、と最後の特攻に打って出ようというつもりなのか。

 

 ――否! 違う。そうではない! 

 

 あのまなざしは、あの押し隠した瞳の奥に見えるのは。そんな惰弱な愚者の淀みではない!

 

 あれは最後まで己が勝利を諦めない者の、そう勇者の瞳に燃える篝火だ。ヤツは未だ確かな己の勝利を確信して行動している。――ならば、

 

 魔剣の女は距離を詰めていく。檄尺の間合いまで――あと六間。飛び込むまでにはまだ二歩の踏み込みが必要な距離。

 

『――あ、そうだ。この際、いっそのこと潔く観念してみるというのは? 実はやったことないだろう? せっかくの二度目の「死」だ。前回は出来なかったことをやってみるのもおもしろいのではないかなぁ?』

 

 その、調子だけはまるで誘うような戯言だけが、雨粒の打ちつける音に混じって周囲に響く。嘲笑するような声は耳に届くころには雨音に擦れて虚ろな耳鳴りのようになっていた。 

 

 応える声はない。

 

 距離はあと一歩の跳躍で敵に届く範囲、つまり一足一刀で必勝を期せる間合いに近づく。

 

 そこまで――

 

 ――残り一間半。セイバーもまた長い睫毛を雨に濡らしながらその距離を推し量る。

 

 彼女は確かに真正面からの直接戦闘を得手とし、同時にその己の手腕に絶対の信を置くサーヴァントである。

 

 しかし、何もそれだけが彼女の持つ「性能」の総てではない。彼女を最良のサーヴァントたらしめているのは彼女自身の能力と、それを最大効率で運用する計略手腕、即ち度重なる戦局を切り抜けてきたことによって培われた戦闘経験値の高さである。

 

 戦闘の駆け引きにおいて、彼女は常に己の力を計り、それをどうやって敵を撃つことに活かすかを思考し続けているのだ。無論、今彼女が導き出した結論は強敵を前に敗北を観念するなどという惰弱なものではありえない。

 

 敵は、いまひどく調子付いている。獲物を追い立てるときというのは多かれ少なかれそういう心理が働くのが人間というものだ。それは英霊といえども例外はない。絶対に隙が出来、大振りが来る。

 

 セイバーは獲物を狙う伏虎のごとく静かにそれを待っていた。あくまで追い詰められた窮地を演出しながら、である。

 

 しかし、これは文字通り危険な賭けでもあった。連戦によってもはや余力は残っておらず、宝具の発動すら不可能な状況。全力の一撃を放つ機会はこれが最後になるだろう。

 

 この後はもはや戦うことはおろか、動くことすら出来なくなるかもしれない。だからこそ、一時背中を見せてでも、敵を勢いづかせる必要があったのだ。

 

『この期に及んで反応なし、か。やれやれ、仕方がない。それでは推して引導を――』

 

 まるで詩人にでもなったかのような芝居がかった声音で爪弾かれる佳境の宣下。セイバーの集中力は針のごとく研ぎ澄まされた。

 

 その意識は敵の放つ止めの一撃に対する後の先を取ることに専心する。幽鬼の如く敵は迫る。最後の踏み込みまで、あと半歩――――来る!

 

 しかし――

 

 獲物をなぶるようにじりじりと間合いを詰めていたはずの黒い女の全身は、そこでヒタリッ、と制止した。

 

『――渡しにいくのは、ちょっと怖いナぁ』

 

 途端、残像さえ残さぬ速度で、黒い女は一気に後退した。距離は、元の十五間ほどまで再び開いた。

 

「――ッ!?」

 

『確かに、お前は本当にもう戦えないのかも知れない。もう反撃する力もなく本気で逃げていたのかも知れない。……その可能性は充分に考えられる。しかし、《《こう》》も考えられないかな? もしかしたらまだ力を残しているんじゃないのか? さらには、最後の最後で逆転なんぞを狙っているのではないのか? そうではないとは言い切れないよなぁ……なぜならば、』

 

 探るような、(くすぐ)るような声に、蛇のような狡猾な陰影が絡みつく、セイバーの白い貌にわずかな表情が戻る。苦々しい苦悶の翳りだ。それを目ざとく見咎めた女はさらにその痩身に纏わりつくかのような言葉を投げつける。

 

『英霊というのは、そんなに諦めがいいものではないからなぁ。……まして、それが伝説の騎士王となればなおのこと。……ふふ、そんな顔をするなセイバー。解かるんだよ、私には。私は誰よりもお前たちのことを知っている。私は誰よりも英雄という奴の心理を知っているんだ。よって、こんな時、お前達がどのような挙に出るかということも――概ね察しがつく』

 

 饒舌に紡がれる呪詛の如き歌声に、セイバーは応える言葉を持ち得ない。

 

『そういうわけで、これ以上近づくのは、ちと恐ろしい。しかし、そうこう言っているうちに回復されても元の木阿弥だ。――故に、』

 

 黒い女は長剣をたかだかと掲げ上げた。

 

『たとえ、どちらであっても関係のない方法と選ぶとしよう。そういう手段をとることにしよう』

 

 黒い女の右手から三画目の令呪が消え去る。始められる周囲の世界そのものへの過度の略奪。熱、光、魔力――それらが渦を巻いて漆黒の刀身へと引き寄せられ取り込まれていく。 

 

 それを見つめるセイバーの貌からは再び凍てついたかのように表情が消え失せ、天の砂金をこぼしたかのような黄金色の髪は冷然と降り注ぐ雨に濡れていまや白蝋のごとく青ざめた頬に張り付いている。

 

 そこから滴り落ちた雫がやおら地表に落ちて、キン、と小指の先ほどの鈴の()のような音を立てた。

 

