Fate/after Silent Noise (フェイト/アフター サイレント・ノイズ)   作:どっこちゃん

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四章 灰眼創者「ダーク・クリエイター」-2

 逢いたくて、逢いたくて、逢いたくて。――

 

 ――――誰、に? 

 

 不意にそう問うてから、肺腑の奥に甘く粘りつくような仄温かい感触を覚えて、男の意識は覚醒した。

 

 周囲の空間はひどく煤けた空気で満ちていた。散乱する虚空が煤で黒く塗り固められているようでさえあった。

 

 おそらくは昨夜、火炎の魔態に蹂躙されつくしたオフィス街の、いずれかの焼け跡であろうか。

 

 事切れるかのように眠りについてから、どれほどの時間が経過していたのだろう。甚だ定かではなかったが、暗く焼け焦げた室内に、ところどころに切れ目のように光が差し込んでいることから、未だ日の落ちていない時間帯なのだろうと、男は視線だけを微かに巡らせて察した。

 

 夜までは幾許かの猶予があるようだった。それを確認してからようやく、男は強張ったままの五体から力を抜いた。

 

 常にそうだった。この男は即座に命の遣り取りに移れるだけの緊張を己の心身に課したまま、この数年間を生きてきたのだった。むしろ、これほどに緊張を解くのは何時以来なのかわからないほどだ。

 

 むしろ、今の彼はまるで金縛りにでもあったかのように、五体の自由がきかない状態なのであった。未だ体力が戻っていないこともあるのだろうが、それでもこれほどに不自由な筈はなかった。

 

 そして男はそこでようやく気付いた。それは何よりも彼の体の上に広がっている、あるもののせいであった。

 

 横たわり仰臥する己。その上に覆い被さるような――柔な肉の感触。それが、男の屈強な五体を、僅かな蠕動さえも許さぬほどに拘束しているのだ。

 

 ――否、それは拘束しているのではない。抱きしめているのであった。全霊を込めた抱擁と言うべきものだったのだ。

 

 次いで、男は己を包み込んでいる灼熱の甘露の正体を知った。つまりは女であった。それは、燃え殻のように燻った女の体温であった。

 

 バーサーカー。アサシンを失ったこの怪人の最後のサーヴァントが、仰臥した男の上にしな垂れかかるようにして伏しているのだった。

 

 それだけではない。動かせないのは手足だけではないのだった。四肢や首などの五体だけではない。声を出すこともままならなかった。

 

 なぜなら、今、彼の口腔までもが強靭にふさがれていたからである。

 

 バーサーカーはその精気の通わぬ鈍色の総身の中で唯一、ふくよかに咲き乱れるかのような赤い唇を、男の口唇にピタリと合わせていたのである。

 

 狂女は、己の息はおろか脈はさえも忘れたかのように、死人のごとく横たわる男の唇を一心不乱に吸っていた。いや、吸っているのではない。吐いているのだった。

 

 纏わりつくかのように、男の分厚い胸板の上に着崩した着物と火照るような五体とを蕩けさせている。

 

 そのまま、女は紅い口を男のそれに被せ、まるで野生の獣が我が子に租借した食物を分け与えているかのように、ゆっくり、ゆっくりと何を送り込んでいるのだった。

 

 元来、サーヴァントとはその身体を現世にとどめ続けるだけでも、マスターから尋常ならざる魔力を吸い取ってしまうものである。

 

 故にこれほどまでにマスターが消耗している状態で、サーヴァントである彼女が現界し続けていることが、まずありえないことであった。

 

 しかし、この狂女はこの間、一度として霊体化することなく、ついぞ周囲の焼け焦げた空間にまるで幽鬼のようにふらふらと出歩いては、雛鳥に餌を運ぶ親燕さながらにこの場に舞い戻ってはを繰り返していたのだった。

 

 この灰色の狂女は、狂女らしからぬ甲斐甲斐しさを持って、主のために奔走していたのであった。

 

 たびたび狂戦士としてのクラスらしくない従順さを見せていた女だが、しかし、それは決して従僕として従順だという訳ではない。

 

 この狂女を突き動かすもの、それはマスターを主と頂く忠心ではなく、狂乱やかくやの饐えた恋慕の情愛なのであった。まさしく狂女なのだ。

 

 それも、近代に至ってもなお、あたかも好色な女の代表のように語られ続けるこの女の来歴を知れば、さにもあらんというべきか。

 

