Fate/after Silent Noise (フェイト/アフター サイレント・ノイズ)   作:どっこちゃん

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一章 過加速「ディーン・ドライブ」-4

 その日の陰りは異様なまでに速かった。

 

 陽光は夕焼けを待つまでもなく紫色に変わり、すぐに街を暗青色の帳で包み込んでしまった。

 

 地方都市のイルミネーションは大都市のそれとは比べるべくもないが、それでもその輝きはいつもなら日の翳った街にそれなりの賑わいを齎してくれるはずだった。

 

 しかし今宵の冬木は様子が違った。繁華街にも人影は少なく、まるで海の底のように静まり返っている。誰もが貝の用に押し黙り、そそくさと家路を急いでいた。

 

 誰もが声に出さずとも感じ取っているのだ。こんな夜は出歩いてはならないと、この街のいたるところに刻まれ、残されていた惨劇の記憶。物に記憶が残るように、街もそれ自体が過去の出来事を記憶している。

 

 日常からそれらに触れ、慣れ親しんでいた住人たちは己の意志とは無関係なところで本能的な防衛行動へと追いやられていたのだった。

 

 ――その影は深海を想わせるほどに静まった路傍の陰影の中を、居並ぶビル群の隙間から齎された月光の恩恵すら拒むかのようにして、薄闇からより深き暗がりへと、ひたすらに澱んだ陰りを求めて疾走していた。

 

 もはや人とは思えぬ身のこなしであったが、その影は確かに人の形にみえた。

 

 それはきわめて異様な風体の男であった。

 

 男の名は誰も知らない。ただ、彼を天敵と呼び恐れるサンガールの血族だけは、その狩人を通称D・Dとだけ呼称していた。

 

 その男には色がなかった。その屈強な総身をあますことなくモザイクが覆っている。

それは鱗であった。男が身に纏う外套、その下のボディ・アーマーにいたるまでの表面を無数の鱗片が不規則な配列で覆っている。 

 

 その鱗片の一つ一つがそれぞれに別の色のグレーによどんでいる。まるで周囲の光を侵食して取り込んでいるように見えるのだ。

 

 それがまるで保護色のように薄闇の中で光を鋳潰しながら、男の輪郭をぼやかせていた。

 

 加えてその面相もまた窺い知ることはできなかった。その顔は奇異なる仮面によって秘されていたのだ。

 

 しかし異様な仮面であった。面以外の部分、側頭部や後頭部はその他の部分と同じように大小さまざまの鱗片がスケイル・アーマーの如く覆い隠しているのだが、その面だけは趣が違った。否、それを面と読んでいいものか。

 

 その造詣には凹みがなかった。まるで鏡をおもわせる磨き上げられたなだらかな凸面だけが細った月の如くそこに張り付いているのだ。

 

 奔る。常人の目にはその残像すら捉えられぬほどの俊足を持って夜を翔ける。その速度だけで、この怪人が条理の外を歩む者なのだということが容易に窺い知れた。

 

 しかしそこで男は唐突に立ち止まった。感じたからだ。確かに――なにかを。

 

 辺りには何者の影もない。見えず、聞こえず、匂わない。しかし、確実に何かがいる。

 

 肌がざわめき、皮下にへばりつくような奇怪な感覚だけが渦を巻いて総身を駆け巡った。

 

 しかし、男には動揺もなければ焦りもしない。今この地に足を踏み入れるなら予期して当然の事態だ。この街は、この夜は、既にまぎれもない死地に他ならないのだから。

 

 懐で、鞘込めのまま携帯していた短剣が奇怪な振動によって不可解な鳴動を上げ始める。まるで危険が迫っている事を担い手に知らせようとするかのように。

 

 それが呼び水となり、敵の姿を視認する前から男の中で迎撃の態勢が整っていく――。

そのとき、確かに感じ取っていたそのなにかを捉えていた感覚が直覚から別の感覚へとシフトした。

 

 音。聴覚だ。

 