 鞘の立つ位置を中心として総てを奪われた周囲の其処彼処は、円の径を広げながら極寒の世界へと凍てついていく。空から舞い降りる水滴が瞬時に大量の氷粒へと姿を変え、雨しぶく地表に満ちる雨粒は無数の氷花となって咲き乱れ始める。今更言及するまでもなく、あの夜、セイバーの聖剣と鍔迫り合って敗れた闇色の光の奔流。その前兆である。

 

『フフ、海を背にしたのは拙かったなぁ。いや、それとも街を巻き込まないという意味ではむしろ良かったというべきかナ?』 

 

 無論、総ては承知の上でのことであった。確かにこの敵を迎え撃つというのなら、あの極大宝具は懸念してしかるべきもの。故に大海を背にするこの位置関係は望むべくもない。 

 

 たとえ彼女がその宝具の標的になったとしても、街の住民への被害は最小で済む――そも、セイバーにとって海上はかつて馳せた丘原と何の変わりもないのだ。あえてここで足を止め、もう逃げ場に窮したかのように見せ掛けたのはこの宝具を使われたときの場合に備えてのことであった。

 

 しかし、事態は最悪のシナリオへと分岐を始めてしまった。

 

 もはや残された余力も絞りつくした。そのとき、セイバーの脳裏には決死の突貫を想う心が閃いていた。こうなっては一か八か、己の総てを持ってこの魔の剣士に一矢を報いるまで! 

 

 不可視であった聖剣の鞘が解き放たれる。しかし、そこからあふれ出す筈の光がこのときばかりは精彩を欠いている。――このまま己の消滅すら辞さぬ覚悟で『約束された勝利の剣』を放てば、一糸報いる程度のことは――いや、それも楽観的過ぎる見通しだ。

 

 セイバーとて己のコンディションを把握していないわけではない。このままではまともに閃光の刃を放つことすらままならないのは百も承知だ。

 

 それでも――このまま坐して敵の刃を待つつもりはなかった。いかなる障害であろうとも挑まねば総ては成しえなることはない。ならば挑み、立ち向かい続けることこそが人として生を受けたものの在るべき生き方なのだ。そう、あの化身の王に示した己の王道を踏み外すことだけは出来ない。

 

 その騎士王の苛烈なまでの高潔さがその意を決しようとした――そのとき、あらぬ方向から舞い降りた幾重もの影が、紗の線を描いていた雨を細切れにしながら降り注いだ。セイバーにではなく、今まさにセイバーに刃を向けんとした怨敵にである。

 

『なんだぁッ!?』

 

 世にも恐ろしい呪詛の怒気を荒げ、降り注いだ輝器の群を黒剣が薙ぎ払った。投射された宝具群は凍てつくだけではとどまらす、黒の刃に近づいただけで純粋な魔力に分解され取り込まれてしまった。

 

 それでも射撃は間を置かずにつづけられる。

 

 セイバーは瞬時に判断した。これは――投影宝具の投射! そしてその目には力強い生気が漲る。はるか後方に居る筈の射手の姿を求めて振り返った鞘からは見えない位置に、己が主の確かな赤影を見つけたからである。

 

 そこにあったのは紛れもなくセイバーのマスター、遠坂凛の姿だったのだ。そして、この援護射撃は間違いなく衛宮士郎の投影魔術に他ならない。

 

 

 遠坂低から姿を消したテフェリーを探していた二人は、強い魔力の揺らぎを察知して一路その場所を目指していたのだ。依然として鬱積するこの障害ノイズのせいで闇雲にテフェリーを探しても埒が明くものでもない。

 

 逆にそれほどのノイズの中でさえ感じ取れた巨大な魔力のうねり、その場所には何かしらの手がかりがある、とふんだ二人は一路この場所を目指したのだ。

 

 徒歩で移動するしかなかったために時間は掛かってしまったが、もう少しで件の波動を感じた港の倉庫街に辿り着く、そんな矢先に空を覆っていた雨雲を掃うかのような白乳色の光が巻き起こったのだ。

 

 そしてすべてを察した二人はすぐさまセイバーの援護に回ったのである。

 

 

 二人の健全な姿を目にして安堵とともにセイバーの総身に力が溢れる。同時に聖剣が本来の輝きを取り戻し、その光と旋風で勝利の凱歌を寿ぎ始める。

 

 これにはセイバー自身が驚愕した。いま、セイバーの身体は本人の意思とは無関係に主のもたらす魔力のパスを押し広げ、瞬間的に通常とは比較にならない魔力を主から略奪しているのだ。吸い上げられた魔力はセイバー自身の魔力炉心を経て増幅・加速され、すぐさま彼女が手にとる聖剣に流れ込んでいく。これは凛の令呪によるものであった。

 

 令呪とはマスターとサーヴァントの同意の下に行使されるならば、それは本来のセイバーにさえ成しえない奇跡をも押し通すことを可能とするのだ。セイバーは驚嘆しながらも向けられて来る主の視線を真っ直ぐに受け止める。そして瞬時にその目がなにを意図しているのかを推し量る。

 

「いいわッ! セイバー、死なない程度に持ってきなさい!」

 

 耳に届いたわけではないその言葉に、セイバーは力強く首肯して応じる。チャンスは一度。――今一度、その瞬間に総てを賭ける!

 

『おのれッ! 余計な真似を!!』

 

 掲げられる黒の大剣はすぐにまたセイバーにその蛇のような視線を向ける。セイバーの身体に充溢した魔力を察知したのだ。もはやセイバー以外の諸々にかかずらっている暇はない! 