 ――八百屋お七。それは天和二年十二月に起きた天和の大火の際に、焼き出された先の寺小姓に恋慕の念を抱いただけの、ただの町娘であった。

 

 しかし彼女は、その後もいま一度その想い人に会いたいと願ってしまう。居ても立ってもいられなくなった娘は狂気に駆られ、いま一度火災が起これば想い人に逢えるからと、幾度かの放火を企ててしまうのだった。

 

 それらは総て未遂に終わり、結局彼女は憐れ、火刑にかけられたという。

 

 享年齢十六の娘であった。その後、この事件が浄瑠璃や歌舞伎の題材とされたために、広く人々に知られることとなり、おそらくはこの国においてもっとも有名な放火犯として人々の記憶に刻まれることと成ってしまった。

 

 さらにその存在は、仄かな種火が次第に大きな炎へと飛び火するかのように、いくつかの迷信や魔性と混同され、遂には人々の間で普及の概念へと昇華されたのであった。

 

 永久の狂女、色狂いの憐れな女として。

 

 そう、憐れな女であった。ただ人並みの恋慕に心を焦がしたがために、これほどの汚名を被ることになろうとは、たとえ神仏であっても予期できぬことであっただろう。

 

 ただ、もう一目逢いたかった。想い人との、いま一度の逢瀬。それだけを望み、一抹の狂気に身をゆだねた愚かな女。

 

 ――しかし、その一念を抱いて現代に蘇ったこの狂女が、この冬木の地で何をしていたかを知れば、決してそう憐憫の念ばかりを抱くわけにはいくまい。

 

 彼女は昨夜焼死した人間だけでは飽き足らず、瓦礫の陰に生き残っていた人々や救助に奔走する者たちにまで炎をけし掛け、この拠点が知れることすら検討せぬままにその人々の命を持ち帰っては主たる男へと送り込んでいたのである。

 

 いまもまた、この冬木市の各所で新たな火災の犠牲となった人々が、渦巻く奇怪な炎の中に囚われ続けていることであろう。

 

 このバーサーカーのサーヴァント、八百屋お七の能力とは基本的には『火災の種火を撒き散らす』ことでしかない。サーヴァントとしては微弱極まりない能力と言えるが、この種火が燃え広がると、一変して厄介な性質を発揮し始める。

 

 その炎は戦闘において彼女を補佐するだけではなく、その炎によって燃やしつくされたから人々の魂魄や生命力、さらには死後の絶叫さえをも根こそぎ吸い上げ、魔力として蓄えることができるのだ。

 

 つまり、この狂女はこの男のサーヴァントとなる以前から、殆ど己でかき集めた魔力だけで現界していたのである。男が炎の中で舞い狂うバーサーカーの特性に眼を付け、己の第二のサーヴァントとしたのはこの能力――つまりは高精度の魂喰い――有ってのことであった。

 

 確かに、バーサーカーであることを置いたとしても、これほどに燃費のいいサーヴァントもないだろう。本体の要求する魔力も少なく、しかも自ずから自然な形で自給自足を行うのだから。

 

 だが、その運用高効率を誇るバーサーカーが、なぜここまで甲斐甲斐しく主の世話を焼いているのかまでは、実際にはマスターであるこの男にも説明がついていなかった。

 

 それでも男は覚醒してからもなお、この狂女の行動を抑制するでもなく放置した。この意思の疎通さえままあらぬ狂女に、いかなる意図があるかは知らず、回復の助けになるのは確かだ。

 

 彼自身は魔術師でもなければ、この土地に知己を持つ身でもない。無辜の民からの魂喰いを阻む理由はない。

 

 充分な魔力を送り込んだと踏んだのか、女は濡れ光る粘液の糸を引いて男の口から唇を離した。そして、そのまま項垂れるように男の厚い胸板に頬を擦り付けた。

 

 口腔と肺が自由になってからも、男は何も言わなかった。

 

 ――逢いたくて、逢いたくて、逢いたくて。ただ、逢いたくて――。

 

 夢現に聞こえてきたのは、幻聴か何かなのだっただろうか。いや、しかし夢など長い間見てはいなかった。

 

 いったい己の何が、この色情狂の琴線をふるわせたのであろうか。もしやこの狂女にはこの主が生前恋い焦がれた恋慕の相手との相違がわからないのかもしれない。

 

 マスターが男であるならば、その総てをかつて想い焦がれた相手と誤認しているのだろうか? ならば、なおのこと、その在り方は滑稽だ。

 

 無謀なる恋慕に狂った憐れな女。自らの稚気によって己を焼くこととなった愚かな女。――男は内心で繰り返す。それだけのことだ。この女は元来英霊として呼ばれるはずもない悪鬼の類でしかない。

 

 おそらく召喚時の不備によって、偶然にこの現に引き寄せられただけのものでしかないのだろう。

 

 男はそう思いながらも、聞こえた幻聴の調が何時までも耳に残っている事を不可解に想った。

 

 逢いたくて。逢いたくて。ただ、逢いたくて――――仕方が、なくて。

 

 ――逢いたい?

