Fate/after Silent Noise (フェイト/アフター サイレント・ノイズ)   作:どっこちゃん

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四章 灰眼創者「ダーク・クリエイター」-4

 見れば、満天の空には異様なほどの星が瞬いていた。人里で見上げるそれとは明らかに様相が異なる。

 

 うねる漆黒の高嶺が、辺り一面に戦慄きながら飛沫を散らしている。そこは見渡す限りを黒い波濤に囲まれた、海原の只中であったのだ。

 

 そこに、その水面上に、肌を切るような旋風をものともせず一筋の白波の軌跡を残しながら疾走していくひとつの人影があった。

 

 無論、余人に成し得る芸当ではない。それを成し得るのは、幾多の怪異が蔓延るこの冬木の地にあってもただ一人、彼の湖の乙女に加護を授かりし稀代の騎士王を置いて他にあろうはずもない。

 

 衛宮邸から令呪によると思しき空間転位の対象になったセイバーは、次の瞬間には四方に海原を臨む、この海洋上に飛ばされていたのだった。

 

 いきなりの転位とほぼ同時の着水にも動じなかったセイバーだったが、さしもの騎士王もその場所が海洋のど真ん中だと知ると、さすがに狼狽の色は隠せなかった。

 

 咄嗟に凛の姿を探す。――が、居るわけもない。ここは四方に水平線を臨む海の上なのだ。しかしこんなことを可能とするのは、彼女のマスターである凛の令呪だけのはず。

 

 だが召喚された先に主の姿はなく、また敵の姿も見当たらない。

 

 ――予想できる可能性としては、危機が迫っていたのは凛ではなくセイバーのほうであり、それを回避させるために安全な場所に彼女を飛ばしたというのだろうか。

 

 ――否、それでは辻褄が合わない。もしそうなのだとしても、それこそ問題だ。今の衛宮邸には士郎たちを残したままなのだから。

 

 ひどく混乱しながらも、思考に先んじてセイバーの足は動いていた。現状では理解し得ない事柄が多すぎたが、兎角こんなところで呆けている場合ではない。

 

 まずは冬木の地に、主の傍に疾く馳せ参じなければならない。そう判じたセイバーは一路、主の気配――不快な霊的ノイズの向こうに感じ取れる、今にも消えそうなそれ――を頼りに山峰の如き波間を走破していたのだ。

 

 ――そしてようやく波壁と夜の帳の向こう側に、地表に飛散した星屑を思わせる人の営みの灯りを見つけたころ、波を蹴散らすようにして疾走していた筈のセイバーの足が急停止する。

 

 それは己の進行方向に、その進路を遮るかのようにして浮かび上がる、紅い光芒を見て取ったからだった。

 

 黒々とうねる波丘の彼方であろうとも、それを見つけるのは容易であった。本来なら漆黒に染まる筈の周囲の夜と海とが、赤裸々なまでに紅く染め上げられているのだ。それは寄せ返す広大な海原の上に、ピタリと静止している一隻の小船から発せられていた。

 

 だが彼女の足を縫いとめたのは、それとは別の赤光であった。その船上から発せられる、射抜き貫くかのような赤、火に比してなお紅蓮の模様を呈する()のごとき視線。

 

 それこそが、騎士王の進行を押し止めたものの正体であった。セイバーは見たのだ。サーヴァントの視力だからこそ捉えられた、遥か彼方のその敵影を。

 

 そこにあったのは、最初から彼女を待ち受けていたかのように、彫像の如く不動で佇む男の隻影。

 

 その左手には辺りを照らす赤光の光源たる炎の弓、そこに浮かび上がる剛鋼の如く引き絞られた黒陽の体躯。そしてその双眸は手にする紅蓮よりもなお荘厳たる烈赤。

 

「――アーチャー!」

 

 そのとき、すでに早鐘を打っていた鼓動が、彼女の胸の内で避けえぬ対決の予感となって乱舞し始める。

 

 

 

 

 今宵は晦日(みそか)の紛う月。連日空に舞い続けた月が、新たな再生を願いながらその役目を終え、漆黒の夜に飲まれていく刻限だ。

 

 現にいま凪いだ夜空に浮かぶ三日月は既に下弦を下回り、このまま痩せ細りながら暗い朔夜に消え行くのみの運命であった。

 