 

盟約された(ヴィズル)――』

 

 高らかに謳われる、大神の名を借りた暴虐の呪詛。雨降りしきる氷花の庭に、今ふたたび極限の暗光の交差が訪れる。

 

 既に頂点に掲げ上げられた黒剣は、呑み下した尋常ならざる魔力と熱量を開放する――刹那。セイバーは剣を振りかぶったまま、それに先んじるように突進した。

 

『――――ッ!』

 

 一瞬の驚愕はしかし剣勢を殺すほどの効果はもたらさない。黒い女は構わず剣を振り下ろす。もはや止まることなど出来はしないのだ。周囲の世界からかき集められ、集束された膨大なる熱量と魔力は今更押し止めることなどできるものではなく、もはや根源の本能が要求する開放のカタルシスへの渇望は、極限の飢餓にも似て彼女の脳裏と総身の神経回路を一瞬で焼きつかせながら、駆け巡る。

 

 解きかけた風王結界を推進力として利用し、一足跳びで突貫したセイバーは一瞬で大剣を振りかぶった鞘の懐にその身体をねじ込んだ。

 

約束された(エクス)――」

 

 言祝がれる真名。本来の大上段ではなく、小さく脇構えに構えられた剣身は超突風の前進の勢いを殺すことなく、その極光を露にしながら横薙ぎに解き放たれる。そう、この状況で大振りは必要ない。必要なのは出力を絞り、ピンポイントで放つ――――この一撃!

 

「――勝利の剣(カリバー)!!」

 

『――破滅の刃(ウォーデン)!!』

 

 振り下ろされる黒刃から溢れ出す、灼熱と化した暗光の大乱。しかし、それは懐に潜り込んできたセイバーをとらえることはなく、一寸だけ速く奔ったセイバーの横なぎの光の刃が、振り切られる黒い刀身に先んじてその中腹を捉えた。

 

 十字に切り結ばれた聖剣と魔剣からは互いの放つ暗明の閃光ではなく、刃と刃が直接に打ち鳴らされたことによる轟音が響き渡り、それが次第に尾を引きながら縮小していった。  

 

 光の奔流が潰え、ふたたび雨音が周囲を包み込んだ。先に方膝をついたのはセイバーのほうであった。今しがた供給された急場しのぎの魔力は今の一撃で完全に枯渇し、もはや外装を止めることもできていない。しかし、雨の雫に濡れ光るその睫毛の下の瞳は既に知っていた。

 

 確かに約束された己の勝利を。

 

 漆黒の魔剣はその中腹から折れ曲がり、粉砕されて宙空に舞った。女の手に残ったのは鈍い金色の光を放つ柄と残り僅かになってしまった黒い刀身だけだった。

 

 上記の令呪によってセイバーにもたらされた効果を厳密に解説するならば、それはふたつに分けられる。ひとつはマスターである凛からの魔力供給を一時的に増大させること、そしてもうひとつはその魔力を用いて宝具を使用しながら、同時に凛とセイバーがともに存命するのに問題のないレベルでの精妙な魔力調節を行うことである。

 

 つまり、今の令呪によって下された命令はマスターとサーヴァント、両者の持ちえる総ての魔力をかき集めて一発分の宝具開放を可能としながら、同時に両者が生き残る、その奇跡の呼吸を可能とすることであったのだ。

 

 だが、それでも全力で打ち合いに応じることは出来ない、急場凌ぎの強制魔力供給では力勝負に応じられるほどの威力の聖剣は放てない。故に、そう判じたからこそ、セイバーは間合いを詰めたのだ。

 

 両者の持つ魔剣と聖剣は、ともに極大的な威力と効果範囲を持つ「対城」レベルに分類される宝具同士である。が、それらがこのように相対するかぎり、その本質はつまるところ剣と剣の勝負であることに変わりはないのだ。

 

 セイバーは大上段から振り下ろされた敵の長剣の中腹をその打ち下ろされる瞬間を狙って横から打ち抜いた。つまり、彼女の狙いは敵自身ではなくその武装の破壊だったのである。

 

 これこそセイバーがその胸に秘めし正真正銘、最後の策であった。もっとも、これはこの場に到着してすぐにセイバーの窮地を察し、瞬時にその援護に回った遠坂凛と衛宮士郎の的確な状況判断と迅速な行動がなければ成しえなかった勝利であった。

 

 そして、その援護にすぐさま応じてみせたセイバーも含め、三者三様、何の申し合わせもなく咄嗟のコンビネーションを見事に行って見せた絶対の信頼こそ彼らの最大の勝因であったといえた。

 

 

 ――その剣は、三度持ち主の願いを叶え――

 

 

 凛と士郎はセイバーに駆け寄った。それに応えようと立ち上がったセイバーはたたらを踏んで後退し、そのまま崩れ落ちるようにうずくまった。その疲弊ぶりは、もはや立ち上がることもままならないほどに深刻であった。

 

 

 ――そして最後には、持ち主に避けられぬ「破滅」をもたらすという――

 

 

 同時にパキンッ、と。妙に軽い音を立てて鞘の存在そのものに決定的な亀裂が走った。そのまま、もとより駆動流動の許されぬ彫像であったかのような彼女の身体は切り倒される立ち木がごとく後方に倒され、それきり身震いひとつしなかった。

 

 身体と、刀身に掛かる過負荷はとうとう耐久現界を超え、当然の結果として鞘の存在そのものの崩壊をもたらしたのだ。

 

 

 そして、その女の倒れ伏す光景の一部始終を見つめ続けていた眼差しがあった。見開かれ、困惑に震えるのはまるで怯える童女のそれにも似た、薄いブラウンと青味がかったグリーンの、色違いの大粒の双瞳。

 

 ――瘧のような強張りを余儀なくされた唇から、言葉が漏れた。

 

「お……母さん……?」

 

 打ち付けるようだった雨は、いつの間にか止み始めていたようだった。それでも、雲間から、月の光はのぞかない。

 