 静かに鳴り響く短剣の調(しらべ)とは異質な、そして聞き逃すにはあまりにも奇怪な響き。

 

 それは靴音だった。固い上質な靴底が石畳を軽快に踏み叩くような澄んだ残響。奇怪なのはその甲高い響きがただの一度だけしか聞こえないことだ。

 

 モザイクの男は、総ての感覚を総動員してそれを探す。捉えたのはまたもや聴覚。

 

「――――ッ!」

 

 不意に押し殺すような笑い声が沸き起こった。それは男の足許から聞こえてきている。

 

 (そぞ)ろに動き回る無数の気配が、彼を取り囲んでいた。明らかに人のものではない。

 

 しかも、いるのは一人や二人ではない。声は子供がはしゃぐような笑いではなく、仕事を終えた工夫たちが盛り場で噂話でもしているような喧騒さえ感じ取れる。しかし足許には無論そのような影などあろうはずもない。

 

 次いで感じ取ったのは殺気。男が足許の笑い声に気を取られた数瞬の後、豪雨の如く頭上から降り注いだのは、風切り音ととも舞い降りたの流星の群れ。

 

 先ほどの疾風の如き走駆でさえ、この怪人にとっては児戯にすぎなかったというのか。その加速性能はミサイルの雨をおもわせる魔弾の雨を舞い散る木の葉でも見送るかのように完全に回避していた。

 

 魔弾の雨に穿たれたアスファルトは爆ぜたように穴を穿たれ、捲り上げられたように破砕されていた。

 

 男の視線はアスファルトに穿たれた穴の中心に注がれる。その魔弾の核となったであろうそれを見止め、くぐもったような声をあげた。

 

「これは……っ!」 

 

 アスファルトを抉り取り、深々と突き刺さっていたのはなんとも頼りなさげな木の枝であった。今摘み取られたかのように瑞々しい、その小枝はケルト、及び北欧の魔術における触媒として多用される奇生木(やどりぎ)の小枝であった。

 

 推察(プロファイル)を完了する材料はそれだけで充分だった。相手は魔術師。しかもその技量は一流――もしくはそれ以上!

 

「――良い夜じゃのう。こんなときは月に見とれて寄り道してみるのもいいものじゃ。思いがけず幸運を拾うこともあるのでな」

 

 豹の如く周囲に意識を張り巡らしていた男の完全な死角から、老獪な声は語る。闇間から姿を現したのはまるで総身に裏打したかのような厳格さと優雅さを随所に覗かせた紳士であった。

 

 その姿勢、その立ち振る舞いには声の老獪さから察する老いなど微塵も感じさせていない。手には捩れた樫材の杖を持ち、漆黒の外套を纏いて深々と帽子をかぶったその様はまさしく老練の魔術師と呼ぶに相応しい。

 

 男が驚愕したように声を荒げた。

 

「――ワイアッド・ワーロックッ!」

 

「ほほう、ワシを知っとる……か。さてこんな無礼者の知り合いがいただろうかのぅ――(おもて)を見せい!」

 

 再度射出されるヤドリギの矢。その一連の動きには何の予備動作もありはしなかった。

 

 矢は夜気を裂くほどの魔力の筋を残し、空を切った。

 それは男の鏡のような仮面に擦過して、その鏡のような仮面を弾き飛ばす。男が銃火器の正射すら目視してからそれを躱せる程の体術を持っていたことを考慮するなら、ただそれだけの初等魔術がどれほど高密度な魔力と卓越した魔術式によって組まれているのか、その手練が窺えたであろう。

 

 男はまたくぐもったような声を漏らし、ついで思い出したかのように怨嗟の声を張り上げた。

 

「――貴様ッ!」

 

 それを見た老魔術師――ワイアッド・ワーロックも暫し口を噤んだ。しかし年代物の色眼鏡と唾広の帽子が作り出す陰翳のせいでその表情はようとして窺いしれない。

 

「……なるほど、知った顔のようじゃな。……貴様、なぜこんな場所におるのだ」

 