 ――しかし、見上げた月から降り注ぐ、残滓のごとき鳶色の光のなんと美しくも妖艶なことだろうか、今にも終えそうとさえ見える儚げなその光が、逆にその妙麗の細腰を一層(あでやか)に際立たせているようだった。

 

 輝ける軍神の騎馬車は、黒い夜に支配された街をゆっくりと進んでいく。漆黒の暴風の中にあって、それでもその神々しさは隠しようもない。だが人目を憚る必要は全くなかった。

 

 たしかに風の強い夜だった。住民たちは予期していなかった季節外れの嵐の到来に辟易し、眼も開けられぬほどに荒々しく冷たい夜半の旋風を避けるようにして屋内に引きこもっていた。

 

 しかしそれ以上に、もっとも原始的な本能がその嵐を避けようと彼らに背を向けさせた。何かの確証があるわけでもない。それでも誰もが異常を感じていた。

 

 何かが決定的におかしいのだということを、誰も説明は出来なかったし、理解できるわけでもなかった。――が、知っていたのだ。

 

 誰もがそれを知っていた。今宵はもう、決して空を見上げてはならないのだと。

 

 

 街中に堆積する奇怪な雑音を取り掃い、妖精の灯す松明の光に導かれ、深山町を抜けた一行は冬木大橋にまで差し掛かった。

 

 光はそのまま一直線に橋を目指している。どうやらワイアッド翁は新都方面にいるようだ。

 

 舵を取るランサーが、舳先に立つテフェリーに声を掛ける。

 

「テフェリー、どうだ?」

 

「……反応は強まっています。このまま――」

 

 ――が、そのとき、突如として世界から一切の〝音〟が消え失せた。

 

 次の瞬間、彼らのすぐ目の前を通り過ぎて行った()()は一直線の河面に特大の畦の如き白波の筋を描きながら、一瞬だけ無音となった世界を今度は耳を聾するような怪音と轟音で埋め尽くした。

 

「――――ッッ!!」

 

 ランサーは咄嗟に舳先にいたテフェリーを捕まえ、その身体を強引に台座へ放り込んだ。カリヨンと士郎がそれを受け止める。

 

「なんだァ!? いまのは――」 

 

 一様に耳を押さえながら、一同はそれが飛来した方角を仰いだ。そして見つけた。そのはるか彼方にまるで、泡沫の夢幻の如く屹立する破格の怪異の全容を。

 

 冬木市を東西に分け、海まで真っ直ぐに走る深遠川のさらに延長線上の海原に、ありえないものがあった。四人はそこで共にとてつもない強壮な眺めを見ることになったのだ。

 

 それは竜巻であった。いや、それはむしろ、化外の規模と密度を誇る〝超巨大積乱雲(スーパーセル)〟と呼ぶべきものであった。

 

「まさか――あれが敵なのか」

 

 士郎が漏らした言葉も、驚愕のあまりすぐに擦れた。畏怖というよりはむしろあまりの現実感の希薄さに呆然として見上げてしまうかのような、まるで巨大な柱の如き威容であった。

 

 天と海と、そしてその下の大地すらをも諸共に貫いているかのような錯覚さえ起こさせる、それはもはや白亜の塔のようでさえあった。

 

 あの密度をして、ただの大気の流動だなどと誰が信じようか。

 

 それほどに並外れて、ここからでも全てを物語るほどに強壮なその威容。当然ながらそれが条理の旋風でなどあろうはずもない。本来なら進行方向にあるものを薙ぎ倒しながら前進するはずのそれは、渦を巻きながら海原に静止しているのだ。

 

「ま、拙いぞ。このままじゃ……」

 

 カリヨンが怖じけたような声を出したが、ランサーはさして斟酌する様子もなく飄々と応えた。

 

「らしいな。しかしこいつァ、吉報だ」

 

「な、なに言ってるんだ!」

 

「んー、つまりはだなァ――」

 

 ランサーがそう言いかけた瞬間。吹き荒れる風は再び凪ぎ、また耳を聾するほどの静寂が訪れた。それは先程の、おそらくはその怪異なる竜巻のもとから飛来したであろう砲火の再来、その前触れに他ならなかった。

 

 爆音が轟いた。今度こそ彼らを標的として飛来したそれは正確に四人の乗る輝車目掛けて迫る。ランサーは白亜の双翼を模した神斧を手に片手に執り、迫り来る砲弾に向けて叩きつけた。

 

 この世に顕著した女神の権能たる反発力が、辛うじて砲弾の直撃を弾き、逸れた弾道は鉄橋の一部をまるでバターのように抉り取って河面に没した。

 

 自重に耐え切れなくなった橋の骨格が、断末魔にも似た悲鳴を上げ始める。これ以上は、足場となる橋の強度のほうが持たない!