 

 

 身体を支えていたカリヨンの手を振り払い、テフェリーはつんのめりながらも物陰から飛び出した。そして士郎たち三人の動向を窺うこともなく、鋼糸で鞘の身体を自分の下に引き寄せた。

 

 その身体を抱きとめる。テフェリーの腕のかなで微動だにしない鞘。ただ、浅い、ほんの微かな呼吸だけが響く、触れ合うほどに近いテフェリーの耳に届く。ふいごのようなそれは次第に鳴り止もうとしている。

 

 鞘の身体はいたるところから出血しているらしく、降り注ぐ雨がコンクリート張りの地面を真っ赤に染めていく。その傷のひどさを物語っている。――どう見ても、もう時間は残っていない。だから、どうしなければならないかがわからなくても、待ってはくれないから、どうにかしなくてはならない。どうにか。

 

「お、おい、鞘」

 

 後ろからカリヨンが声を賭けた。呼び水となったのか、テフェリーはボソリ、と、

 

「……あなた、誰なの?」

 

 そして一瞬、僅かに震え、開かれた黒い瞳が見上げるようにテフェリーを見て、微笑んだ。

 

「キレイ……な、目……」

 

「……おかあ……さん……な、の?」

 

「テフェリー。……私の、テフェリー。わ、たしたち、の……だい、じな……」

 

 テフェリーは訳も解からず鞘の身体を抱きしめた。わけがわからなかった。何も理解できなかった。だから抱きしめた。温かった。放したくなかった。

 

 

 士郎はその場に闖入してきた二人を見止め、そこに駆け寄ろうとする。カリヨンは思わず前に出て、それを制していた。

 

「待って!」

 

「――ッ」

 

「お願いだよ。待って……くれ、もう終わりだ、何も出来ないよ。だから……」

 

 その声に躊躇する士郎だったが、しかし背後からセイバーが唸るような声を上げた。

 

「まだですっ! シロウ、油断しては駄目だ。その女には、まだ何かがある。まだ、何かの秘密が!」

 

 そうは言うものの、セイバーはもはや立つこともおぼつかない。そのセイバーに魔力を供給する筈の凛自身も先ほどの令呪使用で余力などないのは火を見るより明らかだ。セイバーの身体を支えるだけで精一杯といったところだ。

 

「それを知りえるまで、楽観することは出来ません!」

 

 士郎は背中でその言葉を受け止め、陰陽の双剣を投影した。今まともに戦闘が出来るのは彼だけだ。本意ではないがこれが事態の収拾だというのなら、おろそかにすることは出来ない。兎角――、

 

「どいてくれ」

 

 確固とした声に、しかし退くものはない。カリヨンとて、何かを知りえているわけではない。キャスターを刺し、己を殺そうとした鞘を信じていいのかどうかもわからない。

 

 だがそんなことはどうでも良かったのかもしれない。ただ、テフェリーがそう望んでいると思ったのだ。だから、彼はここを制さなければならないのだ。今度こそ、彼女の願いを聞きとどけなければならない。

 

 今度こそ。「大丈夫だ」と繰り返した、あの日の言葉をうそにしてしまわないように。

 

 そう思うと、張り詰めた意思が漲るような駆動となって五体に満ちていくのを感じることが出来た。

 

 対峙する少年の手に、己が手にするものと同じ双剣が出現するのを見て、すでに大抵の怪異には慣れ親しんできた感のある衛宮士郎も凝然と瞠目せざるを得なかった。

 

 未だ魔術師として見習いの域を脱していない彼ではあるが、しかしその彼が唯一の得手とするのがこの投影魔術である。得手どころか、本来彼以外には不可能である領域まで特化されたその魔術はほぼ彼の異能とも呼ぶべき特性にまで昇華している。

 

 シロウの驚愕は己の特性が唯一無二の例外であることを知るが故なのだ。 

 

 しかし彼の推察が事の根幹にまで届かないのも無理からぬことである。その特異性こそがこの怪異を可能としている要因なのだ。カリヨンの異能は他者の特出した特異能力を感じ取り、解析し、それに同調して同じ能力を複写、または編集複合して使用するものなのである。

 

 いかに簡易的であれ、誰にでも使える魔術はカリヨンの異能によって特異性とはみなされず、逆にそれが奇跡と呼ばれるレベルの能力であっても、それが何かに特化した機能ならば問題なく複写することが可能なのだ。

 

「〝憶え〟させてもらったよ。……お願いだ。少しでいい。待ってくれ……」

 

 睨み合う両者。

 

「少しでいいんだ……あと、少し……」

 

 そのとき、銀色の閃光を纏い、一孤の影が舞い降りた。

 

 抱きあう二人の母子に向けられた鋼の牙が光り輝いた。ダイヤモンドコーティングの特殊警棒だった。

 

「オ――オオオオォォォ!」

 

 もはや半ば以上が剥げ落ちたアミュレットのスケイルアーマーは既に穏行の役目を果たしては居らず、怒号を撒いて姿を現したのは、DDと呼ばれたあの怪人であった。

 

 士郎は咄嗟のことに挙動の機を奪われて立ち竦んだ。罅割れた鏡面の亀裂が、苦悶に刻まれた苦悩の皺の如く数を増した。鬼面。面の上にまで浮かび、滲み出てきたかのような鬼の相だ。

 

 飛沫を上げながら振るわれた牙はしかし、虚空で止められた。

 

 カリヨンだ。気が付けば、目にも留まらぬ豪速で刃の軌道に割り込んでいた。考えたわけではない、ただ、体が動いていたのだ。勝てる理由など何処を探しても思いつかない。まるで考え付かない。それでも、今の彼にこの二人を見殺しにしていい論理など存在していない。