 

「いったい……、誰に……」

 

 己は、誰に、何に遭遇することを望んでいるというのだろうか。

 

 男は胸の上から見つめてくる、瞳がちな女の目を、始めて覗き込んだ。

 

 呟いた言葉に、訝る視線に、しかし胸の上で寝そべったままの女は何も応えはせず、ただ幸福そうに眼を細め、男の首筋に鼻先をこすりつけるだけだった。

 

 

 

 

「では、富には興味がないとでも言うのかね?」

 

 仄暗い薄闇に、いかにも訝しげな声が響いた。

 

「金銭など取るに足らないものだよ。少なくとも僕にとってはね。いいかいライダー。浪費は必ずしも人生に安らぎをもたらさない。唯一それを可能とするものは、創作だけだよ。人は何かを創り出すことにこそ、永久の安らぎと高揚を見る。消費の快楽とは、あまりに刹那的で底がない。安らぎとは縁遠いものさ」

 

「なるほど……高尚だな」

 

 困ったような顔で益荒男は肩をすくめた。一応は首肯したものの、とてもではないがこのマスターの言は彼の理解の及ぶ範囲の外だ。

 

 しかし、そういう人間がいてもいいか、と思える程度には、彼は理解の及ばない事象や他者というものに寛容だった。というよりも、そういうものとの付き合い方を弁えていた、とでも言うべきか。

 

「しかしな、マスターよ。そも、人の生とはさような刹那の連続によって成るものだ。ならば、人の生とはそれそのものが刹那だといえなくもないのではないかな? 刹那の快楽が生涯続くなら、続けられるならそれもまた是といえるのでは?」

 

 すると、相対する白蝋の能面じみた美貌が朗らかに歪んだ。唯人が見たならゾッとするような笑顔だった。

 

「随分と楽観的な意見だね、ライダー」

 

「そうでなくてはいかんのだよ。船乗りというものはな。そうやって折り合いをつけなければ、安心して丘を離れられんのさ」

 

 そんな談笑の声が揺らめく暗がりには、鬱積したような瘴気と澱み始めた血の匂いが漂っていた。灯籠の明かりが燻らす影の間には、人間大の襤褸雑巾のようなものが転がっていた。

 

 それはもはや物言わぬ躯と化した、この儀式の監督役テーザー・マクガフィンの成れの果てであった。

 

 明かりのほとんどない伽藍の堂のような空間、締め切られた闇が沈殿したような室内だった。まだ昼間だというのに、ここにはなぜか日の光が届いていない。

 

「貴方はどう思います? 偉大なる王よ」

 

「……」

 

 応えはない。元より彼には談笑に参加する気など毛頭ないのだ。

 

 この薄闇が幾重にも鬱積したような空間に、しかしこのときばかりは異彩を放つ存在があったのだ。彼が放つのは暗鬱たる暗闇を、より漆黒の煌めきで切り掃うかのような極光であった。

 

 その黒陽色の輝きが、彼の周囲に寄り付こうとする薄闇を跳ね除け、寄せ付けずにいるかのような錯覚さえ起こさせるほどに。その存在は圧倒的であった。

 

「……まぁ、いいでしょう。それよりも貴方の方はよろしいのですか? 神の化身たる王ともあろう御方がこんな手を汚すような真似をしても」

 

 揶揄するような響きに、漆黒の玉体は応えない。

 

「……いえ、私たちとしては願ってもないのですがね。……ただ、監督役がいなくなったのなら、そもそも貴方がセイバーと戦う必要はもう無いのでは? とも思いましてね。なぜあなたがそうまでしてセイバーと構えたがるのか……」

 

 アーチャーサーヴァント、化身王ラーマは沈鬱な吸気の後、静かに言葉を発する。

 