 

 だがランサーは口角を吊り上げて言葉を続けた。

 

「――当たり、ってェことだ。やつァ、アタシ等をこの先に行かせたくないらしい」

 

 ランサーの牙を剥くような視線は、その白亜の柱(スーパーセル)の深央を見据えている。そこから送られてくる確かな視線を感じていたのだ。あの柱の中にいる敵は、間違いなくこちらを見ている。

 

「……あっ」

 

「そういうことですね。これでマスターがこの先にいる可能性は高くなりました」

 

 テフェリーも同意する。しかしどうする? 捕捉された以上、もはや引くことは論外だ。ならば進むしか道はないことになるが、それでも結果は同じことではないのか? しかも、橋の上ではなおさら逃げ場がない。

 

「お前らは先に下から行け。アイツの相手は、あたしがやる」

 

 そう、喜色を浮かべて言い放ったランサーの輝く甲冑からは、しかし既に鮮血が滴っている。先ほどの迎撃で傷が開いたのだ。その美貌は嬉々とした表情とは裏腹に、今にも倒れそうなほどに生気を失っている。

 

 今のランサーにはサーヴァントとの戦闘は身に余る。その上今彼らを襲う暴風のなんという壊滅的な威力か。その威力は間違いなく対人でなく対軍、その火力は狙撃どころではなく真正の砲撃に他ならない。

 

 戦力差は絶望的だ。いくらランサーでもいまのコンディションでは勝機は無いに等しい。それでも、誰も否とはいえなかった。この状況を受け持てるのはサーヴァントであるランサーだけ。それは火を見るよりも明らかな、動かしがたい事実なのだ。

 

「……ランサーの言う通りです。退路はありません。進むしか、ないのです」

 

「だからって……」

 

 事の仔細を知らずとも、そのあまりの無謀さは理解できた。しかしカリヨンが言い募ろうとした言葉尻は霞んで消える。テフェリーは彼が始めて見る顔をしていた。まるで自分の身体の一部を切り取られるかの様な、悲痛そうな表情を浮かべる彼女の顔を。

 

「いいですかランサー、決して――」

 

 言いさした言葉を、掻き消すかのように呑み込んだ――再びの、無音。

 

 来る!

 

 しかしランサーは逆に何も応えず、笑みを浮かべてテフェリーの頭を撫でた。ゆっくりと、大事な物を扱うように。そして、

 

 やおら、三人の乗っていた台座を蹴り飛ばしたのだ。切り離された台座は橋の欄干を突き破り、ボートのような形に変形してそのまま水面まで落ちていく。血の雫のような軌跡を虚空に残して。

 

「ランサーッ!」

 

 ランサーは同時に、橋を囲うようにして無数の盾を、まるで繚乱の花の如く多重展開させ、敵の視界を覆った。三人が離脱し、新都側の岸にたどり着くまでの目くらましだ。

 

 そして轟音の奔流と共に、三度の砲火が見舞われる。盾群を薙ぎ払って確実にランサーを狙ってくるそれを、また神斧の斥力波で弾く。砲弾は再び河面に突っ込み長大な水柱を巻き上げた。その衝撃で、今度こそ橋が崩壊を始める。

 

「行け、テフェリーッ! 行けェェェッッッ!!!」

 

 吼え猛けたランサーの美しい声音だけが、粗雑な砲撃音にもまぎれずに響き、テフェリーの耳に届いた。

 

 

 

 白き巨壁の向こうで、ライダーは巨大な橋の崩れ落ちる様を見ていた。木っ端の如く舞い上がる鉄屑と水煙。本来なら、そこから人影など見分けられるはずもない。しかし、その、まるで金属かと見間違うほどの怜悧な視線は捉えていた。歪み捻じれて崩れ落ちる橋のアーチの残骸をものともせず屹立する紅の貴影を。