 

 ならば、勝てるかどうかの思案など時間の無駄でしかない。

 

 ところが、案に反して敵の動きは精彩を欠いていた。なにがあったのかは知らないが、これなら敵の動きを置物の如く観察することだって可能だ。カリヨンは試しに振るわれた敵の得物をその腕ごと打ち払い、それが容易だと知るや、勢いに任せて双剣での連撃を叩き込んだ。

 

 この少年の挙動は実際には瞬きほどの時間であり、一瞬、雨しぶく暗闇に振るわれたはずの白刃の軌道が、矢庭に歪んだこと以外には、誰もその過程を確認できていなかった。しかし、無論のことセイバーだけはそれを容易に見て取っていた。だから、彼女だけが、粉砕された鏡面から露になった怪人の素顔に驚愕することが出来たのだ。

 

 だがそれを、どう、言葉に出すべきなのか、セイバーは声につまった。誰に、それを、どう伝えるべきなのか。打ち倒され、仰向けに倒れた男の顔に露になった、青み掛かった翠緑と澄んだ薄茶色のオッドアイ。それを、その事実を、この場の誰に告げるべきなのだろうか。

 

「ありがとう」

 

 サヤの声だ。二人の身を案じて振り返ったカリヨンが、次の瞬間に見たものは、抱きとめたテフェリー背に、サヤが魔剣の柄を突きたてていた光景であった。それがキャスターの姿と重なって、思わず、カリヨンは悲鳴にもならないような、声にならない粗雑な音を喉から漏らした。

 

 その、刃に貫かれ限界まで仰け反りかえったテフェリーのしなやかな背中越しに見る鞘の瞳。なんて優しく、穏やかで――そして歪みきった悪意の喜悦は滲み出した金濁色の光を伴ってたおやかに歪み、捻れた獣の笑み。

 

 ――だめだ、だめだ、だめだ。

 

 咄嗟にカリヨンは手を伸ばした。しかし、取ろうとしたテフェリーの銀色の腕は彼の手の中で融解して混ざり合うかのように流れて、滅形した。

 

 悲鳴はカリヨンのものだったのか。それとも。

 

 サヤは突如として、全身の力が消失したかのようにテフェリーの足許に崩れ伏した。

 

 そして、ひとり立ち上がったテフェリーは項垂れるかのようにダラリ、と背を丸めていた。すると、ちょうどその背の頂点に脊髄に沿うような形でつきたてられていた黄金の柄が、幾重もの金光の筋となって、まるで後光か、輝く翼のように変じ始めたのだ。同時に銀色だった四肢は解きほぐされて同様に金の流動となり、漆黒の黒銀色だった髪までもが煌びやかな黄金に染まり始めた。

 

 それはまるで蛹から金の翅を持つ蝶が羽化するかのごとき光景を思わせた。

 

 蝶は項垂れていた頭を、仰ぐように未だ濃い灰色の空へと向けた。見開かれた双眸は薄いエメラルドとブラウンから奈落のような濃紺色と血のごとき真紅へと変わっていった。

 

 ソレは体中から湧き出るかのような黄金色の触手ではるかな虚空へと立ち上がった。それはそばで呆然と膝をつくカリヨンには見向きもせず、脱ぎ捨てられた蛹のように己の足許に伏せる鞘の身体を睥睨するかのように見おろした。

 

 黄金の天衣へと編みこまれた金の糸を纏いながら、それはすでに人のそれを模倣することもない手で、鞘の身体の中から、一本のエメラルドの石柱のようなものを抜き出した。

 

「あれは……あれが「宝典」? あんなところにあったなんて……」

 

 声は凛のものだ。なるほどよく見れば材質こそ不明ではあるが確かに一種の巻物のような形にも見える。その声はこの場の誰にも届いてはいなかったが。それでもそこに居た全員が大なり小なりの真実をそれぞれに予期し始めていた。そしておそらくは、それがそれぞれに思い描いた最悪の事態に他ならないことは、もう疑いようがなかった。

 

 うっそりと、色味を増した二色の視線でカリヨンを舐めた金の蝶は、その場に居た総ての傍観者にそれぞれ視線を送り、それでまた虚空を仰いだ。

 

 その間、動くものはいなかった。

 

 《《それ》》はゆっくりと総身から伸びる糸を羽ばたかせるように振り上げると、

 

『魔剣――雨』

 

 そんな、言葉を吐いた。瞬間、夕立のような金の斜線がジグザグに天空から舞い降りた。

 

 それまで皆の足場であった筈の港が、消失した。降り注いだ死の雨は海をも切り刻み、辺り一帯を粉砕したのだ。まるで砂像でも壊すかのように。

 

「士郎!」

 

 声は凛のものだ。セイバーは彼女を連れて離脱するので精一杯であり、士郎は瓦礫の山と化した港の末端で、身体の半ばまでをも海に沈めていた。出血がひどく、それが海の色を淡く染めているのが見えた。まだ生きてはいるようだが、このままでは危険であった。

 

「凛! いけない」

 

 セイバーの制止も聞かず、凛は士郎のもとへと駆け寄っていた。セイバーはすぐに二人を背に負う形でその金色の異形に相対した。

 

 カリヨンは何とかその破壊を免れていた。今まで吸収した異能が複合され、今の彼に驚異的な回避能力をもたらしていたのだ。しかし、カリヨンはただ呆然としていた。そうするしかなかった。

 

 彼には何ひとつ理解できることがなかった。今彼らを攻撃したのは、姿こそ違えども、間違いなくテフェリーだというのに。

 

 彼は何も考えれなかった。何も出来なかった。ただ、咄嗟に拾い上げた、もはや糸の切れた人形のような鞘のからだを強く抱いていた。

 