「……監督役の意向なしでも、(それがし)は今一度あの騎士王と立ち会わねばならぬ。そして、この監督役は某を使って最後には聖杯を得るつもりでいた。その不正、いつか正さねばならぬことであったのだ……」

 

 その声に、しかしオロシャはその言葉の裏にあるものには心底興味がないように、途中で話を切るように相槌を打った。

 

「そうですか。まぁ、貴方は約束の通り、あのセイバーを何とかしてくれればよろしい。手筈(てはず)はこちらで整えますので、貴方は騎士王を打ち倒すことだけを考えていればいい」

 

 すると、今度はライダーが言葉を投げかける。

 

「貴様に討てるのか? あの騎士王を。――あれほどの女を」

 

 脇から割り込んできた揶揄するようなその声に、アーチャーは低く厳かな声で応える。

 

「……それでも、挑まねばならぬのだ」 

 

「いいでしょう、これで契約は成立だ。アーチャーよ、あなたの望みを受けましょう」

 

「……」

 

 黒光を纏うサーヴァントは、ただ無言で踵を返した。

 

 

 ――絶対の王には一人の妻があった。

 

 二人は世界に祝福されながら出会い、そして神々に導かれながら当然のように不可避に惹かれあった。

 

 だが幸福に包まれながら、若き王子は苦悩することとなる。

 

 彼は人ではなく、神の写し身であり、王の子であり、生まれながらの英雄であったからだ。絶対の正義は絶対の魔を引き寄せる。

 

 彼自身はそれでよかった。己の存在が悪に拮抗するとために遣わされたものだということを彼は承知していたし、それを恐れたことも悔やんだこともなかった。

 

 己の存在が世界の悪を正し、正義を全うすることを心から望んでいたし、そも、彼にはそれ以外に何もなかったのだ。

 

 しかし、愛する女を得たがために、彼は深い苦悩の虚に陥ることとなる。

 

 彼は己の運命を恐れた。なぜなら邪悪との戦いを約束された彼の運命は、きっと愛する者にも降りかかるからだ。

 

 そして苦悩の末に、無欠の化身は決断する。

 

 期を同じくして、彼の弟を彼の代わりに王座につけんとして、彼を王宮から追放しとする者たちの働きかけがあり、ラーマ王子はその運命をみずから進んで受け入れ、そして野に下ることを受け入れた。

 

 彼を愛する全てのものを己の運命にまきこまぬために、彼は全てのものを遠ざけようと決意したのだ。

 

 愛する妻との別離。何よりも辛い選択であったが、彼に迷いはなかった。なぜなら彼はその苦痛に耐えられるように出来ているからだ。

 

 しかし別離を告げようとする夫に、妻は柔らかい微笑を浮かべながら言うのだ。

 

『どのような運命が降りかかろうとも、私はあなたと共にあります』、と。

 

 ――思えば、あのときからではなかっただろうか。神の化身たる絶対の王が、己が正しさに齟齬を感じ始めたのは。

 

 彼が後悔を残すのはその点ただ一つだけである。世界を、民を、国を救った絶対の王はしかし、ただ一人、この最愛の妻だけを救うことが出来なかったのだ。

 

 思えば、彼女は王とともに在ろうとしなければ、数々の受難から逃れることが出来たのではなかったのか。

 

 二人の出会いが神々に導かれたものであったとしても、あの時共に在るといった妻を拒絶してさえ要れば……。

 

 ――そうすることの出来なった己を、その弱さを、彼は悔やみ、そして妻は受け入れ、愛してくれた。

 

 その最愛の妻を巡って、この神の化身は神さえも退ける魔人と熾烈なる戦いを繰り広げ、後に語り継がれる伝説を作り上げることになるのであった。

 

 だが、彼は数々の冒険を潜り抜け、魔人の手から救い出した妻へ、火の中にその身を投じて身の潔白を証明しろ、と命じねばならなかった。

 

 永きに渡り魔人のもとに囚われていた妻が、本当に不貞を犯していなかったのかと疑う声が上がったのだ。

 

 民の糾弾の声も最もであった。彼女は今や王の后である。そして彼は世に名だたる絶対の正しき王。どれほど些細な疑いであっても、それは晴らされなければならない。

 

 それは王として疑いようもなく正しいことであった。だから彼はそれを当然のこととして妻に告げた。

 

 今度こそ、彼は妻が悲痛な声を上げると思っていた。そして己を罵倒するのだろうと。その痛みを受け入れることで、彼はその正しさを受け入れよう。そう考えていた。

 