 

「……なんと、なんと。あの女槍兵め、いったいどういう手で返してくるかと思っていたが……」

 

 軽快に漏らしたはずの声は、実に重く、苦々しい。

 

 水面に浮かぶ戦車の残骸はもはや原型を止めていないが、彼女は辛うじて即席の足場として機能しているその上で、両の手に特大の槍と戦斧とを携えていた。

 

 瓦礫と共に打ち砕かれ、分解されたかに見えた輝光装甲群は、まるで真紅の粉雪のように虚空に舞い上がっていた。――それが、一変して奇妙な動きを見せ始める。

 

 それらは虚空で寄り集まり、再び刃の群れとなって彼女の元に集束し始め、ランサーが前方に向けて突き出した槍に取り込まれていくのだ。

 

 そしてランサーは、今度は右手に執った神斧を背後に向けて掲げ上げた。途端、左手に構えた槍の穂先は凄まじい亀裂音と共に爆発的に巨大化しはじめる。それは即席の足場ごと彼女自身をも取り込み、そこに一本の巨大な杭を形成する。

 

 前方に突き出された穂先は巨大な(やじり)へと変じ、後ろに掲げた戦斧は最後尾で矢羽となった。

 

 そうして成形された全長十メートルを超える長大な〝矢〟は、さらに伸長を重ね、まるで鋭角に引き延ばされた海豚(イルカ)のような形状へと完成する。

 

 それでもガラスを掻き毟るような音は止まない。巨大な杭の中で刃が幾重にも密度を増しているのだ。パキパキと鳴っていた乾いた音が、次第に小刻みな軋みに変わる。キシキシと、ギチギチと。

 

 これ以上ないほどに密度を増したと察せられる摩擦音は――詰まるところ、準備が終わったことを意味する。

 

 だがその光景を見るライダーの視線は冷えたままであった。その瞳には失望と憐憫の色さえ窺える。

 

「――それは、悪手であろうよ、槍兵」

 

 この時点で、彼はランサーがなにをしようというのかを理解していた。それは彼が予想しうる。もっともシンプルで、もっとも愚直で、そしてもっとも見込みのない手段だった。

 

 

 天と海原を貫く白亜の柱。それはもはや神々を仰ぐことに等しい脅威であった。まるで固体かと見紛う程の風の柱は、僅かの乱れもなく統率されている。

 

 あの渦に触れた瞬間、人間の体などは吹き飛ばされることすら叶わずに血風と塵とに分解されるに違いない。

 

 そして放たれ来たる暴風の砲弾――ランサーはそれを、いつぞやセイバーが見せた風の剣、聖剣を不可視へと変じさせていた大気の集束を解き放ち、空圧の鉄槌へと変じさせたあの抜剣術と同様の性質を持つものだと見抜いていた。もっとも、その規模はまさしく桁が違うのであったが。

 

 さらには、それが雨の如く降り注いでくるということが致命的だった。つまり、あれは砲台という顎を備えた城壁に他ならないということになる。

 

 ランサーは敵の戦力を分析しつつ、あらためて敵の威容を仰ぎ見る。そして肉眼では目視し得ぬ、固形物と見紛うばかりの暴風が織り成す城壁の向こう側に不適に笑う敵の影を捉えた。

 

「しッかし、デカイ敵だね。どうも……」

 

 天を仰ぎ、ひとりごちながらも去来するのは、生涯最後の敗戦の記憶。だがそれに伴い湧き上がるのは痛みでも哀しさでもない。それは千の傷痕に勝る悔恨の念。

 

 ――そうだ。あの時も、()()()はこれぐらい、いや、もっと大きく見えた――。

 

 そして今更ながらに思うのだ。妹のため、プリアモス王のため、ワイアッドのため、テフェリーのため――いろいろと理由を求めてはみたが、やはりいざという段になれば己という女は結局己のためにしか戦えないのだと。

 

 いや、むしろ逆なのかもしれない。自分は戦うために誰かを理由にしたがっているのではないか、とも。それは不誠実なのかもしれない。

 

 何かのために戦っている奴らからしてみれば、戦うための何かを探し続けている己は、酷く不純な動機の持ち主に映るのではないだろうか。

 