 金の蝶の視線はしかしカリヨンにも、セイバーや凛にも向いていなかった。その目は今の刃の雨に穿たれ、伏しているD・Dに向けられている。

 

 そしていきなり高らかな笑い声が響きわたった。

 

「アハハハハハハハハハハッ!」

 

 するとその金の蝶は、一気に四肢の金糸を編み上げ、さらには背中から伸びた幾千万もの新たなる金刃で邪魔な衣服を切り裂き新たな外装と成して纏った。さながら、天衣を纏う天使のそれを思わせる神々しいまでの姿であった。

 

 人の形態を模倣したそれは黄金細工の如き手を腰に当て、溜息を吐いてうずくまった男に語りかける。

 

「よく来たなセルゲイ! いーや、よく来てくれたな!」

 

 D・Dは応えない。それを傍観しながら、カリヨンは蚊の鳴くような声を漏らした。

 

「お前は、お前はなん……なんだ……」

 

 まるで爬虫かなにかのようにその首がギョロリと反転した。黒紅の双眼が、立ち竦むカリヨンを無味乾燥な視線で見据え、次いで道化人形のような過剰な笑みを湛えた。

 

「我こそは魔剣・兇器特権(テュルフィング)! 名にしおう、この世に名だたる魔剣の祖よ!!」

 

 明かされた真名。狂気のインテリジェンス・ソード。魂を得た魔剣。それがこのサーヴァントの正体であったのだ。

 

 あまりにも見るに耐えないその変貌振りに、カリヨンはそれを直視することができなかった。

 

 もう何もわからないなどという言い訳は、己に通じなかった。過程は知らずともすでに結果は火を見るよりも明らかだった。

 

「魔剣……、剣のサーヴァント。そういうことだったか」

 

 セイバーの声に、金の裾を翻すようにして向き直った魔剣は鷹揚な視線で刺すようなセイバーのそれを受け止める。

 

「その通りだ。英霊アルトリア。私こそがこの聖杯戦争における剣の英霊(セイバー)だ。――――もっとも、私は召喚などされていないがな。もとより抑止の輪になど納まるつもりはない」

 

「何?」

 

「わからないか? この儀式は私が復活し、完全なものになるための余興に過ぎないのだよ」

 

 セイバーは怒気を孕んだ声を漏らす。

 

「貴様――、英霊をなんだと思っている!」

 

「決まっている。人間は魔剣(わたし)の玩具で、英雄は魔剣(わたし)の作品だ」

 

「――ッ!」

 

 言うや否や、剣を執って駆け出そうとしたセイバーだったが、その刹那に閃いた三条の金糸に吹き飛ばされた。

 

「セイバーッ」

 

 士郎を助け起こしていた凛も声を上げる。もはやセイバーには闘う余力など残っていない。それはマスターである彼女が一番よく解っている。今や街を覆っていたノイズは消え去り、セイバーとのパスも正常に機能しているのだ。

 

「退いていろ、騎士王。もはや死に損ないのキサマに用などない」

 

 動かなくなったセイバーから視線を切った金糸の蝶は、次いで眼下に蹲る死に体の男へ秋波を送る。そして金に染まった己の髪を掬い、うっとりと眼を細めながら独り言のように語り始めた。

 

「それにしてもすばらしい身体、そしてすばらしい異能だ。「受容」とでも言うのかな、外界から要求される、あらゆる変化を受け入れてそれに無理なく適応できる能力。ふふ、どうだ。四つもの欠片とサーヴァントを受け入れてなおそれを十全に制御してみせている。いいぞ、これならば残りの三つもあわせ私が完全に再生するにも申し分のない素体となるだろう」

 

 金の化生は再び躯の如く地に伏せるだけの男へ向き直った。

 

「解かるか? 既に聖杯戦争などという張子の儀式は必要ない。七騎の英霊は総て我が欠片の内に納まった。後はそれを集めるだけだ。王手(チェック・メイト)だよセルゲイ。この十七年、貴様とのチェスはなかなかの余興だった……しかしそれも終わりだ。さっさと()()をよこせ」

 

 素顔をさらした怪人は顔を上げる。そこには見おろしてくる二色の視線と対になるような双瞳があった。すでに躯と思われた男は声を上げた。まるで命を絞り出すような灼熱の怒声であった。この男が何年もの間、己の肺腑の内に秘め続けた想いの吐露であるかのようであった。

 

「余興だと? 遊びだと! ふざけるなよッ魔剣。そんなことのために……」

 

「何のことだ? ああ、そういえば前の身体も今のこの身体も貴様にとっては……フフッ、心中察し申し上げる。さぞお辛かろう」

 

 完全なる肉の身体を得た魔剣は笑う。魔剣を見上げるその男の瞳には見間違えるはずもないグリーンとブラウンの神秘的な色が浮かんでいる。

 

 カリヨンは蒼白になった顔から、あらゆる情をそぎ落とし、ただ呆然と鞘を抱いて座り込んでいた。もう、一歩も動ける気がしなかった。カリヨンは抜け殻になった鞘の身体を抱いて、あとは何も出来ない。

 

 鞘は生きている、今にも潰えそうなその鼓動を感じながら、カリヨンはなにも出来ない。ただ、鞘の虚ろな口腔から、聞こえてきたいつもの鼻歌が、聞こえてきたような気がしていた。

 

 自分は、気がおかしくなってしまったのだろうか。これは悪夢か何かなのだろうか。それとも――。

 

「さて、どうしよう。まぁ? ()()()()でもなし、ここでその苦しみを終わらせてやるのも慈悲やもしれぬしなぁ……ッ!」

 