 しかし妻の反応は違った。彼女は言った。「わかっています。私は大丈夫です。だから愛する人よ、どうか、もう泣かないでください」と、そういって微笑んだ妻の前で彼は立ち尽くすことしか出来なかった。

 

 そうして彼女は神々の審判にその身をゆだね、地の裂け目から大地に還った。

 

 それは永遠の別離を意味していた。彼は神の化身として死後は神々の舞う天空に昇天し、そこで不滅となる。しかし、田の畦から生まれた神造の者である后は死後大地に還り、そこで永遠となったからである。

 

 彼は王として、英雄として民を律し、故国を繁栄させた。

 

 それを、決して悔やんではいない。彼の行動も選択も、疑いようもなく正しかったのだから。

 

 ――だが、それでもなお、今この胸に去来するのはその正しさゆえの空虚さであった。彼は最初から正しいものとして生み出され、脆弱な人間の心を持ち合わせていなかった。

 

 だが、ただ一つだけ、それを狂わすものがあったのだ。

 

 彼をひとりの人間として愛し、そして彼の正義の犠牲になった神造の姫君。最愛の者へ、――だからこそ詫びたかった。

 

 それが時空の彼方に昇華してなお、彼が抱き続けた唯一の願いであった。

 

 だが、その願いを望むことは彼にとっての正義とは相反する願望だ。故に彼は今まで迷い続けてきた。そして答えを出せぬまま、多くの過ちを犯してしまった。

 

 もはや、これまで。

 

 それゆえに、アーチャーこと化身王ラーマは恥を押して騎士王へ懇願したのだ。己と同じ正義を頂いた者として、その正しさをまっとうして欲しいと。

 

 だが、あの騎士王はそれを唾棄した。

 

 その決断もまた英霊として間違っている、と。

 

 そしてあの清廉の騎士王は言ったのだ。全力をもって挑んで来いと、貴殿の間違いを正そう、と。

 

 いま、彼にあるのはその先に如何なる答えがあるのか、ということだけであった。

 

 その答えを見い出すためにも、そしてこの迷いを己自身の手で断ち切るためにも、――彼は挑まねばならないのだ。

 

 ならば、もはや迷う必要は何処にもない。ぶつけるまでだ。この迷いを断ち切るためにも、渾身の一撃を、真摯に、全力で容赦なく――

 

「問わせてもらうぞ、騎士王。――其処許の語る、真の王道と言うものをッ」

 

 

 

 アーチャーの去った後の広い室内は、幾分温度が下がったかのように思われた。

 

 客人が完全に去ったことを確認してから、オロシャはその薄闇の中で蝋のような口唇を開いた。卵のような白い曲面に傷口のような赤い色が見え隠れした。

 

「しかし……ああ言ってはみたけれど、この勝負はアーチャーが勝つのが必然だろうね」

 

 それを聞いたライダーが、興味深そうに主の顔を覗きこんだ。

 

「面白い事を言うではないか、マスターよ。何故アーチャーが勝つと思う?」

 

 オロシャは、興味深げに問うてくるライダーの金属のような冷徹な眼窩を見つめ返した。

 

「そういえばアナタはずいぶんとあのセイバーを買っていたようだね? それについては僕の方こそ訳を訊きたいところだよ。その正体が何であれ、何故女などにそれほど眼をかけるのかとね。……ああ、そういえば、」

 

 そう言ってオロシャは、つま先で足許に伏している亡骸のフードを剥いだ。

 

「……まさかこの監督役も、女だったとはおもわなかったよ」

 

 横たわる監督役のローブからかいま見えたのは、確かに長い黒髪の女の顔だった。

 

「ほう、見た顔だな。確か一合だけだが打ち合った覚えがある。しかし、まさかあの監督役だったとは思わなんだ」

 

 感慨深そうに語るライダーに、オロシャは溜息混じりに漏らした。というよりも吐き捨てるというほうが正しかったかもしれない。

 

「となれば、これも必定だったかもしれないね。別に蔑視するつもりはないが、女が企てた儀式など綻んで当然だよ。何事も、女が関わるとろくなことがない」

 

「これはまた、ずいぶんと厳しい意見ではないかマスターよ」

 

 凡そ初めてと思われる、このマスターの人間味の見え隠れする剣幕に、ライダーはまた興味深そうに眉を上げた。

 