 ――否、そうではない。断じて、そうではない。それを恥じることはない、悔いることもない。それは彼女が彼女であるために必要なことなのだ。

 

 だから、もしも――彼女がなにかを悔いることがあるとすれば、それは――。

 

 先に向わせた三人が対岸に辿り着き、遠ざかるのを確認してから、ランサーは水面の上を滑らせるように「矢」をスタートさせる。巨大な凶器がゆっくりと虚空に浮かび上がり、その最後尾にしつらえられた白亜の翼が花開くように展開した。

 

 極限まで充填されたランサーの魔力は条理を覆す斥力(ベクトル)へと変換され、暗紅の魔杭を標的に向けて射出し始めたのだ。

 

 不和の女神の戦斧が、その神の権能により爆発的な推力を生み出す。矢はさらに加速し、ただ、前に進むことだけを目的とした特攻のための専攻武装へと転じた。

 

 いま、軍神の手に成る奇跡の装甲は、防具であることの頚木を解かれ、本来あるべき姿へと変容を遂げたのだ。

 

 乾坤一擲! それがランサーの選んだ選択であった。

 

 だが哀しいかな。これは彼女にとって分が悪すぎる賭けだと言わざるを得ない。

 

 それはランサー自身もすでに承知していることであった。ライダーがすでに彼女の宝具特性を見抜き、その事実を看破していたのと同様に、彼女もまた先の砲撃からライダーの能力をある程度は把握していた。

 

 対人よりも対軍戦闘に特化した宝具を持ち、超々距離からの攻撃を得手とする。ランサーにとっては厄介な手合いだといえた。

 

 彼女の強みは、常に身に纏う装甲を数千もの個別武装に瞬時に換装できるがゆえの〝戦術の幅〟にある。

 

 それは敵対する相手と己との距離、つまりは間合いの攻防における万能さを意味する。サーヴァントの武装に限らず、あらゆる武器にはその設計思想から導き出される有効距離というものが存在する。

 

 故に、相手が持つ武装が知れれば、その武器が効力を発揮できる範囲というものもおのずと判明するのだ。

 

 己が武器の間合いを違えれば、それはその瞬間をもって、それは無用の長物と化す。

 

 彼女の宝具にはこの齟齬がない。いかなる間合い、いかなる武装が相手であっても彼女はそれに応じて武装を換装できる。距離の攻防において彼女が得られるアドバンテージは破格だと言えた。

 

 自力の勝る相手にでも、その強みを武器に肉薄していくことが出来る。それが彼女の持つ宝具、沸血装甲(マーズ・エッジ)の誇る宝具特性であった。

 

 ――が、敵に間合いの不利を逆手に取る布陣を敷かれた場合、今度はその特性が彼女を苦しめることになるのだ。

 

 相手の特手とする距離では戦わず、相手の苦手な位置から攻めるというのが沸血装甲のセオリー。しかし、ライダーはすでに彼自身が最も特手とする距離での攻防しか許さないという布陣を整えている。

 

 こうなっては。ランサーは不利を承知でライダーの間合いで戦うしかない。なまじどんな距離でも闘えてしまうため、敵に主導権を握られるとじり貧に陥ってしまうのだ。

 

 加えて、彼女の誇る軍神の装甲は攻性に特化した強力な宝具だが、その反面傾きすぎた特性のためにその耐久性は著しく低く、脆い。如何に防御を固めたとしても、この暴風の弾幕には耐え切れずに粉砕されることだろう。

 

 このまま行けば十中八苦、あの城壁に辿り着く前に打ち落とされてしまう。

 

 そして遥かな海上に位置するライダーが、ここまでの攻防によって同様に彼女の宝具特性をある程度は把握しているであろう事は想像に難くない。つまり、結論として、現状における彼女には打つ手がないということになる。このまま、遮二無二攻め込んで玉砕することしかできないのだろうか?

 

 ――――否! 