 しかし、ここで、魔剣は何かに気付いたかのようにびくりとその挙動を制動させた。そしてその全身に瘧のような蠕動が波打ち、金の四肢に伝播した。

 

「――――貴様! 欠片ヲ何処にやったァッッ?!」

 

「さて――なッ」

 

 次の瞬間、牙を向いた魔剣に、もはや動くことすら叶わぬと思われた男は飛びかかっていた。先に見せていた洗練された動きではなく、もはや瀕死の獣を想わせる泥臭い動きで、ただ、完全に虚を突いた奇襲を仕掛ける。

 

 ――が、それはあまりにも無謀な行為であった。瞬間虚空に舞い狂った金線の刃が乱れ狂い、男の体躯をズタズタに引き裂いた。

 

「――ふん、まあいい、今はキャスターの分だけでも回収しておこうか」

 

 鼻を鳴らした魔剣の刃はカリヨンとサヤのほうへと向き直った。まるで鎌首をもたげる幾多の蛇のようであった。

 

「――あ、――う、」

 

 金の蛇が胴を揺らして薙いだ。サヤを抱いたままでは動けす、カリヨンは吹き飛ばされた。いや、もしもサヤがいなくても、彼にとり得る防衛手段はなかったであろう。

 

 投げ出された鞘の体が瓦礫の間に落ちる。逃げることも出来ないカリヨンはそれでもそれを追って瓦礫の間もぞもぞと這っている。魔剣はその様を被虐の愉悦と共に見据える。そして今度こそ決殺の一撃を見舞わんと数百にまで頭数を増やした金糸の刃を見舞おうとした。――しかし空をも裂くはずだった魔剣の動きが、矢庭に泳ぐかの如き鈍重なものへ滞り、ついには停止した。

 

「――ッ!?」

 

静止もたらす白亜の吐息(ドゥルガー)

 

 何も無かったはずの空間から一枚の白布が閃き、花開く花弁のようにめくれ上がる。すると、そこからモノトーンの影が姿を現した。キャスターだった。その装いは整えられていたが、しかしその存在感はひどく希薄で、その身体が既に消滅しかかっていることは火を見るより明らかだった。

 

 キャスターは無言のまま、手にしていた最後の武装であるはずの白布を一匹のトラのような異形の獣へと変じさせた。異様に大きいな頭の奇怪な騎獣であった。そのことさらに巨大な皿のような眼が、ギョロリと動き、欄と輝いてカリヨンを見据えた。

 

「キャ、キャスター……」

 

 騎獣を前にして見上げてくるカリヨンにキャスターは何も言わず、ただ優しげに笑って、カリヨンを抱きしめた。あの夜のように、そっと、それでも決して放してしまわないように。

 

「サヤが……」

 

「……」

 

 キャスターは何よりも大事そうにその頬をなで、また何も言わずに笑顔を見せる。不意に、カリヨンの意識が現実から遠ざかった。昏睡の魔術だ。

 

「……! キャスターッ……駄目だ……」

 

 気付いたカリヨンは咄嗟に抗おうとしたがすでに時遅く、言葉が徐々に擦れていく。

 

「マスター、どうか―――――」

 

 なんと言っているのかわからない。夢現に聞くキャスターの声は次第に遠ざかって……もう意識が虚ろだった。

 

 呟いたキャスターは、眠りについたカリヨンを乗せた騎獣をセイバーの元に向かわせる。

 

 それに身構えたセイバーだが、騎獣は主にひれ伏すが如くその背を差し出した。キャスターの声が響く。

 

「セイバー、あなたなら駆れるはず。この場は私が何とかしましょう……無粋な頼みですが、マスターのことを頼みます」

 

 交渉の席でのキャスターの言葉を思い出す。セイバーはその忠義の形を是と判じた。

 

「……承知した」

 

 セイバーは凛と共に士郎を騎獣にのせ、内陸に向けて走り去った。どの道それ以外の手段はセイバーにも残されていなかった。

 

 キャスターは満足そうにそれを眺め、しばし空を仰いでいた。 

 

「――――で? これからどうするつもりなのだ? そもそも、貴様……心臓を貫かれてなぜ、生きている?」 

 

 その嘲るような魔剣の声に向き直ったキャスターは、まず、さも呆れたような溜息を返した。

 

「先ほどはどうも」

 

「――ハッ! 何を言っている? 言い掛かりはよしてくれ、刺したのは()()()だろう?」

 

 キャスターの憮然とした声に、魔剣は細い顎先で瓦礫に伏せる鞘を指し示す。

 

 それを見たキャスターは魔剣に背を向けた。しかし行動を縛られた魔剣は動けなかった。

 

 魔剣は臍をかむ。これはキャスターの第二の宝具の効力だった。

 

 右腕のホワイトマジック。『静止もたらす白亜の吐息(ドゥルガー)』その白亜の右腕がもたらす効果である。

 

 キャスターの漆黒の左腕。左腕のブラックマジック『流転もたらす闇夜の吐息(カーリー)』は殺意や敵意、害意などを時間ごと流転させその標的を書き換えてしまうものであったが、この白亜の右腕が操るのもまた負の概念である。

 

 ただし、この右腕は死や怪我、穢れや敵といった総ての負の概念を「流転」ではなく「制止」出来るのであった。

 

 キャスターはゴミのように投げ出されていた鞘の身体を抱き上げ、顔についた泥や煤を丁寧に拭いて、近くの木陰にその遺骸をそっと横たえた。

 

「いいえ、鞘が狙いを外してくれたのです。やったのは貴方でしょう『魔剣』」

 

 背を向けて身を屈めたままのキャスターから不意に鉛のような重みのある声が響いた。

 

「――ッ」

 