「……他意はないさ。ただ僕は真実を言っているだけだよ、いかなる場合も、彼女たちは大人しくしてくれているのが一番だとね。……そうは思わないかい、ライダー? 君にとってもそうなんじゃないのかい? 女を船に乗せるのはタブーだと聞くけれど?」

 

 即答はせず、なにやら間を取ったライダーは溜息とともに一言。こう告げた。

 

「……まあ、確かにその通りだ。船に乗せるものではないな。しかし」

 

 不意に、薄暗い室内に灯されていた燭台の辺りが、何らかの怪異な風によって掻き消された。部屋の中に一抹の闇が訪れる。

 

 眼で追っていた文字の羅列を闇で塗りつぶされ、オロシャはその灰色の瞳を再び上げた。そして闇の中から、まるで鉄塊の杭の如きライダーの視線が真っ直ぐに彼を見詰め、告げた。

 

「侮るべきではないぞ。マスター。これは絶対の事実だ――怖いものだぞ? 女というものはな」

 

「……」

 

 闇の中で暫し無言のまま憮然としていたオロシャは、再び燭台に明かりを灯す。そしてそれ以上の議論を避けるように、話の矛先を変えた。

 

「……まあいいさ。さて、これで準備は万端整った。そうとなれば急ごうか。こちらも、今夜の内にキャスターを落とそう。アーチャーに依ればキャターの新しい根城は新都センタービルだ」

 

 首肯したライダーは、しかし訝るような口調で尋ねる。

 

「さて、今度はどうするのだ? また沖から狙うのか? まさか丘に上がれとはいうまいな?」

 

「いや、キャスターの方は()()だけでやるよ。君にはセイバーとアーチャーを見張れる位置に待機しておいてほしい。そして僕の邪魔をしようと新都に入り込んで来る手合いを見つけたら、すぐに排除に移ってくれないか」

 

「ふむ?」

 

 単純に指示を解しかねて視線を向けたライダーに、オロシャは弛緩したような独特の笑みを見せた。

 

「ライダー、どうして僕が自分でセイバーを殺さずにアーチャーにやらせるのかわかるかい?」

 

「それもそうだな……。なぜわざわざこんな手間をかけてまでヤツを引き込む必要があったのだ? キャスターの居場所だけなら、急がずともそのうち知れたであろうに」

 

 もとより、そのことについて訝しんではいたライダーだったが、その辺りのことに口出しをするつもりもなかったので、問わなかっただけの話である。

 

「確かに()()に任せておけば、すぐにでもキャスターの根城を見つけてくれただろうし、セイバーを排除するのも簡単だ。本当に()()()()()()()()。けどね、それじゃあアーチャーのほうが残ってしまうだろう?」

 

「ほう」

 

「余計なサーヴァントが残るのはよくないからね。どうせなら邪魔なイレギュラーはまとめて始末したい。騎士王と化身王が争えば、まぁ、どちらも無傷ではすまないだろう。――あとは、君が残ったほうを始末すればいい」

 

「……」

 

「それに、キャスターを攻めるなら早いほうがいいんだ。後はカリヨンさえ落としてしまえば当主後継者は僕だけになる。監督役を手にかけた以上、決着は早いほうがいいからね。……おや、不満かい?」

 

「私が真っ当な英霊なら、是が非でも難色を示したであろうな……」

 

 そこで憮然そうに構えていたライダーだったが、その表情を一転させてニッと口角を吊り上げた。

 

「が、私もそう清廉潔白な性質ではない。……とやかく言う気など、微塵もないさ。ただ、狩りがつまらなくなるのだけは見過ごせんのでな」

 

「そうだね。あなたは由緒正しき正調の英霊であって同時に反英霊でもある。だからこそ僕もあなたを信頼する。――まぁ、その点についての心配は要らないよ。あの二人の王はどちらが残るにしても、簡単に倒せる相手ではない。そう言ったのは君だろう?」

 

「ふっ、確かにな。何より手負いだからこその楽しみもある、か。……いいだろう、今度こそ、真の戦場の愉悦を味あわせてもらいたいものだ」

 

 そう言って笑った海洋の雄の唸りにつられるように、部屋の隅の薄闇にひそやかな声が起こり、笑い声となってそれに重なった。

 

 艶やかに透き通った女の声と、そして低くくぐもったような老人の声であった。それらの声を受けて白蝋の面が歪む。

 

「フフ、()()もその気のようだね。さあ、行こうか、ライダー。これが最後の夜となることを期待しよう」

 


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