 

 強大な敵に向かうランサーは、吼える。己の一抹の勝機を謳い上げる。

 

「脆い装甲にもなァ――使()()()はあるぞッ!」

 

 閃紅が奔る。ランサーの持つ二大宝具が秘める神秘が、いまここに最大開放される。

 

「受けよ、ライダー。我が渾身の一投――火葬戯・沸血衝角(マーズ・ラム・インシレネート)――捌けるもんならァ、捌いてみろッッ!!!」

 

 それを受け、旋回する暴風が河面上のランサーへ向けて口を開けた。巨大な咆哮を張り上げんと、巨竜がその顎をこわばらせる。

 

 ――愚策。

 

 黒い水面に一筋の紅い閃光を描きながら迫り来る、輝ける巨矢の偉容を目にしながらも、矢面に立つライダーの視線は冷然とこれを断じていた。

 

 これは自殺行為に他ならない。彼女の宝具がもつ特性は攻性に傾きすぎている。それは何よりの長所であると同時に弱みでもあるのだ。即ち宝具の打ち合いによる、()()()では彼女には分が悪すぎる。

 

 失望だ。このような破れかぶれの特攻で、彼の誇る最強宝具に肉薄しようなどとは片腹痛い。もはや侮蔑にもならぬ悪あがきに等しい。これを愚行と呼ばずなんと呼ぶのだろうか。

 

 案の定、敵の先制に対し撃ち放った暴風の弾幕は迫り来る輝きの矢に次々と着弾し、その装甲を砂糖菓子か何かのように抉り砕いていった。まるで粉雪のように紅い塵片が撒き散らされていく。

 

 これまで、か。――しかし、その苦々しい失望と彼の予想とを諸共に蹴破るようにして、紅き閃光が連なり林立する水柱の中から再びその輝姿を現わしたのだ。

 

 巨大な矢は、真紅の影を残して河口目掛けて水上を滑走していく。

 

「む――!?」

 

 予想外のことに、しばしライダーもその失望に細まった目を爛と剥いた。

 

 最大展開された軍神の装甲は暴砲の吐き出す砲弾と、それに付随するあまりにも破壊的な暴風とが接触する刹那、自ら粉砕することによってその威力を相殺し、主の身を魔龍の(あぎと)から守り抜いていたのだ。

 

 これこそ多重構造製・沸血反応装甲(マーズ・リアクティブ・アーマー)。確かにライダーの放つ弾雨を正面から受け止められるだけの耐久性能は、彼女の宝具にはない。如何に分厚い装甲を形成しようとも、敵の砲撃は受け止め切れずに瓦解してしまうことだろう。しかし彼女はそれでも引くことを考えなかった。

 

 ひたすらに前へ。どうせ粉砕される装甲だというのならば、先に自ら壊せばいい。彼女の認識はその程度のものだったが、兵器の集積概念体である彼女の宝具は、その思惑を理想的な形で再現していた。

 

 反応装甲とは、戦車などの補助装甲として使用される装甲板の事である。二枚の装甲板の間に炸薬を挟んだもので、簡単に言えば、装甲が内部から爆発する力によって、攻撃をはじき飛ばすことで防御するものである。ランサーが幾重にも渡って作り上げた多重装甲は、この反応装甲の原理を再現していたのだ。

 

 ライダーの漏らした驚愕のうめきが、驚嘆のそれに変わるまでの間に矢は竜巻の麓、つまりは敵の喉元にまで迫っていた。

 

 来たる輝きの紅矢を迎え撃つライダーも、それを視止めてようやく牙を剥くようにして笑った。槍兵と騎乗兵。向かい合う視線が、巨壁の如き暴風の隙間から交差した。

 

 瞬間、吐き漏らされた獣たちの咆哮が重なり、大乱の嵐に入り混じってその風速を加速していく――。

 

 ようやく巡って来た尋常なる戦の予感に、ライダーの血潮も熱く滾っていた。彼もまた戦いの果てに栄光を夢見る者なのだ。

 

 暴竜の瞳が、戦乱の愉悦に燃え上がった。

 

「ク――クはははッ、それでこそ戦士よ! 良いぞ、踊って見せろ槍兵! いっそ淑女(レディ)の様にな!! 此方も出し惜しみは無しでお迎えしよう。――さあ謡え! 『輝きし金色の雅嵐(ゴールデン・ハインド)』よ――」

 

 大嵐の剛風が顎から牙を剥き出した、ライダーの誇る巨大宝具。その真名が、今初めて解き放たれる。

 

「――『刻め、咆哮の魔名(エル・ドラク)』!!!」

 

 


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