「――アサシン。先に行け」

 

 男は問いかけを無視して己がサーヴァントに指示を下した。その声に応えることなく、老紳士の背後、闇にぼやけた影の中で隙を窺うかのように蠢いていた無色の気配がそっと擦れて消えるかのように遠ざかっていく。

 

 無論、とっくにそれを看破していた老紳士はなんの斟酌もなくそれを見送った。しかしその気配には幾許かの懐疑の念が混じる。

 

 確かに殺気立つ敵を前にしながら己がサーヴァントと別行動をとるというのは正気の沙汰とは思えぬ判断であったが、ともかくこの怪人には優先すべきことがあったのだ。

今現在、目指す海上の一所にはサンガールの後継者たちと、そしてあの怨敵が、今はテーザー・マクガフィンと名乗るあいつが、すぐ手の届く範囲にいるのだ。

 

 一網打尽できるとまでは考えていななかったが、ともかく奴の寝床だけでも知らなければならない。

 

 無論、彼がサーヴァントを自衛のためではなく本来の目的を優先させるため手放したことも、単なる暴挙ではない。 

 

 おそらくこの儀式に呼ばれたゲストというのがこの因縁浅からぬ魔術師、ワイアッド・ワーロックなのはこの状況から確定だ。それが何故この儀式に参加しているかは慮外であったが、この場合はそこに言及している場合ではない。

 

 だが、それゆえにこの敵の思考や行動にはある程度の予測が立てられる。この怨敵はなぜか現在サーヴァントを伴ってはいない。たとえ霊体化していたとしても、この距離で完全にその気配を遮断できるサーヴァントは彼のサーヴァントであるアサシンのみ、ゆえに、ワイアッドが己の英霊を呼ぶには令呪を使用して遠方にいるはずのサーヴァントを強制召喚しなくてはならない。

 

 この老紳士が貴重な令呪をそのようなこと――つまり彼我の戦闘――に使用するほど無謀な性だとは思えないということ。

 

 何よりも、彼は別段この敵を倒す必要などなく、そしてサーヴァントに依らずとも眼前の敵から逃げおおせるだけの算段が既についていた。

 

 敵が守りの要たるサーヴァントを手放したことをどうとったのか、沈黙する怪人を眼下に見下ろしながら、老紳士は語りかける。

 

「――さて、なぜここにいるか、諸々のことはさて置くとして。サーヴァントを連れとった以上は貴様もこの儀式に関っとるのは間違いないようじゃな。と、なればわしもマスターとして貴様を見逃す手は無い、ということになるのう……」

 

 マスターがマスターを殺す。それがこの聖杯戦争という儀式である。しかし、互いをマスターと確認しあう以前から、彼等は互いを敵だと認識していたのではなかったか。

それは今しがた互いの素性を知り合ったときからでも無く、それよりも遥か以前からこの二人の男たちは互いを明確な敵だと判じていたのではなかったか。

 

 とかく、この両者がいかなる縁にて相通ずる間柄なのかは、いくらこの場で両者の文言を斟酌したところで決して推し量れるものではないだろう。

 

 何よりも、それはこれより幾許の間、彼らを包囲し、いざなうであろう殺戮と戦闘の予感には全く関係のない事柄なのは確かであった。

 

 ――これ以上の問答は不要。モザイクの男はそう判じ、外套の下で得物の冷たい感触に手を伸ばした。確かに予期せぬ誤算ではあったが、こんなことで時間を無駄にしている暇はないのだ。

 

 たとえ何者であろうとも邪魔だけはさせない。そう、たとえ、それが何者であろうとも。

 

「――参る」

 

 雲間からのぞいていた月光が群雲に覆い隠された刹那、不意の暗闇の中で老紳士の放ったその厳かな声音に、色の無い男の無声の音波が重なった。

 

 それ以上の言葉は紡がれることなく、今宵この冬木において二度目の殺し合いがその幕を開いた。

 


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