 心臓への直撃を外れていたとはいえ、致命の傷を負ったはずのキャスター自身が未だ動き回っていられるのもこの宝具のおかげであったのだ。今もまた生者を傷付けることの可能な凶器そのものを負の概念と見なして金の化生の五体総てを拘束しているのであった。

 

 しかし次に発したキャスターの言葉は一転して軽い声音だった。逆にそれが恐ろしい含みを持って響き渡る。

 

「まったく。――よくもやってくれたものですね。最初から全部貴方のための貴方によるひとり芝居だったとは……英霊一同を代表して言わせていただきますが、はた迷惑以外の何物でもないですよ」

 

 怒りに満ちていた魔剣の気配がやおら一転して嘲るような笑いに変わる。

 

「ぬかせ、キャスター。そうとも、総てこの私が仕組んだことだ。最初から、総て、私のための即興芸術だ。面白かっただろう、魔女よ。それが解かっているなら無駄に抵抗などせず、おとなしく我が滋養となるがいい。貴様にできることなど、もう幾らも有りはしないのだからな」

 

「……確かに、そうかもしれませんね」

 

 殺気を纏った魔剣に対してキャスターは身構えようとした。しかし、その脚はふらついて定まらない。宝具での制止もままならず、魔剣は再び自由を取り戻しかけている。キャスターの第二の宝具、悪の概念を静止させる白き右腕『ドゥルガー』によってその挙動を丸ごと封じられていた魔剣だが、それも長くは続かないのは解っていたことだ。

 

 この宝具の欠点はそれだけでは敵を倒すことは出来ず、そして使用すればするほど魔力を消費し続けるということにある。

 

 そうでなくとも、今のキャスターには時間など残ってはいない。このままただ待つだけでも、キャスターがこの宝具を維持できなくなったらそれで終わりだ。

 

「……無駄だ。やめておけ、いくら心臓を外していても、もう現界することもままなるまい。大人しく消えるがいい。それともキャスター。おまえが消える前に何か余興でも用意してあるのかな?」

 

 嘲るような声が続く。キャスターは口腔から血の筋を垂らして空を仰いだ。魔剣の予測は概ね正しい。キャスターというサーヴァントがここから魔剣に勝利する可能性は絶無といっていい。

 

 しかし。――だがしかし。まだ、この身体に残っているものがある。出し切っていない蟠りがある。伝え切れていない思いがあるのだ。このまま消え去るわけにはいかない。せめて、母として、人として己が望んだ誓いだけは果たさねばならなかった。

 

 だからこそ、この場は譲れない!

 

 〝鞘が、私のように、いつまでも自分を責め続けなくて良いように〟そのために、たとえ、いかなる禁忌の手段に訴えてでも――

 

「では……こんな余興はどうです?」

 

 キャスターは憂いるような笑いを浮かべ、何かを取り出した。それは奇異な仮面だった。それも決して煌びやかなものではない、醜い魔物の顔を写し取ったかのような、おどろおどろしく奇怪で恐ろしい形相の仮面だった。

 

 いかにも魔術師が持っている品らしいとは思えたが、しかしそれがなんだというのだろうか。あれがキャスターの三つ目の宝具だというなら話もわかるが、あの面には殆ど魔力など通ってはいない。とてもこの場で示すべき切り札だとは思えない。

 

 訝る魔剣の前で、キャスターはその仮面を顔の前にかざす。

 

「『奇皇大舞面(ランダ・トペン・ランダ)』。――しばし、付き合ってもらいましょうか、魔剣」

 

 するとその仮面の向こう側でモノトーンの両腕を除く全身の白と黒とが突如として反転した。ねじれゆがみ始めた身体の、逆巻く髪の、そして肥大化する眼球の白と黒とが反転したのだ。その仮面の向こうで、その女の存在が、まったくの別種のものに変わっていく。

 

 しなやかだった身体のラインはごわつき、歪に溶け崩れ始めている。そのモノトーンの身体の配色が反転した。黒の瞳は白く、白かった眼球は逆に黒く。艶やかだった黒髪は逆巻くような白髪となり、ささくれ立つような身体は爆発したかの如く膨れ上がり始めた。

 

「――薄闇の仮面劇(バロン・ダンス)にね」

 

 そう。たとえ人としての根幹を失ってでも、この誓いは破れない。たとえ、人としての総てを失ったとしても――――。

 

 

 

 白亜の獣の背に揺られながら、薄れ行く意識の中でカリヨンは思いつづけていた。

 

 同じだ。あの時と同じだ。僕は何も変わってなんかいなかった。

 

「ぼ……くは、……僕……は……ずっと、いいたかった……ことが……あるんだ……いわなくちゃって……ずっと、思って……」

 

 どうやって、どうやって謝ったらテフェリーが笑ってくるかなって、どうしたら許してくれるかなって……ずっと考えて、――…………

 

 誰が聴いているはずもない声が、ただ己の中でのみ、致命的な響きを持って木霊していく。それは間違うことなき、死にいたる病のしらべであった。

 

 ただ、恐ろしかった。よみがえった恐怖が彼の体中を支配していた。どうしようもなく苦しかった。泣くことも出来ずに、枯れた喉で声にならない悲鳴を呟き続けていた。

 

 ただひとつ、鞘の残した、鼻歌のリズムだけが耳に残っていた。カリヨンは聞きなれたその音色にすがろうとしたが、それすらもが次第に薄れていった。次第に世界の総てにエコーが掛かり、少年の耳には幾重にも雑音が反響するだけとなった。

 

 そのうちに全ての音が意味を失い。いつしか消え入るような掠れた残り音(サイレント・ノイズ)だけがいつまでも頭の中で残響を繰り返していた。そして闇の胞衣(えな)に包まれた少年の意識はついにはとぎれ、意味を成さぬ破片となって崩れ去っっていった。

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。